ハイスクールD³   作:K/K

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これからは文字が三万前後になったら二つに分けようかと思います。
読み返したときそっちの方が見やすかったので


一歩、暗澹(前編)

 レーティングゲーム終了後、シンは医療施設の一室にあるベッドの上で横になっていた。怪我の治療の為でもあるが、もっと優先すべき理由がある。

 袖を捲ったシンの腕に刺された針。そこから伸びるチューブの中を通る赤い液体。血液である。チューブの先には殆ど空になった血液パックがあり、そこにはシンの血液型が記されていた。

 魔力の暴発による負傷。追い打ちを掛ける様にアスカロンで腕を串刺しにされ、更にはその状態で無理矢理腕を動かしたことで大量の血を外に流していたらしい。

 レーティングゲームという常時緊張状態が続く環境だった為かあまり自覚は無かったが、シンを治療した医者はシンの怪我の状態を見て目を丸くし、『何で意識があるんだ……』と呟く声が聞こえた。

 シンは指先から手首まで巻かれた包帯を見る。それなりに重傷の怪我の筈だが、特に痛みは感じない。こんな風に包帯を巻かれていること自体大袈裟だと思っていた。実際、ゲームの終了時には傷口からの出血が既に止まっており、それどころか傷口に薄い皮膚の膜が張っていた。

 

(我ながら人間離れしてきたな……)

 

 常人ならば、異形と化していく自分に恐れを抱くか悲嘆にくれるかもしれないところだが、ここまで露骨に治りが早いと、まるでコミックやアニメのキャラクターになった様なコミカルさを覚えてしまう。

 少なくとも今のシンにはそういった感傷は無縁と言えた。

 血液パックの中の血が全てシンの中に流れ込む。

 横たわっていた体を起こす。少しの気だるさと戦いの感覚が残っているのか、普段以上の体熱を感じる。

 肩、腕を軽く回した後、周囲を確認する。他の怪我人を見ているのか、近くに医療スタッフの姿は無い。このままじっとしていてもいいが、ソーナたちやリアスたち、そして仲魔たちのことが気になったので、輸血針を抜いてベッドから降りる。

 シンが怪我と輸血をされてからまだ一時間も経過していないが、冥界の医療故、殆どの者たちの治療は終えていると思い、最初にソーナたちかリアスたちの様子を見に行くことにした。

 部屋から外に出る。廊下に人の姿は無い。窓も無く汚れ一つ無い白い壁に覆われた長い廊下にはポツンと自動販売機が置かれており、人間界の病院の様な俗っぽさを見る者に与える。

 暫くあてもなく廊下を歩くシン。すると、背後から足音が聞こえて来る。聞こえる足音の数からして二名。そのうちの一つが急に音の間隔が短くなる。早足で接近してきているようであった。

 医療関係者かと思い振り返った途端、いきなり両手を掴まれる。

 反射的に振り払おうとしたが、目の前に立つ人物が誰なのか分かり途中で止めた。

 レイヴェル・フェニックスがその頬を紅潮させ、瞳をこれでもかと爛々と輝かせながらシンの両手を握り締めていた。

 

「私……感動しましたっ!」

 

 開口一番の言葉がそれであり、ついていけずシンの方は閉口してしまう。

 

「今回のレーティングゲーム、本当に! 本当に見所ばかりでしたわ! 決まれば即リタイヤの危険があるかもしれない神器の相手を一方的に振り回し、尚且つ撃破する間薙様の強さ! その後の塔城さんとイッセー様との緊迫した戦いには息をするのも忘れ、そして、塔城さんと決着がついたあの瞬間! 倒れる塔城さんが間薙様に体を預けるあの構図! 偶然から生まれた奇跡そのもの! 名作の絵画を見ている様な感動を覚えました!」

 

 レイヴェルの話は止まらない。口を挟むことすら阻まれる程の怒涛の勢い。

 気付けばレイヴェルの後ろにライザーが立っていたが、妹の熱の入り具合に若干呆れた表情をしていた。

 

「イッセー様と匙さんの死闘も私、血が熱くなる程でした! お互いの全力と全力をぶつけ合うその様は、古の益荒男の戦いを彷彿とさせるものでしたわ! まさに男の決闘! 拳と拳でしか生まれない領域! 女の身ですが、あれを見た時少しばかり殿方になりたいとさえ思ってしまいました!」

 

 リアスとソーナのレーティングゲームを観戦しての感想を息つく暇もなく語り続ける。余程興奮したのか、体の内に生じた熱をそのまま感想と感情に乗せて外に放っているようであった。

 

「リアス様とソーナ様の王同士の戦いは、まさに背負う者としての戦い! 駒たちを動かし時には冷徹な戦術を出すも決して冷血ではなく、寧ろ下僕が落ちていく度にその無念を背負い自分たちの力へと変えていくその姿はまさに王道!」

 

 放たれる熱は一向に収まることを知らず、それどころかどんどんと上昇している様に思えた。

 

「間薙様と木場さんの最後の戦いは、画面越しでも痛さと怖さが伝わってきました! 戦いの現実と残酷さを皆に見せつける様であり、同時に戦う者たちの意地と執念を見せつけられる思いでした!」

 

 興奮のままに握り締めているシンの両手を勢いよく上下に振る。一応包帯を巻いている怪我人ではあるのだが、興奮状態のレイヴェルの目には入っていなかった。

 このままだとレーティングゲームの最初から最後まで感想を延々と聞かされそうな気がしたので、背後に立つライザーに視線を向ける。『どうにかしてくれ』、という意味を含ませて。

 ライザーは溜息を吐いた後に、レイヴェルの肩を指先で二回叩く。

 

「何ですか! 今リアス様とソーナ様のあの素晴らしい戦いの結末を――」

 

 話の邪魔をされたことで実兄に対し噛み付かんばかりの勢いで迫るが、ライザーは動じずにシンの両手を顎で指す。

 示した方向を目で追い、包帯が巻かれた両手に辿り着いたとき、紅潮していたレイヴェルの顔から一気に血の気が引き、慌てて握っていた手を離す。

 

「ご、ごめんなさい! 私ったら我を忘れていました!」

 

 少し距離を空け深々と頭を下げるレイヴェル。レーティングゲームで戦ったときの尊大さが嘘の様なしおらしい態度であった。

 

「気にするな。大した怪我じゃない」

「いや。大した怪我だろう」

 

 左手は骨折と左右に分かれそうなほどの深い裂傷。右腕はアスカロンで串刺しにされているのを画面越しで見ている。大した怪我では無いと簡単に流してしまうシンに、思わずライザーは口を出してしまった。

 

「本当に大した怪我じゃないんだがな」

 

 そう言ってシンはライザーたちの目の前で両手を開閉してみせた。

 

「人間なのに気持ち悪い体をしているな」

「お兄様っ!」

 

 歯に衣着せぬ率直な感想。レイヴェルが咎めるものの、シンの方は特に気を害した様子も無く『まあな』とさえ言って認める始末。

 そんな二人にレイヴェルは何を言えば良いのか分からなくなり、閉口してしまう。

 

「それで? 感想を言う為にここまで来たのか?」

「ごめんなさい。どうしても伝えたくなって……。あともう一つお願いが……」

「お願い?」

 

 レイヴェルはもじもじと恥ずかしがっている様子でそのお願いについて中々言い出せずにおり、ライザーに視線を向け助け舟を求める。

 するとライザーは露骨に『嫌だ』という表情をする。

 それでも潤んだ目を向け続けるレイヴェル。妹の懇願する視線に耐え切れなくなったのか、重い息を吐きながらライザーがレイヴェルの前に出た。

 

「まあ、その、何だ……。結構というか、それなりにというか、多少というか、まあまあゲームで活躍していたな」

「……お前も感想を言いに来たのか?」

 

 中々話を切り出さないライザーを少し揶揄う。瞬間、ライザーに火が点いた。

 

「はっ! だったら言わせてもらおうか! 無様に負けたな、貴様! 赤龍帝や猫又に振り回されている姿は滑稽だったな! ソーナ・シトリーの『戦車』代理のくせに『王』を守れないとは『戦車』失格だな! 馬鹿め! あと聖魔剣使いにも紙一重で負けそうになった挙句アナウンスで助けられるとはな! 精々リアスに感謝しておけ! お前が倒される前に『王』を取ったことをな! 個人の黒星がつかなかったことだけはまあ、一応褒めておいてやる!」

 

 早口且つ上から目線でシンをこき下ろしてくる。

 だが、添え物程度に褒め言葉が付け加えられていた。

 

「ああ言っていますが、ゲーム中は、それはもう食い入るように見ていたのですよ。特に間薙様とイッセー様の戦いなんて前のめりになるくらいに」

「レイヴェェェェェルッ!」

 

 シンに耳打ちしてきたレイヴェルの言葉をしっかりと拾い、照れ隠しなのか大きな声でレイヴェルを注意する。

 

「さっさと用件を済まして行くぞ! ここは俺達がウロチョロしていい場所じゃないんだ! 無理を言って融通を利かせて貰ったに過ぎない! 残り時間も少ないぞ!」

 

 ライザーの言う通り、本来この場所に居られるのはレーティングゲーム参加者か、その関係者だけである。部外者であるライザーたちが足を踏み入れることにいい顔などされはしない。日々ライザーがコネクションを築いてきたこと、七十二柱という上級悪魔という立場で無理を言って、何とか十数分の猶予を貰えたに過ぎない。

 

「もうそんな時間なのですか? 分かりました。間薙様っ!」

「何だ?」

 

 ライザーが下がりレイヴェルが前に出る。レイヴェルが真っ直ぐシンを見ながら両手が後ろ手になる。少し躊躇する様に口をもごもごと動かしていたが、後ろでライザーが小声で『早くしろ』と急かしたことで意を決したのか、背に回していた両手を勢いよくシンに向かって突き出す。

 右手に色紙。左手に万年筆を握り締めて。

 

「これにサインを書いてくださいますかっ!?」

 

 目の前に突き出されたそれを見て、暫しの間シンは沈黙した。沈黙せざるを得なかった。今まで生きてきた中で、そしてこれから生きていく先で一生頼まれることもすることも無いであろう台詞を言われたからだ。

 

「……サイン?」

「はい! そうですわ!」

 

 聞き返せばレイヴェルが瞳を輝かせて頷く。冗談ではなく本気だというのが伝わってくる。

 

「……サインなんて書いたことが無いんだが」

「まあ! だったら私が初めてということですか! 光栄です!」

 

 喜々としてますます目を煌かせるレイヴェル。

 サインと万年筆から視線をずらし後ろに立つライザーの方を見ると、視線だけで物理的に焼き殺せそうな程の目付きでこちらを睨んでいる。

 

『まさか可愛い妹の頼みを断るんじゃないよなぁ? もし断ってみろ。燃やし尽くすぞ?』

 

 圧が籠った眼がそう語っていた。

 ここで断ってライザーに暴れられるのも不味い。何よりここまで期待を込めたレイヴェルの顔を曇らせるのも悪いと思い、レイヴェルから色紙と万年筆を受け取った。

 白い色紙に万年筆の黒いインクが走る。よく見る様な洒落たサインなど書けないので、色紙の真ん中に堂々と『間薙シン』という名を崩さずに書き、それをレイヴェルに手渡した。

 

「ありがとうございます!」

 

 喜んでそれを受け取るレイヴェル。すると、またもじもじとした態度をとる。

 

「実は、もう一つお願いが……」

「……何だ?」

 

 

 ◇

 

 

 ライザーたちと別れてシンは再び医療施設内を歩いていた。その手に万年筆と新たな色紙を持って。

 これで一誠のサインも貰ってきて欲しいというのがレイヴェルのもう一つの願いであった。あれ以上施設内を歩き回ることは時間切れの為に出来ないからである。

 頼みを引き受けてくれた礼として『フェニックスの涙』を渡された。

 

(最近、身近に感じる様になったな)

 

 そう思いながら小瓶の中に『フェニックスの涙』を揺らす。それだけ必要になる場面が多くなったとも考えられる。

 フェニックスの涙を何となく見つめながら歩いていると、それ越しに人の姿を見つける。歪んで見えるが、それでも鮮やかな紅の色までは歪むことも曇ることも無い。

 

「部長」

 

 シンが名を呼ぶと、扉を開こうとしていたリアスの動きが止まり、シンの方を見る。リアスは少しだけ驚いた表情をした。

 

「シン……貴方は大丈夫なの?」

「大したことないですよ」

 

 レイヴェルに見せた様に軽く手を振って見せる。

 

「大したがことないからって無茶をしたらダメよ」

 

 その行動にリアスは苦笑しながらやんわりと注意をした。

 

「ここがイッセーの病室なのだけど、貴方も来るでしょう?」

「……いいんですか?」

 

 シンも一誠に用があったが、つい先程まで敵味方に分かれて戦っていた関係である。こうやってリアスと会話していることですら、いいのだろうかという疑問を抱いていた。

 

「あのね。貴方がソーナ側で戦うことは私も認めたことなの。それにゲームが終われば敵も味方も無いわ。勝っても負けても。それとも私や私の眷属たちが、そういったことでわだかまりを持つと思っているのかしら?」

 

 半眼で責める様に見詰めてくる。そんな器の小さな者だと思っているのかと。

 

「それもそうですね。分かりました」

 

 これ以上躊躇うのは逆に失礼だと思い、リアスの言葉に従うことにした。大体シン自身も戦った相手に対し恨みも怒りも抱いてはいない。双方それならば、それでこの疑問は終わりである。

 リアスの後に続いて病室の中へと入る。

 病室のベッドの上で一誠が仰向けで寝ているが起きており、ベッドの隣でいつの間にか来ていたマダと喋っていた。

 マダを見た瞬間、リアスが小さな声で『うっ』と呻いた。あまり顔を合せたい相手ではないらしい。

 

「あ、部長!」

 

 リアスを見ると仰向けになっていた一誠が勢い良く上体を起こすが、すぐに頭をフラフラと揺れさせる。

 

「あんま無理すんな」

 

 見兼ねてマダが一誠の額を指先で押す。抵抗も無く一誠は再びベッドの上で仰向けになった。

 

「大丈夫なの? イッセー」

「だ、大丈夫です。ちょっとクラクラしますけど……」

『意識を失うまで生命力を魔力に変換したんだ。もう少し大人しくしていろ、相棒』

 

 強がってみせる一誠にドライグの声が飛ぶ。シンは一誠と匙がどんな戦いをしたかは知らないが、シンの前でリタイヤする姿や今の一誠の状態を見ると、紙一重の戦いだったのが容易に想像出来た。

 

「あ、間薙も来てたのか」

 

 リアスから少し遅れてシンに気付いた。

 

「まあな。思ったよりも元気そうじゃ無いみたいだな。――匙は強かったか?」

「――強かった。何とか勝ったけどな。……いや、引き分けみたいなもんか」

 

 匙との激戦を思い返す一誠。その表情は僅かな悔しさとやり遂げた満足感が混ざり合っている。

 

「確かにあの子の働きは大きかったわね。今回のゲームの評価は匙と貴方のおかげで厳しいものになったから」

 

 横目でリアスがシンを見る。恨みがましいというよりはしてやられたというものであり、視線にまとわりつく様なものは感じられない。

 

「開始早々にギャスパーを落とされたこと、それに赤龍帝がリタイヤしたことが上の人たちには気に入らなかったみたいね。ギャスパーにとって有利なルールだったこと。赤龍帝が禁手まで使用したのも大きく影響していたわ」

「そりゃあ、あの神滅具が禁手に至ったていうのに結果を見れば一人を相打ち同然で倒しただけのしょっぱいもんだったからなぁ。あー、情けねぇー」

 

 情け容赦無く追い打ちを掛けるマダ。事実なだけに一誠はぐうの音も出なかった。

 

「うう……すみません」

「別に貴方を責めている訳じゃないわ。責められるとしたら皆を上手く動かせなかった私の責任よ。貴方たちは十分戦ってくれたわ。辛勝だったけど勝ちは勝ち。初めての一勝よ」

 

 一誠を元気付ける様に笑い掛けるリアス。励まされた一誠は地獄で仏に会った様な救われた表情となった。実際は真逆であるが。

 

「それに決して貴方の評価だって厳しいものばかりじゃないのよ。ほら、貴方がリタイヤする直前に私たちの動きに気付いてソーナの居場所を教えてくれたじゃない。ソーナの策を一気に封じるだけじゃなくて同時に追い込んだ一手は中々のファインプレーと言われていたわよ」

 

 リアスの言葉を聞いて、シンも一誠がリタイヤ直前に謎の力を放っていたことを思い出した。リアスやソーナの位置が分かったということから、攻撃では無く索敵用の技だったらしい。

 

「あれって一体どうやったの? 私たちも知らない技を使ったのよね?」

 

 どんな方法かと尋ねると一誠は笑い出す。その笑みを見たとき、シンは嫌な予感がした。

 

「ふふふふふふ。あれはですね。うふふふふふふ」

「へっへっへっへっ。土壇場で成功させたみたいだな? イッセー。へっへっへっへっ」

 

 何故かマダも笑い始める。それについて何か知っている様子であった。

 

「……勿体ぶらずに早く言え」

「ふふふふふふ。なあに、ただ聞いただけさ、声を」

「声?」

 

 読心術でも身に付けたのであろうかとシンは一瞬考えた。

 

「そう! おっぱいのなっ!」

 

 その直後に自分が如何に浅はかな考えをしていたのか思い知らされた。目の前の男がそんな単純で普通な技を覚える訳が無い。

 

「……え? え? 急に何を言い出しているの?」

 

 言ったことについていけないのか、リアスは聞き返してしまう。

 

「女性限定でおっぱいの声が聞こえる! それが俺の新技、『乳語翻訳(パイリンガル)』なんですっ!」

 

 発想も酷ければ名前も酷い。頭の中でその単語を思い浮かべるだけで脳細胞が死滅していく様な気がする。もし、人生でその単語を言うべきときが来たら、躊躇うことなく己の声帯を抉り出すだろうと、シンは迷い一つ無く思う。

 あまりにあれな新技にリアスは絶句する。一方、マダは誇らしいと言わんばかりに頷いていた。

 

「まさに胸の内を聞く、というやつです」

(何だろうか……殴りたい)

 

 少し上手いことを言う一誠を何故か引っ叩きたくなる衝動に駆られる。

 

「本当なら会話する為の技なんですが、近くにおっぱいが無かったから声を聞くのが精一杯でした。まあ、何とかソーナ会長の『僧侶』のお姉さんの声と部長たちの声が聞こえましたが」

「そういえばあのとき何か胸に違和感があったわね……」

 

 一誠の説明にリアスは心当たりがあり、納得してしまう。

 

「ふふ……いいもんでしたよ。マダ師匠。おっぱいの声を聞くっていうのは……。本人と違った個性があって俺のおっぱいへの理解がより深まりました」

「へっ。ついこの間までひよっこだった癖に。師匠の俺ですら出来ないことを成し遂げちまうとはな……」

 

 師が弟子を認めるという暖かな光景。ただし、それを見ているリアスとシンの周囲には冷えた空気が流れており、それらが混じり合ってぬるい風が場に吹いていた。

 

『本当になあっ! 何で出来ちゃったんだろうなっ! それだけ俺が高性能という訳か! ふははははははははははははは!』

 

 ドライグが笑うが、その笑い声から自棄になっているのが伝わってくる。聞いている方が痛々しく思える程の悲痛な笑いであった。

 

『ふはははははははは……はははは……はは……おおう……おおお……』

 

 その空元気も底を突いたのか、哄笑が慟哭へと変わっていく。

 

「ごめんな! 本当にエロくってごめんな! どうしても、どうしてもこの渇望が捨てきれない……!」

「取り敢えず落ち着け。お前は一生懸命そいつの相棒をやっているだけだ。お前自身何も間違ったことはしていない」

「大丈夫よ、大丈夫。貴方が誇り高い二天龍だって言う事は誰もが分かっているから」

 

 あまりに哀れに思ったのか、一誠、シン、リアスがドライグを慰め始める。傷付いた自尊心を埋める様に称賛の言葉を浴びせ続けた。

 その甲斐あってドライグの嘆きも次第に治まっていく。

 

『うう……そうだよな。頑張っているよな、俺』

「そうだぜ。誇れ。胸の声が聞こえるなんて特技を持つドラゴンなんてこの世でお前一匹だけだ」

 

 折角治りつつあったドライグの心の傷を深く抉るマダ。

 

『お前とは当分口利かないからな!』

 

 子供の様な捨て台詞を吐いて、ドライグはそれ以降沈黙してしまう。

 

「おい、ドライグ? おーい! ドライグ!」

 

 一誠の呼び掛けも無視。完全に心を閉ざしてしまった。

 シンとリアスが視線で責めるが、マダは気にする様子も無く口笛を吹く。

 

「まあ、いいわ。色々と言いたいことがあるけど一先ず置いておきましょう。取り敢えずイッセー、その技はゲームでは今後禁止よ」

『えー』

 

 師弟揃って不満そうな声を上げる。

 

「だってそんな技があったら今度から女性悪魔たちとは戦えなくなるわ。弱みを握られたり、プライベートを知られたりするって普通は考えるもの。相手がこちらとのゲームを拒否するでしょうね」

 

 戦うだけで自分たちの心を読まれるなどたまったものではないだろう。尤もこのことを知っているのは今この場にいる者たちだけである。誰にも言わなければ今後も密かに使用出来るだろうが、リアスの性格上黙っている筈は無いが。逆に読心を黙って使っている者たちも居るかもしれない。心を読む神器など実際に在りそうである。

 

「ううぅ……部長がそう言うのなら従います……」

 

 リアスの命に従うと決めた一誠であったが、余程無念なのか少し涙目になっていた。

 

「すみません。どうやら一度限りの命だったみたいです……」

 

 マダに詫びると、マダはそれを一笑する。

 

「気にするな。ゲームが駄目なら実戦でばんばん使ってやれ。お前の洋服崩壊と合わせて身も心も丸裸にしてやれ」

 

 最低な励ましと助言を送るマダに、リアスもシンも呆れる。

 

「馬鹿馬鹿しい……」

 

 酷過ぎる内容に思っていたことがついシンの口から漏れ出す。リアスも一誠も聞き取れない小さな声量だったが、マダの耳は零れ出た声をしっかりと捉えていた。

 

「イッセー。いつかはあの堅物野郎にもお前の世界を教えてやれ」

「え? 間薙にですか? ……頑張ります!」

 

 マダの碌でも無い台詞に、一誠も断らず素直に応じる。聞いているシンとしてはいつか実現されるのではないかと、背中に嫌な悪寒が走った。

 これ以上ここに居るとマダが更に良からぬことを言いそうなので、目的を果たすことにする。

 

「ほら」

「何これ?」

 

 シンから色紙と万年筆を手渡された一誠は、意味が分からずキョトンとした顔でシンを見上げる。

 

「お前のファンがサインを欲しいとさ」

「マジでっ!」

 

 ファンなど自分の人生に於いてこれからもこの先も縁が無いと思っていた。それが現実に現れ、ましてや自分のサインを欲しがっている。このことに一誠は興奮を隠せない。

 

「誰!? 誰!? 男!? 女!? 名前はっ!?」

 

 ファンという言葉に喰い付き、上体が目にも止まらぬ速さで起き上がる。血走った目で鼻息を荒くして詳細を聞いてきた。

 が、しかし――

 

「だから寝てろつってんだろうが」

 

 マダの人差し指が一誠の額を弾く。その瞬間、起き上がったとき以上の速度で頭を枕に叩き付けられ、反動で両脚が九十度真上に伸びる。首倒立の体勢を数秒キープした後、両脚はベッドに降りる。

 

「イ、 イッセー!」

 

 リアスが慌てて一誠の顔を覗き込む。一誠はベッドの上で白目を剥いて気絶していた。

 

「大丈夫なの!? イッセー!」

「大丈夫。大丈夫。この程度でくたばる様だったら、特訓の時に既にくたばってるぜぇ。おら! この程度で寝てんじゃねぇ!」

 

 気付け代わりの平手打ち。それの連発が一誠を襲う。

 

「止めなさい! 本当に死んじゃうわ!」

 

 マダにしがみつき一誠から引き離そうとするが、巌を彷彿とさせるマダの巨体にはリアスの細腕など無力であった。

 

「じゃあ、サインは後で取りに来ますので」

 

 これ以上居座ると巻き込まれそうになると察し、俄かに騒がしくなっていく病室を後にしようとする。背後から打楽器の様な音が聞こえてくるが、流石に本気では無いことは何となく分かっていた。喧騒はシンの去り際の言葉や気配を完全に打ち消してしまい、リアスたちが気付くことなくシンは病室から出る。

 

「ん?」

 

 病室を出ると、すぐそこに白鬚を蓄えた老人が立っていた。皺以上に彫りの深い顔立ちは一目で異国の出身だと分かる。

 

「こんなところで会うとはのぉ」

 

 こちらのことを知っている口振りで老人はシンをじっと見つめる。その片目は閉ざされており隻眼であった。

 

「どちら様で?」

 

 面識の無いシンが尋ねると老人は破顔する。好々爺という印象を受けるほどその笑みは気さくなであった。

 

「なあに。ただの北田舎のジジイじゃよ。お前の戦いを見せてもらったが若いのに随分と勇ましいというか、痛々しい戦い方をするのぉ。特に最後の聖剣に串刺しにされるのは、昔を思い出したわい」

 

 笑いながら自分の体をさする。

 レーティングゲームを観戦しているので自称北田舎のジジイで収まる様な人物ではないのは簡単に分かる。

 

「とは言っても若いうちは苦しいことも楽しいことも存分にやるべきじゃわい。その方が育つからのぉ。特にお前の場合はそれを何倍も経験しなければならないしのぉ」

「――それはどういう意味ですか?」

「『魔人』には敵が多いからなあ?」

 

 柔和な表情が一瞬だけ変わる。槍の如き威圧と神気が量る様にシンを貫いた。並みの精神ならば意識を持っていかれる形無き槍撃。しかし、シンはそれを微動だにせず真っ向から受け止め、表情も微塵も変化させない。

 すると、老人から放たれた圧はあっさりと霧散する。

 

「すまんなぁ。少し試させてもらった。どうやらアレの中では真面な方らしいのぉ」

「そうなんですか?」

「少なくともわしが知っておる魔人ならば少しでも殺気を向ければ喜々として襲ってきよったわ。――トール辺りは楽しそうに迎撃しておったがのぉ」

 

 シンの脳裏に高笑いする某闘牛士の姿が浮かび上がる。悪い意味で顔の広い魔人であることを思い知らされる。

 

「悪魔の中でお前を見た時は、悪魔もとち狂ったかと思ったが案外大丈夫そうじゃのぉ。それだけ分かれば十分」

 

 老人はシンの横を通り抜け病室の前に移動する。

 

「ではな。赤龍帝の小僧にも一言言いたいので」

「それでは。北田舎の御爺さん」

 

 既に容姿や先程の気配から正体は察していたが、敢えてそれを伏せて最初の名乗りで返す。

 老人とシンはほぼ同時に背を向け歩き出した。その去り際――

 

「ロキには気を付けろ」

 

 シンは足を止めどういう意味かと問う為に振り返るが、それよりも先に老人は病室の向こうに消えていた。

 少し気になったがこれ以上問うのは無駄だと思い、ここから離れることにする。もし、本当に警告をするならあの場できちんと説明をしていた筈。老人も確実性の無い勘から来る警告であった為、気にする程度に留めておいたのではないかと。

 

(まさか神に会うとは……)

 

 悪魔や天使と関わっているのならいずれ会うとは思っていたが、出会いというのは常々時や場所を選ばないものだと知る。

 

(あれが北欧神話の主神か……)

 

 その力の一端を見ることが出来たが、せいぜい挨拶程度のもの。本当の実力を知るには浅い。

 

(ロキか……)

 

 北欧神話のトリックスター。悪戯の神。それが何かしらの意識をこちらに向けている。全く身に覚えの無いことなので推測も予測も出来ない。

 

(……そういえばあいつ等はどうしているんだ?)

 

 仲魔たちのことが頭を過る。それは自分でも不思議に思うほど唐突なものであった。

 

 

 ◇

 

 

「まあ、こんなもんか」

 

 レーティングゲームが終わると共にロキは立ち上がる。ピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンは未知の観客に対し、これといった警戒心を見せなかったが、ケルベロスは終始警戒しており、ロキが何かする度に唸り声を上げていた。今も立ち上がったロキに対し唸っている。

 

「そんなに警戒するなよぉ。何もしないって気配で解るだろう?」

「グルルルル……」

 

 しかし、ケルベロスは唸るのを止めない。

 

「やれやれ。悲しくなるぜぇ」

 

 わざとらしい仕草を見せるロキ。しかし、その顔には笑みが張り付いていた。

 ロキはそのまま部屋の外に出ようとする。

 

「もう帰るの?」

 

 ピクシーが話し掛ける。

 

「ああ。もう用事は済んだからな」

「結局何しに来たんだホ?」

「用事って言っても僕たちと一緒にシンたちの試合を見ただけだよ~」

「それが用事って訳さ。久しぶりに会えてよかったぜ」

 

 久しぶりと言われて、ピクシーたちは戸惑う。ピクシーたちにとってはロキとは初対面であった。

 

「お前たちはきちんと忘れられているんだな」

 

 ピクシーたちの反応を見て、独り納得しながらロキは部屋の外に出る。

 

「あ、ちょっと待って!」

 

 腑に落ちないピクシーたちは、慌ててロキの後を追う。ロキはまだ扉の前に居た。

 

「忘れているって何がホ?」

「知る必要は無い」

 

 突き放した言い方にピクシーたちは少し怒った様子で顔を顰める。その顔を見てロキは喉の奥で笑った。

 

「別に意地悪して教えない訳じゃねぇよ。まあ、好きだがな。忘れていた方がお前たちにとって為になる筈だ」

「どういうこと~?」

「それも言えないな。実のところ、こうやって俺がお前たちとベラベラ喋っているのももしかしたらお気に召さないかもしれない」

「……ダレガオキニメサナイ?」

「さあな」

 

 気になる情報は漏らす癖に肝心なことは喋らないロキに、苛立ちを覚え始める一同。全く心当たりが無いことなのに、自分だけが知っていることを勝手に言うロキと話が嚙み合わない気持ち悪さもまた苛立ちを増加させる。

 もっと追及しようとしたとき、金属が擦れ合う音が廊下から聞こえてくる。自然と音の方に目を向けると、鎧を纏った女性が駆け足でこちらに向かっていた。

 女性はロキの前で急停止すると、目を吊り上げてロキを見上げる。

 

「どこにおられたのですかっ……!」

 

 本当ならば怒鳴りたい所を、注意を惹きたくないので無理矢理声を押し殺す。その余剰となった怒りが赤面として表に出ていた。

 

「何だ、自力で気付いたか」

 

 幻術の自分と自然に合流し誤魔化すつもりであったが、そうなる前に悪魔たちよりも早く幻術だと気付いたことにロキは少し驚き、多少感心する。魔術体系が同じだとはいえ神の力を一介の戦乙女が破ったのだ。オーディンが付き人として連れてきただけのことはあった。

 

「何を考えているのですか! 冥界で単独で動くなど! 下手をしたら悪魔と北欧の神々との間に亀裂が生じるかもしれないのですよ!」

「それはそれで面白そうだな」

「何を言うのですか! 誰かに聞かれていたらどうするのですか! 神としてもう少し御自分の立場と発言に――」

「ガミガミうるせぇぞ。行き遅れのヴァルキリーが。まず自分の行末を心配しろ。そんなんだから余るんだよ」

「なっ!」

 

 普段のロキからは想像出来ない暴言にヴァルキリーの女性を絶句させる。そして、よろよろと後退した後、いきなり蹲って泣き始めた。

 

「そ、そんなはっきりと言わなくてもぉ……うぅ……私だって色々と頑張っているのに……」

 

 余程効いたのか本気でショックを受けている様子であった。

 

「大丈夫。大丈夫。あの人、性格悪そうだから気にしたらダメだよー」

「ヒホ! 本気にしたらダメだホ!」

「ヒ~ホ~。真面目に捉えちゃいけないよ~」

「グルルルル。トリアエズココデナクナ」

 

 見兼ねて初対面のピクシーたちがヴァルキリーを慰め始める。

 

「うう……ありがとうございます……ところで貴方たちはどなたですか?」

 

 ヴァルキリーとピクシーたちが自己紹介をし始めたのを見て、ロキが何やら口を挟もうとする。しかし、開かれた口は自らの手によって塞がれた。

 瞬きが少しだけ多くなる。自分でしたことだというのに他人にされた様な驚きを感じさせる。

 

(これ以上喋るな、か。はいはい。分かった、分かったよぉ)

 

 塞いでいた手が離される。

 

「いつまで無駄話を続けている気かな?」

 

 その声が聞こえたとき、ピクシーたちはそれが誰の声か一瞬分からなかった。それがロキから発せられたと気付くと強烈な違和感を覚える。今まで粗野な印象だった筈なのに、今のロキからは真逆の印象を受ける。急に威厳が増したのだ。

 

「は、はい!」

 

 ロキに声を掛けられたヴァルキリーは、釣り上げられた様に立ち上がる。

 

「私を連れ戻しに来たのだろう? ならばさっさと行くぞ。もう冥界には用は無い」

「で、ですが、まだオーディン様の用が済んでいません」

「ならば一足先に帰らせてもらう。ここの空気は肌に合わない」

 

 我関せずの態度で去っていく。

 押し掛ける様に付いてきて、ふらふらと何処かに姿を消し、挙句勝手に帰ろうとする始末。ヴァルキリーもあれこれと文句も言いたくなるが、立場上思い切ったことは言えない。というよりも、先程の件で次に何を言われるのかと思い躊躇していた。

 

「ま、待って下さい!」

 

 慌ててロキへと駆け寄る。ロキを止めるつもりは無かったが、本当に帰るのか半信半疑であった為、今度こそきちんと見逃さずに最後まで看視するつもりであった。

 

「……何だったんだろうね?」

「オイラには分からないホ」

 

 終始勝手をしていたロキに対してのピクシーたちの感想がそれであった。ピクシーたちも基本自由に生きているが、それでもロキの意図が理解出来ずにいた。

 すると、去って行くロキが首を動かし顔半分をピクシーたちに向ける。声を出さず、唇だけを動かし何かを告げると、すぐに顔は正面を向き見えなくなる。

 

『またな』

 

 確かに彼はそう言っていた。

 

 

 ◇

 

 

「うう……」

 

 呻き声を上げながら匙は瞼を開ける。見上げた先には白い天井があった。

 自分が何故ここに居るのだろうと数秒ほどぼんやりと考え、やがて一誠に負けたことを思い出した。

 体を起こす。治療が済んでいるらしく、あれだけ殴られたというのに体に痛みが走ることは無かった。

 自分たちはゲームに勝ったのか負けたのか。途中でリタイヤしてしまった匙にはそれを知らない。

 そして、もう一つ気になることがあった。

 

「ヴリトラ?」

 

 自分の中にいる存在に声を掛ける。しかし、返事は返ってこない。今度は心の中でその名を呼ぶ。やはり返事は無かった。

 分かってはいた。最後の一撃を一誠に放つとき、ヴリトラは匙に意識を保つ為に最低限必要な魔力を全て譲渡した。そのせいで、深い眠りから目覚めた筈のヴリトラは再び深い眠りへと入っていた。

 

「礼もさよならも言えてないのにな……」

 

 呟く言葉に寂しさが混じる。

 言葉を交わし、一緒に戦った時間は決して長くは無い。だが、その短い時間の中でも自分たちは間違いなく相棒であった。一誠相手にあれほど食い下がれたのもヴリトラの助力があってこそ。

 そのときドアが数回ノックされる。

 

「はい?」

「起きていましたか」

「か、会長!」

 

 ドアが開き、ソーナが現れたのを見て匙は思わずベッドから跳ね、何故かベッドの上で正座になる。

 ソーナはそのまま匙のベッドの側まで移動する。

 無言。沈黙。静寂。匙の側まで来たというのにソーナは一言も発しない。匙の方はソーナの静かな圧力のせいでさっきから冷や汗を流し続けていた。

 まるで空気が鉛と化した様な重苦しさ。緊張感のせいで体から全ての水分が抜け出ていっている様な渇きを覚える。まだ頭に銃か剣でも突き付けられた方がましに思えた。

 持てる勇気を全て振り絞り、匙は沈黙を破る。

 

「ゲームは……どうなりました?」

 

 無言で立っているソーナの目と見上げた匙の目が合う。それだけで匙の心臓は破裂寸前かと思えるほど鼓動を速める。

 

「私たちの負けです」

「そう、ですか……」

 

 その報せを聞かされたときだけは、目の前のことが塗り潰されるほどの悔しさが沸き上がった。臓腑が熱を帯びながら収縮していく様な感覚と力が抜けていく様な喪失感。苦く、いつまでも残る敗北の感覚であった。

 

「リアスと一対一にまで持ち込みましたがダメでした。『反転』の力も駆使して戦いましたが、慣れない力を使ったツケでしょうね。魔力切れを起こして、リアスに負けてしまいました。尤も仮に使わなくとも結果は同じだったかもしれませんが」

 

 淡々と語るソーナ。負けたことへの悔しさを微塵も外に出さないその姿に、匙は感服する。もし、自分が同じ立場ならば感情を隠し切れ無い。

 

「それで?」

「……はい?」

「まだ私に言うことがありませんか? サジ」

 

 見下ろす眼が絶対零度の冷たさを帯びる。その眼差しに匙は体中から熱が抜けていき、体が震え始めた。

 

「そ、そ、それは……」

 

 恐ろしさから上手く舌が動かない。これほどの恐怖は生まれて初めてのことであった。

 

「神器の核を取り込むという独断」

「うっ!」

「成功したからいいものの、下手をすれば貴方が貴方で無くなってしまうかもしれなかったのですよ」

「ううっ!」

「流石に見ている方々も貴方の行動に肝を冷やしたそうですよ。アザゼル先生など、このゲームを強制的に止めようとまでしていた」

「うぐっ!」

「貴方の行動は貴方だけでなくこのレーティングゲーム関係者全てに迷惑を掛けました」

 

 言い訳など出来る筈が無い。全てが事実である。分かっていたことだが、現実を突き付けられ、心の何処かで自分の都合の良い考え方をしていたことを実感した。

 

「貴方には色々と言いたいことがあります。ありますが、正直多すぎて何から言っていいのか分からないぐらいです。だから、逆にシンプルにいきます」

「――はい?」

 

 頬から脳に掛けて稲妻の様な衝撃が駆け抜ける。視界がいつの間にか傾き、斜めになった光景。そこには右手を振り抜いているソーナの姿が在った。

 衝撃が熱に変わり、やがて痛みに変わったとき、そこで初めて自分がソーナに平手打ちを貰ったことを理解する。

 今まで厳しい説教や特訓はあっても、折檻は無かった為にこの平手打ちは肉体よりも精神に重く響く。

 本当にソーナを怒らせてしまった。

 だが、次に起こったことは、平手打ちよりも衝撃的であった。

 ソーナの両手が匙の頭に回され、そのまま胸元に抱き寄せる。柔らかく、そして暖かい感触。

 ソーナに抱き締められる匙。この瞬間、殴られた痛みなど全て吹き飛んでいた。

 

「本当に……心配をさせないで」

 

 本当に。本当に自分は、ソーナを心配させてしまったことを思い知らされる。あのいつも冷静なソーナが声を震わせている。この声を一生忘れることは出来ないだろうと匙は確信する。

 

「会長……ずみまぜんでじだ……!」

 

 匙は色々な感情が溢れ出し、情けない涙声で己のしたことを謝罪する。それに応じる様に匙を抱き締める腕に力が込められる。

 コンコンと扉をノックする音。するとソーナは抱き締めていた匙を勢い良く突き飛ばし、急いで離れる。

 

「――はい。どうぞ」

 

 普段通りの冷静な声でノックに応じる。

 

「いいかな?」

 

 扉を開けて入ってきたのはサーゼクスであった。

 

「サーゼクス様! どうしてここに?」

「彼に用があって来たんだが……彼は大丈夫なのかい?」

 

 心配そうにベッドの方を見るサーゼクス。その視線を追ってソーナもベッドを見ると、匙がベッドの上で後頭部を押さえながら悶絶している。

 ソーナが突き飛ばした際、勢い余って壁に後頭部を激突させていたのだ。

 

「だ、大丈夫です……」

 

 涙目になりながら後頭部の痛みを堪えて、尋ねてきたサーゼクスと向き合う。

 

「あの、俺というか、僕というか、私に一体の何の用が?」

「そう硬くならなくてもいい。普段通りで構わないよ」

 

 慣れない言葉遣いをする匙に緊張を解くよう促しながら、サーゼクスは金線の装飾が施された小箱を取り出す。匙にとっては初めて見る物。だが、ソーナは知っているのか目を丸くしその小箱を凝視していた。

 

「これを受け取りなさい」

 

 言われた通りにサーゼクスから小箱を受け取る。

 

「開けてみるといい」

 

 言われるがまま小箱を開ける。中を見たとき、匙は驚きのあまり小箱を落としそうになる。

 中に入っていたものは、リボンの先に金のメダルが付けられた勲章であった。

 

「あ、あの、これは……?」

 

 緊張で声がか細くなる。渡された勲章は、明らかに讃える為のもの。

 

「これはレーティングゲームで優れた戦い、印象的な戦いを演じた者に贈られるものだ」

 

 即ち匙の戦いが皆に評価されたことを意味する。しかし、匙はそれを素直に喜ぶことも受け取ることも出来なかった。

 

「お、俺は……兵藤に負けました。それに、皆に心配を掛ける様なことをしでかしました。……これを受け取っていい立場じゃありません」

 

 匙は小箱を閉じ、勲章をサーゼクスに返す。

 

「成程。確かに君の言う通り、ヴリトラの魂を、たとえその一部だとしても体に取り込むという行為は危険だった」

 

 サーゼクスは匙から小箱を受け取る。

 

「しかし――」

 

 サーゼクスは小箱を開ける。

 

「そのことに対して君は十分反省しているらしい。それに彼女からもきちんと叱って貰っている」

 

 サーゼクスの目が匙の頬を見る。そこには赤い手の痕が見事なまでにくっきりと残っていた。リアスの親友であり幼い頃から知っているソーナの、彼女らしからぬ激情の名残を見て微笑む。サーゼクスが何に注目しているのかに気付き、ソーナは静かに赤面した。

 

「それに君はイッセー君に負けたと言うが結果的に見ればイッセー君を、あの赤龍帝を倒したのは間違いなく君だ。君とイッセー君との戦い。あれは正直胸が熱くなった。一秒たりとも目を離せられない激闘だった。あの北欧のオーディンも君の戦いには賛辞を送っていたよ」

 

 小箱の中から勲章を取り出す。

 

「でも、あれは俺の力じゃなくてヴリトラの――」

「こういう解釈も出来る」

 

 取り出した勲章を手に乗せ、サーゼクスは身を屈めた。

 

「あのとき見せた力は君がいつか至る力で、今回はそれを少し前借りしたんだ」

「えっ」

 

 前向きとも都合がよいとも言えるサーゼクスの解釈に匙は戸惑った声を出してしまう。

 

「いつか至るのならばあれは紛れもなく君の実力だ。私は、そのいつかを信じて君にこれを贈るんだ」

 

 匙の胸に勲章をつける。

 

「自分を卑下にしてはいけない。君は上を目指せる悪魔なんだ。何せ、魔王が信じたいと思わせるほどだ。君の様な若手の悪魔を見られて私は嬉しい」

 

 匙の肩にサーゼクスの手が置かれる。

 

「自分を信じなさい。この先、苦難や挫折があるかもしれない。だけど、君には夢を目指す力も、それを叶える力もある」

 

 その言葉に耐え切れ無くなり、匙は唇を嚙み締め、声を押し殺して泣く。本当なら号泣したいが、サーゼクスやソーナの前でそれを必死に我慢した。

 匙の中で目指すべきものが増える。

 今まで目指しているのはレーティングゲームの先生になること。そこにソーナに二度と心配させない為、そして、サーゼクスの信じるという言葉に応える為、強くなることが加えられる。

 そして、もう一つ――

 

(いつになるかは分からないけど、絶対また会おうぜ。――ヴリトラ)

 

 ――自分の中で眠る戦友と再会すること。

 

 


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