シンとギャスパーは早朝の特訓を終えた後、一旦帰宅して身支度を整えてから登校する。
学園へ向かうシンは特に疲れた様子を見せなかった。シンは登校中にギャスパーの姿を発見する。シンとは対照的に、ギャスパーはフラフラと左右によろけながら歩いていた。
「ギャスパー君! 危ないですよ!」
「もう~。しっかり~」
「あ、ありがとうございますぅぅ……」
レイヴェルはギャスパーの帰宅も手伝っていたが、そのまま登校にも同行しており、傍に付いてギャスパーの手を掴み、ジャックランタンはギャスパーの背中をそのかぼちゃ頭で押して介助しながら学園へ誘導していく。
「何か死にそう」
「ヒホ……見ていて冷や冷やするホ」
シンに付いているピクシーとジャックフロストが疲労困憊のギャスパーを見て率直な感想を言う。周囲の学生たちもヘロヘロなギャスパーをピクシーたちと同じような目で見ている。
「──大丈夫か?」
こうなった責任はシンにもあるのでギャスパーを気遣い、彼に声を掛ける。
「お、おはようございますぅぅ……こ、これぐらい大丈夫ですぅぅ……」
弱々しくか細く周囲の喧騒に掻き消されてしまいそうな声。聞き逃さない為に聴力に意識を集中させる必要がある程であった。
「ま、まだ特訓に体が慣れていないだけですから……すぐに慣れます……それに、少しずつですが疲れも抜けていますし……」
自分の疲れ切った姿にシンが特訓を止めると言い出すかもしれないと思ったのか、ギャスパーは先回りをして虚勢を張る。尤も、ギャスパーが言うようにこれでもましにはなっていた。以前に一誠から貰ったドラゴンの血を飲んで吸血鬼としての力を底上げしており、回復力も高まっている。それでも疲労状態が続いているのは単純にギャスパーの基礎体力が低いせいである。
シンは少しの間ギャスパーを見ていたが、やがて視線を外して先を行く。
「分かった。明日も同じ時間でいいな?」
普通ならもっと言うべきことがあったかもしれない。だが、これ以上の言葉はギャスパーのプライドを傷付けるだけである。冷たさを感じるかもしれないが、今最も言うべき言葉は明日も続ける、という言葉。
「は、はい……!」
ギャスパーの返事を背中で聞くと、シンはそれ以上喋ることなく学園へ向かう。すると、一誠たちが先を歩いているのが見えた。一誠、リアス、アーシア、朱乃、小猫、ゼノヴィア、イリナのいつものメンバー。先日、一誠がリアスに告白して見事に両想いの恋人となったが、二人っきりでいる様子をシンは中々見ていない。プライベートではどうなっているのか分からないが、似たような状況なのは容易に想像が出来る。
とは言ってもリアスに焦りの様子は無い。恋人という立場の余裕からか寛容であった。
恋人となって以降、一誠はプライベートのときにリアスを名で呼ぶ。まだ慣れていないのか一瞬溜めてから赤面しながら言う様子をシンは何度か目撃していた。
二人は恋人になったことを周囲にまだ公表していないので他の生徒たちは知らず、リアスに黄色い声を送り、一誠には拒絶の悲鳴を送っている。事実が公表されれば学園は阿鼻叫喚となるだろう。
もし、そんなことになったら──
「よお、間薙」
いつの間にか一誠たちに追い付いていたシンは一誠から声を掛けられた。
「──お前、刺されるかもな……」
「朝っぱらから何だよ!?」
◇
時間は過ぎ、その日の放課後となる。
シンは一先ず生徒会へ顔を出す為に生徒会室へ向かおうとしていた。すると、オカルト研究部室へ行こうとしている小猫と会う。
「……」
小猫はぼんやりとした様子で歩いており、顔色もいつもと違って熱でもあるかのように赤かった。しかも、いつもなら気付いていてもおかしくない距離にシンが立っているのに全く気付いていない。
そのことに違和感を覚えて暫くの間その場で佇む。数秒経過してもやはり小猫はシンの存在に気が付いていない。何か別のことに意識を囚われているように思えた。
「──塔城」
名を呼ばれた小猫は驚きで一瞬全身を硬直させた。そして、一拍置いてから声の方を見てシンの存在を認識する。
「……っ、間薙先輩」
シンを見て少し言葉を詰まらせた小猫。その表情は、普段の無表情のものではなく何かに耐える苦し気なものに見えながらも妙に艶がある。
「今から部活か?」
声を掛けた手前何か喋る必要があり、シンは無難な話題を振る。
「……はい」
小猫の返事は普段以上に素っ気無い。早く会話を止めてこの場から立ち去りたい、と言わんばかりに。
何か不調が出ているのではないかと疑ってしまう。前に無茶な特訓をし続けた結果、倒れたときのことを思い出す。ただ、そういった傾向があるとはリアスたちから聞いていない。何かしらの無茶をやっているのなら同居している一誠たちが真っ先に気付く筈。
シンも観察するように小猫をジッと見てみるが、そういった様子は見当たらない。何か別の要因が体調不良の理由だと感じられた。
「……」
いつの間にか小猫の目付きが半眼になり、眠たそうな、夢心地に居るような蕩けたものとなっている。ここまで来るとあからさまに様子がおかしい。
「大丈夫か?」
「……」
小猫はシンを見詰めているだけで返事が無い。
このまま放って置けないので先にオカルト研究部部室まで行き、誰かを呼んで来ようとする。
シンが小猫に背中を向けたとき、制服の裾が引っ張られた。シンが足を止めて後ろを見る。小猫の指先がシンの制服を掴んでいる。しかも、小猫は何故か普段隠している猫耳を人目に付くかもしれない学園で出している。
「……せ、先輩」
熱に浮かされた声で呼び、潤んだ瞳で見詰めてくる小猫。何かを求めているような表情をしている。
「……何か用か?」
正気が危うい小猫に対し、シンは優し気な声──とは真逆の冷たい声。普段の小猫からすればあるまじき行動なのだが、それに対してシンは感情も声も一切揺れることは無く、そのせいで突き放しているかのようであった。実際は言葉通りに何かあったのか訊いているだけだというのに。
その声色は冷水の如く小猫の理性に浴びせられ、小猫はハッとした表情になった後、掴んでいた手を離しながら下がり猫耳も隠す。
小猫の顔色が色味を濃くする。先程の艶のある赤ではなく羞恥による赤で塗り替えられていた。
「……ごめんなさい。今のは忘れて下さい」
赤くなった顔を俯かせて隠す。この場に一秒でも居たくないのか小猫は勢い良く走り去ってしまった。ああも全力疾走だと止める暇無く、様子の違いが気にはなっていたが見送るしかなかった。
ギャスパーとは違い、あまり歓迎出来ない小猫の変化。オカルト研究部に顔を出したときにそれとなく一誠たちにこのことを話そうと決める。
「お? 廊下で立ち止まってどうした? 何かあったか?」
良いタイミングで話し掛けてきたのはアザゼル。オカルト研究部の顧問であり、リアスたちのコーチとしての立場の彼ならば信頼して先程のことを話すことが出来る。
「少しお時間いいですか? アザゼル先生」
「おう、いいぜ」
シンの頼みにアザゼルは快諾。周りに他の生徒が居ないことを確認した後に先程あったことを話す。
「ほう? そりゃあ気になるな……俺の方でも調べておく」
「……猫又関連の症状でしょうか?」
「お前はそう思うのか?」
「勘ですが」
何となくだが小猫の異変は人の世に関わるものではなく、人外の領域のような気がしていた。
「小猫は猫又の中でもレアな猫魈だからな。そっち方面は俺も詳しくない……あいつの姉と連絡が取れたら早いんだがな……」
「先生からヴァーリ経由で連絡を取れませんか?」
「生憎だがいつもヴァーリからの一方通行だ。流石にこっちから連絡を入れたことはねぇ」
「そうですか。てっきり陰で連絡を入れ合っていたと勝手に思っていました」
「何でだよ」
「アザゼル先生は、何だかんだ言ってヴァーリに甘そうなので」
シンの発言にアザゼルは顔を顰める。しかし、反論はして来ない。アザゼル自身も認めざるを得ないことだからだ。
「……それでも最低限の線引きはしている。総督って立場だからな」
「そうですか。連絡待ちなのは残念です」
小猫に関しては問題が悪化する前に手を打ちたかったが、手っ取り早い解決策が出来ない以上は地道に調べていくしかない。
「はぁ……一誠たちも色々とやることがあるっていうのに。問題ってのは重なっていくもんだな」
アザゼルが溜息と愚痴を零す。
「やること?」
「お前も知っているかもしれないが、イッセー、木場、朱乃の三人が中級悪魔昇格の試験を受ける」
その話はシンも良く知っている。シンにも中級悪魔相当の権利を与えるという話をサーゼクスからされていた。関心が無かったので既にその話は蹴っているが。
「昇格試験に中間テストもあるからな。イッセーの奴、頭が爆発するかもしれねぇ。実技はともかく筆記試験は覚えることが一杯だ」
「……筆記試験なんてあるんですね」
悪魔は実力主義だと思っていたので、頭の出来を計る試験があることに少々失礼かもしれないが意外に思ってしまう。
「力があっても頭の中身が空っぽじゃ危なっかしくて資格なんて与えられん。何処へ出しても恥ずかしい奴なんかに高い位なんてやったら悪魔の沽券に関わるからな」
「そういうものですか」
シンは受ける立場ではないのでそれ以上の興味が惹かれることは無かった。
「……そういえば、お前もギャスパーと一緒に朝練始めたんだってな?」
今日始めたばかりのことが既にアザゼルの耳に入っていた。
「耳が早いですね」
「当ったり前だっつーの。コーチとして逐一お前たちの状態を把握しておくのは常識だ」
頼りになる台詞である。
「コーチの立場からして俺とギャスパーが一緒に特訓するのは賛成ですか? それとも反対ですか? 加減はしていますが……朝のギャスパーの様子はご存知だと思いますが?」
「……オーバーワーク気味だな。本音を言えばもう少し落ち着け、と言いたいところだ。だがな、引きこもりで臆病だったあいつがここまで自主的に動いている。その意志は尊重したい」
アザゼルの眉間には皺が寄っている。身を案じることは大切だが、成長の機会を奪ってしまうことに繋がるかもしれないことを悩んでいる様子。
「……実を言うとな、俺もギャスパーから相談を受けている」
「アザゼル先生に? ……神器関連の相談ですか?」
「正解。サイラオーグ戦が終わってすぐにな。泣きながら俺のところへ来たよ」
ギャスパーは泣いてアザゼルに懇願した、強くなりたいと。守られるような情けない眷属じゃなく皆を守れるような眷属になりたいと。
「俺としてはサイラオーグ戦のあいつは情けないとは思わなかった。リタイヤしたがちゃんと自分の出来ることをした。だが、どうやらギャスパーにとっての理想はお前やイッセーみたいだ」
アザゼルは溜息を吐く。必死になって頑張ることと切羽詰まるのは紙一重。上手く行けば更なる成長に繋がるが、失敗をするならより深く沈む。
「悩んだが俺はあいつの決断を尊重した。お前を特訓相手に選ぶぐらいなんだから生半可な決断じゃないだろう。機会を見てギャスパーをグリゴリの神器研究機関へ行かせる。そこで指導を受けて己の神器と向き合わせる予定だ」
ギャスパーが肉体だけでなく神器の方もどうにかしようとしていることは、シンにとって初耳であった。
「──上手く行きそうですか?」
「分からんとだけ言っておく。神器を十二分に使いこなすようにはなれるかもしれないが、その先の禁手に至るとなると話は別だ。あれは使用者によって切っ掛けが異なるからな」
安易に成功するとは言わず、正直に思っていることを言う。どちらにしても全てはギャスパーの頑張り次第。神器研究機関はあくまでサポートに過ぎないのだ。
「そういう訳で暫くの間、ギャスパーは離れる予定だ。……ああ、そうだ。ついでに言っておくがロスヴァイセも近々離れる」
「理由は?」
「一旦故郷の北欧へ帰るんだと。ヴァルハラで先輩から防御魔法を教えて貰うそうだ」
サイラオーグ戦が尾を引いているのはギャスパーだけではない。ロスヴァイセもまたサイラオーグ戦で自らの力不足を痛感していた。今まで独学で防御魔法を鍛えていたが、それも限界を感じ、ヴァルハラでより高度な技術を学ぼうとしている。
「デビュー戦で何も出来なかったのが堪えたみたいだ。本人は力不足だとか『戦車』の特性をまだまだ極められていないとか落ち込んでいたが、誰がどう見ても相手が悪い。あのときのサイラオーグは別格だ」
見た者全員が口を揃えて言うが、あれはロスヴァイセが脆弱なのではなくサイラオーグが圧倒的過ぎた。『戦車』の耐久を一撃で突き破るなど誰にとっても予想外過ぎる。
「俺の予想だと防御魔法と『戦車』の耐久性を合わせたロスヴァイセならサイラオーグの攻撃を何発かは耐えられる筈だった。……何かよう、サイラオーグの拳を受けた奴らが言うには、防御を無視して衝撃が貫いてくるような感覚だったらしいぜ?」
アザゼルからすれば既視感を覚える情報。半眼で疑うようにシンを見る。
「──お前、サイラオーグに事前に何か教えたか?」
責めるつもりはアザゼルには無かったが、せめて事情と理由は話せと目で訴える。
「別に教えていませんよ」
シンは一切揺れない瞳で真っ直ぐアザゼルの目を見ながら答えた。シンは嘘を言っていない。何故ならばシンはサイラオーグと模擬戦をしただけであり、その中でサイラオーグが独自に導き出したからだ。
シンの完璧なポーカーフェイスにアザゼルは表情から読み取ることを早々に諦め、溜息を吐く。
「ったく、裏で色々と動きやがって……何かあってもすぐに助けられねぇぞ?」
「それはすみません。近くに良いお手本があるもので」
「こいつ……」
シンが皮肉を言うとアザゼルは渋い顔をする。自覚があるせいなのか反論はして来ない。
「色々と聞いていますが、アザゼル先生の方はどうなんですか? 実は今も裏で何かやっているんじゃないですか?」
同じことをアザゼルへ問う。すると、アザゼルは露骨に視線を逸らした。図星を指されたらしい。
「……何かやっているんですね?」
「正確には俺じゃないがな」
何かを知っている様子だが、あくまで自分の指図ではなくその情報を知っているだけと答えた。あっさりと白状したのは、些細な変化もシンは見逃さないと分かっているからだ。
「アザゼル先生じゃない……? もしかして、ヴァーリが何かやろうとしているんですか?」
「──お前、本当に話が早いな。あと、勘が良過ぎる」
短い会話と察しの良さで正解を導き出したシンに、アザゼルは感心を通り越して呆れてしまう。話が早いせいで、話が盛り上がる前に終わってしまう。その辺り、将来的に苦労しそうだと思ってしまった。
「何をしようとしているんですか?」
「──さあな?」
「アザゼル先生」
「何だ?」
「親バカですね」
「……言うな」
◇
いつも通りの日常──から少し変化した日々。
朝起きたらギャスパーと合流し、軽い運動をした後に一対一の特訓を行う。
「あうっ!」
ノックするようにギャスパーは額を小突かれ、痛みで声を上げた。しかし、仰け反りはするもののプルプルと足を踏ん張らせながら決して倒れることはせず、反っていた上体を強引に起こす。
「ま、まだまだですぅぅぅ!」
初日は指一本で気絶させられたが、それ以降は意識が飛び掛けても意地でも気絶せず、臆せずシンに喰らい付く回数が増えた。シンも段々と攻撃を強くしていき今では軽く握っただけだがギャスパーに拳で打ち込むようになった。
攻撃の痛さが増したのだが、ギャスパーとしてシンに認められていっている証であり、特訓の際に初めて拳で殴られたときには泣くのではなく喜んだ。
『今日、初めて間薙先輩に殴られたんですぅぅ……!』
と、オカルト研究部部室で嬉しそうにギャスパーが語ったときの部室内の戦慄はシンの記憶に新しい。
蝙蝠の分身による回避や影から無数の影を伸ばして相手の動きを妨害するなど吸血鬼の能力の基礎を少しずつ向上しており、地道ながらも力を付けていっている。
「ふぐぇ!」
とはいえ、やはり近接戦の経験と技量はまだまだ未熟なので欲を出してシンの攻撃を捌こうとし脳天に拳を落とされて悶絶する。
「──今日はこれぐらいにしておくか」
ギャスパーとの特訓が終わると今度はシンの訓練が始まる。
ギャスパーが押さえている脳天に手を翳す。回復の光が放たれて腫れたギャスパーの頭を治していく。
特訓し、負った怪我をシンが治す。何ともマッチポンプな話ではあるが、これ以上ないぐらいに効率が良いのでしょうがない。
暫くの間、ギャスパーの傷を治していると──
「い、痛みが消えました」
──ギャスパーから報告が入る。シンは回復を始めてから心の中で時間を計っており、ギャスパーからの報告で掛かった時間を計測する。
時間自体は前回とは変わらないが、ギャスパーとの特訓は激しさを増しており、受けるダメージも増えていることから最初の頃よりかは回復速度は増えていると思われる。あまり劇的な変化は無いので分かり難いが。
あれこれ効率を考えてやってみているが、手応えはあまり感じられない。同じく回復が出来るピクシーや治癒の神器を持つアーシアの意見を聞いてみたが──
『どうやってやるかって? アタシ分かんなーい。息するみたいなもんだしー』
『えーと、えーと、何と説明すればいいんでしょうか……皆さんを治したい、力になりたいと祈っているので……そうだ! これから間薙さんも私と一緒に主へ祈りましょう!』
──あまり参考にならなかった。片や感覚派であり、片や神器による治癒と根本から違う。ダメもと聞いてみたが結果は予想通りであった。
自分の体であったのなら重傷もすぐに完治出来るので若干のもどかしさを感じるものの、手探り状態で鍛えているので効率的な能力の伸ばし方も分からない。今はただただ回数を重ねるしかなかった。
ギャスパーの目立った外傷が無くなると、ギャスパーはシンに頭を下げる。
「あ、ありがとうございますぅぅ」
「礼を言う必要は無いと前に言ったぞ?」
傷を付けたのはシンであり、それを治したに過ぎない。マッチポンプに礼を言う必要など無いと言うが、ギャスパーは律義に感謝している。
「ぼ、僕がしたいからするだけなんですぅぅぅ!」
ギャスパーはこれを譲らず頑固な面を見せる。シンはこれ以上言っても揉めるだけなので何も言わず、ギャスパーの好きなようにさせた。
「ぼ、僕、だ、段々と動きが良くなって来たと思うんですぅ! こ、この間、イッセー先輩のパンチを避けられたんですよ! イッセー先輩驚いていましたっ!」
シンがギャスパーの特訓に付き合っているのはオカルト研究部のメンバーも既に知っている。ギャスパーの身を案じて大丈夫なのかとギャスパーに聞いていたが──
『最初は痛かったけど、後で優しくしてくれますから……』
──非常に誤解を招く言い方で説明をしてくれたので、おかげで部室内のシンに向けられる視線と空気が凄まじいことになった。
ちょっとずつだが成果は出ていることに喜ぶギャスパーだったが、急に表情を暗くする。
「あ、あの……間薙先輩に謝らないといけないことがあるんです……」
「何だ?」
「ち、近いうちにぼ、僕、グリゴリの神器研究機関へ行きます……そ、そうなると暫くの間、特訓が出来なくなるので……ぼ、僕から頼んでおいてすみませんっ!」
そのことについてはアザゼルから事前に聞いていた。例え、聞いていなかったとしても別に怒るようなことではない。
「そうか」
その一言で終わるだけである。
「お、怒ってないんですか……?」
恐る恐る訊ねる。ギャスパーの中では不義理を働き、怒られても仕方のないことだという認識の様子。ギャスパーがどちらを望んでいるかは知らないが、この程度ではシンの感情は動かない。
「神器をもっと上手く扱えるようになりたいだけだろう? 怒る理由なんて無い」
ギャスパーの意思を尊重することを伝えると、ギャスパーは瞳を輝かせる。
「は、はい! もっと、もっと、ちゃんと神器を使えるようになりたいんですぅぅ! い、いざというときに皆を守れるように!」
ギャスパーのモチベーションが上がっていく。ただ会話しているだけだが、尊敬しているシンに背中を押されて嬉しそうであった。
興奮して鼻息が荒くなるギャスパー。危うさも感じられるが、将来的に頼もしくなるように思える。
だからなのだろうか。シンは何気なしに言ってしまった。
「その意気なら俺とイッセーに万が一のことがあっても大丈夫だろうな」
ギャスパーから返って来る声が無かった。少しの間沈黙が続く。何も言わないギャスパーを不審に思い、彼の方を見る。ギャスパーは瞬きもせず、見開いた目から妖しい輝きを放ちシンを凝視していた。
「何で……何でそんなことを言うんですか?」
予想していたよりも数段重い反応が返ってきてしまった。シンはこの時点でさっきの台詞が失言になってしまったと察する。
「──あくまでもしもの話だ」
「もしもでもそんなことを言わないで下さい」
いつも感情的に喋っているギャスパーが、このときだけは無感情で喋る。或いは激情が一周回って冷静になっているのかもしれない。
「そんなこと……そんなことがあったら僕は……!」
そのもしもが起こってしまったことを想像したのかギャスパーは体を震わす。
シンは何かに気付き、視線を一旦ギャスパーから外した。近くにある木。注目したのは朝日を浴びて伸びる影。木の影が揺れている。木自体は全く揺れていないのに、影だけが本体から切り離されて独りでに動いている。その揺れはどんどん強まっていき、やがて平面の筈の影が液体のように波打ち出す。
影が二次元から三次元になっていく現象は木だけでなく周囲の影全てに起こっており、シンの足元から伸びる影にも同様の現象が起こっている。
「間薙先輩たちを傷付けた奴を……殺します」
ギャスパーの口から普段の彼ならば決して出ない言葉が出ると周囲が徐々に暗くなり始める。太陽は昇っており、雲一つ無いというのに陽の光が失われていき世界が暗闇になっていく。
随分と重く、暗い感情を宿しているな、と思いながら周囲の変化に動じることなくシンは再びギャスパーの方を見た。暗闇に覆われていく世界の中でギャスパーの瞳だけは光を失うことなく輝き続けている。
ギャスパーにはまだ暗闇の制御が出来ないのか影や暗闇がシンへと迫って来た。しかし、シンはその場から動こうとしない。
ここで動揺を見せるようならばギャスパーの先輩は務まらない。彼が思い描く尊敬している先輩らしく構える。尤も、シンの場合は虚勢ではなく今の現象に対して一切の恐れを抱いていない。
「──頼もしいことを言うな」
シンが一言と発すると影や暗闇の浸食が止まる。シンに触れることを恐れているかのように見えた。
「それが出来るかどうか……俺で試してみるか?」
シンの眼光がギャスパーを射抜く。ギャスパーが全身を震わせた瞬間、波打つ影はただの影へ戻り、光を喰らう暗闇は霧散し朝日が戻る。
「あ、あれ……?」
さっきまで自分が何をやっていたのか覚えていないのかギャスパーは首を傾げている。
「ぼ、僕、何かしましたか?」
記憶が抜けている間に何か失礼なことをしたのではないかと不安になり、怯えながらシンに尋ねた。
「──何もなかった」
シンは吐息のように違和感無く嘘を言ってこの場を誤魔化す。
ギャスパーの能力の片鱗に触れたシン。あれが神器によるものか、はたまたヴァンパイアによるものか不明だが、開花すれば強力な武器になるだろう。
神器研究機関が切っ掛けになれば良いと思う。
(本当に居なくなっても大丈夫かもしれないな……)
冗談として言ったが、何故かぼんやりとだがそんな日が来るかもしれないと思ってしまう。
無表情なまま虚空を見上げるシン。シンが何を考えているのか分からず、ギャスパーは時間が来るまでその横顔を見ていることしか出来なかった。
◇
ある晩、アザゼルから連絡が入ってきた。
『明日、大事な用がある。イッセーの家に来てくれ』
「唐突ですね」
『お前たちに会わせたい訪問者がいる』
「誰なんですか?」
聞いてみたが答えは返って来ない。
『会ってから説明する』
「名前も出せないような相手なんですね」
『好きに解釈しろ』
「……また手本にさせてもらいますよ」
『嫌味な奴め……』
向こう側のアザゼルが顔を顰めているのが見ないでも分かる。
『……会ったら多分敵意を抱くかもしれないが、攻撃はするな。まず話だけでも聞いてくれ』
随分と慎重というべきか名を出さない相手を強く警戒、恐れているような気がした。
「……分かりました」
『そうか。なら──』
集合時間を教え、アザゼルの連絡は切れる。平穏な日常を送っていたが、そろそろ波乱が起こるかもしれない、とシンは予感する。
◇
翌日、シンは時間通りに一誠の家に着いた。勿論、仲魔も連れている。来訪を報せる為に一誠宅のチャイムを鳴らそうとする。
そのとき、ドアが開く。
到着に気付いてドアを開けたのかと思ったが、ドアの向こうに立っているのはシンが知らない人物であった。
黒いゴスロリ衣装を着た十代の少女。感情が見えない瞳でシンを見詰めている。
不思議なことにドアが開くまで一切存在感を感じなかった。だが、見てしまった瞬間に果ての見えない無限に等しい力を少女から感じる。
「シン、来た」
向こうはシンのことを知っている様子。だが、シンは少女を全く知らない。
「──誰だ?」
「我、オーフィス」
『禍の団』のトップと同じ名。出任せではないだろう。隠し切れない圧倒的強者のオーラがその証拠である。
何故『禍の団』のトップが一誠宅に居り、自分を出迎えているのかは分からない。事前の連絡からしてアザゼルが噛んでいることは間違い無い。
「そうか……」
話は聞いた。一呼吸置く。
次の瞬間、シンの拳がオーフィスへ放たれる。
次回は別視点での話になる予定です。