◇3 めだかボックスにお気楽転生者が転生《完結》   作:こいし

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番外箱 江迎怒江と泉ヶ仙珱嗄の接点 上

 珱嗄がまだ、箱庭病院で職員として働いていた頃の話。ある時、病院に一人の少女がやってきた。本当に小さい子供で、普通の子ならばまだ物心が付いているかも怪しい年齢の少女だ。なのに、少女を連れて来た両親らしき人は少女に一切触れようとしていなかった。しかも、少女の服はボロボロで、両手は土塗れだった。そしてなにより特徴的なのは、あの球磨川禊の様に、絶望と不幸に塗れた濁った瞳。

 珱嗄は彼女を見て、ただただ簡単に感想を抱いた。

 

 ―――あ、不幸な子供だ

 

 過負荷(マイナス)なんて、この世界で珍しいものでも無い。両親に嫌われているのも、身形が綺麗でないのも、別段予想外の光景ではなかった。

 そして、少女の両親らしき二人は少女を珱嗄に押し付けて、帰って行った。少女はぽつんと珱嗄の前で立ち尽くしている。俯き、服をボロボロにしながら気味悪く笑っていた。

 

「ふむ……お嬢ちゃん、名前は?」

「江迎……怒江、です」

「そうか、俺は泉ヶ仙珱嗄。面白いことが大好きな君の担当医だよ。よろしく」

 

 これは、珱嗄という人外が、初めて請け負った患者の話。珱嗄が担当した、最初で最後の患者である過負荷(マイナス)、江迎怒江という不幸な少女の話である。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 江迎怒江は、両親から病院に置いて行かれた(捨てられた)少女である。とはいえ、病院側としては両親の住居や電話番号等を把握しているので、言ってしまえば怒江を両親の下へ帰すのは簡単だった。故に、病院側としての対応は、とりあえず怒江を病院で預かる事だった。

 だが、その担当医になりたい者はほとんどいなかった。好き好んで過負荷(マイナス)に関わろうとする人間は、箱庭学園やこの病院でも稀だ。

 

 だから、そこで起用されたのは、新人でまだ仕事がなく、かつ過負荷(マイナス)に嫌悪感を抱いていない人物である、珱嗄だった。

 

「やぁ怒江ちゃん、調子はどう? 悪い?」

「うふふ、だいじょうぶですよぉ……いつも通り最悪です」

「そいつは結構。で、そのスキルの方はどうよ?」

「……まぁ……これは私にはどうにも出来ませんからねぇ?」

「だよねー」

 

 珱嗄は怒江のいる部屋にやってきて、怒江の調子と経過を記録する。とはいえ、珱嗄にとってはそんなのスキルの一つで終わらせられる。だから、スキルでちょちょいと仕事を終わらせた珱嗄は怒江とコミュニケーションを取る事にした。

 

「なぁ怒江ちゃん、君は何がしたい?」

「特に何も」

「ジャンプ読む?」

「じゃあそれで」

 

 珱嗄の取りだしたジャンプを受け取り、まだ文字も読めないのに読み始める怒江。おそらく、台詞は読んでいないのだろう。絵を見て、なんとなく読んだ気分になるのだ。まだ文字の読めない怒江だからこその、ジャンプ鑑賞法だった。

 

「面白い?」

「とても」

「ふーん」

 

 面白くない会話。こんな簡単で短い言葉のやり取りが、珱嗄と怒江のコミュニケーションだった。言葉を交わすのは、決まって珱嗄が話し掛けるのが切っ掛けで、怒江はそれに対して短く返すだけ。寧ろ会話をすることを望んでいる訳ではなさそうだった。

 ジャンプを捲る音が、部屋の中で規則的に響く。珱嗄は壁に凭れ掛かって座り、怒江はその隣で黙々とページを捲っていた。

 

「………」

「………」

 

 お互い、言葉を発しない。傍から見れば、仲が悪いのか? 喧嘩でもしたのか? 他人なのか? といった疑問でも生まれそうなほど、彼らのコミュニケーションは最低限で、しかしそれが最大限だった。

 ただ黙って一緒にいて、黙ってなにもせず、稀に会話する。それが、珱嗄と怒江の最大限のコミュニケーションだった。

 

 だが、彼らの間に沈黙の空間特有の気まずさは無かった。お互いがお互いを気にかけていないからだ。興味が無い、だが、一緒にいる。あくまで担当医と患者の関係。教師と生徒が恋仲に陥る様な、兄と妹で恋人みたいな関係になる様な、虐めっ子と虐められっ子が親友になる様な、常識的に考えてありえない関係が、珱嗄と怒江の間にもあった。

 

 

 担当医と患者が、仲良くなる。

 

 

 これが、珱嗄と怒江に限っては、ありえなかった。

 

「怒江ちゃん飴食べる?」

「貰っても食べられませんよ」

「あ、そうだったっけ……あむ」

「……自分は食べるんですね」

「だから食べれば良いじゃないか、ほれ」

「むぐっ……!?」

 

 珱嗄は飴の袋を取り出して一つ口に含む。そして、少し羨ましそうに見る怒江の小さな口に、飴玉を突っ込んだ。すると、コロコロと彼女は飴玉を口の中で転がしている。

 

「美味しい?」

「とても」

「そう」

 

 また会話が止まる。また一枚、ジャンプのページが捲られた。

 

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 

 そうして過ごすこと、三ヵ月程。相も変わらず珱嗄と怒江は最大限のコミュニケーションを行なっていた。黙って一緒にいて、黙って何もせず、稀に会話する。そんな最大限のコミュニケーションを、毎日、毎日、毎日、毎日、24時間ずっと、一緒にいた。なのに、珱嗄はどこからともなく娯楽品を取り出して、毎日毎日別の事に怒江を誘った。ある時は将棋だったし、ある時はリバーシ、ある時はトランプ、ある時は本、ある時は人形、ある時は図工セットなんてものを取りだした事もある。

 怒江はそれらの殆どを、自分には扱えないからと拒否した。だからか知らないが、それらはずっと部屋を転がって放置されていた。 

 

 彼女には触れた物を腐敗させる力があった。勿論常時発動していて、彼女自身には制御出来ないものだった。だから両親に嫌煙され、娯楽品を拒否し、飴を自分の手で食べられなかった。

 

「………いない?」

 

 さてある時、怒江はいつもの部屋で珱嗄から初日に貰ったジャンプを読んでいた。何故かは知らないが、このジャンプは触っても腐らない。珱嗄が何かしたのだろうかと思うが、分からない事は考えていても仕方が無かった。

 もう何度も読み返した内容。それでも、怒江は楽しそうにヘラヘラと笑ってた。だが、今日は違った。珱嗄がいなかった。今までずっと居た珱嗄が、いなかった。

 

「……どこにいったんだろう?」

 

 怒江は、興味が無かった相手を探す。部屋を出て、珱嗄の下へと向かった。

 

 怒江は依存していたのだ。珱嗄という心地良い相手に。自分と一緒にいてくれる。手を伸ばせば届く距離にいつもいた珱嗄。そして最大限で最低限のコミュニケーションを取ってきてくれた珱嗄。

 心地良かったのだ。珱嗄の傍は。自分が一人じゃない気がしていたのだ。だから、怒江はいきなり手の届く位置に珱嗄がいなくなっていたことに、恐怖を感じた。自分が一人な気がして、急に寒気が襲ってきた。

 

「探しに行こう」

 

 言うが早く、怒江は部屋を出た。珱嗄を探し始めた。


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