「―――それじゃあ、キリツグは何度もあの場所に訪れていたの?」
「あぁ、だけど…さっきも言った通り、それ以上は近づけなかったんだ」
夜が、闇が、静けさが深みを増していく中で、イリヤは士郎の膝の上、語り終えられた一人の男の物語を聞き痛みを覚える胸の内を晒すことなく飲み込んだ。
「そっかぁ…そっかぁ!」
その痛みが何であるのか、イリヤは理解できていなかった。
悔しさや嫉妬、無知であった自身を恥じたものだったのかもしれない。
だけど今、そのイリヤの表情は明るい物だった。
「イリヤ、嬉しい…のか?」
思わず問う士郎、先程までの辛そうな表情とは一変した少女の顔を見ればその問いが思わず漏れるのもおかしなことでは無い。
「うん!お爺様が教えてくれた『お話』はとても悲しかったけど、士郎が話してくれたキリツグは、私の知ってるキリツグだったから!」
理想のキリツグでしか無い少女の中に存在した父の姿、それは共に雪原を駆けた父の姿で、危険という言葉をまるで感じさせない頼もしい存在だった。
「そうか、それは良かった」
自然と頭を撫でる手をイリヤは拒まない、イリヤスフィールにとって衛宮士郎と言う存在は兄であり、弟であり、家族なのだから。
その撫で方は優しくて、思わず頬が緩む自身を抑えることは出来なかった。
「キリツグはね、私とよくクルミ取りに行ってくれたの」
「クルミかぁ、見つけるの難しいんじゃないか?一緒に行ったのってアインツベルンの雪深い地域の方だろ?」
「えへへ、私はクルミを見つける競争でキリツグに負けた事ないんだから!」
イリヤは思い出していた、いつの間にか夢に見ることで涙を零すようになっていたその記憶を、楽しき日々を、父と母に愛されるその日々を。
「そうか、それなら今度はどんぐりで俺と勝負しよう」
「士郎と?」
「あぁ、この森を歩いてくるときにまだ初秋だっていうのに幾つかのどんぐりが落ちていたからな、あれを探すのは一苦労だぞ」
「負けないんだから!」
その様子は兄妹の会話にも見え、心温まる一時だった。
「ねぇ士郎?」
「ん?」
「士郎はマスターになるの?」
―――嗚呼、近づいているんだったな。
時の流れは残酷で、誰にも止めることが出来ない。
時計の針を止めることは出来ても、それは時を止めたわけでは無い。
聖杯戦争は、確実に近づいてきているのだ。
「…あぁ、聖杯は俺を選ぶだろう」
「それじゃあ、私と戦うの?」
「……ッ勝者を決めるのなら、戦わなくちゃいけないな」
戦いたくなど無い、イリヤと戦うんなんて嫌だ。
幼子の我儘の様なことを考えるが、それが本心。
しかし、心の何処か、やはり考える。
―――ヘラクレスに、何処まで通じるのか。
―――あの男に、俺の剣は届くのか。
戦いを渇望する、
中にはいたのだ、ヘラクレスとの死闘の中で砕け散った
故に求めるのだ、その戦いを、その剣戟を、その先の勝利を。
「私、知ってる、魔術師にとって聖杯戦争は晴れ舞台、公にする訳にはいかないけれども自身を証明する舞台にも成り得るんだって」
そう、それが魔術師であるならば、己以上に己が家系の正しさを、強さを、誇りを以て望むのが聖杯戦争。
「私には、アインツベルンの名前が掛かってる、お爺様の為じゃない、私はお母さんとキリツグがいたアインツベルンの誇りの為に、聖杯戦争に勝利したい」
だから、もしも士郎がマスターになったら。
「あぁ、その時は戦おう、だけどそれは最後の最後だ、俺達二人で聖杯戦争の頂上決戦をしよう、恨みも辛みも腐れも無く、ただ勝者を決める為の戦いを」
嘘だ。
衛宮士郎は最後の二人になるつもりは無い、なぜならばその前に聖杯戦争そのものを終わらせようと考えているからだ。
言峰に聞いてみても、その答えは返ってこない。
そう、言峰は仲間になったのでは無い、あくまでも衛宮士郎を聖杯戦争で勝たせる為の助力者なのだ、勘違いしていたとしか言いようが無い。
そのため、聖杯戦争そのものを無くすという目的の為の助力など得られない。
こちらに害を成さないし、強くなる為の修行も施してくれる。
されども、全てを助けてくれるわけでは無い。
衛宮士郎の障害は、衛宮士郎自身で斬り伏せなければいけない。
それをイリヤに伝えるワケにはいかない、心配させてしまう。
戦いに迷いが生じれば、他のマスターに隙を見せることになってしまう。
それは、それだけは避けなければいけない。
故に嘘を吐く。
苦しむのは衛宮士郎の心のみ、他の誰もが心を傷付けず、それで終わる。
それが最高の形だと、衛宮士郎は考えた。
だから今は、
「うん!私だって負けないんだからね!」
この笑顔が見れただけで、衛宮士郎には充分だった。
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「衛宮士郎を聖杯戦争で勝利させる方法…」
一人の男が考える。
「やはり、
結論を出す。
「やれやれ、世界も残酷なことをさせる」
そう、その男は、協力者であれども仲間では無い。
愉悦を愛する男なのだ。