◇3 めだかボックスにお気楽転生者が転生《完結》   作:こいし

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俺がお前の現実だよ

 珱嗄となじみは向かい合う。笑う珱嗄と真剣ななじみだけの教室空間。地球上に無く、空想上にあるスキルで作られたなじみと珱嗄だけの空間だ。教室の外は、なじみの心境を表現しているかのように大雨を見せていた。

 

「なじみ」

 

「なにかな?」

 

「もうそろそろ、いいだろ」

 

 珱嗄の言葉に、なじみは黙った。珱嗄の言葉の意味は分かるし、その言葉がなじみにとってとても重要な事である事も分かっていた。

 シュミレーテッドリアリティ。なじみの抱える精神的な病。人外故の全能性から、上手くいきすぎる世界に現実感を持てない病だ。つまり、安心院なじみはこの世界を現実として認識出来ない。漫画の中の空想世界で、自分はその中の登場人物の一人でしかないのではないかとしか思えないのだ。

 

「お前の「出来ない」は、探すだけ無駄なんだよ。お前は現実を認識出来ないんじゃない、認識しようとしてないんだ」

 

「どういう……意味かな」

 

「とっくに気付いてるだろ、ずっと昔から。言彦と戦った時、いや俺と出会ったあの日から」

 

 安心院なじみが珱嗄に出会ったあの日。まだ時間の定義や1年周期の日付すらなかったあの遥か遠い荒野の中で、なじみと珱嗄が出会ったあの時から、安心院なじみの中の変化に珱嗄は気付いていた。全能故の非現実的な実感に変化があった事を。

 珱嗄という自分自身以上の人外が目の前に現れたあの時から、安心院なじみの両の瞳には灰色だった平等な視界にほんの少し色が付いた。平等だったあらゆる物の中に、たった一つ抜き出た不平等な存在が現れた。

 

「俺がお前の現実だよ」

 

「……」

 

 珱嗄はそう言って、やはり笑った。そんな珱嗄に対してなじみの表情は暗い。

 

「……珱嗄は、なんなのさ」

 

「?」

 

「僕と君はただの他人じゃないか。何も関係ないだろう。僕の問題は僕の物だ、君が手を出して良い問題じゃないんだよ」

 

 なじみはそう言って、俯いた。語尾が段々と小さくなったその言葉は、なんの力もなかった。珱嗄はそんななじみに対し、笑みを浮かべ何も言わない。

 

「僕の事を何一つ知らない癖に……僕が何を思って、どんな思いで生きてきたか知らない癖に」

 

 なじみはぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。俯いたなじみからはその表情を窺う事は出来ない。だが、珱嗄はそんななじみの言葉にも動じず、ただ笑っている。

 

 

「僕よりも年下の癖に」

 

 

 なじみは肩を震わせた

 

 

「他人の想いを顧みた事もない癖にっ」

 

 

 なじみは声を震わせた

 

 

「本気で人と向き合った事もない癖にっ……!」

 

 

 なじみは声を荒げた

 

 

「僕の事を大事に思ったことなんてない癖にっ!!」

 

 

 なじみは顔を上げた。

 

 

「……」

 

 顔を上げた安心院なじみの顔は、ぐしゃぐしゃだった。おそらく、誰の前でも涙を流した事が無いだろう安心院なじみが、他人の前で初めて……珱嗄の前で初めて涙を流した。

 

「……言い返してよ」

 

「……」

 

 珱嗄は笑っていた。口元はつり上がり、笑みを形作っている。なじみはそんな珱嗄の対極であるかのように涙を流し続ける。

 

「何か言ってよ……」

 

「……」

 

 それでも珱嗄は笑う。なじみの言った何もかもを否定もせず肯定もせずただただ笑みを浮かべていた。なじみはそんな珱嗄の胸ぐらに掴みかかった。茶髪が揺れて、声を荒げさせた。

 

 

「何とか言えよっ、珱嗄ぁ!!」

 

 

 なじみは珱嗄の身体を揺らし、叫ぶ様にそう言った。実際には安心院なじみにとって珱嗄は大事な存在だし、自身の問題に関わってくれるのは嬉しいし、これまでの長い間自身の『出来ない』探しをずっと手伝ってくれた。関係無いわけが無いのだ。

 それでも、なじみは叫ばずには居られなかった。これまでの努力が、珱嗄との努力が、珱嗄自身に否定された様で。自分の珱嗄に対して抱いている気持ちがなんなのか分からず、心地良かった筈の感情は突如胸の中で黒く渦巻いた。吐きだしたくて、吐きだしたくて、目の前の珱嗄にその思いをぶつけずには居られなかった。

 

 珱嗄と話したくなかった。珱嗄と向き合いたくなかった。今だけは、今だけは珱嗄の前から消えていなくなりたかった。ぐしゃぐしゃの顔を見られたくなかった。でもそれでも、珱嗄の瞳を睨みつけるように見据え続けた。

 

「――――俺は」

 

「っ!」

 

 珱嗄の言葉が怖かった。何故だかは分からないが、なじみは珱嗄の次の言葉を恐れた。この状況を、一回でも恋をした事のある少女が見れば、容易になじみの心境が分かっただろう。

 安心院なじみは珱嗄に嫌われたくないのだ。自身の問題がきっかけとなって、珱嗄が終止符を打ちに来た。自分の気持ちを吐きだして、ぶつけた。取り返しはつかない。そんな状況で、珱嗄が身勝手な自分を嫌わないかと不安になったのだ。

 

 

「確かに俺は、お前より年下だ」

 

 

 珱嗄は笑った

 

 

「確かに俺は、他人の想いを顧みた事は無い」

 

 

 珱嗄は笑った

 

 

「確かに俺は、人と本気で向き合った事は無い」

 

 

 珱嗄は笑った

 

 

「でも」

 

 

 珱嗄は一つ、そう言ってなじみをの瞳を見た。そして、初めて珱嗄はその口端をふっと下げて笑みを止めた。

 

 

「俺はお前を大事に思っていない訳じゃない」

 

 

 珱嗄はなじみにそう言った。笑みを浮かべず、軽快でふざけた口調でもなく、なじみも初めて見る真剣で真面目で真っ直ぐな珱嗄の表情が、その言葉を嘘とは思わせなかった。

 

「良いかなじみ。お前の問題に、俺が関係無い訳ないだろう。お前がどんな思いで生きてきたかは俺が一番よく知ってる。お前と俺が―――――他人な筈が無いだろ!」

 

「……珱嗄」

 

「お前の問題は俺の問題だ。お前が苦しんでるなら、俺にも少しは背負わせろ。泣く程辛いなら、俺はお前と幾らでも向き合ってやるよ」

 

 なじみは珱嗄のその言葉に、また止まらない涙を更に溢れさせた。止めようと思っても止まらない。1京のスキルを持つ、全知全能の安心院なじみは何度も涙をその手で拭う。止まらない。

 

「あれ……止まらない。止まらないよ、(コレ)。なんでだ? おかしいなぁ、涙を止めるスキルなんて、持ってないよ……」

 

 珱嗄はそんななじみを抱き締めた。なじみの顔を自身の胸に埋めさせて、初めて会った時には派手に踏みつけたなじみの頭を抱き締めて、珱嗄はまた笑った。

 

「生憎、俺も涙を止めるスキルなんて持ってない。だからまぁ、とりあえず……俺がお前の涙を止めてやるよ」

 

「……珱嗄」

 

「こういうのもまた、面白いだろ?」

 

「……馬鹿」

 

 なじみは一度顔を離しそう言って笑みを浮かべた。そして、また珱嗄の身体を抱き締めた。

 

 珱嗄は一度離れたなじみの顔を見た。笑みを浮かべたその表情からは、既に涙が消えていた。

 


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