大小二つの影が、夕焼けに照らされ石畳の上を長く伸びる。
大の方の影は老婆のものであった。老いを感じさせないその品の良い姿は、若かりし頃さぞ美人であったことを容易く想像させる。
小の影は、その老婆に手を引かれている少年のものであった。
祖母と孫。それが両者の関係であり、孫は心の底から祖母のことが好きであるらしく、手を繋いでいることに安堵と幸福の笑みを浮かべている。
手を繋ぎ、繋がる影が向かう先はとある神社であった。
人気が無く、神主も居ない神社。参拝目的ではなく、二人は本殿の中へと入っていく。
普段入れない所に入り、孫は子供らしく好奇心で目を輝かせる。
祖母は、そんな孫に向き合い目線を合わせた。
「いいかい、鳶雄」
祖母は孫――鳶雄の額に指を当て、その指で文字を描く。幼い鳶雄は、それにこそばゆさを感じたが、普段見たことが無い祖母の真剣な表情を見て、金縛りにあった様に動けなかった。
「もし、本当にどうしようもなくなったとき、貴方を救ってくれる『呪文』を教えてあげるわ」
他人が聞けば他愛のないおまじないの話かと思うかもしれない。しかし、その『呪文』を教えようとする祖母の顔は、憂いに満ちたものであった。
本当にどうしようもなくなったとき、そんな日が来ることを望まぬことを願い、同時にそれが儚い願いであると悟っていた。
気付くと鳶雄の側には赤い目の黒い大型犬が座っていた。大型犬に驚き祖母を見るが、祖母は大型犬に気が付いていない。鳶雄にしか見えていなかった。
祖母は鳶雄を抱き寄せ、囁く様に『呪文』を教える。
全てを教え終えた祖母は鳶雄から離れる。鳶雄には、その顔が泣き顔に見えた。いつの間にか傍らにいた黒い大型犬も居ない
「その『呪文』は、鳶雄から全てを奪うからね。――人を終えなきゃいけなくなるのよ」
悲し気な表情をする祖母に、鳶雄もまた悲しくなってきた。大好きな祖母にはいつだって笑顔でいてもらいたいから。
「大丈夫? ばあちゃん? どこか痛いの? 苦しいの?」
心配して尋ねる鳶雄の頭を、祖母は優しく撫でる。
「ありがとう、鳶雄。鳶雄は本当に良い子ね」
祖母の手の感触と暖かさが心地良く、暫くそれに浸る鳶雄。すると、鳶雄の足から力が抜け、崩れ落ちそうになる。
祖母は全て分かっていた様に鳶雄を抱き止めた。
「ごめんね、鳶雄。しばらくの間眠っていてね」
「遂に教えたか……」
二人しかいない筈の本殿の中に響く声。一切の感情を読み取れず、聞く者の臓腑を凍り付かせる。まるで死そのものを音へと変えた様であった。
祖母の周囲を四つの影が囲む。黒衣を纏い、異形の馬に跨る死の騎士たち。
「愚か者がっ! とっとと始末しておけばいいものをっ!」
「ヒーヒッヒッ。流れるのぉー、血が、赤い血が。その子供と、その子供がもたらすものによって」
「その子の行く先に……平穏は無い……あっても仮初のもの……いずれは失う……悪意ある者の手によってか……あるいは……その子の手によってか……」
激昂する声。嘲笑う声。乾いた声。そのどれもが魂を底冷えさせる死を孕んでいた。しかし、圧倒的且つ絶対的な死を前にしても祖母は顔色一つ変えない。
「私は忠告した。その子供が人である内に命を絶っておけ、と。その身に宿る力は、人が扱える範疇を超えている。人であるならば、その時が来るまで我々が守護しよう。だが、人で無くなり、人を仇なすモノへと成ったときは――」
「貴方方が始末する――そう言っていましたね」
祖母は鳶雄を横たわせ、四人の騎士の長を見る。
「私は鳶雄が人を仇なす存在になるとは微塵も思ってはいません。この子は誰よりも優しく、思いやりのある子です」
「それ故に異形へと堕ちることもある」
「人で無くなっても人の心を失わない。そんな子に私は育てていきます」
冷たい死を相手にしても、断固とした意思を見せる。
「ならば試そう」
長の言葉に他三人の騎士の目の無い目が向けられる。
「本気かっ!」
「ヒッヒッヒ。物好きだのぉー」
「それが……そなたの決断ならば……従うまで……」
不満を露わにする者。楽しむ者。従う者とそれぞれの反応は異なっていたが、長の決断を反対する者はいない。
「そのときが来たら、我々はその子に試練を与える。お前が言う人の心を失わずにいられるかどうかの」
「そうですか」
「簡単に受け入れるのだな」
「私は、この子が乗り越えられると信じているので」
「そうか」
黒い影が一つ、また一つと消えていく。残されるのは長の影のみ。
「会うのはこれが最期だ」
「そうですか。私は、死ぬのですね……。貴方が私の死、ですか?」
「私たちの死は、黙示録の時の人間のもの。お前は、ただ寿命で果てるだけだ」
「分かりました。教えてくれて、ありがとうございます」
「礼を言われる様なことではない」
最後まで感情を感じさせず、騎士たちの長は消える。その直後に、鳶雄は目を覚ました。
「あれ? どうしたの? ばあちゃん」
「何でもないよ、鳶雄」
◇
虚蝉機関との戦いとウツセミに関わるから鳶雄の生活は一変した。神器という力に目覚め、同じ力を持つ仲間と出会い、そして、失ったと思った幼馴染とも再会出来た。
事件を終え彼らは日常に戻った――という訳にもいかなかった。
世界の裏側を知ってしまったことで元の生活を送れなくなり、堕天使の組織である『
それによって元の高校は退学せざるを得なくなり、『神の子を見張る者』の長アザゼルが用意した学び舎へと通う予定となっている。
なっているが、それまでの間、マンションで自主勉強をしながらの待機であり、そんな生活も二か月が過ぎようとしていた。
そんなとある日の朝食。
朝とは思えない重苦しい空気が場に圧し掛かっている。
肩身が狭そうにしながら赤面している幾瀬鳶雄。彼と同じく赤面している皆川夏梅。
その様子を、パンを齧りながら見る鮫島綱生。マイペースに目の前の食事を楽しむラヴィニア・レーニとヴァーリ・ルシファー。平然としている様で動揺からか焼けたトーストに醤油を垂らしている東城沙枝。
沙枝を除く全員が神器所有者であり、沙枝もまた虚蝉機関のせいで内に神器に近い力を宿している。詳細に言えば、鳶雄、ラヴィニア、ヴァーリは、神器の更に上の神器である神滅具を宿している。
彼らは現在とあるマンションに住んでおり、共に生死を懸けた戦いを生き抜いた為に戦友という間柄であった。が、それも若干気不味い仲となっている。
ことの発端は朝、夏梅が寝ぼけて鳶雄の部屋に侵入してしまい、その現場をこの場にいる皆が目撃してしまったせいである。
何も間違いは起きていなかったが、夏梅は紗枝が鳶雄に好意を持っていることを知っている為に申し訳なさを覚え、紗枝に何度も謝罪をしていた。
「あまり謝り過ぎると、逆に紗枝さんを困らせるだけだよ、夏梅さん」
声を掛けたのはエプロン姿の男性。その容貌は、鳶雄たちよりも一回り以上年が離れている。
彼もまた鳶雄の仲間であり『マネカタ』という特殊な力を宿している。
「でも、サカハギさん……」
「夏梅さんが謝って、紗枝さんが怒っていなければこの話は終わりだよ。それに、紗枝さんは、小さい頃から鳶雄君のことを知っているだ。知っていて、そんなことをする人じゃないって知っている。二人ともちゃんと分かっているよ」
穏やかな声に自然と耳を傾けてしまう。声も雰囲気も全て紳士であり、あらゆることを何でも完璧に熟すのがこのサカハギという人物である。今食べている朝食も鳶雄とサカハギによって作られたものであった。
「うう、でも……」
「そんなことより、今日から君たちも学校だろう? ならしっかりと朝食を食べて行きなさい。何事も最初が肝心だからね」
「――分かりました」
サカハギの言う通り、これ以上続けても場の空気を更に悪くするだけと思い、夏梅も朝食を食べ始める。
「すみません。ありがとうございます」
隣を通っていくサカハギに、鳶雄は小声で礼を言う。
「君が真面目なのは知っているからね。誤解で嫌な空気のまま学校に行かせて訳にも行かないよ。ああ、それと、別に私は君たちの中でそういう事が起こっても止めるつもりは無いよ。そういうのは個人の自由だからね」
「……からかわないで下さいよー」
サカハギは微笑し、後片付けの為にキッチンに向かう。
紳士、大人という言葉を体現した様な人物、それが鳶雄の抱いているサカハギへの印象であった。
しかし、彼にはもう一つ苛烈な面が存在する。
悪に対して尋常では無い程の怒りと殺意を見せるのだ。
鳶雄は現場を見ていないが、鮫島と夏梅はそれを見ていた。
二人が堂門という虚蝉機関の人間に襲われ傷付いた際に激怒し、その怒りごと内に宿るマネカタを発露させた。
結果は凄惨なものであり、堂門は命こそ助かったがサカハギによって顔の皮を剥ぎ取られた。鮫島たちが止めなければ命も奪っていたということ。
あの紳士的な人物が、そんな残酷なことを行えることを鳶雄は信じられなかった。しかし、顔を蒼褪めさせた鮫島と夏梅が嘘を言っている様には到底思えない。
サカハギの内にどんな黒いものが眠っているのか。そう遠く無い未来に、目の当たりにする。鳶雄はそんな気がした。
◇
鳶雄たちが通うのは、『ネフィリム』と名付けられたグリゴリの教育施設であり、そこで神器の扱い方や異形についての知識など、普通の日常では得られない経験をする。
彼らを教えるのは、グリゴリの幹部であるバラキエルであり、彼の下で授業を受ける。
半月ほどその生活を送ったとき、変化が起きた。
虚蝉機関が造られた原因とも呼べる日本で最も力を持つ五つの一族、『五大宗家』である櫛橋青龍という青年と、鳶雄にとって『はとこ』にあたる人物姫島朱雀という女性と接触した。
彼女たちの情報によって夏梅と鮫島と同じ『四凶』を宿す人物の居場所。そして、彼らを追っている者たちについて知らされる。
敵は、虚蝉機関の残党と協力関係にある『オズ』と呼ばれる魔法使いの組織。
更にグリゴリを裏切ったサタナエルという堕天使が、去り際に引き連れていった部隊『ネフィリム・アビス』と呼ばれる者たち。全員が神器所有者である。
五大宗家は虚蝉機関の残党を捕縛したいという思惑と、残りの四凶を助けたいという鳶雄たちの思惑が合致し、共同戦線を張ることとなった。
そこに思わぬ乱入者が来るとは知らずに。
◇
四凶たちが追われ、身を潜めているというとある県境の山間の村に向かう一行。その道中で四凶の一人であり『饕餮』を操る
幸先よく一人目を見つけた鳶雄たち。だが――
鳶雄の相棒であり神器である『刃』が唸り声を上げる。闇夜に向けて威嚇をしていた。
「ここから離れた方がいいわ! 変な技を使う人たちと――」
詩求子の言葉を遮る様に草を踏み締める音。闇の中から誰かこちらに向かって歩いてくる。
「よお。こんばんは。幾瀬鳶雄君」
「お、お前……!」
闇から出て来たのは、鳶雄の知る人物であった。虚蝉機関本部で戦い、神器を超えた力、禁手によって斬った相手。死んだと思っていた人物が目の前に現れる。その隣に怯え切ったサングラスを掛けた少年を伴って。
「フトミミ……!」
「覚えててくれたか。嬉しいねぇ。流石、殺し合った仲だ」
「フトミミ……まさか『真似形計画』のもう一人の生き残りか!」
「その通り」
バラキエルの言葉を薄気味悪い笑顔で肯定する。
「何をしにここに来た! どうやって俺たちの動きを! それにそいつは誰だ!」
「質問するなら一個ずつにしろよ、幾瀬鳶雄」
強い剣幕で言う鳶雄を、フトミミは小馬鹿にする様に笑う。
「でも、俺は優しいから特別に全部答えてやるよ」
喉の奥で笑うフトミミ。その態度は鳶雄たちを挑発するものであったが、本能が警戒しているのか体を動かす気になれない。
「何をしに? 遊びに。どうやって? 俺は未来が視えるのは知っているだろ? そいつは誰? ああこいつのこと?」
馴れ馴れしく肩に腕を回しているフトミミが、話し始めると気の毒に思えるぐらいサングラスの少年は震える。
「こいつ、っていうかこいつらちょっと声を掛けたらいきなり襲ってきたんだぜ? 酷い話だよなぁ? でも、殺りにきたら殺り返すのは当たり前のことだよな?」
宵闇の暗さで分かりづらかったが、光を当てるとフトミミの衣服に返り血が大量に付いていることに気付く。
「お前……!」
「殺しにきた奴を殺して何が悪いんだ?」
平然と言い放つフトミミに、他の者たちは怪物でも見るかの様な目となる。形は人なのに、中身は人じゃない。理解が出来ない。
「ああ、そうそう。こいつも酷い奴なんだよ。視力を奪う呪いの像なんか使って、俺の目を奪おうとしたんだ。それもゲラゲラ笑ってよぉ……」
フトミミの手にいつの間にか短刀が握られていた。それを見て鳶雄は驚く。それは前の戦いでフトミミによって折られた『刃』の剣であった。刀身に適当に布だけを巻いた粗雑で即席の短刀。それがサングラスの上に押し当てられる。
「や、め……! やめ、て……!」
サングラスの少年は、恐怖で舌が回らず、言葉が途切れる。
「自分がされて嫌なことは他人するな、ってよく言うだろ? 身を以って知りな」
「やめろぉぉぉぉ!」
鳶雄は叫ぶが、短刀はサングラスの上を滑る。上下で真っ二つにされたサングラスが地面に落ちたとき、少年は顔を押えながら絶叫する。
「おめでとう。これで一つ御利口になったな」
目の前の残酷な行為に、紗枝、夏梅、ラヴィニア、詩求子は蒼褪め、鮫島とヴァーリ、バラキエルは不快感を露わにする。そして、鳶雄は怒りを見せ、フトミミに――襲い掛かるよりも早く動く者が居た。
炎が走り、風がうねり、氷雪が吹き、雷が轟く。一瞬で四つの魔術が同時に放たれ、フトミミを正確に狙う。
「よっと」
事前に分かっていた様に容易く回避するフトミミ。
「危ないなぁ」
「おま、えは……!」
この場で誰よりも怒り狂って見せたのはサカハギであった。怒りで形相が変わり、別人にしか見えない。
サカハギの二面性を聞かされていた鳶雄だが、ここまで変わるのかと驚く。
「あんた、見た事あるなぁ……?」
「俺も、お前を、知っている!」
記憶には無い。だが、サカハギはフトミミを見るだけで強烈な殺意が湧いてくる。殺したくて、殺したくて、堪らない程に。
フトミミもサカハギを見ると心が騒めく。湧いてくるのは劣等感と嫉妬。見ているだけでその存在を消し去りたくなる。
「殺してやる……! この悪党がっ!」
「奇遇だな! 俺もあんたを殺してやりたいと思ったところだ!」
互いのマネカタが顕現し、殺意と力を衝突し合う。
◇
サカハギとフトミミの戦いの余波によって手出し出来ない状態となった鳶雄たち。サカハギが残された精一杯の理性で当初の目的を優先するよう叫ぶと、後ろ髪を引かれながらも鳶雄たちはサカハギにフトミミのことを任せる。
四凶の最後の一人『渾沌』の
同時に、虚蝉機関の本拠地で会った『オズ』の魔法使いであり、東の魔女と呼ばれ、鳶雄と同じ神滅具を持つ紫炎のアウグスタと会い、戦闘となる。
紫炎のアウグスタ。更に弟子のヴァルブルガという少女に『オズ』に属する魔法使いたちとの激しい戦いが行われると、そこに敵味方の区別が付かない程に暴れ狂うフトミミとサカハギが乱入。
これによってメンバーは散り散りとなってしまった。
仲間を探し求める鳶雄。そこで彼はグリゴリの裏切り者であるサタナエルと会う。
そしてそこで、鳶雄は自分の神器にギリシャ神話の『リュカオン』と日本神話に出てくる『天之尾羽張』という異なる神話の神が混ぜられた神器であることを教えられた。
更に何かを言おうとしたところに姫島朱雀が現れ、二人の会話を強制的に終了させる。
鳶雄が自分の神器の特異性について知った一方で、ラヴィニアがアウグスタの術によって肉体を乗っ取られるという事態が起こる。
全員で戦うが、二つの神滅具を操るアウグスタに防戦一方。しかし、古閑の禁手、ラヴィニアを助けたい一心で至ったヴァーリの禁手、鳶雄の禁手によって憑依しているアウグスタのみを斬り裂く。
これにより、ラヴィニアも無傷で助けることが出来た。
苦しいことや嫌なこともあったが、誰も欠けることなく目的の四凶の二人を無事保護することが出来た。
任務は無事に完了したと誰もが思った。この時までは。
「さあ、試練の時だ」
「ヒッヒッヒ。四凶共はどうするかのぉ?」
「連れて行くぞっ! 四凶を扱える器かどうか知る為にっ! ダメなら殺してしまえっ!」
「見定めるか……凶つ力を持つに……相応しいか……」
「――え?」
意識を取り戻したラヴィニアが見たのは、力を使い果たした気絶しているヴァーリ。それだけ。
『おい、大丈夫か?』
ヴァーリに付けてある通信機から安否を確認するアザゼルの声が聞こえる。
「――です」
『ラヴィニか? どうした?』
「トビーたちが、居ないのです……」
『何っ!』
◇
草木生えない赤土の荒野。赤と黄が混じる雲は激しく流れ、その流れで生じる雷が荒野を焼く。
「そんなものかっ! 窮奇っ! もっと俺に力を見せてみろっ! 小娘っ!」
「いきなりこんな所に連れてきて、うるさいっつーの!」
黄金の冠を被り、弓を持つ黒衣の骸骨が、至る所に目が付けられた馬の上で夏梅を恫喝する。
真の姿となった窮奇が羽ばたき突風を起こす。しかし、骸骨が矢を番えていない弓の弦を鳴らすと、その突風は消え去った。弦の音だけで窮奇の力を掻き消してしまった。
「嘘っ!」
「こんなものかっ!」
驚く夏梅に怒声を浴びせる骸骨。
「一体何なのよぉ! あんたは!」
「俺は魔人ホワイトライダーっ! 四騎士の一人だっ!」
「よ、四騎士?」
「おしゃべりはここまでだっ! 必死で抗えっ! でなければ殺すっ!」
殺意が矢の様に夏梅を貫く。心臓が鼓動を止めたがる。全身の血が凍る様に冷たくなっていく。
そして何より、『絶対に勝てない』という言葉が絶えず夏梅の頭の中で反芻される。
彼女の感じていることは間違いではない。
四騎士の魔人は、いずれ世界を滅ぼすとき、世界の四分の一を殺す権利を与えられている。
そして、彼らは自らの象徴によって死を齎す。その死は絶対であり、王権であり、権能である。
魔人ホワイトライダーの象徴である死は『勝利』。ホワイトライダーと戦う者は、絶対にホワイトライダーに勝てない。万の武器、億の兵を以てしてもホワイトライダーより力が無ければ如何なる状況でも勝つことは出来なず、運命はホワイトライダーへ微笑む。
故に相手は、ホワイトライダーの勝利によって死を与えられる。これに逆らえるのは、ホワイトライダーを上回る力を持つ者だけ。
「もっとだっ! もっとお前の力を俺に見せろっ!」
◇
「おらっ!」
いつもの小猫からサーベルタイガー程の大きさとなった檮兀が、鮫島の合図に合わせて電撃を放つ。それを赤い馬に跨る黒衣の骸骨が大剣で弾く。
「ヒッヒッヒ! 生きがいいのぉ。戦はこうでなくては」
老人の様に笑うのは魔人レッドライダー。連続して放たれる電撃を剣一本で全て捌く。
「まだまだぁぁぁ!」
吼える様に叫ぶ鮫島。どれだけ戦いに熱中しているか分かる。分かるが、もし第三者が見たら鮫島の異変に気付いただろう。明らかに興奮し過ぎていると。
魔人レッドライダーの象徴は『戦争』。本人も分からぬうちに戦いに駆り立て、そこで流れる血、積み重ねる屍によってレッドライダーの力は増していく。
鮫島は既にレッドライダーの術中に嵌っていた。
「さて、おぬしが流す血は、どんな味かのぉー。ヒッヒッヒッヒッ」
◇
渾沌を禁手化し、鎧として纏う古閑。四凶の饕餮をぬいぐるみの様に抱き締める詩求子。
「ポ、ポッくん! 凄いお腹の音だよ!」
饕餮をポッくんと呼ぶ詩求子は、騒音同然の饕餮の腹の音に驚く。
「その腹の音は、まあ、間違っちゃいないね」
兜のせいで分からないが、古閑の顔は苦痛に歪んでいた。全身の脱力、空腹、喉の渇きが一斉に襲って来る。今も体から力が抜けていくのが分かる。
原因は、明らかに目の前にいる存在であった。
黒い馬に跨り、天秤を下げる骸骨。魔人ブラックライダー。その存在が全てを奪っていく。
魔人ブラックライダーの象徴は『飢饉』。彼が存在するだけであらゆる生命は飢え、渇いていく。そして、どんなに食べようと飲もうと満たされることは無い。
「全てが……飢える……全てが……渇く……枯れ果てる前に……我を満たすことが出来るか……」
◇
「ぐっ……あっ……!」
『夜天光の乱刃狗神』へと至っている鳶雄は、謎の高熱と悪寒、呼吸する度に起こる激痛によってまともに動けない。隣にいる『刃』もまた同様に動くことが出来ない。
そんな二人を見下ろす様に立つ蒼ざめた馬に跨り大鎌を垂らす魔人ペイルライダー。
彼の象徴は『病』であり、彼に近付く者は呪いに等しい病に襲われる。病はまた別の病となり、その肉体を壊していく。
「ここまでか?」
「何、を……!」
見下ろすペイルライダーの言葉に失望などの感情は無い。事実の確認をする様な機械的なもの。
「鳶雄っ!」
何故か鳶雄と一緒に引き摺り込まれた紗枝が、鳶雄の苦しむ姿を見て悲痛な声を上げる。
「――どうやら、お前は器では無かったようだ」
大鎌の先が鳶雄の喉に当てられる。
「契約に反するかもしれんが、後の災厄を断てるならば、その罰、潔く受けよう」
ペイルライダーの大鎌が、鳶雄の首を刎ねる――直前、ペイルライダーが炎に包まれた。
誰かの手が素早く鳶雄をペイルライダーから引き離す。『刃』も一緒に。
「お前……!」
「よお。幾瀬鳶雄君。元気?」
鳶雄を掴んでいるのはフトミミであった。
「大丈夫かい?」
「サカハギ、さん……!」
いつもの様子に戻ったサカハギが鳶雄を心配そうに見る。
「どうして……?」
「色々あるが一時休戦だ。大事な鳶雄君の一大事みたいだからなぁ」
「……本当なら今すぐにでも決着を付けたいですが、今は貴方達が優先だ」
「そこの骸骨。幾瀬鳶雄の命は先約済みだ。誰にも殺らせはしねぇ。俺以外はな」
「彼の命は誰のものでも無い。お前のでもコレのでも無い」
「コレ扱いは酷くないか?」
「言っていろ。せいぜい背中に気を付けろ。場合によっては纏めてやる」
「はははは! それはスリルがあるなっ!」
鳶雄の左右に並びながらフトミミとサカハギは憎まれ口を叩き合う。
「で? まだ戦えるよな?」
フトミミが鳶雄の顔を覗き込む。
「当たり、前だ……!」
歯を食いしばって鳶雄は立ち上がる。その意思に反応し、『刃』もまた立ち上がった。
「訳も、分からないまま、死んで、たまるかっ!」
あくまでエイプリルフールということで。本編とは設定が異なるかもしれません。