中級悪魔への昇格試験が明日に迫っていた。木場と朱乃は普段通りであったが、一誠の方はレイヴェルが用意してくれた資料を片手に頭を掻き毟りながら暗記に勤しむ。
事前に行った模擬テストは十分合格の範囲内だったが、元々、試験という言葉に苦手意識を持っている一誠はそれでもまだ不安であったらしくギリギリまで頭に詰め込めるだけ詰め込む。
珍しく勉強熱心な一誠をリアス、アーシアは微笑ましく眺める一方で構ってくれないことが寂しいのか、邪魔にならないよう一誠の集中が途切れたタイミングでやや過激なスキンシップを行い一誠の気力を高める。やり過ぎないようにレイヴェルが目を光らせているのでちゃんとメリハリをつけていた。
試験を受ける当人たちは頑張っているが、だからといって試験を受けない者たちが何もしてないという訳では無い。彼らも彼らで自主練習などをしてその日を過ごしている。
その中の一人であるシンは、昇格試験に専念している一誠たちの代わりにギャスパーと体調不良から復帰した小猫との訓練に付き合っていた。
対峙する小猫とギャスパー。体型が近い二人なので同じ目線で互いの一挙手一投足を凝視している。
「……」
先に動いたのは小猫。足音を立てないように全身の筋肉をしなやかに動かした歩法により地面を滑っているのかと錯覚する動きでギャスパーに接近する。
縮小されていたものが急に拡大されたかのように移動した小猫にギャスパーは驚き、後ろへ仰け反りながら後退。だが、退がり切る前にギャスパーの体は急停止する。
距離を開けようとするギャスパーを逃がすまいと小猫はギャスパーの腕を掴んでいた。そのまま前へ引っ張る──が、ギャスパーの腕が根元から千切れた。
無表情の小猫もこれには目を丸くする。しかし、すぐに違和感に気付く。千切れた腕や肩部分からの出血は無く、断面から覗くのは血や骨ではなく影のような黒。
気付いた途端、小猫が掴んでいるギャスパーの腕が蠢き、大小様々な蝙蝠となって小猫の手から逃れる。
ヴァンパイアらしい体を蝙蝠化させる能力で小猫に一杯喰わせたギャスパー。これでも小猫の目からして驚きの成長だが、成長にはまだ続きがある。
小猫の手から離れた蝙蝠たちは、小猫の顔に飛び掛かり彼女の視界を奪う。群がってくる蝙蝠をすぐに手で払い除ける。遮られていた視界が広がるとさっきまで居たギャスパーの姿が見当たらなかった。
蝙蝠化による回避から相手に自分を見失わせるまでのスムーズな繋がり。『僧侶』という特性上接近戦は苦手な筈のギャスパーが『戦車』の小猫を出し抜く。
ギャスパーを見失ってしまった小猫。そのとき、彼女の聴覚が微かな音を捉える。靴が擦れる小さな音。それは力を入れる為に地面を踏み締めた為に発せられたもので、その音から相手は攻撃態勢に入ったことが予測出来た。
小猫は音を頼りに背後へ腕を揮う。相手を牽制する為に放ったものだったが──
「ふぎゃっ!?」
──丁度そのタイミングでギャスパーが突っ込んできており、顔面中央にその拳が入った。自分から小猫の拳に殴られに行くという何とも器用な自爆を見せながらギャスパーは仰向けに倒れていく。
「……」
小猫は困惑した様子でトレーニングを見守っているシンの方を見た。シンは呆れたように小さく息を吐く。同じく観戦していたピクシー、ジャックフロスト、ジャックランタンはケルベロスの上でケタケタ笑っていた。
「休憩だな」
シンのその言葉でトレーニングは一旦中断され、休憩に入る。
「あうぅぅ……」
ギャスパーの顔にシンの手が翳され、その手から放たれる治癒の光によりギャスパーの鼻の赤みが薄れていく。治療中ギャスパーは情けない声を洩らしていた。
「回避は良かったが、攻撃はまだダメだな」
「はいぃぃ……全然ダメでした」
近接戦でもある程度戦えるようになるのがギャスパーの目標なのだが、回避の方はシンが言うようにヴァンパイアの能力を使うことでいい線をいっているが、攻撃の方はまだ腰が引けていた。
さっきも小猫の背後に回り込んだまでは良かったのだが、一瞬攻撃を躊躇してしまったことで自爆という残念な結果に終わってしまった。
「まあ、塔城に一杯食わせただけでも上等だ」
「で、でも、あ、あれは偶々ですぅ。小猫ちゃんの体調もまだ良くなかったみたいですし……」
シンが褒めるとギャスパーは謙遜しつつ、小猫の体調が万全でなかった為だと小猫をフォローする。すると、小猫は何故かギャスパーの頬を摘まんだ。
「こ、小猫ちゃん?」
痛みは無いが急な行動に驚くギャスパー。小猫を見ると彼女は少しだけ頬を膨らませていた。
「……ギャー君、良く見えている。……生意気」
小猫が膨れっ面になっている理由が分からずギャスパーは困惑してしまう。
「確かに動きにキレがなかった。鈍ったな、塔城」
シンも小猫が病み上がりで動きに精細さを欠いているのが分かっていた。だが、それは小猫の動きが良く見えているからこそ分かること。以前のギャスパーならば気付かなかったことであり、ギャスパーが戦う者としてレベルアップしていることが良く分かる。
小猫がギャスパーの頬を摘まんだのは、ギャスパーが成長していることへの喜びと若干の嫉妬が混ざった故の行動である。
「……すぐに取り戻します」
ギャスパーの頬を引っ張るのを止め、真剣な表情でシンに決意を伝える。
小猫は少し焦りを覚えていた。肉体が未成熟な段階で発情期に入ったのは、一誠の周りに女性が増えそれに焦燥感を覚えたからであったが、その間の不調の間にシンとギャスパーがそれぞれ新しい段階に入っていることにまた焦燥感を覚える。
ギャスパーは先程のトレーニングで分かるように接近戦の技術が確実に上がっている。シンと早朝特訓している成果が出ており、小猫との差を徐々に縮めてきている。
シンの方は今まで見せたことがない治癒能力を使っている。戦闘だけでなく補助まで出来るとなるとこれからの戦いで更に重宝されるだろう。
小猫の長所は腕力と耐久力だが、それは『戦車』の特性によるもの。猫魈として気の扱いや仙術などの特長があるが、小猫自身はまだ未熟と思っている。
迷惑を掛けた分役に立って汚名返上をしたい所だが、それを行うにはまだ力が足りない。
もっと特訓の量を増やして自分を追い込まないといけない、と考えたとき小猫は視線を感じた。
ギャスパーの治癒を終えたシンが無言で小猫を見ている。そして、無言のまま人差し指と親指を開閉させるジェスチャーを見せた。
そのとき、小猫の頬に過去の痛みが走り反射的に頬を押さえてしまう。
焦りのあまり一人で無理をした挙句に倒れてしまったときの記憶とそのときに受けたシンのお仕置きの痛みが鮮明に蘇ってくる。
シンは小猫が何を考えているのかを読んで牽制をしてきた。
「……一人で突っ走ったりはしません」
あのときのことはちゃんと反省していることを伝えると、シンはジェスチャーを止める。
二人のやり取りを見ていたギャスパーは首を傾げる。現場を見ていた訳ではないのでシンのジェスチャーが何を意味するのか分からずにいた。
「……でも、これ以上迷惑を掛けたくないんです」
周りは気遣ってくれる。しかし、その気遣いの分小猫は申し訳ない気持ちになる。恩に報いるにはどうしたらいいのかと考えると、やはり鈍った分以上の力を付けて皆を助けたいという答えしか出なかった。だが、生憎小猫の気、仙術などはリアスたちやアザゼルにとって専門外であり、技術と知識を深めるのは困難だと思われた。
「……少しでも早く強くなりたい」
「ぼ、僕も手伝いたいけど……小猫ちゃんの役に立つにはもっと専門的な知識が必要だよね……」
「……専門的?」
そこで小猫は気付き、渋面となる。
「ご、ごめんなさいぃぃぃ!」
小猫の表情が変わったのを見て、ギャスパーは自分の発言が彼女の気分を害したと思い即座に謝る。しかし、それはギャスパーの早とちりである。
「……大丈夫。寧ろ、ありがとう」
「へ?」
小猫から逆に礼を言われてギャスパーは困惑した。
ギャスパーの言葉からヒントを得た小猫。しかし、彼女は渋面のまま動かなくなってしまう。何か迷っている様子。
「ど、どうしちゃったんでしょう?」
「さあな」
シンは何となく察していたが、何か言うつもりは無い。
「ほらほら~。もう休憩はいいでしょ~」
ジャックランタンがトレーニングの再開を急かす。
「ヒホ! 次はオイラたちとだホ!」
「やっちゃうよー」
ケルベロスに跨った状態でやる気を見せるピクシーたち。乗り物にされているケルベロスは何とも言えない表情をしている。
「ピ、ピクシーちゃんたちとですか? 一体どんな?」
「追いかけっこ」
「追いかけっこ?」
遊びの延長線上でやるトレーニングかと思ったが、次の瞬間牙を剥き出しにしたケルベロスの顔を見てその甘い考えはすぐに吹き飛んだ。
「走レ。噛ミ砕カレタクナケレバ」
「ひ、ひぃぃぃぃぃぃ!」
その言葉に走り出すギャスパー。一秒程間を置いてからケルベロスが後を追い掛ける。
「グルルルル! ノロマガ。丸カジリニナリタイノカ?」
ガチガチと牙を鳴らしながらギャスパーを追い詰め、ギャスパーも迫る恐怖に叫びながら全力で逃げ続ける。
体力が尽きる寸前まで終わらない地獄の体力作りトレーニングが始まった。
「速い速ーい!」
「ヒッホー!」
「頑張れ~」
ケルベロスの背に乗っているピクシーたちがはしゃぐ。ギャスパーにとっては地獄だが、ピクシーたちからすれば遊びの延長線らしい。
「……先輩。私、行きます」
「そうか」
決断した小猫にシンは、何を決断したのか追及することはせずその一言で済ませる。
「……ギャー君のことは任せました」
「死ぬことはないから安心しろ」
それに近いことにはなるのか、という疑問が生じたが小猫はシンを信頼してこの場を去る。
「ひぃぃぃぃぃ! 死んじゃいますぅぅぅぅ!」
ギャスパーの悲鳴を背中で聞きながら。
◇
「にゃ?」
一誠宅のリビングでくつろいでいた黒歌は、ジッと自分を見ている小猫に気付き、ソファーから体を起こす。
「白音の方から来るなんて珍しいにゃん」
黒歌は小猫を揶揄うように笑うが、小猫の方は渋い顔をしたまま何かを言い掛け、口を閉じ、また口を開くという動作を繰り返す。
黒歌は小猫の奇行に首を傾げる。
「あの……お邪魔なら席を外しましょうか?」
フェンリルを傍に従えているルフェイが空気を読んで二人きりにしようとする。
「……大丈夫です。すぐに済みます」
「そ、そうですか……」
本当は場違い感があったので逃げようとしていたのだが、小猫自身に逃げ道を塞がれてしまった。
「さっきから何がしたいんだにゃん? 言いたいことがあればさっさと言うにゃん」
痺れを切らした黒歌が急かす。小猫は眉間に深く、深く皺を刻んだ後、覚悟を決める。
「……い」
「え? 何て言ったにゃん?」
黒歌の猫耳ですら拾えない小さな声。思わず聞き返してしまう。
「私に……」
「私に?」
「……仙術を教えて下さい」
「……はい?」
小猫から仙術の教えを乞われるという予想出来なかった事態に黒歌は固まった。自分でも今の姉妹仲は最悪だと分かっているのに、小猫の方から歩み寄ってくるような発言に黒歌は動揺してしまう。
「きゅ、急に何を言い出すのよ……」
語尾をつける余裕もなく動揺を隠せないまま小猫の真意を問う。
「……」
「……」
互いを見合うが言葉が出て来ない。言いたいことがある筈なのに素直になれずもじもじしている。離れるタイミングを完全に失ってしまっていたルフェイは実に気不味そうに二人の様子を見ていた。
その傍で座っているフェンリルは、沈黙している一同を『何をやっているんだ、こいつらは……』という呆れを含んだ眼差しで静観していた。
◇
試験当日。一誠たちは駒王学園の制服に身を包み、兵藤家の地下に集まっていた。最早、制服がユニフォームと化しており、レーティングゲームなど気合が必要な場面で着ていると気持ちが引き締まるとのこと。
試験会場となる昇格試験センターには一誠、木場、朱乃、レイヴェルの四人が向かう。リアスとアザゼル、数名の部員もまた冥界まで付きそうとのこと。
居残りとなるのはシンとその仲魔たち。外出が出来ないオーフィス、黒歌、ルフェイ、そして事情により不在のギャスパーである。
「お前は付いて来ないのかよー、薄情だなー」
居残ることを告げたシンに一誠は不満を言う。
「俺に応援されたかったのか? そんなに心細いのか?」
「そこまで言ってねぇよ」
「ならさっさと行け。寂しがり屋」
シンに軽くあしらわれ、一誠は悔しそうに表情を強張らせる。
「こっちのことは任せたぞ。オーフィスから目を離すな」
アザゼルが来て、オーフィスのことを頼む。
前回の乱入はオーフィスの興味対象である一誠とシンが同じ場所に居たことが原因だと判断したアザゼルは、今回シンの方をオーフィスの傍に置いておくことにした。
「何かあったらすぐに連絡しろ」
「──対処出来るんですか?」
「……全力は尽す」
アザゼルの何とも頼もしい発言。眉間に皺が寄らず、目が逸らされていなければもっと頼もしかったであろう。
「あれ? そういえばギャスパーはどうしたんですか?」
キョロキョロと見回し、一誠はギャスパーの不在に気付く。尊敬している先輩たちの出発に姿を見せないのは、ギャスパーの性格からして不自然なので当然の疑問であった。
「あいつなら一足早くここで転移して、グリゴリの神器研機関に行ったよ」
ギャスパーが一人でそんな場所へ向かったことに一誠は驚く。シンは昨日の時点でギャスパーから話を聞いていた。
「お前、知ってたのか?」
「ああ、直接聞いた」
シンがギャスパーと昨日トレーニングをしていたのを一誠は知っている。
「言えよー」
「ギャスパーなりにカッコつけたかったんだ──汲んでやれ」
ギャスパーが一誠と顔を合わせず一人でグリゴリの研究機関へ向かったのは、次に会うときに一回り大きくなった自分を見せたいという思いなのかもしれない。
「お前は知ってんのになー」
自分とシンとの差に少し不満を見せる。可愛がっている後輩なだけにシンの方に心を開いている感じを若干嫉妬している。
「礼儀みたいなものだ。あまり気にするな」
トレーニングに付き合ってもらっているシンに対して何も言わずに行くのは失礼と思ったのか、昨日のトレーニングの終わりに研究機関に向かうことを教えられた。
『待っていてください! グレモリー眷属として恥じない男子になってきます! リアス部長やイッセー先輩たちを守れるぐらいに強くなってきます!』
あのときは普段の気弱なギャスパーではなく決意に満ち、男らしい表情と意気込みを見せていた。
「──まあいいや。ギャスパーも頑張っているんだから、俺も頑張らないとな。せめて昇格試験に合格しないと格好がつかない」
後輩の頑張りに触発され、一誠もまた試験に対して気合が入る。
「合格したら夕飯ぐらいは奢ってやる」
「その言葉、忘れるなよー」
素っ気無いがシンらしい応援を貰い、一誠はニヤリと笑いながら転移魔法陣へ向かう。
「待って」
そんな一誠をリアスは引き留め、傍に寄ると一誠の頬にキスをする。
「おまじないよ。貴方なら必ず合格するわ」
恋人らしい激励を送ると、一誠のテンションは即座に最高潮へ達する。
「はい! 必ず合格します! そ、そしたら……デートしましょう!」
勢いに任せてデートの申し出までする。
リアスは急なデートの誘いに一瞬目を丸くしていたが、すぐに満面の笑みになって頷いた。
「ええ。しましょう、デート。約束よ」
一誠は仰け反りながらガッツポーズをしている。最高潮かと思われたテンションにはもう一段階上があり、既に合格したかのようなはしゃぎっぷりである。
「おうおう。人前でイチャイチャしやがって。あれ、どう思うよ?」
「未だに二人でデートに行っていないことに驚きました」
「だよなぁ? スケベな癖に奥手って何狙いって話だよ」
「そこ! うるさいぞ!」
シンとアザゼルに茶化され、一誠は顔を赤くしながら怒鳴る。リアスと恋人関係になりそれなりの日数が経つのにまだデートへ行っていないことを指摘されての羞恥から。
周りはそんな彼らのやりとりに苦笑していた。
「ほら。さっさと行って、さっさと合格して来い。デートプランを考える時間を確保する為にな」
「はいはい! 分かりましたよ!」
照れを誤魔化すように大声を出し、木場たちが待っている魔法陣に入る。転移の光に包まれて一誠たちは昇格試験センターへ送られた。
魔法陣が空くと今度はリアスたちが魔法陣へ移動。冥界に付いてくが会場までは行かず、センター近くのホテルで試験終了まで待機する予定である。
これは他の受験者に配慮してのこと。
名門のグレモリー家であり魔王の妹であるリアスの知名度は勿論のこと、一誠もおっぱいドラゴンとして知名度は爆発的に広がっている。二人が恋愛関係なのは、衆目の前で告白したので周知の事実。その為、二人の熱愛報道を巡ってマスコミ関係が常に動向を探っている。
今回の試験も既に大勢のマスコミがセンターに待機しているという事前情報が入っている。未来を左右する大事な昇格試験で騒ぎを起こしたくない為の行動である。
「──さてと。そろそろ行きますか」
「何処へ?」
「……もう驚かなくなってきたな。……嫌な慣れだ」
何の予兆も無く現れたオーフィスに、アザゼルは達観したような、全てを諦めたような表情をしていた。
「オーフィス。お前は留守番だ。遊び相手はシンや黒歌たちがしてくれる」
「分かった」
「この前みたいに急に来るなよ?」
「分かった」
「……本当に分かってんだろうな?」
「我、契約は守る」
アザゼルはオーフィスの目を見る。深淵やブラックホールを彷彿とさせる底の見えない瞳。アザゼルのような若造如きではオーフィスのポーカーフェイスから嘘か誠かなど読み取れる筈がなかった。
「因みに何かやりたいことはあるか?」
「トランプ」
オーフィスは手に持っているトランプを見せる。
「そうかい。ババ抜きでもポーカーでも七並べでも好きなだけやりな。遊び相手もちゃんといるしな」
「そうする」
オーフィスはシンの許へ行き、トランプをシンに差し出す。
「我、トランプで遊ぶことを所望する」
シンはそれを受け取り、オーフィスの望み通りにする。
「ああ。分かった」
すると、彼女は音もなく跳び上がり、シンの背に飛び乗る。背負って連れて行けとのこと。
一見すると微笑ましい。しかし、オーフィスの正体を知っている者たちからすれば、自分がもし同じ立場になったとしたらと想像するだけで胃が痛くなる光景である。大量破壊兵器を背負っているのと変わらない。眉一つ動かさないシンを見て、他の者たちは改めてシンの胆力の強さを知る。
定位置のように乗っかってきたオーフィスに溜息を吐き、背中にぶら下げたままシンはオーフィスを連れて行くのであった。
◇
光が消えると一誠たちは既に昇格試験センター内部に立っていた。
「ようこそお出で下さいました。リアス・グレモリー様の御眷属の方々ですね? 話は伺っております」
転移直後の四人を待ち構えていた正装の悪魔。昇格試験センターのスタッフである。
「確認致しますので身分を証明出来るものを御呈示下さい」
ここで呈示するものは二つ。推薦状とグレモリー眷属の印である。一誠は出発前に渡されていた推薦状と印を見せる。印はある魔物の骨を手の平に収まるぐらいにカットし、円形に薄く削り、紅色でグレモリーの紋様が描かれている。グレモリーの魔力が込められているので偽装不可の代物である。
スタッフはその二つを確認すると三人を奥へ案内する。
昇格試験センターはグラシャラボラス領にあるもので、魔王の一人であるファルビウム・アスモデウスを輩出した家である。
冥界各地にも昇格試験センターがあるが、その中でも最も権威があったのはアジュカ・ベルゼブブの御家であるアスタロト家の昇格試験センターであった。
だが、アスタロト家はディオドラの件で失墜。アジュカのおかげで辛うじて最悪の事態は免れたが周りの目は依然として厳しい。今回のグラシャラボラス領の試験センターが選ばれたのもそれが大きく影響している。
魔王を輩出した名門の名も堕ち、今後魔王候補を出す権利も失ってしまったので地道に汚名を返上するしか名誉を回復する方法しかない。
ディオドラが人前に現れることは今後永遠に無いが、その名が風化するその時までアスタロトはじっと耐えるしかないのだ。
シンプルだが丁寧な内装の通路を抜けた先、受付の窓口に到着する。広い空間だが、それに反して受験者と思われる悪魔の数は少ない。広い場所なので余計にガランとした印象が強まる。
スタッフの説明で窓口にて必要書類事項の記入と受験票の受け取りを行う。それが終わると上階にある受験会場へ向かうこととなる。試験は第一部が筆記で第二部が実技が行われる。
一通りの説明を終えるとスタッフは去って行く。
「何か思ったよりも受験者の数は少ないな」
来る前は受験会場には他の悪魔がひしめき合い、それぞれが牽制して火花を散らしている、というマンガで見たようなイメージがあった。実際はそれぞれ受験対策に忙しく目すら合わせていない。
「そりゃね。昇格試験に挑める悪魔なんて今の冥界では少ない方だよ」
「きっと上級悪魔の試験会場はもっと閑散としていると思いますわ」
「近年は大きな戦争もありませんので、悪魔稼業の契約で大きな契約をとるか大量の契約をとるか、レーティングゲームで大きな活躍をしない限りは推薦されません」
昔みたい戦いで手柄を上げること出来なくなり、その代わりがレーティングゲームになるのは自然の流れ。そんな中で『禍の団』のテロを何度も防いだ功績で昇格試験に推薦された一誠たちは異例である。
「ふーん。そう考えると俺たちって結構特別なのか?」
「その通りですわ!」
一誠の呟きでレイヴェルのギアが何故か一段階上がる。
「特別故に是非とも間薙様にも受けて欲しかったです! 異例は何度も起きないというのに……! 勿体無い!」
昇格試験を蹴ったシンへの不満をレイヴェルがここでぶちまける。今更ここで言っても仕方がないことは承知しているが、それでも折角、魔王からも特例を認められているのに辞退したことは、レイヴェルにとっては不満しかなかった。
「まあ、落ち着けって……」
レイヴェルを宥める一誠。レイヴェルはハッとした表情になり、すぐに赤面する。
「……私、記入する書類を取ってきます」
取り乱してしまったことを恥じ、逃げるように受付の窓口へ行ってしまった。
(うーむ……いまいち性格が分からん)
レイヴェルがマネージャーになってからそこそこの日付が経つが、今でもレイヴェルの性格を把握出来ない。最初のときは如何にも嫌味なお嬢様であったが、次に会ったときには大分しおらしくなり、会う度に態度が軟化しているどころか、こちらに対してかなり敬意を払ってくれる。だが、時折今のように爆発するので面喰ってしまう。マネージャーとしては非常に優秀なのだが。
「そうだ。試験前に君に言っておきたいことがあるんだ」
「なんだよ、改まって」
「君に出会えて良かった」
木場のストレートな言葉に一誠は固まり、朱乃は「あらあら」と言って微笑を浮べている。
「……お前ってそういうこと平気で言うよな」
「誰にでもではないさ。特別な人だけだよ?」
「いひぃ! やめろって!」
嫌そうな表情をしながらわざとらしく身震いする一誠。木場は一誠の反応に普段は見せない子供のような笑みを見せる。
「ははは。でも、紛れもない本音だよ。君や間薙君が居なかったら、きっと僕はここに居なかった」
「そうか? 十分な強さは持っていただろう? 遅かれ早かれ昇格していたと思うぞ?」
「いや、きっとそんなモチベーションなんか無かっただろうね。尊敬する友達に恥じないように、肩を並べていられるように、ってなれたのは君たちの戦い──生き様を見たからさ」
木場はかつての自分を振り返り、心からそう思う。打倒エクスカリバーに暗く燃えていた木場は一誠程に熱く生きることは出来ず、シンのように冷静沈着に生きていなかった。中途半端な自分にとっては対極に生きる一誠とシンが眩しく見えた。
噓偽りの無い木場からのストレートな好意に一誠は視線を置き所に困り、挙句明後日の方を見ながら答える。
「そう言われても良く分かんねぇよ。まあ、その……俺も一緒に合格したいと思っている。……ダチだしな」
友達は居るが、木場のようなタイプの友達は初めてなのでどうしても照れの方が先に来てしまい最後の方は若干小声になっていた。しかし、それでも今の一誠が出来る最大の誠意は伝えた。
「勿論。どうせなら最上級悪魔まで目指そう。君が『兵士』最強になるなら、僕は最強の『騎士』になる。……間薙君も一緒だったら最高だね」
「あいつ、悪魔じゃないけど何を目標にするんだ?」
「うーん……人間最強とか?」
「いいねぇ。間薙も巻き込んで冥界に俺たちの名を轟かせてやろうぜ」
大きな目標を掲げ、友情を深める二人。自然と互いに手を差し出し、握手を交わしていた。
そこに朱乃の手も重ねられる。
「うふふ。熱い友情ですわね。でも、仲間外れは無しですよ?」
「ええ! 皆で合格しましょう!」
中級悪魔になることを誓い合う三人。その様子を少し離れた場所で眺めているレイヴェル。既に書類を受け取っているのだが、グレモリー眷属たちの熱い友情を目撃して頬がだらしなく緩んでしまい、暫くの間ニマニマしてしまう顔を元に戻そうと頬を捏ねていた。
◇
受付を済ませ、二階の筆記試験会場へ向かう一誠たち。レイヴェルは一階でそれが終わるまで待機している。
長机が並ぶ大学の教室のような筆記試験会場に着くと早速受験票に割り当てられた番号の席に座る。一誠は「012」、木場は「011」、朱乃は「010」なので三人並んでいる。
一誠たちが着席すると周囲の受験者たちがざわめき出す。
「あれってグレモリー眷属だよな?」
「聖魔剣の木場に雷光の巫女の姫島……赤龍帝の兵藤か!」
「いや、おっぱいドラゴンの兵藤だろ」
「ああ、そうだった」
『がはっ!?』
赤龍帝ではなくおっぱいドラゴンに訂正され、尚且つそちらの方が正しかったという反応をされ、ドライグが一誠の脳内で喀血したような声を上げる。
フォローをしたいところだが、一誠も筆記試験を前にその余裕が無く、ドライグには悪いが耐えてもらうしかなかった。
レーティングゲームで冥界を騒がせたり、おっぱいドラゴンとしてテレビに出たりなど有名になっているので、周りの視線も嫌でも惹きつけてしまう。
注目されているということは、一挙手一投足を観察される。リアス・グレモリーの眷属として恥じないよう振る舞うべきだと一誠は思い、表情と心を引き締める。
「あんまり肩肘を張らない方が良いと思うよ?」
「普段通りが一番ですわ」
気を張る一誠に木場と朱乃がアドバイスを送る。二人は平常運転だが、その状態でも見るからに凛としている。
「こういう所ではそれが一番難しいんだよなぁ」
試験の空気に若干呑まれていることを一誠は自覚する。気負っているのは自分でも分かるが、一度引き締めたものを中々緩めることは出来ない。
筆記試験開始までの間に無駄な緊張感を取り払おうと気分転換で周囲を見回す。受験者の大半は元人間と思われる転生悪魔。だが、獣人や妖怪、魔物といった人外の転生悪魔も少数ながら居る。合計数は四十人前後とそれ程多くはなく、教室が広く感じる。それだけ狭き門という証明でもあるが。
多種多様な面子だが誰もが筆記試験対策をしている。ここから数分後には全員が筆記用具を握り締めて試験に挑む姿を想像すると思いの外シュールな光景が浮かび上がってくる。
そんなことを考えていると試験官が入室してきた。
「では、まずはレポートの提出からお願いします」
来た、と一誠は心の中で叫ぶ。試験対策の中で一誠が最も苦戦したのがレポート作成である。
予め与えられたテーマについて自分なりの見解を書き示すのだが、悪魔文字が苦手な一誠は辞書片手に悪戦苦闘。読書感想文すら真剣に書いたことがないこともあり、二重の苦しみであった。
出来上がったレポートは、レイヴェルに渡して添削してもらうのだが、初めて書いたレポートが文章の頭から文末まで赤い修正線で書き直されていたのを見たときは唖然とし、レイヴェルに笑顔で「書き直してください」と言われて止めを刺されたのを覚えている。
そこから何度も練習をし、書き直す度に赤い修正線の本数を減らしていった。そして、最終的には修正されなくなった。
今の一誠の手元にあるのは一誠の努力が最も形になったもの。一誠は少し誇らしげにレポートを提出する。
「時間です。開始してください」
レポート提出後、予定時間となり試験官が開始の合図を出す。受験者は渡されていた試験用紙を表に返し、テストが始まる。
一誠は猛勉強の甲斐もありスラスラと止まることなく回答出来ていく。自分でも勉強の成果が出ていることに内心驚きと喜びを感じながら書き進めていくのだが、その動きが突然止まった。
基本問題を解いた先にある社会学の問題。それは最近冥界で起こった出来事などが問題となっている。
『禍の団』に関する問題があり、そこではクーデターに関わった悪魔の名が問題になっていた。一誠は苦虫を嚙み潰したような表情をしながらディオドラ・アスタロトの名を書く。
その次は『乳龍帝おっぱいドラゴン』の問題。当事者なので一誠にとってはサービス問題であった。
難問だったのは『マジカル☆レヴィアたん』の問題。第一クールに登場した敵幹部の名前を答えよ、というファンしか知らないようなマニアックな問題であった。殆ど見たことがない一誠に答えられる筈もなく、空白になってしまう。
続いても『マジカル☆レヴィアたん』に関わる問題であり、一誠は頭を抱えたが問題を読み進めていくうちに表情が明るくなっていく。
問『マジカル☆レヴィアたん』に登場したことがある著名な人物の名を挙げよ。
一誠は迷う仕草を見せた後、回答に『間薙シン』と書いておいた。
◇
筆記試験が終わればいよいよ実技試験となる。場所も体育館のような会場へと変わる。
制服から動きやすいジャージに着替えた一誠たち。他の受験者も各々が動きやすい服装に変わっていた。
会場で軽く運動をして体を解していると試験官が現れて時間を告げる。
全員が集まると実技試験についての説明を行った。
試験は総合的な戦闘力を見るものであり、負けても即失格にはならない。
武器の使用は許可されているが、対戦相手を死亡させた場合は失格。事故による死亡の場合は試験官の是非によって決まる。
色々と説明をされているが、ようは中級悪魔に相応しい戦い方を見せるということ。
説明を終え、対戦相手の組み合わせ抽選が始まる中、一誠は木場に小声で訊ねる。
「なぁ……良い試合を見せろって言ってたけど具体的に何を見せればいいんだ……?」
「うーん……改めて聞かれると難しいね。まあ、いつも通りのイッセー君を見せたらいいんじゃないかな?」
「俺、ゴリ押しとか殴り合いばっかで魅せる戦い方とかしたことないんだが……?」
「それも突き抜けてしまえば魅せる戦いになりますよ?」
「本当ですか……?」
今までがむしゃらに戦って来た一誠には第三者から評価される戦い方というものがどんなものなのかはっきりと分からないので二人のアドバイスも半信半疑。心の準備が出来ないまま抽選の順番が回ってくる。
抽選用の箱から引き抜いた玉には『4』という数字。木場は『26』、朱乃は『32』。番号がそのまま試験の順番なので同じ眷属同士で戦うことはなく、ひとまず安堵する。
そんな安堵も束の間、一誠の番号を呼ばれた。
「は、はい!」
試験官に言われるがまま魔力で描かれたバトルフィールドへ向かう。
「頑張って」
「イッセー君なら大丈夫ですわ」
「おう!」
仲間からの応援を受け、一誠はバトルフィールドに入る。
一誠の相手は中肉中背の見た目は普通の男性。特にこれといったものは感じない。だが、同じ中級悪魔を目指す者同士、油断は出来ない。
「どちらも準備は大丈夫ですか?」
試験官の最終確認に一誠と対戦者は頷く。
「それでは始めてください!」
開始の合図と同時に一誠は『赤龍帝の籠手』を装着。いつもの流れならばここで禁手化のカウントダウンを始めるが、アザゼルから使用禁止を言い渡されているのでやらない。
神滅具を装備した一誠がまず真っ先に行ったのは相手を見ること。対戦相手の表情は強張っており、過度な緊張をしている。一誠も緊張はしているが、動きを制限する程ではない。寧ろ、普段よりも早い鼓動のせいで四肢の末端まで血が巡り、体が温まっている感じがしていた。
対戦相手が緊張を振り解くように先制攻撃。手から大きな火球を放つ。
(相手は『僧侶』か『女王』か?)
魔力による攻撃を見て相手の駒を予測する一誠。攻撃が迫っていても思考に乱れがなく、如何に実戦に対する慣れを見せていた。
(ここはなるべく引き付けて……)
すぐに回避するのではなくギリギリまで待つ。最初の倍化までの時間を稼ぎつつ、相手に一誠の次の行動を見せない為でもある。
火球があと一メートルまで来た所で地面を蹴り、横へ滑るようにして回避。
対戦相手は一誠の動きを見てギョッとしたように目を剥く。対戦者の視点では命中したかと思ったいつの間にか躱されていた。
一誠の動きを見て対戦者は出し惜しみを捨て、その体から冷気を発する。冷気は宙で一箇所に集まり、氷の巨鳥と化す。
「『
相手も切り札である神器を発動。それに加えて魔力の火球による攻撃も行う。
対戦者が全力で来た。一誠もまたギアを上げる。
「『女王』にプロモーション!」
この試験では『兵士』は『王』の許可が無くともプロモーションを特例として認められている。『悪魔の駒』の作成者であるアジュカ・ベルゼブブでなければ再現出来ない技術。
『女王』にプロモーションしたことで一誠の力が底上げされ、先程よりも鮮明に相手の攻撃が見え、迫っている火球の揺らぎすらも一誠の目は捉えている。
一誠は先程とは違い、火球を避けつつ前へ前進。間髪入れずに氷の巨鳥が来ているが一誠は速度を緩めることなく直進する。
前へ突き進む一誠に対戦者は目を剥く。だが、この後対戦者はもっと驚くこととなる。
一誠は氷の巨鳥から目を離さない。そして、氷の巨鳥と地面の間に人一人通れる程の隙間がまだあることに気付いた。
このまま氷の巨鳥が高度を下げればその隙間は無くなる。
そこから一誠の判断は迅速だった。
脚に力を込め、速度を上げて自分から氷の巨鳥へ突っ込む。氷の巨鳥と接触する間際、速度を維持したまま体を低くし隙間に滑り込む。頭上を巨鳥が通過すると同時に低くしていた体勢を戻す。
「す、すり抜けた!」
一連の流れをスムーズ且つ素早く行ったことで対戦者にはそのように見えていた。
(うわっ、つべて!)
一誠はジャージ越しに伝わってくる冷たさに身震いする。避けはしたが、巨鳥と一瞬触れてしまっておりジャージの背中には薄い氷が張っていた。
(間薙や木場だったらもっと上手く避けるんだろうなー)
そんなことを頭の片隅で考えながら一誠は対戦者に接近する。
「くっ!」
対戦者は距離を詰められるのを嫌がり、離れようとしていた。一誠はこの時点で対戦者は『僧侶』だと確信する。
(外れたらそのときはそのときだ!)
一誠らしく割り切った後、『赤龍帝の籠手』が告げる。
『Boost!』
一回目の倍化。一誠の能力が倍になり、距離を詰める速度も上がる。
「速い!?」
一誠の速度に驚愕しながら対戦者は二匹めの氷の巨鳥を創り出そうとする。
(させるか!)
地面を強く踏み付け、割れる勢いで後ろへ蹴る。低く速い跳躍により一誠は対戦者の目の前まで移動する。
「くっ!」
踏み込みの速さに驚きつつも対戦者も慌てることなく火球を生成。このような状況でも冷静に行動出来る辺り中級悪魔に推薦されるだけのことはある。
一誠は火球の射線から離れる為に横へ移動。すると、対戦者の目が一誠を追う。
(ここだ!)
『JET!』
籠手から噴射される魔力による高速の切り返し。対戦者の視線を引き剥がす。対戦者はそこに居る筈の一誠が消えたようにしか見えなかった。
対戦者の視線が追い付く前に一誠は側面へ回り込み、拳を振り上げる。そして、そのまま全力で殴り掛かるのだが──
(あ、あれ?)
──対戦者の反応が予想以上に遅い。あと一秒も満たずに届きそうなのにまだ一誠の攻撃に気付いていない。このままでは無防備な彼に全力の拳を叩き込むことになる。
(だ、大丈夫だよな?)
一誠の心に生じる迷い。このまま殴ったら対戦者が死んでしまわないか、という不安。
実戦でも特訓でも基本的に自分と同等以上の相手としか戦わないので一誠の中の基準は無意識に高くなってしまっている。その辺りを不安に思い、アザゼルは敢えて試験の制約を設けたのだが、それでもまだ足りなかった。
一誠の脳裏に浮かぶのは試験官の説明。事故でない限り相手を死なせたら失格。
(やっぱダメだ!)
不安が勝り、一誠は殴り抜ける筈であったが急ブレーキを掛ける。しかし、勢いがついた拳は簡単には止まらない。
拳の威圧感にやっと気付いたのか対戦者が振り返る。そのときには既に拳は顎に触れていた。
(止まれっ!)
腕の筋肉を隆起させて無理矢理止める。結果、寸止めには至らず、衝撃のみが綺麗に対戦者の顎を打ち抜いた。
対戦者は糸の切れた人形のように崩れ落ち、そのまま動かなくなる。
「ッ! 4番、兵藤一誠選手の勝利です!」
一拍置いて試験官が一誠の勝利を告げた。
◇
黙々とトランプをするシンとオーフィス。オーフィスは左右の肩にピクシーとジャックランタンを乗せ、膝の上にはジャックフロスト、うつ伏せになっているケルベロスを背もたれにしていた。その姿だけ見るとファンシーな趣味の少女にしか見えない。
「あの……」
怖ず怖ずとした様子で尋ねてくるのはルフェイ。彼女もまたゲームの参加者であり手にトランプを持っている。
シンとオーフィスの視線が彼女へ向けられる。敵意は無いのだが、その眼光だけでルフェイの中に緊張感が生まれた。
「黒歌さんを知らないでしょうか? 誘ったのですが何故か来てなくて……」
不在の黒歌の所在を尋ねて来る。外出が禁止されているので一誠宅に居ることは間違いない。
「我、知らない」
オーフィスは首を横に振る。ルフェイはシンの方を見た。
「──さあな」
シンは素っ気なく答え、トランプの札の方へ視線を戻してしまう。
「そうですか……」
ルフェイは残念そうな表情をする。黒歌への心配は勿論あるが、純粋に一緒に遊べないことを残念がっている様子。
実のところシンは黒歌の居場所に心当たりがあった。その答えとなるのはもう一人の不在者の存在。
シンの予想通り二人は一緒に居た。
小猫と黒歌。若干気不味そうに向かい合っている。
場所は兵藤家地下にあるトレーニングルーム。本当ならばグレモリー領地下の訓練場が望ましいが、黒歌は外出禁止なのでここしかやれる場所はない。
「……仙術の基本は覚えているかにゃ?」
「……はい。……姉様にしっかりと教えられたので」
二人の間に微妙な空気が流れる。だが、気不味そうによるものではなく、照れによるものであった。
「じゃあ、本当に覚えているかどうか確かめてあげる。来なさい、白音」
「……行きます、姉様」