ハイスクールD³   作:K/K

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歓迎、幻痛

「紫藤イリナです。皆さん、どうぞよろしくお願いします!」

『おおおおおおおおおおおおおおおおお!』

 

 始業式以降、特に変化も無かった日常に突如として転校生という形で現れた紫藤イリナは、クラスの男子の咆哮の様な歓声によって迎え入れられた。

 イリナの登場に、彼女を知る一誠、ゼノヴィア、アーシアは驚き、絶句していた。

 シンもまた時期外れの転校で現れたイリナに対し、訝しむ眼差しを向ける。

 イリナが自己紹介をする中、不意にイリナがシンを見る。時間にすれば一瞬のことであった。一瞬だけシンを凝視した後、すぐに視線は外される。

 幼馴染の一誠でも、元同僚のゼノヴィアでも無く、殆ど接点が無かった自分に目を向けられたことが、シンの中にイリナに対する疑惑を生んだ。

 時間は進み、休み時間となる。

 転校生のイリナは、その空いた時間にクラスメイトから様々な質問をされていた。女子からは、前は何処に住んでいたのかなどの質問。男子たちもそれに混じり、それとなく交友関係を探る様な質問をされていた。本人らは隠しているつもりだろうが、女性として容姿のレベルが高いイリナに、男としての性が抑えきれていないのが傍から見てもよく分かった。

 

「――少しいいか?」

 

 新たにイリナに対し話し掛けてくる人物――シンである。イリナに接触しに来たシンを見て、男女問わず驚いた表情を浮かべていた。大体のクラスメイトは、シンが今の様な行動をする印象を持っていないからである。

 

「何か用?」

 

 人当たりの良い笑みを浮かべているが、シンにはイリナが緊張している印象を受けた。微妙な変化であるが、身体を縮込ませている。

 

「生徒会から言われて、時間があれば学園の案内をしてあげて欲しいと言われたんだ。――今、いいか?」

 

 イリナが他のクラスメイトを見る。女子は、『私たちのことは気にしなくてもいいから』と言って引き、男子も女子が引いたのを見て同じく引いた。ただ、一部の男子は中断させたシンを少し恨めしそうに見ていたが。

 

「大丈夫よ」

「なら、行こうか」

 

 イリナを連れて、シンは教室の外に出る。

 

「あっ」

 

 教室の外の廊下には、一誠、ゼノヴィア、アーシアの三人がイリナを待っていた。学園案内は建前であり、本命はこちらである。

 

「ちょっと来てくれ」

 

 五人は人気の無い場所を探した結果、屋上へと到着する。

 この五人以外誰も居ないことを確認すると、イリナはゼノヴィアに抱き着いた。

 

「久し振り! ゼノヴィア!」

 

 聖剣事件で喧嘩別れし、三勢力の会談で和解した二人。それ以降会う機会に恵まれなかったが、ようやくその時が巡り、再会を喜ぶ。

 

「ああ。久し振りだね、イリナ。変わらず元気そうでなによりだ」

 

 同じく再会を喜ぶゼノヴィアだが、イリナの首をから下げられた十字架を押し当てられ、少し苦しそうにしていた。

 

「しかし、何故ここに?」

 

 誰もが疑問に思っていたことをゼノヴィアが代表してイリナに聞く。

 

「ミカエル様の命で、使いとして転校してきたの。――ああ。ちゃんとリアスさんには、話は通してあるから」

「そうなのか? そのミカエル様に与えられた命というのは?」

「うーん。話すと少し長くなりそうだし、どうせならアザゼル様や他の人たちにも聞いてほしいから詳しくは放課後でいい?」

「じゃあ、放課後にオカルト研究部で聞くか。木場たちにも連絡しておく。で、オカルト研究部の部室は――」

「噂の旧校舎でしょ? 分かってるって」

 

 一誠は携帯電話を操作し、今聞いた内容を他のオカルト研究部に伝える。

 

(ピクシーたちにも、放課後はウロウロするなと伝えておくか)

 

 おそらく部室に居るであろうピクシーたちに待機という指示を飛ばそうとしたとき、シンは視線を感じ取った。

 その視線の主は、またもやイリナであった。シンは敢えて気付かない振りをし、その視線の意図を探る。

 多くのことが分かる訳では無いが、少なくとも敵意は感じられない。

 少し動きを大きくして、イリナの方を見ようとすると、イリナが慌てて視線を外すのが分かった。そのままイリナを見ると、視線どころか顔まで泳がし、露骨且つ意味も無く辺りを見回していた。

 

(……分かり易い)

 

 性格からか、それとも慣れていないのか隠密行為は不得手らしい。

 この場で言及すればすぐに済むことだが、再会後の空気を壊すことに気が引けたので、機会を見ることにした。

 その日の放課後。オカルト研究部部室に、メンバー全員に加えアザゼルとソーナもまたイリナの話を聞きに来た。

 

「初めての方は初めまして! 顔見知りの方はお久しぶりです! 紫藤イリナと申します! 天界の使者として駒王学園に馳せ参じました!」

 

 皆が見ている中で、イリナは改めて自己紹介をする。とは言っても殆どイリナも知っている人物ばかりである。新顔はジャックランタンとケルベロスぐらいであろう。そのケルベロスも犬形態のまま、イリナの自己紹介を聞いた後に、興味無しと言わんばかりに伏せてしまい、ジャックランタンはギャスパーの周囲をフヨフヨと漂っている。

 

「紫藤イリナさん。貴女の来校を歓迎します」

「色々と会ったけど、過去のことは水に流して改めてよろしくお願いするわ」

 

 ソーナとリアスが、歓迎の意を示す。

 

「んで? お前はミカエルの使いってことでいいんだな?」

「はい! ミカエル様の『御使い』として参りました!」

「『御使い』?」

 

 イリナから出た聞き慣れない言葉に、アザゼルを含め全員が疑問符を浮かべる。

 すると、イリナが祈りを捧げる構えをとる。彼女の全身が光に包まれ、その背から白い翼が現れた。

 イリナの変化に全員驚く中、アザゼルだけは研究者としての血が騒ぐのかイリナの翼を興味深げに観察していた。

 

「ほう。天使化か。実現させたのか」

 

 人を天使に転生させる理論は、既にあったがそれを可能にする技術は確立していなかった。

 

「とは言え、今の技術を応用すれば可能っちゃ可能か」

 

 天使化に悪魔と堕天使の技術が使用されていることを、アザゼルはすぐに理解し一人納得する。

 イリナから『御使い』について簡単な説明を受けた後、一誠が休み時間に聞けなかったことを聞く。

 

「それで、イリナはどうしてここに?」

「それはね、イッセー君。天界と冥界の力が働いているこの学園に天使側の使いが一人も居ないことが問題視されたの。現地に人員が居なければ、いざという時に迅速な対応が出来ないって」

「ああ。そんなことミカエルの奴が言ってたなー。別に俺たちやリアスたちが居れば十分対応出来るっていうのに。それとは別に天使側が一人も戦力を出さないことに負い目でも感じたのかもな。律儀というか、真面目というか、そういう所は昔と変わんねぇな」

 

 旧友の相変わらずの性格に、アザゼルは苦笑する。

 

「まあ、こんだけごった煮になれば面白いっちゃ面白いけどな。なあ?」

 

 揶揄う様にリアスとソーナに問う。

 一つの学園に、悪魔、堕天使、天使という相反する存在。更には、ドラゴン、妖精、魔獣。そして、ごく一部のものしか知らない魔人。カオス極まる内容である。

 リアスとソーナも現状の混沌さを理解しており、アザゼルと同じく苦笑していた。

 

「何事も経験よ」

「遣り甲斐はあります」

 

 二人ともこの辺り一帯を任せられているだけあって、何とも頼もしい言葉であった。

 

「さて、紫藤イリナさんからの説明はここまでにしておいて、ここから先はイリナの歓迎会としましょう」

 

 ソーナが指を鳴らすと、テーブルが輝き、料理や飲み物が次々と現れる。

 

「それじゃあ、始めましょうか」

 

 リアスの言葉と共にイリナの歓迎会が始まった。

 歓迎会が始まって暫くは、イリナはオカルト研究部のメンバーと次々に会話をし、これからもよろしくと挨拶を交わしていた。特にアーシアとゼノヴィアとは同じ信仰を持っていることもあって大いに盛り上がり、三人で一緒に祈りを捧げている。

 シンは、ソファーに座り静かに飲み物を飲んでいたが、時折視線が刺さるのを感じていた。休み時間と同じ様に、視線の主はイリナである。

 

(ここに来た理由は、本当に説明したことだけか?)

 

 不審なイリナの行動に、シンの疑惑は濃くなっていく。

 やがて順番が、シンに巡ってくる。

 

「えーと……」

 

 いきなり言葉を詰まらせるイリナ。聖剣のときも、三勢力の会談のときも会話らしい会話などしたことがない二人。改めて会話しようにも互いのことを知らな過ぎた。

 

(そう言えば、悪魔崇拝者かと言われたり宗教に誘われたしたな)

 

 初対面の印象は決して良くなかったと言っていい。

 シンの方から何か話し掛ければいいものを、このときイリナに対し少し警戒心を持っていたため、口を噤み続けていた。

 その無言の圧にイリナの表情がどんどん悪くなっていく。このまま会話もせずに去っていけばいいのだが、自分から話し掛けた手前それも出来ずにいた。

 どんなことを話せばいいのか。その考えが、イリナの頭の中で空回りし続ける。

 と、そのとき思わぬ助け舟が現れる。

 

「おーい。何時まで寝てないで、君も参加したら?」

「そうだホ。起きないと全部食べちゃうホ」

 

 イリナが来てから今に至るまで伏せていたケルベロスことパスカルを揺すり、歓迎会に参加させようとする。

 

「あ、そうだ! ――聞いたよ。あの子たちって貴方の使い魔というか、仲魔って言うんでしょ?」

 

 一誠辺りから聞いたのか、ピクシーたちのことについて聞いてきた。これを話の切っ掛けするつもりらしい。話題を振られれば黙っている必要も無く、シンも応じる。

 

「ああ」

 

 非常に短い返答であったが、無いよりはマシだと思いイリナは話を続ける。

 

「可愛いらしい子たちだね。あそこで浮いているカボチャの子も貴方の仲魔なんだよね? 名前は何ていうの?」

「――ジャックランタンだ」

「じゃあ、あそこに寝そべっている子は? 仲魔じゃなくて貴方のペット?」

「あれは――」

 

 パスカルについて答えようとしたとき――

 

「早くこっちに来なよ。このクッキー、美味しいよ」

「サクサクだホー」

「ヒ~ホ~。全部食べちゃうよ~?」

 

 起こすことを諦め、食べ物でパスカルを釣ろうとする。すると、パスカルは唸りながら頭だけを持ち上げた。

 

「グルルルル。ソコカラナゲロ」

 

 いきなり犬が喋ったことに、イリナが目を丸くする。

 ピクシーたちは、パスカルの言葉に顔を見合わせていたが、やがて好奇心が勝ったのか、パスカル目掛けて笑顔でクッキーを投げつけた。

 それぞれ上中下の高さに分かれ、更には右中央左と軌道も別々のクッキーがパスカルに迫る。

 パスカルの頭部が一瞬ぶれる。まるで一筆を走らせる様に頭を動かし、投げ放たれた三枚のクッキーを口に収めると、それを噛み砕きながら何事もなかったかのように頭を伏せた。

 誰がどう見ても普通では無いパスカルの動きに、イリナは絶句していた。

 すると、いきなりシンの方を見る。その眼は何故か尊敬の念をシンに向けている。

 

「貴方って、もしかして――凄腕のペットトレーナー?」

 

 先程まであった緊張が若干解けたが、代わりに変な誤解が生じるのであった。

 

 

 ◇

 

 

 イリナが転校してきてから数日が経過した。歓迎会の件もあってシンとも多少ぎこちないも会話をする様になったが、それでも時折監視する様な視線を向けてくることがあった。直接的な行動はしてこないので、シンの方もとりあえず様子を見ることにしていた。

 そして現在、シンは体操服に着替えてグラウンドを眺めている。本日から今度行われる体育祭の全体練習が解禁されていた。

 グラウンドでは、イリナとゼノヴィアが土煙を上げながら競争している姿が見られる。悪魔と天使という高い身体能力のおかげで二人とも驚異的な速度で走っており、それを見ている他のクラスメイトたちが唖然としていた。

 

「ここに居ましたか」

 

 背後からの声。後ろを見るとソーナが椿姫を連れて立っていた。

 

「どうかしましたか?」

「少し手を貸してもらってもいいですか? 生徒会の人手が足りなくて」

「いいですよ」

「ありがとう、間薙君」

 

 ソーナの頼みに迷うことなく応じる。シンの決断の早さに、ソーナは微笑を浮かべながら礼を言う。

 

「あとはサジですね。全く、どこで油を売っているのか。ただでさえ人手不足だというのに」

「探して来ますよ。見つけたら合流します」

「重ね重ねありがとう。なら場所は――」

 

 合流場所を聞き、ソーナたちと分かれ匙を探す。

 数分後、一誠と話している匙を発見した。その近くには地面に座り、体操服姿の女子たちを眺めている元浜と松田も居た。

 

「ん? おう、間薙」

「どうかしたか?」

 

 匙がシンに気付き、右手を上げて挨拶してきた。その右手には腕まで包帯が巻かれている。シンの記憶では二、三日前に会ったときはしていなかった筈である。

 

「匙に用があるんだが――その右腕はどうした?」

「ああ、お前も気になるか」

 

 ソーナの用件よりも先に匙の包帯について問う。

 シンの見ている前で匙が包帯をずらすと、露わになった肌には蛇を彷彿とさせる黒い痣が巻き付く様にあった。

 

「どうしたんだそれは?」

「レーティングゲームでかなり無茶したのと、そのときに赤龍帝の力を吸ったのが原因で神器の形が変化したらしい――ということをアザゼル先生に聞いたときに言われた」

 

 神器の変化。禁手以外でその様なことが起こるとは思っていなかった。

 

「アザゼル先生もかなりレアなケースだって言ってたよ。丸々形が変わっちまうなんてな。でも、能力は健在だ」

 

 そう言うと、匙は軽く拳を握る。すると肌に幾重に巻き付いていた黒い痣の一本が蠢き、匙の腕から飛び出した。黒い痣は地面に降り立つと黒い蛇に変わり、体をくねらせながら音一つ無く元浜の背後に這い寄ると、体操服の裾を咥えた。

 匙が軽く腕を引くとそれに連動して蛇が裾を引っ張る。急に後ろから引っ張られた元浜は驚き、後ろ手に地面を突いて体を支える。

 黒い蛇は靄の様になって消失する。

 直ぐに背後に誰か居ないか見回していたが、周りに誰も居ない。唯一シンたちが居たが、元浜から見て離れ過ぎて無理だと判断し、一人不思議そうに首を傾げていた。

 

「おおー」

「見たか? ワイヤレスだぜ」

 

 思わず声を上げる一誠に、匙は自慢げに笑う。

 匙が説明するに、変化した黒い龍脈はラインを接続する必要が無く、放った蛇が噛み付いたものから力を吸収出来る様になり、また今見せた様にまるで繋がっているかの様に操ることも出来る

 

「影響は無いのか?」

「全く。と言いたいところなんだが、まだ完全に使いこなせないんだよな。一度、神器を出すと暫く出しっ放しになっちまう」

 

 おかげで隠すのが面倒だと少し愚痴る。

 

『ヴリトラの置き土産か』

 

 匙の新しい力を見たドライグが匙に話し掛けた。

 

「まあ、そんなところだろうな。色々と未熟だと思ったんだろうぜ。最初から最後まで世話になりっぱなしだ」

『そんなものを残すとは、随分とお前のことを気に入ったらしい』

「――そうだと嬉しいけどな」

 

 少しだけ誇らしげに笑う。

 

「それに見合うには、まだまだ鍛錬不足だけどな。――ところでお前たちは体育祭の練習をしなくて良いのか?」

 

 匙が鍛錬繋がりで体育祭の話題に変えてきた。

 

「俺はアーシア待ちだよ。向こうでストレッチやっているんだ。俺はアーシアと二人三脚だ」

「はぁー。相変わらず周りに女っ気が絶えないですこと! 嫉ましい! 俺の相手はパンだっつーのに!」

 

 匙はパン食い競争に出場する様子。

 

「で? 間薙。お前は何の競技に出るんだ?」

「借り物競争」

「それなら良し」

 

 自分だけ置いてかれて居ない状況にひとまず安堵する。

 

「安心したところで悪いが、さっきの用の話だ。会長たちが探していたぞ」

 

 会話に区切りをつける為に本題を持ち出す。そのことを聞き、匙の顔は一気に蒼ざめた。

 

「やべぇ……話に夢中になってた。とりあえず俺はもう行く! 間薙! 会長たちは何処に!?」

 

 ソーナから聞かされていた合流場所を匙に告げる。

 

「分かった! じゃあな、兵藤! あとでな、間薙!」

 

 そう言い残し匙は駆け出していった。

 

「慌ただしいー」

「色々とやることがあるからな」

 

 匙も行った事なので、間薙もまたこの場を離れようとする。

 そのとき、丁度ストレッチを終えたアーシアがこちらに向かって来ているのが見えた。

 

「俺も手伝いに行く。また後で」

「おう。あんまり無理すんなよー」

 

 一誠と別れ、合流場所に向かう。既に生徒会メンバーの仕事は始まっており、先に着いていた匙がメジャーを持って、運営用テントなどを設置する場所の計測やチェックを行っている。

 

「遅くなりました」

 

 近くに居たソーナに声を掛ける。

 

「来ましたね。では早速ですが手伝ってもらえますか?」

 

 ソーナの指示に従い作業を始める。重労働ではなく今回は準備に向けての下調べが主な作業内容であった。

 作業が簡単なこと。ソーナや椿姫の指示が非常にテキパキし、正確なこともあって詰まることもなく予定通りの時間内に作業は終了した。

 

「間薙。少しいいかな?」

 

 シンが計測に使用した道具を片付けていたときのこと、由良が話し掛けてくる。

 

「どうした?」

「今度一緒に夕食でもどうかな?」

 

 由良の方から食事の誘いが来た。

 

「夕食か……」

「皆の目もあって中々言い出せなかったが、冥界では本当に君には世話になった。当然、食事一回で済むとは思っていないよ。でも、こんなことでもいいから少しずつでも君に借りを返していきたいんだ」

 

 間薙自身は別に気にする必要は無いと思っていた。だが、そんなことを言っても由良が納得しないのは、この真摯な目を見れば分かる。

 

「分かった」

「ああ、良かった。時間は何時でも構わない。君の都合に合わせるよ」

 

 了承されたことに安心し、シンから離れるその間際――

 

「楽しみにしているよ」

 

 ――同性すらも魅了させる凛々しい笑みとウインクをシンに送ってから去って行った。

 そして、シンは何事もなかったかの様に道具を片付け始める。

 

「……おい」

 

 重々しい声。視線を向けると、匙が宇宙人でも見る様な目をシンに向けていた。

 

「……今の何?」

「何が?」

「何が? じゃねえだろ! 何ちゃっかりと女子と食事の約束してるんだよ!」

「誘われたからな」

「そうだけどさー! そうなんだけどさー!」

 

 この世の全ての理不尽を嘆く様に、匙は頭を抱える。

 

「この前のときといい、今回のことといい、色々とショックが大き過ぎる……」

 

 冥界で由良がシンにしたことを、生徒会メンバーの中で唯一目撃している匙。二学期が始まって暫くの間は、二人が近付く度にソワソワと心落ち着かずにいたが、二人の関係性は夏休み前と全く変化が無かった。気にし過ぎていると思い始めた直後にこれである。

 守りを緩めていた匙の精神に重い一撃が綺麗に決まってしまった。

 

「兵藤とお前は、どうしてこうもあっさりと俺の先を行くんだー!」

 

 匙の慟哭。シンは若干面倒くさくなってきていた。

 

「嘆くぐらいなら、お前も会長を食事にでも誘ってみたらどうなんだ?」

 

 その言葉を聞いた瞬間、匙の体は硬直した。映像で一時停止されたかの様に見事なまでの急停止である。

 だが、その硬直も小刻み震えに変わる。

 

「お、お前は、な、なんて恐れ多いことを……」

「人に噛み付いている暇があるなら行動してみたらどうだ?」

「そ、そんなことは……」

「待っていたらもしかしたら向こうから来るかもしれない。だが、万に一つの可能性だな。それに、会長はそういう風な人には見えない」

「た、確かに……」

「待っている間に横から攫われていくかもな」

 

 匙の脳裏に、純白のウェディングドレスを着たソーナが、見知らぬ男に抱き抱えられる光景が造り出される。

 幸せそうに微笑むソーナ。よく見れば、そのお腹は膨らんでおり、つまりは妊――

 

「会長ぉぉぉぉ! 誰の子なんですかぁぁぁ!?」

「……急にどうした?」

 

 いきなり意味不明且つ気色悪い台詞で絶叫する匙に、シンも思わず一歩後退る。

 

「す、すまん……見たくも無いものを幻視たせいで取り乱した」

「……お前もあいつ(イッセー)と変わらんぐらい妄想が激しいな」

 

 態度を二転三転するのを見て、シンはやや呆れを混ぜた目で匙を見る。

 

「それでどうするんだ? 誘うのか? 誘わないのか?」

 

 話を戻し、匙がソーナを食事に誘うか否かを問う。

 

「そ、それは……というか何故俺が会長と一緒に食事に行く話に――」

「どうなんだ?」

 

 話を元に戻されるのが嫌だったので、強引にこの話を続ける。

 

「そりゃあ、行けるなら行きたいけど……」

「大したことじゃない。由良の様に言えば良いだけだ」

「それが難しいんだよ」

「試しに言ってみろ」

「……会長、こ、今度一緒にひょ、ひょくじにでも――」

 

 まさに蚊の無く様な声。更には肝心な所で噛んで間抜けな台詞にもなっている。

 

「声が小さい。もっとはっきりと」

 

 再度言うことを促す。

 

「か、会長。こ、今度一緒に食事にでも行きませんか!」

 

 半ばやけくそ気味だが、聞き取れる声ときちんとした台詞であった。

 

「――だそうですよ?」

「……え?」

 

 シンの目が、匙ではなくその後ろに焦点を当てている。油の切れた機械の様にぎこちない動きでその目線を辿ると、背後でソーナが無言で立っていた。

 

「……ッ……ッ」

 

 言葉を失い、顔面が死人の顔色と化す匙。

 

「じゃあ、俺はこれを片付けてくる」

 

 そんな匙を放ってシンはメジャーなどの道具を片付ける為に、さっさとこの場を離れていく。

 

「待ってくれ! 俺を、俺を一人にしないでくれぇぇ!」

 

 匙の悲痛な叫びが聞こえたが無視。この程度の逆境を乗り越えなければ、ソーナを落とすことなど夢のまた夢である。

 

「……サジ」

「ひぃっ!」

「――少し話をしましょう」

 

 後に匙からシンの携帯電話にメールが送られたきた。内容は、今度生徒会メンバーで食事会を行うというものである。結局、匙はソーナと二人っきりで食事を誘うことに失敗したようであった。因みにメールの最後には『お前を一生呪ってやる』というありったけの怨念が込められたメッセージが書かれていた。

 

 

 ◇

 

 

 某日早朝。目覚まし時計ではなく携帯電話の振動音でシンは目を覚ます。冥界の森で生きるか死ぬかのサバイバルを行った成果か、小さな物音でも目が覚める様になっていた。

 時計を見る。まだ日が昇って間もない時間である。

 携帯電話を見ると、画面にはアザゼルの名が表示されていた。

 

「――はい」

『よお。おはようさん。出るの早いなー』

 

 感心した様子のアザゼルの声が耳に飛び込んでくる。外部からの刺激でシンの脳は一気に覚醒していく。

 

「何か用ですか?」

『ああ。これからお前、学園に行けるか?』

「学園に?」

『少し前からイッセーがアーシアとゼノヴィアと一緒に体育祭に向けての朝練をしてるんだよ』

「それが何か?」

『昨日、ゼノヴィアがイリナも誘っていてな』

「はあ」

『上手く行けばイリナと二人で話すことが出来るかもしれないぞ? ……いい加減何が目的でお前を監視する様な真似をしていたのかはっきりさせとくべきだ』

 

 やはりと言うべきか、アザゼルもまたイリナがシンを見ていたことに気付いていた。

 

「やっぱり気付いてましたか」

『当たり前だっつーの。というかオカルト研究部員の何人かも気付いていたと思うぞ?』

 

 シンもそれを否定しなかった。イリナの行動を不審に思ったかもしれないが、悪意や敵意というものが感じられなかったので様子見の姿勢だったのかもしれない。実際、シンもそうであった。

 

『突けば簡単に喋るかもしれないぞ。何せ天使ってのは総じて真面目で腹芸が下手だからなぁ』

「アザゼル先生も、昔はそうだったんですか?」

『ふっ。俺は昔から捻くれ者だ』

 

 シンの茶化す様な問いに、アザゼルは小さく笑う。

 

『――ほれ。何時までも俺と話してないで支度しろ。向こう天使の生真面目さを舐めんなよ。約束の時間一時間前に着くやつも居るぐらいだ』

「分かりました。いい機会なので聞いてみます」

 

 電話を切ると、五分も掛からずに仕度を済ませる。ピクシーたちはまだ眠っているが寝かせておくことにした。何処に居ても連絡は取れる。

 自宅から出ると早朝の空気が肌を撫でる。冷えた空気の感触は心地良く、夏の終わりと秋の始まりを感じさせる。

 人気の無い道を一人黙々と進んで行くシン。当たり前だが駒王学園に辿り着くまで殆ど人と会うことは無かった。

 駒王学園の校門が見えてくる。そのとき、シンは自分以外の足音を捉える。

 

「……あ」

 

 足音の主がシンの姿を見て、小さな声を漏らすと共に立ち止まった。声の主――イリナがシンに驚いた表情を向けている。

 

「おはよう。紫藤」

「お、おはよう! ……間薙君」

 

 挨拶を交わすが、その後は沈黙が続く。

 

「あ、あのどうしてこんな時間に……?」

「早朝特訓をすると聞いたから」

「……貴方も誘われたの?」

「いや」

「じゃあ、何で?」

「歩きながら話そう」

 

 シンは止めていた足を進める。イリナも慌ててそれを追い掛ける。

 

「何の用があってイッセー君たちの朝練に来たの?」

 

 隣に並んだイリナが尤もな疑問を発する。

 

「用があるのはそっちじゃないのか?」

 

 イリナが息を呑むのが分かった。

 

「自己紹介をしたときに聞かされた任務は、あれで本当に全部なのか?」

 

 自分の中の疑惑をイリナにぶつける。すると、イリナは長々と溜息を吐いた。焦りの反応は無く、何処か嘆いている様に見える。

 

「ばれちゃったか……」

「一体何が目的で俺を見ていたんだ?」

「ごめんなさい! 本当にごめんなさい! 誤解させたなら謝るわ! ミカエル様も私も貴方に危害を与えるつもりは全く無いの! 本当よ!」

 

 関係がこじれてしまうのを恐れ、イリナは必死な様子で謝罪をする。

 シンは、イリナに対して疑惑はあったが、怒りを覚えてはいないのであっさりとそれを受け入れる。

 

「別に怒っていない」

「本当?」

「ああ」

 

 揉めてもおかしくはなかったことが、簡単に終わってしまったことに若干拍子抜けしているイリナ。

 シンは再び問う。

 

「それで? 何が目的で俺を見ていたんだ?」

「……ミカエル様が私に言ったの。貴方から目を離さない様にって」

「理由は?」

 

 察していたが、敢えて聞く。

 

「貴方って……『魔人』なんでしょ?」

「……」

 

 首を縦にも横にも振ることは無かったが、その無言がイリナには肯定に見えた。

 

「――目を離さない様にというのは、天界は危険視しているということか?」

「危険視というより、心配しているの」

「心配?」

 

 脅威として排除の対象とするなら分かるが、心配し身を案じることには違和感しか覚えない。

 

「ミカエル様は仰っていたわ。十番目の魔人が生まれたということは、いつか必ず魔人たちによる大きな戦いが起きるって。そのとき、戦いの中心にいるのは恐らく十番目の魔人である彼だ、と」

 

 魔人と魔人は敵対関係にある。実際、シンもマタドールと死闘を繰り広げた。決着は付かなかったが、いずれは再戦するときがくるだろう。そのときは、イリナの言った様に一対一ではなく、残りの魔人たちが参戦してくる可能性が大いにある。そうなった場合、どれほどの大きな戦いとなるのだろうか。

 

「貴方は魔人でも、他の魔人たちと違って人として生きているわ。でも、これ以上魔人たちと関わっていたら、いつかは取り返しのつかないことになるかも……」

「成程」

 

 自分のことだが、返答するシンの声は他人事の様に素っ気ない。覚悟からくるものなのか、それとも途方も無いことに実感が湧かないのか。

 

「――聞いておいて今更だが、そのことを話して良かったのか?」

「ミカエル様は、貴方かアザゼル様が聞いてきたら全て話して構わない、と」

 

 ばれる事までミカエルには想定済みだったらしい。アザゼルにも事情を説明して構わないと言ったのは、アザゼルならば全て把握していると考えてのことであろう。

 

「間薙君は……」

 

 イリナは視線を伏せる。今から聞くことは、とても相手の顔を見て聞けない。

 

「もし、他の魔人と会ったらどうするつもりなの?」

「――どうするも無い」

 

 場に漂う空気が、早朝の涼しさ以上の冷たさを帯びる。全身に駆け巡る寒気。イリナには覚えがあった。

 

「そのときは……殺し合うだけだ」

 

 伏せた目を上げ、隣に並ぶシンの顔を見ることが出来ない。だいぞうじょうに会ったときの様に、トランペッターを見たときの様に、魂を凍て付かせる死の気配が場を侵食する。

 殺し合う。そう言ったとき、シンがどんな表情をしているのか、イリナには分からない。

 人の顔か。あるいは――

 

 

 ◇

 

 

「バルパー。フリードは何処だ」

「……部屋に入って来るときはノックの一つぐらいしろ」

 

 許可なく入室してきた相手に、バルパーは不快の念を飛ばすが、相手は全く意としない。内に量り切れ無い狂気を持っていても所詮は老人の殺気。その相手には無に等しい。

 相手の態度に舌打ちの一つでも聞かせてやりたいところだが、同じく全く意を介さないのは分かっていたので、苛立ちを溜息にした後、来室の理由を問う。

 

「何をしに来た?」

「仕事だ。フリードも連れていく」

「ふん。旧魔王派の連中か。この間のことで凝りてもいないらしい」

「旧かろうと新しかろうと、所詮悪魔は悪魔だ。奴らの頭の中には、何も詰まってもいない。だから学ばない」

 

 悪魔を心底見下しながら嘲笑する。

 

「その馬鹿共の駒の一つとして扱われるお前も滑稽だな」

 

 バルパーが嫌味を返した瞬間、その喉元に光で出来た槍が突き付けられた。

 

「言葉を選べ。でないと無意味に死ぬことになるぞ?」

「やれるものならやれ。そして、私に悪魔並みの浅慮さを見せてみろ」

 

 無言で睨み合っていたが、やがて舌打ちの後に光の槍は消える。

 

「――旧魔王派の奴らは、今度は何処で仕掛けるつもりだ?」

「冥界。内通者が居るらしい。旧四大魔王も二人出て、今度こそ今の魔王たちを屠るつもりだ」

「ふっ」

 

 その一笑には色々な意味が込められていた。多過ぎて把握し切れ無いが、少なくとも肯定の意は無い。

 

「フリードを連れていくなら待て。今は術後の経過を見ている。安定するまで少し掛かる」

「術後? 何かを仕込んだか。――お前にとってはフリードも実験動物(モルモット)か」

「良いを頭に付けろ。生命力の強い実験動物は希少だ」

「確かに。奴の人としての矮小さと生き汚さは虫けら(ゴキブリ)並みだ」

 

 それだけ言うとバルパーに背を向ける。

 

「お前の言う通り待つが、時間を過ぎる様ならどんな手段を使っても――」

 

 そこまで言い掛け、急に顔を押さえて呻き始める。その突然の行動にバルパーは驚くことなく、椅子から嘲る様に見下ろす。

 

「まだ痛むか? 顔の幻覚痛が?」

「だま、れっ!」

 

 かつて負わされた傷。完治した筈なのに、時折発作の様に痛みを発する。薬も術も効かずただ耐えるしかない。

 そして、最悪なことにどういう訳か最近その痛みの頻度が増えてきている。

 

「そんな様子で大丈夫か? なあ? ドーナシークよ」

 

 かつてシンと戦い、惨敗を喫した堕天使ドーナシーク。その身に刻まれた傷は、癒されるときをひたすら待ち続けていた。

 




最近のリメイク作品を見てたら、メガテン3もリメイクしないかなーと思ってしまいます。
まあ、儚い願いですね。

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