天界、吹奏
「呼ばれて来ました! ジャジャジャジャァァァン! フリード・セルゼン登・場でぇすっ!」
開口一番、相手を舐めているとしか思えない台詞と共に室内へと足を踏み入れたのは、元ヴァチカン直属のエクソシストであったフリード。
「そうか」
ふざけた態度のフリードに、椅子に座り背を向けたまま素っ気無い反応を見せるのは、フリードと同じく教会に所属していたが、そこで行った『聖剣計画』という実験により多くの命を奪い、異端として追放された大司教バルパー・ガリレイ。
今は共に『禍の団』に身を寄せている立場にある。
「んでんでじいさん、呼び出して何ですかー? 俺に用事って?」
「お前に一つ頼みたいことがあったな」
「じいさんが俺に? へぇー、めっずらすぃー!」
バルパーの口添えにより『禍の団』に入ったフリードだが、『禍の団』の中での二人の交流は殆ど無い。フリードは現場、バルパーは実験という分野違いのせいもあったが、それでも両者の関係は希薄なものであった。
「フリード。強くなってみないか?」
「強く? 俺様既にスペシャァァルな『アレ』とゴージャァァスなコレをじいさんから貰ってるんだけど?」
バルパーに自身の右腕を見せる。その右腕はかつて木場によって切断された筈だが、何事も無かった様に動いている。
「確かなのは今以上に強くなれる」
「へぇ……」
フリードから人を小馬鹿にした様な笑みが消え、口角を限界まで吊り上げ、歯を剥き出した獣の笑みへと変える。その常に狂気を帯びた双眸に飢えた輝きが混じる。
「それは、確かなことなんだろうなぁ? じいさん。僕ちゃん、法螺って嫌いなんだよねぇ」
かつてコカビエルと手を結び、共に戦争を企てた仲ではあるが、あくまで利害が一致したからに過ぎない。仲間意識など無く、自分に益が無いと分かれば即座にバルパーを殺害することに躊躇いなど無かった。
尤も、バルパーが死んでもその記憶は保管されているバルパーの予備の肉体に転送され、何の問題も無く復活するのは分かっていた。
無駄だと分かっていて何故するのか。
自分の気分を害した。それだけでフリードが、相手を殺す理由として十分である。
「嘘など言わん。確実に今のお前を何倍も強くすることが出来る」
バルパーは背を向けるのを止め、フリードの方に体を向ける。その手に紙の束が握られている。
「最近、面白い資料を手に入れたのでな。私の研究と合わせれば今までに無かった力を手に入れることが出来るぞ」
「今までに無い、ねぇ?」
眉唾物と言わんばかりに不審の眼でバルパーを見るフリード。
「その資料ってのが、それを可能にするってことですのん?」
フリードが資料の束を指差したので、バルパーはそれをフリード目掛けて投げ渡す。
雑に扱われる資料だが、既に内容は脳内に記憶されているので、バルパーにとってその程度の扱いのものとなっていた。
投げ渡された資料に目を通す。『四凶計画』『ウツセミ』『人工神器』『真似形計画』などはフリードでも読めたが、その後には複雑な数式と理論が続いていたので速攻で読むのを止め、放り棄てる。
「ぜーんぜんわっかりませーん! とーにーかーくっ! 僕チンをあれこれ改造しちゃうってことでいいんですかい?」
「至極簡素に纏めればそういうことだな」
「改造しゅじゅちゅのリスクは?」
「ゼロでは無いと言っておこう。何せ私自身も初めてのことだからな」
「本当は、俺を使って実験がしたいだけじゃないのー? じいさん」
「否定はしない」
バルパーは、フリードの指摘に対し笑いながら肯定する。
フリードは考える。この世で何が大事かと言えば自分の命である。が、だからといって悪魔殺しを捨てることも出来ない。それは彼にとってのライフワークである。命を大事にしている割には自分の命を奪われるリスクがある悪魔殺しをするなど矛盾しているが、そんなことを気にするフリードではなく、また他人に指摘されても気にしない。指摘されればそいつを殺せば事は済む。
そんなフリードにとっても強くなれるという言葉は魅力的であった。強くなれれば今まで手が届かなかった相手すら殺すことが出来る。
(どうしよっかなぁ? やろっかなぁ? やらないでおこっかなぁ? でも殺りたいしなぁ?)
頭を振り子の様に左右に揺らし、珍しく悩む姿を見せる。
そんなフリードに対し、バルパーは止めとなる言葉を放った。
「赤龍帝と魔人、あの聖魔剣使いを殺せるぞ?」
「するぅー!」
改造されるリスクも、一誠、シン、木場を殺害出来るという言葉で全て吹き飛んだ。
「さあさあやろう! 今すぐやろう! そして、あいつら殺ってやろう! 今でもさあ! 痛むんだよねぇ! 殴られた跡がさぁ! この右腕がさぁ! どういう訳か疼くし痛いんだよねぇ! あんのクソ悪魔どもがよぉ!」
自分の右腕を指先が食い込むまで強く握るフリード。その顔には狂気に満ちており、遠くにいる怨敵に向け、恨み言と殺気を飛ばしていた。
それを至近距離で浴びせられていたバルパーだが、全く動じる様子は無い。内心では、扱い難いようで扱い易いフリードに対し、嘲り混じりの感謝をしていた。
(礼を言うぞ、フリード。お前のその捻くれた単純さには。ああ、約束通り間違いなくお前を強くしてやろう。――その代わり、色々と仕込ませもらうがな)
互いに笑い合う両者。歳が離れ、顔立ちも違うものの、狂気を宿した者同士。顔に張り付けられた笑みは良く似ていた。
◇
夏休みも終わり、本日から駒王学園の二学期が始まる。
シンはいつもと変わらず登校する。その肩にピクシーを乗せ、その背にジャックフロストがしがみついていた状態で。二人の姿は常人には見えないが、見える者が居たら不似合い過ぎて思わず噴き出すだろうが、これこそ彼が仲魔たちと一緒に登校する為の姿である。
だが、今日の登校から少しだけ変化があった。シンの側に大型の犬が一緒に歩いている。
犬種はシベリアンハスキー。頭部から背にかけての上毛が黒。顔部から腹部に灰色の毛を生やし、その瞳は青を帯びた灰色をしていた。
シンはその犬にリードを付けることなく歩いており、犬の方も人が近くを通っても無駄吠えするどころか、見向きもせず黙々とシンに付いていく。
やがて学園が近くなると、シンは一旦手前で曲がり、人通りから離れた道へと入る。そして、犬に対しある方向を指差した。
犬は分かった様に頷く。すると、犬は地面を蹴り目の前にあった数メートルもある壁を簡単に跳び越えてしまう。
壁の向こうに犬が消えたのを見て、シンたちは通学路へと戻っていった。
校門を潜り、途中ピクシーたちを旧校舎に向かわせた後に自分のクラスへ着く。
「うーすっ」
「よっ」
シンがクラスに入って来たのを見て、松田と元浜が声をかけてきた。
「おはよう」
一誠経由とはいえ、大分打ち解けてきたと思いながら挨拶を返す。
「あ、間薙君じゃん。おはよー」
今度は同じクラスの女子、桐生が話し掛けてくる。
「ああ、おはよう」
挨拶し終えると同時に、桐生はシンの顔をまじまじと凝視する。
「間薙君も、夏に何かあった?」
突然の質問に内心少し驚く。女の勘というべきものなのかシンから何かを感じ取った様子であった。確かに桐生の言う通り夏休みには色々とあった。それこそ数え切れないぐらいのことが。
「どうした? 急に?」
「うーん。何か雰囲気が変わったっていうか……あれだね、綺麗になったね、間薙君」
「――褒め言葉として受け取っておく」
「んふふふ。男にこんなこと言うのは変かもしれないけどね。そう思ったから仕方無い。やっぱり理由ってあれ? 卒業した? 童貞」
流れる様に下の話を混ぜてくる桐生。シンが答える前に、松田と元浜が過剰に反応する。
「違うよな? 違うよなぁ!? お前も俺達と今でも仲間だよな!」
「違うなら違うと言ってくれ! 俺達を置いて行かないでくれっ!」
あまりに必死な態度にどう反応すべきか迷ってしまう。発端の桐生はというと松田と元浜の醜態を見てケラケラ笑っていた。
「変わったと言えば、兵藤やアーシアも変わってたよね」
縋る二人を『想像に任せる』とだけ言って突き放した後、桐生の気になる言葉にシンは最初に一誠の方を見る。
「見た目が日に焼けて精悍になったってのもあるけど、何か落ち着きが無いというかイライラしているというか……」
桐生が指摘した通り、机に座っている一誠は頻りに指先で机を叩いたり、爪先で何度も床を踏み付けたりなど、じっとしていられないのか絶えず体を動かしていた。松田と元浜がシンに話し掛けてきたのも、一誠が珍しく近寄りがたい雰囲気を纏っていたからである。
「アーシアもあんな感じだし」
今度はアーシアの方に目を向ける。こちらは心ここにあらずといった様子で遠い目をしている。クラスメイトがアーシアに声を掛けるも反応は無く、もう一度声を掛けられてやっと反応し慌てて頭を下げていた。
「私が挨拶した時もあんな反応だった。二人揃って何かあった? 間薙君は知ってる?」
「――いや」
桐生の質問に、シンは首を横に振った。
一誠たちとは、冥界で別れて今日まで会っていない。その間に何かあったのは間違いない。二人が喧嘩したとも考えたが、一誠たちの対極的な態度にその考えはすぐに捨てた。
ついでにゼノヴィアの様子も見る。いつも通り凛とした姿で席に座っていたが、時折その視線がアーシアに向けられるのを見た。
断片的な情報からアーシア絡みで何か起きたのかもしれないと推測する。
(部活動の時にでも聞いてみるか)
チャイム音が鳴り響き、少し経ってから担任教諭がクラスの中へと入ってくる。一月振りに見る光景に、二学期の始まりを実感する。
◇
「……」
「……」
「……」
帰りのホームルームも終わり、オカルト研究部へと向かう一誠、アーシア、ゼノヴィアは無言であった。彼らの周りに重たい空気が流れている。三人ともこの空気をどうにかしたいと思い、何か紛らわせる様な話題を出そうとするも、口を開いた段階で何を言うべきか迷い、結局閉じてしまう。
こんなことになったのは、全て冥界から帰ってきた直後に起こったことが原因である。そのときの衝撃が強過ぎたせいでも今もギクシャクとした空気が抜けない。
会話らしい会話も無いまま、三人はオカルト研究部の部室の扉を開ける。
「……ちわース」
「……こんにちは」
いつもよりも張りの無い声で挨拶をしながら部室へと入っていく一誠とアーシア。だが、部室に入って数歩の後、足が止まった。
その理由は――
「ん? 犬?」
立ち止まった一誠とアーシアの横から覗き込んだゼノヴィアが見たのは、ソファー付近で座っている大型犬。
一誠たち以外は既に部室内に居り、犬を気にした様子も無くお茶を飲んだり、菓子を食べたり、談笑したりしていた。
「何で犬が?」
一誠は疑問に思いつつ座っている犬へと近寄る。
「誰が連れて来たんだ?」
「自分デ来タ」
「うおっ!」
部員に問い掛けたつもりが、犬の方から答えが返ってきた。不意打ちの様な返答に一誠は声を出して驚く。アーシアとゼノヴィアも目を丸くしていた。
「ウルサイゾ」
口を動かさず声だけが犬から発せられている。よく聞けば、その声は聞き覚えのあるものだった。
「お前……もしかしてケルベロスか?」
「ソウダ」
「縮んだなー……」
そんな感想が出てしまう。三メートルはあった筈の体躯が、大型犬とはいえ常識的なサイズに変化しているのを見れば当然とも言えた。
「どうやったんだ、それ? お前って普通の犬に変身出来たのか?」
「ソンナ器用ナコトハ出来ン。――オイ」
隣のソファーに座っているシンを呼ぶ。
「部室なら問題無い」
何かの許可を出す。するとケルベロスが身を震わす。すると全身に魔法陣を彷彿とさせる文字や記号が浮き出る。その一つ一つが光り、その輝きからは魔力を感じ取れた。
光がケルベロスの体を包み、その光の中でケルベロスの体が変化していく。体が膨れ上がり、尾が伸び、鬣が生える。時間にして数秒程で大型犬程度の大きさが、大型の肉食獣を上回る巨躯へと変わる。
包み込む光が消えると、一誠もよく知るケルベロスの姿へとなっていた。
「おお。どういう仕組みになってんだ?」
「それの御陰だ」
シンが指差す方向、ケルベロスの右前脚に金具が付いた革製の輪が巻かれている。大型犬姿のケルベロスが身につけていた首輪であった。
「カモフラージュの魔術が仕込まれた首輪だ。姿だけだが、一般人どころか悪魔や天使にも効く代物らしい。」
「アザゼル先生に頼んで用意してもらったやつだな。グリゴリの施設に行くって言ってたし」
「――まあな」
それも目的の一つだが、本来のものではない。当然、シンがここでそのことを言うつもりは無い。
「首輪なのに脚に巻いてるのか?」
「巻こうにも、あの鬣が邪魔だ。それにペットという訳じゃないからな」
飼い犬ではなく仲魔であるという姿勢を崩さないシンの考えであり、またケルベロスのプライドを尊重してのことである。
「そういうもんか」
仲魔という使い魔とは違うシン独特の考え方について、一誠も大体理解しているのでそれで納得する。
「ただの犬のときは、なるべくケルベロスとは呼ばないでくれるか?」
「何で?」
「流石に自分の犬をケルベロスと呼ぶのはな……」
「ああー……」
言われて納得する。そういった時期ならばおかしくは無いが、時期を通り越していると自分も他人も痛々しさしか感じられない。
「じゃあ、何て呼べばいいのかな?」
「パスカル」
木場の質問に即答する。名前は前以って決めていた。
「何でパスカルなんだ?」
「昔、飼っていた犬の名だ」
――全く似ていないけどな。胸中で後に続く言葉を呟く。
すると、今度はシンの方から一誠に尋ねた。
「それでそっちは何かあったのか? 随分と落ち着きが無かったが」
「それは……」
一誠だけでなくアーシアの気持ちもまた沈んでいくのが見て分かった。それだけに止まらず部室内の空気が重くなる。シンを除くメンバーは理由を知っている様子であった。
「……プロポーズされたんだよ」
苦々しい口調の一誠。
「誰が?」
「……私です」
おずおず名乗り出たアーシア。
「誰に?」
「ディオドラ・アスタロト。七十二柱に名を連ねたアスタロト家の次期当主よ」
疑問に応えたのはリアス。声に感情を感じない。あまり快く思っていないのが伝わってくる。
「理由は?」
「……アーシアが悪魔を神器で治癒したことで教会から追放されたのは知っているな? その悪魔がディオドラだ」
説明するゼノヴィアの表情は硬い。今ではアーシアと仲が深まっているが、かつては魔女として唾棄すべきと思っていたゼノヴィアが、今の価値観を以って自分の視野の狭さと古傷に向き合っている。
「成程」
事情を大体把握する。ただ、それ以上の行動を見せなかったので恐る恐る一誠が聞く。
「――どう思った?」
「話だけ聞けば悪い話ではないな」
シンの率直な感想に、一誠が涙目で肩を掴んでくる。
「なんでだよぉぉぉ! うちの可愛いアーシアちゃんが、お、お嫁に行くかもしれないんだぞ! 俺は嫌だぞ! あいつにお義兄さんなんて呼ばれるのは! まだ呼ばれるのだったらお前にお義兄さんって呼ばれた方がましだ!」
「落ち着け、お義兄さん」
「あぐっ!」
喚く一誠の脳天に鉄槌を打ち込み、喋るのを中断させる。
「実際に会ってみなければ良いも悪いも分からない。信用していない訳じゃないが、聞いただけじゃ測れないこともある」
一誠の反応から私情がこれでもかと感じられた。それが悪いとはシンも思わないが、あくまでディオドラ本人と会わなければ、賛成も反対も出来ない。
頭を押さえながら一誠はシンを見上げる。少し不満そうな表情をしていたが、反論はしてこなかった。
「なら丁度良かったかも」
リアスが呟く。するとテーブルの上に魔法陣が現れ、その魔法陣の中から梱包されたプレゼントらしき物が、手紙を添えられて出現する。
「これは?」
「ディオドラからのプレゼントとラブレターよ。アーシアがプロポーズをされたときから、毎日送られてくるのよ」
ウンザリした表情でリアスが説明する。余程頻繫に送られて来ているのが、その表情から察せた。
「これを読んだら少しは彼の人となりが分かるんじゃないかしら?」
添えられたラブレターをシンに手渡す。
「流石に勝手に読むのは不味いので」
手渡されたラブレターをアーシアにそのまま渡す。
「読んでいる所を勝手に覗きます」
「……貴方も良い性格しているわね」
シンの詭弁に、リアスは呆れを半分混ぜた笑みを浮かべる。
「ええと、じゃあ読みますね」
律儀に応じ、ラブレターの中身を読み始めたアーシア。シンはその横から宣言通り堂々と内容を見る。
豊富な語彙から紡がれる歯が浮く様な、もとい情熱的な内容。いつ、どの場所で、どれぐらいアーシアのことを思っているのか赤裸々に書かれており、それはラブレターというよりも詩であった。
上級悪魔の名に恥じない教養の高さが窺える内容に感じられた。
読み終えたアーシアの表情は何とも言い難いものであった。一方的な好意を向けられていることへの困惑が分かる。少なくともラブレターで好感を得ることも、心を動かすことは無かったと言える。
「これで、あの、終わりです」
隣に立つアーシアがシンに告げる。アーシアが手紙を読んだというよりも、ただシンに見せる為だけの時間であった。
「どうだったかしら」
「情熱的でしたね」
シンの感想はその一言だけだった。淡々とした態度もあって皮肉を言っている様にも聞こえる。
「お前が気に入らないという理由も分かる。相性が悪そうだ」
泥臭さと血の気と熱が強い一誠と、如何にも上品といった印象を与えるディオドラ。対極的な二人が意気投合するとは思えなかった。
「それで、このプレゼントは――あら?」
朱乃がプレゼントの方を見ると、テーブルから消えている。皆が何処に消えたのか目で探す。
「……あそこに」
小猫が指差す方向。
『あっ』
そこにはいつの間にかプレゼントの梱包を開けているピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタン、ケルベロスの姿。
「貴方たちねぇ……」
本当ならば開けずにそのまま返品するつもりであったリアスは、ピクシーたちの勝手な行動に額に手を当てながら溜息を吐く。
「ごめん。甘いニオイがしたから」
口では詫びているものの、その腕はしっかりプレゼントの中身である高級感溢れる洋菓子を確保している。
「食べて良い?」
「俺じゃなくてアーシアに聞け」
「食べて良い?」
「え、あの、どうぞ」
ピクシーから上目遣いにお願いされ、それにあっさり負けて許可を出してしまう。
「わーい!」
ピクシーが洋菓子に噛り付くと、それを合図にして他の仲魔たちもプレゼントをあさり始める。
見た目が可愛らしいピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンがプレゼントを漁る姿は微笑ましいが、ただ一匹混じるケルベロスがそれをやると、獲物を貪る肉食獣といった殺伐とした光景となっていた。
「そうだわ。シン、貴方に少し話したいことがあるの」
リアスの声に、陰と陽が混じり合った食事風景をひとまず置いて意識をそちらの方に向ける。
「話したいことですか?」
「私とソーナがレーティングゲームをしたじゃない? その一戦がとても評判が良かったから、他の若手悪魔とレーティングゲームをしないかという話があったの」
「他の若手悪魔ですか?」
「貴方は不在だったけど、冥界で会合があったのを覚えているかしら。そのときに参加した六家の次期当主たちが相手よ」
リアスが言う六家とは、リアスのグレモリー家とソーナのシトリー家。シークヴァイラのアガレス家。そして、ゼファードルのグラシャラボラス家。先程リアスが説明したディオドラのアスタロト家にサイラオーグのバアル家。
シンはこのうち、ゼファードルとサイラオーグを知っていた。前者は、いきなり因縁をつけてきた人物。後者はその直後に会い、挨拶を交わしシンが『強い』と思った人物である。
「実は、貴方が良ければまた私たちと一緒にレーティングゲームに参加してもらいたいのだけど。勿論、上の許可は貰っているわ。後は貴方の返答だけよ」
言われてシンは少し悩む。ライザーのときは、リアスたちへの義理のため。対リアスたちのときは、ソーナたちへの義理から参加した。今回の場合もリアスたちへの義理として参戦するのは簡単だが、別の思考がそれに待ったをかける。
色々な戦いを経験して魔人としての力が強まっている自覚がある。このままレーティングゲームに参戦し続けるのなら、いずれ魔人であることが知れ渡る危険がある。
サーゼクスたちは、シンのことを考え黙認しているが、それ以外から洩れることは十分考えられた。
魔人とは殆ど忌み名である。シンが魔人である事実を知っているか、いないか関係無く責められ、リアスの立場が追い込まれる可能性がある。
「あっ」
「どうしたの?」
「――いえ、何も」
そこまで考えていたが、もっと単純な問題を忘れていた。正当防衛――恐らく範疇――とはいえ、六家のゼファードルを殴り飛ばしている。この事実はリアスも知らない。そんなシンがリアスのチームで戦うとなれば、ゼファードル側からどんな因縁をつけられるか分からない。ゼファードルについて殆ど知らないが、第一印象のこともあってシンは彼の人格面を信用していなかった。
この二つの考えからシンは結論を出す。
「誘ってくれた気持ちは嬉しいですが、辞退させてもらいます」
「――分かったわ」
リアスは食い下がることも無く、また、『残念』や『惜しい』などの言葉も付け加えることなく一言で済ます。決断したシンに対し、後ろめたさを感じさせない為の配慮であった。
が、シンの不参加という決定に、オカルト研究部内の空気はどうしても沈んでしまう。周りも何かを言うなどのことはしなかったが、無意識のうちに『残念』という気持ちが外に漏れ出していた。
「ま、出ないんなら出ないでしょうがねえな。その分しっかり見とけよ、俺たちのレーティングゲームを。ソーナ会長のときは、ここぞというとき活躍出来なかったけど、今度のゲームで汚名返上してやるからな」
沈む空気を吹き飛ばすかの様に、一誠がシンに宣言する。自分がリアス・グレモリーのエースであることを証明する意気込みであった。
「頼もしいな」
「そりゃあ、最強の『兵士』になるのも目標だからな」
「期待している。『邪悪な赤龍帝』」
「お前、ちょっと馬鹿にしているだろ?」
「褒め言葉だ」
「嘘吐け」
軽口をたたき始める二人。それを眺めるオカルト研究部一同。もう既にさっきまでの空気は無い。
「イッセー君が頑張るなら当然僕も頑張らないとね」
「うふふふ。そうですね。私も『女王』として負けていられませんね」
「……私も頑張ります」
「ぼ、僕もぜ、絶対活躍してみせます!」
笑みを見せながらも自らも負けていられないと意気込みを露にする面々。
戦意を高める眷属たちにリアスは微笑を浮かべる。一誠もシンも、他の者に良い刺激を与えてくれる。その高まる気持ちを無駄にしない為に、『王』としての責務を果たさなければならない。
リアスに重圧としてかかるが、それが齎す緊張を、リアスは自分が成長する為の糧と捉える。
(いつかは、この重圧すら愉しむ様にならないとね)
そこに至るには、まだ自分は若く経験も浅い。だが、決して叶わないことだとは思っていなかった。
それを可能だと信じさせてくれる者たちは、今自分の目の前に居るのだから。
◇
「では、頼みましたよ。イリナ」
「はい! ミカエル様の『
純白。その一言で尽きるぐらいに穢れ一つ無く、ありとあらゆるものが完璧なまでに整えられている空間。
その中心で四大天使として名高い熾天使ミカエルが、教会の聖剣使いである紫藤イリナと向き合っていた。
ミカエルに対し、溢れ出る崇拝から潤む眼差し向けるイリナ。その頭上には光輝く輪。そして、背からは白い翼が生えていた。
「――天使化して間もない貴女に苦労をかけます」
「そんなことはありません! ミカエル様直々に任務を与えてもらい、体が喜びで打ち震える思いですっ!」
紫藤イリナはミカエルからの祝福を受け、天使へと転生していた。
他者を悪魔化させる『悪魔の駒』の技術。堕天使が神器を研究して生み出した『人工神器』の技術を参考、応用して創られた新たなシステムである。
ミカエルを含む十名の熾天使が、それぞれ十二名の『御使い』と称した配下を生み出すものであり、その十二名に対しトランプの札に倣いエースからクイーンまでの配置を当てはめる。イリナの与えられた配置はエースであり、それを示すようにイリナの左手の甲には『A』の文字が描かれていた。
三勢力が互いに情報の共有をした結果新たに創造された技術である。
「サーゼクスの妹君には、事前に話を通しています。貴女を迎え入れる準備は整えてある筈です」
「分かりました! 紫藤イリナ! 全身全霊を以ってミカエル様の期待に応えます!」
自分の仕える主に対し、迸るほどのやる気を見せるイリナ。そんなイリナをミカエルは微笑ましく見ていたが、急にその笑みが消え、じっとイリナを見詰め始める。
「あ、あの、どうかなさいましたか?」
ミカエルが突然黙り込んだことに、何か自分が失礼なことをしたのではないかと思い、やる気に満ちた表情を一転させ、不安気な表情で恐る恐る伺う。
「……貴女に見せたいものがあります」
「見せたいものですか?」
「付いてきて下さい」
言われるがまま、イリナはミカエルの後について移動する。
空間の外に出ると、そこは神々しい光が降り注ぎ、石造りの建物が並んでいる。イリナたちはそれを見下ろす位置にいる。今まで居た場所は空に浮かぶ雲の上に作られた建造物であった。
この白く輝く天上の世界こそ、天使たちが住む天界である。
ミカエルとイリナは翼を羽ばたかせ、天界の中で聳え立つ巨大な門の前に向かう。そこには警護をする天使たちが立っていたが、ミカエルの姿を見た途端警備の構えを解き、祈りを捧げる体勢となる。
巨大な門が開くと、その向こうは何も無い白い空間であった。イリナたちが中に入ると足元に金色の紋様が浮かび、それが輝くと二人の体は上へと運ばれていく。この建物は、上に向かう為のエレベーターの様なものである。
上に向かう最中、イリナはミカエルに尋ねる。
「何処に向かわれるのですか?」
「――第七天に」
「な、ななな、七天ですか!?」
天界は第一から第七までの層となっている。ミカエルや熾天使たちが集う本部拠点が第六層こと第六天。直接仕えるイリナですら第一天が主な勤務場所である。そこを跳び越えた先に向かう。イリナが驚くのも無理は無かった。
「そ、そんな、お、恐れ、お、お、多いです! 主の住む場所に向かうなど!」
最上層である第七天。そこは、イリナの言う通りかつて神が居た場所。第六天の段階でごく限られた者しか入れない。第七天に入ることを許されるのは熾天使のみ。
「イリナ。貴女は第七天に今、何が在るか知っていますか?」
「そ、それは、主が残した奇跡、です」
神が死に、今は神の奇跡を司るシステムのみがそこに存在している。それがイリナの知っていることだった。
「半分正解です」
「半分、ですか?」
「残りの半分を貴女にお見せします」
何度も分厚い門を潜り抜け、上層を目指す。その間、イリナは緊張し続けていた。敬虔な信者である彼女が、今から向かう場所のことを考えればその程度で済んでいることに称賛すべきと言える。
時間にすれば、そう長い時間では無かった。本来ならば一層上がることに警護の天使たちから厳重なチェックが行われるが、ミカエルという存在のおかげで全て一目だけで通されていく。
熾天使たちの拠点である第六天に着き、いよいよ第七天へと向かう。すると、ミカエルは足元の紋様に向け、数度指を奔らせる。金色の紋様はミカエルの指に合わせ形を変えると、二人を上に運び始めた。
「何をしたのですか?」
「熾天使のみが知っている鍵を使用しました。イリナ、今から向かうのは第七天であり、第七天では無い場所です」
「ど、どういうことですか?」
「『彼』の為だけに創られた空間。それがもう一つの第七天です」
「彼? 誰のことですか?」
「――魔人」
その名を聞かされた瞬間、イリナの体に震えが起きる。
『魔人』。死を撒く悪しき存在。三勢力だけにとどまらずありとあらゆる生在る者たちに害為す存在。
三勢力の会談際に、イリナもその一人である『だいそうじょう』の姿を見たが、その魂すら凍て付く様な死と恐ろしい存在感は今でも忘れられないでいる。
「ま、魔人ですか! た、確かに、天使が魔人の一体を封じたという話は知っていますが、何故、魔人の為にその様な場所を!?」
「貴女は大戦争の際、魔人たちがどの様な行動をとったのか知っていますか?」
「え、えーと。敵味方関係無く無差別に暴れ回ったという話だったと思います」
「その情報は正確ではありません。確かに殆どの魔人は無差別に暴れました。しかし、例外もありました」
「例外?」
二人にかかっていた浮遊感が消える。それは、目的の場所に着いたことを告げていた。
「着きましたね」
白い空間の外に出ると、巨大な門が建っていた。
「魔人の中で例外的な行動をとった魔人が二体居ました。片方は悪魔や堕天使に目を向けず、ひたすら天使だけを狙い、もう片方は天使だけは攻撃しなかった。寧ろ逆に私たちを守る動きすら見せていました」
「ま、魔人がミカエル様たちを守ったのですか? 一体何故?」
「それは分かりません。彼と言葉を交わす機会はありませんでしたから」
ミカエルの手が門に触れる。すると門が大きな音を立ててゆっくりと開かれていく。
「イリナ。気をしっかりと持っていて下さい」
門の向こうから流れ出る空気は異様なまでに冷たかった。
完全に開かれた門。その向こうにソレは在った。
白く広々とした空間にただ一つある大きな十字架。その十字架に鎖で幾重も厳重に縛られている者こそ魔人。
魔人と聞かされたとき、イリナはもっとおどろおどろしいものを想像していた。だが実際は――
金の十字が刺繍された帽子。胸、両肩、背に垂れる白と黒の帯。その身に純白の法衣を纏い、その手に金のラッパが握られている。
だが、最も目を惹かれたのは、その背から生えるもの。
天使と同じ純白の翼であった。
「『吹奏者』魔人トランペッター。それが彼の名です」
「トラン、ペッター……」
その名を聞かされたとき、イリナは黙示録のラッパ吹きを連想した。それに相応しい死が目の前の存在から放たれている。
「戦争が終わった時、彼は天界に現れ、そのまま深い眠りにつきました。そして、その日から一度も彼が眠りから覚めたことはありません」
「その、退治しようと思ったことは?」
「熾天使の中でも意見は割れました。どう扱うべきか。私も天使に危害を加えなかったからといって味方だ――という楽観視は出来ませんでした。結果として誰の手にも届かない場所で封じることとなりましたが、今となってはそれが正解だったと思います」
数十年前、魔人の一人である『獄天使』が堕天使の本拠地を突如襲撃した際、堕天使の総戦力に加え、アザゼルと個人的な付き合いがあった阿修羅のマダ、そのマダの繋がりで闘戦勝仏初代孫悟空、五大龍王の一匹である
仮にトランペッターに害を与え反撃されようものなら、そのときの堕天使たちと同等以上の戦力を準備していなければならなかったが、戦争で疲弊しきっていた当時の天界には準備する余裕など無かった。
「そんなことが……」
沈黙するトランペッター。死体の如き静かな内に、一体どれだけの死が内包されているというのか。
俯くトランペッターからは何も伝わって来ない。
(一体、どんな顔を――)
しているのだろうか。そう思った瞬間、俯いていた筈のトランペッターの顔が跳ね上がり、白骨の顔にくり抜かれる様にある虚無を彷彿させる眼無き双眼がイリナを見た。
あまりのことに声を上げることすら出来ない。
トランペッターは自分を縛める鎖を容易く引き千切り、その双翼を羽ばたかせイリナの眼前に立つ。
剥き出しとなった歯に押し当てられる吹き口。その反対はイリナに向けられる。
奏でられるはこの世ならざる音。――
音が体の中へと染み込み、皮は全て溶け――ッ
血は蒸発し、肉は剥がれ、骨は砕ける――ナッ
残る魂もまた跡形も無く――リナッ
「イリナッ!」
「はっ!」
ミカエルの声。我に返りイリナは思わず自分の体を見る。傷一つ無い。
トランペッターを見る。最初と同じ様に俯いたままの状態であった。
トランペッターは何もしていないし、何も見せてはいない。魔人の死に触れたことで、イリナが自身に見せた刹那の幻覚である。
「大丈夫ですか?」
「お、お見苦しいところを――」
イリナの全身は冷や汗で濡れ、寒さに耐える様に震え続けている。
「行きましょう。長居をしたみたいです」
他の魔人と比べれば、眠りについているため比較的死の気配が薄いトランペッターだが、それでも天使にとってはやはり悪影響を及ぼす。
ミカエルはイリナに手を貸し、門の外に出る。二人が出ると門は自動的に閉まった。
「も、申し訳ございません」
「いえ。謝るのはこちらの方です。少し、急いてしまいました」
「そ、そんなことはありません! 私が天使として未熟だからです!」
「魔人の死の気配に影響を受けない天使はまず居ません。貴女は十分耐えていましたよ」
穢れや邪なものに弱い天使にとって、魔人特有の死の気配は非常に厄介なものであった。だが、魔人の中にはそれですらまだましと言えるほど、天使と最凶最悪の相性を持つ天敵そのものの魔人が存在する。
「……それでどうして私を魔人と会わせたのですか?」
イリナは、青い顔のままミカエルの真意を聞く。
「貴女にもう一つ任務を頼むつもりでした。それには魔人が関わることです。少しでも知っておくべきと思ってのことでした。ですが――」
「やります! やります! 絶対成し遂げてみせます!」
任務を取り下げようとするミカエルに、イリナは今見せられる精一杯のやる気を振り絞る。
「どんな危険なことでもやり遂げます!」
「危険――という訳ではありませんが、先の見えない任務ですよ?」
「それでもやります!」
「……分かりました。なら、イリナ、貴女にもう一つの任務を与えます」
「はい!」
ミカエルはそこで一呼吸置き――
「間薙シン。彼から目を離さないで下さい」
六巻最初の話なので、まずは短めの内容となっています。