◇3 めだかボックスにお気楽転生者が転生《完結》 作:こいし
――――僕が、この『好き』だという感情を、正しく『恋』だと認識したのは、いつだっただろうか?
あの荒野での出会いから始まった僕と『彼』の物語。いや………今はもう、『物語』ではないかな。僕と『彼』の『人生』だ。不思議な程に自然で、嘘みたいな現実で、不幸とも言える幸福の日々。
数十億年という、僕という人外から見ても長い時間の中で、『彼』だけが僕の傍から離れず、ずっと一緒にいてくれた。
めだかちゃん達と会うまでの、読者が知らない知られざる歴史の中で、僕に好意を持った男は確かにいた。僕が好きだと、はっきり伝えて来てくれた人がいた、僕を愛していると、自分の全てを捨てて言ってくれた人もいた。地位も名誉も金も人も、何もかもを使って僕に陶酔した奴もいたっけ。少なくとも僕にそう言った想いを伝えて来た人は、数えて52人。結構多いなと思うかもしれないけれど、三兆年という人生の中で、という条件を付ければ、そう多い訳ではないね。
でもね、その全ての人が僕の心を射止められずに、あらゆる理由で死んでいったよ。寿命で、事故で、殺害で、病気で、戦争で、処刑で、飢餓で、自殺で、僕に恋してくれたあの52人の男達は、死んでいった。僕に看取られた人もいたかな。
彼らの不幸は、僕という人外に恋をしてしまったこと。そして、僕という人間が『恋愛感情』を理解していなかったこと。
今となっては、こんな苦しくて、切なくて、愛おしくて、辛くて、幸せで、甘酸っぱい想いを、僕なんかに向けてくれていたことに、罪悪感すら浮かぶ。返答を有耶無耶にして、その想いに応えなかったことを、頭を下げて謝りたい位だ。
でも、今生きているこの世界は現実だ。『彼』が教えてくれた、現実だ。人が生き返るなんて、ありえる筈が無い。球磨川君の『
―――僕なんかを好きになってくれて、ありがとう。でも、僕は君達の想いには応えられない
僕は、君達の想いには応えちゃいけない。嘘でも良いから、この一時だけでも良いから、なんてふざけたことを言うつもりはない。これが僕の、正真正銘本心からの応えだ。
僕は、君達の想いを踏み越えて、先に進む。
あのね、僕にも好きな人が出来たよ。君達が僕を想ってくれた感情と同じように、僕も恋をしたよ。だから、君達と同じように想いを伝えようと思う。それが、不幸に繋がろうと幸福に繋がろうと、関係無い。君達が見せてくれたあの勇気を、僕も振り絞ろうと思う。
『彼』は我儘で、マイペースで、どこまでも自分勝手だけど、僕とずっと一緒にいてくれた唯一の人だ。だから、応援してくれとは言わない。精々失敗してしまえと悪態を吐きながら、見守ってくれ。
深呼吸して、激しく高鳴る心臓の鼓動を落ちつかせながら、僕は教室の扉を開けた。
「ああ、なじみ。遅かったじゃないか、待ちくたびれたぜ」
茜色の光が差し込む教室で、『彼』はゆらりと笑った。いつも通りで、普段通りで、通常稼働で、変わらない。『彼』は僕が何をしても変わらなかった。人外の僕が、何をしてもだ。
だからこそ、僕は彼に恋心を抱いたのかもしれない。顔に熱が宿るのが分かる。ああ、本当に、僕はおかしい。この想いに気付いてから引っ掻きまわされてばかりだよ。適わないなぁ。
「うん、ごめんね。少しだけ……緊張しちゃって」
僕はここで想いを伝える。そうすることで、僕の恋に決着を付けよう。数十億年に渡るこの恋心に、終止符を打とう。たとえそれが悲恋となったとしても、恋愛となったとしても、構わない。僕はそれを受け入れる覚悟を決めたのだから。
「で、何の用だ? こんな時間に教室に呼び出して」
彼が問う。
「うん、大事な………話があるんだ」
僕は答えた。
すると、『彼』は僕の真剣な表情を見て、その真剣さが伝わったのか笑みを潜めた。そして、僕に向かい合う。思えば『彼』の真剣な表情を見るのは、いつ以来かな? 僕があの石動弐語に満身創痍にされた時かな? ああ、やっぱり――――愛おしい。
「あのね、僕は君と出会ってから……ずっと、胸の中が苦しいんだ」
熱い想いが込み上げてくる。胸の前で両手を握った。信じられない程、熱かった。
「でも、それが嫌じゃなくて……嬉しくて、たまに辛くて」
『彼』は黙って聞いてくれる。用意してきた言葉は出てこない。もう、胸の内から零れるように、言葉が出てくる。きっと、僕の想いがそのまま言葉になっているのだろう。
「君と話してると胸が暖かくなって……君と触れ合うと笑顔になれて……君といると……嬉しくて……!」
絞り出す様に、想いを言葉に変える。ああ、もう……滅茶苦茶だ。自分の気持ちを伝えるのが、こんなにも難しいだなんて思ってもみなかった。
「君が僕以外のことに興味を向けていると嫉妬しちゃって……女の子が君と仲良さそうにしていると柄にもなく焦っちゃって……」
幸せだったけど、不幸だった。笑顔だったけど、陰りはあった。今まで僕の世界には、色が無く、感情もなかったのに、君が関わると一気に色んな色が広がって、色んな想いが溢れて来て、これまでの自分が見れば眼を丸くして驚くだろうと思う位頑張ったり、笑ったり、怒られたりしてた。
「だからね、もう抑えきれないんだ………」
そこで切って、もう一度深呼吸。瞳を閉じると、これまでの思い出が思い浮かんでくる。
―――何してんだよ、馬鹿だなぁなじみは……はははっ!
―――おお、今度はそれに挑戦か? まぁ頑張れよ
―――お前はもう少し大人っぽくなったらどうだ?
―――俺は面白いことが大好きなんだよ。知ってるだろ?
―――俺がお前の現実だよ。なじみ
他人から見れば他愛のない思い出だろうと思う。でも、この思い出は僕の愛を注ぐには十分な思い出だ。僕なんかにはもったいない位、幸せな思い出だ。だからこそ言える、だからこそ言いたい。僕の想いはこれだけだ。
「―――あのね、珱嗄……僕は……君が好きだ。人外じゃなく、一人の女として……君が好きだ」
言った。言いきった。これ以上ない位、僕の想いが籠った言葉で、伝えられた。もう言うべきことは何も無い。あとは『彼』の答えを聞くだけだ。
正直、怖い。拒絶されるのは怖すぎる。僕の心が耐えられるかも分からない。でも、僕はこの答えが聞きたい。だからこそ、僕は死んでいった僕に想いを伝えて、聞きたかったであろう答えを聞かずに死んでいった、尊敬すべき彼らに今更ながらに応えたのだから。
――――ごめん
短い言葉が聞こえた。呆然となって、眼を丸くしながら『彼』を見る。彼は、触れれば壊れてしまいそうな程、痛々しい表情を浮かべていた。僕も見たことが無い、辛そうな顔。
止めてくれ、僕にそんな表情を見せないでくれ。そんな表情をさせてしまったら……泣いてしまいそうになる。
「……俺は、お前が好きだ。でも、それは恋じゃない」
はっきりと、言われた。僕にとって、この世界のどんな武器よりも強力で、無慈悲で、致命的な言葉。衝撃が身体が震えた。心が揺れる。言葉が出ない。
「俺は、お前を家族として……好きだったんだ。だから……ごめん、俺はお前とは付き合えない」
悲恋。悲しい恋と書いて、悲恋。まさしくその通り。恋をして、こんなに悲しい思いをするのなら、いっそのこと恋なんてしたくなかった。『彼』と、会わなければよかった。そう、思ってしまう。
でも、そうじゃない。この瞬間、僕は『彼』との思い出が、積み重ねが、とても辛いものになったけれど、積もり積もった想いは崩れ去った。もう、元には戻らない、戻れない。
「そ………っか………」
だからこそ、僕は全力を振り絞って言葉を出す。
「っ………ありがとう、答えてくれて……それでも僕は――――君に会えてよかった」
言えた。言って、僕は教室を出た。扉を閉めて、そのまま扉に凭れ掛かる。きっと、この場で泣いてしまったら中にいる『彼』に聞こえてしまうだろう。でも、
「もう………我慢、出来ないや……っ……!」
僕の眼から、一筋、涙がこぼれた。すると、それを皮切りに次々と溢れてくる。もう、抑えきれない。せめて、口を手で抑え、勝手に出て来てしまう嗚咽を塞ぐ。『彼』に、聞かせてはいけない。聞かせたくはない。
この想いは、僕だけのものだ。僕だけの想いで、僕だけの悲しみで、僕だけの傷だ。
「っ………うっ……ぐしゅっ……それっ……それでもっ……僕は、君が好きだよっ………! 珱嗄……!」
それでも、僕は君が好きだ。それだけは、この先何十年経とうが変わらない。僕は、君は好きで、好きで――――大好きだった。愛してたよ、珱嗄。
僕は零れた涙を拭って、いつまでも、いつまでも、その場でポロポロと、数十億年分の想いを吐き出す様に、泣き続けた。
◇ ◇ ◇
泣き声が聞こえた。扉の向こうから、俺が家族として愛するなじみが、泣いている声が聞こえた。本来の家族であれば、すぐに駆けつけて、抱きしめながら慰めるのだろう。
だが、俺にはそれが出来ない。抱きしめて、慰める……たったこれだけの事が、俺には出来ない。やってはいけない。
「………駄目だ、いつもみたいに、笑えない」
口元を吊りあげようとしても、面白いと笑えない。多分、なじみの想いが本物だったからだろう。本物だったから、それを壊した俺は笑ってはいけない。
「人生、ままならないなぁ……」
これが現実。なじみに現実を教えた俺だが、案外、だれもが現実を思い知ってはいないのだろう。皆いつも現実から目を逸らしている。現実逃避、やって後悔するよりも、やらないで後悔しない方を選んでしまうのだ。
人外であろうと、感情と心を持っている以上、それからは避けられない。
「………なじみは凄いな……本当、俺なんかじゃ到底及ばないくらい、強い心を持ってるよ」
俺はそう言って、笑わなかった。
「ありがとう、なじみ。こんな俺を好きになってくれて」
扉の向こうにいるなじみは、多分聞こえていないだろう。だからせめて、俺は感謝の言葉を空間に響かせ、これ以上なじみを踏みにじらないよう、傷付けないよう、その泣き声から逃げるように、スキルを使ってその場から消えたのだった。
「聞こえてるんだよ………ばーか……」
誰もいない教室の廊下で、涙交じりのそんな言葉が響いた。一つの恋が、こうして終わった。