ハイスクールD³   作:K/K

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これでサイラオーグ戦は終了となります。


紅拳、王拳

 打ち込まれた衝撃は、文字通り言葉にすることが出来ないものであった。サイラオーグはその場で膝を突き、口から血塊を吐き出して地面を赤く染める。

 観客席からどよめきや中には悲鳴を上げる者も居た。若手悪魔ナンバー1のサイラオーグが両膝を突いて血を吐き続ける光景はそれ程までに衝撃的なものであったからだ。

 観客が深刻なダメージかと心配する中──

 

(この程度で……済んだのか……日頃の……鍛錬の成果が……出たな……!)

 

 サイラオーグは、血を吐く程度で済んだと寧ろ真逆のことを思っていた。

 一誠が繰り出した強化された左腕の一撃は、サイラオーグが生きてきた中でも最も強烈で、最も重い一撃であった。衝撃で体の中の血が血管内で逆流を起こし、骨の芯まで響き、内臓が潰れるような感覚。血を吐く程度と思ったのは、口から内臓を吐き出してもおかくしない拳であったからだ。

 サイラオーグもまさか先程の一撃が雷神トールの剛力を瞬間的だが再現したものとは夢にも思わないだろう。

 ダメージを軽減出来たのはサイラオーグが纏う闘気と鎧、そして鍛えられた肉体のおかげ。今日ほど鍛錬を積み重ねて良かったと思った日はない。

 サイラオーグが雷神の剛撃に苦しむ中で彼と同じ痛みを経験している者も居た。

 

『ぐ、おおお……何という……力だ……!』

 

 サイラオーグが纏う『獅子王の剛皮』ことレグルスである。拳を受けた箇所は深く凹み、そこを中心にして鎧全体に罅が伸びている。軽い罅程度ならば自己修復出来るが、未だにそれが行われていない。それが受けたダメージの深さを物語っている。

 とはいえ、ここまでレグルスのダメージが深刻なのはレグルス自身が少しでもサイラオーグのダメージを減らす為に身を呈してダメージを引き受けたという理由もある。だが、誤算だったのは一誠の一撃がレグルスの想像を遥かに上回る威力だったこと。

 レグルスは神滅具にして転生悪魔である。故に肉体というものを持っており、今は『獅子王の剛皮』が彼にとっての肉体。転生悪魔になることで自立可動が可能となったが、それに伴い弱点も出来た。

 肉体を持ったことで痛みやダメージを感じるようになり、それが許容範囲を超えると肉体を維持出来なくある。もし、それがレーティングゲーム中に起こればレグルスはリタイヤ扱いとなり、サイラオーグの禁手は強制的に解除されてしまう。

 それはレグルスにとって最も恐れている事態である。主であるサイラオーグが戦っている中で自分だけ外野に置かれるなど考えたくもない。

 

『サイラオーグ様の……闘気が無ければ……危うかった……!』

 

 サイラオーグが発していた闘気が僅かながら一誠の拳の威力を削いでくれた。結果的に見ればサイラオーグとレグルスが互いに庇い合ったことでダメージを最小にすることが出来たのだ。

 意図せずに最も効果的な防御を行ったサイラオーグだが、状況はサイラオーグが圧倒的不利に変わりない。今すぐにでも立ち上がって構えるべきなのだが、下半身が言うことを聞かない。まるで神経を遮断されたかのように力が入らないのだ。

 

「どうした、足よ! 俺を今まで支えてきたのにこの大事な場面で動かんのか!」

 

 サイラオーグは太腿に拳で叩く。足の爪先まで鋭い痛みが駆け抜ける。感覚はまだある。時間が経てば回復するだろうが、悠長なことを言っていられない。すぐ傍には一誠が居る。

 しかし、サイラオーグの焦燥とは裏腹に一誠からの追撃は来ない。サイラオーグが膝を突いた時点で攻撃されてもおかしくはないのに、それなりの時間が経過してもまだ来ない。

 一誠が追撃しないのは理由がある。

 

「ぐ、おお……いってぇ……!」

 

 殴った一誠もまた悶え苦しんでいた。左腕を押さえて前屈みの体勢になっている。やはり、トールの剛力を一瞬でも再現するのは相応の反動が伴う。一誠の左籠手は半壊状態になっており、装甲が何箇所か剥がれ落ちている。また、鎧全体に細かい罅が入っていた。これら全て殴ったときの反動によるもの。

雷神トールの力は一誠の身の丈に余るものであり、殴った当人にもダメージを与えていた。尤も『真紅の赫龍帝』を纏っていたからこそこの程度で済んだ。仮に『赤龍帝の鎧』状態で同じ事をしていたら、一誠の体は内外問わず壊れていただろう。

 会心の一撃を与えたと思ったが、その代償は大きい。一誠は左腕を垂れ下げながら体勢を戻す。その間にドライグの尽力により鎧の罅は修復されていく。ただ、左手の損傷は他に比べると修復が遅れている。

 体勢を整えている一誠が見たのは、気力を振り絞って立ち上がるサイラオーグの姿。歯を食い縛り、鬼のような形相になっている。

 サイラオーグが必死になっているのを見て、一誠もまた一層気合を入れ、激痛を押し込めながら構える。サイラオーグもまた一誠に触発されて絞り切れる程の気力を両足に送り込んで無理矢理立つ。

 負けたくない。共通した想いが互いを高め合い、自分を引っ張り上げる。

 両者が構えたタイミングはほぼ同時。振り出しに戻ったようにも見えるが、一誠の鎧は徐々にだが修復されている中、サイラオーグの鎧には胴体を中心にして深い傷が残っている。レグルスが消耗していることが如実に表れている。

 先に動いたのは一誠であった。サイラオーグの鎧の亀裂目掛けて拳を放つ。サイラオーグは避けるような動きを見せたが、その考えとは裏腹に足が動いていない。立ち上がることは出来たが、まだダメージが抜けておらず思うように動かせないのだ。

 黄金の鎧に突き刺さる真紅の拳。半壊状態の鎧に音を立てて罅が入る。一誠の攻撃はそれでは終わらない。

 

『Solid Impact Booster!』

 

 トリアイナの『戦車』と同様に肘に形成された撃鉄が、真紅のオーラを火薬代わりにして炸裂。同じ箇所に二度目の衝撃を打ち込む。

 

「ぐっ!」

 

 壊れかけている鎧ではその衝撃を防ぎ切ることは出来ず、サイラオーグの生身まで届く。呻くサイラオーグの口からは再び血が漏れ出るが──

 

「まだだっ!」

 

 その瞬間、動かない筈のサイラオーグの足が動き、一誠目掛けて上段蹴りを繰り出す。一誠は咄嗟の判断で膝から力を抜き、重力に身を任せて体を下げる。しかし、それでも間に合わないと感じたので可動域限界まで首を横に倒した。

 チッという掠める音が兜の中に響き渡ると一誠の足元に紅色の破片が落ちていく。掠ったサイラオーグの蹴りで兜の一部が破壊されたのだ。

 ダメージが抜け切っていない足でここまで鋭くキレのある蹴りが出せるサイラオーグ。しかし、彼を支えるもう片方の足は今もダメージで震えている。通常ならば蹴りを出すことさえも困難な筈だが、サイラオーグは追い詰められた状態になって新たな境地に立った。

 それを可能とするのが彼が纏っている闘気。今は大きなダメージを受けてしまったせいで若干質量が下がっているが、これがサイラオーグに新技を授ける。

 質量が減ったことで闘気のコントロールの精密さが上がった。そこでサイラオーグは、纏わせている闘気を操ることで外部から体を動かして見せたのだ。

 今のような追い詰められた状況でしか使えないハッタリに近い技だが、サイラオーグは未だに健在と相手に見せつけるには十分である。何よりも土壇場でこのような技を思い付くその勝利への執念に見せつけてくる。

 

「うらぁぁ!」

 

 身を屈めていた一誠はそこから跳び上がり、サイラオーグの顎を狙ってアッパーを出す。

 サイラオーグは最小限の動きで首を動かし、一誠のアッパーを避けた。だが、完全に回避することは出来ず、僅かに触れた兜の一部が砕けて剥がれる。

 跳躍して隙だらけな姿を相手に晒してしまう一誠だが、今の一誠はそれすらも次へ繋げる。

 

『Star Sonic Booster!』

 

背部から噴射されたオーラにより前方へ膝を突き出しながら突撃。サイラオーグの顔面に膝が入った──と思われるが、ギリギリのタイミングでサイラオーグは間に手を挟んでいた。

 膝を掴まれ、片腕一本の力で一誠は減速させられる。しかし、再度オーラを噴射させて強引に押し込む。

 押さえていた手ごとサイラオーグの顔面に一誠の膝が突き刺さるが──

 

(浅いっ!)

 

 一度減速させられたせいで膝蹴りの威力は半減以下にまでされていた。この程度でのダメージではサイラオーグを倒すに至らない。

 

「ぬおおおおっ!」

 

 サイラオーグは両手で一誠の足を掴むと、その状態から背負い投げような形で一誠を投げようとする。三メートル以上の高さから、サイラオーグの渾身の力で地面目掛けて振り下ろされようとする。叩き付けられれば今の一誠には致命傷になりかねない。

 急いで足を引き抜こうとするが、サイラオーグの握力は一誠の力を上回る。一瞬の抵抗を後に一誠は全身に凄まじい風圧を感じた。

 地面に叩き付けられる前にまず空気の壁に叩き付けられる。人の体をこうも速く振るうことが出来るのかと戦慄してしまう。

 時間にすれば刹那の間。猶予など無いに等しいが、何かをしなければ一誠は敗北する。

この戦いはコンマ数秒でも戦うことを考えなかった者が負ける。

 

(硬い地面に叩き付けられる……なら!)

 

 そこから先はほぼ反射に近い行動であった。

 

『Divide!』

 

 地面に叩き付けられる寸前に発動するのは『白龍皇の籠手』の能力。だが、一度だけでは終わらない。

 

『Divide! Divide! Divide! Divide! Divide! Divide!』

 

 以前なら不可能であった『白龍皇の籠手』の連続発動。歴代白龍皇の思念が最期に残してくれた置き土産。

 一誠の背中が地面に接触。本来ならば隕石が落ちたようなクレーターが出来上がる程の衝撃が発生していたであろう。しかし、『白龍皇の籠手』の半減の能力により発生する筈であった衝撃は繰り返し半減され、最終的には一誠は地面へ羽毛のように柔らかな着地をする。

 サイラオーグもこれには驚く。相手を砕かん勢いで地面に叩き付けた筈が、丁寧に置いたかのように一誠は無傷。イメージと現実の差に驚くと同時にいつの間にか白龍皇の能力をここまで使いこなせるようになっていた一誠にも驚く。

 危機の直後には好機がやってくる。一誠はうつ伏せの体勢のままもう一方の足を掴んでいる足を揃える。サイラオーグは一誠の行動に反応して両手を離そうとしたが、左手を離すのが間に合わず、一誠の両足に挟まれる形となった。

 一誠は両手を伸ばして腕立て伏せの姿勢になると両手で地面を突いて浮き上がる。そして、そこから全身を捻る。

 引き抜くことが間に合わなかったサイラオーグの左腕がこの捻りに巻き込まれ、肘が可動限界まで捩じられた。しかし、一誠はここで終わらない。背部の噴射孔からオーラを噴射させ、更に捩じる。

 太い紐が千切れるような音がサイラオーグの左腕から鳴る。このままもう一周しようとするが、一誠はサイラオーグの右拳が握られていることに気付いて両足を離した。

 噴射の勢いに任せて離れる一誠。サイラオーグの左腕は破壊されており、肘の部分が内側に向くまで捩じられている。

 サイラオーグの最大の武器を一つ奪った──となる程サイラオーグの覚悟は甘くない。

 

「──ふんっ!」

 

 サイラオーグは捩じれた左腕を掴んで一息で元の位置に戻す。そして、闘気を動かして破壊された左腕を外部から操作し、構えさせる。この間、サイラオーグは顔色一つ変えていない。

 

「流石……」

 

 それを見て一誠はそう賞賛し、冷や汗を流すしかなかった。ダメージを与えたのは一誠の方だというのに。戦況的には一誠の方が有利に見えるかもしれない。だが、精神の方ではサイラオーグが勝っているように映る。

 

「まだまだこれからだ……!」

 

 確実に消耗している筈なのだが、サイラオーグの気力に翳りが見えない。本当にこの戦いを心の底から楽しんでいる。

 

「そうですね! これからです!」

 

 その期待に応えて対等。上回って初めて勝利を掴める。

 一誠はオーラの噴射により神速の詰めを行うと、スピードに乗ったまま拳を繰り出す。だが、サイラオーグはそれを見切り、首を傾けることで躱すと反撃の拳を放った。

 交差する両者の腕。一誠の顔面にサイラオーグの貫く拳が入る──間際、一誠もまた首を動かして紙一重で回避。互いの兜の一部が拳に触れたことで破損する。

 クロスカウンターの不発を合図にして始まるのは壮絶な攻防。

 一誠が蹴りを出せば、サイラオーグは最小限の動きで躱し、懐に入り込んで拳で突こうとする。そうなる前に一誠は体当たりをし、サイラオーグを間合いの外へ突き飛ばそうとするが、サイラオーグは地を蹴って体当たりの勢いを相殺し、もう一度地面を蹴って接近すると負傷している左拳で一誠を突く。

 一誠は迫る拳を両手で掴んで止める。負傷していることと外部から無理矢理操っているので拳に普段の速さが無いので掴むことが出来た。

 だが、それと同時にサイラオーグは右拳を握り締める。それを見て一誠は釣られたと思った。サイラオーグの拳の脅威を知っているからこそ、その拳が弱々しく映ったからこそ恐れと慢心を突かれて掴むという行為に出てしまった。

 サイラオーグの右拳が放たれようとしたとき、不意に頭の中でこの光景が過去の記憶と重なる。

 あれは日々のトレーニングの中で毎日やっていた実戦式のトレーニング。

 そのトレーニングでシンに腕を掴まれ、それを振り払う為にした悪足搔きのような攻撃。

 体が自然に動いていた。サイラオーグの太腿にローキックが入る。

太腿を覆う鎧すらも砕く一誠のローキックにサイラオーグの表情が歪み、体がぐらつく。通常時のサイラオーグの体幹ならばこの程度では揺らがなかっただろうが、大きなダメージを受けて足に力が入らない今の彼には効果的であった。

 一誠は間髪入れずにサイラオーグを引き寄せ、その額に己の額を叩き付ける。一誠とサイラオーグの兜が同時に割れるが、サイラオーグは額から血を流しながら仰け反る。どちらにより大きなダメージが入ったのか一目瞭然であった。

 

(トレーニングしていて良かった……!)

 

 あのローキックは個人的にも練習していたもの。切っ掛けなど些細なこと。シンに入れたとき、彼が言った言葉が頭の中に残ったからという単純なもの。

 

『悪くないな』

 

 それが妙に嬉しくてその日からローキックの練習もトレーニングの中に入れ、ひたすら繰り返し練習していた。

 

(無駄じゃない! 無駄じゃないぞ!)

 

 この大舞台で決まったことに一誠は昂る。

 

『相棒! 畳み掛けろ!』

 

 ドライグが追撃の指示を出す。良く見ればサイラオーグの目の焦点が合っていない。今の頭突きのせいで脳が揺さぶられている。

 この機を逃す筈も無く、一誠は渾身の力でサイラオーグの顔を殴った。

 生身の顔に一誠の鋭い拳がまともに入り、後方へ吹き飛ばされていく。

 一誠は両翼に収納されていた二門のキャノンを展開した。追撃の本命がこのキャノンである。

 キャノンの中にオーラが充填されていく。瞬く間にチャージが完了される。トリアイナの『僧侶』よりもチャージ時間が遥かに速い。

 

『相棒、分かっているな? 直接狙わずに巻き添えにする感じで攻撃をしろ! 禁手は深手を負っているが、まだ飛び道具に対する無効化は残っているかもしれん!』

 

 焦って攻撃して失敗しないように砲撃前にドライグが声を掛ける。

 

「分かっているさ!」

 

 トリアイナの『僧侶』のときは敢えて手前に命中させ、爆発に巻き込む形で攻撃した。万全の状態のサイラオーグに拳一つで跳ね返されるという驚愕の方法で防がれたが、一誠はあれを踏まえて別方法を思い付いていた。

 

「クリムゾンブラスタァァァァ!」

『Fang Blast Booster!』

 

 紅色のオーラがサイラオーグ目掛けて発射される。

 サイラオーグは迫る紅のオーラの塊に対し、迎撃する構えをとっていた。避けることなど最初から考えていない。空中という不安定な体勢からの突きでは跳ね返すことは困難かもしれないが、それでも真っ向から挑むつもりであった。

 紅のオーラが眼前まで来た。サイラオーグは拳を突き出そうとするが──

 

『サイラオーグ様っ!』

 

 レグルスが何かに気付いて叫ぶ。その直後にサイラオーグも気付いた。だが、放たれた拳は止まらない。

 紅のオーラの球体の後ろに隠れるもう一発の球体。一誠は発射する量を調整して、敢えて二発連続で発射していた。

 それは何故か。

 突き出した拳がオーラの塊に触れ、それを歪めさせる。このとき、一瞬の均衡が生まれた。その直後に後続の二発目のクリムゾンブラスターが前へ追い付き、二つが一つのオーラとなったとき、サイラオーグの至近距離でクリムゾンブラスターは強大な爆発を生み出した。

 爆発と煙が消えた後、大きなクレーターが出来ていた。その中央では倒れ伏したサイラオーグが見える。

 勝った、と思う余裕は一誠には無かった。半分ずつで発射したとはいえ、クリムゾンブラスターの連射は心身を大きく消耗させていた。

 遂に決着がついたことで会場が沸く。

 

『──リタイヤ』

 

 騒々しい歓声の中で脱落を宣言するアナウンスが聞こえた。

 それが聞こえたとき、一誠はようやく勝てたのだと実感が出来た。

 

 

 

 

(体が動かん……)

 

 意識はある。だが蓄積されたダメージにより思うように体を動かせないことにサイラオーグは歯嚙みする。

 薄れていく意識の中でサイラオーグの脳裏に浮かぶのは眷属たちとの思い出。もしかしたら、走馬灯なのかもしれない。

 

『我が剣とアルトブラウの力、貴方に捧げましょう』

 

『騎士』ベルーガ・フールカスの誓い。愛馬のアルトブラウは力強く嘶いた。

 

『……』

 

『戦車』ガンドマ・バラムは無言のまま膝を突き、寡黙な彼らしい忠誠の意を示す。

 

『貴方の夢、俺も見させてもらってもよろしいかな?』

 

『騎士』リーバン・クロセルはサイラオーグの夢に自分の進むべき道を見出した。

 

『サイラオーグ様の為なら一肌脱ごうかしら』

 

『僧侶』コリアナ・アンドレアルフスは妖艶に微笑みながら眷属になることを受け入れた。

 

『この身に流れる血を欲しいと言ってくれるのですか?』

 

『戦車』ラードラ・ブネは蔑まれた混血だと知られて尚求められたことに涙を流す。

 

『貴方の夢の為に僕を傍に置いて下さい。それが僕の夢になります』

 

『僧侶』ミスティータ・サブノックはサイラオーグの夢に自分の夢を重ねた。

 

『サイラオーグ様。貴方を支えさせて下さい』

 

『女王』クイーシャ・アバドンはサイラオーグに尽くすことを生涯の目的とした。

 

『サイラオーグ様……どうか、どうか、私に主を守る役目をもう一度与えて下さい……』

 

『兵士』レグルスはかつての主を守れなかった悔恨を魂に刻み込み、サイラオーグに忠誠を誓った。二度と主を失わない為に。

 眷属たちの想いが薄れていたサイラオーグの意識を繋ぎ止める。

 

『ごめんなさい……ごめんなさい……』

 

 女性の泣く声が聞こえて来た。久しく聞いていない懐かしい声。

 

『ごめんなさい……滅びの力を持たさずに産んでごめんなさい……』

 

 長い眠りについている母の声。本来ならば受け継ぐ筈であった力を与えることが出来なかったことを謝り続けている。

 幼いサイラオーグの前では母は常に気高い人であった。だが、彼は知っていた。サイラオーグが寝ている横で母が涙を流しながら何度も何度も謝っていることを。

 母の涙が嫌だった。謝ることが嫌だった。泣くよりも笑っていて欲しい。謝るよりも褒めて欲しい。そう思ったとき、サイラオーグは強くなろうと決意した。魔力が無くとも、滅びの力が無くとも母が自慢出来る息子になる為に。

 

(母上……私は確かに悪魔としての才には恵まれませんでした……ですが)

 

 呼び起こされた記憶が、力が入らなかった体に再び戦う為の力を与えてくれる。過去が力を湧き上がらせる。

 

(私は出会いに恵まれました……!)

 

 そして、未来へ進む為の一歩を与えてくれる。

 

 

 

 

 歓声がどよめきに変わった。両膝に手を当て、俯いて荒い呼吸をしていた一誠は、その変化に気付いて顔を上げる。

 クレーターの中心に立つサイラオーグ。纏っていた禁手が砂のように崩れて消え、生身を晒す。額や腕から流血しているが、至近距離でクリムゾンブラスターを受けたと考えると軽傷過ぎる。

 

「助かったぞ……レグルス」

 

 その一言で何があったのかドライグは察する。

 

『獅子王め……主の盾になったか……!』

 

 宣言されたリタイヤ。あれはサイラオーグではなくレグルスのものであったのだ。

 クリムゾンブラスターが炸裂する刹那、レグルスが取った選択は可能な限り発生するダメージを引き受けることであった。禁手が解除されたが、それでもサイラオーグを守ることを優先したのだ。

 サイラオーグは目に見えて弱ってはいる。纏っていた闘気は微々たるものへ変わり、体は負傷だらけ。一誠に破壊された左腕は力なく垂れ下がり、使えるのは右手だけ。

 

「こんなことを言うのは変かもしれませんが……」

 

 一誠の表情は複雑なものであった。まだ立てるサイラオーグに戦慄し、恐怖していると同時に高揚し、興奮もしており、蒼褪めながらも顔を引き攣らせながらも笑っている。

 

「サイラオーグさんとまだ戦えるのが嬉しいです……!」

 

 すると、サイラオーグは右拳を一誠に突き付ける。

 

「拳が握れる限り俺は戦い続ける! そして、全力を尽くすのみ!」

 

 サイラオーグの右腕に黄金に光が宿る。それに合わせて闘気が右腕に限定されて放出をされた。全身の闘気を右腕のみに集中させ、防御を完全に捨てる。その甲斐あって右腕から最高潮時の闘気を纏っている状態となる。

 

「あの金色の光って……」

『禁手の残滓だな。本来ならばすぐに消える筈なのだが……ふん、リタイヤしても主の力になりたいという訳か。敵ながら見事だ』

 

 レグルスが残した光とサイラオーグの闘気が混じり合う。白と金の光が混ざることで輝きを強める。一誠は放たれる光の中に獅子の顔が浮かび上がるのが見えた。

 

『気圧されるなよ』

「──まさか。あっちに金色の獅子王が居るなら、こっちには頼れる赤い龍の帝王がついているんだ」

『──ふっ』

 

 ドライグは小さく笑うと黙った。後は全て一誠に任せるという信頼の表れ。勝とうが負けようが最後まで共に戦うという意志の表示。一誠もドライグからの無言の信頼を感じていた。

 

「最後の勝負、付き合ってもらうぞ?」

「ええ。喜んで」

 

 二人は向き合い、互いに歩を進めていく。これまでの戦いを見ているとひどくゆっくりに見える。しかし、今の彼らはこれが限界であった。度重なるダメージを受け、更に全ての力を右腕に込めているサイラオーグは、走る余力すら残っていない。一誠の方もオーラを殆ど消費してしまい鎧の維持も限界が近い。膝も笑っており、歩く度に体が大袈裟に上下してしまう。

 しかし、その様子を笑う者はこの会場にはいない。先程まであった歓声は、水を打ったような静けさに変わっていた。小さな物音すら喧しく聞こえる静寂の中で二人の足音だけが響く。

 やがて、二人の足が止まる。そこは二人の間合いが重なる地点。目の前に立つ自分の夢の前に立ちはだかる壁。しかし、向き合う二人に負の感情は無い。あるのは相手に対しての深い尊敬だけ。

 

「兵藤一誠。俺は勝つ」

「いいえ。俺が勝ちます」

 

 最後の意思表示。言葉を先に交わし、二人は爽やかな笑みを見せ合う。だが、次の瞬間にはそれは消え、戦士としての顔となる。

 先に動いたのはサイラオーグ。右拳にレグルスの意思とありったけの闘気を乗せて拳を握る。一誠の目には自分を嚙み砕きにきた黄金の獅子の幻影が見えた。

 このとき、一誠の脳がこのレーティングゲームの中で最も高速に回る。コンマを何百等分するような経験したことがないぐらいに頭が働き、一誠に一秒先の未来を幻視させる。

 そして、導き出される答えは──

 

(……打ち負ける)

 

 ──打ち合ったら自分が敗れるという非情な現実。どんな可能性を考慮してもサイラオーグとの拳の衝突では勝てないという答えしか出ない。それは百回考えても千回考えても同じであった。

 打ち合いで負けるなら防御──という選択肢もあったが、それに用意された答えは防御ごと貫かれるというもの。サイラオーグの貫く拳に対して今の一誠に守る術は無い。

 頭の中で浮かび上がる選択肢が刹那で消えていく。浮かんでは消え、浮かんでは消えを繰り返した後に残されたのは──一つの答え。

 それが思い付いた瞬間、一誠は運命のようなものを感じた。この場、この時。そして、サイラオーグが居るという積み重ねられた偶然をそんな風に感じてしまう。

 成功する確率は限りなく低い。ましてや、サイラオーグが相手となれば更に成功率は低くなる。

 

(やれない、やらないじゃない! やるんだっ!)

 

 そんな迷いはこの戦いには不要。迷った時点で負ける。少ない可能性に己の全てを懸ける。それが出来なければサイラオーグとの戦いに踏み込むことすら許されない。

 覚悟はした。後は実行するのみ。

 拳を握り締めたサイラオーグに対し、一誠もまた構える。目線の高さまで上げた左手を前に突き出し、指先を軽く曲げる。何かを握っているかのようなジェスチャーにも見えた。

 大半の観客たちはサイラオーグと同じような構えをすると思っていた。だが、その予想に反して一誠はこのゲームで初めて見せる構えをとる。

 期待と不安に固唾を呑む観客。一方で極限られた者のみが一誠の構えに既視感を覚えた。実況席に座っているアザゼル、そしてVIPルームで観戦しているサーゼクスと数名の神たち。一誠の構えを見て無意識に眉間に皺が寄っている。

 サイラオーグは冷静に一誠の構えを見ている。何かを仕掛けて来るというのは当たり前のこと。それが何なのかは分からない。しかし、一誠の全く余裕の無い表情を見て、それが一誠にとっての最後の切り札なのは分かった。

 駆け引きなど今更することもない。サイラオーグが出来るのは、真っ向からそれを破ることのみ。

 サイラオーグの足元から地面を踏み締める音が聞こえる。それは動くという前兆。互いの緊張感が極限まで高まる。

 そして、その時はやって来た。

 

「おおおおっ!」

 

 腹の底から吐き出される雄叫びと共にサイラオーグが白金の拳を解き放つ。空気の壁を容易く突き破りながら何も無い空間に線を引くように一誠の顔面へ真っ直ぐ伸びていく。

 一誠は構えたまま微動だにせず、影すら残さないようなサイラオーグの拳から視線を逸らすことなく──

 

 そこから先の光景は誰もが予想出来なかったものであり、誰もが理解出来ないものであった。

 サイラオーグが一誠の後ろに立っている。一誠はその場から動いていない。動いたのはサイラオーグの方である。

 サイラオーグが拳を突き出したかと思った次の瞬間には、サイラオーグが移動していた。まるで一誠をすり抜けたように。観客たちは幻でも見せられているかのような気持ちになる。解説もどう説明していいのか分からず言葉を詰まらせている。

 不可思議な光景に最も反応したのはサーゼクスであった。彼は思わず席から立ち上がり、既視感の正体に気付く。

 

「マタドール……」

 

 混乱しているのは観客たちだけでない。サイラオーグ自身も何が起こったのか理解が追い付いておらず、拳を振り抜いた体勢のまま固まっている。

 

(俺は……何をされた……!?)

 

 拳を突き出す。何万回を超える程繰り返してきた動作。体に染み付いたその動きを自然に行ったつもりであった。

 一誠に拳が当たる直前、サイラオーグは一誠の左手に紅色の布のような物が一瞬現れたように見えた。それに拳が触れたとき、体が定められた流れに乗るように軌道を変え、気付いたら一誠を通り越して背後に立っていたのだ。

 あまりに体が違和感無く動いたせいで軌道修正を行うことも出来なかった。あの瞬間、サイラオーグの意思を残したまま一誠によって体の動きを支配されていた。

 

「これが──」

 

 一誠の言葉に啞然としていたサイラオーグが我に返る。

 

「あのときにちゃんと見せられなかったものです」

 

 急いで振り返るが、彼の目に映るのは一誠の姿ではなく眼前一杯に迫る紅の拳。

 一誠の言葉で思い返されるのは初めて模擬戦をしたときの記憶。あのとき失敗した一誠の技が、この土壇場で披露されたことにサイラオーグはまたしても意表を衝かれた。

 

(学ばんな、俺は)

 

 サイラオーグが内心で苦笑した直後、一誠の全てを賭した拳が突き刺さる。

 サイラオーグ自身も認める程の完璧な入り。体の芯まで届き、響く。

 一誠は全ての想いを乗せてサイラオーグに打ち込んだ。打ち込んだ筈なのだが──

 

「ッ!?」

 

 ──言葉を失う。サイラオーグは一誠の拳を受けても倒れなかったのだ。

 そして、拳を握り締める。一誠は次に来るだろう衝撃に備える。歯を食い縛るその表情は悔し気に見えた。

 だが、一誠の覚悟とは裏腹にいつまで経ってもサイラオーグの拳は来なかった。

 

「サイラオーグさん……」

 

 いや、サイラオーグの拳は放たれていた。それは、彼の拳を知る者からすればあまりに遅い突きであった。空気の壁にすら押し返されるような弱々しく、震える拳。

 サイラオーグは既に限界を迎えていたのだ。それなのにまるで振り絞るかのように己の拳を一誠に届けさせようとする。

 それが若手悪魔ナンバー1としての最後の意地なのか。この拳の意味を誰よりも真っ先に理解したのは今まで戦っていた一誠であった。

 

「本当だったんですね……」

 

 一誠の目から涙がとめどなく流れ落ちる。

 

「全力を尽くす……俺の為に本当に最後まで出し切ってくれるんですね……」

 

 サイラオーグは文字通り全ての力を尽くそうとしているのだ。一誠に敬意を込めて。

 一誠はこんなにも心を奮わせられるのは初めての経験であった。尊敬すべき相手からの全力。これ程誇らしく、嬉しいことはない。

 

「カッコいいです……サイラオーグさん……!」

 

 サイラオーグの拳が一誠に到達しようとする。一誠はサイラオーグの拳を両手で受け止め、しっかりと握り締めた。

 

「ありがとう……ございましたっ!」

 

 サイラオーグの全てに感謝する言葉を叫ぶ。その言葉を切っ掛けにしてサイラオーグの体から力が抜け、ゆっくりと仰向けに倒れていく。

 それを見ると同時に一誠もまた今まで張り詰めていたものが切れるのを感じた。

 

「あぁ……」

 

 こうなることは何となく分かっていた。一誠が今まで戦ってこられたのは、後ろで見守ってくれているリアスの存在。そして、勝ちたかったサイラオーグの存在の御陰。どちらかが欠けてしまえば、早々に限界が来てしまう。

 鎧を維持することが出来なくなり、禁手が解かれる。霞のように消えていく鎧の感触を肌で感じながら一誠は倒れる。

 告白した手前、最後までリアスの前に立っていたかったがそれも無理だった。最後の最後で締まらないなぁ、と呆れつつもリアスへ勝利を捧げられたことを満足しながら一誠は意識を手放す。

『王』と『兵士』が気絶したことにより、今度こそ本当にゲームに決着がつく。

 

『サイラオーグ・バアル選手、リタイヤです。並びに兵藤一誠選手もリタイヤ。ルールにより『王』が敗北したのでゲーム終了です。これによりリアス・グレモリーチームの勝利となります!』

 

 




あと一話でこの章は終わりです。

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