ハイスクールD³   作:K/K

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才能、凌駕

 胴体に人一人が通り抜けられそうな程の大穴を空けられただいそうじょう。その空けた穴の向こう側を赤い魔力に包み込まれた、否、赤い魔力そのものと化したサーゼクスが瞳の無い眼で見ていた。

 先程まで囲んでいた破魔の光は既に無い。サーゼクスの全身から意図せずに漏れ出す滅びの魔力によって、全て消し去られてしまったからだ。

 第三者がこの状況を見れば誰もがサーゼクスの勝利を疑うことは無いであろう。しかし、当事者であるサーゼクスの胸中に勝利を喜ぶ気持ちなど湧かない。寧ろ反対に、この程度で魔人が負ける筈が無いという確信があった。

 少なくとも、かつてこの姿を見せ、生死の狭間まで死闘を繰り広げたあの魔人ならば、胴体に穴を開けられた程度では怯みなど見せない。

 

「……齢を取ると」

 

 不意にだいそうじょうが声を出す。

 

「夜風がこの老骨に響くのう。特に腹の辺りに沁みてくる」

 

 カタカタと顎を震わせ、冗談を口にしながらだいそうじょうは、何事も無い様にサーゼクスと向き合った。

 

『流石は魔人。その生命力には感服します、だいそうじょう殿』

「カカカカカ。だが久方振りに『痛み』を感じたのう。この感覚はいつ以来のことだったか」

『私としてはその程度の感覚で済んだことに驚かされます』

「恐ろしい、実に恐ろしいのう、サーゼクスよ。藪をつついて蛇を出したか、あるいは虎の尾を踏んだ様な気持ちじゃ」

 

 だいそうじょうは静かに笑いながら、空いた腹部をさする様な仕草を見せる。

 

「にしてもそれが汝の真の姿か。成程、その力、我らと似たものを感じる」

 

 だいそうじょうは見定める様な眼差しを向ける。その間にもサーゼクスの体から溢れ出していく滅びの魔力が場を満たしていき、見えざる滅びがゆっくりとだいそうじょうの黄衣を崩していくが、だいそうじょう自身他人事の様にされるがままとなっていた。

 

「汝は何者ぞ?」

『それは私自身も答えられない問いです』

「汝もまだ答えを探しているという訳か。結構、結構」

 

 言葉を交わす二人であったが、その一方でサーゼクスは予断の許されない状況であった。

 出そうとは思わなかった本気をだいそうじょうの術によって無理矢理引き出されたサーゼクスは、本来ならば制御し切れず周囲に影響を与えていく自らの魔力を、神経をすり減らしながら押さえ込んでいた。

 量にすれば微量であったが、その微量であっても滅びの魔力に触れれば全てが消滅する。幸いにも建造物やだいそうじょう以外のヒトが居ない為に被害は最小に抑えられているものの、このまま広がり続ければいずれ学園全体を覆っている結界まで届いてしまう。

 それを防ぐにもサーゼクス自身がどうにかするしかないが、だいそうじょうの術の影響はサーゼクスの中で深く影響しており、だいそうじょうの胴体を穿った際、力の解放感と破壊衝動で意識が飛ぶ寸前までいった。

 今の状態でどれほどまで自分の力を正確に操作できるか、サーゼクス自身にも分からない。

 表情の読めない顔の下でサーゼクスは頭を高速で回していく。この状態でどれほどの時間で決着が付けられるのか、その際自分がどれほどの深手を負うのか、周りの被害はどのくらいまで抑えることが出来るのか。だが聡明であるが故に認めたくない事実が頭の中で過ぎる。この戦いで必ず、この街の無辜なる市民たちの犠牲が生じるということであった。

 悪魔という立場であるが、だからといって人間の命に無関心ではない。寧ろ逆に悪魔に似つかわしく無い程、サーゼクスは一般市民たちの身の安全のことを案じていた。

 自分たちの都合でそれらを奪う真似など決してしたくはない。しかし、非情な現実は不調な我が身と強敵であるだいそうじょうが衝突し合えば、少なくは無い被害が生じることを突き付けてくる。

 

「――互いに力を見せ合ったことじゃ。そろそろ終いとするかのう」

 

 だいそうじょうが独鈷鈴を掲げる。それを見たサーゼクスの全身に緊張が走った。このときサーゼクスの頭の中にあったのはだいそうじょうと戦い、どこまで戦えるか、という考えでは無く、どこまで被害を最小に済ますことが出来るかというものであった。

 

「魔王サーゼクスよ」

『何でしょうか?』

「汝は善き男よのう」

『はい?』

 

 突如出て来た褒め言葉に思わずサーゼクスが聞き返した瞬間――

 

「喝ッ!」

 

 独鈷鈴の清浄なる鈴の音と、それを掻き消してしまいそうになるぐらいの声量がだいそうじょうの口から放たれる。

 最初に現れたときに発せられたのよりも遥かに力が込められているのか、その言葉は大気を揺らし、真正面にいるサーゼクスは見えざる圧を感じた。

 不意打ち。その言葉が頭の中に過ぎるが、間も無くしてそうではないことに気付く。自分の身に何も起きなかったことも理由ではあるが、もう一つ別の理由があった。それはサーゼクスにとって思いがけないことでもある。

 

『何のつもりでしょうか?』

「はて? 何のことかのう」

『……私は確かに貴方ならば私の力を抑えることが出来ると言った。……しかし、それは『そのままの意味』で言ったつもりは無い』

 

 サーゼクスが戸惑う理由。それはだいそうじょうが声を発した瞬間、無意識に広がっていく筈の滅びの魔力がその場で停滞したからである。

 だいそうじょうの力ならばサーゼクスの力と拮抗し合える。この言葉には、万が一自身が暴走したとしても、だいそうじょうの実力ならばそれを抑え込むことが出来るという戦いに関することであり、現状の様なことを指してはいない。

 だいそうじょうが自分を手助けするということにサーゼクスは、内心驚愕に近い感情を覚えていた。

 

「カカカカカ。面白いものを見せて貰った駄賃の代わりじゃ」

『――私がこの姿になることすら想定済みという訳ですか』

「いやいや。拙僧とて汝がその様な力を持っていたことなど存ぜぬ。何かあるやもしれぬという勘はあったがのう」

 

 極一部の者しか知らないサーゼクスの本当の力。それを己の直観のみで感じ取り、あまつさえ表へ引き摺り出したことに、サーゼクスは畏怖や驚嘆を通り越して敬意すら抱きそうにある。

 

「それにしてもそれ程の力を持ちながら第一に考えることは拙僧を如何に下すことよりも、周りのことについてか、悪魔にしておくのか勿体無い程の人格だのう」

『――何のことでしょうか?』

「おまけに嘘を吐くのも下手と見える。全く、好ましいのう」

 

 サーゼクスの内心を正確に見破るだいそうじょうに対し誤魔化そうとするサーゼクスであったが、その嘘すらも容易く見破られる。だいそうじょうが骸骨の顔故に何を考えているか分からない様に、サーゼクスもまた膨大な消滅の魔力が辛うじて人の形を保っているという人外な見た目をしているが、それでも正確に内心を見抜かれたことに対し、何とも言えない羞恥の様な感情を覚える。

 

「いっそのこと拙僧の弟子にでもなるか? 汝ならば徳の高い僧になれる筈じゃ」

 

 本気なのか冗談なのか分からないまさかの勧誘を受け、サーゼクスの表情の無い表情で驚く。魔王を引き継いでから今までの間に、これ程驚いたことも無い。

 だがサーゼクスは平静を装い、静かに首を横に振るう。

 

『貴方ほどの存在に認められるのは光栄です。ですが、その誘い断らせて頂きます』

「まあ、そういうとは思っていた。汝ほどの責任感の強い男が容易く己の立場は捨てられんなあ。だが残念じゃ」

 

 断られたことに納得しつつも本気で残念がるだいそうじょうを見て、サーゼクスは如何に相手が本気であったかを理解する。

 この様な感想を抱くのは魔王という立場として間違っているかもしれない。多くの仲間を屠り、消滅させ、先程まで命のやり取りをしていた相手ではある。親しみが湧くことは無いがサーゼクスはどうにもだいそうじょうのことを憎めず、嫌いにはなれなかった。

 

「さてさて二の次、三の次となってしまったが拙僧本来の目的を果たそうとするかのう。でなければ間に合わなくなる」

 

 そう言うと今の今まで纏っていた殺気とも覇気とも呼べるものがだいそうじょうの身体から消え去り、残るは静かに座を組むだいそうじょうの姿のみ。その落差は目の前にいても見失ってしまうかのしれないと錯覚を覚える程に気配が薄く、皆無と言っても過言では無かった。

 

「じきにこの戦いの幕は閉じる。汝も感じているであろう? その前に一目見なければ、この場に来た意味が無くなる。流石にそれは滑稽極まる」

 

 このままだいそうじょうを黙って見送るのが得策かどうかサーゼクスは黙考する。だいそうじょうからはこれ以上戦う意思を感じられない。だが彼が旧校舎へと向かうことは魔人同士が顔を合わせるということとなる。魔人〈だいそうじょう〉と魔人〈マタドール〉との邂逅、同類ではあるが互いに強烈な同族嫌悪を持っているが故に出会ったら最期、どの様な惨劇が起こるか分からない。

 更にそこへ未熟とはいえ魔人の力を持つシンまで居る。それがどの様に作用するか見当も付かない。

 

「カカカカカ。安心せい。今宵、これ以上の戦いはせん。目的を果たせばすぐに帰る」

『その言葉を信じろと』

「信じるも信じないも汝の自由。汝の心次第じゃ」

 

 それだけ言うと、だいそうじょうは『ではな』という言葉を残し、サーゼクスの答えを聞かずにあっさりと姿を消してしまった。と同時にサーゼクスは、自分の精神の中で滾っていた破壊衝動といった暴力的な感情が、熱の様に霧散していくのを感じた。

 だいそうじょうが、姿を消すと同時に術も解除していったらしい。

 

『食えない御人だ』

 

 この戦い、どちらも自分の力を御しつつ戦っていた。しかし、最後の最後でサーゼクスは、だいそうじょうによって本気を出さざるを得ない状況になってしまっていた。あのまま戦えば負けることはないが、サーゼクスにとって望まない展開になることは明白である。

 この戦い、相手に一歩上を行かれた。

 恥ずべきこととは考えず、それを事実としてサーゼクスは認める。この経験ですら己の糧へとする為に。

 サーゼクスは全身を包み込む滅びの魔力を体内へと戻していく。人型の魔力の塊はすぐに元のサーゼクスの姿へと戻った。

 通常の状態へと戻ったサーゼクス。しかし、その周囲には未だにサーゼクスが放った滅びの魔力が漂っている。

 サーゼクスは軽く腕を振るう。その瞬間、不規則に漂っていた筈のサーゼクスの魔力は統一され、サーゼクスの意志に同調して彼の望む通りに動く。

 全力時とは扱える魔力の量は遥かに落ちるが、今の状態ならば精密な魔力の操作が可能であり、周囲に散らばる魔力を操るなど造作も無いことであった。

 操作された魔力はサーゼクスの足元、学園全体を覆う霧へと向かって一斉に飛び込み、消滅の力を以って次々と霧を払って行く。

 本体から離れてはいるが仮にも『神滅具』に属する霧を消し去っていくのは、ひとえにサーゼクスの実力故。

 晴れていく霧を見ながら、サーゼクスの視線は旧校舎の方へ向けられる。新校舎での戦いは終わったが、まだ旧校舎内では戦いが続いているのを感じ取った為である。

 

(出来ればこれ以上死人は出したくないな)

 

 密かな決意を胸にサーゼクスは旧校舎へと向かった。

 

 

 

 

 シンたちを守る光の壁を突き破ってマタドールが飛び込んで来る。それを迎撃しようと放たれる光の槍と蛍光の魔弾。距離にすれば数メートル、放たれた二つの力が持つ速度からすれば回避する余裕など与えさせない距離である。

 真っ先に襲い掛かったのはアザゼルが放つ光の槍。マタドールの胴体を消滅させようと迫るが、マタドールはそれに対し剣を振るう。

 ただ、振るわれた剣は光の槍を斬り裂くのではなく、光の槍の側面へと当てられ、そこに力を加えることで僅かに軌道をずらす。それでも直撃を免れないコースであったが、そこでマタドールは身を翻し、その場で旋回しながら避けてみせる。

 そこに少し遅れてシンが放った魔弾が襲ってくるが、マタドールはそれを見もせず、自らの動きに合わせてカポーテを振るう。

 カポーテと魔弾が触れ合った瞬間、拮抗など何一つ起こらないまま、魔弾の動きはカポーテの動きに沿って真上目掛けて飛んでいってしまった。

 二つの攻撃をあっさりといなしたマタドールは、そのまま地を蹴り付け更なる加速を以って二人に迫る。

 来る、とシンの眼がマタドールの動きを辛うじて捉えた瞬間、シンの前にアザゼルが出る。

 その瞬間、マタドールの剣とアザゼルの槍が激突し合う。その衝撃は大気を揺らし、地を震え上がらせた。

 加速して得たマタドールの剣撃は鍔競り合うアザゼルの力を上回り、地を踏み締めているアザゼルの足は踏ん張りきれず後ろへと下がっていく。

 一対一の状況であればいずれアザゼルが押し負けるであろうが、この戦いは決闘でも一対一の戦いでも無い。アザゼルが生み出す僅かな拮抗状態を狙い、シンは負傷した右足を庇いつつも左脚を全力で踏み込み、マタドールの開いた胴に向け、弧を描きながら左拳を振るった。

 剣を持つ手はアザゼルによって塞がれ、あらゆる攻撃をいなすカポーテは絡み合う剣と槍が妨げになっている。

 狙う機会としてこれ以上ないものであったが、マタドールは迫るシンの拳を視界の端に捉えると焦る様子も見せず、小さく笑うと交差している剣の刃を滑らせる。

 手元へと引く様な形で剣が槍の上を走ると、剣の柄の位置がシンの拳の軌道と重なり合い、間も無くして――

 

「つッ!」

 

 拳が最高速へと到達する寸前、それを阻む様にして出て来たマタドールの剣の柄がシンの指へと直撃する。まるで固定されているかのように拳と衝突した柄は微動だにせず、反対に叩き付けた方のシンの薬指は生木が折れる様な音と共にへし曲がり、指の第二関節から先が真上に向かって折れ曲がった。

 その痛みにシンの身体は一瞬であるが硬直してしまう。

 直後、二人の攻撃を難なく捌いたマタドールは目の前に立つアザゼルの鳩尾を闘牛士靴の爪先で蹴りつけ、アザゼルが離れると同時に蹴りつけた足を地に付けず、そのままシンの顔に向け、蹴りを放った。

 咄嗟に腕を上げ、それを防ぐ構えをとるシン。だがマタドールの足の甲が腕に触れた瞬間、シンは『不味い』と反射的に悟り、同時に両足の力を抜く。

 筋肉など何一つ付いてはおらず、細身という言葉ですら足らないマタドールの体格であるが、直に触れたことだからこそ分かる、骨の中に秘められた圧倒的な力。

 掲げた腕が蹴りの威力に負け、体へ一気に密着する。それと同じくしてシンの両足が地面から浮き上がった。

 地面を踏み締めて耐えれば腕が折れると判断したシンは、マタドールの脚の方向に合させて蹴り飛ばされる。

 腕や体に突き抜ける様な痛みがあるものの、すぐにシンは自分の状況を冷静に判断しようとするが、視界が高速で回転しているせいで自分が今どのような位置に居るのかがすぐに分からない。

 そのとき背中に熱の様な痛みが走り、体が跳ね上がる。背中が地面に接触したのだと理解したシンは、それによって自分の位置を大よそ把握する。

 そして、次に地面と接近するタイミングを見計らって腕を伸ばし、土に爪を突き立て、それによって無理矢理飛ばされるのを止める。

 ガリガリと土を抉りながらも飛ばされる速度は一気に緩み、手を捻ると同時に体勢を戻すと、今度は膝から地面に着地する。その状態から、体中に付いた土のことなど気にせずシンは顔を上げ、マタドールの方を向いた。

 マタドールの方は、蹴りつけた脚をいっそ優美とも呼べる様な動作で元の位置に戻している。余裕の表れか、あるいはそれがマタドールの流儀か、どちらにしても見ている側にとっては、良くも悪くも神経を昂らせられる。

 そして、シン以外にも余裕に満ちたマタドールの動きに対し、感情を昂らせている者がいた。

 この戦いが始まってから消極的な動きを見せているカテレアである。本来の目的が在る為に積極的な攻撃を避けていた彼女であったが、今、彼女の顔すぐ側に突き立てられている光の槍が、その考えを曇らせていく。

 先程アザゼルが放ち、マタドールが捌いた光の槍である。

 

(あの魔人……!)

 

 あと数センチ今の場所から動いていたら確実に直撃していたであろうそれに、カテレアは肝が冷えると同時に胸の奥に灼熱の様な怒りを覚えていた。

 戦いの中で流れ弾に当たり、不運にも死ぬことはあるかもしれない。しかし、この光の槍を逸らさせたのはあの『魔人』である。意図的に狙ったとしても可笑しくは無い。

 気を抜いていた訳では無い。油断もしていたわけでも無い。だというのに、この光の槍が自分の側に突き立った瞬間まで、カテレアは動くことが出来なかった。

 マタドールのせいで投擲の速度が上がった訳では無い。あれこそがアザゼルの実力。鎧の力で底上げしているであろうが、その鎧ですらアザゼルの知力と技術によって生み出されたものである。

 それは暗にアザゼルの実力が、オーフィスの力を取り込んでいる筈のカテレアを上回っていることを指していた。

 その事実を突き付けたのはマタドールである。光の槍が刺さり、カテレアは反射的に飛んできた方向を見た、そのとき見えたのは剣を構えているマタドールの横顔。骨のみで表情を作るものなど何も無い筈なのに、カテレアはマタドールが自分の方を横目で見て、嘲笑を浮かべている姿が幻視された。

 

『掛かって来い』

 

 言葉にせずにカテレアを挑発してくる。

 怒りを覚えずにはいられない。正当な魔王を継ぐ者として、かつての偉大な魔王たちの血を受け継ぐ者として、堕ちた堕天使如きに、いつどのようにして生まれたかも謎である得体の知れない魔人などという存在に、自分を見下されることなど在ってはならない。

 カテレアの感情に呼応し、周囲に青黒い魔力が漂い始める。

 成せばならない使命がある。今の時代を破壊し、新たなる新世界を創り出すこと。奪われた『レヴィアタン』の座を再び自分の名とすること。

 高尚なる二つの野望〈ゆめ〉を叶えようとする自分を嘲う者は、誰であろうと許す訳にはいかない。

 周囲を漂う魔力が形を変え、球体状となるとそこから無数の魔力が光線となってマタドールに放たれる。

 カテレアに対し完全に背を向けていたマタドールであったが、背後から迫る光線を見もせず、身を低くして躱すとその状態から片足を軸に素早く反転、カテレアの姿を正面に捉える。

 

「そうこなくては」

 

 自分に牙と殺意を向けるカテレアにマタドールは嬉々とした声を出しつつ、手に持っていた剣を高々と放り上げる。

 その奇行に一瞬だけカテレアの視線が釣られると、その間に空いたマタドールの左手に赤の魔力で出来た銛が握られる。

 それを構え、マタドールはカテレア目掛け疾走を開始した。

 カテレアが目を離していたのは刹那の間だけであったが、その僅かな時間で数十メートルは離れていた筈の二人の距離は十メートルも満たないものとなっていた。

 距離を詰められているものの手数ではまだ自分の方が有利であると判断したカテレアは接近してくるマタドールに再び、青黒い閃光を放つ。

 カポーテを翻し、閃光へと向けて振るうマタドール。カポーテに触れる度に青黒い閃光は軌道を逸らされ、地に向かい、あるいは宙に向かって飛んでいく。

 残された距離も瞬く間に零となり、カテレアの眼前にマタドールが立つ。

 だがそれもカテレアにとっては想定内のこと。このとき事前に仕込んでいた術式が発動する。

 カテレアが纏う青黒い魔力が触手の様な形となってマタドールの身体に巻き付く。頭から足の先まで一瞬にして覆うと間髪入れずに締め上げ、元の形の三分の一にも満たない程まで絞り上げた。

『勝った』そんな言葉がカテレアの脳裏に過ぎった瞬間――

 

「今のは中々面白かった」

 

 ――耳元で囁かれる言葉。

 驚き、振り向くと同時に視界が真っ赤に染まり右肩に走る痛み。そして間も無くして左肩、左脚、右脚に同じような激痛が走る。両脚から意図せずに力が抜け、その場で両膝を着いてしまう。

 何が起こったのか瞬時には分からなかったが、視界を覆う赤が消え、地に着いた状態からマタドールの顔を見上げた瞬間、我が身に起こったことを悟る。

 風に靡くカポーテ、それが視界を奪い、両肩、両脚に突き刺されるマタドールの銛がカテレアから立つ力を奪っていた。

 と同時に、マタドールを締め殺していた筈の魔力の触手が消える。案の定、触手の中には誰も居なかった。あのとき捕らえたと思ったのは、マタドールの残像に過ぎなかったことを思い知らされる。

 カテレアを見下ろしたままマタドールは高々と手を掲げると、その手の中に最初から分かっていたように放り投げた剣が落下し、そのまま握る。

 あのとき、剣を放り投げてから再びその手の中に納まるまでの間、全てはマタドールにとって想定の範囲に過ぎず、カテレアの行動は読み切られていた。あるいは想定外のことがいくつかあったかも知れないが、そのどれもがマタドールにとって修正が効くものであったのであろう。

 

「言い残すことはあるかな? レディ」

「この地に降り立ったときから既に覚悟は決めています。言い残すことなど何もありません。殺るならばどうぞ」

「素晴らしい。その覚悟に敬意を払わせて貰う」

 

 遺言を聞こうとするマタドールに毅然とした態度を返すカテレア。自らの敗北を認めるも取り乱すことないその姿にマタドールは嬉しそうな反応を見せながら、掲げていた手を振り下ろした。

 剣はカテレアの胸へと突き刺さり、その奥の心臓を貫く。カテレアの身体は刺し貫かれた瞬間一度だけ小さく震えたが、最期まで声を出すことはなかった。

 強い意志を秘めていた眼からは命の光が消え、体は力が抜けたせいで前のめりに倒れていく。

 その途中でマタドールはカテレアの身体を抱き止めると、さっきまでの戦いを讃えるかのように抱擁。しばしその姿のままで動かなかったが、やがて貫いていた剣を引き抜きつつカテレアの頭に手を回すと、丁重に扱いながら仰向けに寝かすのであった。

 

「次は俺か、あるいはお前か」

 

 カテレアとマタドールの決着を見届けたアザゼルが、少しおどけた様な口調で呟く。この期に及んでもまだ冗談を口にすることが出来るアザゼルに呆れ半分敬意半分を抱きながら、シンは左手に右手を伸ばす。

 歪に曲がる左手の薬指。それを周りの指ごと掴み、これからくる未来を想像しつつ覚悟を決める様に一回だけ深呼吸すると、一気に掌に向けて曲げた。

 折れた指を無理矢理曲げて拳を形作る。指先で生まれたものが神経を伝わって一気に脳の深部まで届き、そこで痛みと言う激しい警鐘を掻き鳴らす。シンは声を洩らさなかったものの、決して無視することの出来ない痛みに額や背中から冷たい汗を流す。

 疾走した痛みはやがて最高値から治まるものの、それでも継続的な痛みが一定の波で頭に突き抜けていく。

 青黒く変色し倍以上に腫れ上がってはいるものの、何とか拳を作ることが出来た。掴む等の行為は無理かもしれないが、そもそもマタドール相手にそんなことをしている余裕など無いので、出来てせいぜい殴り掛かることぐらいである。

 

「無茶するな、お前。長生きできねぇぞ」

 

 一連の流れを見ていたアザゼルは呆れた声を出しながらも、忠告の様な言葉を飛ばす。シンも自分の身体を労わっていない行為だと自覚している。だが、少なくとも今はそのようなことを気にかけている余裕は無かった。

 骨折に刺し貫かれた膝。時間が経過する度にどんどんと不利な状況へと陥っていく。シンはちらりとアザゼルの方を見る。鎧を全身に纏っている為に表情は見えないが、肩に負った傷や前に出る戦いをしている姿から、間違いなく疲労しているのが分かる。

 あとどれぐらい自分たちが戦えるのかは分からない。そんなに長い時間は戦えないことは目に見えている。だが、その限られた時間の中でマタドールを倒すか、あるいは退かせるかのどちらかをしなければならない。

 カテレアを丁寧に葬ったマタドールがゆったりとした動作で振り返る。旧魔王派の大物を倒しても、マタドールの全身から昇り立つ殺気や魔力が萎えることはない。寧ろ、ますます増大している様に思えた。

 

「今が良いと思えると勝手ながらついつい次にも期待してしまう。――貴公らも私を愉しませてくれるかな?」

 

 そう言った瞬間、マタドールの姿が視界から消えた。何処に、シンが考えたとき突如眼前に広がる白一色。それがマタドールの掌であることに気付くと同時に顔を鷲掴みにされ、頭から地面へと叩き付けられる。

 場所が土であった為に叩き付けられた衝撃が多少なりとも和らいだが、それでも頭の中身が器の中で激しく揺さぶられ、痛みや吐き気が込み上げて来る。

 鷲掴みをするマタドールの指の隙間から微かに見える光景。月光を背にしたことでその体に影を纏っているかの様なマタドールの姿と月光を受け、白銀に輝く剣がこちらに向けられている。

 そこから先の行動はシンが考えた上での行動では無く、殆ど本能に引っ張られて動かされたものであった。

 振り上げられた刃が胸に突き立てられる前にシンは両手に魔力剣を形成する。

 

「ほう?」

 

 生み出したそれがどの様な効果を発揮するか既に知っているマタドールであったが、使うにしても明らかに間合いの中、次にシンが何をするか僅かに関心を示す。そのことによって出来た隙とは言えない程の間。マタドールを狙うには圧倒的に少ないが、この場を切り抜けるには十分な間であった。

 刹那、形成されていた魔力剣が弾ける。剣の中に内包されていた魔力が周囲にばら撒かれ、魔力の暴風が二人の身体を一瞬にして飲み込んだ。

 自分の技をまともに受けたシン。四肢がそれぞれ関節の可動を無視して別々の方向に曲げられそうになり、空気が一気に薄れ酸欠を起こしかける。

 今まで何度も敵に向かって放ってきたが、いざ自分で受けてみるとその威力がどれほどのものか、文字通り痛感されられる。

 だがその甲斐あって掴んでいたマタドールの指が引き剥がされ、同時に両者の間に距離が出来る。

 ダメージを受けるシンとは逆に、マタドールの方は荒れ狂う魔力風の中で特にダメージを受けた様子は無く、せいぜい風に押されて数歩後退した程度であった。

 

「まだまだだな」

 

 シンの技をそう評価し、再びシンに向かって歩を進めようとしたとき――

 

「ならこういうのはどうだ?」

 

 ――それを遮る様なアザゼルの声。すると魔力の風の中に混じり始める光。

 

「これは――」

 

 アザゼルの手の中から零れ落ちる光が、シンの熱波剣の魔力波へとどんどん吸い込まれていき、その中で無軌道に動き始める。

 小さいが数え切れない程大量に撒かれる、槍状の形をした光。それらが不規則に動く魔力の中で脅威となる。

 顔目掛け飛んで来た光を避けたかと思えば、背後から来た光がマタドールの肩を掠っていく。胴体に向かってきたものを半歩横に移動して回避したかと思えば、避けた先で脚に光が掠めていった。

 四方を取り囲む光の中で細かく動き、迫る光を次々に避けていくマタドールであったが、それでも完全に回避し切れないのか、ほんの少しだけであるが、マタドールの絢爛とした衣服を削いでいく。

 

「成程、実に鬱陶しい攻撃だ」

「そうかい。なら存分に味わってくれ」

 

 言葉とは裏腹に、マタドールの口調には喜色があった。攻められている状況でも危機的状況でも彼にとっては苦ではなく、自らの愉しみでしか過ぎないらしい。アザゼルの方もマタドールに応じるかのように、更なる光を放つ。

 

「だが一方的にされるのは少々癪だ」

 

 マタドールがカポーテを頭上に向かって振るう。暴風の中で激しく靡く赤のカポーテが振るわれた瞬間、不規則かつ縦横無尽に荒れ狂っていた魔力が全て軌道を揃えられて空へ向かっていく。

 一振りで全てを変えたマタドール。途方も無い力を見せるが、間近で見たアザゼルには動揺は無い。これほどのことが容易く出来る相手であることを理解しているからである。

 だからこそ、アザゼルは魔力の嵐が消え去ると同時に次の行動に移ることが出来た。

 アザゼルは黒翼を羽ばたかせると地上を滑る様に飛び、カポーテを振り上げているマタドールに向かう。

 地表の石や砂が一斉に巻き上がる程の加速で接近しながらアザゼルは、片手で握っていた槍にもう片方の手を添える。すると黄金の槍が光に包まれていき、アザゼルの手の中で黄金と光が混ざり合い、黄金とも堕天使の光とも異なる色合いを放つ新たな槍が生まれる。今までは柄の部分は実体を持っていたが、新たな槍は穂の部分から柄に至るまで燃え盛る様に激しい光が形作られていた。

 まさに『堕天龍の閃光槍〈ダウン・フォール・ドラゴン・スピア〉』と呼ぶに相応しいそれをアザゼルはマタドールに振るう。

 間合いの長い槍ではあるが、アザゼルが振るった位置は明らかに槍の間合いの外の位置である。普通ならば決して届くことは無い。――普通だったのであれば。

 アザゼルが槍を振るうと同時に閃光槍はその形を変形させ、柄の部分が倍以上の長さへと伸びた。

 マタドールの位置が一瞬にして槍の間合いとなる。

 眩い光が尾の様な残像を描きながら自分に迫るのを見たマタドールは、恐れず剣を構えて槍を迎え撃つ態勢を取る。

 自分と槍との狭間に構えられた剣。閃光槍の軌跡に合わせ、マタドールは剣を横薙ぎに振るう。

 直後、人外の速度で交差する刃と光。

 このとき体勢を立て直したシンは己の左眼で、二つが衝突し合った瞬間を見ていた。

 閃光槍に剣の刃が触れた瞬間、拮抗も音も無く閃光槍の中へと剣が滑り込んでいった。間も無くして滑り込んでいった剣が槍の反対側へと突き抜けていく。貫通した剣は空振りで終わるが、伸びた槍は間合いの中にマタドールを捉えている為、そのままマタドールに襲い掛かる。

 

「はっ!」

 

 マタドールは笑う。迫る死と脅威。それを心の底から楽しみ、そして自らの裡に宿る死を解き放つ。死と死、それを比べ合う様に。

 閃光槍がマタドールの首を刈ろうとした瞬間、マタドールの姿が消えた。正確に言えば、当たる直前に体を沈めることによって槍の下に潜り込んだのである。だが完全に避けきれることが出来なかったのか、マタドールの闘牛帽の一部が閃光槍によって焼かれ、焦げ付いている。

 その状態から地べたを這うように身を低くし、地を駆ける。

 マタドールの姿を目に捉えたアザゼルは槍から片手を離し、その掌を接近するマタドールに向けて、光の槍を放つ。

 至近距離で放たれる槍にマタドールは正面から向かって行く。その穂先がマタドールに触れるかに思えた直前、マタドールの姿が幾重にぶれて見えたかと思えば、当たる筈の槍はマタドールを擦り抜けていき、そして仕掛けていた筈のアザゼルが仰け反る。

 仰け反ったアザゼルはその場から数歩後退するものの倒れず、体勢を戻す。その肩には銛が突き刺さっている。

 マタドールは光の槍が直撃する寸前、最少の動きで光の槍を回避。更にそれだけでは終わらず、攻撃の構えが解けていないアザゼルに向け銛を放っていた。通常ならば鎧で弾かれているであろうが、マタドールが狙ったのは剣で貫いた箇所であった。

 低くした体勢から伸び上がる様にして元の体勢へと戻りつつ、アザゼルを剣の間合いへと入れると、そこからマタドールは怒涛の連撃を繰り出す。

 初撃は肩から腰に掛けての袈裟切り。アザゼルもそれに応じ、片手で器用に槍を旋回させ、柄で防ぐ。防がれると同時にマタドールは胸元まで剣を引くと、二撃目の突きをアザゼルの心臓目掛け繰り出した。

 鉄面の下で奥歯を噛み締めながらアザゼルは、マタドールの突きに合わせて左手を翳す。刃先が黄金の手甲を破り、掌から甲まで突き抜けるが、そこで左手を閉じ剣の動きが止まる。

 左手という代償を払ってまでもマタドールの剣の動きを止めたアザゼルは、閃光槍を短く持ち直して振り上げると、やり返す様にマタドールの胸目掛けて振り下ろす。

 だが、振り下ろされた槍の前に現れるマタドールのカポーテ。柔らかなそれに槍先が包まれたかと思えば、足元に向かって勢いよく突き立てる。不自然までに力の方向を捻じ曲げられる閃光槍。アザゼル本人もまるで抵抗感も違和感も覚えなかった。肉体そのものが自分の意志で動かしていると勘違いしてしまう程、自然なまでの力の流れの操作である。

 狙いを外させるとすぐさまマタドールはアザゼルの胸部を蹴りつけ、その反動で宙返りをし、数メートルもの距離を取ると着地と同時に前方に駆け出し、稼いだ距離を零とする。

 攻撃を受ける前にアザゼルの方から閃光槍が突き出されるが、マタドールは駆けながらカポーテを翳すと閃光槍の動きに合わせながら、今度は先端ではなくその側面へとカポーテを当て、移動しながら片足を軸にして回転。カポーテを纏いながら背を向ける格好となった。

 このときマタドールの体に隠れ、アザゼルの位置から剣の姿が見えなくなる。

 背を向けていたマタドールが正面を向こうとする。その勢いに生じてくるであろう斬撃を予期して、いつでも対処する心構えをするアザゼル。

 

「違う!」

 

 鋭い声が飛ぶ。声の主はシンであった。

 

(違う? 何が違うんだ?)

 

 刹那、アザゼルの思考がシンの言葉の意味を探るべく神速の回転を見せる。

 シンからは見えて今のアザゼルの位置からは見えないもの。マタドールが背を向けて今隠しているのはマタドールの正面。カポーテをマントの様に身に巻き付けているマタドールの姿。

 

(違う――違う――成程!)

 

 閃く様に一つの答えがアザゼルの頭を過ぎったとき、アザゼルは自分が動くタイミングをほんの少しだけ早まらせる。

 その瞬間、ひらりと舞うカポーテの下からマタドールが正面を向くよりも先に飛び出て来る白銀の刃。

 現れたそれを見たアザゼルはその一撃を防ぐと同時に、黒翼を羽ばたかせて大きく後退をする。

 

「やれやれ、外したか」

 

 躱されたことに僅かな悔しさと感心を滲ませる。

 正面へと向き直ったマタドール。その左手には逆手に持った剣が握られ、右手は逆にカポーテを掴んでいた。

 あの背を向けたときに武器の持ち手を替えており、あのときシンが叫んだ理由がこれであった。もしもシンがこのことを気付かさなければ、アザゼルはこの奇襲をまともに受けていたかもしれない。

 

「やはり堕天使の長ともなると大したものだ」

「褒めるなら気付いたあっちの小僧を褒めてやりな」

「あの一言は所詮切っ掛け。そこから察し、即座に動けた貴公の方こそ称賛に値する」

「お前に褒められても嬉しくねぇよ」

「私は嬉しいがね。相手が強ければ強い程、勝利という美酒は美味となる」

「散々浴びる程飲んで来ただろうが。まだ足りないってのか?」

「ああ、足りない。全く足りないな。知っているか? 勝利というものは重なれば重ねる程に感動が薄まっていく。量などでは補えない、必要なのは質だ。強敵との死闘、これのみが勝利を味わい深いものとする……そういった点ではあの女性も貴公も期待には応えている」

「はっ、戦闘狂が。つくづく迷惑な存在だな」

 

 マタドールの言葉をアザゼルは鼻で笑いながら、吐き捨てる様に言った。

 

「――あいつにちょっかいかけているのもそれが理由か」

「彼には素質、そして生まれ持った戦いへの渇望がある。私が今まで見てきた中であれほど戦う為の才能を持った存在は知らない。まさに奇跡の賜物だな」

「そんな奴を葬る所か戦い方を教えてどうするつもりだ? いずれあいつはお前を超えていくぞ」

「望むところ。いや、寧ろ私はそれを願っている」

「ああ?」

 

 アザゼルは怪訝な声を出す。

 

「自分を超える存在。それに死力を以って打ち勝つことこそ至上の勝利。己の限界を超えるという最も困難な壁を超えることで私は更なる高みへと昇れる。――しかし哀しいかな、この世で私を超える強さを持った存在は一握り。そして、力を極めているせいか戦うことへの意欲も低い。ならば自分の手で生み出すしかない」

「それがヴァーリだと?」

「然り」

「気色悪い期待を背負わせやがって……最終的にはどっちかが死んで終わりじゃねぇか」

「過程でヴァーリが死のうと結果として私が死んだとしても、それがどうした? 所詮はそこまでの器だったということ、惜しくは無い」

「――分かったよ。お前は正真正銘の狂人だ」

 

 吐き捨てると同時にアザゼルは、マタドールに向かって光の槍を投擲する。マタドールは上体を捻るだけで軽々と躱しながら前へ踏み出す。その間に剣とカポーテを持ち替える余裕すら見せる。

 アザゼルはマタドールが動いた瞬間、右に向かって大きく動く。それを追う様に向きを変えようとするが、突如その場で大きく跳躍した。

 すると、今までいた場所へ吹き抜けていく魔力の波。アザゼルが光の槍を投擲した直後、マタドールの背後でシンもまた熱波剣の準備をしていたのだ。

 空中でマタドールは素早く二人の位置を確認すると、カポーテを振るう。振り払われたときに発せられた風はマタドールの魔力によって、微風程度の勢いが小型の竜巻まで引き上げられ、螺旋を描きながら二人を襲う。

 シンとアザゼルは、自分たちに向かって来る空間の歪みの様なものを見て咄嗟に動く。アザゼルはまだ軽傷である為すぐに回避することが出来たが、シンの方は片足を負傷しているせいですぐには動けない。

 片膝で立っている状況。左右に素早く動くことが出来ないと分かっていたシンは、拳を地面に叩き付けると同時に無事な方の足で力の限り地面を蹴った。手足の力で後方へと跳ぶと、間も無くして地面が空から降ってきた風によって押し潰されたかと思えば、そこから上空へと昇る竜巻が発生。このとき巻き上げられた土砂によって、初めて迫ってきたものの姿が明らかとなる。

 巻き込まれたのであれば即座に身を引き千切られそうな空気の渦を見つつも、マタドールから意識を逸らさない。

 宙にいるマタドールが見えない何かを足場にして一気に落下する。先程の魔法を利用しての移動であった。

 地に降り立つと同時に、一切の淀みが無い動きで疾走。今度は狙いをアザゼルからシンへと切り替えていた。

 向かって来るマタドールにシンは左目に意識を集中させる。最初のときと比べればマタドールの動きを目に捉えることが出来る様になったが、それでも僅かに気を緩めれば目で追い切れなくなってしまう。

 複雑な軌道でこちらを撹乱する様な移動はせず、一直線で走り抜けてくるマタドールを見て、シンは最善のタイミングを計りながら拳に力を込める。剣と拳ではリーチの長さが違う。これを当てるとなると、どうしても相手よりも先に仕掛けなければならない。早ければ相手に見切られ、遅ければ斬られる。その刹那の間を見抜かなければならない。

 マタドールが数メートルまで接近してくる。剣はまだ動かない。狙う間はほんの一瞬であるだけなのにそこに至るまでの時間は長く、そして重い。

 残り三メートルも無い距離へと近寄られた瞬間、構えている剣先が僅かに揺れ、マタドールの全身から殺気が噴き出す。

 その姿が左目に映った途端、取り入れられた情報が体中へと駆け巡り、シンの身体を突き動かす。

 空気を裂く様にして繰り出される拳。先手として出されたそれはマタドールの身体へと吸い込まれる――ことなく空を切った。

 いつの間にか側面へ移動していたマタドールの姿を見て、動揺するよりも先に体を動かそうとするが、そうはさせまいとマタドールの足がシンの胸部に叩き付けられ、そのまま地面へと押し倒される。

 

「反応は良し。だが、思考が追い付いていないな。だからあんな簡単な動きにも騙される」

 

 それを聞いてシンは、自分がマタドールに動かされたことを理解した。目の前の動きにだけ集中していたせいで反応のみが先行し、牽制であることを見切ることが出来ず、その結果が今の最悪な状況である。

 

「次は気を付けるのだな。まあ、来世の話だがね」

 

 剣先が心臓へと向けられる。動いて逃げようとしても、地面に押し付けてくるマタドールの脚力によって身動きがとれない。アザゼルもシンを助けようとするが、槍を飛ばそうと間に合わない距離にいる。

 ここまでなのか。そう考えるシンの前でマタドールの剣が振り下ろされる。

 が、何故か振り下ろされた剣はシンの胸の前で突如、急停止する。

 意味が分からずマタドールを見上げるシンであったが、マタドールはぴくりとも動かない。

 

「今のうちです!」

 

 焦った声が聞こえると同時にシンは両手で地面を押し、その勢いで滑りながらマタドールの足元から逃れる。

 声の方へと目をやるとそこには両眼を輝かせているギャスパーが立っていた。

 神器を発動させていて視界内にシンも捉えていた筈であるが、時間を停められたのはマタドールだけ。いつの間にか神器を上手く操れるようになっていた。

 が、そんなことを考えている間に時間を停められていた筈のマタドールに変化が起こる。全身が油の切れた機械の様にガタガタと震え始める。時間を停止させられれば少なくとも数分間は動けなくなる筈であるが、マタドールはたった数秒ほどで神器の効果から解かれようとしていた。

 早く離れなければと思うも、膝の負傷で素早く動くことも出来ない。するとマタドールを飛び越して現れたアザゼルがシンの腕を掴み、そのまま飛翔。そして序でと言わんばかりにマタドールに向け何本もの光の槍を投げつけた。

 直後、神器の効果が切れたマタドール。初めに剣の先に居た筈の人物が居ないことに軽く驚き、その後自分へと迫る光の槍を感知する。

 一秒にも満たない時間で直撃するであろう距離にまで迫っていた光の槍に対しマタドールは、自分の身に起こったことを考えるよりも先に動いていた。

 光の槍の先端に向けてカポーテを振るうと、赤い布の上を槍が何の抵抗も無く滑り、そのまま地面に突き刺さる。

 

「奇怪な」

 

 槍を難なく躱したマタドールであったが、槍を回避出来たことよりもシンがいつの間にか抜け出していたこと、そしてあれほどまでの距離まで光の槍が接近していたことに気付かなかったことを考えていた。

 マタドールは周囲に視線を向ける。かなり離れた距離にシンとアザゼルが立っていたのを見つけた。これもまた不自然なことである。先程までアザゼルはマタドールの背後に立っていた。

 

「むっ?」

 

 そしてもう一つ気付いたことがある。シンとアザゼル以外に新たな人物が現れていた。

 格好からして少女と思わしき人物。その人物から煌びやかな光を放つ両眼を向けられた瞬間――

 

「くっ!」

 

 マタドールの身体は魔力の嵐に包まれていた。

 

 

 

 一誠とヴァーリ。赤と白の龍を宿す両者が零に近い距離で互いに睨み合う。

 数度目となる頭突きの衝突で互いの額から流れる鮮血で顔が朱に染まっていく。一誠の方は度重なる殴打をその身に受けてなお折れず食い下がっており、ヴァーリの方は左手から肘まで竜殺しの剣であるアスカロンに貫かれている状態であるというのにその口元には凄絶とも呼べる笑みを浮かべていた。

 頭突きの衝撃で仰け反った一誠が食い下がる様に大振りの拳を放つ。戦いの経験がろくに無い素人、ましてや苦し紛れに放った攻撃などヴァーリに届く筈も無い。寧ろ、それは大きな反撃の隙を生む。

 迫る拳を体勢を低くして回避すると、そこから立ち上がる勢いを利用し、一誠の顎を下から掌打で突き上げる。

 一誠は首が根本から抜けそうになる衝撃を受け、両脚が地面から僅かに浮く。そこに間髪入れずにヴァーリの前蹴りが鳩尾に向けて放たれた。

 龍の鱗に等しい堅牢な鎧で纏っている筈であるが、ヴァーリの爪先はその強固な守りを貫き、衝撃を通す。

 その威力に押され一誠の身体は後方へと吹き飛ぶ。このときヴァーリに突き刺さっていたアスカロンが抜け、血が弧を描く。

 数メートル宙を飛び、更に十数メートル地面を滑った後に止まると一誠はすぐに立ち上がろうとするが、そこで嘔吐する。蹴りを受けた時点で胃袋が裏返しになった気分であった。会議前に殆ど食事を摂っていないので口から出るのは胃液のみ。一誠は自ら吐いた吐瀉物に何も無いのを見て、これ以上不様を晒さなかったことに場違いな安堵を覚えた。

 

『Divide』

 

そこに追い討ちを掛ける白龍皇の能力。全身から一気に力が抜けていく。

 

『Boost』

 

すかさず赤龍帝の能力が発動し、半減された力を取り戻すが、結果だけ見ればマイナスである。

 一誠が吐いている一方で、ヴァーリの方は追撃をせず、刺されていた左手の調子を見ていた。骨や肉が裂け、激痛が走っている筈なのに平然な顔をして左手を握ったり開いたりしている。

 

「拳は――作れるな」

『竜殺しの力は私が抑えておく。だがなるべく早く竜殺しの力を抜いた方が良い』

「善処はするさ」

 

 震える指先を無理矢理動かして拳を作るヴァーリ。貫かれた痛みなど無視出来る。

 背部の翼から魔力の光を噴出させ、ヴァーリが一気に距離を詰める。ダメージが抜け切っていない一誠だがヴァーリの動きを見て、痛む体を無理矢理動かす。

 

「ぉらあっ!」

 

 先に仕掛けたのは一誠。向かって来るヴァーリに右拳を放つ。しかし、ヴァーリは鼻で一笑すると一誠の伸ばされた腕を下から突き上げた。

 肘辺りを殴られ腕が高々と上がり、胴体ががら空きになると、すかさずそこにヴァーリが裏拳を数発叩き付ける。それもわざわざ傷を負っている左手を使って。

 普通ならば躊躇う筈だが、裏拳を受けた一誠は、ヴァーリが一切の手加減などしていないことを身を以って知る。それ程までに一撃一撃が重く、体の芯に響き、受けた箇所は拳の形で陥没していた。

 ヴァーリは一誠の首筋に手を回し、引き寄せると同時に膝で腹部を突き上げる。

 

「かはっ!」

 

 一般的な体型を持つ一誠の身体が、膝蹴り一つで十数メートルの高さまで蹴り上げられた。鎧の守りのおかげで激痛だけで済んだが、生身であったら例え悪魔の肉体だったとしても、上半身と下半身が別れてもおかしくは無い威力である。

 内臓が掻き混ぜられたかのような痛みを堪えながら一誠は宙でヴァーリの姿を探す。幸いヴァーリは蹴り上げた地点から動かず、一誠が落下するのを待ちながら拳を構えていた。

 

(だったら!)

 

 一誠は背部の噴射孔を使い更に上昇し、先程の場所から倍以上離れた所で体勢を変え、ヴァーリに向け両手を突き出した構えを見せる。

 

「うん?」

 

 初めて見せる構えにヴァーリは興味を持ったのか、一誠が次に何をするか眺めている。

 ヴァーリが眺めている中で『赤龍帝の鎧』の各部に填め込まれた宝玉が光を放ち、その光が鎧を伝わって一誠の両腕へ集束していく。

 合わせられた右手と左手の中で集束された魔力は一つの塊となり、それを限界まで抑えられたとき、遂に放たれる。

 

「くらえぇぇぇぇぇ!」

 

 全魔力を注ぎ込んだ渾身のドラゴンショット。両の手から放たれた一握りの魔力は一誠から離れると瞬時に巨大化、ヴァーリの姿など軽く呑み込んでしまう程である。

 正直、一誠は学園内に於いてこの技を使用するつもりはなかった。地形すら変えてしまう威力を持つこの技を学園〈ここ〉で放てば、どれほどの被害が出るか分からない為である。だが出さなければ負けてしまう。

 しかし、それでも一誠の中から不安は消えない。ヴァーリならばどうにかしてしまうのではないか、という考えが、放つ前も放った後も脳裏から消えなかった。

 

「やり方は単純そのもの。だがこういった豪快なのは嫌いじゃない」

 

 一誠のドラゴンショットをそう評するとヴァーリは右手を掲げた。

 上空から迫る巨大な魔力の塊を片腕一本で止めるつもりであるらしい。

 一見すれば相手を舐めている様であり、もしくは正気を疑う様な姿であるが、ヴァーリ本人は至って正気であり、放たれ、迫るそれを片手で止めることが出来ると本気で思っていた。

 赤い魔力がヴァーリの手に触れる。その圧力でヴァーリの両足は地面に沈むが、膝が屈することは無く真っ直ぐと伸び、上から掛かる圧力に耐えていた。

 

「まあ、俺を倒すには威力はまだ不十分だが、手の内を見せて貰った礼にこちらも見せよう」

『Half Dimension』

 

 今までとは異なる音声が場に響いたとき、ヴァーリを呑み込もうとしていたドラゴンショットが瞬時に収縮し、半分の大きさとなる。

 

「なっ!」

 

 起きている光景に一誠が驚きの声を出すが、その間にも音声が連なって響き、その度に魔力の塊は小さくなり、やがてヴァーリの手の中に納まるまでその縮むと、一誠に見せつける様に片手でそれを握り潰した。

 

「なんだありぁ!」

『あれも白龍皇の能力の一つだ。対象となったあらゆるものを半分、縮小させる』

「そんなものまであるのかよ……ならあれを喰らったら俺も半分の大きさになっちまうのか」

『奴の力ならば俺が抑えることが出来る。だが抑えられるにも限界があるがな。――可能な限りあれを貰わないようにしろ、相棒』

 

 只でさえ身体能力や技術で負けているという状況で先程の能力を貰わずに戦う。それは殆ど不可能に近い。

 

「さて、赤龍帝。今からは更に戦いの段階が上がるぞ。覚悟はいいかな?」

 

 好戦的に笑いながらヴァーリは宙にいる一誠に向かって飛び上がる。一誠も応戦出来る様に構えようとしたとき――

 

『Half Dimension』

「えっ」

 

――いつの間にか目の前にヴァーリが現れ、構える暇も無く一誠は頬を殴られ、錐揉みしながら宙を飛ぶ。

 首が勢い良く傾き、目の中で火花が散り、口内で鉄の味が広がっていく。しかし、一誠はそのことを気にする余裕が無い。

 

(いつの間に!)

 

 一瞬たりとも目を離さなかった。だというのに、一誠はいつヴァーリが接近したのかが分からなかった。気付けばすぐ近くにいたのだ。

 噴射孔を操作し慌てて体勢を立て直した一誠は、ヴァーリの方をすぐさま見る。互いの距離は十数メートル程開いていた。

 光翼を広げ、ヴァーリが飛行する体勢となる。

 

『Half Dimension』

 

 再度聞こえる音声。そして目の前に立ち拳を振り上げているヴァーリの姿。

 格好など気にしている暇など無く、一誠は両腕を眼前で閉じ、両膝を上げ、体を縮込ませる。

直後、両腕に走る衝撃。骨まで響く打撃に歯を食い縛りながらも、今度は先程とは違ってダメージを抑えることが出来た。

 

『相棒! 危険だがこのまま奴とは距離を詰めて戦え! 離れればさっきの様になる!』

(それは分かっちゃいるさ! だけどヴァーリが何をしたのかさっぱり分かんねぇ!)

『恐らくは縮小する能力を応用して相棒と自分との『距離』を文字通り縮めたんだ』

(そんなことも出来んのかよ!)

 

 空間にまで作用する白龍皇の力に内心で叫んでしまう。

 ヴァーリが一誠の両肩を掴み、後方に倒れながら両脚を曲げ、つられて前へと倒れ掛かる一誠の胸元に両足を揃えて当てる。地面と水平になるまで傾くと同時に曲げていた脚を一気に伸ばし、一誠を上空向けて押し飛ばした。

 

「こほっ!」

 

 胸部に掛かる圧力に肺の中の絞り出させられながら飛ぶ一誠。

 

『Half Dimension』

 

 そしてすかさずそこに白龍皇の能力でヴァーリが追い付き、そこから追い越して一誠の背後へと回ると高々と片足を上げ、一誠の背中に踵を叩き込む。

 

「がはっ!」

 

 追撃を受けて今度は地上目掛けて落下する。

 そのまま地面に叩き付けられるかと思われたが寸前の所で強引に体勢を戻し、噴射孔から魔力を噴き出させることで落下の速度を相殺。地面が陥没するものの両足から着地することが出来た。だが、胸と背中に受けたダメージですぐに膝が曲がってしまう。

 着地した一誠を見て、ヴァーリもすぐに追おうとするが、そこで何を思ったのか動きを止めた。何かを考えているかのような素振りを見せる。

 動きを止め、数秒後のヴァーリの動きを見て、一誠は愕然とする。

 両手首を合わせて突き出す構え、それは一誠のドラゴンショットと同じものであった。

 

「確か、こうやって撃っていたよな?」

 

 ヴァーリの全身が白い光を放ち、それが両腕に向かって注ぎ込まれていく。

 

『相棒! 早くここから離れろ!』

 

 焦るドライグが一誠の鼓膜を揺さぶり、伝播する焦りに従い一誠は、動きが鈍くなった四肢の代わりに背部の噴射孔を操作し、今居る場所から急いで離れる。

 その瞬間、ヴァーリの両手から放たれる白い魔力の塊。一誠のドラゴンショットとは違い、手から離れても数センチ程の球体を維持しているが、ドラゴンショットよりも速い。

 白い魔力が先程まで一誠が立っていた場所に着弾した瞬間、白い魔力を中心に地面が引き寄せられ、白い魔力の中へと吸い込まれていく。ドラゴンショットとは違い派手な破壊は無く静かなものであった。

 白い光が収まるとそれを中心にして数十メートルの広さと深さを持つ大穴が場に残る。

 

『……半減の力そのものを飛ばしてきたか』

 

 何が起きたのか察するドライグ。

 地面は破壊されたことで消えたのではない。アルビオンの能力によって見えなくなるまでに縮小されたのである。

 

「初めてにしては、まあまあといった所かな」

 

 自分が放った技の威力を見て、そう評したヴァーリ。

 

「こっちはまだまだ戦い足りないんだ。もっと頑張ってくれるかな、赤龍帝。でなきゃ――」

 

 ヴァーリは冷たくも、隠し切れない闘争の熱を込めて言った。

 

「――原子レベルにまで落とされることになるよ」

 

 

 




ようやくの更新になります。ちょっとずつですが各戦いも終わり始めました。
マタドールにギャスパーの神器が通用しているのは血の力+覚醒補正ということにしておいて下さい。

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