ハイスクールD³   作:K/K

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頂点、前夜

「あー、あの、お、俺は! じゃなくて! 僕はグ、グレモリー眷属の!」

 

 ガチガチに緊張した強張った表情で自己紹介をする一誠。慣れない言葉を使っているせいでどもりながらも、インタビュアの質問に答えていた。

 その光景を、シンはスタジオの隅から眺めている。傍から見れば思わず笑ってしまいそうになるぐらいのぎこちなさである。実際、シンの側に居るピクシーとジャックフロストは笑い転げていた。

 ケルベロスの方は相変わらず表情の読めない顔で沈黙している。因みにケルベロスは擬態を解きいつもの姿になっていた。

 だが、緊張するのも無理は無いと言えた。

 シンはただインタビューされる程度のものと考えていたが、実際は観覧客も入れた本格的な会場で行われる、若手悪魔たちや眷属への公開インタビューであった。老若男女の観覧者たちが好奇の目で一誠たちを眺めているのである。

 

(出なくて正解だったな)

 

 アザゼルが冥界にシンも連れてきたのは、他の勢力がシンに手を出せない様にする為でもあるが、実はシンにもこのインタビューの話が来ていたのだ。

 それを知らされたのは冥界に来た直後のこと。出るかどうか尋ねられたが、シンは頑としてその話を断った。アザゼルはどちらでも良かったらしく、シンが断るとあっさり引いた。

 一誠の顔色はあまり良くないが、それと同じくらいアーシアも緊張しており、インタビューの番が自分に回ってくるのを視線を泳がせながら待っている。

 リアス、朱乃、木場は普段通りの落ち着いた態度。ゼノヴィアも持ち前の図太さで緊張を微塵も感じさせない。

 一番酷いのはギャスパーである。色白な顔から更に血の気が引いており、今にも気絶しそうであった。辛うじて膝に抱えているジャックランタンの存在のおかげで意識を保っている有り様である。当初は愛用の段ボール箱に隠れようとしていたが、テレビ側からNGが入ってしまったせいでそれも出来ず、このまま出たら死んでしまうと泣くので、仕方なくジャックランタンが体を張ってくれた。

 インタビュアの質問に一誠がぎこちない言葉遣いで答えていく。すると――

 

「ちちりゅうてー!」

「おっぱいドラゴーン!」

 

 観覧席の子供たちから一誠にかけられる歓声。リアスが話せば男女問わず歓声が、朱乃が話せば男性からの声援が、木場が話せば女性からの黄色い声援が、そして一誠が話せば今の様に『乳龍帝』、『おっぱいドラゴン』と呼ばれる。

 今、子供たちの間でその名が爆発的に広まっていた。

 切っ掛けとなったのは、やはりシトリーとのレーティングである。その中でがむしゃらに戦う一誠と匙の姿は冥界の全お茶の間に流れていた。

 一誠が禁手化した姿のカッコ良さに子供たちの心を鷲掴みにしたのも理由だが、もう一つ子供たちの心を掴んだ理由がある。

 そもそも『乳龍帝』『おっぱいドラゴン』という名が何故生まれたのか。あのレーティングでは、一誠はその類のことは言っていない。ならば何が理由でその呼び名が生まれたのか。

 理由というべきか原因となったのは、リアスとシトリーのレーティングゲーム後に流されたとある人物のインタビューである。

 自らを赤龍帝の師と名乗った某M氏。何故かプライバシーを守りたい為、シルエットのみでインタビューを受けていたが、三メートル近い巨体。四本の腕。頭頂部から噴き出す炎。それだけ見れば誰なのかは一目瞭然であった。

 インタビュアが、赤龍帝の強さの秘密は何なのでしょうかと質問に対し、某M氏は一言。

 

『女性の胸だっ!』

 

 そこから一誠が白龍皇と引き分けた際にも女性の胸が関わっていること、使う技の殆どに女性の胸が関連していること、禁手に至る為に女性の胸を突いたことなどを赤裸々に語る。

 全冥界に向けてのインタビューでこれである。並の神経の持ち主ならば自殺ものの暴露だが、そもそもまともな神経を一誠が持っていたらこんなことなど一切起こらないという点に帰結してしまう。

 子供たちの歓声に一誠は照れている様な反応をしているが、中のドライグは恐らく一誠の様にこの事実を受け止めていないだろう。

 シンにはドライグが声無き慟哭を上げている気がした。

 

「まだレーティングゲームを始めて日が浅いというのに、民衆の心をこれだけ掴むことが出来るとは流石だ。これからが楽しみだね」

 

 知らぬ声にシンは驚き、隣を見る。そこには荘厳な外套を纏った二十代ほどの白髪の青年が佇んでいる。

 急に声を出されたことに驚いたのではない。この男性が声を出すまで全くその存在に気付けなかったことに驚いたのだ。気配も音もニオイも無く、最初からそこに存在していたかの様に。ここまで無防備に接近を許したのはこれが初めてかもしれない。

 更に驚くべきことは、この男の存在に気付いているのは声を掛けられたシンのみであること。

 ピクシーたちから数歩後ろにシンは待機していたが、いくらピクシーたちの視界に入っていないからといって全く感知していないのはおかしい。ましてや、ニオイや気配に敏感なケルベロスにすら己の存在を隠し続けている。

 たった数秒で男の異様さを知らしめさせられた。

 相手に敵意など全く感じ取れないが、それでもシンの中の警戒心は最大まで高まっている。開いていた手が自然と拳を形作る。

 

「君は出演をしないのかい? リアス・グレモリー側、ソーナ・シトリー側でも選手として出ていたと記憶しているが?」

「……今回は出場しないので」

「そうなのかい? それは惜しい。君の冷静ながらも熱を秘めた戦い方に心惹かれている者たちも居るというのに」

 

 心底惜しむ様な口調。

 

「貴方はここへ何をしに?」

 

 今度はシンの方から話を振ってみる。全く情報の無い人物なので、少しでもそれを得たいが為である。

 

「ここに来たのは偶然だよ。私の方も収録が予定されていたが、少しトラブルが起きてしまってね。空いた時間が出来たので様子を見に。ああ、私はサイラオーグ卿のアドバイザーをしているんだ」

 

 若手悪魔最強と評されているサイラオーグ。そのサイラオーグに助言を送れる立場。リアスたちに置き換えれば、アザゼルと同等以上の知識と力を持っていると考えられる。

 魔王以外でそこまでの力を持つ者は決して多くは無い。何よりその身から放たれる威厳。着飾っていないというのに荘厳に見える。上に立つ者が持つ他者を引き寄せる引力、所謂カリスマと言われるものを感じた。

 

「彼は優秀な『王』。勿論、一選手としても素晴らしい。あまり若い悪魔に荷を背負わせるのはいけないとは思うが、ついつい期待をしてしまうよ」

 

 サイラオーグを褒めつつもその未来に憂う。だとすると少し疑問が湧く。何故リアス・グレモリーのインタビュー会場に来ているのか。サイラオーグのアドバイザーならサイラオーグの方に向かう筈。ここでインタビューを受けるのはリアスとその眷属のみの筈である。

 

「少々恥ずかしい話だが、本当はサイラオーグ卿たちのスタジオに行く予定だったんだ……スタジオを間違えてしまった」

 

 湧いた疑問に察し、苦笑しながら先に答えてくれた。

 

「とは言ってもリアス・グレモリー嬢たちも前々から気にはなっていた。彼女の眷属たちもね」

 

 男はリアスたちに視線を走らせる。その眼差しは眩いものを見るかの様に細められていた。

 

「最近は優秀な若い悪魔たちが多い。私としてもそれは喜ばしいことだ。まあ、転生悪魔がレーティングゲームで名を上げることに渋い顔をする方々も居るが、転生も純血も関係無く競い合い、己を高めていくことこそレーティングゲームの理念だと私は思っている」

 

 熱く語るその顔を思わず凝視してしまう。レーティングゲームに深い造詣を持つことが良く伝わってきたが、ならばこそこの人物は誰なのかという疑問が強まる。

 

「――ああ、そういえばまだ名乗っていなかったね」

 

 少し唐突な自己紹介。シンは、誰だという考えが僅かだが表情、あるいは目に滲み出ており、それを悟られたと思った。

 

「私の名はディハウザーだ。君の名前はちゃんと知っているよ。間薙シン君」

「――ディハウザーさん、ですか……」

 

 ディハウザーの方はシンを知っていたが、シンの方はディハウザーの名を聞いてもピンとはこなかった。有名なのは間違いない筈なのだが、冥界の事情に疎いせいで記憶を辿ってもディハウザーの名が出て来ない。

 折角名乗った相手に対し無反応に等しいシンの対応。しかし、ディハウザーは気分を害した様子は無く、爽やかな笑みを浮かべ続けている。

 

「『誰だろう』と今思っていたね?」

「……すみません」

 

 思わず謝るが、ディハウザーは手を振り、気にしないでくれと笑う。

 

「いやいや、知らなくても構わないよ。寧ろ、君にとって私の名が『無価値』であった方が、変に畏まる必要が無くなるから良い」

 

 この場では対等に接することを望むディハウザー。シンもそれに付き合うことにする。

 

「収録が終わるまでまだ時間は在る。もう少し話せるかな?」

「何を話しますか?」

「そうだね……君のレーティングゲームの話を聞かせてくれないか? 観覧している側ではなく、実際に行っている者から見たレーティングゲームの内容は、中々興味深いものだ」

「なら――」

 

 シンが最初に語るはライザー・フェニックスとのレーティングゲームの内容。シンの視点から見たそれを詳細に語っていく。ゲーム開始前から開始するまでの話、ゲームが始まり、最初に相手をリタイヤさせたときの話、追い詰められながらも逆転したときの話、そして最後に自分がリタイヤするまでの話。時折、ディハウザーからの質問に答えながら淡々と語っていく。

 ディハウザーはそれを終始真面目な表情で聞き続けていた。

 

「――以上です。まあ、説明不足な点もあるかもしれませんが」

「面白い。とても興味深かったよ。君や、君から見たメンバーの反応に初々しさを感じるね。私が初めてレーティングゲームを行ったときのことを思い出す。気持ちでは誰にも負けないつもりだったが、中々それを戦いと嚙み合わせるのは難しい」

 

 満足そうに頷くディハウザー。その閉じた瞼の裏には、かつての光景を映し出しているのかもしれない。

 

「もう少し話を――と言いたいところだが、そろそろ収録も終わるみたいだ」

 

 ディハウザーの言う通り、インタビュアは既に全員から話を聞き終えて、締めの挨拶をし始めている。

 

「一足先に楽屋に向かわないかい? 君はリアス・グレモリー嬢に用があるだろうし、私もサイラオーグ卿と少し話したいことがある」

 

 シンはディハウザーの提案に従うことにし、会場から離れることにした。ピクシー、ジャックフロスト、ケルベロスに声を掛ける。

 

「はーい。って、あれ?」

「ヒホ?」

 

 ディハウザーの存在に今気づいたピクシーとジャックフロストの反応は呑気なものであったが、ケルベロスの方は静かに牙を剥いている。見知らぬ相手にこれ程まで気付かれることなく接近を許したことで、即座に警戒態勢となっていた。

 三人の異なった反応を興味深そうに見るディハウザー。シンはピクシーたちにディハウザーを軽く紹介しつつ、ケルベロスに警戒を解くよう宥める。

 一応シンの言うことを聞き、ケルベロスは牙を剥くのを止めて構えを解く。ただし。あくまで表向きに、である。内心では未だに警戒し続けており、漏れ出すひりつく気をシンは肌で感じていた。

 

「その反応、そこの二人は中々の大物だね」

「呑気なだけです」

「そして、未だに気を緩めていない君も賢い忠犬だ」

「トウゼンダ」

「おや、喋れるのかい?」

 

 ケルベロスをただの魔獣と思っていたディハウザーは、言葉を発したことに軽い驚きを見せた。

 

「君の使い魔たちは個性的だね。興味をそそられる」

「変わり種の仲魔なだけですよ」

「仲魔、かい?」

 

 使い魔という言葉を訂正するつもりで言った訳では無い。無意識につい飛び出てしまう。最早癖の様になってしまっていた。

 

「君にとって彼らは僕ではなく対等な関係という意味かい? 成程。悪魔という立場からすれば異端な考え方だが、個人的には好ましい考え方でもある」

 

 言葉とシンとピクシーたちの間に流れる独特の空気から、瞬時にシンが言う仲魔がどんなことを指すか大凡理解してしまった。

 ディハウザーの聡明さが際立つ。

 

「と、いけないいけない。つい話し込みそうになってしまった。私から言っておいて足止めさせて申し訳ない。今度こそ楽屋の方に向かおうか」

 

 振り返り会場から去るディハウザーの後を追い、シンたちも会場を後にした。

 

 

 ◇

 

 

 インタビューの会場は上層階なのでエレベーターを使用し下層に降りる。その間、ケルベロスは相変わらずディハウザーを警戒していたが、ピクシーとジャックフロストは色々とディハウザーに話し掛けていた。

 幼児の扱いに長けているのか、ディハウザーは嫌な顔一つせず、二人との会話を弾ませ愉しんでいる様にも見えた。

 やがてエレベーターは目的の階に止まる。

 扉が開くと直線の通路。その途中で左に曲がる通路がありT字の形となっている。リアスたちの楽屋はこの通路を真っ直ぐ行った先にある。

 誘導する様にディハウザーが先を歩いていく。

 直進し、左に曲がる通路の前を通り過ぎようとしたとき、一瞬だけ視界に見覚えのある人影を捉えた。見間違いかと思いつつ足が反射的に止まってしまったので、確認の為に左の通路を見た。

 

「……何で居るんだ?」

「それはこっちの台詞だ」

「まあ! 間薙様。偶然ですわね」

 

 シンの顔を見るなり顔を顰める男――ライザー。表情を輝かせる少女――レイヴェル。フェニックスの兄妹が対照的な表情をしていた。

 

「ここにいらっしゃるということは、間薙様も取材に? 今度のレーティングゲームはリアス様の眷属としてご出場なさるのですか?」

 

 大きめのバスケットを持ったレイヴェルが興奮した面持ちで詰め寄ってくる。

 前回のレーティングゲームでシンたちの戦いに感動したそうなので、次のレーティングゲームにも強い期待をしているのが見て取れる。故に、シンは彼女にとって失望させることを今から言わなければならない。

 

「――いや出ない。多分、今後も……」

「そう、なのですか……」

 

 『何故?』『どうして?』などの言及はせず、シンの言葉をレイヴェルは素直に受け取っていた。しかし、ショックは隠し切れず先程までの輝いた表情は見る影も無く曇ったものとなった。

 そのせいでライザーが刺殺しそうな程の目付きでシンを睨み付けている。

 

「足を止めさせて申し訳ありませんでした。何処かへ向かう途中だったのでしょう?」

 

 沈んだ気持ちのまま、ぎこちない笑みをレイヴェルは無理矢理浮かべた。見ていて痛々しい気持ちになる。

 自分でこの様な顔にさせた挙句、このまま去るのは流石に薄情が過ぎる。かといってどう返すべきか、良い言葉など咄嗟には思いつかない。

 

「それは――」

「何かあったのかい?」

 

 立ち止まっているシンに気付いて戻って来たディハウザーが、シンに声を掛ける。ライザーたちから見て、曲がり角から突然顔を出す格好となる。

 

「エ――」

 

 ディハウザーの顔を見た瞬間、レイヴェルの顔が悲しみから一転し驚きへ。ライザーの怒りの表情も瞬時にレイヴェルと同様のものとなる。

 

皇帝(エンペラー)ベリアルッ!?』

 

 声を揃え、叫ぶ様にディハウザーをその名で呼んだ。

 

「皇帝?」

「ベリアル?」

「呼ばれ慣れた名のつもりだったが、そんな風に言われると少々照れ臭いものがあるね」

 

 同じく様子を見に来たピクシーとジャックフロストが小首を傾げながら、ライザーたちが叫んだ名を呟くと、ディハウザーは少し恥ずかし気に笑う。

 ベリアル。グレモリーとシトリー、フェニックスと同じく七十二柱に名を連ねる悪魔の名。詳細を知らない一般人でも一度は聞いたことのある有名な名である。

 ディハウザーが高名な悪魔の名を継ぐ存在だったことに驚く。しかし、新たな疑問も生まれた。

『皇帝』とは一体何を意味を指すのか。

 

「お会い出来て光栄です。皇帝ベリアル殿」

「お初にお目にかかります」

 

 取り乱したのは刹那のこと。高貴な出であったライザーとレイヴェルはすぐに背筋を伸ばし、落ち着き払った動作で優雅に挨拶をする。だが、その顔には隠し切れ無い緊張の色があった。

 

「ライザー・フェニックス卿にレイヴェル・フェニックス嬢だね。君たちとこの様に言葉を交わす機会は思い返せば無かった」

 

 ディハウザーもまた威厳に満ちた態度でそれに応じる。同じ上級悪魔だというのに、明確な格というものが感じられる。

 

「君たちは何故ここに――ああ、そういえばこのテレビ局にはフェニックス家の」

「はい。我が次兄の番組があります」

「ならば差し入れかな?」

 

 ディハウザーの視線がレイヴェルのバスケットに向けられる。

 

「え、ええと。そ、その。そうとも言いますか……」

 

 問われてレイヴェルがしどろもどろになる。それを見てシンは察する。バスケットの中身は一誠に差し入れする為のものであると。

 

「ところで話は変わりますが、ベリアル殿は何故その男と一緒に行動を?」

 

 見兼ねてライザーが助け舟を出す。尤もライザー自身、そのことが気になって仕方なかったという理由もあった。

 

「彼とは会場で偶々出会ったんだ。前のレーティングゲームで注目をしていたので、何かの縁と思って少し会話もね。今は一緒に楽屋に向かっている所だ。私はサイラオーグ卿に、彼はリアス嬢に用があるので」

「そうなのですか……」

「イッセー様ッ! じゃなくて! リアス様たちの楽屋に向かっているのですか!?」

 

 ディハウザーの説明を聞き、その部分に喰い付くレイヴェル。

 

「ん? ――ああ、成程。良ければ君たちも一緒にどうだい?」

 

 レイヴェルの反応で大体のことが分かってしまったのか、ディハウザーが気を利かせてライザーたちを誘う。

 

「よ、よろしいのですか!」

「君たちと、彼が良ければ」

 

 ディハウザーがちらりとシンの方を見る。

 

「構いませんよ」

 

 シンはあっさりと首肯する。

 

「なら行こうか」

 

 更に同行者を二人増やして楽屋に向かう。

 

「ところで」

「何だ?」

 

 その道すがら、シンは気になっていたことをライザーに聞こうとする。

 

「『皇帝』ってどういう意味だ?」

「はあっ!」

 

 意味を聞いた瞬間、質問の意味が理解出来ないといった声を上げ、信じられないものを見るかの様な顔付きとなる。

 当然その声に驚いてディハウザーたちが足を止めるが、それに気付かずライザーは捲し立てる様に怒涛の言葉をシンに向けて吐き出す。

 

「知らずに一緒に居たのか! この間抜け野郎が! 皇帝ってのはな! ディハウザー・ベリアル殿だけが呼ばれることの許される称号なんだよ! 馬鹿野郎! レーティングゲームランキング第一位にして他を寄せ付けない圧倒的にして最強の王者! レーティングゲームの世界に携わる者ならルールと同じぐらい知っていて当然の存在なんだよ! 覚えておけ! 無知野郎!」

 

 罵声を交えながらも一応説明をしてくれた。しかし、これ程ライザーが過剰に反応することはシンにとって意外であった。無知に対する怒りというより、ディハウザーを尊敬していることの方が伝わってくる。

 

「レーティングゲームにはあまり興味無いんだが……」

「それでも知っておけ! 常識と同じだ! 非常識野郎!」

 

 理不尽な罵倒であったが甘んじて受け入れることとした。下手に言い訳をしたら話が長引きそうなので。

 ディハウザーが何者かを知って色々と納得した。リアスの目指しているレーティングゲーム上位。その頂きに座すのがディハウザーである。他の悪魔と一線を画す存在感は、それを証明しているかのようであった。

 

「説明ありがとう」

「あ、申し訳ありません。勝手な真似を」

「こういうことは自分で説明するのは気恥ずかしいからね。誰かが言ってくれて助かったよ」

 

 声を掛けられ、ようやくディハウザーたちが自分たちを見ていることに気付き、我に返り先程までの激しい態度を一転させ大人しく謝罪しようとするが、ディハウザーは笑ってそれを止めた。

 

「だが、彼を責めないでほしい。彼との会話の中で知ったが、彼が冥界に足を運ぶ様になったのはここ最近のことだ。知っていなくてもおかしくはない」

「それは……そうかもしれませんが……」

「私を慕ってくれる気持ちはとても嬉しいがね。しかし、友人も大切にしなければいけないよ?」

「友人? まあ、その……あの……えーと……はい」

 

 否定したいところだが、ディハウザーの言葉を否定する訳にもいかず、迷った挙句苦渋の決断の様にそのことを認めた。

 

「ここに居られましたか」

 

 聞く者の足を止めさせる覇気のある声。この声の主をシンは知っている。

 

「サイラオーグ卿。どうしてここに?」

「ベリアル殿がスタジオの方に来ていたという話を聞いたので」

「私を探しに? 手を煩わせてしまったようだね」

「とんでもない。これは俺の単なる自己満足です」

 

 ディハウザーを迎えに、サイラオーグが現れる。

 

「それにしても――」

 

 サイラオーグの目線がシンたちに向けられる。

 

「まさかここで会うとは……」

 

 意外な場所で意外な人物たちに会ったと目が語っている。

 

「こうやって話すのは初めてかな? サイラオーグ・バアル卿?」

「いずれはレーティングゲームでと思っていたが、一足先の挨拶だな。ライザー・フェニックス殿」

 

 いつぞやのライザーとサイラオーグ、どちらが強いのかという話を思い出す。

 片やレーティングゲームで名を上げ始めていた者。もう片方はこれからが期待されている若手悪魔。

 いつかは戦い合う両者。意識しない筈が無い。

 

「最近はレーティングゲームに参加しないので体調不良の噂が出回っていたが……その姿を見るにデマの様だ」

「少し前まで不調だったのは事実だ。レーティングゲームに復帰するのもそう遠くは無い」

「それは楽しみだ」

 

 好戦的な笑みを浮かべる二人。心なしか周囲の温度が上がり、見えざる圧力に息苦しさを感じさせる。

 

「二人の対戦も実に楽しみだが、二人とも少し落ち着こう」

 

 戦意を昂らせる二人に、ディハウザーの言葉が飛ぶ。その言葉だけでこの空気は払拭された。

 

「申し訳ありません。つい」

「そうなる気持ちは分からなくも無いがね」

 

 素直に頭を下げるサイラオーグの肩を、ディハウザーは二度軽く叩きながら共感を示す。

 サイラオーグは頭を上げると、今度はシンを見る。

 

「会うのは二度目だな」

「どうも」

「リアスから聞いている。どうやらもうレーティングゲームには参加しないみたいだな?」

「まあ、そのつもりです」

「惜しいな。一度手合わせをしたいと思っていたが」

 

 サイラオーグの精悍な顔が曇る。知らずのうちにかなり評価をされていた様子であった。

 

「だが、もしかしたら気が変わるかもしれない。その時が来ることを期待しておこう」

 

 しかし、直ぐにそれを晴らし前向きな考え方を見せる。

 

「ところで、サイラオーグ卿――」

 

 何かディハウザーが言おうとするが途中で止まる。そして、申し訳無さそうな表情をシンたちに向けた。

 

「すまない。どうやら私の方のトラブルがもうすぐ解決するようだ。間も無くテレビの撮影が開始される。私はそちらに向かわなければならない」

 

 念話で状況を送られていたらしい。

 

「私の方から誘っておいて、すまない」

「お気になさらず」

 

 謝るディハウザーに、シンは気を害していないことを告げる。ライザーとレイヴェルも、シンと似た様なことを言っていた。

 

「では皆、ここでお別れだ。サイラオーグ卿、後でまた連絡を入れる」

「分かりました」

 

 ディハウザーは一礼し、来た道を戻っていく。最初から最後まで一分の隙も無い動作。王者という言葉がこれほど似合う存在はそうは居ないだろう。

 

「バイバーイ!」

「またホー!」

 

 去っていくディハウザーにピクシーとジャックフロストは手を振る。ディハウザーは一度だけシンたちの方を見ると、微笑み、小さく手を振りながら去っていった。

 

「はあ……」

 

 ディハウザーの姿が消えるとレイヴェルが小さく息を吐く。緊張からの弛緩から思わず漏らしたものであった。

 

「まさに皇帝、だな」

 

 いつかは戦うべき相手に、ライザーは自然と闘志を燃やす。

 

「サイラオーグさん。この後は?」

「俺はこのまま帰るつもりだ。まだ他に予定がある」

「そうですか。じゃあ、ここで」

「ああ。また会おう」

 

 シンは別れの言葉を言うとサイラオーグに背を向ける。レイヴェルは優雅に一礼し、ライザーはふてぶてしい態度で『またな』とだけ言い残す。

 去っていくシンたちの背中を見つめるサイラオーグ。正確にはシンの背を見ていた。

 無防備な背中。サイラオーグは脳裏に、その背に向け拳を構える己を想像する。

 構え、引き絞り、それが限界に達し、撃ち貫く様な拳を放つ自分を幻視した時――

 

「ッ!」

 

 自分の肩越しに、サイラオーグを見るシンと目が合った。サイラオーグは何一つ構えなどとっていない。しかし、僅かに漂う殺気の様なものを敏感に嗅ぎ取られていた。

 感情が見えない瞳を向けられ、サイラオーグは口の端を歪めて笑う。

 シンは何か言うことはなく、視線を正面に戻した。

 離れていく背を見て、サイラオーグは思わず呟く。

 

「やはり勿体無いな……」

 

 

 ◇

 

 

 冥界の取材があった翌日。シンはいつも通り学校に向かっていた。

 無事冥界から戻って来た――という訳では無く、レイヴェルがリアスたちの楽屋に入ったら運悪く一誠が扉から出てきて、咄嗟のことで対応出来なかったライザーが立ったまま気絶したり、それを誤魔化す為に暴れたり、その騒ぎに乗じてピクシーたちが姿を消したりなど、戻って来るまでにひと悶着あった。

 ピクシーたちのことについては、念話を飛ばしても返事はせず、暫く探した後召喚して呼び寄せようとしたときに何食わぬ顔で帰って来た。シンが何処に行ったのか言及するもピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンはニヤニヤと笑うだけ。対照的にケルベロスの方は終始不機嫌そうに沈黙していた。

 その日の授業も何事も無く終わり、一誠らと共にオカルト研究部部室に向かう。

 イリナもそれに同行していた。同好会がクラブに昇格し本格的な活動が行えるようになるまでの間、生徒会だけでなくオカルト研究部の手伝いもすることとなった。イリナ曰く、地道な実績積みらしい。

 

「ちーすっ……あ」

 

 先頭でオカルト研究部部室に入った一誠が挨拶をした後、入口前で立ち止まる。

 不審に思い、シンたちが隙間から覗き込む。

 

「よお」

 

 リアスたちの居ない部室で、マダがソファーに腰掛けてくつろいでいた。偽装用の人の姿では無く、阿修羅としての姿なので、その重みでソファーが大きく変形している。

 

「マダ師匠! 久し振り――」

『貴様ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!』

 

 一誠が言い終える前にドライグの怒号が部室内に響き渡る。

 

「何だよ。静かにしろぉ。ご近所迷惑だろうが」

『よくも俺の前にのこのこと姿を見せたなぁ! 貴様のせいで! 貴様のせいで俺はなっ!』

「俺はしょぉぉじきに答えただけだぜぇ? そこからどうなるかなんて俺でも分からないっつーの」

 

 怒りのままに吼える様に叫んでいたドライグであったが、いきなりトーンダウンする。

 

『き、貴様のせいで……ほ、誇り高き二天龍の名が……赤龍帝の名が……』

「おっぱいドラゴンと乳龍帝だもんなぁ?」

『う、うお、うおおおおおおおおおんっ……』

 

 新たに付けられた二つの異名を出され、ドライグは耐え切れなくなり宝玉の中で泣き始める。

 

「ド、ドライグ! 大丈夫! 大丈夫だから! 一時的な流行りみたいなものだって!」

「そ、そうですよ! 私たちはドライグさんがカッコイイことは知っていますから!」

「まだ赤龍帝の名の方が有名だ。だから安心してくれ」

 

 一誠、アーシア、ゼノヴィアが泣き止まそうとドライグを励ます。

 

「おっぱいドラゴン? 乳龍帝? 何それ?」

「……取り敢えず今はそれについて掘り下げないでやってくれ」

 

 事情を知らないイリナがシンに聞いてきたが、丁寧に説明するだけでドライグの心の傷を深く抉ることになるので、後にするように言う。

 

「子供ってのは本当に的確で残酷なあだ名を付けるよなぁ? 最初に言い出した奴に、個人的に何か賞をあげてぇなぁ」

『うぐお……他人事の様に……何か俺に怨みでもあるのか?』

「ああん? 昔殺し合ったことを未だに根に持っているって言いてぇのか? 見損なうなよ。戦いの遺恨なんざ生まれてこの方持ったことすらねぇよ」

 

 さらりとマダが言ったが、聞き逃せない言葉が含まれている。

 

「え! 師匠とドライグの間にそんなことがあったんですか!」

 

 何かしらのいざこざはあったかもしれないと思っていた一誠であったが、そこまで殺伐としたものとは思っていなかった。それを聞くと、今の様に普通に話し合っている関係が不思議に思えてくる。

 

「因みに結果は?」

「今もこうして喋っているのが答えだと思え」

 

 勝敗については引き分けと言いたいらしい。詳細を知りたかったが、マダとドライグの会話がヒートアップしていくせいで入る余裕が無い。

 

『だとしてもだ! 結果的に見ればお前のせいで俺にとんでもない忌み名が生まれたんだぞ!』

「いいじゃねぇか。俺はもっとこの名が広がれば良いと思っているぜぇ」

『き、貴様……!』

「皆から親しまれる立派な名だろうが。俺はな、二天龍や赤龍帝の名を否定する気はねぇが。その異名は、少し怖がられ過ぎていると前々から思っていたんだよ」

『な、何を急に……』

 

 いきなり口調を変えるマダに、ドライグは戸惑う。

 

「強い名前ってのは悪くねぇ。だがな、強さにも種類ってのがあるんだよ。憧れる強さ、畏怖する強さってな。ハッキリ言うとな、ドライグ。お前の強さってのは後者だ。他人を寄せ付けず、触れさせず、独り高みに昇っていく強さだ。考えてみろよ? 三勢力巻き込んで自分の戦いを優先する様な奴だぞ? どんな危険なドラゴンか分かったもんじゃねぇ」

『むぅ……』

 

 言っていることが事実な為、ドライグも下手に反論出来ない。

 

「お前一人がその強さを貫くってのなら止めはしねぇ。だがな、お前の強さは今、そいつの強さでもあるんだよ」

 

 マダが一誠を指差す。

 

「そいつは独りになる強さを目指している訳じゃないってのは知ってんだろ? 相棒なんだしな。そいつががむしゃら突っ走って生まれた名なんだ。お前の強さが変化してきた証だろう? 畏怖されるんじゃなく親しまれる強さに近づいた証拠だ。相棒だったら少しは認めてやれよ」

『それは……』

 

 マダの考えにも一理あると思ってしまい、ドライグは即座に否定は出来なかった。

 

「マダ師匠。ドライグのことをそんなにも思っていたなんて……」

 

 かつては敵対関係にあった相手の将来を親身に思い、熱く語るマダに一誠は感動する。自分以上にスケベな上に、女ったらしで大酒飲みでいい加減で暴力的で容赦も慈悲も無い性格だと思っていたが、戦友もとい好敵手思いの一面があるとは知らなかった。

 

『そこまで言うのなら、まあ……少しは認めてもいいが……』

 

 不満はあるが相棒の為に妥協の姿勢を見せる。

 

「――おしっ!」

 

 するとマダがいきなり拳を握り締め、ガッツポーズをとる。急にそんなことをするマダに皆の視線は一斉に怪訝なものへと変わった。

「これでおっぱいドラゴンも乳龍帝もドライグ公認となったわけだなぁ?」

 

 そう言ってマダは腕の一本を一誠たちの方に向けた。大きな手に隠れて気付かなかったが、その手に何か握られている。

 マダがその手を軽く握ると――

 

『そこまで言うのなら、まあ……少しは認めてもいいが……』

 

 先程のドライグの台詞が聞こえてきた。テープレコーダーの類を隠し持っていたらしい。

 部室内に沈黙が流れる。

 

『そこまで言うのなら、まあ……少しは認めてもいいが……』

『そこまで言うのなら、まあ……少しは認めてもいいが……』

『そこまで言うのなら、まあ……少しは認めてもいいが……』

『そこまで言うのなら、まあ……少しは認めてもいいが……』

 

 繰り返し流されるドライグの台詞。

 

「あ、あの?」

「何だ?」

 

 一誠が恐る恐る質問する。

 

「か、勘違いかもしれませんが、もしかして、さっき言っていたこと全部ドライグからその言葉を引き出させる為の……?」

「うん」

 

 躊躇なく頷くマダに全員絶句してしまう。

 そのとき、この場に居る皆が何かが千切れる様な音を聞いた気がした。

 

「あら? もう皆来て――」

『ガアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!』

「――ど、どうしたの!」

「な、何事ですか!」

 

 このタイミングで部室に入って来たリアスと朱乃は、旧校舎を揺さぶる様なドライグの激怒の叫びを聞かされ面食らう。

 

『アガアアアアアアアアアア!』

 

 荒ぶる己の左腕を、一誠は必死に取り押さえる。

 

「ド、ドライグ! お、落ち着け!」

『コロセアイボォォォォォ アイツヲコロセェェェェぇ!』

「無理無理無理! 返り討ちに合う!」

 

 完全にキレてしまったドライグに、一誠の声は届かない。

 

「おいおい。何を興奮しているんだ? おっぱいドラゴン。鎮まれよ乳龍帝。 ああ、そうか。大好物のおっぱいが切れたか? ほーら。あそこに大好きなおっぱいが大中小と並んでいるぞー」

 

 マダがリアス、ゼノヴィア、アーシアを指差す。火に油を注ぐでは済まされない挑発に、ドライグの怒りは燃え上がるどころか爆発した。

 

『――――――――――――ッ!』

 

 これが本気のドラゴンの叫びと言わんばかりの大声量。窓ガラスや壁が震え、天井から埃が落ちてくる。

 一体どうすればドライグの怒りを収めさせることが出来るのか、皆が頭を悩ませているとき、救世主が現れる。

 

「騒がしいぞ。部室の外にまで聞こえさせて、何してんだ?」

 

 アザゼルが部室内に入って来る。左腕に振り回されている一誠。笑うマダ。困った表情をしている他のメンバーを見て、アザゼルは呆れた表情を浮かべた。

 

「また何かやったのか」

 

 騒ぎの原因がマダであると的確に見抜いたアザゼルは、面倒くさそうに後頭部を掻きながらマダへと近付く。

 

「おいおい。いきなり親友を疑うなよ。傷付くぜぇ……」

「白々しい台詞だなぁ」

 

 ショックを受けて肩を落とすマダだが、アザゼルはそんな三文芝居に付き合うつもりはなく、ある距離まで接近するとアザゼルの右腕が一瞬消え、次に現れたときにはその手にマダが持っていた筈のテープレコーダーが握られていた。

 

「あっ」

「珍しいモン持っているじゃねぇか。ホラ」

 

 テープレコーダーを一誠に向けて放り投げる。

 

『グオオオオオ!』

 

 宙に放られたそれを一誠の左手が掴み取り、そのまま握り潰してしまう。

 

「あーあ。折角俺が計画した『乳龍帝百年計画』の第一歩だったのに」

「どんな計画かは知らんが、ろくでもない計画なのは分かった」

 

 残念そうに肩を落とすマダであったが、テープレコーダーを奪われた際にそれを必死になって取り返そうとしなかった所を見ると、本気では無かった模様。アザゼルは、いつもの悪ふざけだと思っていた。

 

「全く。お前は騒ぎの原因にしかならんな」

 

 アザゼルが一誠たちの様子を横目で見る。

 

「ほら、ドライグ! もうお前を怒らせるものは無いぞ!」

『グルルルルルル!』

 

 人語を忘れて唸り続けるドライグ。その唸り声が向かう先には在るのは、当然マダの存在。

 

「何か用があって来たのかは知らんが、もう帰れ、お前。騒ぎが増える前に」

 

 手を振り、追い払う仕草をする。

 

「えー」

「えー、じゃねえよ。どう見ても長居出来る状況じゃねえだろうが。不満なら、今度は余計なトラブルを起こさない様に謙虚に振る舞うんだな」

 

 不満を洩らすマダに対し、アザゼルは突き放す言葉を掛ける。

 

「へえへえ。分かったよ」

 

 それ以上粘ることはせず、マダはアザゼルに応じて扉へと向かって行き、引く意思を見せた。

 人用の出入口を、体を縮めて窮屈そうに通って部室の外に出る。

 

「じゃあなー」

 

 マダの巨体が壁の向こう側に消え、皆が安堵の息を吐いた瞬間、突如マダの手だけが現れ、出入口の縁を掴む。あまりに絶妙なタイミングのせいで見計らったかのではないかと疑ってしまう。

 

「……何だよ」

「一つ聞き忘れたことがあったな」

 

 掴んでいた手の指が一本だけ上がる。

 

「次のレーティングゲームは何時なのか聞いてなかった」

「来る気なのか?」

「そりゃあ、色んな意味で可愛がっている弟子の戦いを見ない師匠なんて居ないだろう?」

 

 上げられた指が左右に振られる。姿を見せない代わりに、手だけがやたら感情豊かに動いている。

 

「一回見れば満足するかと思ってたぜ。お前、飽き性だしな」

「面倒見は良いって評判なんだぜぇ」

「初耳だぞ、それ」

 

 ピースサインをするマダの手。いつもの冗談だと思い、アザゼルは本気にしなかった。

 

「まあいいや。五日後だ。今度のレーティングゲームは、な」

 

 その言葉に、オカルト研究部員全員の目がアザゼルへと向けられる。

 

「そうか、分かった。五日後だなー」

 

 外に居るマダは、それに気付くことなく指を五本立て、そのまま手を振って呑気に別れの挨拶をする。

 

「遅れるなよ」

「へいへい」

 

 今度こそ本当にマダは去っていく。

 足音が遠ざかっていく中、誰もが抱いた疑問を一誠が真っ先に聞こうと口を開く――が、それを察したアザゼルが、先手を打つように口の前で人差し指を立て、黙っているよう指示する。

 それから数分間、オカルト研究部内に沈黙が流れ続けた。

 やがて、完全にマダの気配が消えたことが分かったのか、アザゼルが場の沈黙を破る。

 

「もういいぞ」

「先生、一体どうしてマダ師匠にあんな嘘を?」

 

 一誠の口から滑り出る様に疑問が飛ぶ。

 アザゼルがマダに伝えた日数はでたらめなものであった。五日後では若手悪魔たちのレーティングゲームは終わっている。

 

「訳あって今回のレーティングゲームにはあいつは呼べない。冥界の方もそれが分かっているから、選手や関係者以外にはレーティングゲームの日程は教えていない。だから、絶対にお前らも洩らすなよ?」

 

  いつもよりも念が込められた眼光に、一誠たちは頷くしかなかった。

 

 

 ◇

 

 

 明日の夜にはレーティングゲームが始まる。リアスなどは緊張を表情に出さないものの、ピリピリとした空気を放っているのが分かる。

 逆にギャスパーは緊張を隠すことが出来ず常時体を震わせていたが、周りはいつものことだと特に気にしていない様子であった。

 そして、もう一人。レーティングゲームが迫り、重い溜息を吐く者が居た。

 

「はあ……」

「憂鬱そうだな」

 

 目の前で溜息を吐く一誠に、シンは買ってきた缶コーヒーを手渡す。

 今は昼休憩の時間であり、食事を簡単に済ませると一誠の方が話したいことがあると呼ばれ、屋上付近の階段に連れてこられた。

 

(そういえば前にもここに来たな)

 

 まだ魔人の力に目覚めていないときであり、シンと一誠が顔見知り程度の間柄のときのことである。

 

「ちょっとな……レーティングゲームが近付いているせいか、夢見が悪いんだよ」

「嫌な夢でも見たのか?」

「……ああ、とびっきり最悪なのをな」

「内容は?」

「……アーシアがあいつに取られていく夢だよ」

 

 口に出すのも嫌なのか、表情を顰めると気分転換でもする様に手渡された缶コーヒーを一気に飲み干し、その表情を今度は苦々しいものへと変えた。

 

「……また無糖かよ」

「最近甘ったるい思いをしているお前には丁度良い」

 

 冥界でソーナとのレーティングゲームが終わった後、一誠に小猫が懐く姿を度々見る様になった。膝の上に座るなどのスキンシップをしている。尤もシンが来ると恥ずかしがって飛び退いてしまうが。

 小猫は一誠を異性として意識しているが、シンには父性を意識しているようであった。シンの前では流石にベタベタと触れる真似が出来る程図太くは無いらしい。

 小猫が積極的になったことで、相乗効果としてリアス、朱乃、アーシア、ゼノヴィアも積極的に行動する様になった。何時ぞやの体育倉庫の件などがいい例である。

 通常の男ならば泣いて喜ぶ様な展開。だが、当の本人はというと――

 

「甘ったるいって……何が?」

 

 自分の境遇に無自覚。リアスたちの好意も、可愛がられている、頼られている、懐かれているという認識に変換されている様であった。

 鈍いと言えば鈍いが。ここまで来るとある種の卑屈さを感じてしまう。自分なんかがモテる筈が無いという後ろ向きな考えを常に持っているのではないかと思ってしまう。

 いっその事、『皆、お前のことを異性として好きなんだ』と言ってしまえば色々な意味で全てが終わるだろうが、そこまでいくと不粋という言葉では片付けられないことになってしまう。

 

「――まあ、いい。気にするな。話を戻そう。その悪夢がどうした?」

「う、ううん? ……分かった」

 

 これ以上この話題を続けても何も進展しないと思い、さっさと切り上げる。一誠は微妙に納得出来ていなかったが、本題を優先することにした。

 

「……俺はさ、アーシアを絶対にあいつなんかには渡さないつもりだ。どんな強くても絶対にだ。でも、それでも、嫌でも万が一のことを考えちまう」

 

 誓った言葉にも想いにも噓偽りは微塵も無い。しかし、不安というものは完全に拭い切れるものでは無い。

 

『禁手に至ってもまだ不安か?』

 

 弱音を洩らす一誠に、ドライグが問う。だが、声色に責めているものは感じられない。

 

「そうだな……それでもまだまだダメだって感じる」

『ふっ』

 

 素直に答える一誠。返ってきたドライグの反応は笑い声であった。

 

「何だよ。折角、禁手になってもこんな風に思っているのがおかしいか?」

『そうじゃないさ』

「逆だ。禁手が出来ても、そのまま胡坐をかくことなく強くなりたいと思っていることに安心したんだろ?」

「そうなのか?」

『……どうだかな』

 

 それだけ言ってドライグは引っ込んでしまった。一誠には、正確に内心をシンに見抜かれて照れた様に感じられた。

 

「あれこれ不安に思うのは別におかしいことじゃない。当然のことだ。何も感じないより遥かにましだ」

「そうか? そうなのかー?」

「そういうことにしておけ」

「強引だなぁ。ははっ」

 

 不安が完全に払拭された訳ではないが、誰かに聞いてもらったこと、不安を抱えている自分を肯定されたことで、一誠はこのことを話す前よりも気持ちが軽くなった気がした。

 

「というか、俺じゃなくても素直にリアス部長たちに話しておけば良かったんじゃないか? 弱音吐いてもきっと受け入れてくれる」

「いや、間薙が物凄く口が堅そうに見えるってのがあるけど、……やっぱ女子の前で男としてあんまり弱さを見せたくないというか、カッコよくありたいというか……」

「俺は、お前のことをカッコイイとは一度も思ったことが無いがな」

「酷いな! おい!」

 

 さらりと言われた台詞に、軽くショックを受ける。

 

「色々と予想は出来ないが、何だかんだで頼りになるとは思っている」

「え! いや、まあ、その、なあ、うん……」

 

 続いて言われた思いがけない台詞に思いっきり照れてしまい、上手く返事が出来ない。一誠も、シンに対して対抗心と共に敬意も持っているので、そんな相手から褒められると照れと喜びの感情が湧き、それが中々消化出来ない。

 

「やっぱりカッコよくは無いな。寧ろ気色悪い――」

「しみじみと言うな! しみじみとっ!」

 

 赤面している一誠を見てのシンの感想に、湧いていた感情も一気に吹き飛ぶ。

 

「全く……でも、少しスッキリした。悪いな、愚痴って」

「気にするな」

 

 会った時から変わらないクールなシンの反応に苦笑しつつ、こういう常に冷静な態度だからこそ信頼出来るのだと一誠は実感する。

 これでこの話も終わりかと一誠は思った。

 

「……お前の不安とは違うが、俺も今回のことで少し懸念していることがある」

「お前も?」

「相手が大人しく引き下がるか、ということだ」

「それって、レーティングゲーム以外で仕掛けてくるかもしれないってことか?」

「そういうことだな」

 

 シンはディオドラに対しきな臭いものを感じていると同時に、アーシアへの暗い執着心も感じていた。そんな相手が、レーティングゲームに負けて大人しく従うのか疑問が出てくる。

 

「自分から提案したことなのにか?」

「約束を持ちかけた側が、それを反故にするなんてよくある話だ」

 

 無条件に他人を信じない。それが悪魔だろうと天使だろうと人だろうと。だが逆に言えば、何か条件に合うものを感じ取れれば必要以上に信じてしまう。それは、シンの無自覚な良さであると同時に悪癖とも呼べた。

 

「それは……そうだな」

 

 一誠もディオドラに不信感を持っているので、シンの言葉を否定しない。しかし、そうなると新たな問題が出てくる。

 

「勝って全部が済まないとなると、アーシアを四六時中守らないといけないな」

 

 一誠はそう言うが簡単なことでは無い。どんなにアーシアへ張り付いたとしても隙が生まれない保障は無い。

 

「アーシアから絶対に離れず、絶対に守る方法か……そんな都合の良い方法なんて――」

「一つ心当たりがある」

「――あるのかっ!」

「ただし」

「ただし?」

「多分、簡単には出来ないかもしれない。いや、ある意味では簡単かもしれないが……」

「何だそれ?」

 

 歯切れ悪い台詞に、一誠も訝しむ。

 

「一つ確認したい。アーシアの為に頑張れるか?」

「当たり前だろうが! アーシアの為なら何だってしてやる!」

「何だって、か」

「何だって、だ!」

「それは良かった」

 

 シンが薄く笑う。その笑みを見た瞬間、一誠の背中に悪寒が走った。何か良くないことが今から起きると本能が警鐘を鳴らす。

 

「俺とお前、それとピクシーたち。あと何人か必要だな。探してみるか」

「え、本当に何するんだ?」

「場所は……アザゼル先生に頼んでみるか」

「おい」

「取り敢えず部長たちには、今日の部活には出られないことを伝えとかないとな」

「おい!」

「家にも連絡を入れておけ。遅くなるかもしれないからな」

 

 一誠の不安を無視してシンはどんどんと話を進めていく。

 

「マジで何をするつもりなんだよ……?」

「放課後の楽しみにしておけ」

 

 

 ◇

 

 

 夜更けて兵藤宅のチャイムが鳴らされる。それを聞き、慌てて玄関に向かってくる足音。間も無くして勢い良くドアが開かれた。

 

「イッセーさん! あれ? 間薙さん? え! イッセーさん!」

 

 ドアから現れたのはパジャマ姿のアーシア。部活動を休み、家にも遅くまで帰って来ない一誠を心配し、一誠が帰ってきたのかと慌てて出たが、玄関先に立っていたのはシン。そして、その背に負われているのは、白目を剥いて気絶している一誠であった。

 

「ど、どうしたんですか!?」

 

 一誠は顔も傷だらけで、制服もボロボロ。何か激しい戦いを終えた後の姿をしていた。

 

「アーシアか。丁度いい」

 

 背負っていた一誠をアーシアの前に下ろす。良く見ればシンの制服もボロボロであり、顔には乾いた血が張り付いている。

 

「イッセーさんも間薙さんも、どうしてそんな!」

「明日に向けてのちょっとした特訓みたいなもんだ。後は任せた」

「え! 間薙さん!」

 

 詳細は話さずシンはさっさと立ち去っていく。若干重い足取り。シンも相当疲労している様子であった。

 何が起こったのか聞きたいアーシアであったが、目の前で転がる一誠を放っておくことが出来ず、リアスたちが来るまでの暫くの間、呆然としているしかなかった。

 

 

 ◇

 

 

「おや? 何処かに出かけるのかい?」

「見学」

「見学……ああ、そうか。『彼』がこちら側に出てくるのか」

「そう。我、会ってくる」

「そういうことなら」

「ルイもベルも、来る?」

「ああ。僕らも久々に旧友たちの顔を見ておこうと思ってね」

 




色々と書きたいことが多くて詰め込み過ぎた結果、いくつかカットした部分があります。
特に最後の辺りの話は、幕間で書くかもしれません。

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