・バレンタインと千冬さん1
「じゃあ千冬姉さん、いってらっしゃい」
「ああ一夏も気をつけてな」
この日はバレンタイン、最近ますます大人びてきた弟に送られて千冬は家を出る。IS学園にはまず女性しかいない、いや男がいるにはいるのだがそういう行事には関わりのない年代の人物である。千冬はバレンタインという『男性が好意を持つ女性にチョコを贈る』というイベントに関係のなさそうなのだが。
しかし千冬はいつも以上に浮かれていた。毎年毎年、可愛い弟が自分のためにチョコを作ってくれるのだ。誰よりもこの日を待ち望んでいると言っても過言ではない。
(あの年頃の男の子というと本当に好きかどうかはともあれ彼女というものができるようだが……)
一向に女の影をちらつかせない一夏に多少の不安がある。もしかすれば『そういうこと』なのだろうか、それなら怪しいのはあの五反田弾だが、けれどもそういう雰囲気でもないよなとモノレールに揺られながら千冬は思案する。
彼女は一夏を大事にしているが、彼に近づく女は全て容赦しないなんてことはせず『一夏に近づく不埒な女は容赦しない』のだ。彼を大事にしてくれる女性がいるのであれば血涙を流して送り出すだろう。
ちなみに一夏に近づく不埒な女の筆頭はどこぞの科学者である。
「あの」
ふと顔を上げると、そこにはスーツを着た男性が妙に紅潮させた顔で千冬に話しかけてきた。はて、どうかしたのだろうかと思い悩む。
「お、織斑千冬さん! 受け取ってください!」
満員の通勤電車(モノレールだが)に見知らぬ彼の必死そうな声が響いた。
・そのころの一夏くん
今日はどこか浮ついた空気が漂っているようだ。バレンタイン、とは男性から女性にチョコを贈る行事である。数度首をかしげたが何も問題がない。
さて俺は昨日のうちに色々と準備はしておいた。贈る女性は千冬姉さんに鈴、そして蘭だ。一応、友チョコということでいくつか用意しているが、俺はクラスでも多少浮いている存在だし渡せる人間も片手の指で事足りるだろう。できれば束さんや箒などの遠い人たちにも渡してあげたいのだが、身近にいないのだから仕方がない。ハッピーバレンタインとメールを送っておいた。
「おはよ」
「おはよう弾、放課後そっちの家に行ってもいいかな?」
聞けば笑顔でいいよと返してくれる。
「それで」
弾は真剣な表情になって詰め寄ってくる。何がいいたいのかは分かったので視線を逸らせた。
「本命は」
「ない。そういう弾はどうなんだ?」
「同じく、だな」
同じタイミングで包を渡しあい、そして笑った。
・少し前の鈴さん
昨晩のバラエティ番組にのめり込んでいたために多少寝不足気味な凰鈴音こと鈴は、慌てて家を出てきたために多少ぼさぼさなツインテールを揺らしながら駆け足で学校へと向かっている。ちなみにパンは咥えていないし遅刻遅刻とも言っていない。多少は余裕が有るのだ。
「ふぅ、っとついたぁ~。……って、あれなんだろこれ」
靴箱を開けると見知らぬ包みがひとつポツンと置いてある。はて、としばらく色々と思いを巡らせていたのだがふと昨年も同じようなことがあったなと思い当たり。
とりあえずこそこそと鞄に仕舞っておいた、決して見つかって囃し立てられるのが嫌だったのではない、決して。ちなみにその行動に移るまでの数瞬の間、もしかしたら数年想いを寄せている相手からかと期待をしていたのだけれども、その包みの上に貼り付けてあるメッセージカードに彼と違う名前があったのでちょっとがっかりした。
世の中には欲しくても義理チョコすらもらえない女性がいるというのに随分と贅沢なご身分である、ヘタレなのに。
「おはよ!」
「よ、鈴。お前にプレゼントだ」
元気よく教室の扉をスライドさせた鈴に弾が包みを投げ渡す。「うおっと」と言いながら受け取った鈴は何なのかを察してありがと、と言ってサムズアップ。
「弾、鈴が落としたらどうすんだ」
「食わせる」
「お、おう。おはよう鈴、はいこれ」
シンプルな答えになんと返せばいいのか、とりあえず何も思いつかなかったので一夏は鈴にチョコを渡すことで目をそらす事とした。
「でもよ一夏。果たして俺らがこいつにチョコを渡す必要ってあんのか?」
「というと」
「見たぜ鈴、朝お前の靴箱に男の子が――」
「ちょ弾!」
話を聞きつけた周囲の女子が鈴に詰め寄る。「まさか織斑くんや五反田くんに飽きたらず」、「ちくしょうなんでアンタだけが」、「ちくわ大明神」、「リア充殺す」、「ヘタレのくせに」などなどの怨嗟の声が巻き上がる。
「ちょ、誰よ私の胸揉んだの! え、無いとか言うな!」
ワッショイワッショイと鈴は連れ去られていった。なんだかんだで友人が多い鈴、対照的にそうでない毛色の違うせいで同性に避けられがちな二人は顔を見合わせてつぶやく。
「誰だ今の」
ちなみに鈴の机の中にはチョコの包みが入っていたようだ。これを知った女子にまた恨まれることとなるのだが、鈴はそうは言ってられない状態である。
「ちょ制服に手をかけるな! 脱がそうとするな!」
一般的な女子同士のじゃれあいに一夏は窓を見ることしかできなかった。おおやってるやってると完全に野次馬になった弾は一夏からのチョコをもぐもぐと食べ進めた。
・バレンタインと千冬さん2
「せんぱぁい、どうして私達ってこの学園に勤めているんでしょうか……」
「知るか、自分で選んだんだろうに」
「先輩は良いですよね、かっこいい弟さんがいて、どうせ私なんて」
千冬の後輩であり教師の山田真耶は職員室で地獄に落ちかけてた。
「光(チョコ)なんて……先輩もこっちに来ましょうよ、どうせ私と同じ年齢イコールなんですから」
「山田先生、落ち着きましょう。とりあえず甘いものでもどうですか」
外面だけ同僚みたいにして千冬は真耶の口に黒いものを突っ込んだ。むぐぅ、と声を上げるがその甘さに次第に幸せそうな表情を浮かべる。
「ありがとうございます先輩、口がどうも寂しくて。それにイライラしている時にはチョコレートですよね。いやあ糖分が脳に染みわ……」
不意に言葉を止めた真耶に千冬は首をかしげる。
「あわ、あわわわわ! いけませんいけませんよ先輩! 私は男性が好きなんですからそそそそのお気持ちは嬉しいですがレズではないので――」
げんこつが落ちた。
「落ち着きました?」
「……あい」
「ちなみに私も同性愛者ではありません。男性が好みです、余計な誤解を広めないように」
「……あい」
両者とも椅子に座り直した。
「それで先輩、そのチョコは『そういう意味』でなければどうして持っているのですか?」
「通勤中に貰ったんだ」
「へぇ通勤中に……って、ええ!?」
千冬は思い返す。見知らぬ男性から差し出されたそれはとりあえず受け取っておいた。誰かの間違いではないかと思ったものの、こちらの名前を呼んだためにそれはないと結論付ける。長く世界最強をやっていたのだ、見知らぬ人物に話しかけられることはたまにあるし、以前もこのような日にチョコを渡されたことがある。
『え、ええとファンです! これからも頑張ってください!』
『ありがとう、礼は来月に――』
『いえ、千冬さんはそれこそ有名なのでたくさん頂いてるでしょう? お返しは結構です!』
彼はそのまま下車していってしまった。と、経緯を話し終えると真耶は長年の復讐の相手を見つけたかのような表情となり右手を握りしめる。
「ぐ、グギギ……これが持つものですか! 一発殴らせろください!」
「ははは出来るものならな」
「すいまえんでした」
真耶の拳は躱されて代わりに頬をグニグニといじられることとなった。よくある先輩後輩の光景でる。こういったじゃれあいはIS学園と言わず全国のいたるところで見られるために全国各地の紳士たちの創作活動を盛り上がらせているのだが――別の話。
「ふふ、今晩は弟のチョコを食べながら弟の淹れてくれたコーヒーを飲むんですよ。年に一度の贅沢だ、羨ましいでしょう山田先生」
「先輩! 弟さんをください!」
「貴様にはやれん」
「即答!?」
こういうラブコメもの(?)では時事ネタをやるものって聞いたので沖波掘りしながら書きました。
バレンタイン2は来月か来年!