◇3 めだかボックスにお気楽転生者が転生《完結》 作:こいし
珱嗄が何故怒江の傍にいなかったかというと、少しばかり所用を頼まれていたからだ。カルテの整理。だからちょっとばかり席を外していたのだ。
「さて……と、これで終わりか……じゃあ怒江ちゃんとこ行くとしよう」
珱嗄はそう呟いて白衣を翻し、怒江の所へと歩き始めた。
元々、珱嗄は彼女をどうこうしようと思っていない。ただなんとなく患者の担当として任されたからなんとなく一緒にいるだけだ。というか、
「怒江ちゃんを預かってからもう3ヵ月……進展は無しだ。わはは、困った困った」
別段困った様子もない珱嗄。ゆらゆらと笑いながら歩く様は、この箱庭病院では一つの名物的なものになっている。
「あら、珱嗄君じゃない」
「おや、瞳センパイ」
「江迎ちゃんはどう?」
「俺の恋人にするには些か年齢低過ぎでしょ」
「そんなこと聞いて無いわよ!?」
珱嗄は人吉瞳に遭遇した。ちょうどいいからここらで何をすればいいのかを聞いておこうと思った。
「というか、俺はあの子をどうすればいいんすか」
「ソレ分からないまま3ヵ月過ごしてたの!?」
「まぁね!」
「自信満々に言うな! ……はぁ……全く、貴方はあの子を社会でやっていけるように更生させて、親の下へ帰してあげるのよ」
全部だった。つまり、スキルを封じて、社会で生きていけるように更生させ、親へ叩き返す訳だ。珱嗄はこの病院の方針に若干苦笑するのだった。
「じゃ、あの子の事、頼んだわよ?」
「はいはい、わっかりましたよー」
珱嗄はそう言って、瞳と別れた。
◇ ◇ ◇
それからしばらく歩いていると、珱嗄は怒江が目の前から歩いてくるのを見つけた。その手にはジャンプを持っていて、キョロキョロと周りを見渡していた。
「おー怒江ちゃん、なにしてんの?」
「! 見つけた……」
「なんだ、俺を探してくれてた訳か……そいつは面倒掛けたね」
「――――すか?」
「え?」
怒江の様子がおかしかった。珱嗄は雰囲気の変わった怒江に少し眉を潜める。どこか暗い雰囲気を纏った2歳の少女は、いつもよりもっと暗い瞳でぺらぺらと流暢に話し始めた。
「なんで私の傍にいないんですか? 貴方は私の担当医ですよね? ならずっと私の傍にいるのが当然じゃないんですか? 当然なんですよ、この三ヵ月間ずっと私とずっと一緒にいてくれたのになんで今更いなくなったんですか? 私みたいな子供の世話はもう飽きちゃったんですか? そんなことないですよね、私は貴方に何もしていないもの、だから貴方は私と一緒にいてくれないと困るんですよ。傍にいて下さいよ。私がジャンプを読んでいる傍らにいて下さいよ。どうしてどうしてどうしてどうしてどうして離れて行っちゃうんですか、おかしいじゃないですか、担当医って言ってくれたじゃないですか、仕事ならちゃんと全うして下さいよ。私の何がいけないんですか、迷惑掛けて無いじゃないですか。ご飯だって残さず食べてます、好き嫌いもしてません、お風呂だって暴れないで入ってます、言うことだってちゃんと聞いてます。私は良い子です。だからずっとずっとずっとずっとずっと、一緒にいて下さいよ」
「わはは、ヤンデレの素質たっぷりだなオイ」
珱嗄は怒江の頭に手を乗せて、笑う。
「はいはい。ほら、部屋に戻るよ」
「!」
珱嗄は怒江を抱き上げて部屋へと歩き始める。すると、怒江は自分に触れられている珱嗄にびっくりした表情を浮かべた。何故なら、彼女の力は人であろうと、触れれば腐らせるのだから。
「俺にはお前の力なんて効かないよ」
「……なんで」
「俺が、俺だからだ」
「……意味が分かりません」
「分からないよ。お前は俺じゃないからな」
珱嗄は怒江の頭をぽんぽんと叩きながら元の部屋へと辿り着き、中に入る。そして、怒江を下ろした。
「いいか怒江ちゃん。お前の力をいつか受け入れてくれる奴らがきっと現れる。俺が保証するよ」
「………」
「その時、お前は誰かに恋をしてるかもしれないな、人並みに喧嘩したりしてるかもしれないし、人並みに友達と遊びに出掛ける事もあるかもしれない。もしかしたらその力を制御出来るようになってるかもしれない」
「……そんなのもしもの話です」
「でも、ありえない話じゃない。もしも、そうなったとして、まだその力が怒江ちゃんを苦しめるようなら、その時は俺を頼れ。確実に何とかしてやるよ」
珱嗄はそう言って、ゆらりと笑う。怒江はそんな珱嗄に対して、本当に何とかしてくれそうな気すらしてきた。
もしも、本当にそんな未来があるのなら、自分はいつか幸せになれる時が来るのかもしれない。誰かに恋して、誰かと喧嘩して、誰かと遊びに行って、この力も制御出来る様になっているかもしれない。
「……なんで、そこまでしてくれるの?」
「決まってんだろ。最初に言った通りだ」
「?」
「俺は泉ヶ仙珱嗄、面白いことが大好きな――――『お前の』担当医だよ」
珱嗄はこの後、この病院に飽きて退職するのだが、この約束だけは覚えている。だから、珱嗄はいつまでも怒江の担当医であり、彼女が社会で生きていけるように支えるのだ。最初で最後の患者だからこそ、それを最初で最後の失敗にしない。
「………そう、ですか」
「ああ、精々頑張って幸せになるといい。まぁ、
「……はい」
「まぁただの担当医の言葉だ。忘れてくれて構わないよ」
「忘れませんよ。私にそんな事言ったのは、先生が初めてだから」
珱嗄と江迎はそうして笑い合った。
そして、この数日後、江迎怒江は家族の下へ戻って行った。珱嗄に見送られて、帰って行った。相変わらず、その手に古びたジャンプを持っていたのは、記憶に残っている。
二人が再会したのは、この13年後。箱庭学園でだ。
その時彼女は、珱嗄の言ったもしもの話が現実になったように、誰かに恋し、誰かと喧嘩し、誰かと遊びに行くような、幸せな日々を送っている。そして、恋の生涯になりそうなあの力は、珱嗄が約束通りなんとかしているのだ。
彼女は今でも覚えている。珱嗄の言葉を。自分の担当医だと言ってくれたあの時の言葉を。
珱嗄は今でも覚えている。怒江の笑顔を。ジャンプを片手に自分から帰っていった時の笑顔を。
「やぁ怒江ちゃん。学校生活はどう?」
「こんにちわ珱嗄さん。勿論、面白いですよ」
「そいつは良かった」
箱庭学園で、たまに二人は会う。その時、昔の様に珱嗄が話し掛け、それに怒江が簡潔に答える。それが二人の最大のコミュニケーションだ。それだけで良い。珱嗄はゆらりと笑い、怒江は昔にはない柔らかな笑みを浮かべる。もしもの話は、現実にそこに実っているのだから。
二人は擦れ違い、各々廊下を歩き去っていく。
そして、怒江はマイナス十三組の教室に入り、席に付いた。机から古びたジャンプを取り出して、パラパラと読む。
「『あれ?』『怒江ちゃん、それは?』『随分と古いジャンプみたいだけど?』」
「はい、13年前のジャンプです。でも、私の宝物です!」
「『ふーん』『そっか!』」
球磨川禊にはソレが何か分からなかったが、おそらくそのジャンプは『大嘘憑き』でも無かった事には出来ないのだろう。そう、思ったのだった。