ハイスクールD³   作:K/K

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禁手、新月

 微睡む意識の中で、一誠は夢を見ていた。それは『神滅具』を覚醒させたときから度々見る赤い夢。周囲を真っ赤な炎で染め上げる中心には必ずソレが存在した。

 人が一人入れそうな程大きく真っ赤な瞳を持ち、頭部には真っ直ぐ伸びた角、その四肢は大木を何本も合わせたかの様に太く、そこから伸びる爪はどんな刀剣よりも鋭く、そして恐ろしい。その巨体を覆う程の両翼を広げ、それら全てに紅玉の様な眩さと溶岩のような荒々しさを備え、それが持つ生命力自体で輝いていると錯覚させる程の生物。

 

――ドラゴンが一誠の夢の中で、その連なった牙を見せつける様に嗤っていた。

 

『少しは歯向かうことが出来たが、それでもまだまだだな。そんなんじゃおまえはいつまでたっても殻から出たばかりの雛のままだ。強くはなれない』

 

 言葉では無く赤いドラゴンの意志が一誠の頭の中に響く。それは目の前のドラゴンから発せられたものでは無く、自分の左腕から伝わってきたのを一誠は感じた。

 一誠は頭の中で思ったことを言葉にする。お前は何者なのか、ライザーとの一戦の中で新しい力を使えるようにしたのはお前がやったのか、と

 赤いドラゴンはその長い首を動かし一誠の眼前まで動かした。

 

『ああ、だが俺だけじゃない。お前自身の望みと『白い奴』の望みも重なった故の結果だ。だが、新しい段階に入った戦績としてはイマイチだな。こんなことじゃあ『白い奴』に笑われるか失望されるぜ?』

 

 赤いドラゴンの言う『白い奴』という単語に一誠は心当たりなど無く、その疑問を意志にして赤いドラゴンに伝えるがドラゴンは一笑する。

 

『いずれは出会う宿命だ。今すぐ知る程焦る必要はない。そいつらと俺たちは戦うことは決定づけられているからな』

 

 知りたいことをはぐらかし抽象的な言葉で伝えてくるドラゴン。言っていることを理解できない一誠は、笑うドラゴンに思わずある意志を伝えた。

 

――お前はいったい何なんだ?

 

 ドラゴンは笑うのを止め、真っ直ぐに一誠を見つめてこう言った。

 

『『赤い龍の帝王〈ウエルシュ・ドラゴン〉』、ドライグ。鈍いな、お前の左腕に宿っているものだぜ、兵藤一誠――いや、相棒』

 

 自らの身に宿る強大な存在にしばらくの間言葉を失い、告げられた名を自分の中に刻み込む様にひっそりと呟く。

 

『今回の戦いは負けたが、なに心配をするな。本当の敗北というのは戦う意思を完全に失うか死ぬかのどれかしかない。お前の意志は完全に折れてはいないどころか、滾っているぐらいだ。その滾りがお前の力の糧になる。その意志の褒美として俺の力、その本来の使い方を教えてやる』

 

 本来の力、まだ自分の知らない力がこの左腕の籠手に眠っていることを聞かされ、思わず自分の左腕を見つめる。

 

『千回負けても千一回目には勝て。その千回の戦いを折れずに戦い抜くなら俺がお前に力を分け与えてやる。だが、それには相応の犠牲も必要だということを忘れるな。まあ、犠牲の価値に見合ったものだということは保証してやる』

 

 赤いドラゴン――ドライグが喉の奥で笑う。

 

『屈せず戦い続けろよ相棒。そうすれば奴と出会い戦う……ああ、その前に『奴ら』にも目を付けられるかもしれないな』

 

 一誠は『白い奴』以外の指す『奴ら』という言葉が気になり、その意志をドライグに伝える。

 

『気付いてないのか? 気を付けろよ、『奴ら』の同類はお前のすぐ側にいる。あの間薙という小僧、あれは『魔人』だ』

 

 

 

 

 シンはジャックフロストとピクシーと共に自宅の一室で時間を潰していた。この二日の間でリアスとライザーとの婚約の準備は完了しており、既にリアスは朱乃たちを連れて会場へと向かっている。シンはライザーとの約束をしていた為、それを理由に参加を断り、アーシアはリアスの願いによってグレイフィアの付き添いの下、一誠と共に残った。余談ではあるが同行を断る際、ライザーとの約束のことを言う前に拒否の言葉を言ったせいで、リアスは治癒施設での一件も合わせて、シンから愛想を尽かされたと思いショックを受けていた。すぐさま誤解を解くことは出来たが、言い方が悪いとリアス以外から非難を受けるという結果になった。

 その間、ライザーとの戦いで消耗し切った一誠を、アーシアとグレイフィアが付きっきりで看病を続けていた。怪我自体はシンと同じくアーシアの『神器』によって完全に治癒されているが、その後はどういった訳か、一向に起きる気配を見せなかった。

 一誠が自宅へと送られたとき様子を見に行ったが、そのときシンは眠る一誠から、何度か感じた強大な力が胎動しているのを感じた。

 それを幼虫が成虫へと至る蛹のようなものと感じ、命に別状はないと悟って、気配に震えるピクシーとジャックフロストを連れて看病をあとの二人に任せるという形をとった。その後もちょくちょくと一誠の状態を見に行ったが全く変化は無く、そうこうしている内に今に至る。

 シンの部屋にあるテーブルの上で、ピクシーとジャックフロストは日課となっている洋菓子を食べ舌鼓みをうち、シンはベッドに座って本棚から出した本を適当に流し読みをしている。このページが捲れる度に、ここから遠く離れた場所で知り合いが結婚式を挙げているのかと思うと、何とも形容し難い複雑な気持ちになる。

 自分で残ると言い切ったが、それでもただ時間が経過していくのを感じることを拒否し、少しでも気を紛らわせる為に何度も目を通した本を見続けていた。

 そんなことが今日が終わるまでずっと続くかと思っていた矢先、シンの携帯電話が着信があることを知らせる。携帯電話を開くと液晶画面に写っているのは一誠の自宅の番号。

 

「もしもし」

『あっ! 間薙さんですか!』

 

 電話に出ると向こう側から興奮した様子のアーシアの声が聞こえてくる。

 

「どうした?」

『イッセーさんが目を覚ましました! それで、あの……部長さんを助けに行きます!』

「分かった。すぐそっちに行く」

 

 なんとなくではあるが、一誠が目を覚ました後の行動について予想していたシンはケーキを食べている最中のピクシーとジャックフロストに電話の内容を伝え、食べるのを中断させる。

 

「じゃあ、行こう」

「ヒーホー!」

 

 普段なら不機嫌さを出して渋々といった様子でフォークを置く二人ではあるが、今回はすんなりと応じる。少なくともこの二人にとっては一誠はケーキを食べることよりも重要であるらしい。

 そんな二人の態度を好ましく思いながらシンは二人を連れて部屋から出る、かに思えたが、扉の前で何かを思い出して机の前にまで移動すると、そこに置いてあったある物を手に取った。

 

「それ、どうするの?」

「念の為にな」

 

 それを懐へと仕舞うと今度こそシンは一誠の自宅を目指し、悪魔の力を解放して全速力で駆け出し始める。当然ピクシーとジャックフロストの羽と足ではシンに追い付かない為、ピクシーはシンの上着のポケットに入り、ジャックフロストはシンの肩に腰を下ろし肩車の体勢となる。

 初めは普通に道路を走っていたシンであったが、このままだと間に合わなくなる可能性があると考え、回り道をするのを止めて一誠の自宅への最短ルートを走ることにした。

 

「しっかり掴まっていろ」

「うん」

「分かったホー!」

 

 ピクシーがポケットの口の端を強く掴み、ジャックフロストがシンの額辺りに回している手の締め付けが強くなったのを確認すると、シンは走っている速度を殺さずにそのままの速さで、隣に並ぶ自分の背よりも高い塀の上に飛び乗ると、そこから更に跳び上がり今度は一気に家の屋根に飛び乗る。

 そこから再び屋根の上を疾走し、屋根が途切れたならば次の家の屋根に飛び移るといった行為を繰り返す。中には十メートル近く離れた家もあったが、悪魔の力を解放したシンには距離など無いに等しく、水たまりでも飛び越えるかのように軽々と飛び越え、一誠の自宅まで一直線に向かう。

 

「早い、早ーい!」

「ヒーホー! ヒーホー!」

 

 次々に景色が変わっていくのを愉しむ二人。シンの方は周りに気を遣う暇も無く一秒でも早く目的地に着く為に足を動かす。

 やがて一誠宅の屋根が見えるとそのままそこに飛び移る――ことはせず、一々下まで降りてから玄関のインターホンを鳴らして、一誠が居るか居ないのかを確かめるのであった。

 

「普通に窓から入ればいいのにね」

「ホントだホー」

「好きなように言ってくれ」

 

 こんなときにまで日々行っていることを欠かさないことに、自分でも馬鹿馬鹿しいとは理解をしているが、しないならしないでどうにも気分が悪くなる。

 インターホンの音が一誠宅内に響き渡り、間も無くしてインターホンから女性の声が聞こえてくる。それは一誠の母でもアーシアでも無く、グレイフィアの声であった。

 

『お待ちしておりました。どうぞ中へ』

 

 グレイフィアの言葉に合わせて、一誠の家の扉が人の手も無く開く。シンはピクシーをポケットから出し、ジャックフロストを肩から降ろすと中へと入って行く。

 玄関を上がってすぐにある二階への階段の側でグレイフィアが直立不動で立っており、シンたちの姿を視界の端の捉えると優美な動作で頭を下げた。

 

「まだアイツは居るんですか?」

「はい。アーシア様と少しお話をしていますが、もう暫くしたらライザー様とリアス様の婚約パーティーの会場へと向かわれると思われます」

「そうですか」

 

 全力で走ってきた甲斐を感じシンは階段に一歩踏み出すと、そこで今度はグレイフィアの方から声が掛けられる。

 

「申し訳ございませんが、もし一誠様に同行して、リアス様を奪い返す為にここに来たのならば前以てご忠告させて頂きます。それはできません、と」

「出来ないとは?」

「現在一誠様には婚約パーティーの会場へ転移出来る魔法陣が描かれた符を渡してあります。ですが、それはリアス様の眷属のみに反応する仕様となっています。その為リアス様の協力者である貴方がその魔法陣を使用することは出来ません」

 

 冷淡と与えられた台詞を音読するような抑揚のない口調で喋るグレイフィアに、シンは軽く頭を下げ、説明に対する礼を払う。

 

「ご忠告ありがとうございます、が大丈夫です。俺はアイツの手助けに来たつもりですがそこまでするつもりはありません。……一応、ライザー・フェニックスとは約束したので」

「そうですか、差し出がましいことを言ってしまい申し訳ございません」

 

 謝罪を込めた低頭にシンはお気になさらず、とだけ言い階段を上がって行くが二、三段上った所でグレイフィアの方に振り返る。

 

「最後に一つだけ聞いてもいいですか?」

「何なりと」

「会場への転送魔法陣、手助けをしているのは部長のお兄――魔王様なんですか?」

「左様です」

 

 シンの質問を肯定で返すグレイフィア。シンはその答えを聞き、そこから思いつく考えに目を細めた。

 

「魔王様がアイツの手助けする理由は一体何なんですか? 以前聞いたときは部長の婚約には賛成側だったと思いますが」

「サーゼクス様はイッセー様の活躍を見て素直に『面白い』と称しました」

「『面白い』?」

「悪魔らしからぬ程感情に素直で、行動もそれに合わせて思った通りに駆け抜ける。それは今まで見たことのない初めての方です。私も主と同じくそれを『面白い』と思いました。そして同時にイッセー様の行く先を見てみたいとおしゃっていました」

 

 冷徹な表情が消え、確かな暖かみを感じさせる小さな笑みをグレイフィアが浮かべる。

 シンはグレイフィアの言葉を聞き思わず納得してしまった。シンの目から見ても一誠と言う存在は見ていて飽きない。同時にあのレーティングゲームでの敗北は決して無駄にはならず、最後のチャンスに繋がらせることが出来たのを実感した。

 

「それを聞いて納得しました。万が一ですが見世物目的で招いているという考えがあったので」

「――もし、それが目的としたらどうしました?」

 

「殺す」

 

 全ての音が消え、あらゆる動きが停止したかと思える程の一瞬の静寂。

 躊躇の無い一言で場の空気は凍てつき、互いに無表情なシンとグレイフィアの視線が音も無く衝突する。シンの言葉には何一つ偽りを感じさせず、グレイフィアもそれが戯れで言ったことではないと理解する。

 突如、緊迫した空気と化した階段下。だが、そんな空気にも構わずシンの仲魔二人が難なくそれを打ち破る。

 

「こら、シン! サーゼクスはいい悪魔だったんだからそんなこと言っちゃダメ!」

「そうだホー! あの王様はオイラのこと褒めてくれだヒーホー!」

 

 怒るピクシーがシンの右頬を両手で引っ張り、同じく怒るジャックフロストがシンの膝の辺りをポカポカと殴り抗議する。

 

「――と言うところですが、この二人は魔王様に良くしてもらったことを聞いていましたからね。すみません、不快になるような言葉を口にして」

 

 先程の空気がすっかり霧散した場の中でシンは表情をやや和らげ、自分が言った言葉に対する謝罪をする。

 

「いいえ、お気になさらず。間薙様は良い『仲魔』をお持ちですね」

「――その言葉を何処で」

「サーゼクス様がその御二人から聞かされ、私もサーゼクス様から聞かされました。『仲魔』、好ましい響きですね」

 

 優し気に笑うグレイフィア。いつの間にか広がっている自分の言葉を出されたシン。

 

「……あー、いろいろ聞いてしまってすみません。もう上に行きます」

 

 照れ隠しの様に頭を下げると怒る二人を宥め、二階へとやや早足で登っていく。グレイフィアはシンの姿が見えなくなった後、その顔に浮かべていた微笑を消す。笑みの後から出てきたのはいつもの冷淡な表情では無く、警戒する様な、余裕を感じさせない真剣味を帯びた表情。

 グレイフィアは一つだけシンに伝えていないことがあった。それは一誠と同様にシンもまた、サーゼクスに興味を持たれ、ある評価をされているということを。

 

「『興味深い』……貴方は彼をそう評価しました。そして、私も貴方の感想に賛同します」

 

 あの緊迫した空気の中でシンが見せた眼光。それはかつて敵対したある者を彷彿とさせる。

 七頭十角の赤い獣に跨り、汚れと淫欲を愛し、神を嘲笑い、天使を堕天させる『魔人』の姿。それがシンを間近で見たグレイフィアの感想であった。

 

「ドラゴンと『魔人』、如何なる勢力に属さなかった存在が一つの場所に集う……これは単なる偶然なのでしょうか……あるいは……」

 

 そこから先は言葉にしなかった。この想像を言葉にすることに躊躇いを覚えたからだ。

 

「――貴方がたの行く末、見届けたくなりました」

 

 

 

 

「失礼する」

 

 そう言ってシンが一誠の部屋に入ると真っ先に視界に入ってきたのは、一誠を抱きしめて涙を流すアーシアとその頭を撫でる一誠の姿であった。

 声に二人が反応し、シンの方を向くと視線が合う。

 

「――失礼した」

 

 思わぬ現場を目撃したことでシンは握ったままのドアノブを今度は引いてドアを閉めようとする。しかし、それを慌てて離れた一誠が声を掛けて止めた。

 

「お、おおお! ま、間薙か! ど、どうして来たんだ!」

「あ、あの! 私がさっき下の階に言われた物を取りに行ったときに電話したんです! で、でも早かったですね!」

「ああ、おかげで邪魔したな」

 

 シンの登場に顔を真っ赤にして動揺する一誠とアーシア。下手な言い訳をせず話を逸らそうとしているのを感じたが、シンは先程の二人の様子と、以前アーシアがシンに話した、一誠が傷付くのを見たくないという言葉から、大体の事情を推測していた。恐らくは死ぬかもしれない可能性がある場所に一誠が行くということに対する悲しみと不安からの行動であると考えていた。

 

「そ、そうか」

「ヒーホー? 何で二人は赤くなっているんだホー?」

「あれじゃない、あれ。えーと、シュラバってやつ?」

「ヒホ! シュラバかホー!……それって何だホー?」

「取り敢えず、お前ら少し外に居ろ」

 

 部屋を覗き込みながら、テレビか何かで知った言葉を致命的なチョイスで最悪のタイミングで言うピクシーを、ジャックフロスト共々部屋の外に追い出し、先程のことは最初から無かったかの様に仕切り直す。

 

「少し間を置いてからまた来る」

「あ、あの気を遣わなくても大丈夫です。私のするべきことは終わりましたから」

 

 涙を拭いながら微笑むアーシアの気丈な態度。

 

「……あー、アーシア。すまないけどちょっと間薙と二人で話をさせてくれるか」

「はい、分かりました」

 

 理由は聞かずアーシアは一誠の願いを快諾すると、未だに部屋の中を覗こうとしているピクシーとジャックフロストを連れて一誠の部屋を出ていく。アーシアとのすれ違い様、シンにしか聞こえない小さな声で囁いていく。

 

「イッセーさんの力になって下さい」

 

 囁く声は確かに震え、それはアーシアの心情を現している様であった。

 アーシアが出ていくとシンは部屋の中へと入りドアを閉める。そこでシンはあることに気付き、その眼を鋭くさせた。

 

「お前、それは――」

「はは、まあ切り札の為の代償ってやつかな」

 

 一誠の左腕は人の物ではなくなっていた。左肘から下が赤い鱗に覆われ、生物独特の光沢を放ち、その指先は鉤爪の様に湾曲した長い爪が生えている。その形状は、一誠の『赤龍帝の籠手』と酷似しているものであった。

 『ドラゴンの腕』、それが初めに抱いたシンの感想である。

 

「全く算段が無い状態で再戦する訳じゃないみたいだな」

「ああ、俺はもう負けない! あいつをぶっ飛ばせるなら代償なんて幾らでも払う! そして今度こそ部長も約束も守ってみせる!」

「約束?」

「最強の『兵士』になるっていう約束……俺みたいな才能が無い奴が言ったら笑うか?」

「少なくとも俺は笑わないな。――なら、その約束を守れるよう俺からの餞別だ」

 

 シンはそう言って懐からある物を取り出すと一誠に向けて放り投げる。放られた物を受け取った一誠はそれが何なのか首を傾げる。すると、一誠の手の甲辺りが宝玉の形の光を放って点滅し、一誠は驚いた様にシンの方を見た。

 

「そいつは――」

「ああ、今教えて貰ったから何なのか分かる」

「教えて貰った? 誰に?」

「え! えーと、その……」

 

 何か言い訳でも考えているのか目線が忙しなく動き、ちらちらと自分の左腕に視線を向けている。一誠の落ち着きの無い態度を不審に思うシンであったが、この場で追及するのも時間の無駄だと考え、まあいい、といって自分から話題を切り上げた。

 

「とにかく、それがもしかしたらお前の役に立つかもしれない。保険代わりにでも持って行け」

「おお、分かった! ……でも、これどうやって手に入れたんだ?」

「……戻ってきたら教えてやる」

 

 一誠が何らかの事情を隠しているのに対する意趣返しと言わんばかりに出所を秘密にするシン。一誠は自分のこともあってか深くは詮索しなかったが少しの間の後、ニッと笑う。

 

「じゃあ、戻ったら教えて貰うぜ! 部長と一緒にな!」

「ああ、待っている」

 

 一誠は手に持った用紙を広げる。そこには細かい文字で形成された魔法陣が描かれていた。一誠が目を瞑り念じ始めると、それに反応し魔法陣から魔力の光が溢れ始める。

 

「アーシアに別れの挨拶ぐらい言わないのか?」

「絶対に生きて戻ると約束した。戻ってくるのに別れの言葉なんて必要ないだろ?」

 

 確かに、と言ってシンは小さく笑う。笑みと分かるには表情の変化は微々たるものであったが、シンは確かに笑っていた。

 

「勝ってこい、『イッセー』」

「えっ!」

 

 一誠が驚き目を丸くしてシンの方へと向こうとした瞬間に、一誠は魔法陣によって婚約パーティーの会場へと転移していった。

 転移する直前に見せた一誠の驚きの表情。何故名を呼んだだけであれほど驚いたのか。

 

(そういえば……)

 

 周りが一誠をイッセーと呼び始めてから、シンがイッセーと本人の前で呼んだのはこれが初めてのことであった。シン自身、その名で呼ぶことに躊躇いがあった訳ではなかったが、ただ単に面と向かって呼ぶ機会がなかったのであった。

 一誠を見送ったシンは部屋の外に出ると、ドアのすぐ側でアーシアが立っている。その肩にはピクシーが乗り、ジャックフロストもアーシアに寄り添うようにして立っていた。

 

「イッセーさんは?」

「部長を取り返しに行った」

「そうですか」

 

 悲しむかとシンは予想していたが、それに反してアーシアの態度は穏やかなものであった。

 

「俺が見送る形になったがそれでよかったか?」

「大丈夫です。イッセーさんと約束しました、必ず戻って来てまた変わらずに一緒に過ごすって、そして部長さんと必ず帰るって」

「そうか」

 

 本来なら恋敵である筈のリアスの帰還を願うアーシアにシンはそれ以上何も言わず、アーシアの隣に立つ。

 

「なら二人の帰りを待つとしよう。俺もあいつに『勝ってこい』と約束したからな――一方的にだが」

「はい!」

 

 微笑んだ後アーシアは手を組んで目を閉じ、祈りを始める。祈っても苦痛に襲われない様子を見るに、その祈りは神に対してのものでは無い。一誠の勝利を願った祈りか、あるいは無事に帰って来ることを願う祈りか、その内容はアーシアにしか分からない。

 それを見ていたピクシーとジャックフロストも、アーシアの格好を真似して祈りを始め出す。それは決して茶化している訳ではなく、二人ともこの場にいる自分たちが出来る数少ないことと分かっての行動であった。

 三人の祈りを見ながらシンも、密かに心で願う。

 叶うならば、またいつもの部室で、いつものメンバーで、いつものように時間を過ごす日常が戻ることを。

 

 

 

 

 魔法陣が転移させた場所に着くと、一誠は去り際にシンに言われた言葉を思いだし、軽く笑うとすぐに表情を引き締めて走り出す。そこは見上げる程の天井と人が十数人並んで歩ける程の幅の廊下であった。

 走りながらも一誠は周囲を見ては軽く驚いた表情をする。今まで生きてきた中で廊下にずらりと並ぶ蝋燭の照明も、数メートルもの大きさがある巨大な絵画も、一度も見た記憶は無い。

 その豪華さに圧倒されながらも走る速度は緩まず、やがて廊下の先に緻密な獣の彫刻が施された巨大な扉が現れる。その扉の先からは無数の声が飛び交い、時折笑い声が混じっていた。

 この先が婚約パーティーの会場と確信し、自分の左腕を見つめた後、勢い良く扉を開く。扉の先に広がる光景はまさに社交場というに相応しい眩い世界であった。見たことも無い程の大きなシャンデリラの下で、自慢のドレスや宝石で着飾る女の悪魔たちや、宝石の代わりにその身が放つ威厳で自らを飾る男の悪魔たち。

 しかし、そんなものには目もくれず、一誠はリアスを探す為に目を激しく動かす。

 そして見つけた。真紅のドレスに身を包み、長い髪を上げて結い、いつもよりも魅力が増したように見えるリアスの姿。そして、その隣に立つリアスとは対照的に純白のタキシードを着たライザーの姿。

 

「部長ぉぉぉぉぉぉぉ!」

 

 その姿を見たとき一誠は大声で叫んでいた。その声でこの広場にいる全ての悪魔の視線が一誠へと注がれ、当然リアスとライザーも一誠の存在に気付く。リアスは一誠の姿に感極まった様子で一筋の涙を流しながら一誠の名を呟く。ライザーはそのリアスの涙と呟きを見逃さず、小さく舌打ちをすると敵意を持って一誠を睨みつけた。

 不審、好奇、疑問など様々な視線の中心で一誠は自らの名とリアスを奪還しに来たことを堂々と告げると脇目も振らずリアスの下へと進んでいく。しかし、上級悪魔同士の婚約の場で乱入してきた不審者同然の一誠を黙って見過ごす筈も無く、会場の至る所に待機していた衛兵たちが一斉に一誠の方へと駆け寄ってきた。

 多勢に無勢という一誠にとって不利な状況。だが、それを見過ごさない者たちもこの場に居た。

 

「イッセーくん! ここは僕たちに任せて!」

「……遅いです」

「あらあら、やっと来たんですね」

 

 白のスーツに魔剣を握り締める木場、小さな拳を造りドレス姿で構える小猫、美麗な和服を纏い、その手には魔力による雷を留めている朱乃、婚約パーティーに参加していたメンバーが一誠の進む道を開く。

 その姿に一誠は礼を言い開かれた道を行くが、その途中この会場では場違いな白い鎧を装い顔半分をマフラーで隠した青年――セタンタが現れる。その手に持つ槍に一誠は警戒をしたが、セタンタからは襲い掛かってくる気配は無く、セタンタの方から一誠へと歩み寄り、何もせず、そのまますれ違うかに思えた。

 

「あの娘のことを頼む」

「えっ?」

 

 通り過ぎていく直前に聞こえた小さく呟く声に、一誠はそのとき初めてセタンタの眼を直視した。その眼は一切の揺らぎも無く一誠を見つめ、その瞳から放たれる眼光は言葉が偽りのものではないと一誠に確信を与える程であった。

 一誠はセタンタの言葉に頷くと、少しだけセタンタは表情を和らげる。そのまま一誠が離れていくのを見届けはせず、その場で一気に跳躍をすると衛兵たちに囲まれている木場たちの頭上まで跳び上がる。そして、セタンタは落下していく同時に片手に持った槍を一払いする。

 音も無く払われた槍の穂先に合わせて、磨かれた鉱物で出来た床が一瞬にして削られ、その破片と細かく粉砕された粉塵が会場内に舞う。

 

『うわああああ!』

 

 衛兵の誰か、あるいは会場にいる誰かの悲鳴が上がる。槍によって出来た傷は木場たちを衛兵たちから守るようにして円形に刻まれ、その中心にセタンタは降り立つ。

 新たな乱入者に木場たちは勿論のこと衛兵たちも一瞬警戒をしたが、降り立った人物が誰なのかが分かったとき、全員が一斉に驚く。

 

「セタンタ様ですか!」

「まあ!」

「……お久しぶりです」

「祐斗、朱乃、小猫、久々の再会に挨拶の一つもしておきたいところですが、後回しに致しましょう」

 

 木場たちがセタンタの名を呼ぶとその名を聞いてざわめきが起こり、会場のあちこちから驚きと憧憬を含んだ声でセタンタの名が呟かれていく。

 

「い、一体何の真似ですか?」

 

 衛兵たちのリーダー格にあたると思われる人物が一歩前に出てセタンタの行動を咎める。その声は緊張からか震えていた。

 

「この者たちは私が仕えるグレモリー家の血族であるリアス様の眷属。グレモリーに関わる全ての者を守るのが私の使命であり役目です。もし、その眷属に危害が加わることがあればそれを防ぐのは必然」

 

 涼しげな口調で答えるセタンタは槍を旋回させる。それによって起こる旋風が舞う粉塵を裂き、吹き飛ばすと槍を両手に持ち直したセタンタが衛兵たちにその矛先を向ける。

 

「なので出来ることならばこの場から誰も一歩たりとも動かないで貰いたい。もし、動くことがあれば害意があると判断し、こちらもそれ相応の手段を取らせて頂く」

 

 誰もが息を呑んだ。口調こそ丁寧であるが内容は完全な脅迫。この場に居る誰かがセタンタの言葉に反論し、行動を起こせば脆くも崩れそうな脅迫であるが、この場に居る誰もがその言葉に呑まれ動くことは出来なかった。

 何故なら槍を構えたその人物は魔界に居る者ならば殆どの者が知っている存在。表舞台には滅多に出ないものの、類稀なる武芸の腕で長年の間グレモリー家の守護を務め、その中で数多の逸話を生み出し、魔王サーゼクス・ルシファーが眷属以外で絶大な信頼を置く唯一無二の人物。

 そんな相手を前にして、誰も下手な真似をすることは出来る筈が無かった。動かない周囲を前にしてセタンタは微笑む。

 

「ご理解していただき感謝します」

 

 その微笑みを見ても誰も安堵することはできず、この一帯の緊迫は晴れる兆しを未だ見せなかった。

 木場たちやセタンタの援護を貰った一誠はライザーの真正面まで進み、両者とも面と向き合ってお互いを睨む。

 

「部長――リアス・グレモリー様の処女は俺のもんだ!」

 

 凄まじいまでの迷いの無い一言。この場に居ないシンがそれを聞いたのであれば盛大に呆れ、そして言い切る姿に逆に感心すらしていたであろう。その発言をまともに聞いたライザーも呆れているのか驚いているのか衝撃をうけているのか、表現し辛い表情を浮かべたが、少なくとも怒りの方は一誠の発言で忘れ去られていた。

 乱入者の突飛のない発言に周囲の身内関係は狼狽し始めるが、一人の男性の声によってそれは静まる。

 

「私の用意した余興ですよ」

 

 発言した男性はサーゼクス。魔王自身の差し金である横槍行為に、ライザーはやや批難する様な目線でその言葉の真意を確かめるが、サーゼクスは底の見えない笑みであっさりと流す。

 リアスの兄であるサーゼクスを目の当たりにして驚いている一誠の前で、少し離れた場所に居たサーゼクスと同じ紅髪の男女二人が近寄って来る。片方は中年の男性ではあるが、見た目の年齢に反して引き締まった体型をしており、それがスーツに良く映えている。整えられた髭と経験を積んで刻まれた皺は、男性の老いを示すのでは無く、高級酒の様な熟された魅力を放っていた。女性の方は、リアスが数年経て成長したらこうなると思える程に良く似た容姿をしており、男性に比べるとその年齢の半分にも満たない程の若さであったが、その色気は若さとは不釣り合いなほどに濃密であった。

 サーゼクスの行動に疑問を投げかける男性の方を一誠はリアスの父であると予想し、それを黙って見ている女性の方をリアスの姉と予想した。

 リアスの父からの疑問に笑顔を浮かべたまま、すらすらとこの現状について説明を始める。サーゼクス曰く、大切な妹の婚約の場で生涯の思い出になるようなことをしたいと思った。そこで思い出したのがレーティングゲームで見たライザーとリアス、イッセーとの戦いである。龍と不死鳥という伝説の生物の本気の戦い。それはこの上なく会場を盛り上げ、忘れられない催しになるであろう、と。

 演出にしては余りに一誠側に肩入れしていると思われるサーゼクスの案。この催しに関してはライザーが得るものなど殆ど無い。だが、四大魔王という立場のサーゼクスの案を撥ね、蹴る存在などこの場には居らず、全員が沈黙をする。唯一例外としてはセタンタだけが凄まじい目つきでサーゼクスを睨みつけており、その漏れ出す怒気に周囲の悪魔たちは、自分に向けられているものだと錯覚し怯えていた。

 そんな視線を向けられていてもサーゼクスの表情はびくともせず、一誠に対して戦いの許可が下りたことを告げる。そして、ライザーに対し戦う意思があるかどうかを尋ねた。

 ライザーは今までサーゼクスを、リアスの父と同じく婚約に関して賛成派であると思っていた。魔王という立場上、悪魔の未来を考えるのは当然であるため。しかし、今までの流れを見る限り、本心はそうではないということが見て取れる。そのことに対しライザーはサーゼクスに失望などはしない。寧ろこの勝負こそが、真の意味で自分がリアスの婚約者であることを認めさせる試練であると解釈した。

 ライザーはサーゼクスの言葉に了解の意を告げる。続けざまにサーゼクスは一誠にあることを尋ねてくる。それは勝った場合、君は何を代価として貰うのかという内容。

 このサーゼクスからの質問で、ただの催しものから互いに何かを賭けた決闘へと変わる。相手が何を望むかなど、ここに入ってきた段階で既に分かっている。ライザー側とリアス側の身内はその言葉に顔色を変え、非難する。下手をすればこの婚約自体が破綻する可能性があった故に。

 が、サーゼクスの決定は覆らない。

 

「さあ、君は何を望む? 爵位かあるいは沢山の財宝かい? 悪魔なのだからその行為にはそれ相応の報酬を払うよ?」

「リアス・グレモリー様を返して下さい」

「分かった。君が勝ったら、リアスを連れていけばいい」

 

 迷いの無い一誠の返答。それにサーゼクスは満足し、ライザーの方を見る。

 

「君も何を望む? 戦わせる以上は君にも代価を払うよ?」

「……僭越ながら申し上げます。もし私が勝った場合――」

 

 そこで言葉を切り、真っ直ぐにサーゼクスを見る。

 

「私とリアスの子が産まれたとき、その子にグレモリー家の当主の座を与えて頂きたい」

 

 その言葉にサーゼクスを除く誰もが驚愕の表情となる。ライザーの申し出はグレモリー家の内情を知る者がいれば恐れ知らずもいいところであり、それをサーゼクスの前で発言したならば即抹殺されても可笑しくは無い。

 

「ふむ、了解した。――中々の野心家だね、君は」

 

 騒然とする会場の中、表情一つ変えずに受け入れるサーゼクス。

 

「それでは双方の求めるものを出し合ったことなので、決闘の準備をするとしよう」

 

 失礼するといってサーゼクスは準備を進める為に会場の奥へと消えて行った。

 魔王が去った会場でライザーと一誠が再度睨み合う。だが、言葉は発さずともに譲れない意志だけを衝突させ合うと、お互いに背を向けて歩き始める。

 歩く一誠の背中にリアスが声を掛ける。

 

「イッセー……」

「部長……必ず、必ず貴女を取り戻します!」

「――ええ、待っているわ」

 

 

 

 

「死ね」

 

 決闘の場の準備を進めているサーゼクスにセタンタが会って、最初の一言がそれであった。

 

「ははは、手厳しい言葉だね」

「笑い事か……態々あの場で旦那様や奥方様に恥をかかせる真似をしやがって……」

「そういう君もあの騒ぎに割と乗っかっていたと思うんだが?」

 

 痛いところを突かれたのか、槍を持つ手を少し緩め、舌打ちをするセタンタ。不本意ではあるがセタンタ自身、この婚約が駄目になることを心の片隅で望んでいたのも事実である。

 

「……お前はいいのか? あの小僧、リアスだけじゃなくミリキャスの座も狙っているんだぞ?」

「いやはや、流石に驚いたよ。彼も中々大胆なお願いをする」

「いつも通りの反応をしやがって……お前の子供の将来もかかっているんだぞ」

 

 現在のグレモリーの当主の座はリアスが受け継いでいる。サーゼクスがルシファーの称号を受け継いだため自動的に長女であるリアスに譲られているが、グレモリーにはもう一人、当主の権利を持つ人物がいる。年齢が若い為、当分の間リアスが代行と言う形になっているが、本来の受け継ぐ人物、それがミリキャス・グレモリー。魔王サーゼクス・ルシファーの嫡男である。

 リアスがライザーの下に嫁げば今度はミリキャスがグレモリーの当主となるが、ライザーが勝ったのであればそれはライザーの子が産まれるまでの間に過ぎない。

 ミリキャスの遊び相手や子守をすることもあるセタンタにしてみれば、子供の将来を賭けるサーゼクスの行動は素直に受け入れ難かった。

 

「重々理解はしている。このことを知ればあの子は私を軽蔑し、彼女や彼らも私から離れていくかもしれない。勿論、君にも愛想を尽かされるかもしれないね。だが、それも含めて私は彼に賭けてみようと思う」

「随分とあの子供に入れ込むな。――賭ける根拠は何だ?」

「勘だ」

 

 言い切ったサーゼクスにセタンタは呆れた眼差しを向ける。

 

「一重に勘と言っても思いつきで賭けている訳じゃない。私が生きてきた記録の中で初めて見る『面白い』少年だ。その少年がどんな結末を生み出すのか……私はそれを見届けたいと思った」

 

 サーゼクスの言葉を聞き終わったセタンタは溜息一つ吐き、サーゼクスに背を向ける。

 

「お前がそうしたいならば、そうすればいい。俺もこれ以上は口を出さない。あと一つ訂正しておきたいことがある」

「何だい」

「たとえどんな結末だろうと、ミリキャスもグレイフィアもあいつらも俺も見捨てて離れては行かないさ」

 セタンタの言葉にサーゼクスは穏やかな笑みを浮かべ、ありがとうと親しい友人に感謝の言葉を送る。

 

「――死ねは言い過ぎたな。それも訂正しておこう」

 

 背を向けていたセタンタが振り返り、サーゼクスに一言。

 

「くたばれ」

「ふむ。言葉は変わったが内容は大して変わっていないと思うのだが?」

 

 

 

 

 会場内で急いで創り上げられた即席の魔術による空間。その中の中央でライザーと一誠は互いに向き合い、戦いの音が鳴るのを待ちわびている。一誠は極限まで戦意を高めた戦う者の顔付きをしており、ライザーはそれを不敵な笑みを浮かべて見ていた。

 向かい合う二人を空間の外から会場に招かれていた上級悪魔たちは興味深そうに見物し、リアスと木場、小猫、朱乃はサーゼクスとセタンタと同じ席で心配そうに見つめている。その席の丁度反対側にはライザーの身内と眷属たちが見物している。その中にはレイヴェルの姿が有り、不安そうな表情で、ライザーではなくリアスたちの席に何度か視線を送っており、目的の人物が居ないことを確信すると安堵の息を吐いていた。

 空間中央の両者の準備が整ったのを見計らって、審判を務める男性の悪魔から開始が告げられると、ライザーはすぐさま炎の翼を顕現させ上空へと飛翔する。

 見下ろすライザーの表情からは笑みが消えてはいるが、態度からは余裕の色は消えてはいない。その理由は彼に負けた一誠だからこそよく分かる。あの戦いにおいて一誠はライザーに全ての手の内を見せ尽くしていた。倍加による身体上昇の限界、最大の攻撃技である『ドラゴンショット』、ライザーに直接は見せてはいないが、恐らく眷属から伝え渡っているであろう『赤龍帝からの贈り物』。それらを全て行使してもライザーは倒せなかった。

 だが、それは二日前の時点での話である。

 

「部長」

 

 一誠がリアスの方へと向き力強い笑顔を浮かべる。

 

「この勝負、十秒でケリをつけます」

 

 大胆不敵としか言いようのない一誠の発言に会場の皆がざわつき、一聴すれば余裕とも解釈出来る言葉であったが、普段の一誠ならばまずしない宣言にリアスたちは困惑した表情をする。唯一、サーゼクスとセタンタのみ言葉の裏に隠された真意を理解したのか、サーゼクスから笑みが消え真剣な面持ちとなり、セタンタの方も眼差しを鋭くし一誠の一挙一動を見逃さない構えとなる。

 

「十秒だと? どういうつもりだ赤龍帝」

 

 その宣言を聞いたライザーはそれを一笑するのではなく疑問を覚えた。負けることの許されない場所に似つかわしくない一誠の大口。それがどんな意味を持っているのか思考する。

 

「部長! この場でプロモーションをすることを許して下さい!」

 

 一誠の叫びにリアスは頷くと、すぐに一誠は『女王』へとプロモーションし、基礎能力を向上させる。そして、この空間を通り越し全ての人物に聞こえる程の声量で大きく叫ぶ。

 

「部長ッ! 俺は木場みたいな剣の才能も朱乃さんみたいな魔力の才能も小猫ちゃんみたいな力もアーシアの様な治癒の力も間薙の様な冷静な頭も全部ありません!」

 

 一誠は自らの弱さを改めて口にする。傍から見れば滑稽かもしれない、嘲笑の対象にもなりうるかもしれない。だが、それでも一誠は胸の奥にある想いを口にせずにはいられない。

 それこそが誓いであり、二度とこの想いを裏切らない為の決意であった。

 

「俺は貴女を守りきれずに負けました! 勝つべき戦いで勝てなかったどうしようもない男です! でも! それでも許されるならもう一度貴女の為に最強の『兵士』を目指させて下さい! 貴女がそれを望んでくれるならば俺は神様だってぶっ飛ばし、貴女を守ります!」

 

 真っ直ぐな感情を乗せた一誠の言葉がリアスの胸の奥へと飛び込み、その想いに頬を紅潮させながらリアスは力強く頷く。その頷きを見たとき一誠の高まりは最高潮を迎えた。

 

「よっしゃああああ! 輝きやがれッ! 『赤龍帝の籠手』! 『限界突破〈オーバーブースト〉』!」

『Welsh Dragon over boost!』

 

 一誠の魂の奥底からの叫びと籠手から発せられる音声が重なり合い、会場を真紅の光が覆い尽くす。赤い光を見た上級悪魔たちはその光から感じられる根源的恐怖に身を震わせ、自分たちの身体に起こった現象に戸惑いの色を浮かべる。

 サーゼクスは一誠の身に起こった変化に真摯な眼差しを向け、やはりかと口の中で呟き、側に居たセタンタは無意識に槍を持つ手に力を込める。

 赤い光が生み出す力の余波は会場のみに留まらず、この場所以外にも伝播していく。

 一誠の自宅でアーシアたちと共に一誠の帰宅を待っていたシンは、どこからともなく伝わって来た力に閉じていた目を開き、しきりに周囲を見回し始め、とある一室に居た十二の黒翼を持つ男性とその側に立つ銀髪の青年はその変化に気付き、青年は口に端を吊り上げ獰猛な笑みを浮かべ、『魔人』の名を持つ存在達は各所で龍の目覚めを感じ取り、ある魔人は歓喜の笑いを上げ、ある魔人は薄暗い嘲笑を発した。

 あらゆる場所へその存在を知らしめる力の光の中から一誠が飛び出す。しかし、飛び出したその姿は大きく変化していた。頭部から足の先に至る全身を『赤龍帝の籠手』と同じ赤い金属で形成された鎧で覆い尽くし、体の関節部分の各所と胴体の中心に緑の宝玉が埋め込まれていた。神々しさと荒々しさを均一に表現したその姿はドラゴンを彷彿させた。

 

「鎧だと……それがお前の奥の手か!」

 

 溢れ出る一誠の力を目の当たりにしてライザーから余裕の色は完全に消えた。それと同時に未知への凄まじい警戒心が露わになる。

 赤い鎧を纏った一誠の背部が隆起し、その下から噴射孔らしきものが左右に一つずつ現れると、そこから一気に魔力を噴出、ライザーに向かって一気に加速する。背後が爆発したのかと錯覚する程の魔力を一気に放つことで得た加速は、まともに目で追うことが出来ず、炎を生み出そうとしていたライザーの右腕を右半身ごと消失させる。

 

「この速度と力は……!」

 

 消え去った右半身を見て驚くライザー。ついこの間とは比べものにならない力量の上昇に、戸惑いを隠しきることは出来なかった。

 

「これが『禁手〈バランスブレイカー〉』、『赤龍帝の鎧〈ブーステッド・ギア・スケイルメイル〉』だ! 龍帝の禁じられた力、見せてやるぜ!」

 

 言うと一誠は再度加速して接近するとライザーの胴体に右拳を放つ。それをライザーは再生し終わった右腕で炎を盾のようにして今度は防ぐが、それを見越していた一誠は右腕に魔力を収束し始める。

 

『X』

 

 突如聞こえくる十を知らせる音声。間近でそれを聞いたライザーは訝しげな表情となるが、次に起こる事態にその表情はすぐに消え、焦る顔付きとなった。

 尋常では無い量の魔力の一点集中。このことに気付いたライザーはすぐ一誠から離れるが、一メートルも無い距離で一誠の右手から魔力が放たれた。

 

「でかい!」

 

 ライザーの前で生み出された魔力は圧縮から解放され、本来の大きさを取り戻そうと急速に膨張し始め、その大きさは戦いの場となっている空間の半分以上を占める大きさであった。ライザーも炎の翼から勢いよく炎上させ、少しでも早くこの魔力の塊から逃れようとするが、完全に逃れることは出来ず左膝から下が魔力に飲み込まれ消失してしまった。

 

『Ⅸ』

 

 また聞こえてくる九を告げる音声。その音声の方へと目を向けたライザーが見たものは、衰えなく急加速で迫る一誠の姿。

 

「なめるなぁ!」

 

 戦いの主導権を奪い返す為にライザーが吼える。加速する一誠に向けライザーも炎の翼を爆発させ、一時的な超加速を得ると一気に懐へと潜り込み、肩から突進するとそのままライザーは一誠の胴体にしがみついた。

 

「くそ! 男に抱き締められる趣味はねえぞ!」

「ああ、俺も無いさ。だから――」

 

 ライザーの背中で燃え盛る翼がその大きさを倍以上のものとし、自分ごと一誠を翼で包み込む。

 

「すぐに放してやる」

 

 覆い尽くされた翼の隙間から閃光が洩れたかと思えば、その内部で爆発が起きる。その爆発は一度では止まず、立て続けに二発、三発目と連続して起こった。

 しかし――

 

『Ⅷ』

 

 ――という音声の後、ライザーの身体は後方へと吹き飛び、張られた空間の壁に背中から激突して、血塊を口から吐き出す。一方、包まれていた翼から解放された一誠は地上へと落下していき、そのまま頭から衝突するかと思えた次の瞬間、体勢を咄嗟に戻して両足から着地をした。だが、狭い空間の中で爆炎をその身に受けて無事では済まず、着地してすぐに片膝が折れかける。それを気力で持ちこたえ、真っ直ぐ立つ一誠の鎧の隙間からは、幾つもの白煙が上がっていた。

 背中を空間の壁に預けるような形でライザーは呆然とした様子で口から流れる血を拭い、そして陥没している胸部へと手を当てる。本来ならすぐにでも再生出来る筈の傷が、未だにライザーへと痛みを与え続けていた。自らの不死性に自信と誇りを持つライザーにとって、自分に起きた現状に理解が追い付かず、久方振りに味わい染み込んでくる苛烈な痛みに思考は空白となった。

 

『Ⅶ』

 

 だが、そんなライザーを黙って見ている程一誠には甘さも余裕も無く、一気にライザーの目の前に立つとその右拳を大振りで繰り出す。一誠が目の前に現れたことでようやく正気に戻ったライザーは、反射的に一誠の右手首へと両拳を討ちつけて軌道を変えるが、その隙を狙った一誠の左拳がライザーの頬を殴り飛ばす。

 二度目の激痛。口内に溜まった血を吐き出しながらライザーはこの痛みに何処か既視感を覚えていた。不死とも呼ばれる再生を阻害し、痛みを与えるこの効果。かつて一度だけ、幼少の頃に親の命により身を以って知る為に触れたことのある、とある物体。

 

「貴様! 聖具を持っているなッ!」

 

 一誠が握っていた左拳を開くと、そこには銀の十字架がぶら下がる。『赤龍帝の鎧』によって高まった能力を『赤龍帝からの贈り物』によってその効果を極限にまで引き延ばした、アーシアから借りた一誠の切り札の一つ。その効果の絶大さはライザーが身を以って証明しており、空間の外に居る悪魔たちも効果の高まった十字架の反射する銀光に至る所で引き攣った声を出し、魔王であるサーゼクスでさえもその光に目を細める。

 およそ悪魔同士の戦いで、まず使われる可能性が極端に低いとも言える道具。卑怯、卑劣というよりも、使う方にとっても十字架など諸刃の刃に過ぎず、相手どころか自分すら傷つけてしまう代物である。

 それ故にライザーは混乱する。自他ともに認める程の力を持つ自分にすら多大な悪影響を及ぼす十字架を握る一誠に影響を及ばさないのか。そして、初めて気付く。一誠の左腕と鎧との差異に。

 

「その左腕……それが鎧の……! この強さの代償か!」

「ああ、そうだよ!」

 

 加速の勢いに乗せて一誠の左がライザーの側頭部に向けて振るわれる。その手に握られる十字架に細心の注意を払いながらライザーは片足を蹴り上げ、一誠の左肘部分を強打し腕を跳ね上げさせる。それでも一誠は食い下がり空いた方の右を真っ直ぐ突き出す。大気との摩擦が発生するような速度の拳を避けようともせず、お返しと言わんばかりにライザーも拳を突き出す。一誠の拳はライザーの頬にめり込み、ライザーの拳は一誠の顔面中央へと突き刺さる。

 

『Ⅵ』

 

 互いの拳の威力に顔を仰け反らせ、血が宙へと舞う。一誠の方は鎧のおかげで流血はしなかったが、ライザーの方は十字架の影響からか再生する速度は鈍り、口の端から新たに血の筋が流れていた。

 

「……俺に言った啖呵は伊達じゃなかったようだな。――怖い奴だ」

 

 口腔に溜まった血を吐き捨てるライザー。その中には白い歯も混じっていた。

 

「部長を取り戻すには安い代償だ」

 

 はっ、と一誠の言葉をライザーは鼻で笑う。しかし、その浮かぶ笑みは妙に清々しさを感じさせるものであり、不思議と一誠は不快感を覚えなかった。

 一誠は構え、ライザーも構える。

 

『Ⅴ』

 

 音声を合図に両者は再び激突する。ぶつかり合う力は閃光の様に空間内を照らし、衝突し合う拳の衝撃は観覧している悪魔たちの肌を震わせるものであった。

 一秒の何百分の一の間、一誠とライザーの攻防が繰り返される。振り下ろした拳を防ぎ、蹴り上げた足を叩き落とし、裂く肘を受け止め、突き上げた拳を撃ち返す。圧倒的な力の渦がたった数メートルという狭い間で吹き荒れる。

 やがて、秒数がⅤからⅣへと至るとき一誠は更なる切り札を用いることを決意する。

 

『Transfer!』

 

 その音声と共に一誠の右腕から何かがライザーへ向けて放り投げられる。反射的にそれを目で追ってしまったライザー。それは小瓶に入った透明な液体。

 それが何なのか一瞬判断が遅れたライザーであったが、事前に眷属から知らされた一誠の能力を思い出し、同時にその液体が何なのかを悟るが一歩遅い。一誠の繰り出す左拳がその小瓶を割り、中に入った液体が飛沫となってライザーへと降り注ぐ。

 液体が触れた瞬間、ライザーの身体から白煙が一気に噴き上がる。

 

「がぁぁぁぁぁぁぁ! くそ! 聖水なんかで!」

 

 ライザーの苦しむ声。本来の上級悪魔ならただの聖水を浴びた所で軽傷で済むが、『赤龍帝からの贈り物』の効果により高まった聖水の効果は、上級悪魔であるライザーの炎を弱らせ、その身を焦され激しく消耗させるほどであった。

 

『Ⅳ』

 

 しかし、ライザーは聖水による浄化で爛れていく顔を手で押さえながらも、その指の隙間から見せる未だ鈍ることの無い闘志を覗かせ一誠を睨みつける。

 

「フェニックスと称えられた我が一族の業火! この程度で消し去れると思うな!」

 

 弱まった筈の炎が再び炎上し、ライザーの全身を包み込むとライザー自身が巨大な業火へと変貌する。そしてその業火は形を変え火の鳥へ化すと、燃え盛る炎で形成された嘴が一誠の身体を飲み込んだ。

 

「うおおおおおおおおおお!」

 

 荒れ狂う炎の中、耐える一誠であったが押さえこんでくる力を跳ね返すことが出来ない。

 

「あと残り時間はどれくらいだ! ドラゴン使い! その時間が過ぎ去った時がお前の最後だ!」

 

 既にカウントダウンの意味を知られている。このまま時間が経過すれば一誠にとって勝ち目はない。そして更に悪い情報が内に居るドライグからもたらされる。

 

『鎧が解除されるぞ』

(な、まだ十秒経っていないぞ!)

『傷を受け過ぎて力を消耗したな。代価は十分だが弱まったお前の力じゃこれ以上の制御は出来ない。お前の基礎能力の不足だ』

 

 絶望的とも言える窮地。だが、一誠は思い出す。戦いの前に渡されたある物の存在を。

 一誠はシンから渡されたそれを取り出すと、それを握り潰してその身に浴びた。

 

 

 

 

『Ⅲ』

 

 残り時間が三秒であることを告げる音声。このまま一誠を咥えたまま時間を経過させようとするライザーであったが、その計算は内側から上下に引裂かれる火の鳥の嘴と共に崩れ去る。

 

「おおおおおおおおおお!」

 

 業火の中から現れる一誠の姿にライザーは驚愕する。確かに抑え込んでいたはずなのにそれを跳ね除ける膂力を持っていたことに。

 姿を現したと同時に一誠の右手から赤い魔力が放出される。今度回避する余裕は無くライザーは炎の密度を高め、それを盾にして一誠の放つ魔力を受け止める。

 接触と共に巻き起こる空間内全体に広がる炎と魔力の爆発。その中でライザーは一誠の魔力によって纏っていた炎を全て吹き飛ばされ、無防備な姿を晒してしまう。

 

『Ⅱ』

 

 ライザーの顔面に一誠の拳が抉り込まれる。軋む音を立てて骨が歪んでいく感触を覚えながら、ライザーの身体が空中で捩じれ舞う。

 聖水と十字架の影響で再生能力は働かず、脳髄を焼く様な痛みのみがライザーの中で蓄積していく。

 

『Ⅰ』

 

 白く染まりつつある光景の中、ライザーはゆったりと歪んでいく周りを見ながら、頭の中はそれに相反して目まぐるしく回転し続ける。婚約のこと、リアスのこと、悪魔の未来のこと、戦いの後についてのこと、などが駆け抜けていくが、ライザーが最後に思ったことは、あの炎の中で一誠がどうしてあれほどの力を出すことが出来たのかということ。少なくとも捕えた時点での感触で、一誠の力では逃れることは出来ないという確信があった。それなのにどうして逃れられたのか。

 しかし、最後まで考える暇は相手は与えてはくれず、一誠の十字架に握り締めた左拳が迫ってくるのをライザーは見た。消耗し切ったライザーにはそれを目で追うことしか出来ず、その拳が腹部に捩じ込まれていくのを見ると、体内から込み上げるものを感じそのまま血反吐を吐く。

 炎の翼は消え、落下していくライザー。そのときライザーは、一誠の手の中から何かが零れ落ちていくのを見た。透明な液体と見覚えのある小瓶の破片。

 

(あれは……『フェニックスの涙』か……!)

 

 その考えに至ったとき全てが合点した。あの炎の中で一誠は『フェニックスの涙』によって完全に回復した状態となったことで跳ね除けることが出来たということに。

 ならば、いつ一誠は『フェニックスの涙』を手に入れたのか。それについてはすぐに思いつく。

 

(あの人間か……)

 

 自分の渡した物で自分の首を絞めるというまさかの結果に、ライザーは皮肉を感じる。正直、笑いたくても笑えない結末であった。

 

「こんなことで、俺が……」

 

 最期にありったけの悔しさを込めてそう呟き、ライザーは意識を失った。

 

 

 

 

 音声が0を告げると一誠の鎧は解除される。一誠は倒れ伏すライザーが完全に気絶しているのを確認してから、異形と化した自分の左腕を見つめた。

 最期の一撃は木場からの教え、朱乃の教え、小猫からの教え、アーシアの教え、シンへの感謝、そしてリアスへの想いを込めて放ったもの。そう易々と立ち上がれるほど軽いものではない。

 

『とりあえずは勝ったか、まあ及第点と言った所だな』

 

 言葉は厳しいが楽しげな雰囲気を含んだドライグの声が内から響く。その言葉に全力を出し切って疲労し切った顔で一誠は軽く笑った。

 そのまま重くなった足を引き摺りながら一誠はリアスへと向かって歩を進める。その途中ライザーの下へ向かうレイヴェルとすれ違うが、レイヴェルは一瞬だけ一誠を睨んだ後すぐにライザーの介抱へと向かう。一誠に文句を言うことよりも兄の方が重要であることが分かる。

 一誠はそのままリアスの前に立つと疲れた様子を押し隠して笑みを浮かべる。

 

「部長、帰りましょう」

「……イッセー」

 

 差し伸べる一誠の手をリアスが取る。その状態で一誠は近くに居たリアスの父に歩み寄ると、リアスを連れていくことと、場を乱してしまったことに対する謝罪を口にし頭を下げる。リアスの父は沈黙を保ち、感情を見せることは無かった。

 一誠は続いてサーゼクスの姿を探したが姿は見えず、次に会う機会が有れば礼を言うことを心の中で誓い、グレイフィアから貰った魔法陣が描かれた紙を取り出す。

 その紙を裏返すとそこから光が発せられ、魔法陣から何らかの生物の前足が飛び出て来る。猫類の動物を彷彿とさせる体毛を生やした前足、やがて全身が魔法陣から出て来ると一誠たちの前に鷹の頭と翼に獅子の胴体を持った生物――グリフォンが現れる。

 グリフォンは頭を振って自分の背中に乗る様に一誠たちに指示し、乗ったのを確認すると甲高い声で鳴き、一誠とライザーの戦いの余波で崩れた壁から外へと飛び出す。

 

「皆! 部室で待っているからな!」

 

 グリフォンの背から一誠は手を振る。木場たちも手を振りそれを快く見送っていた。

 その光景を離れた場所でサーゼクスとセタンタが見つめている。

 

「父上のあの態度、今回の婚約の話は無かったことになったかな?」

「かもしれないな」

 

 視線を移すと、そこではリアスの親とライザーの親が何かを会話をしている。両者の表情は穏やかなもので、縁談が失敗したことへの怒りは無い様子であった。

 

「これで『赤い龍〈ウエルシュ・ドラゴン〉』は目覚めたといってもいいのかな。――『白い龍〈バニシング・ドラゴン〉』との邂逅も近いだろうね」

「……それだけで済めばいいがな」

「ああ、彼らも動き出す可能性も高いね。特にあの戦いを求める『魔人』ならなおさらだ」

 

 そう言ってサーゼクスは自らの肩に手を置く。

 かつて戦った一人の『魔人』を思い起こす度に、そこに刻まれた古傷が疼く故に。

 一度は勝ち、一度は敗け、一度は引き分けた、『魔人』の中でも最も戦いに飢えた存在。

 

「――あるいはもう既に接触しているのかもしれないな」

 

 

 

 

「おーい!」

 

 外から一誠の声がしたとき、アーシアとシンたちは急いで一誠の自宅から飛び出し外へと向かう。玄関から出るとそこには一誠と、赤いドレスを着たリアスの姿があった。

 

「イッセーさん……! 部長さん……!」

 

 無事戻ってきた二人にアーシアは感極まって涙を流す。

 

「ただいま。アーシア」

「心配かけたわね。アーシア」

「おかえり……なさい……!」

 

 涙混じりの声でアーシアはそう言うと帰ってきた部長に抱き付き盛大に泣き始める。そんなアーシアをリアスは優しく抱き締め、あやすように頭を撫でた。それをピクシーとジャックフロストは茶化すことなく黙って見ており、ピクシーは暖かい笑みでそれを見つめ、ジャックフロストは貰い泣きでもしたのか目を潤ませてそれを見ている。

 シンはそれを微笑ましく見ている一誠へと歩み寄る。

 

「勝ったか」

「ああ、お前やみんなの手助けのおかげでな」

「……付いているぞ」

 

 シンが自分の口の端を指差す。それを見て一誠は慌てて指先で自分の唇を撫でる。

 

「何だ、本当にしてたのか」

「あっ」

 

 カマを掛けられたことを理解し赤面をする一誠。自分がリアスとキスをしていたことをシンにばらしてしまったことへの照れであった。

 

「まあ、それは一旦置いとくとして、お疲れ様」

 

 シンが左手を挙げる。それを見て一誠も手を挙げるが途中で動きが止まった。

 一誠は思い出していたドライグから教えられたことを。間薙シンという人物は『魔人』という存在であることを。

 

『『魔人』をあまり信用するな。いずれは戦う運命だ』

『それに例外は無い』

『遅かれ早かれ、お前はあの間薙という小僧と戦う。それもただの戦いじゃない『殺し合い』だ。覚えておけ』

 

 ドライグの忠告を無視するつもりは無い。だが、それでも一誠は想う。間薙シンとは自分は間違いなく仲間であるという事実を。

 一誠は止めた左手を動かし、シンの左手に打ちつけ、小気味よい音を鳴らす。

 今この瞬間だけは、仲間と勝利を分かち合いたかった。

 

 

 

 

 某時刻某所。

 周囲は生い茂る木々に覆われた場所。明かりになるものは近くには無く、空に浮かび上がっている筈の月も、今宵は新月の為にその姿を隠していた。

 そんな光の無い暗闇の中、一人の青年の銀髪だけが、まるで闇の中から浮き上がっているかの様にその存在を示していた。

 

『ようやく目覚めたようだな』

「ああ、だが俺が求める力には至っていない」

 

 夜の静けさの中に木霊する二つの声。一つは青年のものであることが分かるが、もう一つの声の主の姿は見えない。

 

「もっと強く、もっと高みに昇ってくれなければつまらない。そうだろ? アルビオン」

『どう戦うかはヴァーリ、お前に全て任せる』

 

 『赤い龍〈ウェルシュ・ドラゴン〉』ドライグと対をなす存在『白い龍〈バニシング・ドラゴン〉』アルビオン。そしてその存在を封じた『神滅器』を要する現白龍皇・ヴァーリは、この先の戦いに思いを馳せ、愉快そうに笑う。

 そんな中、背後の茂みが激しく音を鳴らし、中から何かが現れた。しかし、ヴァーリは特に警戒することも無く、一瞥しただけですぐに視線を元に戻す。

 

「なんだ、ジャックフロストか」

「違うホー! 何度も間違うんじゃないホー! オレ様はジャ『ア』クフロストだヒーホー! あんなよわっちいジャックフロストと一緒にするなホー!」

 

 怒りを露わにするそれは紫の二又に分かれた帽子を被り、全身を真っ黒に染め上げた雪だるまであった。その黒い体は闇に溶け込んでおり、一般人が見たのならば赤い目と口が浮かんでいるかの様に見える。

 

「それで、何の用だ?」

「ふん! アザゼルがお前を呼んでいるから態々オレ様が来てやったんだホー! 感謝するホー! そして感謝の印にオレ様と戦うんだホー!」

 

 言い終えたジャアクフロストは挑発するように両手を持ち上げて、ヴァーリに向けて拳を振るって見せる。

「分かったよ。だが、少し遅れるとだけ伝えてくれ。こんなに静かな夜だ。あいつらもおちおちと眠ってはいない。 なあ、そうだろ!」

「その通り」

「ヒホッ!」

 

 闇に向けて声を放つと闇の中から声が返ってきた。

 

「太陽の激しい光も月の静かな光も私には少々眩しすぎる。故に今夜は戦うには良き日だ。貴公もそう思うだろう?」

 

 闇の中で最初に現れたのは白い骸骨。そしてそこから更に金糸刺繍を施された翠玉色の闘牛服と同じ装飾がされた闘牛帽子が見える。白骨の手には闇を裂くかのような銀色の剣が握られ、反対の手には鮮血の様な赤のカポーテを持つ。

 

「ちょうど倒すべき相手が目覚めて昂っていたときだ。お前が来てくれて助かったよ。お前ならそう易々とは壊れない。この衝動を抑えられるのはお前だけだ『マタドール』」

「考えることは貴公も同じか、私もこの戦いへの飢え、貴公で満たす為に来た」

 

 現在確認されている『魔人』の中で最も好戦的且つ活発的に行動しあらゆる勢力から恐れと恨みをかい、見た目の衣装から名付けられた存在『魔人マタドール』

 ヴァーリとマタドールは互いに殺意と戦意を衝突させながら一歩一歩と近付き、両者の間合いが零になるまで近づく。

 

「さあ――」

「――愉しむとしよう」

 

 たった一人の観客を前にして、白い龍と殺戮の魔人の戦いが今この場で始まろうとする。

 

 




ようやく二巻の話を完結させることが出来ました。
次は幕間を入れた後に三巻の話に入る予定です。
アニメも終わるまでに二巻の話を終えたかったですがダメでしたね。三期があることを祈ります。

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