ハイスクールD³   作:K/K

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包囲、参戦

「これかな? うーん。これじゃない……」

 

 イリナは天界の資料室にてひたすら本を漁っていた。

 ディオドラが持ってきた眷属のカタログを偶然目にしたときから、強い引っ掛かりを覚えて以降、毎日資料を調べているが、一向に手掛かりは見つからない。

 何故ここまでするのか、それはイリナ自身にも良く分からなった。ただ、何処かで見たことがあるというあやふやな記憶だというのに、どうしても胸の中の引っ掛かりを無視することが出来なかった。

 調べ終えた本を本棚に戻そうとする。しかし、自分の身長よりもやや高い位置から取った物なので、イリナは爪先を立て、腕を限界まで伸ばして本を元の位置に挿し込もうとする。

 

「ううー」

 

 本の角が棚の上に辛うじて引っ掛かるが、そこから先に押し込むには高さが足りない。何とか押し込もうと悪戦苦闘するイリナ。

 すると、イリナの頭上を誰かの腕が通過し、本の背表紙を指先で触れるとそのまま押し込む。

 イリナは振り返る。背後に立つのは、金髪に緑の瞳を持つ美青年。歳はイリナの三つか四つ上。その身に纏う神父の服が、その青年の容姿をより清廉としたものへと変える。

 

「ジョ、ジョーカー!」

「はいはーい。ジョーカーことデュリオ・ジェズアルドですよー」

 

 整った容姿からは想像出来ない軽く陽気な喋り方であった。

『ジョーカー』。イリナと同じ転生天使であるが、各熾天使の配下である十二名の『御使い』には含まれない。名が表すとおり彼だけの称号であり、天界の切り札と呼ばれる存在でもある。

 そして、最も注目すべきことは、一誠やヴァーリと同じく彼も神滅具の所有者である。尤も、イリナは彼が神滅具を使用している姿を見た事は無いが。

 

「ジョーカー。何故ここに?」

「何か、イリナちゃんが毎日の様に調べ物をしているのを小耳に挟んだので。ここは一つ何かお手伝いでもと思ったわけッス。ああ、あとジョーカーじゃなくてデュリオって呼んでくれる? 同じ天界で働く者同士、称号で呼び合うのって堅苦しいっしょ?」

「えーと……」

 デュリオとはあまり会話をしたことがないイリナ。ましてや相手は同じ『御使い』でも遥か格上である。自然と緊張してしまう。

 すると、緊張し戸惑っているイリナを見てデュリオはある誤解をしてしまう。

 

「あ! もしかしてナンパされているって思った? 違うよー。違う違う。あんまり交流が無いから仲良くなろうってのは本気だけど、俺ってさ、自分よりも年下を見ると何かお節介を焼いちゃうんだよねー。癖みたいなもんだよ」

 

 人を和ます様な柔らかい笑みと気さくな喋り方に、イリナの緊張も自然と解けていく。

 

「じゃあお言葉に甘えて、お手伝いを頼んでもいいかしら?」

「どんと任せない。天使が天使に頼っても罰なんて当たらねぇっス。それで何を調べてたの?」

 

 イリナの頼みを快諾し、早速イリナが何を調べていたのか尋ねてくる。

 

「これなんだけど……」

 

 イリナは、デュリオに調べることになった経緯を軽く説明した後眷属のカタログを見せ、既視感を覚えた人物のページを見せる。

 

「うーん? 綺麗なお姉さんだとは思うけど」

「何処かで見た事があるのよね……」

「でも、これって悪魔の眷属なんだよね? どういう接点で?」

「それは……そうなんだけどね」

 

 イリナは幼い頃から教会に所属しており、イリナの親も教会の関係者である。箱入りもとい教会入り娘のイリナが、悪魔の眷属に見覚えがあること自体不自然と言えた。少なくとも過去のイリナならば、分かった瞬間には相手を滅ぼしている。

 

「絶対何処かで会った筈なんだけどなー……」

 

 もう一度記憶を思い返すイリナ。だが、やはりハッキリとは思い出せない。すると記憶を掘り起こすことに意識が割かれ、ページを押さえていた指がページの縁へと無意識に移動し、その縁で指の腹を滑らせてしまった。

 

「いたっ!」

 

 没頭していたイリナは、突然の鋭い痛みで反射的にカタログから手を離してしまう。その拍子に、ページが一枚捲れ上がる。

 

「いたた」

 

 指の腹を見ると、紙で切れて浅い切り傷が出来ており、血が少し滲んでいた。

 

「おいおい。大丈夫かい? イリナちゃ――」

 

 デュリオの言葉がそこで途切れる。不自然に会話を止めたことを不審に思い、デュリオを見ると、彼の目はカタログを凝視していた。

 

「嘘だろ……マジか……」

 

 陽気な表情は消え、愕然としたものとなる。

 彼の目に映るのは、そのページに載っているある眷属の写真。

 

「この人がどうかしたの?」

「……イリナちゃん。俺、この人知ってるよ……」

「えっ! 本当に!」

 

 驚くイリナ。

 デュリオはまだ動揺しているが、その人物が誰か説明し始める。何かをしなければ揺れる自分の心を鎮めることが出来ないと分かっていた為である。

 

「俺がまだ教会の施設に居た頃にこの人と会ったんだ。差し入れで見たこともないお菓子を一杯持ってきてくれてさ。高い菓子だったんだろうなぁ……凄く美味しくってさ、俺もそうだけど弟たちも妹たちも皆喜んでたよ」

「教会の……施設に!?」

「間違いない。……この人はあの時のシスターだ」

 

 シスター。その言葉に驚愕すると同時に、イリナの脳内で繋がらなかった記憶と記憶を結びつけるパーツとなってそれらを繋ぎ合わせ、スパークさせる。

 そしてイリナは思い出す。過去の記憶を。

 父に連れられてやって来た教会。父と挨拶をする女性。母親よりも歳が近い大人の女性に少し照れて父の後ろに隠れてしまうイリナ。そんなイリナを慈しむ様な笑みを向ける女性。

 その女性の顔は、イリナが引っ掛かりを覚えた眷属の女性と同じ顔であり、そして、その女性もまたシスターであった。

 

「あああー! 思い出した! 思い出した! そうだ! あの時の! あの人もシスターだったんだ!」

 

 胸の引っ掛かりが全て消える。ようやく答えを見つけることが出来た。しかし、そこに爽快感などは無い。

 引っ掛かりの後にイリナの胸中で次に生まれたのは、疑惑と不安であった。

 

「じゃあ、もしかして他の人たちも……?」

 

 カタログに載っている他の女性たち。イリナの記憶には無いが、残りの女性たちも教会関係者である可能性が強まる。

 

「アーシアさんのことも……?」

 

 彼女たちの主であるディオドラは、今アーシアを狙っている。彼女もまたシスター。三度も続けばそれを偶然と流すことなど出来ない。

 それにもっと気になることがある。ディオドラがアーシアにプロポーズをした切っ掛けは、アーシアが彼を神器で治療したからである。傍から見れば美談だが、彼の眷属にシスターの女性たちが居ることで一気に疑わしいものへと変わる。

 出会いそのものが仕組まれたことかもしれない。

 

「アーシア? それってリアス・グレモリーの眷属になったアーシアちゃん? 元シスターの?」

「……ええ。アーシアさんは、今このカタログの主にプロポーズを迫られているの」

「へえ……。それはそれは。胡散臭いねぇ……」

 

 デュリオもまたイリナと同じくディオドラへの強い疑惑を抱く。

 

「ちょっとこれは言っておいた方が良いんじゃない?」

「そうね。もうすぐリアスさんの――」

 

 そこで言葉を区切り――

 

「あああああああああああああ! 忘れてたぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 ――絶叫する。

 いきなり叫び声を聞かされ、デュリオは目を白黒させているが、イリナはそんなデュリオの両肩を掴んで激しく前後に揺さぶる。

 

「今何時!? 今何時!? 今日レーティングゲームがあるってすっかり忘れてたの!」

「イリナちゃん。取り敢えず落ち着こう。そんなに揺さぶられちゃ、時計も見られないからね」

 

 慌てるイリナを宥める様に落ち着いた声を聞かせるデュリオ。

 

「そ、そうね。お、落ち着いて落ち着いて。スーハー」

 

 深呼吸し、何とか気を静めようとする。

 

「それで今何時?」

「今は――」

 

 デュリオから聞かされた時間。それはレーティングゲームの開始時間を過ぎた時刻であった。

 

「あーもう始まってるー! 急がなきゃ!」

 

 イリナは走り出そうとするが、急停止してデュリオと向き合うと勢い良く頭を下げた。

 

「ありがとう! おかげで知りたかったことが分かったわ!」

 

 時間が無いことは分かっている。だが、どうしてもデュリオには礼を言わなければならなかった。彼の言葉があったからこそ思い出したかったことを思い出せた。

 

「じゃあ、私行くね!」

 

 全速力でイリナは駆け出し、部屋から飛び出る。

 目指すは天界に設置されている冥界への転送用魔法陣。

 はしたないとは分かっていても一歩を大きくして前に走る。

 タン。タン。タン。タン。

 タッタッタッタッ。

 タン。タン。タン。タン。

 タッタッタッタッ。

 

「え?」

 

 自分の大きな足音の間隔を抜ける様にして聞こえる短い足音。それもすぐ背後から聞こえた。

 思わず振り返ると、そこにはデュリオが付いてきており、イリナが気付いたのを見て笑顔で手を振る。

 

「え? えー! 何で付いて来たの!」

「このまま何もしないなんて後味も悪いじゃん? 俺も行くよー」

「えー!」

 

 イリナは本日何度目か分からない叫び声を上げた。

 

 

 ◇

 

 

 シンたちが魔法陣で転送された先は何処かの廊下であった。豪華な絨毯が敷かれた長い通路。壁には一定の間隔で扉が設けられている。

 リアスたちのレーティングゲームを観戦する為に、オカルト研究部の魔法陣で一緒に転送されたシンたち。

 リアスたちの姿は無い。恐らくレーティングゲームのバトルフィールドに居るのだろう。シンの側に居るのはいつもの仲魔たちである。

 

「――ここから何処に行けばいいか分かるか?」

「知らなーい」

「オイラたちは前に案内されたホ」

「今回はいないみたいだね~」

 

 てっきりそのまま観戦席へと送られるとばかり思っていたので、何処かも知らぬ場所に送られ少し困ってしまう。

 闇雲に扉に入る訳にもいかず、どうしようかと思っていたとき、通路の向こう側から誰かが来た。

 

「間薙シン様ですね?」

「そうですが……」

 

 見知らぬ女性。品のある清楚な顔立ちをしているが、着ている服はやけに肌の露出したものであり、扇情的にも下品にも見え、あまりこの女性には似合っていないというのがシンの感想であった。

 

「我が主が貴方方に特別席をご用意しました。どうぞこちらへ。案内致します」

 

 女性が誘導しようとするが、シンの足は動かない。

 

「どうかしましたか?」

「一つ質問が」

「何でしょうか?」

「我が主というのは?」

「ディオドラ・アスタロト様のことです」

「そうですか」

 

 質問の答えを聞いて、シンの止まっていた足が動き出す。

 シンも女性も黙ったまま特別席に向かう。本来ならば重苦しい空気が漂っていてもおかしくはないが、そんな空気を吹き飛ぶかの様に仲魔たちが喋り続けていた。

 仲魔たちのお喋りを耳に通しながら、シンは少し考える。

 特別席を用意したと言われて、正直な感想として不自然さしか感じられない。ディオドラとは一度会っただけ。碌に会話もしていないし、ディオドラの嫌悪を隠さない露骨な態度を見て、相手を気遣う奇特な人物にも思えなかった。

 

(何か仕掛けてあるのか、それとも万が一の考えだが……純粋な善意かもしれない)

 

 後者だったら間違いなく驚くだろうが。

 

(まあ、ここであれこれ考えても仕方ない)

 

 何かあると予想しつつ、敢えてその中に飛び込む。答えとは結局行動しなければ明かされない。

 

「こちらです」

 

 女性がある扉の前に立ち、開く。中を覗くと観戦用のモニターと席が置かれていた。

 シンたちが部屋の中へと入ると、女性は出入口でシンたちに頭を下げる。

 

「では、どうぞごゆっくりお過ごしください」

 

 そのまま扉が閉まり、女性の姿は扉の向こうに消える。

 部屋の内部を改めて見回す。巨大なモニターに、シンたちよりも遥かに多い席。ちょっとしたシアターであった。

 

「アタシここー!」

「オイラはここホ!」

「ボクはいいや~。浮けるし~」

「ナンダコレハ? 邪魔ダ」

 

 ピクシーとジャックフロストは一番前の席を隣り合って座り、ジャックランタンは席に座らずにピクシーたちの頭上に浮き、ケルベロスはそもそも席に座るという考えが無いらしく床に横たわった。

 シンはどの場所でも良かったので、最後方の席に座る。

 モニターにはまだリアスたちのレーティングゲームは映されず、灰色の画像のままであった。

 いつ始まるのかとシンが思っていたとき誰かが右隣の席に座る。扉の開いた音も閉まった音もしなかった。

 右隣を見る暇も無く今度は左隣の席にも誰かが座る。

 挟み込む様にして座る二人の人物。

 眼だけを右隣へと向けると、視界に入り込むのは銀色に輝く拳銃の銃口。そして、その奥に見える歪みと狂気を孕んだ笑み。

 

「お・ひ・さ・しぶりー。間薙くぅーん」

「……フリード」

 

 聖剣にまつわる騒動のとき以来の再会であった。尤も、二度と会いたくないと思っていた人物である。顔を見た瞬間からシンの気分は最悪のものとなっていた。

 

「相変わらずのクールなお面ですこと。はぁームカつく。その顔、剝ぎ取りたくなってきちゃう」

 

 シンのことを相変わらずというが、シンからしてみても、フリードは相変わらず自らの狂気や殺気を隠さず、人を不愉快にさせる言葉を吐き続けている。

 

「もっと驚いちゃってもいいのよん? 例えばこれを見てさー」

 

 これ見よがしに右手を振ってみせる。

 木場の聖魔剣によって切断された筈のフリードの右腕は何事も無かった様に動いている。通常、切断から再接合し、そこから元通りに動くまで長い年月を必要とするが、摩訶不思議が罷り通る裏の世界に於いては、それは驚嘆に値しない。だが、木場の力を小馬鹿にしているようで、シンは驚きよりも不快さを感じていた。

 

「これから死ぬ相手に一々反応を期待するな、愚か者め」

 

 左隣の席に座る人物が無駄口を叩くフリードに吐き捨てる。

 フリードの登場よりも、シンにとってはその人物の登場、もとい生存の方が驚きに値した。

 

「――ドーナシークか」

「私の名をきちんと覚えていたか。結構。忘れていたら即座に殺していたところだ」

 

 シンに光が灯る指先を向けながら、ドーナシークは冷笑を見せた。

 記憶の中で、限りなく殺し合いに近い戦いをした堕天使。レイナーレとの戦いのときにリアスによって協力者の堕天使たちと一緒に葬られていたと思っていたが、何の因果か偶然か、今日この日まで生き延びていた。あの時よりも更なる力を身に付けて。

 

「生きていたとはな」

「ふん。私は――」

「ええ。ええ。私たち共々今日まで恥ずかしながら生きてまいりました! 日頃の行いがいいのか、あと少しでマジ逝きそうっ! てな瀬戸際で拾われたわけですよ、『禍の団』に! うーん! 何という主役補正! これは間違いなく主役の器! 皆さーん! フリード・セルゼンを主人公にした俺TUEEEEE作品を作るなら今ですよー!」

「……」

 

 ドーナシークでは無くフリードが答える支離滅裂な内容であったが、二人が『禍の団』に拾われたことは分かった。ここに来た理由が、私怨なのか任務なのかまでは分からないが。

 

「何をしに来たんだ?」

 

 思わず聞いてしまった。状況を見れば一目瞭然だが、敢えて聞く。挑発を兼ねた言葉であったが、シンに恨みを抱く二人には良く効いた。浮かべていた笑みがあっという間に憤怒の表情に変わる。

 

「え? 何? 嘗めてんの? この状態が答えでしょ? それとも間薙きゅんはこの危機的状況が御理解になれないの? 馬鹿なの? それとも脅威とも思ってないの?」

「この状況で詰まらない冗談は控えた方が良い。今の私はあまり気が長い方では無い」

 

 早口で捲し立てるフリード。一言一言に絶対零度の殺意を込めるドーナシーク。追い詰められている側はシンだというのに、追い詰めている筈のフリードたちの方が精神的余裕を感じられない。今すぐにでも爆発しそうな感情を辛うじて引き留めているという様子であった。

 するとフリードは怒りの表情を一変させ、粘質さを感じさせる昏い笑みを見せた。

 

「もしかして自分の命には無頓着系? だーったーらー」

 

 フリードの構えていた銃の先が仲魔たちの方に向けられる。

 

「お仲間ちゃんたち殺ってやろうか? あ゛あ゛っ!」

 

 実力は在るのにその口から出る言葉はそこら辺の不良よりも品が無い。そして、その忍耐力の無さはそれ以下という質の悪さ。

 仲魔たちに狙いを定めた凶弾。だが、この状況であってもシンに焦りの色は無かった。

 

「その銃を突き付けていた状態なら五分五分だったかもしれないが、今なら確実にこちらの方が速いな」

 

 冷静な言葉で冷めた現実を突き付ける。どこまでも薄い反応にフリードの苛立ちは最高点に達しようとしていた。

 

「その前に間薙くんのお友達に風穴が空くよぉ? とびっきり綺麗な穴がさぁ」

「自分の命よりも他人の命が優先か――」

 

 ハッと息を短く吐いてシンは薄く笑う。それは彼には珍しい嘲笑であった。

 

「偉いな。聖職者として少し成長したか?」

 

 シンの皮肉と事前に見せられた嘲笑で、フリードの怒りが最後の一線を越える。

 それにドーナシークが気付くが、止める暇も無くフリードの銃口が再びシンに向られた。

 

「死ね」

 

 血走る目にシンを映し、ありったけの殺意を込めた台詞と共にフリードは引き金を――

 

 鞘から剣を抜き放つ様に、シンの手が空を裂き、向けられた銃口に指先を掠めさせる。

 

 ――引いた。

 シンの指先が掠めたことで本来の照準から数ミリずれる。常人にとっては誤差程度のずれだが、シンにとってこの数ミリは大きなものであった。

 手を抜き放つと同時に、シンは体を背後の背もたれに沈めさせる。上質な素材で出来ている故に体が良く沈む。

 眼前を通過していく弾丸。回転しながら発光するそれは、浮き上がったシンの前髪の下を潜り抜けていく。

 フリードの狙いは外れた。しかし、シンの狙いは当たる。

 

「――ちっ!」

 

 外れた弾丸の先にはドーナシーク。直前までシンの頭部が弾丸を隠していたせいで、反応が遅れ、回避には間に合わない。

 それが分かっているドーナシークは、舌打ちと共にシンに向けていた指先を弾丸の方に向けざるを得なくなってしまう。

 ドーナシークの指先から一直線の光が伸び、迫る弾丸を貫き消滅させる。

 勝手な真似をしたフリードに殺意しか湧かないドーナシークであったが、今はそれを後回しにし、席に体を沈めたままのシンにもう一度狙う。

 フリードもまた拳銃の引き金を引こうとする。

 シンは動かない。

 動く必要が無い。

 既に動いている者たちがいるから。

 ピクシーの掌が、フリードに向けられ、そこから閃光と共に波打つ雷が放たれる。

 ジャックフロストの指先がドーナシークを指すと、宙に無数の氷柱が発生し、それらが一斉に放たれた。

 ピクシーの電撃が拳銃に命中し、フリードは咄嗟に拳銃を手放す。

 ドーナシークはシンを狙うのを止め、飛んで来る氷柱へ掌を翳し、光の壁を作ってそれを防いだ。

 

「このっ!」

 

 フリードが怒声を浴びせようと矢先、視界に飛び掛かってくるケルベロスの姿。

 

「アオォォーン!」

 

 ケルベロスは咆哮と共にその爪を振り下ろす。

 フリードは躊躇せずに己の右腕を突き出した。ケルベロスの爪がフリードの右腕に喰い込む。すると、爪と腕の間に火花が飛び散り、異質な音が鳴る。

 ケルベロスの一撃で壁端まで飛ばされたフリードであったが、右腕は切断されず、袖が裂かれた程度であった。

 全ての氷柱を防ぎきったドーナシークは、光の槍を作り出し、それをシンに投擲しようとする。

 その直前、何者かに肩を叩かれる。

 思わず振り返るドーナシーク。そこには視界一杯に広がる笑うカボチャ。

 

「ばあっ」

 

 悪戯を成功させた無邪気な声と共にジャックランタンの口から炎が吐き出される。

 

「ぐっ!」

 

 一瞬にして全身を火達磨にされるドーナシーク。纏わる炎を振り払う様に体を捩る。

 

「邪魔するんじゃねぇよ! この犬畜生がっ!」

 

 殺気をまき散らしながら、フリードは壁際からケルベロスの所まで一足で跳躍する。意趣返しの様に右腕を振り上げた姿で。

 だが、その右手がケルベロスに届くことは無かった。横から伸びたシンの手がフリードの右手を掴み取る。

 このままへし折ってしまおうとシンが力を加えようとしたとき、背筋に悪寒が走る。フリードの口の端が吊り上がると同時にシンは掴んでいた手を放していた。

 手を放した直後、フリードの右腕から袖を突き破って刃が突き出る。

 指先に刃が触れる感触が僅かにあった。素早く引いて、手の指先を見る。小さな切り傷、しかし、そこから白煙が上がっている。

 この現象にシンは見覚えがあった。

 

「その右腕……聖剣か」

「大、正、解。あー、惜しい惜しい。今頃こうなってたのに」

 

 突き出た刃から、更に無数の刃が生える。あと少し掴んでいる時間が長かったら片手が使い物にならなくなったかもしれない。

 

「いい性能でしょう? じいさん特製のこの義手。『擬態の聖剣』の能力をコピーして作ってあんだよねー」

 

 新しい玩具を誇る様に、フリードは右腕を見せびらかす。

 一方でシンはフリードの右腕よりも言葉を気にしていた。

 じいさん。聖剣、それもエクスカリバーの複製。自ずとある人物を連想させるが、その人物は間違いなく死亡している。死亡したときも、その遺体が回収されたのもシンは見ていた。

 

「お前の口の軽さは、その頭の中身の軽さと直結しているのか? フリード」

 

 燃え盛っている炎の中からドーナシークがフリードに嫌味を飛ばすと、体を一瞬震わせて、纏わりついていた炎を全て弾き飛ばす。飛び散った炎が部屋中に撒かれる。

 衣服の一部から煙が上がっているが、ドーナシーク自身は全くの無傷であった。

 燃え跡を軽く叩きながらドーナシークはシンを睨み付ける。

 

「無いものに重いも軽いもあるのか?」

 

 ドーナシークの嫌味にシンは挑発の言葉を重ねる。するとドーナシークは一旦シンから視線を外し、フリードを見た後、鼻で笑った。

 

「確かに」

「ああん? うっせーんですよ! てめぇらは! さっさとちゃっちゃとやんぞおらぁ! 他の連中はとっくに動いてんだ! 何の為にクソ悪魔に頼みたくも無いのに下手に出て頼んでこいつを隔離したと思ってんだっ! うらぁっ!」

 

 激怒し感情のままペラペラと喋るフリード。明らかに簡単に喋っていけないことも含まれており、ドーナシークは苦虫を嚙み潰した表情をしていた。

 

「こいつもそうだが、お前も殺したくなる」

 

 フリードとドーナシークは、仲間などという馴れ合いの関係では無い。偶々、殺すべき相手が一致しているだけに過ぎない。

 ドーナシークは、フリードの隠そうとしない狂気と考えの無さを嫌い。フリードは自分のすることに一々文句を言ってくるドーナシークを心底疎ましく思っている。

 状況によってはシンと纏めて殺してしまおうかと、ドーナシークとフリードも密かに企んでいた。

 

「うざってえ! うざってえ! 無駄口叩く暇あんならさっさと連れて行くぞ! 死にぞこない堕天使が!」

「ほざけ、三流以下のエクソシストが」

 

 吐き捨てながらドーナシークは指を鳴らす。すると、部屋の内部に無数の文字が浮かび上がり、魔力の光で輝き始める。

 変化はすぐに起こる。シンの肉体が、部屋に描かれた文字と同じ光を放ち始めた。フリード、ドーナシークも同じ現象が起きている。

 

(この感覚は……)

 

 転送用魔法陣で飛ばされるときと似た感覚。この部屋自体それが目的で作られていたらしい。

 

(確かに特別席だったな)

 

 この部屋に入った時点で、自分の失敗であったと認め、自嘲する。

 仲魔たちを見る。仲魔たちは光に包まれていない。飛ばされるのはシン、フリード、ドーナシークだけであった。

 間もなくここから消える。そして、恐らく『禍の団』が攻めてくる。

 だが、一言だけ仲魔たちに伝えることが出来た。

 

「生き延びろ」

 

 戦っても、逃げても、隠れても、何をしてもいい。また生きて再会する為に生きろと告げる。

 光が最大まで高まる。その輝きに、ピクシーたちは目を瞑ってしまった。

 時間にして数秒。ピクシーたちの視界が元に戻ったとき、シンたちの姿は室内から消えていた。

 

「何処に行ったのー!」

 

 ピクシーが叫ぶ。返事は無い。心の中で呼ぶ。同じく返事は無かった。

 

「グルルル……!」

 

 シンの消失に不安を抱くピクシーたちに追い討ちを掛ける様に状況は深刻なものへ変わっていく。この場に於いて真っ先にそれに気付いたのは、やはりケルベロスであり、周囲に警戒させる為に唸り声を上げる。

 

「うわっ。ぞわぞわしてきたー……」

「ヒホ! ヒホ!」

「ヒ~ホ~。これはちょっと不味いかも~……」

 

 遅れてピクシーたちも感じ取る。背筋に寒気が走るほどの速さで増えていく魔力の気配。それも一つ、二つという生易しい数では無く、桁が三つ、四つ違うほどの数が感じられた。

 

「グルルル……コチラニムカッテキテイルナ」

 

 ケルベロスが相手の動きを敏感に察知する。

 

「ドウスル?」

 

 ケルベロスは敢えてピクシーたちに問う。今、この中で最も強いのはケルベロスである。自分が戦えばピクシーたちを守れるという自負もあったが、ケルベロスは知りたかったのである。

 命のやりとりが行われるだろうこの状況下で彼女らがどんな選択をするのか。答えによっては、彼女らの今後の立ち位置が決まる。

 

「決まってるじゃん」

 

 答えはすぐに返って来た。

 

 

 ◇

 

 

 『禍の団』に属する旧魔王派に傾倒する悪魔たちは、内通者の手引きにより魔法陣によって次々に送られてくる。

 下級から上級までの悪魔たちが数を多く揃え、呑気に観戦しているであろう現魔王は勿論のこと、その血縁者、観戦に招かれた神々全てを根絶やしにする為に息巻く。

 誰であろうと見つけ次第抹殺する。悪魔が悪魔らしく生きることを是とする彼らは、魔力の気配がする扉に気付いた。

 中に誰が居るかまでは分からないが、全滅を目的とする彼らにとってはどうでも良いこと。

 一人が扉の前に立ち、それを開けようとするドアノブに手を掛ける。

 その瞬間を見計らったかの様に扉が爆ぜる様に飛び、部屋から飛び出した何かが扉の前に立っていた悪魔は扉ごと壁に叩き付けていた。

 相手側の強襲に驚く旧魔王派の悪魔たちは、部屋から飛び出してきた獣に警戒する。

 獣ことケルベロスは、片前足で扉ごと悪魔を押し付けながら、射貫く様な眼光を他の悪魔たちに向け、その喉から唸り声を鳴らす。

 

「何だ貴様は! 誰かの使い魔か!?」

「グルルル。コタエルヒツヨウハ――」

 

 一旦片前足を扉から放し――

 

「ナイ」

 

 ――最後の言葉と同時に再び前足を扉に叩き付ける。その威力で扉は真っ二つに砕け、押し付けられていた悪魔は、今度はケルベロスの前足と壁によって頭を挟まれる。

 挟まれた悪魔の顔が、他の悪魔たちには半分しか見えない。壁にめり込んでいるのか、それとも潰れてしまったのか。答えはどれであれ、ケルベロスの前足の隙間から滴る血は他の悪魔たちの血を沸騰させる理由には十分である。

 

「貴様ァァァァ!」

 

 同志の流れ出る血に激昂した悪魔たちが、ケルベロスに魔力を放とうとする。

 

「あがっ!」

 

 だが、直前に光が走り、その内の一人は背骨が折れそうなほど仰け反りながら痙攣。

 

「ぐあっ!」

 

 また別の一人は拳よりも大きな氷の塊を鼻頭にぶつけられ鼻血を流して悶絶。

 

「うあああああ!」

 

 更に別の悪魔は、衣服が燃え上がり広がっていくそれを慌てて消そうとする。

 ケルベロスに意識を割いていた悪魔たちは、部屋から少しだけ覗いている者達――ピクシーたちの存在に気付くことに遅れ、下級ではあるが三人の悪魔が傷を負わされる羽目になった。

 

「まだいたのか!」

 

 ピクシーたちの存在に気付いた悪魔が、ケルベロスから狙いを変え、ピクシーたちに魔力弾を放つ。

 鉄の板すら軽々と貫くそれを、脆弱なピクシーたちの肉体では受け止め切れない。

 故に――

 

「フン」

 

 盾となる為にケルベロスがその身で魔力弾を防ぎ、身を呈してピクシーたちを守る。

 

「大丈夫?」

「クスグッタイ」

 

 軽く体を振りながら無事であることを告げる。

 悪魔の方は、全くの無傷であるケルベロスに瞠目すると同時に、深く誇りを傷付けられる。一切手加減無しで放った魔力をくすぐったい、の一言で片付けられたのである。旧い悪魔の在り方に固執している悪魔にしてみれば、許し難い侮辱であった。

 

「貴様ッ!」

 

 再び魔力の弾を放とうとする。ケルベロスは、疎ましそうな眼差しをその悪魔に向けた後、大きく口を開く。

 悪魔から魔力弾が放たれると、ケルベロスの口から炎が吐き出され、放たれた魔力弾を呑み込み、ついでの様に放った悪魔も炎で包み込む。

 

「うあああああああ!」

 

 焼かれる全身。何とか消そうと床の上で転げ回る。他の悪魔たちも消火の為に水や氷の魔術を掛けるが、燃え盛る悪魔の炎は弱まらない。まるで『地獄の業火』の如く、相手を焼き尽くすまで激しく燃え続ける。

 やがて炎の中で悪魔の動きは弱まり、最後には動かなくなる。消え去る炎。その後には身内ですら見分けることの出来ない人の形をした黒い物体が残るだけであった。

 時間にすればほんの数秒。だが、焼かれた悪魔にとってはその何十倍にも引き延ばされた地獄だろう。

 無惨な死体と化した仲間の姿に、悪魔たちは哀しみよりも怒りを覚える。

 

「おのれっ!」

「よくもっ!」

 

 怒りのまま叫ぶ悪魔たち。

 

 アオォォォーーン。

 

 それすら掻き消してしまう程の咆哮がケルベロスから発せられ、悪魔たちだけでなくピクシーたちですら固まってしまう。

 

「グルルル。ココハオレガオサエテオク。オマエタチハイケ」

「ヒホ! 一緒に戦うんじゃないホ!?」

「オレトオマエタチデハ、戦イ方ガチガウ」

 

 この中にはお前たちの力が通用しない相手も居る、という言葉をケルベロスは伝えなかった。倒した悪魔はどれも下級だが、それよりも格上が他の悪魔に紛れて何人か混じっていることをケルベロスは感じ取っていた。負けるつもりは無いが、それでも少々骨の折れる相手と察する。ピクシーたちの身を案じて戦える相手では無い。

 

「でも……」

 

 渋るピクシーたち。仲魔を置いて行くことに抵抗を覚える。

 

「イキノビルナラバソレガ最善ダ。オレヲシンジロ」

 

 迷いは一瞬。そして、決断も一瞬であった。

 

「――わかった」

 

 ピクシーが頷いたことで、ジャックフロストもジャックランタンもケルベロスの言葉を信じることに決めた。

 

「生きてね」

「また会うホ!」

「またね~」

 

 ケルベロスが悪魔たちに睨みを利かせている間に、ピクシーたちは素早くこの場を去っていく。

 それでいい、とケルベロスは内心思う。足を止めて戦うよりも逃げながら戦う方が、ピクシーたちには合っている。ここにシンが居れば、逃げずにケルベロスと共にこの場に居る悪魔たちを相手に出来ただろうが、ないものねだりをしても意味が無い。

 逃げた先で強い悪魔と出会うかもしれないが、そこはピクシーたちの機転と運を信じるのみ。孤独に生きてきたケルベロスなりに、考えうる他人の心配をしてみた。ここから先は、かつて森を縄張りにしていたときの一匹の獣となる。

 獣毛は自身の魔力に反応して逆立ち、肺腑を通って漏れ出す息は外気に触れたときから炎と化す。立てられる爪は、硬石で出来た床を紙の様に容易く裂き、爪痕を残す。

 ケルベロスはその全身を以って殺意を示し、目の前で殺気立つ悪魔たちを威嚇する。人の世界で鈍った体と勘を研鑽するには、獲物の数も十分。

 敵に地獄を見せる為、仲魔たちの背を守る為、ケルベロスは悪魔たちへ立ち塞がる番犬と化す。

 

 

 ◇

 

 

「……起こってしまったか」

 

 サーゼクスは耐える様に目を深く閉じた後に、そう呟いた。

 

「予想はついていたことだ。今日みたいな日は、連中にとってはお誂え向きの日だしな」

 

 その隣に座るアザゼルが冷静に答える。

 レーティングゲーム開始直前に起きた、『禍の団』それも旧魔王派によるテロ行為。次々と外から敵戦力が送られてくるが、サーゼクスもアザゼルも慌てる様子は無かった。寧ろこのことを彼らは予見していた。

 そして、今回のレーティングゲームを利用した包囲陣がアザゼル立案の下敷かれた。

 故に各勢力には、襲撃の件について事前に伝えている。誰も彼もが、旧魔王派の掃討に応じ、助力を惜しまないことを誓っている。

 兆候はあった。現魔王派に関わる者たちが連続して不審死していた。隠そうとはしないそれは、現魔王派に対する旧魔王派の挑発行為であった。当然、警戒を強める現魔王派であったが、その目を掻い潜り犯行を繰り返す。

 相手の手口から冥界に内通者が居ることはほぼ分かっていたが、今回のことでそれも確信となった。

 しかし、冥界を脅かす旧魔王派を一網打尽にする機会が訪れてもサーゼクスの気が晴れることは無い。寧ろ、暗澹とした気分ですらあった。

 道を違えたとはいえ同じ悪魔である。その命が散っていくことを喜ぶことなど出来はしない。

 

「――サーゼクス」

「……分かっているさ」

 

 サーゼクスは閉じていく目を開ける。これから起こること全てを目に焼き付ける為に。

 

「サーゼクス様が出ずとも、私ならばいつでも出られます」

 

 自ら出陣することを申し出るのは、サーゼクスの隣に静かに立つセタンタであった。サーゼクスが手を汚さないでいい様に。

 

「セタンタ……」

 

 同じくサーゼクスの側に立つグレイフィアが、セタンタを案じる眼差しを向ける。彼の忠義は誰もが認めるものだが、進んで汚れ役をやろうとする。主の望みに反してもそれを全うしようとする危うさがあることを、付き合いが長いグレイフィアとサーゼクスも当然理解している。

 

「私はそこまで臆病では無いさ」

 

 セタンタの言葉を微笑みと共に流し、サーゼクスは立ち上がる。

 

「行こうか」

「そうだな。今回の件を言い出した手前、がむしゃらに働かないとな」

 

 アザゼルとてリアスたちを危険に晒す可能性が高いこの作戦を、簡単に決めた訳ではない。しかし、旧魔王派との衝突は決して避けられない道である。今か先かを天秤に掛けた結果今を選び、サーゼクスたちを説得して今回の作戦を実行するに至った。

 卑怯者と後ろ指を刺される覚悟も出来ている。

 だが、万が一犠牲が出た場合、その責任は――

 

「万が一なんて起こりませんよ」

 

 気付かない内に接近していたセタンタが、アザゼルの心をまるで見えているかの様な正確さとタイミングで呟く。

 

「私が起こしませんから」

「……へっ」

 

 言い切るセタンタに、アザゼルは思わず笑ってしまう。流石はサーゼクスの右腕とも呼ばれることはあった。文字通りの心強くなる味方である。

 

「これが終わったら、サーゼクスも連れて酒でも飲みに行こうぜ」

「それはいいね。ただ、グレイフィアが、ね……」

「大丈夫ですよ。私もサーゼクス様もグレイフィアの目を盗んで動くのは得意ですから」

「……私の目の前で堂々と言わないでもらえますか?」

 

 大きな戦いの前とは思えない程の緩い空気。しかし、内にある想いや強さは本物である。

 混沌と化そうとする戦いの場に、魔王(サーゼクス)が出陣する。

 

 

 ◇

 

 

「HAHAHAッ! 騒々しくなってきたじゃねえか」

 

 禍の団によって会場が攻められる中、とある一室で現状を豪快に笑う一人の男。

 短く刈った髪に、丸レンズのサングラス、首には数珠をかけており、派手な柄のアロハシャツを素肌に直に着ており、前のボタンも留めていない。会場に招かれた各勢力は正装でこの場に臨んでいる。その中で最もラフな格好をしていた。

 他者の目や評価など気にしない。裏を返せば他人など眼中に無い。男性からは絶対的な自信と傲慢さがあった。

 旧魔王派の悪魔たちが仕掛けてきたことで、宣誓通りそれらを撃退に向かおうと男の背後で何名か立ち上がる。

 

「ああ、いい。いい。そこで大人しく座ってな」

 

 男の言葉で室内に動揺が走る。その動揺を男は笑う。

 

「ああん? もしかして真面目に手を貸す気だったのか? HAHAHAHA! 笑わせてくれるZE! そんだけ生真面目だと将来禿るぞ? まあ、今も似た様なもんか」

 

 再び豪快に笑う。

 何名かが抗議する様な目で訴えてきたが、声には出さない。出すことが出来なかった。この場に於いて最高の権力と力を持つのは、この男である。逆らうこと自体天に唾を吐く様なものである。

 

「よく考えてみろよ。悪魔同士が黴の生えた思想と甘っちょろい思想をぶつけてマジで殺し合っているんだZE? 馬鹿同士の馬鹿な戦いなんて嗤って見てれば十分なんだよ」

 

 考え方の違いで殺し合う悪魔たちを見下す言葉。

 

「こんな馬鹿な戦いに首を突っ込むなんて逆に格を下げるだけだっつーの。まあ、そこんとこ分かっていない爺共が居るがな。有象無象を蹴散らす弱い者虐めなんて、俺様の趣味じゃねーよ」

 

 魔王も含む悪魔たちを全て格下と見ている上での発言。だが、それを咎める者など居ない。言い方は乱暴だが、男の言葉は全く間違っていない。

 全勢力の中で最強に近い実力を持ち、四大魔王すら凌駕する。神々の王、天帝とその名も最高位の知名度を持ち、聞けば誰もが理解する。

 

「本当に……本当にそれでよろしいのですか? ……『帝釈天』様」

 

 耐え切れなくなり一人が男の名――仏教における神仏『帝釈天』の名を消え入りそうな声で呟く。

 男は、その呟きに反応し、声に出した者の方を向き、ただ笑う。その笑みだけで魂が消し飛びそうになる。

 

「万が一が起きたら出てやるさ。万が一、がな」

 

 心の底から在り得ないと思いながら、天帝(帝釈天)は静観を続ける。

 

 

 ◇

 

 

「おいおいおーい。レーティングゲームはいつから場外乱闘有りになったんだぁ?」

 

 揶揄う様な口調で誰かに問うのは、本来ならばここに居る筈の無いマダであった。

 アザゼルの敷いた箝口令は完璧であった。何かを嗅ぎ付けたとかアザゼルの考えを見抜いていたからという訳でも無い。この会場に来るまで本当にマダは何も知らなかった。

 ならば何故来られたのか。

 それは今日マダが――

 

『何となくだが、冥界に行ってみよー』

 

 ――と唐突に思い付き、神懸かり的な勘で冥界を訪れたせいである。

 アザゼルが理由を知れば『ふざけんなっ!』と激怒したことであろう。それほどまで彼の耳にこのことが届かない様に神経を使っていた。

 

「我ながら良い勘してるぜぇ。こんな楽しそうなことを見逃さないんだから。日頃の行いが良いせいかぁ? そう思わねぇか?」

 

 再び問うマダ。しかし、彼の近くにその問いに答える者は居ない。

 問われた者たち全て、マダの足元で横たわっている。数は数十を超えており、皆顔を素人目で見ても異常と分かるぐらいに紅潮させ、不規則な呼吸、意識を朦朧とさせ、焦点の合わない瞳をしていた。

 横たわっている者ならまだマシな方である。中には自ら吐いた吐瀉物に顔を埋めて身動きが出来ない悲惨な状態の者までいる。

 全てマダの力によって起こされたことである。

 

「さてさて。どうしようかねぇ……」

 

 事情を知らずに来たマダだが、下に横たわっている者たちの言動の断片を繋ぎ合わせ、現状を凡そ把握していた。恐らく『禍の団』の奇襲を受けており、足元に転がっているのは、『禍の団』の旧魔王派の悪魔たちである、とほぼ合っている答えを出していた。

 既に周囲一帯の悪魔たちは無力化した。このまま次の獲物を探そうかと思っていたが、ふとマダは思う。

 何故、アザゼルはこのレーティングゲームのことを黙っていたのか。

 自分でも行儀の良い方では無いと自覚はあるが、それでもレーティングゲームを台無しにするほど無作法では無い。ましてや、教え子として――マダなりに――可愛がっている一誠の戦いの邪魔などしない。それは前回のレーティングゲームでも見せていた。

 

「となると、俺と会わせたくない奴でも居るのかぁ? なあどう思う?」

 

 倒れている悪魔たちに問うが、返ってくるのは死にそうな呻き声のみ。

 

「その会わせたくない奴を探すのもありかもなぁ。万が一、それがあいつだったら……」

 

 悪鬼の如き笑みを浮かべながら、阿修羅(マダ)は敵を求めて彷徨い始める。

 

 

 ◇

 

 

「――始まったか」

 

 伝わってくる小さな振動。無数の魔力を感じ取り、オーディンは席から立ち上がる。

 すると、オーディンが立ち上がったのを見て、その隣に座る者もまた立ち上がろうとした。

 

「お主はここで座って待っておれ」

 

 立ち上がる前に、オーディンは手を縦に振り、待つように命じる。

 動きは途中で止まり、逆回しの様に再び席に腰掛ける。大人しく従い、文句を言わなかったが、その目で不満を訴える。

 

「わし一人で十分だから大人しく待っておれ。危険だからな」

 

 気遣う様な言葉に、不満に満ちた目は伏せられる。

 

「まずはアザゼルにでも会ってくる。何かしらの準備があるかもしれないからのう」

 

 そう言い残し、オーディンは音も無く室内から消える。

 一人残されたその人物は、オーディンの姿が消えた後も椅子の上で沈黙し続けるのであった。

 

 

 ◇

 

 

「……着いたわね」

 

 ゲームフィールドに転送されたリアスたちは、周りを見渡す。

 広々とした平野に、石を削って作られた柱が一定の間隔で並んでおり、その先に石造りの神殿が建てられている。

 デパート内という場所の限られたレーティングゲームと比べれば、それぞれの力を存分に発揮できる空間と言えた。

 審判役からのアナウンスはまだ聞こえない。リアスはこの少ない時間も使い、この場所での戦い方を皆と話そうと思い、眷属たちを見る。そして、気付いた。

 

「――アーシアはどうしたの?」

 

 リアスの言葉に驚いて、皆が一斉に周りを見る。近くにも遠くにもアーシアの姿は見えなかった。

 

「アーシアッ! 居るなら返事をしてくれ!」

「アーシア! 何処だ!

 

 一誠とゼノヴィアは大声でアーシアの名を呼ぶが、声が響き渡るだけであった。

 

「転送魔法陣の誤作動でしょうか?」

「それならアナウンスがすぐに入ってもおかしくないわ」

「そもそも一緒に転送された筈なのにアーシアさんだけが他の場所に移されるのは可笑しいですわ」

「ア、 アーシア先輩、だ、大丈夫でしょうか……? も、もしものことがあったら」

「……ギャー君。あまり悪いことは考えちゃダメ」

 

 リアスたちの中で嫌な予感が湧いてくる。何か非常事態が起きているかの様な。

 

「やあ、リアス・グレモリー。そして赤龍帝」

 

 頭上から聞こえてくる爽やかそうな声。だというのに、リアスたちにはその声に気色の悪い響きを感じた。

 見上げた先にはディオドラ・アスタロトと、その腕の中で意識を失っているアーシアの姿。

 

「アーシア!」

「ディオドラ! 貴方どういうつもりなの!」

 

 ゲーム開始前に自分の眷属を拉致したディオドラに、リアスは激昂する。

 

「どういうつもり? 見ての通りだよ。アーシア・アルジェントはいただいたよ」

「……最初からそうやってアーシアを無理矢理奪うつもりだったのね。ご丁寧に転送用魔法陣に仕掛けまで施して」

「ご名答。まあ、こうなった後では遅いけどね」

 

 事が思い通りに進んでいることが余程嬉しいのか、声が裏返るほど高らかに笑う。一誠たちには、この上なく耳障りな笑い声であった。

 

「アーシアを返しなさい!」

「嫌だね。それにこれから死に行く君たちが、彼女を取り返しても意味なんて無いさ」

 

 出現する魔法陣。一つ二つといった少数ではなく、数え切れないほど無数に現れる。

 浮かび上がる紋様はアスタロトを示すものではない。誰の記憶にも無い紋様。

 その魔法陣から数えるのが馬鹿らしく思う数の悪魔たちが出てくる。

 ここまでくれば、彼らが何者なのか。ディオドラの背後に何が居るのか見当がつく。

 

「『禍の団』に通じていたのね、貴方! 魂も誇りも旧魔王派に売ったようね! 私は、貴方を、絶対に許すことが出来なくなったわ!」

 

 リアスの怒りに呼応し、全身から紅色の魔力が溢れ出す。

 

「怖い怖い。それに野蛮だ。そんな野蛮な人達の相手をしたくは無いな。そんなことよりもアーシアと一刻も早く契る方が大切だ」

 

 リアスの怒りを、ディオドラは嘲る。

 

「見たければ神殿の奥まで来ることだね。まあ、来られたらの話だけど。もし、来たら特等席を用意するよ」

 

 ディオドラの背後の空間が歪み、アーシアを抱えてその中へ消えようとする。

 

「アーシア!」

 

 ゼノヴィアはアーシアの名を叫ぶ、それが届く前にディオドラの姿は歪みの中に消えていった。

 後に残されるのは、何百、何千という敵に囲まれているという現実。四方から浴びせられる敵意と殺意。

 ゼノヴィアが神殿に向かって走り出そうとするが、それを一誠が制する。

 

「待てゼノヴィア」

「待てだと! 友達が攫われたんだぞ! イッセー! お前は――」

 

 そこでゼノヴィアは息を呑んだ。止めている一誠の顔を見てしまったからだ。

 目が血走り、頬が引き攣って痙攣を起こしており、怒りの形相を通り越して笑みに近い表情となっている。

 飽和過ぎた怒りが、一誠に逆に冷静さを与えていた。その冷静さが一誠にこう考えさせる。ここで怒りを旧魔王派の悪魔たちにぶつけるのは勿体無いと、溢れ出そうな怒りは全てディオドラにぶつけると。その為なら臓腑が焼け爛れそうな激情すら抑え込む。

 ゼノヴィアは、一誠の内に秘めた怒りを見て、怒りが鎮まっていくのを感じた。

 

「まずはここを生き延びなきゃ、アーシアには会えない。アーシアは――大丈夫だ」

 

 諭す様な言葉。そこに違和感を覚える。アーシアの身の安全に対し、一誠には確信がある様子であった。

 

「――本当に大丈夫なのか?」

「きっと大丈夫な筈だ――『()()()』がついているから」

 

 あいつという言葉に、全員疑問符を浮かべた。

 

「頼むぞ……」

 

 

 ◇

 

 

「う、うう……」

 

 頬に伝わる冷たい感触でアーシアは目覚める。いつの間にか横たわっていたことに戸惑いながら立ち上がって周りを確認する。

 石造りの建物の中、というのがアーシアの感想。先程の冷たい感触は石造りの床のせいであった。

 

「ここは……」

「やあ、アーシア」

 

 その声に、アーシアは身を震わせる。ゲームで戦う筈のディオドラが何故かすぐ側に居り、更に周りに一誠たちが居ないことに気付き、一瞬の震えが継続する悪寒へと変わる。

 

「な、何で貴方が……イッセーさんたちは何処に!」

「気にすることは無いよ。もう会えないのだから」

「ど、どういう意味ですか!」

 

 ディオドラが一歩近付く。アーシアは逃げようとするが、体が動かない。ディオドラの魔力によって動きが封じされていた。

 動けないアーシアの前まで来ると、アーシアの顎を指先で押し上げる。

 

「待っていたよ。この日が来ることを。君を一目見た時から今日まで我ながらよく我慢したと思うよ。溜まった鬱憤を侍女や下僕たちを代わりにして晴らすのも今日で終わりだ」

 

 ディオドラの卑しい眼差しに、アーシアは寒気立つ。

 

「君がリアスや赤龍帝に助けられたときは少し焦ったよ。折角の計画が失敗するかもと思ったからね。――でも、安心したよ。まだ君は綺麗なままだ。ニオイで分かるよ。ふふふ。赤龍帝の純情さ、奥手さには感謝しないとね」

 

 感謝と言いながらも馬鹿にした様な口調。

 吐き気がするディオドラの言葉に一つ、聞き捨てならないことがあった。

 

「計、画?」

「そうさ。君が僕を助けて教会を追い出されるまで、そして今日に至るまで。全て僕の掌の上だったんだよ、アーシア」

「じゃ、じゃあ、あれは全部、貴方の演技……」

「君はとても優しく良い子だよ、アーシア。だってこんなにも素敵な表情を僕に見せてくれるんだからさあっ!」

 

 真実を思い知らされ、絶望によって涙を流すアーシアの顔を見て、ディオドラは冷静さをかなぐり捨て上気し、興奮する。

 

「良い顔だぁ! 何て素敵なんだ! 是非とも記録に――」

 

 そのとき、何かがディオドラの頭を押さえる。

 

「だ――」

 

 誰だ、と言って振り返ろうとしたディオドラだったが、押さえる力が増し、首は回らず。それどころか体も動かない。

 茫然としながらアーシアの視線はディオドラの背後に向けられた。橙色の大きな目が一つ半眼となってアーシアの方を見ている。

 象の頭に人の体を持つ巨人が口をもごもごとさせながら片手でディオドラを押さえ込んでいた。

 アーシアにとってその象の巨人の第一印象は『寝起き』であった。

 

「何者だっ!」

 

 振り返ることが出来ないせいで、背後に立つ存在が見えないディオドラ。

 象の巨人ことギリメカラは、返事の代わりにディオドラの頭よりも大きな拳を、その顔面に叩き込む。

 

 

 ◇

 

 

「どうしよ! どうしよ!」

「ヒホッ! まずいホ!」

「これはダメかもしれないね~」

 

 旧魔王派の悪魔たちに何とか遭遇しない様に動いていたピクシーたちだったが、それも厳しくなってきた。

 倒さずに隠れているだけなので、時間が経過する度に悪魔の数も増えていく。

 ピクシーたち三人なら下級悪魔は速やかに倒せるが、中級以上となると時間も掛かる上に下手をしたら返り討ちにあう危険もあった。

 何とかしてアザゼル、もしくはサーゼクスと合流したいと思っていたが、何処にいるかも知らない。更には大っぴらに探すことも出来ない。置いてきたケルベロスのことも心配だが、自分の身も守らなければならない。

 やることは多いのに、出来ることの選択肢は徐々に狭まっていく。

 

「ああ、ほんとにどうしよう……」

 

 いつもは陽気なピクシーもこの状況では笑み一つ出せない。今までシンやリアス、一誠といった自分よりも強い存在に守られていたピクシーだが、久しぶりに一人で活動していたときのことを思い出す。

 あの時は自分の希少さを知らなかった故、自分を狙う者たちの目を常に気にし、捕まる、追われる恐怖に神経を擦り減らしていた。

 

「あー、やだやだ」

 

 過去の忘れたい記憶を紛らわせる為に、近くにいたジャックフロストの頭にしがみつく。ひんやりとした感触が、少しだけ気を紛らわせてくれる。

 

「ヒホ。怖いホ?」

「本当ならシンが良かったんだけどねー。キミで我慢してあげる」

「失礼だホ!」

「ヒ~ホ~ホ~」

 

 少しだけ調子を取り戻したピクシー。怒るジャックフロスト。それを見て笑うジャックランタン。

 張り詰めた場が僅かに緩む。

 

「じゃあ、行こうか」

 

 周囲を確認し、敵が居ないことが分かると通路を進む。

 やがて曲がり角へ差し掛かったとき――

 

『あっ』

「何だ?」

 

 角の向こう側で悪魔の集団を見つけてしまう。運の悪いことにその内の何人かがピクシーたちを見つけてしまった。

 

「やばっ!」

 

 来た道をすぐに戻る。

 

『あっ』

 

 来た道の奥から悪魔の集団がこちらに向かって来るのを見てしまった。そして、またもや悪魔の何人かがピクシーたちを発見する。

 

「やばいホ! どうしようホー!」

「これは~本当にダメかもね~」

 

 逃げ道は完全に塞がれてしまった。

 迫る悪魔たち。数も実力も完全に向こうが上。絶体絶命であった。

 

「……あれ?」

 

 ピクシーの視線が一点に止まる。壁に設けられたそれは間違いなく扉。

 何処に繋がっているのか。そもそも行き止まりではないか、という疑問はこの際考えないことにした。

 動かなければ終わる。

 

「あそこ!」

 

 ピクシーの指差しで、ジャックフロストとジャックランタンも扉の存在に気付く。

 ピクシーとジャックランタンは二人掛かりでドアノブを回して引っ張り、ジャックフロストも扉に僅かな隙間が出来ると指を差し込んで開けるのを手伝う。

 扉が開くと素早く中に滑り込んで、扉を閉める。

 状況が変わった訳ではないが、ほんの少しだけ時間を稼げた気がした。

 しかし、稼げても微々たるもの。この微々たる時間で何か次のことを考えなければならない。

 三人が急いで知恵を絞ろうとしたとき、気付いた。

 

「……誰?」

 

 

 ◇

 

 

 使い魔らしきものが扉の中に入っていったのを見て、旧魔王派の悪魔は大勢で扉の前を囲う。

 扉の向こうに使い魔の主が居る可能性がある。現魔王派に与するものは全て滅ぼすことを決めている彼らは、僅かな可能性でも見逃さない。

 集団を代表し、上級悪魔が扉の中へと入っていく。

 間も無くして――扉の隙間から漏れ出る閃光、直後に轟音が響き渡った。

 反射的に身を丸めてしまうほどの大音響。だが、本来ならばその音はこの場では在り得ない音であった。

 室内に於いて、雷鳴が轟くなど。

 少しの間を置いてから扉がゆっくりと開く。扉の向こうから現れた存在を見て、誰もが絶句し、あるいは絶望した。

 

「……オーディン殿は、待てと言われたが」

 

 一体どれだけの研鑽と鍛錬を積めばそれだけの肉体に至るのか、憧れと同時に畏怖を覚える磨き抜かれた巨躯。鱗を重ねた様な黄金の鎧を纏い、背には白のマント。両足、両手には同色のブーツと手袋を装備しており、右手には柄の短い鉄槌が握られている。

 頭部には牡牛の様な角の装飾がされた黄金の兜を被っており、兜から覗かせる双眼は翡翠色をしていた。

 

「降りかかってくる火の粉を払うぐらいは許してくださるだろう。ましてや、それが幼子たちを守る為ならば」

 

 オーディンは、彼に危険だから出るなと命じた。しかし、それは彼の身を案じて言った訳では無い。オーディンが案じたのは()()()()()()。彼が暴れれば()()()()()なのである。

 オーディンが万が一の事態を想定し、連れて来たその者の名は――

 

「ト、ト、ト、トールだぁぁぁぁぁぁぁ!」

 

 名を叫ばれ、それに応える様に鉄槌に紫電が帯びた。

 目の前の敵を全て滅ぼす為に雷神(トール)は参戦する。

 




他の作品に浮気をしていたら遅くなってしまいました。
次回は、現魔王派とか旧魔王派など関係無く暴れる人たちの話になるかもしれません。

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