「あぁ、そうでした」
誰かが呟いた。
「私は、先輩の為に―――」
その呟きは闇に溶けた。
誰が、何処でその呟きを闇に投げたのかも分からない。
儚い様で、芯のあるその声は、誰も聞いていないにも関わらず、不思議と誰かに語りかけるかの様な呟きだった。
「でも、マスターに選ばれている人なんて分からないから…」
儚いながらも、芯のある。
「とりあえずは、魔術に関わる人から」
その芯が、歪に曲がっているかどうかは、聞く人によるのだろう。
―――――――――――
その朝は変わり映えの無い日常だった。
鳥は鳴き、人は起き、文字通りの日常が始まる。
おかしな所があるとしたら、優秀な生徒である遠坂凛、彼女が学校を欠席したこと、ただそれだけだった。
その時、彼女の日常は、いや、非日常的ともいえる彼女の日常は、津波に流されるかの様に抗う事も出来ずに流れを変え始めた。
「セイバー、聞いておきたいのだけれど」
そして、その当人である遠坂凛は今、自宅の一室で西洋風の鎧を見に纏った美しい女性を前に頬杖を着いていた。
「はい、何でしょうか?」
「前回の聖杯戦争でマスターに当たる連中が根城…工房を作っていた場所って分かるかしら?」
問い掛けられた美しい女性、サーヴァントのクラスでいえばセイバーに当たる近接最強とも謳われる最優の騎士は口元に細く剣を握るとは思えぬ指を持って行き、瞳を閉じて記憶を辿った。
「そう…ですね、幾つかはありますが、キャスター、こと魔術を扱うのであれば此処…という場所は思いつきませんね」
「うーん、そうなると手掛かりが無いのよね、この冬木の土地で霊脈が集まっている場所を渡り歩いて探し出すって言うのも充分に可能なんだけど、出来れば迅速に形を付けたいって思っちゃうのよ」
「…とはいえ、キャスターは市民への被害を出しているわけではありません、そこまで急ぐ必要が?」
背もたれに体重を駆けながら、凛は天井に眼をやって言葉を続けた。
「そうね…確かに市民に被害を出していないのなら、あくまでも聖杯戦争に積極的なら良いのだけれど、いいえ、良くは無いのよね、聖杯戦争に積極的だからこそ、他のサーヴァントと戦っているわけだし、いつ市民に被害が出るとも分からないわ」
そう言ってはみたものの、凛は右手で握り拳を作ったかと思うと椅子を立ち上がり握りこぶしを振り上げた。
「なにより、私が全く参加せずにこのままだと聖杯戦争に取り残される様な気がして嫌なのよ!」
「凛…それは」
「そりゃ極力戦わずに勝てれば理想的よ!?でもそれって勝利と呼べるのかしら?聖杯
誇り、それは確かな実績の下に成り立つものであり、実績の無い誇りは支柱の無い家屋の様に脆い物だ。
その実績を作り上げるのは誰か、他者か、部下か?
違う、その実績を成すのは本人、誇りを抱く者だけだ。
「成程、誇りの為となれば騎士である私にも理解できます、その誇り、私が共に築きあげる許可を頂きたい」
「勿論よ、さぁ、行くわよ」
そして外へと、誇りを成す為に二人は踏み出した。
―――――――――――――
場所は移り変わってとあるホテル、一人の少女が妖艶な笑みを浮かべながら自信の頬に手を添えていた。
「私も、先輩の為に何かが出来るんですよ」
その瞳はホテルの窓ガラスから見える景色に焦点を合わせてはいない。
ホテルの窓ガラスに映る自分を見ているワケでも無い。
ならばどこを見ているのか、
「きっと、姉さんはマスターですよね?」
答えは
「私、お爺様から聞いているんです、聖杯戦争は文字通りの殺し合いだって」
その傍ら、黒いジャケットを現代風に着こなした古代の英雄、ギルガメッシュがその様子を眺めていた。
己に語りかけてくるワケでも無く、独り言でも無く、確かに誰かへと向けられたその言葉を耳に、眉を寄せ、眉間に皺を作っていた。
「だったら、姉さんが先輩を殺してしまうかも、しれないんですよね?私が守りたいのは、
間桐桜、元から危うい、周囲が泥に囲まれた平均台を歩く様な精神に在った彼女は今、知り得た現状と成し得る事が出来る協力、その二つに脚を取られ泥へと身体を浸けていた。
「ふふっ、ダメですよね、それを壊しちゃ」
儚さは相も変わらず、しかし、まるでそれは薔薇の様。
摘み取れば容易く枯れる命、されども摘み取れば傷は避けられない。
「それでは英雄さん、お願いします」
その言葉が蜜だとするならば、味わえば死をも味わうことになるだろう。
―――――――――――――
「キャスターと考えるなら潜伏場所は霊脈の高い所だと考えられるわ、その候補の一つはアインツベルンの城…とはいえ、あのちびっ子とは停戦協定を結んでいるワケだから手出しは出来ないわ、だから次の候補、柳桐寺に向かうわよ」
「衛宮士郎という可能性は無いのですか?」
「彼がキャスターだとは思えないわ、ほとんど勘だけど」
「勘、ですか」
二人は歩いて柳桐寺へと向かっている。
速度は気にせず、歩きやすい歩幅でマイペースにだ。
ふと、凛は自分の着ている紅いコートのポケットに手をやった。
「(持ってきた宝石はほとんど全財産、ううん、これから先、どんな戦いでも今持てる自分の全力を持ち歩かなきゃイレギュラーに対応できない、むしろ、イレギュラーだらけの戦いになるだろうから出し惜しみしていたら負けてしまうわ)」
大小様々な宝石、それは遠坂凛が得意とする宝石魔術と呼ばれる系統の発動媒体だ。
簡易的な結界を貼ることや、即座に中規模の攻撃を放ったりとその用途は多岐に渡る。
そこに加えて遠坂凛には師である言峰綺礼より習った中国拳法がある。
接近戦、中距離戦、遠距離戦、その全てに対応出来るのがこの遠坂凛という少女の強みだ。
しばらく歩いて辿り着いた柳桐寺。
その山門へと通じる石段の左右は鬱蒼と茂った森になっており、斜面もあって石段を除いて柳桐寺へと至る道は無いと考えた二人は歩を進めた。
一歩一歩、上りながらセイバーは考えていた。
「(相手がキャスターであるならば私は非常に有利に動けるハズ…なのに、なんだ?この悪寒は、一歩を踏み出すたびにプレッシャーが強くなる)」
そしてそれは、凛も感じている事だった。
「(こんな怖気、経験したことが無いけれど分かる、この上には
その何か、それは山門の前で待っていた。
長い刀、長い髪、そして長い時を共に待っていた。
「ほぉ、誰かが登ってくるな」
待っていたのだ、その時を。
本来は有り得てはならぬ召喚によって参上した英霊。
切れ長の眼を片方閉じながら、もう片方の眼でその方向を確と見やる。
敵意を剥き出しにした気配を感じ取りながら、口元に笑みが生まれるのを隠しきれないその男は、自身の肩に止まっていた鳥に人差し指を伸ばし、飛び移ったのを確認して空へと還した。
「血生臭い場になる、疾く去れ」
予感。
これからここは戦場になる。
古風な装いは柳桐寺の山門と相まって、時代を過去へと遡らせる。
ここは戦場、現代の兵器は無く、この男には魔術も必要無い。
長刀を抜き、陽の光を浴びせその輝きを確認する。
全くの問題は無く、己の相棒と呼ぶに相応しき刃。
「さぁ、死合うとしようか」
男は待つ、眼前に現れる敵を。
故に、気付かなかった。
今、この時、既に自分の頭上に現れている敵の事を。
金色の飛行物体が冬木の空に浮かんでいた。
そして、その飛行物体に居座る金色の英雄は眼下に居る雑種に向けて言葉を放つ。
「たわけ、言葉を交わす価値も無い」
贋作でも無い、虚像の存在。
興味は無く、捨て置く事もまた許さない。
「退場、幕切れ、それらの言葉すら似合わぬわ、散れ」
何処からか放たれた無数の刃、向かう先は山門前。
鳥の声がした。
一瞬だけ、ただ一瞬だけ響いたその声は絶命の声だった。
それは確かに鳥の声だったというのに、それが意味していたのは二つの命が散ったという事実だった。