コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

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第二十三話「アルベルト・レジーナを殺した男」

1999年9月1日(水)

 

 青い空に雲が流れ、さんさんと陽光が降り注ぐ朝だった。湿気が少なく微風がそよぐ、からりと暑い初秋だった。待ちに待ったドリームオークションの始まりだった。この日、この街は日常までもが華やかになる。人々は陽気に笑って練り歩き、ヨークシンに散らばる夢物語を肺でいっぱいに呼吸しようというのだろう、目を一杯に見開いて、せわしなく視線を動かしていた。通りには露天が建ち並び、商店は呼び込みに忙しかった。

 

 いつもと同じサンドウィッチを、茶目っ気で競売風に売りさばくパン屋があった。あるいは少し趣向を変えて、段々と値下がりしていく叩き売りを実践してみる肉屋があった。この日のために修得した、珍しい軽食メニューを目玉に掲げた喫茶店があった。リンゴーン空港からヨークシンシティの中心部へ向かう道すがら、ハンゾーは異郷の祭を満喫していた。待ち合わせの時間までは余裕がある。人懐っこい性格の彼だったが、今はもう少し、一人の余暇を満喫していたい気分だった。

 

「まあ、まあ、まあ!」

 

 ところが、その、一人でいたいという彼の意思は、あっけなくも散らされる羽目になる。人々でごった返す雑踏の中、二十歩ほど離れた場所にいた幼い少女は、ハンゾーの姿を見つけると、アルカイクな微笑みを浮かべて近寄ってきた。周囲には、保護者らしき人物は見あたらない。

 

「あなた、ニンジャね。素敵。素敵よ。エキセントリックでファンタジックだわ。そしてなによりチャーミング。握手してくださる? あと、サインも!」

 

 少女の体の動きに会わせ、豊かな金髪が元気に跳ねる。年齢は10か、あるいはもう少し上だろうが、体の大きさに合わない大人びた彼女の言動が、かえって印象を幼くしていた。大きな青い瞳が期待に輝き、ハンゾーを下から見上げていた。

 

「キャロルと申しますわ、ムッシュ」

 

 紹介されてもない男性に話し掛けた自分を恥じるかのように、頬を染めて少女は名乗った。その様子を、ハンゾーは無言で見下ろしていた。おずおずと差し出された手帳の1ページに、こんなとこもあろうかと練習していた一筆を書く。半蔵という漢字を図案化した花押を物珍しげに見つめていたキャロルは、返された手帳を大切そうに抱えて微笑んだ。握手は、それが信条だからと言って断った。少女は気を悪くすることもなく、むしろ本格的だと言って喜んだ。

 

「ありがとう。ニンジャさん。あなた、ちょっとリリカルね」

 

 彼女にとって、それが最上の褒め言葉だといわんばかりに、キャロルは花の香りがする笑みでハンゾーを見た。そして、少し思案する素振りを見せてから、彼女はお礼がしたいと言い出した。私の家、ちょっとしたお菓子屋さんをやってるの。お小遣いでごちそうしますから、よろしければついてきてくれませんか、と。

 

 数分後、人目につかない小さな空き地に、キャロルの首が転がっていた。彼女の小さな両手の先は、毒々しい紫の輝きを持つ鉤爪に変じていた。

 

「ま、オレを獲物に選んだのが運の尽きだったな」

 

 地面に染み込む赤い水たまりを眺めながら、つまらなそうに吐き捨てる。子供による不意打ちなど飽きるほど受けた。無抵抗の弱者など何度も殺した。それが忍としての役割であり、ハンゾーの生き方そのものだった。だから、彼はこの程度の罠では殺されない。自衛を躊躇うはずもない。そもそも、脅威として認識することもない弱さだった。だが、観光ついでに訪れたはずのこの街で、無闇に襲われたのはどうしたことか。

 

 ヨークシンの空は晴れ渡っている。ハンゾーはその空模様の向こう側に、雨の気配を嗅ぎとった。

 

 

 

 大通りに面したカフェテラスの片隅で、クラピカとエリスは待ち合わせた。街のにぎわいに比例して大いに繁盛していたため、席を取るのがやっとだった。しかし、このような場所だからこそ人目につきづらいと踏んだのだ。

 

 その日、エリスは珍しく濃い化粧を施していた。頬はこけ、肌は荒れ、目の下には濃い隈ができている。多少のファンデーションなどクラピカの観察眼の前では無意味だが、彼はあえてなにも言うことなく、再会の挨拶を手早く済ませた。

 

「アルベルトとは連絡をとれたのか?」

「いいえ、無理だったわ。ヨークシンに来ているのかもわからない。……ヒソカもよ」

 

 エリスのダークブルーの虹彩が、寂しさと怒りを静かに孕み、かすかに緑がかって濡れて見えた。クラピカは一瞬、己の両目を微かに見張った。整った容姿の女性だとは思っていた。だが、彼女から美を感じたのはこれが初めてのことだった。無論、尋常な類いのものではない。己が白骨を火にくべて燃え盛った輝きだった。エリスは完全な絶を維持していた。曰く、纏では何の拍子で破れるかわかったものではないのだという。

 

「繋がらないということは、来ているのだろう。なんにせよ、私達がすべき事は変わらないのだしな」

「そうね。お互い、悔いの残らないようにがんばらないと」

 

 エリスは注文したアイスティーを口に含み。ごくりと喉を大きく鳴らして飲みこんだ。胃の腑に無理矢理入れたのだろう。健常ではまず行わない動作だった。指の爪から透ける肉も青黒い。まだ一日目でこの状態だ。クラピカは彼女を帰らせることも考えたが、旅団に対する強力な牽制になることを思い直し、もうしばらく様子を見ることにした。なにより、彼女自身が帰ろうとするまい。そして、彼らに比べて敵は強い。圧倒的に。だからこそ、生半可に揺れ動く覚悟で勝てるなどとは思えなかった。

 

「念のため、いくつか部屋をとっておいたわ。全部のホテルでクラピカの名前を出せば鍵をもらえるようにしておいたから、何かあれば遠慮なく使ってちょうだいね」

「ああ、私達の拠点一覧はこれだ。本来は極秘情報だから、極力外部に漏れないようにして欲しい」

「ええ、了解」

 

 メモを交換し、いくつかの事項を確認する。特に話題になったのは一昨日おきたというテロ事件だ。被害の規模に比べて報道が少なく、情報が厳重に封鎖されている。何かがあったのは確実だが、真相を知るには警察へのつてか本格的な調査を行う時間が必要だった。どちらも、現時点での二人は持ち合わせてない。その後、細かい連絡は携帯で行うと確認して、彼らはひとまず席を立った。

 

「……これは、もしかしたらでしかないのだが」

「なにかしら」

 

 別れ際、クラピカは口を滑らせた。ただの推測でしかなく、本来なら伝えるつもりのない情報だった。それを洩らしてしまった理由も、安い同情だと自覚していた。だが、目の前で友人が苦しんでいるのだ。予測ともいえない願望であったとしても、少しでも好材料を与えておきたくなってしまった。期待が裏切られたときの落胆にも、頭の中ではしっかりと思い当たっていたのだが。

 

「まだ確定はしてないが、今夜、さっそく囮を頼むことになるかもしれない。私のところまでは情報が降りてきてないのだが、なにやら、昨日から上が騒がしい」

 

 エリスの顔が華やいだ。わずかだが血の気の戻ったエリスを眺めて、クラピカは今日初めてなにがしかの安堵を感じることができた。もう、これ以上仲間たちを失いたくない。まして、蜘蛛の餌だけにはしたくなかった。

 

「望むところよ。大丈夫。余計な期待はしないで、準備だけはしっかりしておくわ」

 

 このときは、まだ、仲間だと信じて疑わなかった。

 

 

 

 それはレオリオにとって、久しぶりに気合いを入れた昼食だった。薄く切った食パンを軽く焼いて、溶けたバターをささやかに塗った。薄茶色の編み目を控えめな油が塗らしていく。そこに切り落とした薫製肉を二枚乗せて、パンを上から覆い尽くした。しかし、いまだ何かが物足りない。少し考えると、レタスとトマトの薄切りをのせ、胡椒とバジルを振りかけた。そして、トースターに再び入れて焼く。二分ほどして取り出した時、ぷつぷつと薫製から沸き立つ肉汁がトーストに染み込んで、トマトとバジルがほのかに香りを放っていた。

 

 出来映えは満足すべきものだった。皿の上にとりおいたトーストが、熱い秋波を送っている。こいつをレオリオスペシャルと名付けよう。そう決めた。今すぐにでも齧りたい。が、その前に安い赤ワインで興奮を喉に押し流した。

 

 レオリオはパンをゆっくりと持ち上げて口を開ける。バターの匂いが鼻をくすぐり、大量の唾液が溢れてくる。かぶりつく前の至福の一瞬、食事の本当の楽しみは、この時にこそあるのかもしれない。

 

「最低落札価格が89億ジェニーだぁ?」

 

 握り飯を片手にハンゾーが叫び、その拍子に薫製肉から上がずれ落ちた。具材はスーツの太腿に落下する。レオリオの手の中に残ったのは、バターと肉汁が染み込んだだけのトーストだった。予約していたホテルの一室、久しぶりに集合した仲間達との食事の席で、彼は少し挫けそうになった。

 

「……で、いったいなんの話だったんだ」

 

 後始末を何とか終え、気を取り直してレオリオは尋ねた。彼らは顔を見合わせて、一同を代表してポンズが答えた。

 

「なにって、こいつらのお目当てよ。例の、お父さんの手がかりとかいう」

「あー。確かに電話でそんなこといってたが、89億!? おいゴン、予算はいくらあるんだよ」

「えーと。オレとキルア合わせて500万ちょっと、かな」

「つーかオレの所持金0だけどな」

 

 ある意味で頼もしい少年二人に、他の四人が沈黙した。詳しく話を聞いてみると、金策のつもりで8億を540万まで減らしたという。果敢に挑戦するにも限度があった。

 

「一応、オレとポンズの貯金も合わせれば8億ジェニーぐらいはいくだろうけど、それでも一割にも満たない、か」

「そもそも、たとえ89億用意したところで競り落とすのは無理でしょう。そこからスタートってだけなんだから」

「他人事のようにいってるがよ、お前らがついてながら何でこんなことになってるんだ」

 

 ポックルとポンズが呆れていうが、そこにハンゾーからの追求が飛んだ。レオリオも、作りなおしたレオリオスペシャルを咀嚼しながら頷いていた。年齢上、彼らは一応、保護者だ。年少者達の蛮勇に、なにがしかの助言を与えられたはずの立場だった。

 

「ついて、いけなかったんだ」

 

 ポックルの呟きが重々しく響いた。部屋が納得と気まずさに包まれる。

 

「あんた達が化け物すぎんのよ……」

 

 蜂蜜をたっぷり入れた紅茶をひと口飲んで、どこか遠い目をしたポンズが言った。彼らは天空闘技場という場所を中心に修行を行っていたらしいが、四人揃っていたのは最初のうちだけだったようだ。

 

「キルアはともかくゴンまでどんどん上の階層にいっちゃうし。二人でこっそりウイングさんに弟子入りするし。ようやく200階まで行って追い付いたと思ったらありえない早さで念を憶えていっちゃうし……。特に! 練! あんなあっさり習得されたら私達の立つ瀬がないでしょ!」

「練? あんなの長めに見ても一日もありゃ楽勝だろ?」

「だよなー。タイミングさえ分かれば簡単でさー」

 

 ハンゾーが素直にこぼした残酷な意見に、キルアがチョコ菓子を食べながら乗っかった。

 

「人外どもは黙ってなさい!」

「まーまー。落ち着けって、おい」

 

 ポックルがポンズを宥めるさまが、レオリオには妙に手慣れて見えた。こいつら、そのうちくっつかもな、などと益体もない事を考えながら、コンソメ味のスナック菓子を缶ビール片手につまんでいた。

 

「で、こいつらはゴンの故郷でバカンスしてて、オレ達はみっちり補習の夏だったってわけだ」

「オレたちも付き合うよって言ったのに」

「いや、さすがにそれはな。親御さんにもずっと会ってなかったんだろ」

 

 だんだんとずれていく話題を戻すため、レオリオは少し大きめの声でまとめに入った。

 

「だいたいの話はわかった。が、なぁ。落札できなければしょうがねーだろ。サザンピースの入場券にいくらかかるか知ってるか? カタログとセットで1200万ジェニーだぜ。参加するだけでそれだけの金が要る世界なんだよ」

「でもよ、ハンターサイトのお宝リストじゃ入手難度はGだったぜ。下から二番目」

「は? マジ?」

「うん。金額抜きなら一番下のHだって」

 

 最低でも89億の品物に、たったそれだけの難易度しかつけられない。それが示す事実とは、つまり。

 

「つまり、ハンターたらんとするならこれぐらい簡単に手に入れられて当然ってことでしょうね」

 

 男達が立ち上がった。目の色が完全に変わっていた。ヨークシンが誇るドリームオークションは、夢のような成功談、地獄のような失敗談を五万と産んだことで有名だった。過去の栄光にヒントを得るべく、熱心に電脳をめくりはじめた。余談だがこの時、最も熱くなっていたのはキルアだという。

 

 

 

 本日午後九時、セメタリービルの地下会場で、マフィアンコミュニティー主催のオークションが開催される予定となっていた。時計の針は八時を回り、残すところあと一時間を切っている。所属する各組織からは三名の代表が選抜され、正装の上、専属の警備員が守る会場に続々と集結を始めていた。クラピカはセンリツとペアを組んで、離れたビルの屋上から監視していた。

 

「だけど、なにもリーダー自身が行かなくてもいいのにね」

「このような事に熱くなる性格なのだろう。軽率だとは思うが」

 

 ノストラードファミリーからは、ダルツォルネを筆頭にイワレンコフとトチーノが参加していた。代役として指名されたのはスクワラだ。ネオンの護衛と後方指揮を兼ねてホテルの部屋に残っているが、今頃は、彼女のおもりにさぞや辟易してるのだろう。先ほどの定時連絡の電話では、既に声が疲れていた。後ろから漏れるボスの笑い声とは対照的で、彼の苦労が忍ばれた。

 

「恋人?」

「いや、友人の妹だ」

 

 仕事中、エリスへ打った短いメールに、センリツはさほど目くじらを立てなかった。今の居場所を告げただけだったが、彼女にはこれで伝わったはずだ。その時を思えば、クラピカの心身が熱くたぎる。夜の風が心地よかった。

 

「……ひとつ、聞いてもいいかしら」

「ああ」

「幻影旅団って、あなたとどんな関係があるの」

 

 クラピカは街並を見下ろして、しばし沈黙を守っていた。そして、なぜ尋ねたのか理由を聞いた。センリツは、ただの好奇心だと回答した。

 

「さっきのミーティングで、あなたの反応は尋常じゃなかった。あんな心音を聞いたのは久しぶりよ。重く深い永遠の怒り。あの時、あなたが冷静を装えたのは奇跡だと思うわ」

 

 暗い、暗い夜の街が沈んでいる。煌めき輝く電飾の夜景は、闇に怯える夜光虫に見えた。クラピカはセンリツの瞳の奥を見つめてから、低い声で静かに語った。右手に鎖が現れていた。眼の無い遺骸が脳裡に浮かんだ。暗い両目をぽっかり空けて、無造作に積み重ねられていた。

 

「クルタ族が絶滅した理由は知ってるか」

「ええ」

「私は、クルタ族最後の生き残りだ」

 

 具現化した鎖が微かに揺れる。センリツが妙な真似を見せたなら、一瞬で命を刈れる体勢だった。だが、彼女は戦闘体勢には入らない。ただただ静かに聞き入っていた。クラピカの声を、鼓動を、体の熱を。

 

「幻影旅団は私の獲物だ。できるなら、今すぐあのビルに乗り込みたい」

 

 セメタリービルは、丸ごと罠だ。

 

 

 

「どうも、アルベルト・レジーナです。よろしく」

 

 コミュニティーが牛耳る高級ホテルの一室で、アルベルトは柔らかな微笑みを浮かべて挨拶した。ソファーには、梟と名乗る大男が寛いだ姿勢で腰掛けている。部屋には他の人影はない。アルベルトの体から噴出され、首飾りのものと混じりあった膨大で禍々しいオーラの前に、一般の武装構成員ではまともに相対することもできなかったのだ。

 

「分かってねーな。多少派手に粋がったところで、オレの警戒には値しないぜ」

 

 そんな有り様を鼻で笑って、梟はブランデーを瓶のままにラッパ飲みした。口を拭き、アルベルトへ向かって投げてよこす。まだたっぷりと入っている。それを、近付きの印だから飲めと言った。上等の蒸留酒が喉を焼いた。

 

「話は聞いてる。情報をもって来たのはお前だってな」

「ええ。おかげで素晴らしい成果にありつけそうです。大船に乗せてもらえた気分ですね」

「うらやましいねぇ、ハンターさんは楽ができて」

 

 テーブルの上に脚を乗せ、梟はアルベルトに手を差し出した。ブランデーの瓶が投げ返される。喉を鳴らして旨そうに飲んで、ニヤニヤと上機嫌に頬を緩めた。丸々と大きな目が細まった。

 

「ま、オレたちの縄張りにでしゃばらなかったのはいい判断だったな」

「こう見えて身の程は弁えているつもりですよ。それに、マフィア内部の功績に興味はありませんから。ハンター協会には、僕の助言で大いに助かったとでも言っておいてくれれば嬉しいです。あなた方も、協会内部の功績に興味なんてないでしょう?」

「ははっ! よく言うよ!」

 

 高層ホテルの豪華な部屋に、二人の笑い声が響き渡った。ひとしきり笑って満足した後、アルベルトは肝心の要件を切り出した。

 

「さて、この後あちらへ向かわないといけないので、さっさと済ませてしまいましょう。競売品の避難と護衛の状況確認をさせてください。まあ、もっとも……」

 

 そこで一旦言葉を区切って、窓に近付いて景色を眺めた。ヨークシンの街の中心部、黒い空に杭を打つように、悠然とセメタリービルがそびえている。コミュニティーの財力の象徴ともいえる、黒い資本の建造物。あの場所には、今、残る九人の陰獣が集結している。

 

「奴らが早めに来てたら、そろそろ終わってる頃かもしれねーぜ」

「だといいですね。僕としてもそちらのほうがありがたいです」

 

 言って、二人はもう一度楽しそうに笑いあった。

 

 

 

「ねえ、おじさん。パパがいないの。ちっとも来ないの」

 

 自動小銃で武装する警備員の袖をくいくいと引いて、キャロルは不安そうな顔で彼を見上げた。精一杯おめかししたのだろう。ひらひらした赤いドレスで着飾った幼い少女の突然の出現に、コミュニティーの男達は顔を顰めた。仲間内でアイコンタクトが交わされる。その場を率いていた男が近付いて、膝をついて視線の高さを彼女に合わせた。念のため、脅かさない程度の自然さで部下に銃口を向けさせてから。

 

「お嬢ちゃん、お父さんとはぐれちまったのかい?」

「うん、パパがね、待ち合わせの場所にちっとも来ないの。組の人に送ってもらって、わたし、ずっと動かないで待ってたのに」

 

 青く澄んだキャロルの瞳が、わずかに潤みを増してきた。戦争前の空気に置き去りにされてしまったからか。年齢と比べても幼い印象を受ける仕種だった。事情を把握したと判断した責任者の男は、苦々しい顔で立ち上がった。ったく、どこの馬鹿な組だと、顔も知らぬ誰かに向かって、内心で盛大に罵った。貴重な三枠を割いてガキを入れて、挙げ句に最重要の連絡をとちるとは。

 

「あー、こちら中央ロビー南。保護対象者一名、迷子だ。至急確認と搬送を頼む」

 

 無線で指令室に連絡した。どうせ、向こうも監視カメラで見てるだろうが、つまらない怠惰で後々どこぞの組長の恨みを買ってもおもしろくない。

 

「おじさん、オークションは?」

「残念だけどね、今日は時間がずれたんだ。会場も変わるかもしれないから、お父さんの待ってる場所に戻ろう。ね?」

 

 彼はキャロルに説明した。まるで幼児をあやすような口調だと、自分自身でも呆れていた。迷子の世話のために栄えある警備要員に指名された筈ではなければ、馬鹿な組長の後始末をするために勇んで銃の手入れをしたつもりでもなかったのだが。

 

「では、この警備は競売のためではないのかしら?」

「ん? ああ、まあな」

 

 思わず答えてからぎょっとした。幼い雰囲気が消えている。理解も思考も追い付かぬまま、ただの本能で銃を乱射しようとしたが、それすら彼にはできなかった。キャロルの指が閃いて、心臓を抉り潰されていたのである。

 

「もしもし、私。団長のいった通りね。プランBよ」

 

 血に濡れた右手を舐めながら、携帯越しに彼女は告げた。直後、高層ビルが震撼する。歓喜に沸き立つ獣声が、鉄をも貫く豪雨の音が、離れた場所から聞こえてきた。楽しい宴の始まりだった。

 

 キャロルも微笑みを浮かべていた。獰猛な笑み。周りを囲っていた警備員達が、驚きながらも小銃を撃った。交差したのは一瞬だった。小さな両手は赤く染まり、男達はばたばたと倒れていく。だが、彼女は違和感に気がついた。肩と腹に灼熱の如き激痛がある。調べてみると、避けきれなかった弾丸が骨と内臓を砕いていた。つまらないことで洋服を汚してしまったなと、キャロルは少し残念に思った。

 

「おう、ここにいたか」

 

 ウボォーギンが合流した時、その場には少女の姿は既になかった。カイゼル髭の紳士が代わって聞いた。

 

「おや、君と組めという命令だったかね。私はてっきり、噂通りに、君はノブナガと組むものかと」

「お前が一番弱えーじゃねーか。団長がしっかり守ってやれとよ」

 

 全身から火薬の匂いを滾らせて、ウボォーギンが紳士に並ぶ。髪の毛に鉄球が絡まっているのを見ると、指向性散弾の直撃でも浴びたのだろう。傷一つ無いのが異常だが、この男に限ってはいつものことだ。常識と比べるだけ無駄だった。

 

「ふむ、否定はしないが本意ではないな。私の弱さはスペクタクルだ。仕方あるまい。今度、機会があったら団長にもしかと講義しておかねばなるまいか」

「どうでもいいが、お客さんだぜ」

「ん? ……おや、おや、おや! これはこれは! これは失礼してしまいましたな!」

 

 ウボォーギンが顎で示した先にいたのは、オーラを纏った異形たちだった。所属組織から派遣された武闘派か、はたまたメインディッシュの陰獣とやらか。どちらにせよ、その辺のゴミよりはよほど楽しめそうな相手だった。

 

 

 

「競売品はオレのポケットに入れてある。こうしているかぎり、誰にも手は出させねぇ」

「なるほど、一応、確認させてもらってもいいですか」

 

 梟は顔をかすかに顰めたが、仕方ないと思ったのか、問題ないと判断したのか、小さな布状のもので包まれた物体を出した。ほう、とアルベルトは感心する。珍しい、そして便利な能力だった。

 

「その中に?」

「そういうことだ。やっぱ中身も見ないと気が済まねーか?」

「いえ、もう十分です。ありがとうございました」

 

 アルベルトが素直に明かした感嘆に、梟は気をよくしたようだった。大柄な体をより一層深くソファーに沈めて、帰る前にもう一杯のブランデーをと勧めてきた。だがその時、セメタリービルをもう一度眺めながら、アルベルトは最後の決断を迫られていた。絶対に後悔する。それが分かっていてなおも、彼はこの道しか選べない。戻れない一線などとうの昔に超えてただなんて、理性では理解していたのだが。

 

「そうですね、いただきます。あっちも、未だに静かなようですし」

 

 微笑みながら、窓ガラスをコツンと叩いてアルベルトは言った。それが合図だった。夜景の中、ホテルの高層階に人影が舞った。黒いコートをはためかせ、クロロは空中に静止した。梟は、そしてアルベルトも息を呑んだ。時間が氷結するほど繊美な技術。身体各所から万分の一以下の誤差でオーラを空中に放出し、最小限の消費で空に浮かんだ超精密の心身制御。右手には黒い書物が開いていた。

 

 ガラスが外から蹴り破られる。梟が瞬間的に反応し、部屋の出口に体当たりした。粉砕されるドアのむこう、廊下に大男の体が消えていく。

 

「よくやった。お手柄だ、アルベルト」

 

 本を閉じながらクロロは言った。どんな能力を使ったのか、アルベルトに理解できないはずがない。紛う事なく、彼が盗まれたそれなのだから。しかし、だからこそ彼は衝撃を受けた。高度統制の消費効率が悪いことを割り切った、瞬間限定の演算処理。常時能力を使い続ける前提では思い描くこともできなかった、並の術者では使いこなせるはずがない、別の側面の使い方。

 

 廊下の方が騒がしい。二人が連れ立って見に行くと、梟が空中に浮かんで暴れていた。

 

「やあ♥ 指示通りつかまえておいたよ♠ これでいいんだろ?」

「よし、ナイスだ」

 

 満足そうにクロロが頷く。隠を施されつつ縦横無尽に張り巡らされたバンジーガムは、蜘蛛の巣の如く幾重にも梟の体に粘着していた。こうなってしまえば、尋常な方法では脱出できない。

 

「おっと、妙なことは考えるなよ」

 

 暴れる頭をフィンクスが押さえ、握力と眼光で脅しつけた。さしもの陰獣の一人でも、これには冷や汗をかいて押し黙った。反対側の廊下で待ち伏せていたボノレノフとコルトピも歩いてきて、梟の望みはますます断たれた。哀れな彼にできるのは、もはや、アルベルトを睨むことぐらいだった。しかし、アルベルトが動じるはずもない。犯した罪が大きすぎて、動じることができなかった。

 

 アマチュアハンターとして積んだ実績も、プロハンターとしての信用も、彼個人の指針だった信条も、全てをまとめてドブに捨てた。この先、どんなに善行をなそうとも、汚名は生涯付きまとう。仲間など二度と得られまい。一度でも信頼を卑怯に利用したものは、永久に裏切り者として扱われるのが必定である。これまで生きた彼の半生を否定し尽くしたこの愚行、それは、アルベルト・レジーナという存在を殺したに等しい所行だった。

 

 アルベルトはヒソカと目を合わせる。たった一瞬のアイコンタクトが、彼の挑戦の始まりだった。

 

 

 

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【リリカル・メモリアル 具現化系】

使用者、キャロル。

「女の子の夢」を実現させるための念能力。

記憶しておけるのは三人分までであり、それ以上憶える際はストックを一つ消さなければならない。

その性質上、憧れの対象にならない人物には使用できない。

 

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次回 第二十四話「覚めない悪夢」


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