ハイスクールD³   作:K/K

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問題、製造

「念の為にもう一度確認させて下さい。俺、これから何をすればいいんですか? アザゼル先生」

『シンと殴り合い』

「何でそうなるんですか!?」

 

 再確認してみたが内容は変わらない。一誠は頭を抱える。

 

「朱乃さんと木場は如何にも特訓っぽい感じだったのに、どうして俺だけそんな野蛮な感じなんですか!? 理不尽だ! 差別だ! 依怙贔屓だ!」

『やかましいぞ。お前はほら、あれだ……』

「あれって何ですか!?」

『殴り合い以外の才能あんまり無いし……そこ以外伸ばそうとすると何百年も掛かる』

 

 自覚していることだが、改めて言われると一誠はショックであった。

 

「お、俺だって色々な技とか開発していますよ!」

『『洋服崩壊』や『乳語翻訳』のことか? エロ方面の才能に関しては太鼓判を押してやるよ。でも、そこ伸ばしてどうすんだ? 放っておいても勝手に伸びていくだろ? というか中級悪魔試験には関係ないだろうが。試験官にセクハラすんのか? アウトどころか出禁になるぞ』

 

 悔しくて反論してみたが、ぐうの音も出ない程の正論による強烈なカウンターを浴びせられてしまい、完膚なきまで叩きのめされてしまった。

 最早、反論の余地など無く特訓を行う前から死んだ目になりながら、今ある現実を一誠は受け止めるしかない。

 

「……因みに条件ってありますか?」

『禁手は当然禁止だ。ドラゴンショットもダメだ、それに関連する技もな。『赤龍帝の籠手』は使っても良い。これは今度の中級悪魔試験での制限でもある』

 

 禁手使用禁止は聞かされていたが、ドラゴンショットなどの技も使用不可なのは今初めて知った。

 

「俺だけ厳し過ぎませんか!?」

『これぐらい枷付けた方が丁度良いんだよ、お前は』

「死んじゃうよぉぉ! 本番前に特訓で死んじゃうよぉぉぉ!」

『特訓で死ぬかよ』

「相手、間薙なんですよ!」

『……特訓で死ぬかよ』

 

 若干語気が弱まったのは一誠の聞き間違いではない筈。

 

『ちゃんとシンも対等な条件でやらせるから安心しろ。向こうも素手オンリーだ』

「尚更嫌ですよ! あいつの拳って滅茶苦茶痛いんですよ! まだ火を吹き掛けられる方がましだ!」

 

 往生際悪く駄々を捏ねる一誠。粘って出来ることならば自分の条件を一つ緩めるか、シンの方に条件を足すかをして欲しい。

 

「イッセー様」

「レイヴェル……」

 

 助けを求めるように一誠はレイヴェルの方を見た。レイヴェルは慈母の如き笑みで一誠の方を見返している。もしかしたら何か手助けを、と思ったがすぐに違和感を覚えた。微笑んでいるが、何処か張り付けたような印象を受ける。

 

「頑張って下さい」

「レ、レイヴェル?」

「マネージャーとして応援しています」

「レイヴェル!?」

「さあ、間薙様とファイトです!」

「レイヴェェェルッ!」

 

 期待と敬愛で一誠の退路を断つ。

 一誠は木場と朱乃の方も見たが、二人は同情しながらも首を横に振る。

 

『気が済んだか? なら準備をしろ』

 

 これ以上足掻いても無駄なのを思い知らされ、一誠は泣く泣く『赤龍帝の籠手』を出して戦闘準備をする。

 

「ドライグ……色々と痛いかもしれないが、我慢してくれよ?」

『ふ、ふふ……どうせなら強烈なのが欲しいな。記憶が飛ぶくらいの……』

「ド、ドライグ!?」

 

 薬で持ち直しているとはいえ、メンタルが安定しないドライグが不穏なことを零す。頼りになる相棒が若干自棄になっていることに一誠も不安を覚えてしまう。

 

『大丈夫だ……戦いが始まればちゃんとやる……というか早く戦ってくれ……戦いの中では俺は俺であると確信出来る……』

 

 存在意義が揺らいでいるので危うい域に足を踏み入れかけているドライグ。一誠は後でちゃんと薬を与えようと心の中で固く誓った。

 

「開始の合図はまたアザゼル先生が出すんですか?」

 

 今まで黙っていたシンが口を開く。

 

『いや、イッセーの『赤龍帝の籠手』が最初の倍化を告げたら、それを開始の合図にする。制限を掛けたんだイッセーの好きなタイミングで始めろ』

 

 アザゼルの方を見ながら一誠は少しだけ安堵する。シン相手にゼロからのスタートは厳しいが、一段階だけでも倍化が入っているのなら時間稼ぎくらいは出来る。そこから十秒耐えれば次の倍化が起こり、また時間稼ぎが容易になる。『赤龍帝の鎧』が使用出来ない以上、地道に倍化を繰り返さなければシンとは真っ向から戦えない。

 深呼吸をし、精神を落ち着ける。

 

「……よし!」

 

『赤龍帝の籠手』の填め込まれた宝玉が輝き、倍化がスタートする。これで十秒経てば一回目の倍化が発動し、特訓が始める。

 十秒という限られた時間の中で一誠なりに戦いのプランを組み立てようとし──

 

「……へ?」

 

 ──思考が停止する。

 離れていた筈のシンがいつの間にか一誠の目の前にまで移動している。アザゼルに注目している間に距離を詰められていたのだ。

 

「お、おい!」

 

 一誠が一歩下がる。シンは一歩距離を詰める。

 

『あー……移動するなとは言っていなかったからな……』

 

 シンの行動にアザゼルは一言足りなかったことに気が付いた。

 

(こ、こいつ……!?)

 

 無表情で前に立つシンを一誠は信じ難い気持ちで見てしまう。倍化が起こると同時に即一誠を殴れる間合いをキープしている。分かっていたことだが、特訓であってもシンは容赦も遠慮もなかった。

 

(ど、どうする!?)

 

 何かを考えるべきなのだが、シンが目の前に居るというプレッシャーのせいで考えが上手く纏まらない。それも計算して距離を詰めたのだとしたら大成功と言える。

 焦っても時間は過ぎていくだけ。一誠の体内時計が間もなく十秒に達し最初の倍化が起こることを告げている。

 焦る。迷う。だが、こうなってしまった以上一誠がやれることは一つしか残されていない。

 

「──やるしかねぇか」

『Boost!』

 

 現状を受け入れる、もとい開き直った瞬間に倍化が発動して一誠の力が二倍になる。そのタイミングでシンは一誠の顔面目掛けて拳を繰り出す。

 一誠は頭を下げ、シンの拳の下に潜り込んで紙一重でそれを躱す。だが、シンは一誠のその動きを予測していたのか俯いた顔に膝を突き上げてきた。

 

「うおっ!?」

 

 背骨の可動域限界まで上半身を逸らし、これもまた回避。突き上げられた膝を巻き起こす風圧が顎に触れただけで冷や汗が噴き出す。

 シンの二撃を辛うじて回避した一誠だったが、無理な体勢が躱したせいで体が仰向けに倒れていく。シンの前で倒れたのであれば、立ち上がる前にそのままボコボコにされかねない。

 

「こ、のっ!」

 

 地面と上半身が平行になるまで傾き、足裏が地面から離れそうになる。そうなる前に一誠は自分の方から足を地面から離す。ただし、強く踏みつけることによって。

 不格好な後方宙返りをし、一誠はシンから離れる。距離にすれば五メートル程。あって無いような間合いだが、立て直すには十分。

 

「ととっ!」

 

 ふらつきながらも一誠は両足から着地出来た。初めての宙返りを成功させたのは自分でも奇跡だと思ってしまう。同じことをしろと言われたら出来る気がしない。

 体勢を直しながらも一誠の視線はシンに固定されている。シンは一誠が後ろへ跳んだのを見てすぐに走り出していた。

 奇跡のような宙返りを披露しても稼げた時間は二、三秒程度。しかし、シン有利の流れを断ち切れたことは大きい。

 シンが踏み込み、大振りの拳を繰り出す。一誠は左腕を盾のように前へ掲げ、右手を後ろに当てて支える。

 シンの拳が左腕の『赤龍帝の籠手』に打ち込まれる。素手を躊躇無く金属に打ち込み、たわんだ音が鳴る。

 一誠は目を見開きながら両腕を通り抜けていく衝撃と痛みに耐える。声をだしそうになるのを息を止めて無理矢理我慢する。

 両腕でシンの拳を防いだ一誠だったが、何かおかしいことに気が付いた。

 

(あれ?)

 

 シンは拳で叩いたと最初思っていたが、打ち付けられたシンの手が拳の形をしていないことに気が付く。指を曲げず逆に伸ばした掌打の形。

 一誠の背筋に悪寒が走る。接近戦に於いて理屈じゃ分からない痛みを与える拳だけがシンの怖さではない。引っ掻く、掴む。この単純な行為ですらシンがやれば結界を引き裂き、ドラゴン由来の装甲すら罅割れる、という脅威に変わる。

 押し当てられていたシンの手が籠手を掴む。その指先が籠手に文字通り食い込む。

 

(やっべぇ!)

 

 何かしないとシンはすぐに次の行動に移ってしまう。何をするべきなのか、と自問したときにシンは腕を振り上げようとする。

 このまま地面へ叩き付け、止めを刺して来る数秒先の光景が一誠の頭の中で鮮明に描かれる。

 

(このまま終わってたまるか!)

 

 シンと戦うのを嫌だ、嫌だとごねていた一誠だが、だからといって何も良い所を見せずに終わりたくない。朱乃も木場もカッコいい所を見せてくれた。一人だけカッコ悪いまま終われる筈が無い。

 そして、何よりも──

 

(こいつの前でダサいままで終われるかっ!)

 

 ──戦友でありライバルとも思っているシンに良い所をまだ見せていない。

 シンは腕を振り抜こうとし、感じていた重さが急に無くなる。すっぽ抜けたことは分かったが、納得は出来ない。そうならないように指先が突き刺さるぐらい強く握っていた筈である。

 シンが一誠の左腕を見る。そして、納得がいった。

 

「──やるな」

 

 つい褒めてしまう。一誠の左腕は『赤龍帝の籠手』ではなく生身の腕に戻っていた。

 一誠がやったことは至って単純である。神器を解除することにより神器の厚み分の隙間が生じ、その隙間がある内にシンの手から腕を引き抜いたのだ。

 一誠の狙い通り左腕を解放することが出来たが、その分大きなリスクが発生する。一誠はすかさず『赤龍帝の籠手』を再装着する。そして、倍化を始めた。『赤龍帝の籠手』を一旦解除してしまったので、倍化もゼロから再スタート。

 一誠はこれから十秒間、無強化状態でシンと対峙しなければならない。ただ決着を先延ばしにしただけか、それとも逆転の布石となるか。それはここからの行動によって決まる。

 

(早く早く早く早くっ!)

 

 十秒が異常に長く感じる。当然ながらシンは悠長に待ってなどくれない。

 

(来るっ!)

 

 シンの拳が放たれる。強化無しの一誠の視点だと、空気の中に拳が溶け込むような捉えられない速度であった。

 

(くそっ!)

 

 咄嗟に左腕を盾にする。さっきと同じような行動であったが特に考えがあって行ったことではない。無意識の内に最も頼れるものを使ったに過ぎない。

 しかし、行動は同じであっても結果も同じとは限らない。

 無強化の一誠の行動はシンの動きに比べれば遅い。だが、それ故にギリギリまで引き付けるような形になった。そのタイミングで盾にする筈であった左腕が、シンの腕の側面に当たる。横から押されたことでシンの拳の軌道が逸れ、一誠の顔横を通り抜ける。

 鼓膜を打つような風切り音を間近で聞きつつ、偶然にもシンの攻撃を捌くことが出来た一誠。

 

(まだかっ!)

 

 十秒が、たった十秒が果てしなく長い。今の偶然で稼げた時間は三秒にも満たない。すぐにシンは次の手を打ってくる。

 頭を働かせては間に合わない。一誠はイチかバチに賭ける。

 思いもよらず攻撃を外されてしまったシンだが、焦ることはなかった。一歩分踏み込んだので既に拳の間合いとしては近過ぎる。シンが取った行動は、杭打ちのような膝で一誠の腹を突き上げること。

 まともに入れば腹と背中が張り付く威力。だが、ここでも一誠は魅せる。

 膝の軌道に左腕を挟み、尚且つ先に左腕を膝に当てることで最大威力を発揮する前に勢いを殺す。結果、一誠は膝で突き上げられるのではなく後ろへ押される程度で済んだ。

 しかし──

 

(いってぇぇぇ!)

 

 今すぐにでも左腕を振って痛みを紛らわせたくなる衝動に駆られる。骨まで響く痛み。拳だけでなく脚からもダメージ以上の痛みを受ける。

 

(どうなってんだこいつの手足は!? 本当に全身凶器だな!)

 

 目や体からビーム出すし、口からは火や氷の息を吐き、おまけに手足は防御を貫いてくる。一誠の思っている通り体そのものが凶器と変わらない。

 そんな生きた凶器が接近し、殴り掛かってきている。

 プレッシャーはある。だが、一誠は落ち着いていた。不格好とはいえシンの攻撃を二度も防ぐことが出来た。一回目は偶然だったかもしれないが、二度目は自分の直感を信じて防げた。二度続けば偶然は薄れ、僅かな自信が芽生える。

 

(いける!  ……かもしれない!)

 

 今までシンとは何度も手合わせをしていた。そんな中で得た経験が一誠にシンの次なる行動を予測させる。一誠には何となくだが見えていた。シンの拳が狙う先を。

 頬の辺りにヒリヒリとする感覚が生じる。自分の直感を信じるのならばシンの拳はここを狙っている。

 シンが拳を突き出す前に一誠は腰を落とす。動いた直後に風圧が真横を通り過ぎ、耳の縁に灼熱感が生じる。シンの拳が掠めていったことによるもの。先に動いたつもりであったが実際は紙一重の判断であった。

 

(これは……!?)

 

 この回避はシンですら予想外のことであっただろう。その証拠に一誠の目の前にはがら空きとなったシンの無防備な脇腹が見えている。もう少し倍化の時間に到達する。それこそ今から攻撃を繰り出し、脇腹を打つぐらいのタイミングで。

 

(やるか!)

 

 最高の反撃の好機。一誠の中で闘志が燃え上がる。目の前にある一矢報いるチャンスに一誠は全力を注ぎ込もうとする。

 その瞬間、燃え上がった闘志が一瞬で鎮火する悪寒が一誠の背筋に走った。

 見ている。攻撃を躱されたシンの目は一誠を捉えている。感情を映さない瞳が揺らぐことなく一誠を凝視している。

 

(やったらやられる!)

 

 その目を見て一誠は確信する。当てることは出来るだろうが、その瞬間に特訓終了となる痛過ぎる反撃が来る。冴えている一誠の直感が痛々しい未来を幻視させ、高揚感を抑えると同時に一誠には冷静な判断力を与える。

 突き出されたシンの拳がそこから裏拳に派生し、側面からハンマーのように振るわれる。一誠は仰け反って裏拳を回避。直感に従い、動きを止めたことが功を奏した。

 

(やれてる!)

 

 回避に関しては絶好調の一誠。日頃の努力が今のような形で実るとやはりテンションが上がってくる。

 

『Boost!』

 

 そのテンションを後押しするように倍化の時間に到達。ゼロからのスタートで倍化まで繋げることが出来た。

 接近戦に於いてはシンや木場の方が格上だと自覚している一誠にとってその事実は自信となる。想いの力で神器は力を増す。テンションが上がり続けている今の一誠だと最初の倍化であっても二、三回倍化を行ったぐらいまで『赤龍帝の籠手』の力が増していた。

 今度こそ反撃を行う一誠。左腕が唸り、シン目掛けて放たれようとする。

 

「ぐっ!?」

 

 しかし、そうなる前に一誠は呻く。攻撃をする直前、シンが伸ばした足が一誠の左拳に打ち込まれていた。シンの足裏が一誠の左拳を押し込む。

 

「こ、のっ!」

 

 そんなこと知ったことかと言わんばかりに『赤龍帝の籠手』から赤い魔力が噴き出し、それをブースターにして一気に加速。シンの足を押し返す。

 が、シンは『赤龍帝の籠手』から魔力が噴射された段階でそうなることを読んでおり、拳が振り抜かれる前に後方へ飛んで空振りさせた。

 アッパーカットの姿勢となりシンに対して無防備を晒してしまうが、一誠の予想に反してシンは追撃してこない。三、四メートル離れた位置で一誠を観察するようにジッと見ているだけであった。

 

(来ないのか?)

 

 疑問に思いつつも体勢を立て直す一誠。構える時間を貰えたことは有り難かったが、相手の意図が読めないのは気持ちが悪い。

 

(もしかして……警戒しているのか?)

 

 運や偶然も絡んでいたがシンの攻撃を三度防ぎ、その上で反撃もされようとしていた。禁手抜きとはいえ、まだ一段階しか倍化が入っていない一誠からの予想を上回る行動に戦い方を考え直している可能性が出てくる。

 

(そのまま警戒し続けてくれ)

 

 時間が経過すれば次の倍化が起こる。そうなればまた一誠の力が倍になる。シンもそのリスクを承知で時間を消費し戦い方を考えていると思われる。

 

『相棒。恐らく次の倍化が起きたら仕掛けてくるぞ』

 

 シンと一誠の戦いを黙って見守っていたドライグが一誠に助言を送る。

 

(俺もそんな気がしてた)

 

 何となくシンならばそのタイミングで来るだろう、と考えていたが同意見のドライグの後押しによりほぼ確信する。

 

『Boost!』

 

 二回目の倍化。それが次のラウンド開始の合図。

 

(来る!)

 

 一誠の予想通りシンは素早く前へ踏み込み、右拳を大きく振り上げる。一誠は前頭部にヒリヒリとした感覚が起きているのか感じ取った。

 シンが拳を振り下ろす寸前に一誠はバックステップ。空振りをした瞬間に反撃の一撃を叩き込む。

 

「──え?」

 

 つもりであったが、一誠は思わず声を出していた。予想とは全く異なる光景を前にした戸惑いが出てしまったのだ。

 シンは拳を振り下ろしてはいなかった。振り上げたままの一誠との距離を詰めている。一誠の目と感覚は確かにシンが攻撃するのを感じ取っていた。しかし、一誠がそれを分かっているということは、同時にシン自身もそれが分かっている。シンもまた一誠と何度も手合わせをしている。どう動くかある程度予想は付いていた。

 二度攻撃を躱された時点でシンは一誠が直感的に攻撃を回避しているのを悟った。それが分かってしまえばやることは簡単である。

 シンが一誠に見せたのはフェイント。一誠はまだ感覚でシンの攻撃を避けているので、本当の攻撃と間違い体が勝手に反応してしまったのだ。

 シンのフェイントに騙された一誠が固まっている内に、距離を詰めたシンは折り曲げた脚を持ち上げ、呆気にとられている一誠の胴体に横蹴りを入れる。脚が伸び切る前に入ったので威力はそれ程でもない。しかし、威力以上の痛みを感じる。

 その痛みに息が止まる。息が止まると体の動きも止まってしまう。その瞬間、シンは足を捻りながら畳んでいた脚を一気に伸ばす。

 

「ごはっ!?」

 

 二度目の衝撃が捩じり込まれる。貫いていく衝撃は腹の中身が捩れてしまったのではないかと思ってしまう。

 二段式の蹴りで蹴飛ばされた一誠。そのまま倒れるのかと思いきや、膝を曲げながらも耐える。

 ここへ来る前に何かを食べていなくて良かった、と脇腹を押さえながら一誠は心底そう思った。もし、腹に何かを入れていたら確実に吐いており、皆の前で醜態を晒していた。

 

「この、野郎……!」

 

 シンにまんまと乗せられた一誠は頬を歪める。無意識のうちに調子に乗っていたことを反省する。一度、二度通じたかもしれないが三度目が通じるような相手ではない。普段出来なかったことが出来たことで、その辺りの視野が狭くなっていた。

 

「まだまだ……!」

 

 曲げていた膝を真っ直ぐに戻し、脇腹から手を離す。顔は引き攣り、ぎこちなかったが笑みらしきものを浮かべている。誰が見ても瘦せ我慢だが、一誠の気力は萎えていない。

 

『Boost!』

 

 三度目の倍化。初期よりも戦えるようになったが、それでもシン相手では心許ない。倍化は可能な限り続ける。

 無理矢理呼吸を整え、痛みで引き攣る体で構える。冷や汗を流しながら下手くそな笑みを浮かべる姿は客観的に見てもカッコ悪い。しかし、それよりももっとカッコ悪い姿を知っている。

 皆の前で戦うことを諦めた姿。一誠はそれだけは決して皆の前では晒さない。

 

「行くぞぉぉぉ!」

 

 一誠は左腕を振り被り、シンの顔面へ拳を突き出す。シンはそれを紙一重で躱すと同時にカウンターのショートアッパーが一誠の顎に打ち込まれる。

 貫く衝撃が脳を揺らし、視界が狭まりながら火花が散る。

 

「っこの!」

 

 殴られながらも根性の反撃で仰け反っていた体勢を利用し頭突きを放つ。泥臭い一誠の反撃に対して、シンは同じく頭突きにより応じる。

 骨と骨がぶつかる音が鳴り響き、観戦していた木場は思わず身震いをするが、何故か女性陣の方は逆に興奮の吐息を洩らす。

 

「いってぇな……この野郎……!」

 

 額を突き合わせながら至近距離でシンを見る一誠。額から熱いものが流れ出るのを感じる。だというのにシンの方は流血していない。拳も硬ければ頭も石頭の様子。

 間近でシンの顔を見たとき一誠は見つけた。シンの頬に僅かだが擦過傷が出来ている。原因は一つしか考えられない。躱されたと思っていた先程の拳はほんの少しだがシンに触れていたのだ。

 積み重ねてきたことは無駄ではない。それが今の戦いを通じて何度も実感出来た。負ける気はしない。それならば──

 

「勝てる見込みもあるよなぁ!」

 

 再び繰り出される一誠の頭突き。シンは逃げることはせず同じように頭突きで迎え撃つ。二度目の激突。加減無しの衝突で流石の二人も脳を揺さぶられ、自然と足が後退する。

 数歩後ろへ下がった後、二人は立ち止まる。シンは頬に滲む血を拭い、一誠もまた額から流れ落ちる血を拭い捨てた。

 

『おいおい……特訓であって喧嘩じゃねぇぞ』

 

 戦い方が徐々になりふり構わない形になって行くのを見て、アザゼルは不安視する。

 

『一旦中断して頭を冷やす──』

「いえ! ここからです!」

 

 これ以上ヒートアップしないようアザゼルが中断を考えるが、それに待ったを掛けるのはやはりレイヴェルであった。

 

「戦いで熱が入るのは当然のこと! 問題なのは如何にして自分をコントロールするかですわ! 特訓とはそういうものです! 外野が一々止めて冷静さを促すのは違うかと思われます!」

 

 折角熱くなれる展開になってきたのに邪魔されたくないレイヴェルが声を大にして異議を唱える。

 反応と態度から薄々勘付いてはいたが、レイヴェルが少しアブノーマルな趣味の持ち主だと木場と朱乃は理解し、木場は複雑な心境になり朱乃は親近感を覚える。

 レイヴェルが抗議したことで中断するタイミングを逃してしまったアザゼル。その間にシンと一誠は距離を詰めて接近戦を開始。

 仕掛けたのは一誠。

 

「うおらぁぁぁぁ!」

 

 気迫の叫びと共に左右の拳を連打。シンはそれを巧みに躱していくが、それだけ。反撃の手は出ない。そうなったのは一誠の迫真の連撃のせい。隙を潰す程の手数によるゴリ押しでシンに反撃をさせないようにしていた。

 兎に角、一発が痛くて重いシンに攻撃も反撃もさせない為に一誠が考え出した力技の戦い。体力が尽きる前に良い一発を入れなければ一誠の方が敗北する捨て身の戦法である。

 配分などの後先を捨て、今に全力を注いだ連打。単純だが決して無駄ではない。現に近距離でシンは反撃出来なくなっている。

 一誠の体力が尽きるまで回避に専念しているのかもしれないが、今の一誠の戦い方には一つメリットがある。

 

『Boost!』

 

 倍化が入り一誠の手数が更に増す。攻撃の最中にも倍化は続いているので時間を掛けるとその分一誠も強くなる。

 拳のキレが増し、砲弾のような拳打が一呼吸する間に数え切れない程放たれる。だが、シンはそれすらも最小の動きで回避し続ける。

 絶えず攻撃し続ける一誠に対しシンは回避を繰り返すが見ている内にシンが全く手を出さないことに違和感を覚える。回避に専念していると言えばそれまでだが、見ている木場たちからするとシンの回避には一種の攻撃性のようなものが感じられた。

 

「……容赦ないなぁ、間薙君」

 

 木場はシンの冷徹な表情を見て意図に気付く。シンは敢えて一誠の戦い方に付き合い、持久戦を始めたのだ。一誠のスタミナが尽きるその瞬間まで回避し続ける。手を出さない代わりに当たらないというプレッシャーで一誠の精神を殴り付けている。

 木場たちの前で戦いは加速していく。倍化により一誠の力は上昇し、拳の速度は影を追い抜きそうなぐらいに高まる。それですら避けるシンだが、数発に一発だけ体を掠るようになっていた。

 僅かな前進。このまま更に突き進むかと思われたが、そこから先が果てしなく遠い。掠るだけに留まり、クリーンヒットは無い。目の前に居る筈なのに先が見えなくなりそうな程遠いシンへの一撃。それによる精神的な重圧が一誠の体力の消耗を激しくさせる。

 遠いのか近いのか分からなくなる差。だが、そんな苦難に反して一誠の口角は自然と上がる。

 友人との戦い──というより競い合うこと。勝てば嬉しい、負ければ悔しい勝負。相手と自分の差。今までと比べての自分の成長。刻一刻と変化する勝負の過程。それらを纏めて一誠は楽しんでいた。

 その様子は見ている者たちにも伝わっている。

 

「……赤龍帝、楽しそう。何故? 不思議」

『まあ、そういう心情があるんだよ。やり合っている当人たちにしか分からないがな』

 

 特訓という枠からは少し外れているが、これはこれで成長に繋がると思い大目に見る。

 

『……うん?』

 

 自然に答えてしまったが、あり得ない、あってはならない声が聞こえた。他のメンバーも最初は自然と聞き流してしまったが、少し経つとアザゼルと同じ心境になる。

 全てが勘違いであって欲しいと願いながら全員の視線が一点に集中。そこにはしゃがんで二人の戦いを見ているオーフィスの姿。

 全員が絶句してしまう。時が止まったような感覚すらある。

 

『何で居るんだよ……』

 

 ここは二つの意味で簡単には来てはいけない場所である。

 瞬間的な衝撃とストレスが強過ぎてアザゼルは蚊の鳴くように小さく、重病人のような震えた声を発した。

 

「我、赤龍帝とドライグを見ると言った」

『……吐きそう』

 

 ストレスで胃が溶け、そのまま口から吐き出しそうな気分になる。

 

「ど、どうするのですか? アザゼル様?」

 

 レイヴェルもこの事態に焦り、アザゼルに判断を問う。

 

『……て』

「て?」

『撤収ぅぅぅぅ!』

 

 アザゼルの絶叫のような撤収宣言。

 

『木場! 朱乃! 今すぐシンとイッセーの二人を止めろ! 雷光使っても聖魔剣を使っても構わん! レイヴェル! すぐに転移の準備をしろ! 一分以内にここから逃げるぞ!』

 

 焦りながらも指示は的確。木場たちはアザゼルの指示に従い、迅速に行動を開始。

 

「うおっ!?」

 

 シンと一誠はいきなり間に割って入って来た雷と魔剣により動きを止める。

 

「朱乃さん、木場、急に何を──」

 

 文句を言い掛けた一誠だったが、そこでオーフィスの存在に気付いた。

 

「何でいんの!? ここグレモリー領だぞ!?」

 

 他勢力に気付かれてはいけないオーフィスが絶対に来てはいけない場所である。バレたらと考えるだけで恐ろしい。

 

「時間がありませんわ!」

「レイヴェルさんが帰還の準備をしてくれているから早く!」

 

 焦る木場と朱乃。シンも一誠も非常事態に即座に動く。

 

「我、ちゃんと気配を消している」

 

 慌てふためく一同に対して彼女なりに考えて行動をしていると説明をするが──

 

『馬鹿野郎! グレモリー領というか、グレモリーにはなぁ! とんでもなく優秀で怖い番犬が居るんだよ! 小さな違和感でも見逃すと思うな!』

 

 ──楽観的な考えにアザゼルが遂にキレて喝を入れた。

 

「準備出来ましたわ!」

『急げ!』

 

 すぐにレイヴェルの傍に集まり、転移魔法陣が起動。全員地下トレーニングルームから消える。

 無人となったトレーニングルームの扉を開ける者がいた。

 アザゼルが言うとんでもなく優秀で恐ろしい番犬──

 

「……誰もいないな」

 

 ──セタンタが槍を握り締めながら人を殺せそうな程の鋭い眼で中を確認する。一誠たちが撤収して一分も経たない出来事であった。

 

 

 

 ◇

 

 

 兵藤宅へと帰還した一行。そこへリアスが慌ててやって来る。

 

「皆! オーフィスが急に居なくなったの!」

「……ここに居ます」

「……何で居るのよ」

 

 焦燥の表情が一瞬で呆然となり、アザゼルと似たようなことを言っている。

 

『ああ、くそ……ただの特訓で終わる筈だったのに何でこんなトラブルが……お前ら、どっちかそういうのを引き寄せる体質なんじゃねぇか?』

 

 アザゼルが一誠とシンを暗にトラブルメーカーと呼ぶ。

 

「そう言うアザゼル先生も同じ体質では?」

『はっ、何を言うかと思えば……くそっ! 反論出来ん!』

 

 シンの言い返しに心当たりが多過ぎるせいで認めざるを得ないアザゼル。そもそもオーフィスに関して発端はアザゼルなので尚のこと何も言えない。

 

『取り敢えず話は後だ。何かしらの言及をされるかもしれないから、今のうちに口裏合わせをしておくぞ』

「どうしてそんなことになるのよ……」

 

 リアスは呆れた様子で顔を手で覆っていた。

 

 

 ◇

 

 

「……おはようございます」

 

 翌日、朝から挨拶してきたのは小猫。頬に赤みがなくいつも通りの無表情。

 

「……ご心配をおかけしました、間薙先輩」

「体調は良いのか?」

 

 そう言うと小猫は少しだけ恥じらう表情となる。発情期で体調不良だったことは彼女にとってすぐにでも消したい記憶である。

 

「……はい。その……」

 

 小猫が口ごもる。

 

「……多分ですが、姉様が助けてくれました」

 

 小猫が言うには、昨晩の深夜黒歌が小猫の許に訪れていた。そこに偶然二人の会話を聞きつけた一誠がやって来て、発情期で弱っている小猫の前で一誠を誘惑する挑発をして来た。小猫はそんな黒歌に食って掛かったが、その際に首筋に触れられた。倒れ込んでしまったが、その後に不安定であった体調が治ったとのこと。

 

「そうか。礼は言ったのか?」

「……いえ」

「言わないのか?」

 

 小猫は複雑そうな表情をする。色々と思うところがある姉故に素直になれない様子。

 

「……朝食の準備の手伝いがあるので」

 

 小猫は言い訳をして逃げるように去っていく。結局、シンの問いに答えることはなかった。

 

「んふふふ。小猫は相変わらず頑固だにゃん」

 

 二人のやりとりを見ていた黒歌が廊下の陰から音も無く現れる。

 

「心配する子が沢山居たんだから、せめて迷惑を掛けたことぐらい詫びたらいいのに。フェニックス家のお嬢さんだったり貴方だったり」

 

 黒歌の大きめな独り言。シンは警戒しているので最初から返答を期待していない。

 不甲斐ない妹への愚痴を零し、一人満足した黒歌は朝食へ向かおうとするのだが──

 

「ありがとう」

「……にゃん?」

 

 ──すれ違い様に言われたシンの礼の言葉に黒歌は足を止め、驚きに満ちた表情となる。

 

「きゅ、急に何を……」

「感謝しているから言っただけだ」

 

 シンは固まっている黒歌を余所に歩き出す。相変わらず態度は素っ気無い。

 

「何処かの素直になれない似た者姉妹とは違って言うべきことは言う」

 

 背中越しにそれだけ言うとシンはさっさと行ってしまう。

 シンの言葉を聞いた黒歌は、恥ずかしそうな、悔しそうな、嬉しそうな、色々な感情を混ぜ合わせた彼女らしくない複雑な表情をしてその背を見送るのであった。

 




最近やることが積み重なってきており、当分こんな間隔での投稿になります。

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