ハイスクールD³   作:K/K

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情報、新植

 フリード、バルパーを追っている中、イリナと一旦二手に別れて行動していたゼノヴィアであったが、ある建物を前にして足が止まる。数階建ての廃ビル、そこから微かにではあるが、聖剣が持つ固有の気配が感じられた。

 イリナを呼び寄せてから内部を探索しようかと考えたが、その間にバルパーたちが姿をくらます可能性があったために、そのまま内部へと突入することを決め、ガラス戸が半壊している入口を開き、中へと侵入する。

 侵入者への罠を警戒していたゼノヴィアであったが、拍子抜けしてしまう程何も無く、そのまま一階でバルパーたちを探すも、痕跡は無い。そのまま二階へと上がり、そこでも一階と同じように探してみるも、手掛かりは無かった。

 

(情報によれば堕天使も複数従えていた筈だが……)

 

 ゼノヴィアも、侵入に対して敵が何もしてこないどころか、気配すらないことを疑問に思いつつ、三階を目指して階段を昇る。しかし、三階付近になって、ゼノヴィアの足が止まった。

 

(いるな)

 

 三階の階段側にある通路、分厚い壁一枚隔てているが、その向こう側に誰かがいる気配が感じられた。かなり器用に気配を消しているものの、戦いの中で磨かれたゼノヴィアの感覚は、相手を確かに捉えていた。

 階段を音を立てないようにして一段上がる。すると、壁向こうの気配もそれに合わせて僅かに移動する。

 

(向こうもこちらに気付いているな)

 

 ゼノヴィアは背負っていた『破壊の聖剣〈エクスカリバー・デストラクション〉』を抜き、封印の為に施していた布を解きながら、階段を一段一段上がっていく。

 相手の出方を窺って行動することはゼノヴィアの性格には合わず、攻めるならば常に相手の先手を行くような気質があった。

 エクスカリバーに巻き付いていた布が完全に解かれる。ゼノヴィアが立っている位置は三階まで残り三段の位置、そこからゼノヴィアは先手を仕掛ける。

 

「ふっ!」

 

 エクスカリバーを肩に担ぐような構えをし、息を吐き出しながら、階段横の壁にエクスカリバーを叩きつける。エクスカリバーの刃が壁に触れると、一瞬にして罅が全体に奔り、次の時には数え切れないほどのコンクリートの破片となって、周囲に撒き散らされる。咳き込んでしまうような土埃の中で、ゼノヴィアはエクスカリバーによって破壊した壁の穴に飛び込み、向こうにある通路へと移動する。舞う土煙の中、視界の悪くなった状況で周囲に瞬時に見渡すと、微かに見える人の姿。

 ゼノヴィアはそれに向かって踏み込むと同時に、振り上げたエクスカリバーを振り下ろす。相手もゼノヴィアの存在に反応し、漂う土煙を裂きながら繰り出したのは、異なる刃を持った二本の西洋剣。

 それが目に映ったとき、ゼノヴィアは振り下ろしたエクスカリバーを急停止させる。重量のある大剣を無理矢理力で止めたことで、両腕の筋肉が内側で悲鳴を上げて痛みを訴えて来るが、僅かに眉間に皺を寄せるだけで苦痛の声一つ洩らさない。

 対して迫ってくる二本の剣も、ゼノヴィアの喉と心臓に、切っ先が触れる直前で寸止めしている状態であった。

 

「やれやれ。危うく敵と勘違いしてしまうところだったよ。いるならいると先に言ってくれ」

「――有無も言わずにいきなり壁を破って現れたら、誰だって反撃の一つぐらいはすると思うよ?」

 

 土煙が収まり始め、輪郭だけの姿が鮮明になっていく。土煙の中から姿を現したのは木場であった。木場は手に持った二本の魔剣をゼノヴィアに突き付けているが、木場自身の額付近にエクスカリバーの刃を向けられている。

 正体が分かり、お互いに向けていた剣を引く。

 木場は制服に付着した汚れを払いながら話し始めた。

 

「どうやらこの建物にはもう誰も居ないみたいだよ」

「ならここは外れか」

「いや、そんなことはないさ。誰かがここに居たっていう痕跡はあったよ……でもそれ以外はいっそ清々しく思えるくらい残ってはいなかった。だから僕もここを後にしようとしていたんだけどね」

「コカビエル、バルパー、フリードの姿も無ければ、付き従っている堕天使たちの姿も無しか……どうやら間に合わなかったみたいだ」

 

 ゼノヴィアが唇を噛む。みすみす相手を逃してしまったことへの悔しさが、全身から滲みだしていた。

 

「……もう一人の彼女はどうしたんだい?」

 

 好ましい相手とは思っていないが、それでも傷つき、苦しむ姿を見て、悦に浸るような下卑た感覚を、木場は持ち合わせてはおらず、気を逸らすように別の話題を振る。

 

「……イリナとはこの建物に入る前に二手に別れた」

「なら早く見つけて合流した方が良い。もしかしたらまだ近くに敵がいるかもしれないからね」

 

 探すのを手伝うよ、と言って階段を降り始める木場であったが、数段ほど降りたとき、足を止めて背後を振り向く。そこには軽く目を見開き、驚きの表情をしているゼノヴィアが棒立ちしていた。

 

「どうかしたかい?」

「……いや、手助けしてもらうことは有り難いが、あまりにあっさりとした態度で少し、ね。キミたち悪魔とは一応同盟を結んでいるが、正直キミの過去からして、ただ『赤龍帝』に義理立てして協力していたと思っていたからね」

 

 木場とゼノヴィアたちを結んだ一誠たちの存在が居ないにも関わらず、協力的な態度をとることに疑問を思っての言葉であった。

 

「君の言いたいことはよく分かる。はっきりと言わせてもらうけど、今でも君たちのことを好ましく思ってはいない。……これがただの八つ当たりだっていうことは、自覚しているけどね。それでも、中々割り切れないんだ」

 

 困った様に眉を下げ自嘲する笑みを浮かべる。

 

「ならなおのこと、私たちに手を貸す理由が理解できないな。今から彼らの下に行っても、私は別に構わないぞ?」

「それもちょっと出来ないかな」

 

 木場の言葉にゼノヴィアは不審な目を向ける。親しいとは言えない相手のため、意図が全く理解で出来なかった為に。

 

「皆と協力するって言っておきながら、バルパーに過去を触れられただけで頭に血が昇って、勝手な真似をしてしまったからね。……我ながら、自分の未熟さが痛々しいよ」

 

 あのとき公園でバルパーが呟いた木場の過去の名。それを耳にした途端、憎しみも怒りも刹那の間だけ忘却し、頭が真っ白に成る程の動揺をしてしまった。そして次に起こったのは、過去の忌まわしいとも言える記憶の再生。日々、行われる実験という名の拷問。身も心も苦しみ悶えながらも耐え、いつか報われる日が来ることを夢見た時間。独りならばとっくに壊れてしまっていただろう毎日を、一緒に乗り切り、励まし合い、時には聖歌を口ずさんでお互いを慰め合った同志たち。そして、その同志たちが死に蝕まれ、果てていく姿。

 それら全てが再生し終えたとき、木場の中に溢れたのは、身を焼き尽くしてしまうのではないかという激情。それを抑え切れることが出来ず、一人で先走った行動を取ってしまった木場であったが、時間が経過するにつれて、徐々にではあるが冷静さを取り戻していき、この建物の探索を終えてバルパーたちを逃したと悟ったときには、自己嫌悪だけが残った。

 

「同志たちが犠牲になる理由になったエクスカリバーも一人じゃ破壊することは出来ず、仇であるバルパーを目の前にしても指一つ触れることさえ出来なかった。おまけに、危険を承知で協力してくれた仲間たちを放って勝手な行動をする。……過去の同志たちにも今の仲間たちにも、僕は会わせる顔が無い……」

 

 顔を掌で覆う木場。忌み嫌う相手の前で弱みを見せてしまう程に、その精神は参っていた。ゼノヴィアも、そんな木場の姿に掛ける声が見つからず、両者の間で沈黙が流れ続ける。

 

「そう自分を追い詰めるものじゃないですよ、木場さん。勝ち負けっていうのは、結局最後の最後で決まるものですから」

 

 木場の耳に、聞き覚えがある声が入ってくる。そして、カツカツという足音を立てながら、階段を誰かが昇ってくる。

 

「――と私は思っています」

 

 階段を昇ってきたのはアダムであった。にこやかに微笑む彼の背中には、目を閉じ、動かないイリナが背負われている。

 

「貴方は」

「イリナ!」

 

 ゼノヴィアが声を荒げ、イリナの名を呼ぶが反応は無い。

 

「アダム神父、どうしてここに? 何故貴方がその娘を――」

「アダム? 彼がそうだと言うのか? どういうことだ貴様!」

 

 木場の言葉を聞いて、明らかな敵意を剥き出しにして、ゼノヴィアがアダムを睨みつけながら問い質す。

 

「おや、どうしたんですかゼノヴィア? 私はただ彼女が倒れていたのを発見したので、この建物で介抱しようとしただけです。――ああ、先程彼が言っていたアダムというのは、この地で私が使っている偽名です。流石に本名を――」

「見え透いた芝居はそこまでにしたらどうだ。私もお前のことは知っているが、少なくとも彼は、私たちのことを名で呼ぶことは一度たりとも無かったぞ……貴様は何者だ」

 

 ゼノヴィアの指摘にアダムは微笑みを消し、口の端を吊り上げて人を食ったような笑みを浮かべる。

 

「やれやれ、すぐにばれちまうな。さっきも演技が下手だって言われちまったし、本当にショックだ。これが終わったら芝居の勉強でもするかねぇ」

 

 あっさりと態度を崩すアダムに、木場も目を丸くする。少なくとも、初対面のときの飄々とした様子とは打って変わって、まるで別人のような荒々しさがあった。

 

「彼は本当に教会が派遣した神父じゃないんだね?」

「姿形は本人そのものだが、口調も雰囲気も態度もまるで違う。……彼は、私たち聖剣使いのことを恐れていたからな。真っ直ぐ目を向けられたことすらなかったよ」

 

 それがこんな形で生かされるとはな、とやや自嘲めいた言葉を呟き、ゼノヴィアは背負っているエクスカリバーの柄に手を伸ばす。

 

「ああー、最初の人選びから失敗だったって訳か。へっへっへっ、何事も思った通りに進まないもんだなぁ」

「彼に変装しているのか、それとも憑りついているのか!」

「どっちだと思う、お嬢ちゃん? そのどっちかが正解だぜぇ?」

「下らない応答をするつもりはない。貴様が姿を模している彼は生きているのか死んでいるのかさっさと答えろ。そしてイリナもすぐに解放しろ!」

 

 見破られても動じる様子は無く、寧ろこの状況を愉しんでいる余裕すら窺える。そんな相手の様子に底知れないものを感じながらも、毅然とした態度でゼノヴィアは言う。

 

「そうカッカしなさんな。この顔の主は生きてるぜ。ちょいと身ぐるみ剥いで、何日かまともに喋られないようにしてあるが、命に別状はねぇよ。今頃、病院のベッドの上で良い夢見てる筈だ。このお嬢ちゃんも気絶はしているが命に別状は無い、傷の方の治療はこっちで済ませてあるぜ。このままグレモリーの御嬢さんのとこ――『赤龍帝』の家に運ぶつもりだったんで、その前にお前さんらに一言済ませてからにしようと思ったんでね」

「傷、だと?」

「コカビエルの奴と戦ってたみたいだぜ、このお嬢ちゃん」

 

 その言葉にゼノヴィアと木場の顔色が変わる。

 

「イリナ!」

「おいおい、そう怒鳴りなさんな。寝る子を無理矢理起こすのはあまり感心しねぇぞ」

「黙れ。貴様の言葉を簡単に私が信用すると思っているのか? 今すぐイリナを降ろせ。でなければ斬る」

「待つんだ。今の状況で脅しをかけたとしても逆効果だ」

 

 エクスカリバーの柄を握り締め、今にも抜き放ちそうになるゼノヴィアの肩を押さえ、木場が冷静になるように呼び掛ける。ゼノヴィアも状況を理解しているものの、エクスカリバーを構えることは無かったが、柄を握り締めた手から力が抜けることは無かった。

 

「僕からも貴方に質問をしていいかな?」

「何でも聞きな」

 

 冷静さがやや欠けている状態のゼノヴィアに代わり、木場の方がアダムに話し掛ける。アダムは喉の奥で笑いながら、現状を愉しんでいた。

 

「貴方の言葉を信じ、彼女がコカビエルと戦っていたとしよう。彼女のエクスカリバーは今は何処に?」

「それなら奪われたぜ。コカビエルが白髪の神父のガキに渡して、どっかに持っていっちまった」

「……そうかい」

 

 木場の顔に苦いものは走る。これで敵側に、過半数のエクスカリバーが揃ったということになる。イリナの持つエクスカリバーの能力を知っているだけに、更に厄介な相手になることは明白であった。

 

「エクスカリバーが相手の手中に収まるのをみすみす見逃したというのか、貴様は」

「そうだぜ。生憎、俺にとって聖剣は特に優先することじゃないんでね。まあ、御宅ら教会の人間にとっちゃ、面子に関わることだけどなぁ」

「そのへらへらとした笑い、今すぐに出来なくしてやろうか」

 

 イリナを人質にとっている為の余裕というよりも、本来の性格からくるものなのか、相手をからかう口調で喋り続ける。その言動にゼノヴィアは段々と苛立ちを増していき、話し方も恫喝するようなものへとなっていく。

 

「落ち着いてくれるかな。――そして、貴方もあまり彼女を刺激しないでくれると助かるかな」

「へへへっ、わりぃ。他人との会話が好きなもんでね。特にお前さんたちみたいな若い奴と話すとついつい楽しくなって長く話したくなっちまうぜ」

 

 ゼノヴィアを窘めつつアダムを注意する。自分以上に感情を昂らせている存在が側に居る為か、冷静な対応をする木場。あるいは先程の、バルパーとの件を反省しているが故の態度なのかもしれない。

 

「単刀直入に聞きたい。貴方の目的は何なんだい?」

「まあ、こっちの都合で色々と振り回したしな……特にお前は最初に巻き込んだし、話せるだけ話しておくかぁ」

 

 少しの間だけ笑みを潜め、思考するような表情となっていたが、すぐに木場の質問に応じる態度を示す。

 

「俺が聖剣強奪の件に関わっているのは、ある人物から頼まれたからだ。――先に言っておくがそれが誰なのかは言えねぇ。今は、な」

「……続けてくれるかな」

「そいつから頼まれたことは二つ。一つは、コカビエル討伐の件に、この街を縄張りにしているグレモリー家・シトリー家の跡取りであるリアス・グレモリー、ソーナ・シトリーのどちらか、あるいは両方を関わらせること」

「何だって?」

「と言ってもがっつり関わらせろって訳じゃねぇがな、調べれば名前が少し出て来る触り程度ぐらいが丁度良い」

 

 木場の目が鋭さを増す。

 

「……僕に聖剣が来ることを話したのは、間接的に部長を巻き込む為のものだったのかい?」

「否定はしない。誤解の無いように言っておくが、上からの指示じゃなく、あくまで俺の独断だがな」

 

 告げられたのは、リアスを釣る為の餌にされていたという事実。復讐という感情を利用された木場。だが周りの予想に反し、アダムを睨みつけるだけで、それ以上のことはしなかった。

 

「そうかい」

「俺が言うのも何だが、もっと怒っても罰は当たらねぇと思うが? こっちも半殺しにされても釣りがくることはしてる自覚はあるんだぜ?」

「……言いたいことは山ほどあるさ。でもそれは後回しだ。先に話が聞きたい」

 

 話の先を促す木場に、アダムは少々バツの悪そうな顔をする。内心では、利用していた相手が怒りから手を出してきた方が、利用していた側としてけじめをつけられスッキリすると考えていたが、冷静な対応をされたことで、気まずい消化不良な結果が残ってしまっていた。

 

「ああぁ、話の続きなんだが、頼まれたことの二つ目は、その上で今回のコカビエル討伐をグレモリー、シトリーが解決したということにする、ということだ」

「『神を見張る者』の幹部の退治を一悪魔にさせようと言うのか? 無茶なことを……いや、グレモリーとシトリーならば魔王の手助けがあると踏んだのか」

「そいつは違うぜ。魔王が出てきたら、それこそコカビエルの思い描いた脚本通りの展開になっちまう。あくまでリアス・グレモリー、ソーナ・シトリーのみの戦力で、コカビエルを倒したということにするのが重要なんだぜ。――それが一番丸く納まる結果になる」

 

 最後に付け加えた一言に、木場とゼノヴィアは訝しげな表情をする。確かな血筋は持っているものの、若手の悪魔がコカビエルを破ることで、一体誰にどういった得が生まれるのか。

 

「コカビエルによる今回の聖剣強奪は、お前さんらが想像しているよりも遥かに厄介な波紋を、あちこちに広げている。上の連中が予想していたよりも、下の奴らが考え無しの鬱憤を溜め込んでいたせいだな。これに便乗して行動に移ろうとしている、奴らの陰がチラついてしょうがねぇ……だが、コカビエルにとっちゃ都合のいい展開なんだろうがな」

「都合がいい?」

「コカビエルぐらいの相手を抑制するには、それと同等以上の力が必要だ。……コカビエルは、敢えてそれが現れることを望んでいるんだよ。そして目を付けたのが魔王であり、その実妹たちが縄張りを張っているこの街だ。コカビエルはなぁ、魔王を巻き込んで盛大な殺し合いがしたいんだよ」

「――馬鹿げている」

「その馬鹿げていることを本気でしたいんだよ。魔王を無理矢理呼び出し、それで『奴ら』も起こし、大戦争の狼煙を上げる――きっと止まらねぇだろうなぁ、『戦争〈それ〉』を待ち望んでいる連中はあちこちに潜んでやがる」

 

 鬱陶しそうに顔を顰めるアダム。だが木場はアダムの言葉を聞き、表情を凍り付かせる。聞かされた情報から、ある推測が頭に浮かんだからだ。

 

「……出来れば僕がこれから言うことを否定して欲しい」

「言ってみな」

「今回の聖剣強奪……堕天使以外にも、悪魔、天使の勢力の一部が手助けをしている」

「馬鹿な! 悪魔と堕天使が力を貸していたのならまだ分かる! だが敵対している筈の天使までもが手を貸すなど――!」

 

 木場の推測をゼノヴィアは強く否定した。天使側までコカビエルに助力していたとなると、その下に就いている教会までも組んでいるということになる。もし仮に木場の推測が正しければ、今回の聖剣が奪われた件は――

 

「察しの良い奴は好きだぜ」

 

 だがそんなゼノヴィアの言葉を打ち砕く、アダムの肯定。それを聞き、ゼノヴィアは立ち尽くしてしまう。

 

「信じられん! 私は! もしそれが真実ならば私たちは……」

「悲観するのは早計だぜ、お嬢ちゃん。聖剣を取り返すことを望まない奴がいるのは事実だが、同時に取り返すことを望んでいる奴もいるのも事実。色々とめんどくさいことになってんだよ、外野は」

 

 動揺するゼノヴィアを宥めながら、肩を竦めるアダム。それでも、ゼノヴィアの顔色は良くはならない。

 

「なら、貴方は三陣営の誰か、それもかなり上位の存在から、今回のことについて依頼されたということでいいですか?」

「まあ、そういうことだな」

 

 表面上は冷静を保っていた木場であったが、内心ではかなり焦っていた。単なる争奪戦と思っていた今回の事件が、大規模な争いに繋がるかもしれないという事実は、かなりの衝撃である。

 

「コカビエルの奴も相当派手な前哨戦にしたいのか、あれこれ細工していてこっちも手一杯だぜ、本当によぉ。本来ならもっと別の形でグレモリーやシトリーのお嬢ちゃんに接触したかったんだがなぁ……こんな変装までしたのによぉ」

 

 自分の頬を軽く引っ張るアダム。まるで造り物でも触っているようであった。

 軽口を言うアダムを余所に、ゼノヴィアは冷静さを保つことが出来ないのか、唇を震わしながら動揺している。聖剣を握る手も解かれ、体の震えを押さえる様に、その手を強く握っていた。

 

「……今回の事件に教会も関わっているとしたら、一体何処まで関わっているんだ」

「聖剣の強奪に関しては最初から知っていて敢えて見逃したのか、本当にただ奪われたのかは知らねえ。分かっている範疇で言うなら、派遣した聖剣使いとエクソシストの情報を、コカビエル側に横流ししたことだ」

 

 ゼノヴィアは固く唇を結ぶ。この街に潜入した時点で顔が相手にばれているのならば、この街で命を落としたエクソシストたちは犬死したということとなる。

 

「……そこまでして、一体何を望むというんだ」

「きっかけが欲しいんだよ。現状が把握できず、空気の読めない馬鹿な連中は。今度こそ共倒れになるかもしれない、戦争のきっかけがな」

 

 口を歪めて笑うアダムの表情。そこにどんな感情が込められているのか、二人には分からなかった。

 

「その為には、是非ともコカビエルに大暴れして欲しいんだよ。堕天使たちはコカビエルに続けとばかりに戦火を広げ、悪魔は戦争を起こす大義名分を手に入れそれらを迎え撃ち、天使は神の裁きと言って横槍を入れる。……まあ。格好つけて言っているが、結局は『俺たちが一番なんだよ』っていうのを証明したいんだぜ、きっと」

 

 アダムの話に、二人は暫しの間呆然と立つ。話の内容が飛躍していき、気付けば大事の中心に立たされていることになっていた為に。

 

「……イリナが眠っていて助かったよ。私よりも信仰心が強い彼女には毒が強すぎる。それなりに割り切っていると思っていた私でもかなりくる」

 

 力無く呟くゼノヴィア。信じたくないと言っていた彼女ではあるが、心の何処かでアダムの話す内容を否定し切れない自分がいるせいか、精神にかなりのダメージを受けていた。

 

「――取り敢えずここまでが話せる内容って所だな。後のことはお前さんら次第ってことで」

 

 アダムはそう言うと二人に背を向け、上がってきた階段を降りようとする。

 

「待ってくれるかな」

「ああ?」

 

 木場の呼び掛けに応じ、アダムは足を止める。

 

「貴方が僕たちを利用しようとしているのは分かった。……でも僕は、例え戦争の引き金となる戦いだったとしても、僕は僕と死んでいった同志の為に、聖剣への復讐を優先すると思う」

「別に構わないぜ。……ていうか話してて思ったんだが、お前って本当に真面目だなぁ」

 

 世界よりも自分のことを優先すると宣言する木場に、アダムはあっさりと肯定する。むしろそのことを態々言ってくる生真面目さに、心配そうな眼差しまで向ける始末であった。

 

「全部が全部こっちの都合で動くなんて思っちゃいねぇぜ。このことも別にリアスのお嬢ちゃんたちに話しても構わねぇ」

「その結果、貴方が望まない展開になったとしても?」

「俺は神様じゃねぇんだ。結果が分かってから動くかぁ? 俺はしねぇ。このことを話して今までのことが全部無駄になっちまったとしても、それを選んだのは俺だ。――やることは粗方やったし、後は流れに任せるだけだ。簡単に言えば賭けだな、賭け」

 

 無責任とも取れるアダムの言葉であったが、木場はそのことに対し異を唱えることはしなかった。木場は思う、あのとき彼から聖剣の話を聞かされていなかったら、今の自分はこのような立場になっていたかどうか。

 答えは否であった。

 聞かされていようといまいと、遅かれ早かれ自分は聖剣のことを知り、それを追い続け挑んでいただろうと思う。今、自分がここに居るのは、目の前の人物によって良い様に操られていたのではなく、自分の意志で選択して立っている。

 アダムの行為を咎め、全ての責任を擦り付けるような真似をして、自分の意志と、そんな自分に手を伸ばしてくれた仲間の意志を汚すようなことは、木場には出来なかった。

 

「――話してくれてありがとう」

「立場的にはこっちが礼を言う側だと思うんだけどなぁ。といっても、言ったら言ったで嫌味にしか聞こえねぇな――ああ、それと」

 

 眉間に皺を寄せて少々困った表情を造っていたが、急に真剣な表情となる。

 

「コカビエルの連中、今夜中に大きく動くらしいぜ」

「それは確かな情報なのかい?」

「本人が言ってたからな。このお嬢ちゃんを拾ってきたときに」

 

 あっさりと衝撃的なことを口にする。つまりアダムは先程までコカビエルと会って、尚且つ生きて戻って来たということである。二人ともてっきり、アダムが隙を突いてイリナを助けたとばかり思っていた。

 

「……よく生きて戻ってこれたな」

「こっちに全く戦う気が無かったから、興味なくして言うだけ言って帰っちまったよ」

「そんな簡単に。……それにしても今夜か」

「場所は言っていたのかい?」

「そこまでは流石に言わなかったな。だが相手は派手に動くつもりなんだ。動けば一発で分かると思うぜ?」

 

 詳細とは言えない情報であったが、少なくともいつ動くか把握していれば、それなりの対応をすることは出来る。

 

「……分かった。こっちで調べられるだけ調べてみるよ」

「それじゃあ一旦おさらばだ。次に会うときは、コカビエルを倒したときにでも会おうぜ」

 

 アダムはニヤリと笑う。すると、突然その身体が背負っているイリナごと炎に包まれた。思わぬ事態に木場とゼノヴィアは唖然とし、顔面にいきなり叩きつけられた熱波に、反射的に顔を背けてしまう。

 そして再びアダムたちの方へと目を向けたとき、そこには誰も立っておらず、先程までの炎も幻であったかのように消え、周囲には焦げ跡一つ無かった。

 

「消えた……」

 

 唐突な展開に、二人は思わず立ち尽くしてしまう。が、いつまでも無駄に時間を浪費しているわけにもいかず、何とも言えない気分を押し込んでから、これからのことについて話し始めた。

 

「――これからどうする?」

「とりあえずキミはイッセーくんの家に向かってくれるかな。場所は知っているよね?」

「イリナが本当に届けられているのかを調べるためか」

「それもあるね。キミだって彼の言葉を完全に信じたわけじゃないだろ? 念のために確認しに行った方が良い。バルパーたちは僕が追う――それに今のままじゃ、彼女のことが心配でキミに足を引っ張られるかもしれないからね」

 

 突き放す言葉を混ぜる木場に、ゼノヴィアは苦笑する。強く否定したかったが、木場の言葉はあながち的外れでは無かった。

 

「ふっ、ならその言葉に甘えさせて貰おうか『先輩』。ついでに、さっきのアダムという偽神父の言葉を伝えておけばいいのかな?」

「お願いするよ。……今の僕じゃ、部長たちと面と向かって話せる自信がないからね」

「了解した。イリナの安否の確認と先程の情報を伝え次第、私もコカビエルを探す」

 

 ゼノヴィアはそう言って、階段を素早く降りて行く。ゼノヴィアの姿が完全に見えなくなったとき、木場は壁に背を預け、嘆息した。

 

「――こんなことになるなんてね」

 

 露骨な態度は見せなかったものの、アダムの話を聞いて、木場自身もそれなりのショックを受けていた。一度は捨てた教会の教え、その教会内の一部の存在が今回の悪事に関わっていることに、多少なりとも心を揺さぶられ、未だ完全に信仰を捨てきれない自分の青さを自覚させられ、更に心を揺さぶられる。

 一誠の家に向かったゼノヴィアも、今の自分以上の動揺を抱えているのではないかと木場は思い、ゼノヴィアが走り去って行った方向に、自然と目を向けた。

 しばらくそうしていた木場であったがやがて背を壁から離し、一段一段階段を降りて行く。その間木場は、アダムからの情報を頭の中でまとめていた。

(堕天使の幹部でも、コカビエルの行動は他の幹部の意に反するものだったのかな?協力する下級堕天使は何人かいたみたいだけど……天使側も教会の人間を指示して動かしていたのか……コカビエルと同じ単独?それとも複数?……そして悪魔側にも協力する存在が居ると言っていたけれど……)

 

 悪魔側で天敵である堕天使に協力する可能性がある存在。その存在について、すぐに思い当たる節があった。

 

(まさか『旧魔王派』が関わっているのか?)

 

 

 

 

 場所は変わり、とあるマンションでの一室。そこの寝室では、怪我の養生をしていた筈のシンが独り悶え苦しんでいた。

 用意されてあった食事を全て平らげ、いざこの部屋から出ようとしたとき、突如体に異変が起こった。生涯で味わったことの無い激しい頭痛、そしてその痛みからくる猛烈な吐き気、顔色は一瞬にして死人の様な土気色へと変わる。

 右目から見える視界が溶けたように歪んで見え、まともに立つことも困難な状況で、シンは胃から込み上げてくるものを押さえ込みながら、何とか立ち上がろうとする。震える手を伸ばして、近くにある机に爪を立てるようにして、体を持ち上げる。それだけの動作に体中から汗が吹き出し、額に浮き出た汗が床に落ち、黒い染みを造る。

 歯を食い縛り、辛うじて立ち上がったシンはふらつく足で、そのまま倒れ込む様にして、扉近くの壁に勢いよくもたれ掛かる。その際、かなり強くぶつかってしまったために壁の一部が陥没してしまったが、今の状態ではそれに気を配ることも出来ない。

 頭痛に表情を歪めながらドアノブを回し、扉を開く。ただそれだけのことなのに、今のシンには、扉が異様に重く感じられた。

 壁にもたれながら、這うようにして歩く。何処にどんな部屋があるか全く分からない為、手当たり次第扉を開き、中を確認しながら奥へと進む。やがて目当てである洗面所を見つけたとき、倒れ込むような形で洗面台にもたれ掛かると、今まで我慢していたものが一気に決壊した。

 洗面台の蛇口を捻りながら、胃から込み上げて来るものを吐き出す。不思議なことに、嘔吐した吐瀉物には先程食していたものが混じってはおらず、ただ胃液のみが吐き出され、次々と出されていく水に流され、排水口へと消えていく。本来ならば疑問に思うべきことであるが、吐き続けるシンにはそれについて深く考える余裕は無く、吐き気が収まるまでひたすら吐き続けていた。

 それから十数分が経過する。最早胃液すら出せない状態となって、ようやくシンの吐き気は薄れた。しかし未だに頭痛は弱まらず、それどころか、抉られた左目の奥が熱を帯び始めた。

 思わず巻きつけてある包帯を解く。左目が有った場所の違和感はどんどんと増していき、蠢いているような感触へと変化していく。衝動的に左目の中を搔き毟りたくなるのを堪えながら、少しでも気を紛らわせる為に、出続ける水を両手で掬い、叩きつける様にして顔を洗う。滲み出ていた汗を全て洗い流したシンは、そこで顔を上げる。

 

「……なっ」

 

 そして言葉を失った。

 洗面台に設置された鏡。そこには映るべくして映るシンの姿は無く、替わりに人の輪郭をした影が映っていた。

 あまりに激しい頭痛から憔悴し、幻覚でも見ているのかと最初に思ったが、その影には何故か既視感があった。

 シンが立ち尽くして見ている中、鏡に映る影は一人でに動き始めた。垂らしていた右手を持ち上げる。その右手は影とは違い、肘の辺りまで人の形をしており、シンと同じ紋様が妖しく輝いていた。

 右手が顔の前まで移動したとき、影の左目にあたる部分に線が走り、その線が上下に開くと、そこから眼が現れた。

 黒い影の中で一か所だけ、白色の光を爛々と放つ眼。シンはその場から動くことが出来ず、ただ黙ってその眼を見返していた。

 右手の指先が、影の左目に伸びていく。そのまま指先は眼の周囲に沈み込み、右手が引かれると、音も無く左目が影から抜き出される。

 左目を失った影は、眼を掴んだ右手を見ているシンの方へと伸ばし始めた。影の右手が鏡に触れる。すると、そこから外へと飛び出し、見ているシンの目の前にまで伸びてくる。

 シンは黙ってそれを見ている。何故か恐れは無かった。自分でも気づくことが出来ない程、それを当たり前のように受け入れていた。

 左目を失った場所に、影から抜き出された眼が触れる。

 

そして――

 




次回ぐらいに決戦へと入っていく予定です。

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