「――赤のカポーテ」
風で靡く一枚の赤い布。ヴァーリが出せと言ったアレの正体がこれである。
何のことは無い。ただ闘牛士が迫ってくる牛の注意を引く為に使用する道具。仰々しく出した割には何の変哲も無い布切れに過ぎなかった。
(――と思えればどんなに楽か)
口の渇きに反して背中が汗で湿っていくのが分かる。悟られない様に抑えているものの、気を抜けば全身が小動物の様に震えそうになってくる。
マタドールがカポーテを取り出した瞬間、場の空気に変化が起こった訳では無い。威圧感が増した、恐怖が増した、纏う魔力の量が増した、などという分かり易い変化は無かった。
ただ、シンの眼には剣を構え、カポーテを構えるマタドールを見た瞬間『完成』という言葉が脳裏に浮かんだ。
武術や剣術などの達人が見ればマタドールの構え自体、無駄の多いものに見えるかもしれない。しかし、それでもマタドールの立つ姿はあまりにも絵になった。芸術などの嗜好を持たないシンですらその姿に、場違いではあるがこう思ってしまう。
「相変わらず格好いいな、その姿は」
シンの内心を代弁するかのように、構えるマタドールの姿を見てヴァーリはそう評する。このときのヴァーリは年相応といった笑みを浮かべていた。
絵画や彫像といった煌びやかなものでは決してない。しかし、マタドールの構える姿は見る者の心を震わす、言葉に出来ない何かを放っていた。
「その称賛、有り難く受け取っておこう。尤も手を抜きはしないが」
「不要さ、そんな気遣い。それに本気で思っていることを口にしただけだ。この世で俺が尊敬するはあんたと――」
ヴァーリは横目でアザゼルの方を見る。
「アザゼルぐらいなものだからな」
「……戦う前に嫌なことを言うぜ」
シンは小声でボソリとアザゼルが呟くのを聞いた。アザゼルとヴァーリがどのような関係であるかは知らないが、少なくとも顔見知り以上の関係であることは分かっている。ヴァーリの方は完全に割り切って戦うつもりらしいが、アザゼルの方は若干ではあるが躊躇している様であった。
「……別に手を出すなとは言わないが、手を出すなら出すでちゃんとしろよ。つまらない戦い方は俺は嫌いだ」
ヴァーリは目を向けることなく、カテレアに素っ気なく声を掛ける。この戦いで蚊帳の外に追われていたような心境であり、碌に言葉を挟むことが出来なかったカテレアは、急に話しかけられたことで一瞬硬直するが、すぐにヴァーリの言葉と態度に頬を怒りで紅潮させる。
「貴方の血とその本質は理解していますし、この作戦の準備などをしてくれたことにも感謝しています。――ですが、私は貴方のように戦いを楽しむような性分ではありません。私、いえ私たちにはするべき使命があります」
「ああ、そう」
「……乱戦となれば真っ先にアザゼルの命を狙います。終われば早々に離脱し残りの勢力のトップも。私は遊びに来た訳ではないので」
「別にそれでいいよ」
あっさりと認めるヴァーリにカテレアは黙ってしまう。仮にも自分の育ての親の命を狙うといっているのに、まるで他人事であった。元より薄情な性格なのか、あるいはカテレアではアザゼルは倒せないというアザゼルへの信頼か。
「俺はこの戦いが少しでも楽しくなればそれでいい」
(この戦闘狂め……!)
このような事態でも純真な輝きを目に灯すヴァーリを見て、カテレアは内心でそう吐き捨てた。白龍皇としての力、そしてヴァーリの身に流れるカテレアたちにとっては特別な『血』、その二つがなければとっくの前に危険因子として滅ぼしているところである。
「ははははは。血が滾るか、ヴァーリ! それでこそ私が見込んだ存在! 血と戦いの先で得ることの出来る勝利の甘美さを理解出来る者! この場に満ちた血と殺意のニオイ。肌が粟立つ気分だ! 尤も私には皮膚どころか血も肉も無いがな」
マタドールは顎をかたかたと震わせて笑う。漂う血のニオイも他者が向けてくる殺意や殺気も、己の精神を高揚させる為のものに過ぎないと言わんばかりに。
この場に於いて戦いに狂った者が二人居た。
「禁手化〈バランス・ブレイク〉」
その言葉を静かに口にすると白光がヴァーリを包み込み、その下から白の全身鎧が現れる。ヴァーリもまた戦う準備を完了させていた。
皆が戦う準備が整った途端、場に痛いほどの沈黙が流れる。先程のように軽口を言い合っていたのが嘘の様に思える程、余裕の無い空間であった。
それぞれがいつでも動く準備は整えている。マタドールは完全に相手の出方を窺う待ちの姿勢であり、ヴァーリの方もそんなマタドールに合わせているのか、構えたまま周囲を見ている。
カテレアはいつでも最上級の魔法を放つ準備を密かに行っているものの、その一撃でこの場に居る全員を葬るのは不可能であると考えており、魔法を放った直後の無防備な隙を狙われないかを危惧し迂闊には動けなかった。
シンはこの中で自分の実力が最も劣っていることを自覚している。故に一瞬たりとも集中を途切れさせることは出来なかった。カポーテを構えるマタドール、ヴァーリの言葉を信じるならば、次に見せられる戦い方こそがマタドール本来の戦い方ということとなる。先程までと同じ戦い方を意識すれば命を失う危険がある。
そして、新たに乱入してきたヴァーリの実力も未知数であった。コカビエルのときにその実力の片鱗を見たが、全力には程遠い。触れた相手の力を半減させて自分の力に変えるという、長引けば長引く程ヴァーリが有利になるという能力を持っている。とはいっても、そんな能力を使用されなくとも自分とヴァーリが戦えば、向こうの方が上回っているのは分かっていた。
なまじ相手の実力が感覚で分かるだけに、今の自分の状況が如何に絶体絶命的なものであるかが分かってしまう。自分にとっては何一つ有利の無い状況、唯一頼れるものがあるとすれば隣に立つアザゼルの実力という他人任せなものだけに、自分の力の無さを実感してしまう。
だがそれでも生き延びねばならない。自分の命を簡単に諦める程、己の生を全うしたつもりは無かった。
アザゼルもまた、マタドールとヴァーリの動きを最重視しつつ、カテレアから意識を逸らさない。自分が全身全霊を賭せばマタドール、ヴァーリのどちらかに致命傷を与えられることが出来るかもしれないとは考えるが、それはあくまで周りの妨害が無かった場合である。魔人と白龍皇、どちらと戦うにしても片方に完全に意識を集中させなければまず勝てない。この戦いに於いて刹那の油断も命取りになる。
どう攻めるか。そのことに思考を巡らせていたとき、爪先に何かが触れる感触に気付く。悟られない様に視線を下に向けたアザゼルが見たのは、鎧の爪先にほんの少しだけではあるが差していた影。しかし、光源の向きからして不自然と呼べる影。しかもよく見ればその影は、シンの影の一部が伸びて出来たものであった。
アザゼルは思わず声を出しそうになる。
(こいつのことをすっかり忘れていたな……)
コカビエルでの件でマダが詫びの証という意味で残してきたソレ。当然ながらアザゼルはその正体について知っている。
今度はシンの方を見た。シンの意識はヴァーリたちに向けられており、アザゼルの方に意識を回す余裕を感じられない。
(……お前、まさかまだこいつに自分のことを教えてなかったのか?)
心の裡で喋りかけると、アザゼルの頭の中に動物の嘶く声が響く。
(きちんと姿見せて名乗れよ。……一回手を貸せば、はい、終わりな訳無いだろうが)
再び響く鳴き声。それを聞いて戦いの場であるにも関わらずアザゼルは肩を落としそうになる。
(面倒だからじゃないだろうが……最初から出てればこっちの戦力が一つ増えていたって言うのに……まあいい、この状況を利用させてもらう。出来るな?――眠い、じゃねぇ!)
足下に這い寄る影と頭の中で会話しながら、今思い付いた策を伝える。その間も僅かでも不審な態度を見せないことに注意を払う。些細な変化でも敏感に悟るような者たちが、この場には何人も居るからだ。
策を伝え終わると、足下に這い寄っていた影は音も無く引き、シンの影の中へと戻っていく。
これでアザゼルも戦う準備が整った。
各々がいつでも戦える状態の中で誰が最初に動くのか、見の姿勢へと入っている。場の空気が最高潮まで達しようとした、そのとき。
――パチン
緊張に満ちた空気を爆ぜさせるようなフィンガースナップ。誰が鳴らしたのか、視線がその音源の方へと向けられる。
視線の先に立つのはアザゼル。最初に行動を起こしたのは彼であったが、攻撃でも移動でも無くただ注目を集めるという行為。何故そのような真似をしたのか、その疑問が湧くよりも先に、突如としてアザゼルを除く皆の視線が頭上へと向けられた。
夜の闇が白夜の様に明るくなる。
そこにはマタドール、ヴァーリ、カテレアたちに向け、鋭い先端を向ける無数の光の槍が宙に出現していた。
あの音を鳴らした際、ほんの僅かの間、皆の意識を自分に集中させていたとき、アザゼルはそのコンマ単位の秒数の間に、これほどの数の光の槍を発現させていたのである。
誰もが光の槍に気付いた瞬間、槍は雨の様に降り注いだ。
カテレアは咄嗟に集中させていた魔力を降り注ぐ光の槍に向けて放つ。青黒い魔力が光の槍を次々に呑み込み消滅させていくが、消滅させていく量よりも降る槍の数の方が遥かに上回っている。
完全に相殺出来ないと分かるとカテレアは魔力の放出をすぐさま止め、放出し切れなかった魔力を纏い防御を固めるとすぐにその場から離脱した。
一方でマタドールは光の槍の雨に対し、見てはいるがその場から微動だにしない。やがてマタドールに対し光の槍が降り注いだ。
そして、ヴァーリは降ってくる光の槍を振り払いながら低空を駆け、アザゼルを目指す。槍一本一本に込められた光の力は当然ながら密度が薄いが、それでも中級堕天使程度では出せない程の威力が秘められている。しかし、ヴァーリはそれを片腕で枝でもへし折るかのような軽い動きで跳ね除ける。それもただ跳ね除ける訳では無い、それによって弾かれた光の槍は別の光の槍へと接触、またその槍が別の槍に接触し次々と連鎖、それによって軌道が逸らされていき、ヴァーリが数度腕を振るっただけで、アザゼルへの道が拓かれる。
ヴァーリがアザゼルを狙うのを見てシンもまた動こうとするが、動き出す前にアザゼルが指を小さく左右に振るう。シンにはそれが『動くな』という合図に見えた。
「来いよ、ヴァーリ。相手をしてやる」
「その言葉、ずっと待っていた!」
歓喜の声を上げながらヴァーリは拳を大きく引く。アザゼルは手に持つ槍をヴァーリへと向ける。
白色の光と黄金色の光。その二つが激突し合う――かに思えた直前。
「――なーんてな」
「はっ?」
何故か構えを解いてしまうアザゼルに、ヴァーリは理解出来ないといった声を洩らす。
その直後。
パオオオオオオオオオオオオオオオ。
けたたましい象と思わしき咆哮がシンの足下から響いたかと思えば、水中から浮上するかのようにシンの影が盛り上がり、不定型な状態のまま完全に意識を逸らされていたヴァーリの脇腹目掛けて突進していく。
「ぐぅ!」
不意を突かれ、苦悶の声を上げてしまうヴァーリ。そんなことなど構わずに突進していく影はヴァーリを旧校舎の方へと勢いよく押しながら、徐々にその姿を露わにしていった。
蛞蝓、あるいは蝸牛の様に這うような状態から、大木の様に太く、短くも分厚い爪を生やした四足となり、出来上がった足が一歩進む度に、地面が深く陥没していく。
ヴァーリに押し付けている頭部らしき部位は最初、目も鼻も口も無いのっぺらぼうであったが、何も無い部位に二つの隆起が出来たかと思えば、黒い膜を突き破る様にして弧を描く白い牙が現れる。すると今度は二本の牙の中心部分が隆起し始めたかと思えば、そのまま一気に伸び、長い鼻を形成する。
牙と鼻が出来ると、頭部部分の左右が羽の様に広がり、大きな耳を作る。
そして、顔面の中央に横一文字の線が浮かび上がるとそれが上下に裂け、そこから黄色の瞳を持つ単眼が現れる。
全身を染め上げる黒が薄れ、その下から黒みがかった青色の皮膚が外気に触れる。皮膚には皺などが無く、代わりに黒い縞が規則性なく至る所に浮かび上がっていた。
魔術師たちに襲われたときにシンはそれの一部分しか見ていなかったが、このとき初めてその全貌を見た。
単眼の巨象。
これこそがマダがシンに送ったものの正体であった。
巨象はヴァーリを逃がさない様に鼻を巻き付け、そのまま旧校舎の壁に向かうと速度を緩めずに衝突。速さと質量が生み出す破壊力には旧校舎の壁など無いに等しい程あっさりと破られ、巨象はヴァーリ共々旧校舎の中へと消えて行った。
「取り敢えず、これで厄介なのが一人足止め出来たな」
しれっとした態度で言うアザゼル。シンの影の中からあの象が現れたことに対し、一切の動揺も驚きも見せない。それどころかアザゼルの行動を振り返ってみると、あの象のことを知っていた上での行動に思えてきた。
「――知り合いだったんですか?」
あの象の存在についてはシンもつい先程知ったばかりである。それを事前に知っていたとなるとあの象自体とアザゼルが知り合いか、もしくはあの象をシンに送ったマダと知り合いかのどちらかである。
敢えて対象を出さず含んだ聞き方をすると、アザゼルはすぐに答えた。
「ま、この戦いが終わったらきちんと教えてやる」
質問の答えに関しては先送りとなったが、質問を否定したり惚けたりしていないこと自体が答えの様なものであった。
シンもそれ以上追及せず、話を変える。
「『相手をしてやる』って言ったのに……」
消えて行ったヴァーリたちの方を視た後に、シンはアザゼルに呆れた様な視線を向ける。シン自身、横槍が入るまでアザゼルが正面から戦うと思っていた。
「敵の言葉を馬鹿正直に受けとっている時点であいつの青さが出たな。戦いに騙し合いは付き物だろう?」
全く悪びれた様子の無いアザゼル。今は取り敢えず味方側として居るが、もし敵側だったらと考えると厄介そのものである。
「――それにヴァーリと戦いながらあいつと戦うのは厳しいからな」
アザゼルの視線の先に舞い上がる土煙。マタドールが居た場所に無数の光の槍が落ちて出来たものである。光の槍が降り注ぐ瞬間まで動こうとしなかったマタドール、土煙の中がどのような状態になっているかは見当が付かなかった。
そのとき舞う土煙が渦巻き、内側から膨れ上がるように周囲へと飛ばされる。土煙が一瞬にして掻き消え、その中が明らかとなる。
土に突き刺さる無数の光の槍。しかし、それがある場所を中心にして円形に並んでいた。直径にして約二メートルの空間、そこだけ光の槍が刺さってはいない。
そして、その中心に立つのはカポーテと剣を構える、無傷のマタドールであった。
その場で地を蹴る。音も無く跳び上がり、重力を感じさせない動きで突き刺さっている光の槍の一本へと同じく無音で降りる。
「今度はこちらの番だな」
そのとき、皮膚も肉の無いマタドールの顔に笑みが浮かんだように見えた。それも穏やかな笑みでは無く、禍々しいまでに飢えた凶笑が。
マタドールの膝が僅かに曲げられたのが見えた瞬間、姿が消えると同時に、地に刺さる槍の群が一斉に吹き飛ばされる。
移動の余波だけで光の槍は容易く砕けていく。
シン、アザゼルはすぐさま消えたマタドールの姿を眼で追う。シンは視界の端に僅かに捉えた姿を追うと、マタドールはシンたちから数百メートルほど離れた位置に立っていた。
何故、わざわざ距離をとったのか。その答えはすぐに知ることとなる。
再びマタドールが足元を蹴りつけたとき、彼が現れたのはアザゼルとの距離三メートルの場所であった。
最初の時と同じ過ちを繰り返さないよう、一秒たりとも目を逸らしてなどいない。なのにマタドールが動いたかと思えば、距離というものが最初から無かったかのように移動している。
速い。その言葉で表現するのも遅く感じられる速度。
マタドールの間合いには少し遠く、アザゼルにとっては手に持つ槍の間合いの位置。
姿を見てからのアザゼルの行動は素早かった。
剣を間合いに入るよりも先にアザゼルの槍が繰り出される。踏み締める一足で大地に亀裂が生じ、槍が数ミリ動く度に空気の壁が爆ぜ、それによって生まれる衝撃が旧校舎そのものを揺らす。
神器とアザゼルの力が組み合わさったことで出来上がる未曾有の力。
光の槍の先端がカポーテに触れる。シンはこのときそのまま突き破っていく光景を幻視する。
その刹那、シンは次に目に映った光景に驚愕から息を呑んだ。
突きを繰り出したアザゼルが前のめりの体勢となっていた。まるで勢い余ってといった様子であった。そして、突き出していた筈の槍は地中に槍身を深々と埋め込んでいる。
マタドールの立ち位置は先程とは変わらず、槍を受けた筈のカポーテには綻び一つ無い。
すぐに槍を引き戻し、体勢を戻そうとするアザゼルであったが、マタドールは側面に移動すると同時に、槍を持つアザゼルの右肩と右腕の境目目掛け、その白刃を突き立てる。
胸部に斬撃を受けたときとは違い、先端が内部へと入り込む。
「ちっ!」
痛みによる苦鳴を洩らすよりも先に、鎧を突破したことに対しアザゼルは舌打ちをすると、すかさず空いた手の方に光力を集束させ、ヒトなど容易く隠れてしまう極大の光の槍を作り出すとそれを圧縮、長さは十数センチほどしかないが圧倒的密度を持った光の槍を、自分も巻き添えになるかもしれないという考えなど微塵も無いように躊躇なく放つ。
二人の距離はほぼ零に等しい。だがマタドールは避けるよりも先に、光の槍と自分との間にカポーテを翳す。
赤い布に光の槍が触れたと同時にマタドールはカポーテを翻す。その瞬間、一直線に向かっていた光の槍がカポーテの動きに合わせて軌道が逸れ、空目掛けて飛んで行った。
あまりに簡単に外される光の槍。だがアザゼルはそれに呆然などせず、もう一撃放とうとするものの、動く前に鎖骨付近にマタドールの靴底が押し当てられ、そのまま後方へと押し飛ばされた。その勢いで突き刺さられた剣は抜け、黄金の鎧に刻まれた刺創から鮮血を流しながら、アザゼルの身体が地面を数度跳ねながら転がっていく。
先程の光の槍、そしてその前の閃光槍もまた、あのカポーテ一枚によって軽々と往なされていた。触れた瞬間、勢いも威力も全てが吸い込まれたかのようにカポーテの動きに合わせて動かされたかと思えば、カポーテから離れた途端元の勢いと威力を取り戻し、盛大な空振りとなる。
攻めればこちらの攻撃は無効化され剣に貫かれる結末が待っており、攻撃に対し消極的になれば今度はマタドールの猛攻を受けることとなり、どちらにせよ剣の餌食となる。
攻めても守っても待つ結末は同じ。最悪の二択である。
アザゼルを蹴り飛ばしたマタドールはそこで動きを止めず、一踏みで十数メートルの距離を滑空する様にして跳び、立ち上がるアザゼルに向かって飛び掛かる。
アザゼルもマタドールの追撃が見えたのか、すぐさま槍を盾の様にして構えた。
飛び込んできたマタドールとアザゼルが再び衝突。
槍と剣が刃を交えるのかと思ったが、響く音は無い。何故ならば、飛び込んできたマタドールは剣を振るったのではなく、その両足を揃えてアザゼルの槍を踏みつけていた。
相手がそのような真似をしたことに一瞬、アザゼルは戸惑いを覚えるが、刹那の間にその理由を悟り、声を出そうとするが、それよりも速く揃えた両脚が生み出す爆発の様な脚力で、アザゼルを再度蹴り飛ばす。
重厚な鎧を纏うアザゼルが藁屑の様に飛ぶが、マタドールの視線は既にアザゼルからシンに向けられていた。
マタドールはアザゼルの槍を足場にし、蹴り飛ばした反動で今度はシンを狙う。
あらゆるものを緩慢な動きとして捉えるシンの左眼もマタドールが動いたと判断するのが精一杯であり、そこから先の動きは半ば本能的なものであった。
迫る赤のカポーテ。既に拳の間合いである。
このときシンが放ったのは弧を描く大振りのフック。カポーテになるべく触れない様にカポーテの側面に狙いを絞り、カポーテによって隠されたマタドールの胴体を穿つ為である。
振るった拳に軽い衝撃が奔る。それと同時にシンの視界からマタドールの姿が消えた。
すぐにシンは消えたマタドールの姿を追い、『背後』へ振り向いた。
殆ど見ることだけしか出来なかったが、拳がマタドールに触れようとした直前、マタドールは素早くその場で跳躍し、迫るシンの拳を足場にして頭上を飛び越えて行ったのである。
片足を軸にし、振り向き様に右拳を振るうシン。だが背後に立つマタドールの姿を視界に入れた途端、その動きが硬直した。
マタドールはカポーテを構えず、剣を掲げていた腕も下げ、自然体とも呼べる格好をしていた。その手に持つ剣の切っ先は真っ直ぐシンの方へと伸びており、その先端をシンの軸足の膝へと埋め込んでいた。
刺された。そう思った瞬間、灼熱の様な痛みが軸足となっていた左脚を襲う。痛みに対し我慢強い方であるシンも、思わず動きを止めてしまう程のものであった。
体重をかけているだけに刺し込まれた刃が肉と骨に喰い込む。内側から斬り裂かれる痛みは神経を通じ、脳が焼けるような警鐘を伝えていく。
「声を出さないか。偉いな」
褒め称えると同時にマタドールの剣が押し込まれ、膝裏まで貫く。
脳細胞が死滅するのではないかと思う程の痛みと言う名の衝撃が奔り、吐き気すら込み上げて来る。
力が抜け、意図せずに左脚が折れる。
マタドールは刺された剣を素早く抜く。再び痛みが襲ってくるがそのことを気にしてなどいられない。引き抜かれた剣の先が今度はシンの心臓を狙っている為に。
体勢が崩れる中、シンは右手に魔力剣を生み出す。それを見たマタドールはカポーテを掲げるがシンが放つのは攻撃の為では無い。
形成と同時にシンは魔力剣を足元へと突き刺した。剣身に閉じ込められた荒れ狂う魔力が地面の中で解き放たれると、土が一気に盛り上がり、盛り上った土を破って四方に魔力の波を撒き散らす。
魔力波に逆らわず勢いに呑まれることで負傷した脚でもその場から離脱することができ、ついでに巻き上がった土砂を煙幕代わりに使い、相手の動きをほんの僅かではあるが止める。
自分の技を至近距離で受けながら、シンは方向など分からずに吹き飛ばされていく。錐揉み回転していく中で地面の位置を確認すると、右手を叩き付けるようにして無理矢理勢いを殺しながら着地する。
すぐに立ちあがろうとするが、鋭い左脚の痛みが全身を襲う。
自分の技を自分で受けた代償はそれなりに高く、爆ぜた地面から飛び出て来た石などで体の至る所を打ちつけられているが、幸か不幸か、重傷である左脚の痛みに比べれば無視出来るものであった。
すぐに立ちあがろうとするが力を入れた途端、刺された片足に激痛が起こりその拍子で力が抜け、前のめりに倒れていく。
「無理をするな」
そのとき急に周囲が明るくなり、倒れていく体が途中で止まる。誰かがシンの腕を掴み、その身体を支えているからであった。
「――とは言っても無理しなきゃ死んじまうのが悩み所だがな」
腕を掴み、支えているのはアザゼルであった。
軽口を言うアザゼルであるが、その右肩からは絶えず流血しており、黄金の鎧が血で染まっていく。
「焦るな。呼吸を整えてゆっくり立て。それぐらいの時間は稼げる筈だ」
悠長な台詞を言うアザゼルであったが、このときシンは自分の周囲が何故明るくなったのかに気付いた。
アザゼルを中心にして囲むように光の壁が張り巡らされていたのだ。アザゼルがマタドールの追撃を避ける為に張った光の結界である。
シンは言われた通りに深く息を吸い、同じ間隔で息を吐きながら立ち上がる。何とか立ち上がれたものの左脚には殆ど力を入れることが出来ず、体重は全て右脚の方に掛かった状態であった。
「酷なことを言わせてもらうが、まだやれるな?」
「――大丈夫ですよ。そっちの方こそ大丈夫なんですか?」
痛みをやせ我慢しながら、逆にアザゼルの状態を問う。
「まあ、まだ動くからな」
そう言うアザゼルであったが、いつの間にか槍を持つ手が替えられていた。少なくとも右腕は戦いに使えない程の損傷を負っているらしい。
どんどんと体力を削られていく感覚に焦りを覚えつつ、シンは周囲に注意を向ける。
先程までシンが居た場所にはマタドールが、やはりと言うべきか無傷のままで立っている。そしてシンたちとマタドールの両方を視界に納められる地点には、カテレアも同じく無傷の状態でいた。
下手に手を出せば余計な痛手を負うことを理解しているのか、この戦いがどちらに転ぶか観察している様子である。マタドールの標的がシンたちに向かっていることから、それは正しい選択であった。
尤も常に変化する戦場ではそれは一時のことにしか過ぎず、カテレアも分かっているのか、いつ矛先が自分に向いてもいいように青黒い魔力を纏っている。
「悪いが庇える程の余裕はこっちには無い。なるべく死ぬなよ?」
「……善処します」
言い終えると同時に構えていたマタドールの姿が消える。次の瞬間には光の壁の前に現れ、壁に向かって剣を突き立てていた。
一突きで覆い尽くしていた壁が粉砕される。だが幾重にも重なっている構造となっていたらしく破られた壁の下から新たな壁が現れ、マタドールの進行を妨げる。
それでもマタドールの動きを止められるのは保って数秒程度。光の壁を次々と破壊しながらマタドールはシンたちに迫ってくる。
どのみち逃げるつもりなど無い二人は壁によって稼がれた数秒を使い、己の力を集束し始める。
シンは右掌をマタドールへと向け、それを左手で掴み固定すると両手に魔力を送り始める。それによって紋様は一層輝きを増す。
アザゼルも装備している槍に光力を注ぎ込む。神器の槍は眩い光を槍の中へと蓄え、静かに威力を増していく。
二人が力を溜めていることはマタドールからも見えているが、マタドールは進む速度を緩めず、二人の攻撃に挑む様に直進する。
やがて最後の壁が破られ、マタドールが二人の前に現れたとき、シンとアザゼルは溜めた力を一気に解放した。
◇
巨象の嘶く声を間近で浴びせられながら、ヴァーリは次々と教室の壁を突き破りながら旧校舎の奥へと押し込まれていく。
止めようにも脚が地面に着かない様に持ち上げられた状態であり、両腕も巨象の鼻に巻き付けられたことで体に押し付けられるような形になっている。
何とか腕の自由を取り戻そうと力を込めるが、巻き付ける力は相当なものであり、手こずっていた。
「ならば!」
ヴァーリの身体が光に包まれると纏っていた鎧が解除され、生身の姿が現れる。普通ならば自殺行為に見えるが、ヴァーリにはある狙いがあった。
締め付けてられている鎧が消えたことによって僅かな隙間が生まれていた。この僅かな隙間が出来た瞬間、ヴァーリは素早く片腕を鼻の拘束から抜く。
「禁手化〈バランス・ブレイク〉!」
そして素早く鎧を纏うと、自由になった片手を容赦無く巨象の単眼目掛けて叩き付けた。
このときヴァーリの脳裏には潰れていく目と、その感触を覚える未来が見えていた。しかし、その刹那の思考の後、思わぬ現実を叩き付けられる。
巨象の単眼にヴァーリの拳が触れた瞬間、ヴァーリの拳に返って来たのは全くの無であった。硬いという感触も柔らかいという感触も、それどころか殴ったという感触すらない。拳で空を切る方がまだ感触があると思える程の無の手応え。
これは、と不可思議な感触に驚きを覚えるよりも先に、金属音と共にヴァーリの頭が仰け反る。
「くっ!」
痛みよりも先に、何故という疑問が浮かぶ。巨象が何かをしたという動きは無かった、だというのにヴァーリが感じたのは、間違いなく拳による打撃である。
何が起こったのか分からない様子のヴァーリに対し巨象は再び鼻を絡ませると、そのまま拘束するのではなく、頭を横に向け、戻す勢いでそのまま投げ飛ばした。
弾丸の様な速度で投げられたヴァーリは何枚目かになる壁を突き破り、その先の教室の中に背中から落ちるもすぐに体勢を戻す。
「何だったんだ今のは……」
見えざる打撃を受け、ヴァーリは軽く首を回す。
『大丈夫か?』
「問題ない。少々驚いたが痛みは然程無い」
『心配ついでにもう一つ言っておくことがある。奴はまだ我が能力の影響下には入ってはいない』
「まあ、そんな気はしたさ」
アルビオンの言った通り『白龍皇の光翼』の能力の一つである触れた相手の力を半減させる能力が発現していなかった。直接触れた筈ではあるが触れてはいないという事態、ヴァーリはそこに先程の不可視の一撃の答えがあると考える。
『奴の体自体が防御用の結界を纏っているのかもしれない。ヴァーリ、用心して注意深く探った方が良い』
「いや。悪いがアルビオン、それは俺の性には合わない」
『何?』
「アザゼルに一杯喰わされた鬱憤、調べるついでに晴らさせて貰おう!」
『待て!』
アルビオンの警告も指示も無視し、ヴァーリは巨象に正面から突進する。
向かって来るヴァーリの姿を見て、巨象は両前足を振り上げる。曲芸の様に後足二本で巨体を支え、ヴァーリが前足の間合いまで近付くと鎧ごと粉砕する勢いで振り下ろす。
両前足が床へと叩き付けられるとその衝撃で床が大きく陥没する。そしてそのまま置かれていた机や椅子などに伝わり、教室内の物が一瞬浮き上がる。
しかし、陥没した床にはヴァーリの姿は無い。巨象の手応えの無さからそれが分かっていた。
巨象の鼻が突如鞭の様にしなる。鼻が狙うのは脇腹付近、空気が裂ける音と共に振るわれた鼻だったが、それを白の籠手が掴み取る。
「遅いな」
いつの間にか巨象の側面へと移動していたヴァーリは、高速で振るわれた鼻を軽々と掴みながら、余裕を感じさせるように巨象の動きを揶揄する。
直後、巨象が急に空気を吸い込み、ヴァーリの掴んでいた鼻先が膨らんでいく。それを見て良からぬものを感じたのか、掴んでいた手を離し後方へ退くと、膨らんだ鼻先から見るだけで毒だと分かる黒緑色の気体が噴出された。
毒々しい気体の範囲外へと逃れたヴァーリであったが、吐き出された気体はすぐに教室へと充満していき、ヴァーリから安全圏を奪っていく。
四方から迫る気体。吸えばどんな異常が体に起こるか分からない。そんな危機的状況の中でも、ヴァーリは鎧の下で猛々しい笑みを浮かべる。
ヴァーリはその場で腰を落とし、上半身を捻りながら拳を後方へと引く。指先まで覆う鎧が軋む音を出すほどに拳を固めた。
そして捻った上半身に溜めた力を解放し、腰を半回転すると共に引かれていた拳を突き出す。
何も無い宙へと突き出された拳。しかし、そこから生まれた拳圧は離れた場所に並ぶ窓ガラスを一斉に砕き、放たれた拳の拳圧により、流れに乗って場に満ちていた筈の気体が窓の外へと飛んでいく。
まさに空を斬るを体現したヴァーリの一撃。これにより巨象までの道が拓かれた。
すかさずヴァーリは間合いを詰めると巨象の胴体に合計三発の拳を叩き込む。殴ったヴァーリの拳に返ってきたのは、やはり先程と同じ不可思議な感触。
そして今度は三打の衝撃がヴァーリの胴体に走った。
(これは……)
鎧を纏っていてもその下にある肉体に伝わる衝撃。痛みを覚えるがそれ以上にヴァーリは、朧気ではあるが巨象の能力について見えてきたことがあった。
(もう少し試してみるか)
全く動じない巨象の反撃を軽々と避けながら、自分の推測を確信へと変える為に次の行動に移る。
巨象の腹の下に潜り込み、拳を突き上げる。当てた瞬間、ヴァーリもまた腹部を突き上げられるような衝撃を味わう。
足下に入り込まれるのを嫌がり巨象は鼻を伸ばすが、それが届く前に抜け出し、今度は鼻を伸ばしている巨象の頭に四発の拳をそれぞれ違う角度で叩き付けた。
殴ったヴァーリの頭が勢いよく横に傾いたかと思えば後ろに仰け反り、再び横に傾いた後、頭を下げる様な形となる。
その状態のまま、ヴァーリは下段蹴りを巨象の右前足に浴びせる。するとヴァーリの右腕に痺れるような感触が走った。
「やっぱりか」
軽く首を擦るヴァーリの口から出たのは、確信に満ちた言葉。
『奴の能力が分かったのか?』
「ああ」
振るわれた鼻を後方へ飛ぶことで回避しつつアルビオンの質問に答える。そしてそのまま巨象との距離をとった。
「アルビオンの言った通りこいつは全身に何らかの力で特殊な能力の結界を纏っているみたいだ。そしてその能力は――」
ヴァーリは何処か愉しげな口調で、自ら導き出した答えを出す。
「――『物理攻撃の反射』。そうだろう?」
正解か否か、その問いに相手は何も答えない。
「だとしたらショックだ」
相手の反応を無視し、独り語り続ける。
「さっきの攻撃をそのままの威力で反射しているのだとしたら――俺の拳は俺が思っている以上に軽いな。少しプライドが傷付く」
通常の攻撃が効かないということよりも、実際に受けた自分自身の攻撃の威力の方に注目する。ヴァーリに焦燥など欠片も無かった。
「まあ、それは改めて鍛え直すとして、さっきの質問の答えだが――」
巨象はその答えに対し、肯定、否定の意を示さず、咆哮を上げながらヴァーリに向かって突進した。
重さトン単位の巨体による突進。まともに喰らえば無傷では済まない。これを見て誰もが回避を選択するであろうが、ヴァーリは違った。
「能力が『物理反射』と仮定したとして――」
ヴァーリは逃げる様子は一切見せず、両手を広げ迫る巨象の真正面に立つ。
巨象の頭がヴァーリへと叩き付けられ、その頭をヴァーリの両腕が受け止める。その瞬間、ヴァーリが踏み締めていた床が巨象の圧力に押され抉れていった。
突進の速度そのままにヴァーリを再び押し込んでいく巨象。既視感を覚える光景であった。
教室の壁をまた粉砕し、更に奥へと進んで行く。だがここで先程とは違うことが起きる。
壁を突き抜けて別の教室に入ったとき、巨象の突進の速度が緩まった。そして、教室の半ばまで進んだとき、その突進は完全に停まる。
巨象はその場で何度も足を動かすがそれ以上先には動けなかった。巨象の動きを止めるのは、自分の何十倍もの重量を持つ相手を押さえつけるヴァーリの二本の足。抉れた床を地に根を降ろすかのように踏みつけ、微動だにしなかった。
「――確かめたい事が有る」
踏みつけた床に無数の亀裂が生じたかと思えば、ヴァーリは巨象の象牙を掴む。
「ふっ!」
息を吐くと同時に力を込め、上体を後ろへと逸らした。
巨象から鳴き声が上がる。それは威嚇するようなものではなく、現状に戸惑うような鳴き声であった。
あろうことか、巨象の足が床から浮いていたのだ。
巨象の身体を浮かすのは勿論ヴァーリの膂力。自分を上回る体躯の相手を、持っている力のみで持ち上げていた。
浮き上がった巨象の体は徐々に地面と垂直となっていき、やがて逆立ちするような格好となる。
「直接攻撃を当てなければどうなるんだ?」
ヴァーリはそのまま体勢から両足を地面から離し、真っ直ぐ前に伸ばす。逆立ちの格好をしていた巨象はヴァーリの動きに合わせて勢いよく落下する。
床に頭から着地。自分の体重を全て乗せた状態で味わう脳天砕き。重さと衝撃で巨象の頭の床に深々とめり込んだ。
「ふぅ」
柱のように埋まる巨象から手を離し、ヴァーリは軽く息を吸う。
「成程」
直接打撃を叩き込んだときとは違い、自分の身体に何の衝撃も無かったことを確かめ、ヴァーリは巨象の物理反射は物を介せれば無効となることを知る。尤も、この手が通用しなければ、今度は魔力を用いた戦い方をするつもりであった。
脳天から床に突き刺さった巨象の身体はゆっくりと傾き、派手な音を立てて仰向けに倒れる。
倒れた巨象はぴくりとも動かない。ヴァーリもまさか先程の攻撃で倒したなどとは思ってはおらず巨象の動きに注目していたが、どれだけ眺めていても動く気配を見せなかった。
「――拍子抜けだな」
かなりの力を持っていたと思っていたが、能力の謎を解き、たった一撃を加えただけで戦闘不能になった巨象に対し、失望の言葉が漏れる。
ならばお預けとなったアザゼルやマタドール、シンとの戦いに赴こうとヴァーリが巨象に背を向けたとき、あることが起きる。
かりっという爪で引っ掻くような音。その音を聞いたヴァーリは足を止めて、振り返った。
振り向いた先にあるのはやはり大の字になって倒れた巨象の姿。さっき見たものと何一つ変わっていない。
「――ん?」
と思っていたヴァーリであったが、倒れた巨象の姿にある違和感を覚えた。左右に広げられた両前足、ヴァーリの記憶が確かならば柱の様に太くまっすぐであり、僅かに伸びた爪が生えた形をしていた筈であったが、どういう訳か広げられた両前足は足というよりも、親指から小指までの五指が揃った人の手と同じ形をしている。
視線を下げて後ろ両足の方も見てみるとこちらもまた、人と同じ形をした足になっていた。
「何だ?」
近付き調べようとしたその瞬間。
パオオオオオオオオオオオオオオオ。
沈黙していた巨象がいきなり両手で床に突いたかと思えば、その巨体からは想像出来ない程俊敏な動きで床を突き飛ばし、近付くヴァーリの腹部に両足を叩き付ける。
その奇襲にヴァーリも動きが遅れ、防御が間に合わず蹴り飛ばされた。地面を二度跳ねた後、壁に叩き付けられるヴァーリの体。
「くっ!」
壁に叩き付けられたヴァーリは軽く頭を振る。
一瞬何が起こったのか分からなかった。
少し混乱するヴァーリの前で巨象はその身体を起こす。それも動物などがする起き方では無い。まるで人の様に手を突き、膝を突きながら身体を起こしていた。
巨象はヴァーリの目の前で、あろうことか人の様に『二足』で立ち上がる。
そして立ち上がった巨象は自分の足元に伸びる影目掛け、素早く手を伸ばす。伸ばした手は水面に触れるかの様に影の中へと沈み込む。手を影に沈めると水しぶきが上がる様に影が飛び散り、巨象の身体へと掛かる。
巨象の身体に掛かった影はそのまま形を変えていった。手足に掛かった影は幾重に重なった黄金の輪へ変化、胸元に掛かった影は胸元を隠す薄い布へと変わり、それに繋がって黄金の肩当てが巨象の両肩に装着される。股部分にも影が纏わり、そこから黄金色の紋様が描かれた布が垂れる。
上半身と下半身に装飾が施されていく中、最後に現れたものは影の中に沈めこんだ巨象の手の中に納められていた。
完全に沈んでいた手が引き上げられていくと、何も持っていなかった手には何かが握り締められている。
最初に現れたのは柄。次に現れたのは鍔。そして最後に現れるのは銀色に輝く刀身。柄と鍔はすぐに現れたが、刀身の方は全体を見せるのに少しだけ時間が掛かった。何故なら完全に引き抜かれたソレの長さは、巨象とほぼ変わらない。
数メートルもの長さを持つ大太刀であった。
獣面人身の異形と化した巨象は大太刀を片手に持ち、空いた手を共に相手を迎えるように左右に広げて構える巨象。さっきまでの四足とは違い二足で立ち上がったことで、倍近い身長となってヴァーリを見下ろす。灯りの無い暗闇の教室の中、黒味を帯びた肌のせいで巨象の爛々と輝く単眼が浮いているかのようであり、そこに威圧と不気味さがあった。
「ははははっ!」
だがそれでもヴァーリは笑う。心の底から楽しんでいる笑いであった。
物理反射の能力も巨象の変身も恐怖は覚えない。覚えるのは寧ろその逆、燃え上る高揚感。それによって血が熱を帯び体内を高速で駆け巡る。血が蒸気となって体から立ち昇っていくのではないかという興奮をヴァーリは覚えていた。
「これだ! こういうのだよ!」
ヴァーリが嬉々として叫ぶ。
強い奴と戦いたい。自分の強さでどこまで高みに昇れるかが知りたい。勝って当たり前の様な易い戦いや勝利など要らない。望むのは肉が裂け、骨が砕ける様な戦い。血反吐を吐きながら、己の全てを出し切った後に得られる勝利。
マタドールとの戦いは血が沸いた。セタンタとの戦いは心が躍った。そして、この巨象との戦いは体が熱くなる。
体の内で流れる血、吐く息すら灼熱を帯びていくかのような感覚。だというのに頭の中は清々しいまでに冷静であった。相手の動き全てが視覚以外でも感じ取れるまでに意識が集中していく。
ヴァーリはその状態で一歩踏み込む。数十センチ前に出た場所、そこは巨象の振るうであろう大太刀の間合いの中である。
間合いの外から中へ自ら飛び込む。ヴァーリから巨象に対しての無言の挑発だった。
その挑発を受け取った巨象は軽く鼻を鳴らす。それだけで教室内の窓ガラスが細かく震える。
巨象の足元で床が軋み、小さく鳴る。それが戦いの開始を報せるものであった。
床板が捲れ上がる程の勢いで巨象が踏み込むと同時に、手に持つ大太刀がヴァーリの胴体を斬り裂こうと振るわれた。長大な太刀であったが重さなど無いかのように軽々と振るわれ、剣速によって刀身が霞む。
大太刀が向かって来る場所を瞬時に理解したヴァーリは上半身を捩じりながら、そのとき生じた力を乗せながら迫る大太刀の刃へと向け、拳を放つ。
光の少ない教室内が一瞬明るくなる程の火花が両者の間で開いた。火花が消えると同時に弾かれる大太刀、そして揺らぐヴァーリの体。
身体を傾けながらヴァーリは自分が初手をミスしたことを悟る。拳と大太刀が触れた瞬間、ヴァーリは側頭部を打ち抜かれる様な衝撃に襲われていた。不意を突かれそれにより体勢が崩れてしまう。
(まさか武器にまで耐性が付加されているとは)
ゆったりと変わっていく視界の光景を見ながら、ヴァーリは焦ることも無く独りそんなことを思っていた。
視界の端では、既に体勢を戻していた巨象が大太刀を振り翳す姿が見える。
(次は気をつけるか)
振り下ろされた大太刀の刀身腹に今度は叩き付けるのではなく、添える様に腕を押し付け軌道を逸らしつつ、その微かな支えで傾いた体勢を修正する。
それによりやや前のめりとなった巨象。すかさずヴァーリはその懐へと潜り込む。
ヴァーリの右腕全体が白色の魔力によって包み込まれる。普通に殴打すれば同じ威力で返ってくる。ならば直接殴らなければどうなるのか。
即席で考えた打開策を、なんの躊躇いも無くヴァーリは実行した。
大きく膨れ上がった巨象の腹。ともすると肥満に見えるそこを目掛け、ヴァーリは貫くイメージで魔力を纏わせた拳を打ちこむ。
拳が巨象の腹に沈み込んでいく。だがヴァーリの身には何も起こっていない。
目論見通り、直接的な打撃でなければ物理反射は発生しないらしい。思い通りの結果になったヴァーリであったが、仮面の下のヴァーリの表情に笑みは無い。
沈み込む拳。魔力越しでも分かる相手の肉体の感触。衝撃を和らげる脂肪の奥底には鋼鉄を思わせるような硬い筋肉の感触があった。
殴りつけたヴァーリだからこそ分かる。相手が全く損傷を受けていないという事実に。
筋肉と脂肪。それを二重に備えた肉体の鎧。そこに物理反射の能力を加えれば三重の守りを持っていることになる。
(成程…能力が無くても元が頑丈なのか)
敵ながら自分の一撃に微動だにしないことに素直に感心するヴァーリであったが、巨象からすればそんな感心を抱くことなどただの隙でしかなかった。
巨象が腹に力を込めると、ぶよぶよとしていた腹回りが一瞬にして巖の様な硬さと成る。
それに拳を挟まれていたヴァーリは腕全体に掛かる圧力を感じ、咄嗟に引き抜こうとするが動かない。
巨象はそんなヴァーリの両脇を掴むと軽く膝を曲げる。その動作を見て巨象が何をしようとしているのか悟るが、腕を拘束されている為に逃れられない。
締めていた腹が緩められた次の瞬間、ヴァーリの身体が天井目掛けて投げ飛ばされた。
室内であること、投げ放たれた速度、その二つのせいで飛ぶことも出来ず背中から天井に衝突し、そのまま天井に体を埋める。
「くっ!」
痛みなどは鎧のおかげでそれほどでもなかった。すぐにこの場から離れようとする。
パオオオオオオオオオオオオオオ
巨象の咆哮。ヴァーリが見たものは天井目掛け頭から突っ込んで来る巨象の巨体であった。
◇
背後から絶えず放たれてくる魔弾を回避しながら、一誠たちは旧校舎二階の廊下を駆け抜けていた。
外部から特殊な術を施されたらしい魔術師たちは皆が正気を失った表情をしているものの、魔術に関する知識までは失ってはおらず、己の限界を無視して連続で唱え続けている。
「はっ!」
一誠やギャスパーに直撃しそうになった魔力の弾をリアスの消滅の魔力が盾となって防ぐ。そのリアスに向かって放たれる魔力の弾を、今度は一誠が『赤龍帝の籠手』で防いだ。
「ひゃあ!」
「大丈夫か?」
「ボクらのことは気にしなくていいよ~」
ギャスパーの悲鳴を聞いて一誠は詫びの言葉を言うが、ジャックランタンは気遣いは不要だと告げる。現在、ギャスパーは一誠の脇に抱えられた状態であり、そのギャスパーはジャックランタンを抱きしめていた。
リアスの方もジャックフロストを抱えており、ピクシーはそんなジャックフロストに抱えられていた。
無数に襲い掛かってくる魔力の弾の狙いを最小限にする為、自らを守る手立ての少ないギャスパーたちを守る為にこの様な状態となっている。
いつまでもギャスパーたちを庇っている訳にもいかない。どこかで反撃の機会を窺う一行であったが、そのときある不運がリアスたちを襲う。
ドンっと建物全体が揺さぶられたかと思える程の衝撃。いきなり足元が揺れ動いたせいで、走っているリアスたちはバランスを崩してしまう。
「おおっ!」
ギャスパーとジャックランタンを抱えている一誠は辛うじて転倒を免れる。そして、リアスの方も倒れはしなかったものの前のめりになる身体を支える為に片脚を大きく踏み出し、前傾の姿勢となる。
この瞬間、リアスの意識が僅かな間、背後にいる魔術師たちから逸れてしまった。
風を斬る音を出しながらリアスの脚に魔力の弾が直撃する。
「あうっ!」
「部長!」
アキレス腱部分に命中したことで堪らずリアスは床へと倒れていく。その際、抱えているジャックフロストたちを庇って、咄嗟に身体を捻り体の側面から倒れた。
魔力の弾を受けた場所は赤く焼け、リアスの白い肌との対比のせいもあってより酷く見える。
すぐに立ち上がろうとするリアスであったが、そこに追撃に魔力弾が無数に放たれ、避けることの出来ないリアスに容赦なく降り注ごうとする。
「ギャスパー! 悪い!」
「イッセー先輩!」
一誠はそう言って抱えていた手を離すと、すぐにその場を蹴ってリアスの前に飛び出す。
そして自らをリアスを守るための盾とする。
魔力弾の一発や二発は左腕の『赤龍帝の籠手』で何とか弾くことが出来たが、それでも向かって来る魔力弾の数は圧倒的であった。
防ぐことの出来なかった残りの魔力弾が、一誠の胸元、脚、肩などに着弾し、制服が破け血が飛ぶ。
「イッセー!」
自分の身代わりとなっている一誠を見て、リアスは悲痛な叫びを上げた。
「だ、大丈夫です!」
痛みを押し殺した声。明らかにやせ我慢であることが分かる。その間にも魔力弾は放たれ続け、その内の一発が一誠の頬を掠め裂傷を刻む。
「あ……ああ……あああ……」
ギャスパーは震える声を出しながら、嬲られながらも必死になってリアスを守り続ける一誠を涙を溜めた眼で見ていた。
自分も何かをしなければならない。皆を守る為に何かを。だというのに体が竦んで動こうとしない。こんなにも一生懸命になっているヒトがいるというのに、足が床に吸い付いたかのように動かなかった。
(部長……! イッセー先輩……! 僕は……! 僕は……!)
自分の力を使えば何とか出来るかもしれないと思いながらも、ギャスパーの脳裏に少し前の出来事が過ぎる。
シンによって部室から連れ出され、守られているという立場だったにも関わらず、自分の神器を暴走させてシンの脚を引っ張る所か、危機的状況にまで追い詰めてしまった光景であった。
その大きな失敗がギャスパーの動きを止めてしまう。
「ギャスパ~」
抱きかかえているジャックランタンが、己の不甲斐なさに震えているギャスパーに声を掛けた。
涙で視界がぼやけさせながらギャスパーはジャックランタンを見下ろす。
「ランタンくん……僕は……僕はっ!」
「いいよ~。別に怖くたって。泣いたって。でも逃げたくはないんだよね~?」
ジャックランタンはいつもよりも少しだけ優しい口調で、ギャスパーに語りかける。
「自分のせいで見捨てられるのが怖いのはよく分かるよ~。でもいつまでも引き摺ってはいられない。言ったよね~? 動けなくなったら背を押してあげる。転びそうになったら支えてあげるって」
がらんどうな南瓜の顔。しかし、その双眸の暖かな灯りはギャスパーを照らしていた。
「大丈夫。大丈夫だから、ギャスパ~。僕も一緒だよ~」
ジャックランタンの言葉を聞いたギャスパーはその場で大きく息を吸い込んでから吐く。
心の中の恐れは完全に消えた訳では無い。でもこの一瞬だけはそのことを心の奥底へと押し込む。
自分は何をすべきか。浮かぶ答え。
決心はついた。
その場から駆け出すギャスパー。倒れていくリアスの側を通り、その前に立つイッセーの横を抜けていく。そしてその際、ギャスパーは一誠の頬に指先を伸ばし、頬から垂れ落ちている血を拭う。
「失礼します!」
「ギャスパー!?」
いきなり頬を触っていったギャスパー。驚く一誠であったが、すぐに顔色を変えた。自分の前に立つということは、魔術師たちの魔術の餌食になるということである。
「ギャス――」
「いきます!」
ギャスパーは指先に付いた一誠の血を舐めた。以前、アザゼルと遭遇した際、神器の操作を格段に上昇させる為の手段として、ドラゴンを宿した一誠の血を摂取することが一番の近道であることを教えられていた。
しかし、ギャスパーはその方法はとらなかった。血を舐めるという行為に嫌悪感や抵抗を覚えていると前に一誠に話したことがあった。自分の中で眠る吸血鬼としての本能。それに対しギャスパーは、自分の神器と同じぐらいの恐れを抱いていた。
(でも、今それが必要ならば僕は――!)
目を閉じ口に含んだ血を嚥下する。その途端、体の芯に熱が灯る。今まで感じたことが無い熱。ギャスパーはそれが、自分の中にある神器と吸血鬼の力が真の意味で目覚めた為による熱だと確信した。
覚醒していくギャスパーを他所に魔術師たちは容赦なく魔弾を放つ。正気を失っている彼女たちには、良くも悪くも躊躇うことがない。目の間で明らかにおかしなことが起きているとしても、彼女らにはそれを認識するほどの危機感が既に無かった。
一誠の代わりにギャスパーへと襲い掛かる無数の魔弾。
先程の一誠のときとは弾幕の数が増えている。まともに浴びれば命の保証など無い。
しかし、その弾幕を前にしてもギャスパーは逃げなかった。
閉ざされていたギャスパーの眼が開かれる。全ての魔弾を映す目は瞳の形を変え、極彩の光を放っていた。
途端、全ての魔弾が空中で停止する。魔弾のみを対象としたギャスパーの『停止世界の邪眼』。今まで対象を限定とした停止など出来なかったギャスパーが、このときそれを克服してみせた。
自分たちの魔術を停められた魔術師たちであったが、もしもこのとき正気であったならば次の攻撃に移るのを躊躇ったであろう。しかし、現在の彼女らにはそのような思考は無い。
停められたと分かるとすぐに次の魔術を放つ。だが、放たれた魔術はギャスパーが停止させた弾幕の壁によって全て遮られ、無駄射ちとなってしまった。
相手の魔術を防いだこの瞬間、突如ギャスパーはその場で蹲る。すると次の瞬間、ギャスパーの体は無数の蝙蝠へと分裂し、停められている弾幕の間を擦り抜けながら魔術師たちに向かって飛ぶ。
「そんなことも出来たのか!」
「あれがヴァンパイアとしての本来の力よ」
初めて吸血鬼らしい能力を見せられイッセーは驚く。そしてその驚きは更に重ねられていく。
赤い瞳の蝙蝠は何十の群となって魔術師たちに群がる。魔術師たちも魔術でそれに抵抗しようとし、その手に魔力の光を灯す。だが、その腕に張り付いた蝙蝠が噛み付くと溜められていた魔力は光を失っていき、最後には消えてしまう。
血では無く魔力を吸い出す力。魔術師たちにとっては天敵とも呼べる力である。
次々と魔力を吸い出されていく中、それでも何とか魔術を唱え続けている魔術師もおり、飛び交う蝙蝠たちに向け魔弾を放とうとする。
それを察した蝙蝠の一部は床に目掛けて落下。着地と同時にその身体は黒い影となり魔術師の足元へ伸びていく。
影の中から無数の手が伸び、魔術師たちの身体へと纏わる。脚に張り付いた影の手が魔術師たちの身体を引き摺り倒し、倒れた魔術師たちの腕や手などを押さえつけ、完全に拘束した。
そして飛ぶ蝙蝠たちの眼が赤い閃光を放つ。その光を浴びた魔術師たちはもがくのを止める。神器の効果で時間を停止させられたのだ。
『お~!』
ギャスパーが全ての魔術師たちを無力化したのを見て、感心した様にピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンが拍手を送る。
すると影と化していた蝙蝠や宙を飛ぶ蝙蝠が一か所へと集まり、一つとなると元のギャスパーへと戻った。拍手されているのが恥ずかしいのか赤面している。
「あ、あの……」
言い淀むギャスパーに一誠が近付くと、ギャスパーの頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
「凄いじゃねぇか、ギャスパー! 俺の血を飲んだからってあそこまで神器を使いこなすなんて!」
我が事の様に嬉しそうに笑う一誠を見て、ギャスパーもつられて笑う。
「は、はい! ありがとうございます! イ、イッセー先輩の方は大丈夫ですか?」
所々破けた制服を見て、ギャスパーが心配そうに尋ねてくる。
「ん? ああ、堕天使に腹に大穴開けられたり不死鳥に全身焼かれたりしたことに比べれば軽いもんだ」
「え、ええ!」
さらりと言った内容にギャスパーは驚く。
そんなギャスパーに今度はリアスが近寄ると無言でギャスパーを抱きしめた。
「ありがとう……ギャスパー。貴方のおかげで助かったわ」
「ぶ、部長……」
「嬉しいのよ。貴方が勇気を出して私たちを救ってくれたのが」
「そ、そんな大袈裟です! 殆どイ、イッセー先輩の血のおかげですし」
「それでも貴方が助けてくれたことには変わりないわ」
自分の下僕の成長を心の底から喜ぶリアスにギャスパーは顔を赤めつつ、嬉しさからか涙目になっていく。
が、その直後全ての余韻を吹き飛ばすかのように突如一誠たちが立つ廊下が揺れ始め、瞬く間に亀裂が奔る。
突然の事態に驚く一行であったが、その驚きは更に加速する。
亀裂が大きな裂け目へと変わったかと思えば、床を突き破りそこから現れる白い影。
「ヴァ、ヴァーリ?」
それがヴァーリであると分かり、一誠が名を呼ぶがヴァーリが答えるよりも先に、同じく床下から伸びてきた鼻らしきものがヴァーリへと巻き付き、そのまま窓ガラスの向こうへと放り投げる。
「なあ!」
ヴァーリが投げ捨てられたことにも驚いたが、床下から這い出てきた一つ目の巨象の姿を見てまたもや一誠たちは驚く。
二足歩行する象。そんな奇怪な生物を見て驚かない方が無理であった。
床下から出て来た巨象はすぐにヴァーリの後を追おうとするが、視界の端に一誠たちの姿を捉え、足を止める。そして主に一誠を凝視し始めた。
「な、なんだよ?」
いきなり見つめられることに一誠は構えながら警戒する。
パオオオオン。
嘶く巨象。その鳴き声を聞いた瞬間、一誠たちの頭に一つの声が響く。
『あとは任せる』
「へっ?」
声の内容を理解するよりも先に一誠の胴体に巨象の鼻が巻かれ、ヴァーリと同じように窓ガラスから投げ飛ばされた。
「イ、イッセーせんぱーい!」
「イッセー! 何の――」
巨象に文句を言おうとするがそれを聞くよりも先に巨象の体が崩れ、平たい影へと変わると近くの影に混ざり、あっという間に姿を消してしまうのであった。
「いててて」
窓ガラスから投げ飛ばされた一誠は背中から地面に着地、その痛みに悶える。そのとき一誠の耳に長い溜息が聞こえてきた。
「はああああ……結局こういった形に納まるのか……」
心底うんざりした声。声の方を見るとそこには鎧を解除したヴァーリが立っていた。
「運命、因縁、宿敵、言葉にすれば大層に聞こえるが実際に自分の身に起こるとこんなにも期待外れなものだなんてな……」
「急に何を言っているんだ?」
独白するヴァーリに一誠は困惑する。
『相棒、構えろ』
「ドライグ?」
『奴はお前を殺す気だ』
「なっ!」
『禍の団』のテロ行為を防ぐ為にヴァーリが戦っていたと思っている一誠には、ドライグの言葉は不意打ちであった。
「そんなものに縛られている限り、俺の愉しみが奪われていくのならば……ここで死んでくれるか? 赤龍帝」
ドライグの言葉を肯定するかの様にヴァーリは一誠に向け、殺意を叩き付けるのであった。
ギリメカラはもう少し後に出そうかなーっと思っていましたが今のペースだと何年後になるか分からないので強引に出しました。
人の形態と獣の形態になるのはメガテンシリーズのギリメカラのデザインが変わっているのを参考にしています。