ハイスクールD³   作:K/K

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魔槍、威圧

 白銀の青年の登場にシャルバは驚きと困惑を覚えていた。いつ現れたのか、いつ攻撃されたのか分からない。まるで幻覚でも見せられているような気分であったが、風が通る度に痛む胴体の風穴が紛れもない現実であることを突き付けて来る。

 魔王を超える程の力を手にした自分を上回っているかもしれない存在がすぐ傍に居る。その可能性をシャルバは許すことが出来ない。

 

「貴様ぁぁぁ!」

 

 シャルバの翅が震え、不可視の衝撃がシャルバを中心に全方向へ放たれる。衝撃波により大地は砕け、細かな砂と化し乾いた大地が砂漠となっていく。

 大地が砂漠と化していく現象はヴァーリやオンギョウキたちにも届こうとしていたが、衝撃波の範囲が可視化されているので避けるのは簡単であり、ヴァーリたちはすぐに範囲外まで離脱する。

 砂漠化した大地の中心でシャルバは荒い息を吐きながら立っていた。向こう側が見える程の重傷を負った状態で翅を使用したせいかかなり消耗している。

 

「ぬ、ぐぅぅぅ!」

 

 シャルバは両手を広げながら上半身を反らし、傷を空へと向ける。すると、空中を飛び回っていた黒蠅らがシャルバの傷に殺到する。

 

「う、ぐ、おお……」

 

 黒蠅は傷を通り抜けることはせず、その中で留まる。大量の黒蠅が何処へ収まっているのか、入った黒蠅は一匹たりとも外へ出てくることは無かった。

 千、もしくは万の黒蠅が全て傷の中へと入るとシャルバは上半身を元の位置へと戻す。そこにあった筈の大穴は消え、傷一つ見当たらない綺麗な肌に戻っていた。

 黒蠅はシャルバが生み出したもの。シャルバにとって武器であると同時に体の一部に等しい。故に今のようにシャルバの血肉へと変えて傷を癒すことも出来る。

 

「ふぅ……」

 

 思わぬ消耗を強いられたシャルバは、原因となった白銀の青年を探す。赤い複眼はすぐに白銀の青年を見つけた。当然のことのように青年は無傷であり、これ見よがしに大地と砂漠の境目に立っている。シャルバの攻撃など既に見切ったと言わんばかりに。

 不意打ちに続いて神経を逆撫でる青年の行動にシャルバの複眼が怒りでますます輝く。

 

「そこかぁぁぁ!」

 

 翅から新たに産み落とされる黒蠅が怒涛の如く青年へと押し寄せる。青年はそれを一瞥すると持っていた槍の穂先で自分を中心にした円を描き、地面を軽く突く。そして、その場から動こうとしない。

 諦観とは真逆の余裕の態度。シャルバの怒りは加速し、ヴァーリたちは青年の実力を測るのを兼ねて何をするのか期待して見に徹する。

 円の溝が淡い光で満たされる。そこに黒蠅が殺到──するかと思えば、何故か二つに分かれ青年を避けて左右を通り過ぎていく。

 

「何だと……!?」

 

 青年が自らに施したのは敵を避けさせる呪い。対象者の力を要にして対象者よりも弱い敵を近付けなくさせるというもの。本来ならば余計な戦いを避ける為に使用するものだが、青年ぐらいの実力者がこの呪いを使えば、先程の黒蠅のように本能的に青年を避けて動いてしまう。

 黒蠅の大群の中、青年はその場から一歩も動かない。黒蠅の方が青年を勝手に避けていく光景は、大海を割った預言者のようであった。

 数秒後、青年は黒蠅を無傷で微動だにしないまま切り抜けてしまう。

 

「ははっ。大したものだ!」

 

 ヴァーリは掛け値なしに白銀の青年を称賛する。強くなったシャルバには多少興味を惹かれたが、今の彼の興味は突然乱入してきた白銀の青年の方にしか向けられていない。

 そうなると青年が何処から現れたのか気になってくる。周囲はバラキエルの結界によって封じられている。シャルバのように結界に穴を開けて外から入って来たというのなら話はそこまでだが、バラキエルからはシャルバ以外の侵入者の連絡は無い。

 そして、ヴァーリは青年に対して気になることがある。ヴァーリは青年に既視感を覚えていた。初対面の筈なのに会ったことがあるように思えてくる。これ程の実力者ならば忘れる筈が無い。

 この既視感が何なのかを確かめる為にヴァーリは青年を注意深く観察し続ける。

 

「虚仮脅しを……!」

 

 シャルバは業を煮やして黒蠅を自動から手動へと切り替える。今までは黒蠅らが最初から仕込まれてある動作、所謂本能的な動きをさせていたがこれにより黒蠅はシャルバの完全な支配下へと置かれた。放っておいても勝手に攻撃する自動のときと比べて全ての黒蠅を意識して動かすので精神力や集中力を必要とする。

「喰らい尽くせっ!」

 

 黒蠅らは空中で反転して青年を消し尽そうとする。今度は青年を避けようとしない。シャルバの意識が投影されているので青年の呪いの対象外となっているからだ。

 青年は槍を持ち上げ、逆手に持ち替えると水平のまま後ろへ引いて投擲の構えをとる。構えから力を引き絞るまでの間隔は短く、傍から見ている者からすれば構えた瞬間に投げ放って見えた。

 白銀の槍が空中に線を描きながら飛ぶ。次の瞬間、槍が分裂した。

 数え切れない程に細かく分けられ、鏃のような形となると黒蠅の群に突入。消滅する力を持っている筈の黒蠅を次々と射抜く。

 

「あれは神器か? アルビオン」

『近い力は感じる』

 

 鏃となって敵を貫く槍を見て、ヴァーリは神器かと疑うがアルビオンからの返答は曖昧なもの。聖書の神が与えた神器ではなく、別の力ある存在が創り出した物である可能性もある。ジークフリートの持つ魔剣のような武器なのかもしれない。

 黒蠅は数で圧倒しようとする。それに対して青年が力を送れば鏃は数を増し、黒蠅と同じく数で対抗。結果として黒蠅の数がどんどん減っていく。

 

「くっ……!」

 

 このままでは殲滅させられると思ったシャルバは、黒蠅を退かせた。

 黒蠅が退くと鏃は一箇所に集まって槍へと戻り、その槍も飛んで青年の手の中へと戻っていく。

 青年の姿が消える。凄まじい踏み込みにより瞬間移動に等しい速度でシャルバの前にまで移動していた。

 突然目の前に現れた青年に驚くシャルバ。すかさず突き出された槍がシャルバの心臓を貫く。

 シャルバは呻くが、今の彼は心臓を貫かれた程度では致命傷にならない。退かせた黒蠅がシャルバの許へ集い、触手のようになって青年を消滅させようとする。

 青年の黒髪が揺れたかと思えば旋風が吹き荒れ、黒蠅たちの動きを風によってかき乱す。これにより黒蠅らは青年に接触することが出来ない。

 貫いていた槍を引き抜いたかと思えば、シャルバの体に新たな大穴が幾つも開く。まるで結果のみを残すような過程の見えない刺突であった。

 

「ごふっ……」

 

 シャルバの口から大量の血が吐き出される。辛うじて体が繋がっているような状態となれば無理もないこと。

 青年は再び突きを繰り出そうとして止まる。シャルバの足元に広がる吐血の跡。鮮やかな赤であったそれが一瞬にしてどす黒く染まると、そこから黒蠅が湧き出す。

 血肉と化すことも出来るのなら逆に血肉から生み出すことも出来る。シャルバの血から生まれた黒蠅が青年を取り囲むようにして襲い掛かった。

 が、その直後に不可思議な現象が起こる。

 青年に襲い掛かった黒蠅が縮小し始め、青年に届く前に原子サイズにまで縮まって消えてしまう。この現象はシャルバにも覚えがあった。

 

「ヴァーリィィィ!」

 

 文字通り血を吐きながら怨嗟を込めてその名を叫ぶ。

 

「何か気に障ったかな?」

 

 しれっとした態度をとるヴァーリ。半減の力で青年を守ったのは誰が見ても明白であった。

 一瞬にして身を守る術を失ったシャルバに青年は槍を一閃させる。横薙ぎに払われた一撃によりシャルバの上半身と下半身は断たれ、上半身が地面へと落ちていく。

 そのとき、断面から大量の血が噴き出す。明らかに体格にあっていない程の量の血は、生物のように伸びて上半身と下半身を繋ぎ、一気に引き寄せる。

 断面同士が接着すると瞬く間に繋ぎ合わされ、元の状態に戻った。その再生能力はヴァーリたちからしても目を見張るものであり、当の本人も自分の再生能力の高さに驚いている始末であった。

 

「ふ、はははは、ははははっ! これこそベルゼブブの名に相応しい!」

 

 古来より蠅は死と再生の象徴とされていた。死骸に集り、卵を産み付け、卵は蛆となって死骸を喰らい尽し、蛆は羽化して蠅となって飛び立つ。古き人々はこれに死と再生を見出した。

 シャルバもまたそれを知っているが、シャルバにはそれを為す能力は無かった。だが、翅を頂戴したことにより自らがそれを体現する。血統に誇りを持つシャルバにとって祖の伝説を再現する、これ以上喜ばしく誇らしいことは無い。

 

「偉大なる祖ベルゼブブよ! 貴方の全ては私が引き継ごう! 今ここに宣言する! 私こそが真のベルゼブブだ!」

 

 歓喜が最大まで達したときシャルバの体に異変が生じる。背中の一部が蠢いたかと思えば肉を突き破り、翅の下にもう一枚の翅が生えた。これにより前翅、後翅の二枚となる。

 

「ははははははっ!」

 

 興奮しながら笑うシャルバ。二枚の翅が震えると局地的な竜巻が生じ、全てを吹き飛ばそうとする。

 

「させん!」

 

 オンギョウキは四体に分身し、口から突風を吹いてシャルバの起こした竜巻にぶつける。

 

「ふははははは! まるでそよ風だ!」

 

 興奮し切っているシャルバが叫ぶと風が勢いを増す。竜巻と台風が一箇所に集められたかのような暴風が起こっていた。

 

「色々と騒々しいな」

 

 建物ですら吹き飛ばす勢いの風の中でヴァーリは両足に力を込め、意地でもその場から動かない。オンギョウキもジャアクフロストが飛ばされないように注意しながら自らも風を起こして暴風の勢いを殺していた。

 そして、シャルバに最も近い位置に立っている青年は魔術によって周囲の風を操り、飛ばされないようにしている。しかし、完全には殺し切れておらず鎧の中に収まっていた長髪が風によって引っ張り出され、逆立つように靡く。

 表情を険しくする青年。険しい理由はシャルバが起こす風のせいではない。戦い始めてから青年の頭の中では雑音のようにある光景がずっと流れていた。

 為す術も無く倒れ伏している青年にそれは優しさすら感じさせる口調──

 

 これは──想外だった。君の記憶は完全には──

 だが、無謀だった。──に挑むとは。

 さて、どうするべきか──するのは惜しい。

 残念だ。この世界──から英雄が一人消えるのは。

 ──年後にまた会おう。さようなら、クランの猛犬。

 

 そう言ったのは子供だったか、青年だったか、老人だったか、女であったかどうしても思い出せない。思い出すのは金色の輝き。闇の中で妖しい輝きを放っている光景。

 ただ言えるのは青年は記憶を奪われ、名を奪われ、過去を奪われたのだ。

 再び記憶が繰り返されるようとするが、耳に入ってくる風の音が青年の意識を現実へと向けさせる。非常に不快な気配が混じった風だが、穴だらけの記憶を繰り返し思い出すよりかはましだった。

 青年はシャルバを射抜くように睨むと、その場でしゃがみ込み両足に力を溜め込む。

 

「はっ!」

 

 青年はその場で跳躍。すると、風に乗り青年は高く、速く上昇していく。不規則な軌道を描く筈の風も青年の力の前では自らを押し上げる為の力へと変わる。

 青年は左手を添え、右腕を限界まで後方へ引く。シャルバに狙いを定めた投擲の構え。青年の意志に呼応し、槍が白色のオーラに包まれていく。

 シャルバは穂先を向けられた瞬間、興奮していた頭が一気に冷えていくのが分かった。青年が今から最大の一撃を放とうとしているのを槍から発せられるオーラから察したのだ。

 シャルバという悪魔は傲慢であり、不寛容である。しかし、祖であるベルゼブブに対する敬意は本物であり、自らに流れる血に対する彼のプライドの高さと執着に比肩するものは少ない。

 故に彼は絶対に負けられない。与えられた翅に誓ってベルゼブブの名に泥を塗ることは許されない。

 シャルバは片翅を羽ばたかせて飛翔する。シャルバが動くと暴風も彼へと付いて行く。空中で対峙する両者。大気が荒れ狂う。

 青年は槍を投げ放つ直前、限界寸前まで脱力させていた腕に一気に力を流し込む。ゼロから百までの振り幅を瞬時に振り切ることで放たれる最大最速の投擲。

 青年が槍を放った瞬間、反動で肩鎧が千切れ飛んだ。

 彗星。投擲された槍を表現するのならまさにそれであった。宇宙では地上を駆け抜ける白い尾を引く一条の光。音の壁を軽々と破り、荒れ狂っていた大気が通過の際の衝撃波で消し飛ばされる。

 魔術も魔力もこの投擲を防ぐのは無理だと瞬時に判断出来た。シャルバに残された手段は一つしかない。

 

「お、おおおおおっ!」

 

 翅を折り曲げ、槍を防ぐ為の盾とする。今シャルバが最も信じられるのはこの翅のみ。

 槍と翅が衝突した瞬間、衝撃の余波が全方位へと広がる。

 空に掛かっていた雲は一瞬にして千切れ飛び、大地は衝撃波によって捲り上げられていく。ヴァーリ、オンギョウキ、ジャアクフロストは壁のように迫り来る衝撃波から身を守る。

 空中では青年の槍とシャルバの翅が拮抗している。

 透けた薄羽であるシャルバの翅だが、その内に秘められた力は膨大なものであり、彗星の衝突に等しい青年の槍を通さない。

 青年の槍もまたシャルバの翅からこの世の全ての人々を呪い尽しても余りある呪詛が放たれているが、呪詛によって朽ちることなく翅ごとシャルバを射抜く為に勢いそのままに前進し続けている。

 規格外同士の力が反発し続けるせいでこの地一帯を囲っている結界は完全に機能しなくなり維持も困難になって破壊されてしまった。

 ほぼ無人の荒野なので被害は少ないが、このまま互角の状態が続けば影響は人々の住む場所に及ぶだけでなくこの星そのものに悪影響を及ぼしかねない。

 

「私が身に宿る血をっ! ベルゼブブを舐めるなっ!」

 

 互角という状況を許せないと叫ぶシャルバ。逸脱したプライドの高さが僅かでも誇りを穢すようなことを受け入れることが出来ない。狭量とも呼べる寛容の無さが何度目か分からない感情の爆発をシャルバの内で起こさせた。

 それが後押しとなり、均衡が崩れる。

 シャルバの翅は細かく振動し、槍の突進力を削る。やがて、槍の勢いが失われていく。シャルバの翅の守りが槍の攻撃を上回った瞬間──

 

「はあっ!」

 

 ──折り曲げられていた翅が大きく開かれ、槍を弾き飛ばした。

 勝った、とシャルバは内心歓喜する。驚愕に値する青年の投擲であったが、結果を見ればシャルバのベルゼブブとしての力と執念の方が勝った。

 

(これが私の力だ! 魔王ベルゼブブの力だ!)

 

 青年の悔しがる顔を一目見ようと視線をそちらへ向ける。そこに青年の姿は無い。

 何処へ行ったのかと思ったとき、シャルバは背筋に悪寒が走るのを感じ、本能に従い弾かれた槍の行方を追う。

 地上目掛けて縦に回転しながら円を描いていく槍。その飛んで行く先に青年は待ち構えていた。まるでこうなることを予見していたかのように。

 青年の先読みにシャルバは一瞬驚くが、すぐに気を取り直す。青年の最強の一撃は防いだ。これ以上何をしようとしても恐れるに足りない──そう考えていた。

 青年は飛んで来る愛槍に向けて手を伸ばす──ことはせず、徐に右足を大きく後ろへ引っ張る。

 この世界では失伝された話だが、それはある槍の名であった。投げ放てば無数の鏃となり敵を貫く。

 

「我が敵を貫け──」

 

 それはある特殊な投擲の名という話もあった。手ではなく足を用いた独特な投擲。

 ならば武と技が揃ったこれこそが真の──

 

「──ゲイボルグ!」

 

 返ってきたゲイボルグの柄頭を足の甲で受け、振り抜き、蹴り飛ばす。あらゆるものを置き去りとする神速の投擲が放たれた。

 槍を跳ね返した直後のシャルバにもう一度防ぐ余裕など無い。仮にあったとしても今の彼は下から飛んできたゲイボルグに反応出来なかった。

 シャルバの鎖骨辺りにゲイボルグの穂先が刺さる。命中した箇所の周囲ごと消し飛ばして貫く。シャルバが当たったと気付いたときには肩から胴体に掛けて大きく裂け、腹の肉と皮により半身が辛うじて繋がっている状態となっていた。

 

「あ、あああああああっ!」

 

 流石のシャルバも激痛により絶叫を上げてしまう。シャルバの叫びで裂けた側の腕がぶらぶらと揺れる。

 青年が頭上に手を掲げると飛んで行ったゲイボルグが戻って来る。シャルバに致命傷を与えた青年だが、その表情は険しい。

 

「外した……」

 

 不満を小声で洩らす。本当ならばシャルバの正面を狙ったつもりだったが、少しずれて命中した。半身を裂くのではなく胴体を消し飛ばすつもりだった青年からすれば不甲斐ない結果である。

 腕が鈍ったのか、或いはシャルバ本人も気付かれない内に動いたのか。どちらにせよ青年はシャルバを殺すことに失敗した。

 シャルバは呻く。半ば意識が飛んでいる状態であり、見た目も合わさって生死の境を彷徨っている様子であった。

 だが、シャルバの意思など無視するかのように傷の断面から血が噴き出し、再度断面を繋ぎ合わせようとする。しかし、噴き出す血の色は黒く、血と断面が繋がれても中々くっつこうとはしない。再生の遅さが彼が負っている傷の深さを表している。

 

「わ、私は……!」

 

 薄れていく意識が戻り始める。シャルバの執念が負けを認めさせない。

 

「私はぁぁぁ!」

 

 執念に押されて遅れていた再生が早まる。裂けていた半身は繋がり、流血が止まる。

 再びやり直しかと思われた。

 そのときであった。

 

「がっ!?」

 

 シャルバの複眼が突如として爆ぜた。複眼は完全に潰され、顔に大穴が開く。

 

「が、ぐ、ああ……」

 

 繋がっていたと思われた傷が再び開き、半身が血の糸を伸ばしながら離れていく。

 重傷の上に重傷が重ねられ、遂にシャルバにも限界が来てしまった。

 

「忘れ、んぞ……! この痛み、憎しみ、恨み、屈辱を……!」

 

 ありったけの怨嗟を残すとシャルバは転送用の魔法陣を発動させ、何処かへ消えてしまった。

 シャルバが消えると青年は溜息を吐く。すると、青年の体が光に包まれた。光が消えるとそこにはセタンタが立っている。

 青年の正体はセタンタだった。その事実にヴァーリたちは──特に驚かなかった。ヴァーリは青年の戦い方に何となくだがセタンタの影を感じていた。オンギョウキの方は姿形が変わるのは特に珍しいことだと思っておらず、寧ろその正体に納得すらしている。

 セタンタはヴァーリたちの視線に気付くと口元に巻いてあるマフラーを正す。

 

「聞きたいことがあればお答えしますよ?」

 

 若干の諦観が混ざったような口調であった。

 色々とトラブルが生じたが目的の『禍の団』討伐は完了した。出来ることなら情報収集の為に何人か捕まえておきたかったが、シャルバのせいで生存者は絶望的と思われる。

 戦闘終了により若干弛緩した空気の中、ふとこの場に居る者たちは思った。最後にシャルバの複眼を潰した攻撃、あれは誰が放ったものだったのか、と。

 その答えを知る者は、そこから離れた場所に居る。

 

「今、何かしたね?」

 

 遠くを見つめている彼に鳶雄は聞いた。遠くを眺め出した直後に戦場の空気が変わったのでそう思ってしまう。

 

「目が合ったので」

 

 シンは一言で答えた。

 

 

 ◇

 

 

 レーティングゲーム会場の空気はサイラオーグの勝利によって一変していた。サイラオーグの圧倒的な戦いっぷりに誰もが魅了され、同時に彼とまだ戦わなければならないリアスたちに同情の視線が送られる。

 バトルフィールドから陣地に戻るサイラオーグであったが、勝利の余韻に浸っている様子は皆無であった。寧ろ、今の空気を好ましく思っていない様子すらある。

 ゲーム内容としてはサイラオーグの圧倒だったが、決して木場とゼノヴィアも弱かった訳では無い。サイラオーグからすれば敬意に持つに相応しい相手であった。だが、会場の拍手と称賛はサイラオーグにしか送られない。不本意ながらもそれが現実であった。

 分かっているが勝負の世界とは非情なもの。観客の目には勝者しか映らない。

 サイラオーグは陣地で待つ眷属たちを見る。皆が尊敬の眼差しを以ってサイラオーグを迎えてくれた。

 サイラオーグの理想としては自分だけでなく眷属たちもまた評価されることが一番であったが、今のような戦いをすれば良くも悪くもサイラオーグだけが目立ってしまう。サイラオーグだけのワンマンチームと思われるのは眷属を大事にしているサイラオーグとしても嬉しくはない。サイラオーグの眷属たちは断絶した家の末裔など複雑な事情を持つ者が多い。自分を支えてくれる者たちを出来ることなら引っ張り上げたいと思っている。

 しかし、一度戦いとなると手を抜くことも出来ない。それがサイラオーグが目立つことに繋がってしまい、そのことにジレンマを覚えてしまう。

 眷属たちは寧ろそのことを望んでいることは言葉にせずとも態度から伝わってくる。

 先ずはサイラオーグが出世すること。それが眷属たちの共通した望みであり、その為には日陰者になる覚悟もあった。

 様々な想いが重圧のようにサイラオーグの肩へ乗っかっていくが、サイラオーグはそれを苦としない。逆にやる気が出て来るというもの。誰かの期待はサイラオーグの強さへと変わる。

 

(お前たちはどうだ? リアス、赤龍帝?)

 

 姿が見えないリアスたちの陣地へサイラオーグが問うような眼差しを向ける。

 リアスたちの陣地は重苦しい沈黙に満ちていた。誇るべき仲間が一方的に、そして一矢報いることも出来ずに敗北したことが理由の一つではあった。

 だが、決してリアスたちが心折れている訳では無い。あれだけ必死になって戦った木場とゼノヴィアに対して憐憫を向けるのは侮辱に等しい。

 リアスはこの戦いが一気に苦しくなったと冷静に考えている自分に驚く。情や愛が薄れた訳では無い。毅然とし続けるのはリアスだけでなく彼女の眷属たちも望んでいる。それを叶えるようにリアスは強く在り続けようとした為である。

 実際にリアスの真剣な態度は伝播しており、泣きそうな表情をしていたアーシアもリアスの態度を見て涙を懸命に堪えている。それが瘦せ我慢であったとしてもそう続けることが重要であった。

 一誠は目を瞑ったまま黙り続けていた。瞼の裏に浮かぶのはゲームで敗北していった仲間たちの姿。皆、必死になって戦い、そして敗れた。残された一誠は敗れた者たちの想いを背負って戦う義務がある。

 やがて、実況がダイスを振ることを促す。

 リアスとサイラオーグが台の上でダイスを転がす。出た目は9。

 サイラオーグ陣営は恐らくは『女王』を出すとリアスは考えていた。『兵士』の可能性も無いことはないが、今までのレーティングゲームの傾向からしてサイラオーグは『兵士』を最後の最後まで温存している。そうなると多少だが消耗をしている『女王』から先に出す確率の方が高い。

 一方でリアス側の選択は一択しかない。リアスが自分の陣地に目を向けたとき、彼女は息を呑んだ。

 一誠が今まで見たことがないような無表情で、だが眼光だけは圧倒するように鋭い。普段は一誠の傍に居るアーシアも一誠の雰囲気に気圧されて無意識に距離を置いてしまっている。

 

「……イッセー、頼むわ」

 

 一誠は無言で頷き、前へ出る。

 魔法陣まで足を運び、転移する間際二人に言葉を残す。

 

「部長、アーシア、行ってきます」

 

 感情豊かな一誠とは思えない程に無感情な声。思わず身震いしてしまい、行ってらっしゃいの言葉を送ることも出来なかった。

 

 

 ◇

 

 

 転移されたバトルフィールドは石造りのコロシアムであった。

 一誠の前に対戦相手であるサイラオーグの『女王』が現れる。

 金髪のポニーテールを揺らすのはクイーシャ・アバドン。七十二柱に属さない『番外の悪魔(エキストラ・デーモン)』と呼ばれるアバドン家出身である。レーティングゲームの現役トップランカーの三位もアバドン家の出であり強力な悪魔の一族であることが証明されている。事実、クイーシャは朱乃に完勝していた。

 悪魔の特性として『穴』という文字通り空間に円形の穴を開ける能力を持ち、それによってあらゆるものを吸収、逆に吸い込んだものを放つことが出来る。クイーシャはこれで朱乃の雷光を吸い込み、吸い込んだ雷光を放つカウンターで勝利を収めた。

 相手の攻撃を誘ってのカウンター。クイーシャが狙うのはそれしかない。

 

『第七試合、開始して下さい』

 

 ゲーム開始と同時にクイーシャは告げる。

 

「赤龍帝、禁手となりなさい。『女王』として貴方の本気を望みます」

 

 わざわざ禁手の為の時間を与えるクイーシャ。この時点でクイーシャは自ら捨て駒になる覚悟を決めているのが分かる。目的は少しでも一誠の体力を削ること。そして、まだ見せていない能力があればそれを引き出すこと。木場とゼノヴィアと同じ覚悟であった。

 一誠は一瞬だけ目を丸くし、眉間に皺を寄せ、若干俯きながら禁手のカウントダウンを始める。

 少し経ってカウントダウンが済み、一誠は鎧を纏った。

 

「一瞬で終わらせます……出来ることならリタイヤして下さい」

「言ってくれるわね。そう簡単にリタイヤするとは思わないで」

「──警告はしました」

 

『赤龍帝の鎧』から赤い光が発せられる。それを見たクイーシャは『穴』を展開しようとして──赤い閃光に目が眩む。

 

「──え?」

 

 肩に掛かる硬い感触。既に一誠はクイーシャの眼前に立っており、彼女が逃げられないように肩を掴んでいた。

 赤光を放つ手がクイーシャの前で握り拳を作る。放たれていた光が拳の中に閉ざされ、漏れ出る光は臨界寸前のように見えた。

 一誠の拳が突き出される同時に赤いオーラが放たれ、爆音と共に拳の先にあるものを全て粉砕していく。最後にはバトルフィールドを覆う結界に命中し、結界が壊れそうな程揺らす。

 全ては一瞬のことであり観客たちは呆けてしまう。先程まであったサイラオーグ一色の空気は一誠の拳一つで塗り替えられてしまった。

 

『サイラオーグ・バアル選手の『女王』、リタイヤです』

 

 静まり返った空気の中で審判が一誠の勝利を告げる。

 すると、モニターにサイラオーグの姿が映し出される。傍らには無傷のクイーシャが立っているが、顔は蒼褪めており、体も震えサイラオーグが支えていないと立っていられない状態になっている。

 一誠の拳が放たれる寸前に危険と判断したサイラオーグによって強制的にリタイヤさせられていたのだ。

 モニター越しに一誠とサイラオーグの目が合う。

 

『あのままではクイーシャが殺されると思い、リタイヤさせた。赤龍帝、クイーシャを殺すつもりだったのか?』

「まさか」

 

 兜を収納し、素顔を晒す。一誠は相変わらずの無表情である。

 

「サイラオーグさんがきっとリタイヤさせると信じていました」

『……もし、俺がしなかったら──』

「一試合目を見たら、サイラオーグさんが眷属を大事にしているのは分かりましたから」

『むぅ……』

 

 そう指摘されるとサイラオーグも返す言葉が思いつかない。

 

『つまり俺はまんまとお前に動かされた訳だな。その殺気と迫力によって』

 

 一拍間を置いた後、サイラオーグは声を上げて笑い出す。

 

『はっはっはっはっ! 流石だっ! バトルフィールドに降り立ったお前を見たとき、クイーシャが殺されるとしか思えなかったぞ! その冷静さに感服した!』

「俺が何て全然。もっとクールな奴を知っていますし」

 

 一誠は謙遜する。サイラオーグは冷静と評したが、一誠自身は全くそう思っていない。今でもマグマのような感情が体の裡で暴れ続けている。

 

「……こんなことを言ったら失礼ですけど、『女王』相手じゃ俺が全力でぶつかるには足りないんです」

 

 託されたもの。燃え上がる感情。『女王』相手にそれを一欠けらでも向けるのは勿体無い。それを向けるに相応しい相手は──一誠の目にはサイラオーグしか映っていなかった。

 

「俺の全部をぶつけられる相手は貴方しかいないんです。サイラオーグさん」

 

 

 




殆ど出番は無いですが、嫌がらせだけは怠らない人修羅。

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