コッペリアの電脳   作:エタ=ナル

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この物語はフィクションです。実際の個人・団体・事件等とは一切関係ありません。
また、如何なる思想、良心および信仰等を肯定もしくは否定する趣旨のものでもありません。


第一章 ハンター試験
第一章プロローグ「ハンター試験」


第一章プロローグ「ハンター試験」

 

 昔、死にかけた記憶がある。

 

 念能力の修行中だった。それまで覚えは誰よりも早く、体術でも燃でも道場の誰より先んじていた。弟子が総勢十人ほどの、至極小さな道場だったけど、僕は天才と呼ばれていた。念も、精孔を開くまでは誰よりも上達が早かった。

 

 それが、わずか一日で崩れ去った。

 

 精孔を開いて、全身から吹き出すオーラを認識した。続いて、体へと留めることに集中する。四大行でいう纏の習得の修行だった。事前の座学もイメージトレーニングも完璧で、失敗するはずがないと、そう思っていた。いや、もしかしたら失敗という概念すら、あの頃は忘失していたのかもしれない。

 

 だというのに、結果としてオーラは一向に留まらず、一晩中瞑想しても手ごたえさえ掴めず、幼き天狗の鼻は見事に折れることになったのだ。纏の習得どころではない。噴出する量が多すぎて、生命維持さえ危ぶまれるほどの事態だった。元通り精孔を閉じる事もできなかった。朦朧とする意識の中、冥府へと落ち行く実感があったのを憶えている。

 

 生命力の極端な不足で生死の境をさまよった僕を、道場の皆は必死に看病してくれたらしい。とりわけ師匠の娘さん、今の義妹には世話になったと、後から皆に教えてもらった。一週間以上もの長い間、昼夜問わず付きっきりで側にいてくれたそうなのだ。

 

 なんとか目覚めた僕に、師匠は選択肢を与えてくれた。生涯絶の状態で暮らすか、一か八かの賭けで修行をするか。僕さえ良ければ、師匠はいつでも絶にする発を修得してくれるつもりらしい。制約も誓約もどんと来い、だそうだ。この人は本当に馬鹿だ。師匠、強化系なのに。馬鹿だ。

 

 一時間ほど考える時間をもらった後、僕は水見式に挑戦した。我ながら無駄な事を、と今でも思う。一秒一刻が生死を分つほど危険な状態だったのに。悔しかったのかもしれない。せめて自分の系統ぐらいは知ってから、今まで鍛練してきた、これから得るはずだった念という力を捨てたかったのだろうか。練すら修得していない僕の水見式は拙すぎて、師匠の強化した目でようやく分かるほど微かな兆候しか示さなかったけど、それでも、木の葉が確かに揺れ動いて、操作系だと判明した。

 

 それを聞いてストンと、憑き物が落ちたように感じたのを憶えている。

 

 結論は、実に簡単なものだった。

 

 

 

 1999年01月07日 ザバン市

 

 嫌な夢を見た。あの頃の夢だ。生きている事が地獄で、死んでしまうのが怖くて、失われていく生命力に怯えながら全力で修行したあの当時。自分の系統が操作系とわかって、命を捨てたつもりで発を覚えて、それがなんとか形になって九死に一生を得ることができた。

 

 その間、多くの人に支えられた。なかでも師匠と彼女には、いくら感謝してもし足りない。

 

「大丈夫? アルベルト、目が覚めた?」

 

 隣で寝ていたはずの妹が、心配そうに顔を覗き込んでいた。僕より一つ年下の、淡い金の髪を背中に流す繊美な少女。エリス・エレナ・レジーナ。この世で最も愛しい家族の一人。

 

「うなされてたわよ。水、飲む?」

「ああ……」

 

 ベッドの脇にあった水差からコップに汲んで、エリスはそっと差し出してくれた。飲むと、寝汗で乾いた体に染み込んでいく。

 

 僕とエリスはつい先日、戸籍上の兄妹になった。そのときにあった悶着は、あまり思い出したくない思い出だった。はっきり言って意外だった。僕と彼女は、もうずっと前から兄妹同然の間柄という認識だったのだけど、まさかあそこまで嫌がられるとは。

 

「ごちそうさま。ありがとう、エリス、もう大丈夫だよ。ちょっと夢見が悪かっただけだから」

「よりにもよってこんな日に? ついてないのね。アルベルトはほとんど夢を見ないのに」

 

 幼子を慈しむような表情で、僕の頬を撫でて微笑むエリス。推測だが、嫌ってる相手への反応ではないようだ。師匠が、彼女の親父さんが僕を養子にしてくれる手続きを完了したと明かされたときの、あの般若の相とは比べ物にならない。常々思う。まったく、この世に女心ほど理解しがたいものはないものだ、と。師匠がエリスに、僕を名実共に本当の家族として迎えないかと確認したときは、それはもう嬉しそうな様子だったそうなのだが。

 

「そうか、こんな日なんだね。時間は……、受付開始までだいぶあるか」

「ええ。まずは汗でも流しましょう」

 

 シーツを纏い、浴室へ向かうエリスを追って浴室へ入る。考えてみれば、エリスと共に寝るのは久しぶりだった。幼い頃から兄妹同然に過ごしてきただけあって、毎日のように一緒だった頃もあったのだけど。

 

 同衾の理由は昨日に遡る。チャーターした飛行船でザバン市に到着後、ホテルにチェックインした時の事だった。二部屋とっていたはずの部屋の予約が、なぜか一部屋しかとれてないというのである。こちら側の手違いかとも考えたが、申し込みしたのはエリスだった。こういう事にはしっかりしてるはずの彼女が、そうそう間違えるとは思いづらい。

 

 それでも、ないものはないで仕方なかった。ハンター試験を間近に控えたザバン市のホテルに、余分な部屋がないのは誰でも分かる。幸い、女性であるエリスが男の僕と同室でも構わないと言っていたのだ。ならばと僕は納得して、昨夜は数年ぶりに彼女と同じベッドで眠りについた。ほんの少しの戸惑いと、湧き上がった懐かしさを胸に秘めて。

 

「どうかしたの?」

「うん。エリスと寝たのも久しぶりだと思ってさ。相変わらず裸で寝る癖はなおらないみたいだね」

「ふふっ、そうね。お風呂はあなたがうちに泊まる度に一緒に入ってるのにね。最近、アルベルトったらせがんでもつれないんですもの」

「お互い、体が大きくなったからね。あの狭いベッドじゃ、もう、昔のようには眠れないよ」

「もう。相変わらずなんだから」

 

 交代でシャワーを浴びながら、心を預けきった者同士のたわいない会話を楽しんでいる。その根底にあるのは、きっと家族間の愛情だろう。しかし、だからこそ解せない事がある。エリスとは幾度も喧嘩をした。幼少期は数えきれないほど罵りあった。取っ組み合いに発展した記憶さえある。だがしかし決して、いや、だからこそ心底嫌いになった経験はないし、心底嫌われた経験もないと断言できる。

 

「エリス。いいかな?」

「真面目な話? ええ、いいわよ」

「僕が君の兄に、師匠の養子になるのは、そんなに嫌かい?」

 

 僕の背中を流していたエリスに、ここ数日ずっと気になっていた問いを投げかけた。後ろで息を呑んだ気配があった。彼女の動きが静かに止まった。

 

「僕は今年で十九。君は十八になる。お互いまだまだ未熟だけど、責任ある判断と無縁でいられる年齢でもないと思う。だからこそ尋ねたい。そして尊重したい。お前の希望に、僕は従うとここに誓おう」

 

 数秒間の静寂の後、エリスは僕の背中に体重を預けて、とても辛そうにつぶやいた。

 

「嫌よ」

「……そうか」

 

 沈黙が続いた。自分の中の存在が憎い。この世界はこんなにも繊細で、アナログな曖昧さにあふれている。なのに、僕のアンテナはデジタルだった。

 

「なら、白紙に戻そう。手続きは既に済んでしまったけど、ハンターライセンスの力を使えばいくらでも融通が効くはずだからね。だから、僕達が合格したら問い合わせてみよう。いや、今すぐがよければ、僕から師匠に頼んでみよう。いいね?」

「だめよ、だめ。勘違いしないで。その必要はないわ。残念だけど。今のところは……、だけど」

 

 僕の背中に顔を埋めてエリスがいう。無理はしてない。そう感じた。しかし、本当にそうだろうか? 確信をもつことは難しい。他者の感情の推測に関して、僕の能力はピーキーだから。

 

「本当に、今はその必要はないんだね?」

 

 彼女の手の平を探り寄せて、指と指を絡めて僕は尋ねた。エリスなら、裏にある意図を汲んでくれる。僕の不安を分かってくれる。そう信じていたからこそ、いや、信じることも要らないからこその確認だった。

 

「……うん。必要、ないから」

 

 搾り出すようにそう言って、エリスは僕の胸に腕を廻して、切ないほど強く抱き締めてきた。あまり大きくない乳房が押し付けられて、鼓動が微かに聞こえてくる。絡められたままの細い指から、女の体温が冷たく伝わる。後ろにいる彼女はたった一つ違いのはずなのに、幼い少女のように思えてならない。

 

「エリス、おいで」

「アルベルト?」

 

 寒かっただろうか。微かに震え始めた妹の体を、持ち上げながら僕は言った。なるべく強引にならないように、膝の上へと座らせる。驚いてきょとんとしながらも、腕の中に、彼女の細い体が何の抵抗もなく収まった。

 

「僕は、君のことが大好きだ」

 

 ロマンスから引用した台詞ではなく、メロドラマを模倣した演技でなもない。なんのひねりもない代わり、正真正銘、僕の心で紡がれた言葉で彼女を見つめた。水気で額に張り付いていた、淡い金色の前髪をそっとどけると、やや濃いめの灰色の瞳が、父親譲りのまなざしが、光をたたえて揺れていた。

 

「ええ、知ってるわ」

「だけど、エリス、これも知っているだろう? 僕は、普通の人とは違うから」

 

 会話は途中で中断した。エリスの柔らかい唇が、下から迫って押し付けられた。その先を言うのを許さないと、僕の胸板に両手を置いて、背筋をわずかに伸ばしていた。彼女と唇を重ねたのは、あの日の木陰以来だろうか。兄妹の間柄ならもちろんだけど、幼馴染としても少し過激な、儀礼化されてない直接のキス。

 

 それはしばらく続いていた。お互い、その先に割り込むことはなく、すぐに引き下がることもなく、幾秒もじっとそのままだった。やがて、どちらからともなくゆっくり離れて、唾液が微かなアーチを描いた。

 

 彼女の瞳に宿る炎は、いつかの記憶と変わらなかった。今も昔も同じだった。同じように何かを我慢して、泣く寸前まで何かを耐えて、怒りに心を燃やしていた。それはとても美しかったが、たまらなく僕を悲しくさせる。

 

「もちろん。誰よりもよく知ってるわ。きっとアルベルト、あなたよりも」

 

 さえぎった台詞の先に回ってエリスは言う。

 

「だから心配しないで、アルベルト。わたしはいつまでもあなたの味方だし、嫌なことがあったらすぐに言うわ。嫌いになんて、なるはずがない。……それにね、もしもわたしが本当に、あなたの妹になるべき時が来たのなら、必ず、心から喜んでそうするから」

 

 だから、その時は、あなたをお兄ちゃんって呼んであげるとエリスは言った。

 

「そうだね。いつか、そんな日が来るように頑張るよ」

 

 両腕を彼女の肩に回し、細いそれを抱きしめた。白い首筋に口元を寄せて、神聖な存在に祈るかのように厳かに、心をこめて誓いを捧げた。幼い頃、暗闇を怖がっていた時のように、エリスの体が一瞬だけ震えた。

 

「……応援してるね。心の底から」

 

 僕の膝に座ったまま、エリスの両手が胸板を押した。力で拘束するつもりはない。自然と抱きしめていた腕がほどけて、二人の体に距離が開いた。

 

「ね? 入りましょう? 体が冷めちゃうから」

 

 立ち上がったエリスに誘われて、湯舟の中に身を沈めた。エリス自身は僕の膝の間に入り込み、背もたれのように寄り掛かる。いつも通りの体勢なのに、なぜだろう、今の彼女は、無理をしてるようにしか見えなかった。

 

「エリス?」

 

 悲しそうに微笑んで、無言で首を左右に振る。それは彼女のサインだった。もう、終わりにして、と。このまま続けることもできたけれど、彼女を傷つけるのは本意ではなかった。喧嘩になればまだましだけど、きっと彼女は、誰もいない場所で泣くだろうから。

 

 それでも、どうしても一つだけ伝えたかった。彼女の胸元に手をまわし、上体を包み込むように抱き締めて、最後だからと、心の内をそっと吐露する。

 

「僕はね、義理とはいえ師匠の息子になれると知って嬉しかった。あの人は僕を拾ってくれた人だ。救ってくれた人だ。アマチュアハンターとして独立するまで、養い導いてくれた人だ。……だけどね、エリス。それ以上に嬉しい事があったんだ。君の兄になれた事だ」

「うん、知ってた。知ってたわ。だから、ありがとう」

 

 さすがに、そこまで知られていたことには驚いた。困惑と恥ずかしさで頬を掻くと、彼女はくすりと笑いをこぼして、僕の二の腕をぎゅっと抱いて、幸せそうに瞼を閉じた。

 

 

 

 風呂上がり、僕とエリスはそれぞれの装備を整えていた。僕の装備は特に捻ったものではなく、普段行う都市型ハントと同じ傾向でまとめてある。服は上下ともに特注品をあえて避け、大量生産された品から不自然でない程度に丈夫なものを、具体的には紺のジーンズと鼠色の長袖シャツを選択した。インナーは綿のものを選んである。武器はワイヤーカッター付きの多機能銃剣を用意してあるが、はっきり言ってサバイバルツールとしての期待が主だった。火器は発火と硝煙によるシグネチャの増加が深刻なので、よほどの事情がない限り、持ち歩かない事に決めている。あとはリュックに水と非常食、医療キット。そして各種通貨、金貨、毛布にロープなど、数日間行動するために最低限必要と思われる荷物を入れておいた。外見上は身軽な旅行者といった風情だろう。

 

 武器が足りない、と思うかもしれない。だけど僕達ハンターは兵士ではないのだ。ハンターにとって戦いは目的ではなく、ハントに際して選択する可能性のある手段の一つにすぎないのだから。無論、戦闘主体のハントであるなら、僕も武器の選択を視野に入れる。

 

 ところが、エリスの装備は凄かった。黒いドレスを基調にして、黒の長手袋とストッキング、黒の靴。ドレスの背中は大胆に開いていて、全体的に黒い分、長い髪の毛の影から見える白い素肌がまぶしかった。

 

 胸元には古い古いネックレス。球形に磨いた翡翠を一つ、細い銀の鎖で吊るしただけの、シンプルで素朴なものだった。亡くなった母親の品だそうだ。師匠から聞いた話によると、彼女の母は、出産と引き換えに他界している。形見となるそれを首から下げ、最後に髪を僕が結い上げて、帽子を冠ればエリスの装備も完成だった。

 

 断言しよう。エリスは別にふざけてない。

 

 ハンターには大きく分けて二種類がいる。常識的な方法でコツコツと地道にハントするタイプの人間と、絶大な能力やバックボーンに物を言わせて短期間で獲物を手に入れていくタイプの人間である。優劣の話ではない。傾向の話だ。アマチュアとして僕が経験してきたのは前者のハント。ところが、エリスには後者の才能しかない。

 

 そもそも、エリスにはアマチュアハンターとしての経験はない。それどころか体術の技量すら一般人に毛が生えた程度、護身や教養の範囲内だ。ハンター志望者として見た場合の彼女の力は、ひたすら念能力に片寄っている。あえて言葉を選ばなければ念能力馬鹿だ。逆にいえば、それだけで師匠が受験を許可できるほどの才能があり、他の全てを捨てても念能力に専念しなければならないほどの才能をもって生まれてしまったという事でもある。だからこそ今回のハンター試験で、エリスは念でぶっちぎるしか道がない。この服装はその覚悟を自他に示す象徴であり、発の邪魔にならないためのものでもあった。

 

 もちろん、僕もエリスを全力でサポートするつもりではある。が、試験官が見たいのはあくまでエリス本人だろう。僕の隣にいる少女、なんてものではないはずだ。必然的に個人の素質を試す試験内容があるだろうし、そうなれば僕のサポートにも限界はある。それでも、是が非でもライセンスをとってもらわなければ困るのだ。

 

 そして、もし……。

 

「エリス、最後にこれを。師匠と僕からの贈り物だ。ハンターを目指す君の旅路に、お守り代わりに添えてほしい」

 

 この時、僕は罪を犯した。

 

 手渡したのは青く輝く卵だった。鶏のものよりも少し大きい。これは、今からおそよ一千万年ほど昔に生息したと言われる幻の古代種、ヒスイクイドリの卵の化石。破片や状態の悪い物を含めても、ここ五百年間で五十個未満しか発掘記録がない希少品だった。贋作も多く出回っているが、もし本物を手にした者は類い稀なる幸運を手に入れるという伝説がある。

 

 説明と一緒に携帯用のポシェットも渡す。黒く上品な皮製で、ヒスイクイドリの卵がちょうど収まる大きさと形に、所々銀糸の装飾が入った特注品だった。専門の強化系術者の手によって、自身と中身を保護する念までかけられている。

 

 分かっていたはずだ。渡せば絶対に後悔すると。

 

 感激して、抱きついて喜びの言葉を口にするエリス。そんな彼女の前で不審な態度を取らないように、僕は全身の動作を抑制した。罪悪感で引き裂かれていたはずの本心は、脳の奥深くへと沈んでいった。お守り代わり、僕の口からそう言えば、エリスは決して手放すまい。

 

 もしも、これに貧者の薔薇が仕込まれてなかったら、仕込む必要がなかったら、どんなに幸せだっただろうか。

 

 

 

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【無色透明な黒色塗料(ファントム・ブラック) 具現化系】

使用者、アルベルト・レジーナ。

「黒い塗料であること」という概念以外の性質を持たない物質を具現化する。

質量も体積も存在せず、人体にとって毒にも薬にもならない。

能力者から離れると著しい速度で劣化を始める。

 

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次回 第一話「マリオネットプログラム」


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