『第一試合開始して下さいっ!』
実況が叫ぶと同時にバトルフィールドに立つ審判が開始の合図を出す。次の瞬間、二人の『騎士』の姿は消え、閃光の如き剣戟が数度起こり爆発するように地面が砕けた後、消えた二人は最初の立ち位置を入れ替えた状態になっていた。
『おおっと! 初手から『騎士』らしい高速の応酬! 一体何度打ち合いが起こったのか分かりません! 王者ディハウザー! 今のが見えましたでしょうか!?』
『二人共『騎士』の名に恥じない素晴らしい動きです。あの一瞬で十の打ち合いが発生していましたね』
さらりと回数を答えるディハウザー。アザゼルはニヤニヤと笑いながら解説をする。
『地獄の最下層のコキュートスに生息する『青ざめた馬』は高位の魔物だ。あのペイル──有名な悪魔や死神が跨るものとして語り継がれている。しかし、乗りこなすのは容易じゃない。死と破滅を呼ぶ馬と言われているとおり気性が荒く、場合によっては乗り手を蹴り殺すことも珍しくない』
『ですが、乗りこなすことが出来れば先程のような動きも可能となります。馬の性能もありますが、騎手であるベルーガ・フルーカスは馬を司る特色があるフルーカスの出。故に人馬一体となり俊敏且つ苛烈な攻撃も為せます。──ですが、武器の相性関係無く戦えている木場選手も流石と言えます』
木場は聖魔剣を握り、ベルーガは武器は円錐型のランス。
最初の交差のとき、リーチの長いランスでベルーガは先制攻撃をしていた。剣の間合いの外から繰り出される高速の突きに対し、木場は聖魔剣で防ぎながら距離を詰める。剣の間合いに入ると同時に馬は、正面に居る木場の頭を踏み砕く勢いで前脚を振り下ろした。
聖魔剣が聖なる属性を有しているのは周知の事実。悪魔のみならず魔物である『青ざめた馬』にも効果がある。しかし、馬は本能的な恐怖に屈することなく木場へ攻撃してきた。騎手に対して余程の信頼感が無ければ出来ない行動である。
木場は蹄が数センチまで迫る紙一重のタイミングで馬の側面へ移動。敢えて攻撃を引き付けることで残像を攻撃させ、相手に戸惑いを生じさせるのが狙いであった。
ベルーガの足であり武器でもある馬を聖魔剣で斬ろうとしたとき、今度はベルーガがランスで木場の斬撃を防いだ。擦れ違い様に振るわれた三度の斬撃全てをベルーガはランスを巧みに操って防御し、これにより二人の交差は終わって今へと至る。
比率で見ればベルーガの攻撃が7に対して木場の攻撃は3程度。最初の攻防はベルーガの方に軍配が上がると見えるが、先の述べたように木場の剣は聖魔剣である。悪魔が一撃でも当たれば大ダメージは免れない。木場に攻撃の機会を与えてしまった時点でベルーガは不利なのだ。仮に一撃でも貰ってしまえば次の戦いでは満足に戦えない。サイラオーグの為にも『フェニックスの涙』も使えない。聖魔剣に絶対当たらない無傷の勝利。それがベルーガに与えられた過酷な勝利条件なのである。
『一見するとベルーガの方が有利だが、精神的なことを考えるとプレッシャーは半端ないだろうな。勝ってチームに弾みをつけたいが、木場の聖魔剣相手に一太刀も受けられない。並の精神じゃあ動きに支障が出てもおかしくない』
アザゼルはベルーガの内面を冷静に分析するが、ベルーガはその解説に反発するように自分から積極的に仕掛ける。
馬が嘶くとベルーガたちが目で追えない速度で動く。甲高い金属音が響く。観客には何が起こったのか分かっていないが、木場がその場から動かずにベルーガのランスの一撃を受け流した音であった。
音が鳴った直後、受け流した動きに身を任せて木場は反転し、こちらもまた高速で駆け出す。
姿は見えないのにフィールド内のあちこちで打ち合う音が鳴り響く。
『凄まじい攻防だぁぁ! 殆ど目で追うことが出来ません! 神速の貴公子と同じく神速の甲冑騎士の戦い! 異次元の速さを持つ者同士のみに許された超高速バトル! カメラ! ちゃんと録画して後でスローモーション再生をお願いします!』
激しいが内容が分からない両者の戦い。どちらが勝っているのか、押しているのか全く見えない。
熱狂しながらも戸惑っている観客を余所に限られた強者たちはその戦いを楽しんでいた。
「我が愛馬アルトブラウの脚と互角とは! 恐るべしリアス姫の『騎士』!」
「貴方たちのコンビネーションには戦慄させられますよ! 人馬一体とはまさにそのことですね!」
互いの技量を讃えながら戦いは加熱していく。
ベルーガの突きを剣身で受けた木場は弾かれ、地面を抉りながら着地。距離が開くとベルーガは愛馬を最大加速させて突っ込んで来る。
ベルーガが突撃して来るのを見て、木場は体にオーラを纏う。そのオーラに悪寒を感じたベルーガは、僅かに愛馬の速度を緩めた。
木場のオーラは地面を伝わり、ベルーガの進路上に無数の聖魔剣が飛び出す。荊ならぬ剣の道と化す地面。このまま進めばベルーガはまだしも彼の馬は被害を免れない。
「何のっ!」
事前に速度を緩めていたことが功を奏し、ベルーガは剣の道へ突っ込む前に手綱を引くと馬は高く跳躍。そのまま落ちることなく宙を駆け始めた。
地面から生えていた聖魔剣がベルーガを追って放たれる。ミサイルのように撃ち出された聖魔剣は四方からベルーガを狙うが、宙にいても馬の駆ける速度は変わらず、聖魔剣が追いつけない速度で移動すると木場へのお返しに持っていたランスを投げ放った。
音を超える速度で投擲されたランスの軌道を正確に読み、着弾時の衝撃も想定して攻撃の範囲外へ移動する木場。
蹄の音が木場のすぐ傍から聞こえる。宙に居た筈のベルーガがいつの間にか木場の近くまで移動していた。
ランスによる投擲で木場の注意をランスの方へ向け、更に木場の移動先を読んで自らもそこへ移動していたのだ。
愛馬のたてがみに触れる。そこから抜き出される二本目のランス。アルトブラウのたてがみは違う次元に通じており、そこに武器が保管されている。
ベルーガのランスが木場を穿つ為に突き出される。剣による防御が間に合わない絶妙な角度からの攻撃。
木場はすぐに防御が間に合わないことを悟ると聖魔剣に力を込める。次の瞬間、つんざく音と共に閃光が走った。
「くっ!?」
音と光に危ういものを感じ取ったのか、アルトブラウが反射的に木場から遠ざかってしまい、ランスの間合いの外にまで移動してしまったことでベルーガは攻撃を中断せざるを得なくなってしまった。
「姑息だったかな?」
「いや、貴殿の手の内の多さには感服する」
木場がやったのは聖魔剣を媒体にした朱乃直伝の雷である。朱乃の雷の威力には及ばないものの相手を怯ませるには十分な効果があった。誰しも急に大きな音を出されたり、激しい光を浴びせたりすれば驚くものだ。
尤も、あと一歩踏み込んでいたら音と光だけでなく雷の痺れも体験させられたが、ベルーガの愛馬の咄嗟の反応を素直に褒めるしかない。ベルーガもそれを理解しており、馬の首筋を撫でていた。
「貴殿の才能は私とアルトブラウを上回っている。貴殿の剣を受け、確信した。だが、それでも負ける訳にはいかん! 後に続く者たちの為にも全てを尽くす」
刺し違える覚悟すらあるベルーガに木場は目付きを鋭くさせる。このまま戦えば手の内を晒し続けるだけでなく体力も削られ続ける。しかし、相手の覚悟は並のものではない。出し惜しみをしていたら痛い目を見るのは木場の方である。
(とっておきの一つを使わざるを得ないか……)
対サイラオーグを想定して温存するつもりであった手札をここで切ることを木場は決断する。
今後の戦いを左右するかもしれない手札を切ることを選択した木場に対し、ベルーガもまた己の手札を切ってきた。
ベルーガが愛馬を走らせる。すると、ベルーガたちの体がブレたかと思えば幾重にも姿を増やした。
『貴殿の聖魔剣は悪魔にとって必殺の効果を持っていようと当たらなければ意味は無いっ!』
幾つも重なった声がフィールド内に反響する。
分身により本体を隠すベルーガ。更には──
「くっ!」
正面から突撃してきたベルーガのランスを聖魔剣で受け流す木場。そこへすかさず別のベルーガがランスを突き出してくる。それもまた聖魔剣で防ぐ。聖魔剣から伝わってくる感触と衝撃は本物。厄介なことに視覚を欺く為の幻影ではなく実体を持った分身であった。
感覚ではまず察知出来ない本物同然の分身。少なくとも本体を見抜いて斬るということは難しい。
(これと似たような状況があったね……)
フリードがエクスカリバーを使用して分身を生み出したことを思い出す。あのときフリードは複数のエクスカリバーを使用して出したが、ベルーガは自分の力のみで精度の高い分身を作り出している。そう考えるとベルーガの実力の高さを改めて思い知らされる。
どうせ手札を切るならベルーガのような実力者であり敬意を払える相手の方が気分が良いし、後悔も無い。
木場は聖魔剣を消し、虚空から一本の剣を取り出した。
ベルーガは新たな剣に兜の下で驚きの表情をする。今までのレーティングゲームの中で見せたことが無いこともそうだが、何より神器を発動させた気配が無い。つまりは『魔剣創造』によって創られた剣ではないのだが、ベルーガは剣自体から強い魔を感じていた。恐らくは高名な魔剣であると考えられる。それも聖魔剣と交換する価値がある程の。
「資料には無かった剣だな……」
「ええ。実戦では初めて使うので」
魔剣に対し強い警戒心を抱くが、それはベルーガとアルトブラウの脚を止める理由にはならない。手足を失おうとも後続に未知なる魔剣の情報を教えることが出来ると考えれば挑む価値が出て来る。
「その魔剣、如何なるものか試させてもらう!」
ベルーガは分身たちを率いて突撃を開始。騎馬隊となって木場を蹂躙しようとする。
木場は魔剣を構え、息を吸い、一瞬力を溜めると魔剣を振り抜く。
完全に間合いの外から振るわれた魔剣。だが、ベルーガの視点では一瞬世界がずれたように映った。その直後、ベルーガと並走していた分身らが消滅していく。
「何!?」
分身が解除されたことにベルーガは驚愕した。解呪系の魔術を使われた形跡も無いのにベルーガの意志とは無関係に無効化されれば動揺も驚きもする。
分身を解除したのは木場の振り抜いた魔剣──ノートゥングの能力。とはいってもノートゥング自体は解呪の能力を持たない。ノートゥングは何処までいっても切れ味の良い剣に過ぎない。そう切れ味が良過ぎるのだ。
切れ味という一点に於いてノートゥングは突き抜けていた。恐らくは万物でノートゥングの切れ味を止める物は存在しないと思われる程に。そしてそれは、目に映らないものすらも断ち切る。
ノートゥングが断ち切ったのはベルーガと分身たちとの力の繋がり。ベルーガの意思などを伝える見えざる糸のようなもの。木場はそれを一振りで切った。それにより分身たちは実体を留められなくなったのだ。理不尽なまでの切れ味の良さ。それが生み出す副次効果である。
これを木場が見つけたのは偶然だった。ノートゥングを使いこなす練習の際、アーシアも神器の練習をしており『聖母の微笑』の効果を遠隔で発動させていた。そのときに木場がノートゥングを振ると遠隔で発動していた『聖母の微笑』が解除されたのだ。これが数度繰り返されたときに木場はその原因がノートゥングにあることを見抜き、同時に見えない繋がりを断つ力に気付いた。
木場はベルーガが動揺している間に最速を以て彼に接近。ベルーガは木場の接近に気付くが既に回避不能の間合いまで迫られていた。少しでも時間を稼ぐ為にベルーガはランスを突き出す。眼前に迫るランスに対し、木場は素早く斜め前に踏み出すと同時にノートゥングを水平に持ち上げる。
ランスの先端がノートゥングの刃に触れるとノートゥングはランスを先端から切り裂いていく。
ベルーガの前で紙の如く裂けていくランス。木場が前に出るとノートゥングは一切の抵抗も無くランスを真っ二つにしながら進んでいき、あわやベルーガの首を斬り飛ばす──寸前で止められた。
「くっ……!」
ノートゥングの恐るべき切れ味を知らなかった故に喉元に刃を突き付けられる結果となってしまい、ベルーガは悔しそうな声を洩らす。
「降参を」
木場はベルーガに降参するよう促す。ここまでされればベルーガに選択肢など無かった。しかし──
(まだ終わる訳にはいかん! 我が身を犠牲にしてでも一矢報いる!)
後の仲間の為、主君であるサイラオーグの為に下手をすれば首が落ちてしまうのを覚悟し、ベルーガは愛馬の手綱を強く握り締めた。
『ベルゥゥゥガァァァァ!』
サイラオーグの一喝。その声は、さながら雷鳴であった。直接掛けられた訳ではない木場は一瞬体を震わせてしまい、会場など水を打ったように静まり返る。
「サイラオーグ様……」
「お前の忠誠心は良く知っている。その上で言わせてもらう……俺はそれを望まない」
ベルーガの心を理解しているからこそ出る短い答え。それが何を意味するのか殆どの者が察せないだろう。
ベルーガもまたサイラオーグの心情を理解し、強く握り締めていた手綱を緩める。
「……見事。私の負けだ」
ベルーガの口から降参の言葉が出る。
『サイラオーグ・バアル選手の『騎士』一名、リタイヤです!』
審判が告げると静まっていた観客たちが沸く。
初戦を制したのはグレモリーチーム。
◇
何者かの侵入と不自然な死体。この二つに繋がりが無いとは思えない。シンと鳶雄は取り敢えず他の仲間と合流することを考えていた。
「ウゥゥ!」
刃が唸り声を上げる。シンと鳶雄はゆっくりと振り返った。
視線の先では気を失っていた筈の魔術師が立ってこちらを見ている。しかし、その目は瞳孔が開いており、口も弛緩してぶら下がるように開いている。シンたちが発見した不自然な死体と全く同じ表情をしていた。
魔術師は背骨が折れそうなぐらいに──実際に生木がへし折れるような音がした──体を仰け反らせると全身を痙攣させる。
次の瞬間、口から巨大な黒い塊が空に向かって吐き出された。
神経を撫でるような耳障りで聞き覚えのある騒音。黒の中に点々とある無数の赤。
「虫……?」
「蠅、にしては凶暴過ぎだな!」
黒蠅の塊が空中で旋回し、シンたちの方へ向かって飛んで来る。だが、先にシンとケルベロスが迎撃に動いていた。
二人の口から吐かれる炎の息。二つが合わさり黒蠅の塊を呑み込む程の大きさになる。
炎の息が黒蠅らを包み込もうとしたとき、黒蠅たちは炎を正面から突き破った。
「ナニ!?」
自分の炎が蠅如きに通じなかったことにケルベロスは驚きを隠せない。シンも表情には出さなかったもののケルベロスと同じ心境であった。炎が虫に負けるなど普通では考えられないこと。
「刃!
鳶雄が指示を飛ばすと周囲の影から数え切れない程の刃が形成され、それらが伸びて黒蠅の塊を四方八方から斬る。だが、すぐに鳶雄は苦い表情となる。
あれだけの斬撃を繰り返しても地に落ちていく蠅が見えない。斬っている筈なのに斬れていないのだ。
「あれは!?」
鳶雄は気付く。同時にシンもそれを見た。黒蠅の塊を斬り付けていた影の刃の至る箇所が虫食いのような穴や欠けが出来ていた。
「
それに注目した状態で刃にもう一度影の刃を振るうように指示を出す。
刃が吠えると再び影の刃が振り回される。黒蠅の一匹に影の刃が触れようとした瞬間、その箇所が消滅する。黒蠅は触れたものを食い荒らすように消滅させる力を持っていた。これが炎と影の刃が通じなかった理由である。
「そういうことか……!」
黒蠅の特性を理解する。この力があればバラキエルの結界に穴を開けることも可能であろう。
次に考えるのは黒蠅の塊をどう対処するかであるが、それを考える前に黒い塊が二人に襲い掛かる。
「くっ!」
速さ自体は驚異的なものではないのでシンたちは避けることは出来た。しかし、これによりシンと鳶雄は分断されてしまう。
シンの傍にはケルベロス。鳶雄の隣にはピクシーたちを乗せた刃。シンらが二手に分かれると黒蠅も塊を二つに分けて追尾してくる。
シンの頭の中が黒蠅をどう対処すべきなのか高速で動く。あれこれと方法が浮かび上がる中でシンの直感が選んだ方法は至ってシンプルなものであった。
シンの両手に炎が灯る。頭上に掲げられた二つの炎が重ね合わされ、至上の炎となる。
炎は熱線の如く黒蠅の塊に向けて放たれた。
黒蠅らは消滅させる力により炎を消していく。
考える中で最も効果的だと思われる方法を選択した。炎の息でダメならばそれ以上の火力で押し切る。傍から見ればゴリ押しとしか言いようがない戦法。これがダメだったらならさっさとこの場から離脱する。
黒蠅は最初のうちは炎に拮抗していた。しかし、段々と塊から火の粉のように燃えた黒蠅が落ちていく。消し切れない熱量を光線のように速い速度で当てていることで黒蠅が一度に処理出来る速度を上回ったのだ。
一匹、二匹と減ることにより消滅させる力は弱まっていき、やがては炎が黒蠅の塊を貫いて全てを焼き尽くす。
「──やるね」
鳶雄はシンのやり方を見て触発される。
鳶雄は影によって作られた大鎌を構える。すると大鎌の刃が赤黒い炎によって覆われる。
それを横目で見ていたシンは、赤黒い炎を見て背筋に悪寒が走る。禍々しい見た目の通り、呪いのような力が込められた炎と思われる。その炎を近くで見ているピクシーたちも顔色を悪くしていた。
呪いを込められた炎を宿した大鎌を振り被り、鳶雄は黒蠅の塊へ走っていく。
触れれば消滅する危険があるのを知っていても真正面から突っ込んでいく度胸。多くの戦いを経験した者が宿すことが出来る磨かれた精神力が為せる行動である。
黒蠅に取り込まれるかに見えた瞬間、ギリギリまで引き付けた鳶雄は横へ移動して回避すると同時に大鎌を塊へと刺し込み、振り抜く。
黒蠅の塊が真っ二つに裂け、斬り裂かれた大量の黒蠅の死骸が地面へ落ちていった。
鳶雄の刃は全てを斬ることが出来る。比喩ではなく文字通り全てを、である。この場合、黒蠅の消滅の力よりも鳶雄の斬る力の方が上回ったのだ。
だが、全てを斬るにしても強い想いが必要になってくる。未知に等しい黒蠅の消滅の力を見たとき、心の中で微かに通じないかもしれないという考えが頭の片隅に過ってしまっていた。その状態で今のように斬ったのならば通じなかっただろう。だが、先にシンが黒蠅を焼いたことで気持ちが楽になった。
灰に出来るなら斬れる。
また年下が奮戦しているのに年上の自分が弱腰になどなっていられないという気持ちが微かにあった不安を払拭させ、黒蠅を斬るに至った。
「刃!」
刃に声を飛ばすと周囲の影から刃が伸びる。大鎌と同様に伸びた刃にも赤黒い炎が纏っている。鳶雄が出来るのなら分身である刃も同じことが出来るのは道理。
二つに裂かれた塊が四つ、八つと分割されると共に小さくなっていき最後には一匹の蠅しか残らなくなるが、それすらも真っ二つに斬り裂いた。
「ふぅ……」
鳶雄は息を吐く。怪我は無いがかなり集中力を必要としたので精神的な疲れが蓄積していた。シンの方も額から流れる汗を拭っている。こちらも出し惜しむ無しの全力攻撃を行ったので消耗していた。
謎の襲撃者による攻撃を一先ず切り抜ける。
「……ちっ」
「……はぁ」
シンは舌打ちをし、鳶雄は深い溜息を吐いた。彼らの視界に在るのは立ち上がった何人もの魔術師たち。誰も彼もが見開かれた目と大きく開けられた口をこちらへ向けている。
これから何が起こるのか嫌でも想像が付く。
襲撃者の攻撃が一度で終わるなど甘い考え。こちらを殺す気ならば徹底的に仕掛けてくる。
魔術師たちの体が膨れ上がり、裂けると中からさっき以上の黒蠅が飛び出す。
◇
「まさか、我々の方が襲撃を受けるとは……!」
群がろうとしてくる黒蠅を雷光によって撃ち落としながらバラキエルは苦い表情を浮かべていた。
仲間たちの安否が気になる。最初のうちは連絡が取れていたが、突然連絡が取れなくなってしまった。襲撃者が連絡を取り合っていることに気付いて妨害を入れてきたと思われる。
バラキエルの方で襲撃者を探していたが、度々黒蠅が襲ってきて上手く進まない。今も倒した数以上の黒蠅の群がバラキエルへ向かって来ている。
「邪魔だ!」
轟音と共に放たれた雷光が黒蠅の群を貫いた。黒蠅は灰燼となって空中に溶けるようにして消えていく。
幸いというべきかバラキエルの雷光は黒蠅に対して相性が良い。だが、生半可な攻撃では通じず全力で攻撃しなければならない。様子見で放った雷光が黒蠅の群に接触し、掻き消されたときは目を剥いてしまった。光の力が通じる時点で黒蠅は悪魔由来の力なのは予想出来るが、これだけの力を使える悪魔──軽く見ても魔王級の悪魔などバラキエルは知らない。しかし、使役するのが蠅となると嫌でもある名が浮かび上がる。
完全に予想外の展開となってきている。戦いにイレギュラーは付き物であるが、ここまでのことはバラキエルにも、彼よりも数手先を見通せるアザゼルでも予測出来ない。
「全員無事でいてくれ……!」
バラキエルは彼らを率い、先導する立場。故に全員を無事に返す義務がある。誰もが帰りを待つ者たちが居る。その気持ちはバラキエルにも十分理解出来る。だからこそ、この状況を切り抜けて全員の無事を知る必要がある。そして、バラキエル自身も愛する娘の為にも生きて帰らねばならない。
別方向から黒蠅の群が来ているのを捉える。バラキエルは雷光を槍のように投擲する──前に地上から伸びてきた炎が黒蠅を焼き尽くす。
「マダ殿!」
炎を吐くマダ。バラキエルは空から降りて、彼に傍に移動した。
「無事だったか……」
仲間の一人の無事が確認でき、バラキエルは安堵する。
「へっへっへ。あの程度でやられる訳がねぇだろ?」
マダは余裕そうに笑いながら瓢箪の酒を飲む。そこでバラキエルは気付いた。
「腕が……!?」
マダの四本ある腕の内の一本が穴だらけに抉られた状態になっており、辛うじて千切れずに垂れ下がっている。
「ああ、これか? 試しに触れてみたらこうなった。お前も気を付けろよ? 触ったらこうなる」
玩具のように半壊した腕を揺らすマダ。
「おまけにかなり呪いが込められていやがる。簡単には治らねぇぞ?」
体を張って黒蠅の危険性を教えてくれたのは有り難い。だが、他人事のように言うマダにバラキエルは顔を顰めてしまう。
価値観や死生観等が全く異なるせいでハッキリ言ってマダとバラキエルは相性が良くない。そもそも、グリゴリのメンバーの中でマダと対等に付き合っているのはアザゼルぐらいである。そのアザゼルですらマダには手を焼いているのでバラキエルでは上手く付き合いようもなかった。
「……もう少し自愛した方がいい」
「考えとくよ」
一ミリたりとも考慮していない台詞が返ってきたが、今はそのことをとやかく言っている暇はない。
「他の者たちと連絡は?」
「ぜーんぜん。俺はお前がピカピカしてたから来たんだよ」
黒蠅を蹴散らしながらバラキエルの目立つ雷光の輝きを見て、それが消えないうちにマダはここへ駆け付けたのだ。
「なあ」
「何だ?」
「別に帰ってもいいぜぇ?」
「こんなときに冗談は──」
「冗談じゃねぇよ」
マダの声色に本気を感じ、バラキエルはマダの方を見る。
「おかしな話じゃねぇだろ? 俺たちも目的は殆ど終わってんだよぉ。『禍の団』の拠点も魔術師も全部ぶっ潰して大成功じゃねぇか。今起こってんのは予想外の出来事にしか過ぎねぇ。だったらよぉ、誰か一人帰して謎の蠅共のことを教えるのが賢明だろぉ?」
普段の言動は質の悪い酔っ払いの癖にこういうときに一理あることを言うので非常に困る。
「帰りを待つ可愛い娘も居るんだから、大人しく帰った方がお利口だろ? 無事に戻らないと娘が泣くぜぇ?」
もしかしたら、マダなりにこちらを気遣ってくれているのでは、とバラキエルは思ったがそれでも彼は自らの考えを言う。
「確かにこのまま帰れば娘──朱乃は泣くことは無い」
泣くことは無い。泣くことは無いが──
「だが、きっと私の行いに少なからず失望をするだろう。私は娘を泣かすことも失望させることも二度としないと誓っている」
だからこそ全員無事に帰還させることを目標に掲げていた。
「かーたーぶーつー」
バラキエルの宣言にマダは呆れながら揶揄する。
「そう思われて結構」
「へっ。まあ、今回のリーダーはお前さんだ。言うことはちゃんと聞きますかねぇ」
二人の耳にざわめく羽音が聞こえてくる。かなりの数を倒したが、まだまだで残っている。
「で? これからどうすんだ?」
「先ずはここを切り抜ける。そして、皆と合流する」
「はいよ」
迫る黒蠅の群に雷光と業火が貫いた。
◇
サイラオーグとリアスのレーティングゲーム。初戦を制したリアスたちは順調に勝ち星を重ねていた。
二回戦目合計数字は10でありロスヴァイセと小猫が参戦して勝利。
三回戦目の数字は8で一誠が選ばれてこれも勝利。
四回戦目も8だがルール上同じ選手は連続して出られないのでゼノヴィアとギャスパーが選ばれ、勝利した。
結果だけ見れば三連勝。だが、勝利に伴う代償も支払うことにもなった。小猫、ギャスパーは負傷しリタイヤしている。
そして、五戦目。数字は9。リアス側は『女王』である朱乃が選ばれ、サイラオーグ側も『女王』を出した。その結果は朱乃の敗北であった。リアスたちはこのゲームで初めて土をつけられた。
ここまでの戦いでリアスは残り六名、サイラオーグは三名となる。数としてはリアスの方が有利ではあるが、まだ油断は出来ない。何故なら最強の相手が残っているからだ。
そして、その時はやって来た。
六戦目、出されたダイスの目は──
『出ましたっ! ついに12が出ました! この数字が意味することは、サイラオーグ選手が出場出来るということです!』
実況の声に負けない程の歓声が観客席から上げられる。誰もが待ちに待った瞬間。そして、リアスたちにしてみれば遂に来てしまった瞬間でもあった。
答えは決まっていると言わんばかりにサイラオーグは既に上着を脱いでいた。動きの妨げにならない為の体へ密着した戦闘服。鍛え抜かれた上半身が威圧するように浮き彫りになる。
戦闘準備に入っただけで言葉にできないプレッシャーをリアスたちは感じていた。
リアスは悩んでいた。今の彼女には二つの選択があった。ゲームの流れを考えれば実質一択であったが、それを選ぶのにリアスの性格が待ったをかけてしまう。
「部長」
悩めるリアスに木場が声を掛ける。
「次の戦い、僕とゼノヴィアとロスヴァイセさんでサイラオーグさんと戦わせて下さい」
『騎士』二人と『戦車』一人で値は11。それは正しくリアスが悩んでいた選択であった。
「裕斗……それがどういう意味か分かって言っているの……?」
「はい。僕だけではサイラオーグさんには勝てません。恐らくイッセー君一人でも厳しいと思われます。でも、サイラオーグさんの戦力を削ぐだけなら、この身を投げ捨てる覚悟があれば出来るかもしれません……それが今の僕の役目だと思っています」
既に木場は覚悟を決めていた。ゼノヴィアとロスヴァイセも木場に同意するように頷いている。
「なに、イッセーと部長が後に控えている分気が楽だ。ましてや、相手は若手悪魔ナンバー1、そんな相手と戦えることに喜びすら感じている」
「役目がハッキリとしている分、分かりやすくていいですね。『戦車』として可能な限り相手を疲弊させるつもりです」
それは既に覚悟した者の台詞であった。木場たちは次に繋ぐ為に自らを犠牲にしようとしている。リアスとしては異を唱えたい。だが、『王』としての考えは木場たちを戦わせることは正しいと判断してしまう。
イッセーを木場とゼノヴィアと組ませて戦わせるという選択もあるが、客観的に見てサイラオーグに勝てる確率は低い。ここでサイラオーグを倒せればそれで良いのだが、万が一敗北したとき、リアス側は攻撃の札を二枚も落としてしまうことになる。
その場合残るは『騎士』と『僧侶』、『戦車』と『王』。向こうは『女王』『兵士』『王』の三つ。数としては有利だが、『僧侶』のアーシアは戦う術を持たない。一方で向こうの『女王』は相性の差もあったが朱乃を無傷で倒しており、詳細不明の『兵士』は駒七つ分という一誠に迫る潜在能力の持ち主。そして、最後に控えるのは最強の『王』。数値だけ見るとリアスに勝ち目は無い。
後の戦いの為に木場たち三人に戦わせるか。一縷の望みを懸けて最大戦力をぶつけるか。どちらを選んでも望むような結果が訪れないことをリアスは感じていた。
リアスは黙考する。考える時間は五分しか与えられていない。限られた時間の中でどれを選ぶのかリアスは考え続ける。
眷属たちはリアスが口を開くのを黙ってまっていた。
リアスが口を閉じて二分が過ぎようとしたとき、遂にリアスは口を開く。
「裕斗、ゼノヴィア、ロスヴァイセ、貴方たち三人をサイラオーグにぶつけるわ。サイラオーグに少しでもダメージを与えてちょうだい」
リアスは木場たちの提案を自らの考えとして言う。それはこの選択に対し、自分が責任を負う為である。
「ありがとうございます」
「どうせなら勝って来いと言ってくれ」
「そうだね。やるならそれぐらいの気概があった方が良い」
「はい。やるならとことんやりましょう」
彼らに悲愴感は無かった。寧ろ、仲間の為に全力を尽くせることに喜びすら感じている。
「ごめんなさい……優柔不断で甘さを捨てられなくて……」
リアスの自嘲に木場は首を横に振り、恐らくは身内と認めた者にしか見せないだろう柔らかな笑みを浮かべる。
「それがあったからこそ、僕たちはここに居るんですよ、部長」
木場はそう言い残すとゼノヴィアとロスヴァイセを連れて魔法陣へ歩いて行く。
一誠の横を通り過ぎようとしたとき、一誠は木場の肩に手を置いた。
「後は任せろ──何て言わねぇ。勝って来い!」
「そんなこと言われたら……精一杯頑張りたくなっちゃうよ」
リアスに向けていた笑みを一誠にも見せる木場。
「行って来い、ダチ公」
木場の背を叩き、想いを伝える。木場は最後まで笑顔のまま魔法陣へ向かっていった。
◇
今回用意されたバトルフィールドは湖の湖畔であった。サイラオーグは既に来ており、目を閉じ腕を組み瞑想しているかのように佇んでいる。
サイラオーグは木場たちが転送されると目を開く。三人の姿を見ても特に驚いた様子は無く予想済みという表情であった。
「お前たちの希望か? それともリアスの案か?」
思惑を全て見抜いた上での発言。
「どっちもさ」
「そうか。リアスは恵まれているな。眷属にも試練にも」
リアスの成長を喜び、その眷属たちの献身に感心するサイラオーグ。そして、ゆっくりと組んでいた腕を解く。
「──だからこそ申し訳なくも思う。そんなリアスの眷属を殺めてしまうかもしれないことに」
発言だけ聞くと上から物を言っているようにしか取れない。しかし、言っている本人は何故か少し恥じるような表情をしている。
「死ぬつもりはありません……戦うなら勝つつもりで行きます!」
「良い台詞だ……だからこそ危ういのだ……今の俺は……!」
昂る闘志を自制するサイラオーグに木場たちは違和感を覚える。戦いの中では彼はもっと自分の感情に素直だった気がした。
「如何なる戦いに於いても俺は十全の準備をしていた……今回が初めてだ。不十分で戦いに挑むのは……」
サイラオーグは万全ではないと告白するが、木場たちにはそんな風には見えなかった。寧ろ彼から放たれるプレッシャーで精神が消耗しそうになる。
「戦う前に言っておく……死ぬなよ」
サイラオーグからそんなことを言われ、木場たちは目を丸くするがサイラオーグは本気で言っている。その事実が嫌な予感を覚えさせる。
『両選手! 準備はよろしいでしょうか?』
審判が確認をしてくる。間もなく戦いが始まる。
木場たちは陣形を整える。中央にロスヴァイセを配置し、左右に木場とゼノヴィア。ロスヴァイセが魔法陣を展開し、そこから魔法を一斉発射することで牽制。左右から木場が聖魔剣、ゼノヴィアはエクス・デュランダルで攻める為の陣形である。
『第六試合、開始して下さい!』
審判からの合図。そこから先の光景は『騎士』である二人しか認識出来なかった。
正面に立つサイラオーグを凝視していた木場とゼノヴィアは、本能に引っ張られるように視線を横へ向けてしまう。
そこにサイラオーグは居た。電光石火、疾風迅雷という言葉すら生温い踏み込みによる移動。そして、既に攻撃も終えていた。ロスヴァイセの胸に当てるようにして置かれた拳。ロスヴァイセ自身も攻撃されたという自覚は無い。
次の瞬間、ロスヴァイセはその場で膝から崩れ落ちる。同時にサイラオーグは動く。
横に立っているゼノヴィアへ繰り出される横蹴り。ゼノヴィアは身に染み付いた反射によりエクス・デュランダルで受け止める。ゼノヴィアは体内に鳴る鈍い音を聞きながら爆風でも浴びたかのように蹴り飛ばされた。
一瞬にして仲間二人が攻撃を受けたが、木場はそれを心配している余裕など無い。サイラオーグはゼノヴィアを蹴った反動を利用して木場との距離を詰め、尚且つ既に攻撃態勢に入っている。動き全てが次へと繋がっている完璧な動さにより木場に逃げる隙を与えない。
サイラオーグの拳が突き出されるが、木場はそれを聖魔剣で受けると同時に持てる力を脚部に込めて全力で後ろへ飛ぶ。
(軽い……?)
サイラオーグの拳を防いだ木場の感想がそれであった。絶大な威力を秘めている筈なのだが、異様に軽く感じたのだ。
木場は数メートル程飛んだ後に着地して構える。サイラオーグの追撃は無い。サイラオーグは何かを確かめるように拳を開閉していた。
『リ、リアス・グレモリー選手の『戦車』、リタイヤです』
一拍遅れて告げられるロスヴァイセのリタイヤ。防御に優れた『戦車』であるロスヴァイセがたった一撃で倒されたことに木場だけでなくこの会場にいる全てのものが騒然となる。しかも、添えるような拳の一撃で。ロスヴァイセの鎧には傷一つ入っていないにもかかわらず。
そして、追い打ちをかけるようにピシリ、という音が鳴り木場の聖魔剣が粉々になって砕けた。
何故サイラオーグの拳を軽く感じたのか木場は思い知らされた。木場の聖魔剣ではサイラオーグの拳に対抗出来ない。軽かったのはサイラオーグの剣では無い。木場の聖魔剣の方であった。
「ぐっ……!」
ゼノヴィアは呻く。サイラオーグに蹴られた後、水切りのように地面を何度も跳ねることになった。立ち上がったものの肩に激痛が走る。サイラオーグのたった一発の蹴りで肩が完全にいかれてしまい、垂れ下げることしか出来ない。
始まって数秒も経たずに実力差を見せつけたサイラオーグ。だが、その表情は心なしか不満そうにも見える。
普段は施してある四肢の枷を今のサイラオーグは解除していた。シンとの戦いの後、そのときの感覚を忘れない為である。
これまでのサイラオーグは己の力を完全に把握している。しかし、今のサイラオーグは自分の力を若干持て余していた。イメージと実際の結果にズレが生じている。
相手が覚悟して挑んでいる以上本気で返して殺めてしまった場合は仕方が無いと割り切れるが、今のように制御し切れていない力で誤って死なせてしまったら目覚めが悪い。
傲慢、不遜ととられてしまうような考え。だが、サイラオーグには許される。
何故ならばこの場に於いてサイラオーグは強者だからだ。
何とかサイラオーグを出せました。
次回は存分に力を見せつける回となります。