球技大会当日。快晴の空の下でその晴れやかな天気に反し、暗くどんよりとした空気を纏う男子生徒が二名。
「なあ……世の中ってやつはとことん不公平だとは思わないか?」
「ああ、よく分かる。今なら断言できる、この世に神など居ないということが……!」
目の前に広がる光景を見て、元浜と松田は今にも血涙を流しそうな、悪鬼と見間違うばかりの嫉妬の凶相を浮かべている。
嫉妬の視線の先、そこにあったのは彼らの悪友である体操着姿の一誠が、地面へと座って両足を開き、前屈するという軽いストレッチを行っているものであったが、その手伝いとして同じく体操着を着たアーシアが一誠の両手を手前に引き、同様の格好の朱乃が胸を押し当てる様な形で背中を押していた。
朱乃が一誠の背中を押すたびに、その胸は背中に張り付きその弾力を背中越しに一誠へと伝える。その度に一誠の表情は締まらないものと化していき、今この状態が天国であることを言葉にせずとも態度で周囲に知らしめていた。
「なにかな? あれはなにかなぁ? 俺の目が狂っていなければ金髪美少女のアーシアちゃんと学園二大お姉さまの一人である姫島先輩に挟まれて素晴らしい天国を味わっている畜生がいるようだが」
「奇遇だな。俺の目にも同じ光景が見えるよ。あー、どうしよう、何だか妬みの感情が凄すぎて周りの景色が歪んで見える。あーやばい、あーやばい。元浜、どこかに固くて人を殴るのに適したものはないか?」
「いいタイミングだ、松田。ちょうど俺たちの近くにいる間薙が金属バットを持っているからそれを使え」
「という訳で間薙、それを貸してくれ」
「何がという訳でだ。これを使ってどうするつもりだ?」
元浜たちの近くで、本日行われる球技大会の手伝いをしていた間薙が、呆れた目で嫉妬の炎を燃やす二人を見る。
「決まってんだろ! あの野獣の頭をかち割るんだよぉ!」
「死ねやぁ! 淫獣!」
一気に怒りのボルテージを上げて怒声を放つ二人であったが、対照的にシンは冷め切った様子であり、心中では面倒だと思いつつも怒れる二人を鎮めようと、少しだけ気を遣った声色で話し掛けた。
「せっかくの学校行事で流血沙汰なんて止めておけ。――それに、日頃からあいつの悪い噂を流しているのにまだ足りないのか?」
一誠への女子たちの集まりの良さに二人は、どす黒い嫉妬心を行動力へと変換し、あることないことを交え、尾ひれ背びれをふんだんに盛り込んだ悪い噂を学園中へとばら撒いているのを最近本人たちから聞かされていた。
とにかく内容は酷いものであり、リアス、朱乃の秘密を握りそれを脅迫のネタにしてその身体を貪っているという話から始まり、学園のマスコットアイドル的存在である小猫を腕力にものをいわせて蹂躙しか細い悲鳴を上げさせていると続き、日本の文化を全く知らない無垢なアーシアに間違った知識を植え付け猥褻な行為を強要させているなど跡を絶たない。終いには同性である木場とも関係を結んでいるという話も流しており、流石にそれを聞かされたときはシンも軽く顔を顰めた。
今の所、噂自体はそこら中へと広がっているようではあるが、それを本気にして直接的な行動にでる生徒たちが出る様子も無く、あくまで噂は噂の範疇で止まっていた。仮にもし噂のせいで悪質な行動や害を及ぼす行動に他生徒が出た際には、流石に噂の火の元である松田と元浜が鎮火するであろうとシンは考えていた。
口が悪く妬みもするが、一誠本人が胸を張って悪友であると答える二人である。彼らにとって不本意な行動が起きえることは望まないと思っていた。
「なんかいつ見ても変わらない光景だね」
シンの背後から女性の声が聞こえてくる。首だけ後ろへと向けると、そこには二つの下げた髪を三つ編みに束ねた髪型をしている眼鏡をかけた体操着の女子生徒が、どことなく一誠、松田、元浜を彷彿とさせる笑みを浮かべて立っていた。
「桐生か」
「どうも間薙くん。こうやってちゃんと話すのは二回目ぐらいだっけ?」
「まあ、松田も元浜も嫉妬するのは無理ないか。なんせあんな美少女で良い子がイッセーさん、イッセーさんって慕っているぐらいだし。それにここ最近のあいつって何か異様にモテてるよね? まさかあのグレモリー先輩も陥落させるとは思わなかったわ」
そういった方面に知識を傾けているせいか他人の色恋沙汰には敏感で有るらしい。その話をする桐生の顔は生き生きとしたものを感じさせるが、一般的に恋を語る女子学生の様な頬を赤く染めて恥ずかしげに語る姿は無く、底なしのいやらしさを含んだ性的な欲望を前面に出した、何とも言えない笑みを浮かべている。
「それでさ、間薙くんから見てどうなの? 兵藤はアーシアと付き合っているの? それともグレモリー先輩?」
「どっちとも付き合ってはいないし、手すら出していないみたいだな」
「へぇー、意外。兵藤ってもっとがっつくタイプだと思ってたけど結構ピュアなの? あたしはてっきりアーシアやグレモリー先輩と合体だの複合合体なんかを堪能してると想像してたのに」
さり気無く会話の中で下の話を混ぜてくる桐生に内心辟易するが、それに対しての口を挟む真似はしない。言った所でそれを皮切りにして、聞きたくも無い話が芋蔓式で出て来るのが容易く想像できたからだ。
「せっかく私が直々に『裸の付き合い』を教えてあげたのにいまいち成果がなかったのかな? っていうかさアーシアが兵藤のことどう思っているか兵藤本人は知ってるでしょ?」
「俺の推測では『自分に優しくしてくれる数少ない女子』というぐらいの認識だな。常日頃から飢えているのを主張している癖に、いざそういった立場になったらあいつは相当鈍いぞ」
シンの感想を聞き、桐生は驚きと呆れを含んだ表情で一誠の方へと向いた後、そのままシンの顔を見返す。
「え? マジなわけソレ? あんだけ露骨なのに本人の中じゃ『いい娘』ぐらいなわけ? あー、それは鈍いわ」
そこで桐生は顎に手を当て何かを考え始める。
「うーん。間薙くんの見立てだと、どうすれば『いい娘』から『恋人』までランクアップすると思う?」
「人の恋愛事情には深入りするつもりは無い。当人の自由にさせたらどうだ」
あっさりとした態度で回答を拒むシンであったが、桐生はそれでも引き下がらずシンの前で両手を合わせ拝むようにして食い下がる。
「少しだけでもいいから知恵を貸してくれない? いっつも二人でいて仲睦まじいのを見てたらさ、やっぱハッピーエンドで終わって欲しいと思うじゃん? 兵藤とアーシアの共通の友達として手を貸してくれない?」
いつものいやらしい笑みが消え、どこか真摯さを感じさせる微笑を浮かべる桐生の態度を見て、少なくともアーシアのことを思う気持ちに嘘は無いとシンは感じた。しかし、先程シンが言ったように、彼自身人の恋愛に関してあれこれ口出しすることを快くは思っていない。その為、今から口に出すことはあくまで推測を重ねたものであり、効果的な成果が得られるとは限らないと自分に言い訳をしてから口にする。
「……あくまで俺の個人的な考えだが、あいつは小細工の裏にある真意には鈍いから、小さなことを重ねるよりも直接思いを口にしなければ通じないタイプの筈だ。思いを気付かせるには、相手の方から好きとか付き合って欲しいと態々言わなきゃならないと思う」
言った後で、自分が女子相手に異性の落とし方を説明しているという構図を客観的に見てしまい、内心で後悔する。どう考えてもそういった方面を語るような人格ではないという自覚があった為に。
桐生の方は思ったよりも丁寧な意見を言ってくれたことに感心し、楽しげな容貌で目を細める。
「殆ど話したことなかったけどさ、間薙くんって意外と世話焼き?」
「さあね。自覚は無いな」
そっけなく返すシンではあったが、桐生は特に気分を害した様子も無く、楽しげな表情のまま口角を上げ、粘着質な印象を受ける笑みを口元に浮かべる。
「ふむふむ。間薙くんの意見を参考にするならばアーシアには告白させるしかないのか……あー、でもあの子シャイだから告白なんて無理か……いやいや待てよ。あの子のピュアな部分をそのまま性的なものへと昇華できたならば――例えば、前に私がアドバイスした『裸の付き合い』ではなくいっそ『裸の突き――』」
「手伝いと準備があるからもう行っていいか?」
桐生の口から零れそうになる卑猥な言葉を途中で遮り、心底興味の無い表情でシンはその場を離れようとする。しかし、そこで桐生はシンの体操着の袖を掴み行くのを阻む。
「まだ何かあるのか?」
「ちょっとね。正確には私が間薙くんに伝えたいことがあるんだけど。聞いておいて損は無いよ?」
耳を貸してという桐生に訝しげな表情を浮かべるものの素直に従い、桐生の口に耳を寄せる。そこで小さく呟かれる声を聞き、最初は訝しげだったシンの表情は眉を眉間に寄せた嫌悪感を露わにした表情となり、聞き終わった後には能面のような表情となっていた。
「で、どう? 噂の感想は」
「……」
悪戯めいた表情の桐生の質問に答えず、シンは無言で手に持っていた金属バットのヘッド部分を地面へと落とす。乾いたグラウンドの上で小さく跳ね、僅かな砂埃を起こす。
桐生から聞かされた噂、それは木場と一誠との良からぬ噂を改変し木場の部分をシンへと置き換えたものであった。しかも丁寧なことに桐生がその噂の内容については頭の中で嫌でも想像出来る程懇切丁寧に語ってくれた。そのおかげでシンは先程から臓腑が沈んだかと思える様な気持ちの悪さを味わっている。
どこからそんな噂が流れたのか、その答えはとうに知っている。
「まあ、人の噂も七十五日なんて言うしすぐに消えるって」
「――その前に噂の火の元を消すか……」
ぼそりと呟きながら、やや物騒な瞳で手に持つ金属バットを見つめる。
視線がバットから元浜たちへと移ったとき、タイミング良くオカルト研究部を招集するアナウンスが聞こえてくる。
アナウンスが聞こえてきた方向と元浜たちに視線を二往復していたが、やがて短く溜息を吐き、金属バットを引き摺りながらアナウンスが指示した場所へとやや重い足取りで向かって行く。
そんなシンの背中を見て、桐生はぽつりと言葉を呟いた。
「間薙くんって思ったよりも良い人かな?」
◇
「死ねぇ! 死んでしまえ!」
「殺せぇ! 奴を亡き者にしろ!」
「お願いだから逝ってくれよぉ! 頼むから逝ってくれよぉ!」
「地獄に堕ちやぁぁぁぁ!」
部活対抗戦の種目であるドッチボールの中で、およそスポーツの大会に相応しくない怨嗟に満ち満ちた罵声を繰り出しながら、一誠目掛け次々とボールが投げられていく。
「ふざけんな! やめろ!」
恨みつらみが込められたボールをことごとく躱していく一誠であったが、息吐く暇も無く四方八方からボールが襲い掛かる。
コート内には一誠以外にもオカルト研究部のメンバーが居るにも関わらず、それには目もくれずにひたすら集中して一誠を狙う対戦相手。シンに至っては始まったときから数歩だけ移動しただけであり、その場でただ立っていてもボールなどは来ず開始から数分が過ぎようとしていた。
目の前のスポーツマンシップの宣誓が空しく思えてくる行為を見ながら、シンは視界の端で木場の様子を見る。木場の態度は相変わらず腑抜けたものであり、心ここに非ずと称してもいい程、目の前のことに意識を向けていなかった。
球技大会が始まる前日までそのことをリアスから度々指摘されていたが、大会当日になっても改善する兆しは無く、試合の最中も焦点の定まらない瞳で虚空を見ているだけであった。
「うおっ!」
そのとき一誠が回避したボールが同じ射線上へと立っていた木場に向かって迫る。
「木場ッ!」
ボールの行く先を見て咄嗟に一誠が避けるように木場の名を呼ぶが、木場の反応はあまりにも鈍く、俯いていた視線を一誠の方へと向けただけであり、一誠の大声の甲斐も無く木場の肩に当たり、高く上にボールが上がるとオカルト研究部内のコートの中へと落下し一、二回ほどバウンドする。
「……あ、うん。アウトみたいだね」
ボールが接触してからワンテンポ遅れて木場は自分の現状に気付いた様子であり、そのままコートの外へと出ていく。その様子を部員たちは訝しげに見ていたがリアスだけは厳しい視線を送り、木場の態度に僅かな怒りを抱いている様子であった。
落ちたボールを拾った小猫はコートの外にいる木場に無表情ながらも目に心配の色を浮かべていたが、気を取り直し小さな体から放たれる剛速球で木場をアウトにした相手を狙う。その速度と威力は相手が気付いたときには胸部を強打され、その勢いで身体が縦に半回転し地面へと仰向けの状態で倒れ伏す程であった。
周囲の人間がその破壊力に観客たちはどよめき、対戦相手は慄く。その一球を切っ掛けとして次々と小猫が相手をアウトへと追い込み、試合の流れをリアスたちの方へと引き寄せ始めた。
小猫のボールが更に相手へと当たり、残りの人数は一人となるがボールは相手の手に渡ってしまう。
「チクショー! せめてお前だけでも!」
残りの一人が半ば自棄になってボールを持つ手を振り上げる。その狙いは当然とも言うべきかやはり一誠であった。
「おし! 最後くらい決めてやる!」
回避を選択するのを止め、腰を落とし両腕を左右に軽く開き受け止める体勢を取る一誠に相手が渾身の力を込めた一球を投げ放つ。
その球の軌道を正確に把握し、いざ捕球しようとしたとき一誠の視線が突如ボールから離れ別の場所へと向けられた。それと同じくしてシンもまた一誠と同じ行動をとる。視線を外した理由、それは何者かの視線を感じた故の反射的な行動であった。
「ッ!」
その直後、目を離したシンの耳にボールが当たる音と蚊の鳴く様な苦鳴が聞こえてくる。視線を一誠の方へと向けるとそこで一誠が地面に両膝と額をつけて倒れ込み、その両手は股間を押さえている。そして近くには転がっていくボール。
その光景を見て事情を察したシンは一誠へと近付く。首を絞められた雄鶏のような悶え苦しむか細い悲鳴が一誠の口からは発せられていた。
「……大丈夫か?」
「た、玉に……球が……」
「――そんな冗談を言えるなら大丈夫だな」
「いや……冗談じゃなくて……」
一誠の事態を重く見たリアスが小猫とアーシアに指示を出す。小猫はいまだ苦しむ一誠の襟首を掴み物のようにして引き摺り、アーシアは一誠を気遣いながら何度も心配そうに声を掛けていた。
そのまま体育館裏の方へと消えて行く三人を見送ると、リアスが気合の入った声を繰り出す。
「さあ、数は減ってしまったけど気持ちを込めていくわよ、二人とも! 一誠の敵討ちよ!」
「あらあら、部長のやる気に更に火が注がれましたね」
「了解しました」
理由が理由なだけにいまいちやる気が高まらないシンは、気持ちはドッチボールへと向けるものの頭の隅では先程の謎の視線のことを考えていた。視線自体に敵意など害あるものを感じはしなかった。あの視線に含まれているものを敢えて言葉にするのならば――
(――好奇の目?)
そんな言葉が頭に浮かぶのと同時に、最後の一人をリアスが倒す。グラウンドのアナウンスからオカルト研究部の勝利を告げる声が響いた。
◇
「だっはっはっはっはっはっは!」
学園から数キロ離れたとある建物の屋上の上で座るアダムは、人指し指と親指で作った輪を覗き込みながら、膝を叩いて爆笑をしていた。
その輪の向こう側に見えるのは悶絶した状態で引き摺られていく一誠の姿。その姿がよほど面白かったのか中々笑いが収まらない。
「ははははは! くくく、今回は中々面白そうな奴に憑いたじゃねぇか、いいセンスだ赤龍帝……ぶふっ!」
笑いながらも空いた手で近くに置かれていた赤ワインのボトルを手に取ると、コルクの栓がしてある部分へと親指を押し当てると、まるで木の枝でも折るかのように軽々と先をへし折ってしまう。アダムはそのまま大口を開くとボトルの中身を一気に注ぎ込み、数秒も掛からずに空にしてしまった。
空になったボトルを適当な場所へと放る。放られたボトルは地面を転がっていくが途中、何かに接触し動きを止める。空になったボトルを止めたのは同じく空になったボトルであり、その数は十を超えていた。大量のアルコールを摂取している筈であるがアダムの顔は赤み一つ無く、素面のままであった。
「へへへ、活気があるねぇ。こいつは良い肴だ」
一人上機嫌そうに笑いながら新たな赤ワインのボトルへと手を伸ばすが、それを掴むと突如動きが止まり、アダムは軽く顔を顰める。
「――いきなり話し掛けてくんなよ。驚いちまうだろうが」
アダムがこの場に他の誰かが居るかのように話し始める。
「まあ、首尾は上々だ。そう慌てなさんな」
止めていた動きを再開し、ボルトを開けると中身を飲みはじめる。
「ああ? 酒を飲んでるかって? いや、飲んでねえよ。今飲んでるのは神の血だよ」
赤ワインのボトルを揺らしながら相手を皮肉るような冗談。神父という格好をしているが、そこには敬虔さなど皆無であった。
「へへへ、そう呆れるなよ。ちゃんと仕事は全うするからよぉ。まあ、多少のアドリブは入れさせてもらうが、最終的にはそっちの描いた図にはなる筈だ。――ところでよぉ」
アダムの視線が連れられていく一誠からシンの方へと向けられる。
「ちょいとばっかし気になる奴がいるなぁ。お前が見せてくれた情報には無い奴だ。あの赤龍帝と同じでここ最近、グレモリーの嬢ちゃんの所にやっかいになってる奴だと思うんだが……」
既にアダムの表情からは薄ら笑いは消えており、獣性を内に秘めた真剣な表情となっていた。
「直接視ていた赤龍帝だけじゃなく、あいつも俺の目に気付きやがったなぁ……それによぉ、あいつを見てるとどうしても奴らの顔が頭の中にチラつくんだよ……『魔人』どもの顔がなぁ……」
苦いものを噛み潰したような表情となった後、それを消し去る為に手に持ったワインを一気に喉へと流し込む。口の端から零れていく僅かな量を袖で拭い去ると、アダムは立ち上がり学園へと背中を向けた。
「もしもあの坊主が『魔人』と関わる奴だったら、少々面倒なことになるかもなぁ……『あいつ』もあの一件以来『魔人』に拘るようになったみたいだしな」
アダムにしか聞こえない姿無き相手からの返答を聞き、アダムは口を左右に大きく開いた笑みをその顔に張り付けた。
「なあに、心配することはねえよ。お前はそこでどっしりと構えてな。――それじゃあ切らせてもらうぜ」
そう言うとアダムは一瞬だけ顔を顰める。それが相手との会話が切れたことを示していた。
アダムは大量の飲酒をした後でもしっかりとした足取りで建物の屋上から後にしようとする。鼻唄を唄いながら数歩ほど歩いたとき、首だけを後ろに向けて駒王学園を見る。
「……やっぱ、少しだけ接触してみるかぁ。聖剣絡みでもうちょい人手が欲しいと思ってたしなぁ……」
アダムは薄ら笑いを浮かべながら、建物の上から見える街のあちこちに視線を移動し続ける。視線を向ける先、そこには彼にしか見えないものが映り込んでいた。
「あの爺の仕業かねぇ? 早めに手を打っておかないと消えるかもな、この街」
◇
黒い雲に覆われ薄暗くなった空の下で、リアス一行はある場所を目指し移動をしていた。目指す場所は街から少し離れた場所にある、とある廃屋。そこを目指す目的は、そこに住むはぐれ悪魔の討伐の為であった。
球技大会が終わったすぐ後に冥界からはぐれ悪魔の討伐の通達が届き、すでに何人かが犠牲となっているのを聞き一刻も早く動くこととなり、球技大会優勝の余韻に浸る暇も無く行動を開始した。
転生魔法陣を使用すればすぐにでも行くことの出来る距離ではあるが、使った場合転送先のはぐれ悪魔に気付かれ身を隠される危険性を考え、足を使っての移動となったが、その道中の空気は非常に重たいものであった。
その原因となっているのが、今も感情を露わにせず昏い気配を纏ったまま黙々と歩く木場の存在であった。球技大会での木場ははっきりと言えば周りの士気を下げかねない程、非協力的であり集中力も欠けた動きが目立っていた。その度にリアスが注意し一誠も叱咤するが態度を改める様子は最後までなく、木場への不審が多少なりともオカルト研究部のメンバーの中に生まれていた。
そのせいか道中は会話も少なく、同行しているいつもはお喋りのピクシーとジャックフロストもその空気のせいで沈黙をしていた。
「着いたわよ」
長い沈黙を終えて目的の場所へと辿り着く一向。廃屋は元は豪邸であったのか普通に一軒家の二倍以上の大きさがあるが、外から見ても至る所の窓ガラスが割られており辺りには雑草が好き放題に伸びていた。
到着すると、重い空気から解放されたことを喜ぶように、一誠は我先にと『赤龍帝の籠手』を顕現させる。
「よし! いつも通り俺と間薙と小猫ちゃん、そして木場が先行していきますね、部長」
「ええ、頼むわ」
「木場も気合入れろよ!」
悪くなった空気を払拭させようと明るく振る舞おうとする一誠であったが、木場はその気持ちに気付いていないのか生返事で答えた後に、そこで初めて魔剣を創造した。
その態度に一抹の不安を覚えながらも今ははぐれ悪魔の討伐を優先することにし、廃屋の扉の前に小猫が立つ。
その細い腕から繰り出される剛力によって扉は一瞬にして粉砕され、それと同時に一誠、木場、シンが中へと走り込んでいった。
扉から入ったすぐ先にはホールとなっており空間が広がっていく。奥には二階へと上がる為の階段が左右に分かれて作られている。
「とりあえずは探索だな」
「――いや、その必要は無い」
階段近くまで入り一誠が提案をするが、シンは却下する。
「もうここにいる。散れ!」
シンの言葉を聞き木場と一誠は反射的にその場から跳び去り、続いてシンもその場から離れる。すると天井から何かが落下し、その衝撃で床に張り巡らされて板が一気に砕け散り、長年積もっていたと思われる埃が舞い上がる。
「みんな、大丈夫!?」
安否を気遣うリアスの声が聞こえたが、それに返事をしている余裕は無い。砕けた板の中から巨大な鋏が一誠とシン目掛けて突き出されてきたからだ。
それを一誠は上体を捻って辛うじて躱し、シンの方も紋様が浮かんだ右手を鋏の側面へと叩きつけ軌道を力で逸らす。
奇襲の失敗を悟ったのかその姿を開いた穴から見せるはぐれ悪魔であったが、その姿を見た一誠が思わず嫌悪感を帯びた声を出した。
「うげ……」
這い出てきたはぐれ悪魔、上半身は成人男性の見た目であり、容姿も栗色の髪に甘い顔立ちと、決して悪いものではない。問題なのはそこから下の下半身の部分であった。腰から下は節足動物の蠍の様な形をしており色は黄土色、上と下との繋ぎ目部分には円形状の大きな口があり、そこからは喉の奥まで隙間なく牙が生え揃っている。そしてその口に両端からは先程一誠たちを襲った大きな鋏が生え、カチカチと音を鳴らして開閉している。
はぐれ悪魔の見た目のアンバランスさは独特の嫌悪を与えるものであり、長いこと討伐を行っていたリアスたちは見慣れているのか平然としているが、アーシアはその姿に表情を青くしていた。
はぐれ悪魔の討伐には初めて参加するシンは表情を変えることはなかったが、人外の姿をした目の前の存在に何故か既視感を覚える。以前何処かで似たような存在と対峙したことがあるようなというおぼろげな感覚であった。
『#$%&‘“#%%! $%%&**&%##!』
はぐれ悪魔が上の人の部分と下の大口から同時に言語と認識出来ない叫びを上げる。悪魔となるとあらゆる言葉を理解することが出来る能力を得ることが出来るが、シンにはその能力が備わっていない為何を言っているのか全く分からない。しかし、はぐれ悪魔が激怒していることだけは理解することは出来る。
「;*#$%&‘*/¥++!」
意味不明な咆哮を廃屋内に響かせながら、はぐれ悪魔がその蠍の胴体の先端にある長い尾を鞭の様にして振るう。一般人ならば直撃すれば間違いなく分断される速度と重さを秘めた攻撃、だがこの場にいるのは全員一般人と程遠い人外であった。
振るわれた高速の尾を、扉から入ってきた小猫が床の板に両足を叩きつけて、その身で受け止める。自分の体よりも大きな尾を受け止めた小猫は何枚も床板を砕きながら尾に押されていくが、ある程度の距離まで動かされると尾の力を完全に殺し、微動だにしなくなる。
「……軽いです」
振り払おうと尾を左右や上下に激しく動かすが、小猫は先端をしっかりと両手で掴んだままで引きはがすことが出来ず、無駄な抵抗へと終わる。
「ナイス! 小猫ちゃん!」
『Boost!』
小猫が抑え込んでいる間に倍加の時間が経過し、身体能力が向上した一誠がはぐれ悪魔へと向かって走り出そうとする。それを見たはぐれ悪魔は大口を一旦閉じ、蠍の腹部波打たせると閉じた大口から緑色の粘液を吐き出した。
それを慌てて躱す一誠。粘液が壁に触れると激しい音を立てて壁が溶解していく。吐き出されたものが強酸性の液体であることを理解した一誠は額から冷や汗を流すものの、表情は落ち着いている。それは眷属悪魔になってから積み重ねてきた訓練と実戦によって出来た自信であり、少なくとも目の前の存在に恐ろしさは感じつつも、負けるという考えは浮かぶことは無かった。
はぐれ悪魔が再び腹部を波立たせる。もう一度同じ攻撃が来ると思い身構える一誠であったが、その大口の向きが吐き出される直前になって移動し狙いが一誠から外れる。
その大口の向かう先へと視線を向ける一誠。そこにあったのは、剣を構えずに立ち尽くしている木場の姿。その目は攻撃をしようとするはぐれ悪魔が入っておらず、戦いの場であるまじき無防備を曝け出していた。
「木場ッ! 馬鹿野郎!」
気付いた一誠が木場に向かって飛び掛かり、叩きつける様に地面へと押し倒す。そのまま木場の上に覆いかぶさるようにして放たれる攻撃に身を盾にしようとする一誠であったが――
『%&#ッ!』
悶絶した声を出すはぐれ悪魔。伏せていた顔を上げた一誠が見たのははぐれ悪魔の腹部に拳を突き刺すシンと、全身から燃え立つような紅い魔力を放ち、はぐれ悪魔の上半身の半分を消し飛ばしたリアスであった。
「イッセー、祐斗をしばらく押さえつけていなさい」
冷たく響くリアスの指示。それだけで一誠はリアスが完全に怒っているのを理解、その迫力に無言で何度も首を縦に振る。
殴られた痛みと消し去られた痛みで嘔吐のように大口から絶え間なく溶解液を垂れ流し、床から白煙を立ち昇らせる。
「……えい」
動きの鈍くなったはぐれ悪魔を見て、小猫は掴んでいた尾を勢いよく持ち上げる。初めは四肢で耐えようとしたはぐれ悪魔であったが、床に引っ掛けた足の先は無理矢理剥がされ、巨体が浮き上がる。そして小猫はその身体を地面へと叩きつけ、はぐれ悪魔の全身を強打した。
『$#%&……』
苦鳴らしき音を洩らすはぐれ悪魔であったが、それを聞きながらもシンは躊躇う仕草は一切見せず、俯く様な状態となった人型の上半身の顎を拳で下から突き上げる。口内から血を撒き散らしながら仰向けに倒れるはぐれ悪魔、その下半身の肢はピクピクと痙攣してもがく。
「朱乃、止めは貴女にまかせるわ」
「はい。部長」
リアスの指示を聞き、朱乃がはぐれ悪魔に向けて手を振るう。それを見て一同がはぐれ悪魔から離れ、部屋の隅へと移動する。すると仰向けに倒れたはぐれ悪魔の上に魔力の塊が複数形成され、爆ぜる音と共に青白い光を放ち始めた。
「さようなら、化け物さん。今日は少し楽しむ気分じゃないので」
別れの言葉を告げると形成された魔力の光が最高潮にまで達し、それらが幾本の雷となってはぐれ悪魔の体を貫く。激しい閃光の中ではぐれ悪魔が悲鳴を上げるが、それらは雷の轟音に飲まれ消えていった。
閃光が収まり落雷場所に目を向けるとそこには、ほんの数秒まで醜悪な姿をしたはぐれ悪魔の焼け焦げた姿が残っている。
皮肉にも、生きていたときの姿よりも死んだ後の姿の方が嫌悪を感じることがなかった。
◇
乾いた音が廃屋の前で響く。その音の中心では頬を赤く腫らした木場と、平手打ちをした格好のリアスがいた。
「祐斗……いい加減にしなさい。ここまでしないと貴方の目は覚めないのかしら?」
語気に明らかな怒りが含まれる。祐斗の行動に何度か怒ることはあったが、今回の行動は限度を超えていたらしくリアスの手が出た。しかし、それを貰った木場の反応は非常に薄く冷めた表情のままであった。
「戦いの中で気を抜くなんて貴方らしくないわ。もし、イッセーやシンが貴方を助けようとしなかったら死んでいたのかもしれないのよ!」
「僕らしくない……ですか」
木場の顔に自嘲する笑みが浮かぶ。だが、次のときにはそれは消え、いつもの様な爽やかな笑みを浮かべていた。
「すみません。最近体調が悪いもので気を抜いてしまいました。イッセーくん、間薙くん、今日のことはありがとう。ああ、もう遅いですし僕は帰りますね」
早口で喋り終えると、一刻もこの場から去りたいのかさっさと背を向ける。そんな木場に一誠が声を掛ける。
「おい、待てよ」
「……何だい?」
「本当にどうしたんだよ。俺たちは仲間の筈だろ? お前みたいに今まで引っ張ってきてくれた奴がそんな様子じゃ心配しちまうよ」
諭すような一誠の言葉。今までならその役目は木場が行っていた筈であるが、その木場が諭されている。これを見て一誠が成長したととるか、木場が衰えたととるか、悩ませる光景であった。
「心配……仲間……か。イッセーくん、それを臆することなく言えるなんてやっぱり熱いねキミは。でもね、心配をしなくてもいいよ。今まで見ていた僕は僕じゃない。今、ここにいる僕が本来の僕なんだ」
暗い陰のある笑みでそう告げる木場に一誠は困惑した表情となる。
「ただ戻っただけなんだ……本来在るべき僕に……
強く、暗く、冷たい決意に満ちた木場の声に誰もが言葉を失う。それを見た後に、それじゃあと言って帰ろうとする木場だったが、その右肩を強く掴まれ動きが止まる。
「――キミも僕に何か用かい?」
「ああ、一言な」
肩を掴むシンに木場が冷たい視線を向ける。
「放してくれないかな? 今日はもう誰とも会話する気にはなれないんだ」
「断る、と言ったら?」
「……力尽くでも放してもらうことになるよ?」
「そうか……なら、断る」
刹那、背を向けた格好から木場は片足を軸にして掴まれた手を弾くように旋回。その間に手の中で一本の魔剣を創造し、背後に立つシンへと向かって横薙ぎに払う。
「祐斗!」
その凶行にリアスが溜まらず叫ぶが、シンの方も右手の紋様を輝かせ剣を振るう木場の頭部に向かい拳を放つ。
払われた木場の魔剣はシンの首筋数ミリの所で停止し、シンの振るわれた拳もまた木場の側頭部の数ミリ手前で寸止めされている。
「このままだとキミの首が宙へと舞うことになるよ」
「やってみたらどうだ。そのときはお前の頭の中身が地面に零れるだけだ」
互いに温度を感じさせない喋り。それが周りの心臓を凍り付かせる。
「やめろ! 木場に間薙も!」
冗談では済まされない両者の行動。仲間である二人の殺し合い寸前の空気に一誠が声を張り上げた。二人は互いに冷めきった視線を衝突させていたが、それ以上は動くことなくあっさりと離れ、背を向けあう。
そのまま無言で去り、夜の中に消えていく木場の姿をシンは一度も見ることは無かった。
一触即発ともいえる状況が終わり、張り詰めていた空気が弛緩していく。先程の出来事があっても特に感情の色を見せないシンにリアスが近付く。
「ごめんなさい。主としてあの子に代わって私が謝るわ。……失望しないであげてね。祐斗にも事情があるから……」
「気にしないで下さい。――あいつも本気じゃなかったみたいですから」
シンが知る本来の木場の速度ならば、こちらが動くよりも早く剣と突き付けることが出来ると思っていた。しかし、実際はほぼ互角の結末。その結果にシンは木場の手加減を感じていた。
「……雨、降ってきましたね」
シンが呟くとリアスは頬に雨粒が跳ねるのを感じた。次第にその量が多くなり小雨となっていく。
「俺ももう帰ります。お疲れ様でした。行くぞ、二人とも」
一礼し木場と同じく帰ろうとするシンの後ろに、ピクシーとジャックフロストが付いていく。
「じゃあねー」
「バイバイホー」
別れの挨拶も皆に済ませ、歩き始めようとしたとき、一誠がシンへと声を掛けた。
「……なあ、間薙」
「何だ?」
「お前も……本気じゃなかったよな……?」
一誠の問いに僅かな沈黙がシンに生まれる。そして、シンは顔だけを一誠たちへ向け、一言だけ言った。
「……ああ、勿論だ」
◇
小雨の勢いが増していき本格的な雨へと変化していく中、シンは傘を差さず、逃れる為に走ることもせず、ただその雨滴を全身に浴びていた。
一誠たちへ言った言葉。それに含まれる意志は決して嘘では無い。だが、根本的に間違っていることが一つだけあった。
シンは木場に拳を振るう気など全く無かったのだ。剣を振るうその手を掴もうと頭の中で考え行動に移したはずが、気付けば拳を固く握り締め、それを木場の頭部へと躊躇う事無く振るっていた。
意志と無関係に動いた自らの肉体。今日に至るまで少なくともそのようなことがあったことなどシンの記憶には無い。
(これの影響か……)
無言で自らの右腕を見つめる。初めは手の甲だけであった紋様も既に肘の辺りまで伸び、シンの右腕の中で成長、あるいは浸食していく力に言葉に出来ないものを感じていた。
(今更ながら悪魔の力という以外は何も知らないな、俺は)
自分の無知さ加減を内心で嘲笑する。
「あっ」
「ヒホッ」
二人の声の後に軽い衝撃が肩に走る。見るとそこには傘を差す神父の姿があった。
「おお、申し訳ない。御怪我は有りませんか?」
「いえ、少し当たっただけなので。こちらこそすみません」
「いえいえ、こちらの方こそ……おや? よく見れば傘を差していませんね。お詫びというのは何ですが、私の傘を使っては――」
大げさな神父の態度にシンはお気持ちだけで結構であると告げる。神父は残念そうな表情をしていたが、すぐに微笑を浮かべ胸に下げた十字架を握り締める。
「その殊勝な態度はいつも我らの主が見ています。貴方に神の祝福があらんことを」
「……どうも」
ここまでくると流石に戸惑いを感じてしまい、シンは軽く頭を下げた後に少し早足で神父の下を離れていく。その後ろを置いていかれまいとピクシーとジャックフロストが駆けていった。
「いやいや、本当に申し訳ないことをしたなぁ」
先程まで微笑のまま神父は服の袖の下からある物を取り出す。革製のカバーが施された手帳、それを開くと中にはシンの顔写真と学年、そして現在の住所が記されている。
「成程、間薙シンという名か。近いうちにこれを届けに挨拶しに行かせてもらおうか」
神父――アダムは片方の口角を上げて笑う。その笑みから微かに覗くのは、異様なまでに鋭いものであった。
今回の話は原作とアニメ版の話を混ぜたものにしてみました。
最近、最新刊を読んでいて『あっ』と思いましたが、一応魔人は全員出す予定です。