ハイスクールD³   作:K/K

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忍者、英雄

 前三方を塞いで立つ巨体。迫力あるその体つきと形相に、一誠は静かに唾を呑み込む。

 

『用心しろ、相棒。こいつらは鬼だ』

(鬼ってあの鬼かよ!)

 

 一誠の頭の中で虎の腰巻きを付け、金棒を持ち、癖毛の中から二本の角を出す赤い鬼の姿が思い描かれる。が、目の前の鬼と言われた者たちからはその絵と全く異なる。

 確かに角らしきものが見えるが、それ以外の共通点が見当たらない。絵本の中に存在する鬼の様な愛嬌は皆無であり、金棒よりも物騒な得物を持っている。

 

『鬼の中でもかなりの上位だ。気を抜くとすぐにやられるぞ』

(それは……分かる)

 

 体格や顔以上に、百戦錬磨の戦士が放つ研ぎ澄まされた威圧感に、体の産毛が逆立つ。

 

「サッサト首ヲ捩ジ切ッテシマウカ」

 

 片言で喋る金色の鬼──キンキ。

 

「馬鹿が。おひい様は殺せとは言ってねぇだろうが」

 

 キンキの発言に口を出すのは紫色の鬼──スイキ。

 

「やれやれ。殺るんなら八坂様の居場所を吐かせてからにしろや」

 

 水色の鬼──フウキもそれに同意する。

 

「一々茶々ヲ入レルナ。鬱陶シイ」

「茶々も入れたくなるわ。お前の馬鹿な発言には」

「あーあー。止めろ止めろ、お前ら」

 

 一誠が見ている前で口喧嘩を始める。キンキとスイキ。それをフウキが仲裁しようとする。

 木々や社に隠れている者たちが鬼らの諍いにざわめき出す。

 

「ええーい! 揉めとらんでさっさと母上の居場所を吐かせるんじゃ!」

 

 業を煮やして狐の少女が怒声を飛ばす。

 

「オ嬢様。コノ陰険鬼ガ!」

「おひい様。この石頭に言って下され!」

「お主らはー!」

 

 喧嘩を始める鬼たちに、一誠は先程までの緊張は何だったのかと脱力してしまう。

 

「ほーれみろ。ドアホウが釣れた」

 

 瞬間、フウキが両剣を振るう。一誠は両剣に吹き飛ばされ、木の幹に背中から叩き付けられる。

 

「馬鹿が。構えを緩めてんじゃねーよ」

「腸グライハ出タカ? ソノママ引ッ張リ出シテ木ニ打チ付ケロ。ソノ程度ジャ悪魔ハ死ナン」

「見ましたかーお嬢。やってやりましたよー」

 

 全ては一誠の油断を誘う為の演技。味方すらも騙してみせる。この鬼たちは尋常ではない力を持つが、この様な卑怯な手も躊躇無くやれる。

 

「そ、そうじゃな……」

 

 やり方の汚さに、さっきまでの怒りもすっかり消沈し引いてしまった狐の少女。

 

(ゆ、油断した……!)

 

 鬼たちのコミカルなやり取りにすっかりと気を緩めてしまった一誠。未熟な己を情けなく思う。しかし、一誠は確かに気を緩ませたが、完全に戦闘解除した訳では無い。

 

「あん?」

 

 三鬼の内の誰かが少し驚いた声を上げる。木の幹に背を預けながら立ち上がろうとする一誠。その左腕には『赤龍帝の籠手』が顕現しており、フウキの両剣による一撃が生む摩擦で白煙を上げていた。

 フウキの攻撃の刹那の間に戦闘態勢に入ることで籠手を纏い、それによりフウキの不意打ちの防御に間に合わせた。尤も、威力を殺すことは出来ず吹き飛ばされてしまった。

 三鬼たちは一誠が立ち上がるのを黙って見ていた。彼らの目は一誠の『赤龍帝の籠手』に釘付けになっている。

 

「こりゃあいい。つまらん小物だと思っていたがとんだ大物じゃねぇか」

「ソノ籠手、オ前『赤龍帝』ダナ」

「ほーお。見掛けによらんもんだ」

 

 口調自体は吞気なものであったが、三鬼が放つ気が爆発的に膨れ上がっていく。『赤龍帝の籠手』を見て、彼らは初めてやる気になってきたのだ。

 

「お前らぁぁぁぁぁぁ!」

 

 雷鳴の如きスイキの大声量。お前らという言葉から一誠に向けられたものではないが、近くにいた一誠は思わず仰け反り、狐の少女も突然の大声に『ふぎゃっ!』と驚いて跳びはねていた。

 

「誰も手ぇ出すなよ?」

 

 楽し気ながらも寒気立つ戦意に満ちた声。

『お前ら』、『誰も』という言葉を確認する為に一誠は周囲を見回す。林や木の陰から山伏の姿で黒い翼を生やし、頭部が鳥となっている異形ら。社の裏から神主の格好をし、狐の面を被った者たちがこちらを覗き見ていた。

 

「今からこいつは俺ら『四鬼』の獲物だからよー」

「邪魔シタラ潰ス」

 

 フウキ、キンキが手を出させない様に味方に釘を刺す。殺すとまで言わない辺りが彼らなりの仲間意識を感じさせる。それでも物騒だが。

『四鬼』という名からして四体の鬼が属する集団なのだろうが、肝心の四体目の姿は見えない。何かしらの理由で不在なのかもしれない。

 異形らは困った様に顔を見合わせて小声で喋っていたが、スイキたちに言われた通りその場から動こうとはしなかった。

 

「赤龍帝の首を獲れば俺たちの名も上がる」

「俺たちの名が上がれば大将の名も上がるというもんよ」

「ソノ通リ」

 

 数の有利をあっさりと捨ててしまう三鬼。誰も文句を言わない──と思いきや、狐の少女だけが顔を真っ赤にしている。

 

「お主ら勝手に……!」

 

 自分のことを差し置いて勝手に決められたことに怒っていた。

 

「怒んないで下さいや、お嬢。後で甘いものを買ってあげますんで」

「そんなもの要らん!」

「だったら玩具を買ってあげますよ、おひい様」

「だから要らんと言うとるじゃろ!」

 

 軽んじている訳では無いし親しみも持っているが、この三鬼の手綱を完全に握るには狐の少女は色々な意味で幼過ぎた。

 地響きの様な足音が響く。キンキが石畳を踏み砕いた音であった。次なる一歩を踏み進めると思いきや、少し間が置かれる。

 それが力を溜め込む動作であることに一誠が気付いた時、キンキが飛び出す様に前進する。

 

「おい。抜け駆けすんなよ」

 

 スイキがその背に咎める声を飛ばすが、キンキの足は止まらない。

 

『Boost!』

 

『赤龍帝の籠手』による倍化は既に始まっている。向上した力で一誠は籠手を握り締め、前進してくるキンキに対して迎え撃つのではなく突進する。

 

「フン!」

 

 間合いに入った一誠に薙刀を振るうキンキ。首を切り落とすつもりで放たれた一撃。

 

「おりゃあ!」

 

 一誠は籠手から魔力を噴射。それにより一誠は急加速し薙刀が首に届く前にキンキの懐に飛び込み、加速の勢いのまま鳩尾に拳を打ち込んだ。

 

「ぐっ!」

 

 呻いたのは一誠の方であった。硬そうな見た目通りキンキの体は頑丈であり、籠手で覆われていても素手で金属を叩いた様な痛みが拳に伝わって来る。

 だが、キンキも一誠の攻撃が直撃して無傷という訳でも無かった。打ち込まれたキンキはその場から数歩後退させられてしまう。瞬間的だがキンキの力を一誠が上回ったことを意味する。

 

「ほー。キンキを殴り飛ばすか。おたく、見た目よりも力があるねー」

「はっ。格好わりぃな! 返り討ちに遭うなんてよ!」

 

 キンキを心配する素振りを見せない。逆に言えばあの程度ではびくともしないという信頼の裏返しとも言える。

 二体の鬼がキンキを揶揄っている内に一誠は接近を試みるが──

 

「あめぇよ」

 

 スイキは一笑し、菊割れの様な口から息を吹き出す。白い靄となっている息が一誠に触れると、痛みを伴う冷たさと共に氷が張り出す。

 

「間薙と同じ技……!」

 

 シンと同じ氷の息により一誠の半身に薄い氷の膜が張って行く。氷の息が掛かった場所が運悪く目の近くであり、一誠が反射的に目を瞑ると瞼の上に氷が覆われ、片目が開けられなくなってしまう。

 

「はっ」

 

 フウキが刃を地面に突き立てる。一誠の周囲に三つの竜巻が生じ、それが一誠に向かって集まり出す。

 逃げ場を潰された一誠に風の力が唸りを上げて彼を呑み込む──かと思われた時、銀色に輝く無数の線が一誠の周囲を囲み、一誠を呑み込む筈であった竜巻を斬り裂いてしまう。

 

 一誠はその輝きに見覚えがある。見ただけで鳥肌と悪寒が走る聖なる気の輝き、間違いなく聖剣のもの。

 

「間一髪ってところ? というかどういう状況? 妖怪さんよね?」

「大丈夫か? イッセー」

 

 一誠を守る様に左右を固めるのはゼノヴィアとイリナ。イリナの手には細い刃が付いた柄が握られている。先程一誠を守ったのはイリナの『擬態の聖剣』によるものだった。

 体を少し震わせ、体に張り付いた薄い氷の膜を剥がすと開いた目に映るのは──

 

「ぶ、無事ですか!」

 

 ──少し遅れて到着するアーシアだった。近接戦闘要員である二人と後方支援担当のアーシアの足を比べたら到着に差が出ても仕方ない。しかし、かなりの距離を走ったと思われるアーシアは息一つ乱しておらず、すぐにでも戦いに参加出来る様子であった。

 

「そうか……お前たちが母上を……最早許すことなど出来ん!」

「だからお前の母ちゃんのことは知らないって!」

 

 母親のニオイがすると言われても本当に心当たりが無い。それらしき人物に接触したことも見た記憶も無い。

 

「黙れ! 不浄なる魔の存在め! 神聖な場所を穢し──」

「うーん? 悪魔は三匹居るが、もう一匹は悪魔じゃねえな。気配が違う」

「うへぇ。聖剣を持っているぜ、あの女。大将の傷に残ってたいやーな感じがそっくりだ。ってか何で悪魔と天使が一緒にいる?」

「悪魔、天使、堕天使ハ協定ヲ結ンダ。ソレグライ知ッテオケ」

 

 意気込む狐の少女の話に割り込む様に雑談を始める三鬼。折角決めようとしている所を台無しにされた狐の少女は全身を震わせた後、怒鳴る。

 

「今は私が喋っているじゃろうが!」

「おいおい。おひい様を怒らせるなよ」

「お前のせいじゃねえのか? お嬢が怒っているのは?」

「オ前ラ黙レ。オ嬢様ニ無礼ダ」

 

 全く反省することなく責任の擦り付け合いをする三鬼。狐の少女の二度目の怒りが爆発するのはすぐのことであった。周りの妖怪たちもどうするべきかとオロオロしている。

 その間に一誠はアーシアたちと戦況を整える。なるべく目立たない様にこっそりと。

 

「アーシア。部長から受け取ったアレを出してもらえるか?」

「はい!」

 

 アーシアはスカートのポケットからグレモリーの紋章が入ったカードを取り出す。

 このカードは、京都に居ないリアスの代わりに一誠のプロモーションを承認することが出来る代理認証カードである。これで好きな駒にプロモーションが出来る。

 

「イッセー。アスカロンを借りるぞ」

「ああ」

 

 これでゼノヴィアもアスカロンを使用出来るが、一誠は前以って注意をしておく。

 

「でも、気を付けろよ? よく分からない理不尽なことに巻き込まれているけどここは京都、よそ様の縄張りだ。相手や周辺を傷付けるのはまずい。出来るだけ追い返す程度に留めよう──難しいかもしれないけど」

 

 事前にリアスからも『色々な方面に迷惑を掛けるから京都では暴れるな』と言われているので、可能な限り被害を抑える様には努力するつもりである。しかし、最後に付け加えた様に三鬼相手にそれが出来るかどうかが難題であった。

 すぐにでもプロモーションが出来る準備はしておく。キンキの硬さを考慮して『戦車』にするか、まだ目立った動きを見せていないスイキとフウキに対応する為に『騎士』にするか、或いは特化せずに『女王』で全能力を上げて三鬼に対してある程度対応出来る様にしておくべきか。因みに『僧侶』は選択から排除しておく。こんな場所で威力が高まったドラゴンショットを撃てば伏見稲荷が消滅する。

 迷った末にプロモーションする駒を選び、『赤龍帝の籠手』にも十分力が溜まった。

 

「行くぜ! プロモーション」

「何をやっている。お前たちは」

 

 知らない声と共に一誠は頸部を圧迫され、足が地面を離れて爪先立ちになる。

 

「ぐっ!」

 

 背後に立つ何者かが一誠の首に棒を押し当て、それを持ち上げて吊るしている。何の前触れも無く、気配も無く、攻撃されるまで感知出来なかった。

 息が辛うじて出来る状態で見上げさせられた一誠の顔を覗き込むのは、真っ黒な顔の鬼の赤い双眼。

 

「イッセー!」

「イッセー君!」

 

 一誠を襲う謎の鬼の登場に一瞬呆気にとられたゼノヴィアとイリナであったが、即座にアスカロンと『擬態の聖剣』を振り上げて一誠を助け出そうとする。

 

「動くな」

 

 二人が踏み出す前にその首筋に三日月の刃が突き付けられる。気付けば二人の間で全く同じ黒装束の黒い鬼がしゃがんだ姿勢で得物を構えていた。

 

「う、嘘……!」

「いつの間に……!」

 

 またも気配も無く接近を許してしまったことに驚くゼノヴィアとイリナ。

 

「イッセーさん! ゼノヴィアさんにイリナさんも……!」

 

 三人が黒い鬼相手に身動きがとれなくなる。何かするべきと考えるアーシアだったが──

 

「下手な真似はするな」

 

 ──得物を持ったまま腕を組む三体目の黒い鬼が傍に立って警告する。

 一誠たちは謎の鬼の登場で身動きがとれなくなってしまう。

 一方で妖怪たちの反応は違っていた。

 

「鬼の大将……!」

「もう動けるのか!」

「これであの悪鬼共が静かになる……」

 

 黒い鬼を知っているらしく登場に安堵していた。

 妖怪たちが安堵する一方で三鬼たちは真逆の反応を示す。

 

「た、大将! 何でここに!」

「やべー、やべー……どうするんだ」

「……モウ無理ダ」

 

 余裕と傲岸不遜の自信に満ちていた三鬼が一気に焦り出す。

 

「──見ていたぞ、お前たち」

 

 絶対零度の冷たさを含んだ言葉が三鬼たちの背後から掛けられる。そこには四体目の黒い鬼が立っている。

 

(忍者かよあいつ!)

 

 分身する黒い鬼に、一誠は絞められながらもそんな感想を抱いてしまう。

 

「み、見ていたというと?」

 

 声を震わすスイキ。表情が分からないが、誤魔化す様な笑みを浮かべているのが伝わって来る。

 

「お前らが童の様に騒ぎ、我儘を言って九重様の手を煩わせている時からだ」

 

 次の瞬間、スイキが真上に飛び上がり、フウキは真横に飛び、キンキが地面に頭を叩き付けられる。目にも止まらぬ黒い鬼の仕置きを兼ねた暴力が、三鬼をあっという間に叩き伏せた。

 

「たわけ共が」

 

 そして、黒い鬼は狐の少女の前で跪く。

 

「九重様。申し訳ございません。日々、無礼の無いよう躾ておりましたが、我が目が届く所では行儀良く振る舞っていましたが、目を離した途端にこれです。全ては私の監督不行き届き。罰を与えるのであれば私に」

 

 深々と頭を下げる黒い鬼。

 

「そ、そんなことはいい! オンギョウキ! お主の傷の具合は大丈夫なのか!」

 

 謝罪よりも先に黒い鬼──オンギョウキの体を心配する九重と呼ばれた狐の少女。黒い鬼は何かしらの傷を負っている模様。

 

「九重様自らがご出陣したというのに寝てなどいられません」

「そ、そうか!」

 

 何とも複雑そうな表情をする九重。来てくれたことを嬉しく思う反面、無理をさせてしまっている負い目を感じさせる表情であった。

 

「だが、お主が来てくれれば百人! いや千人力じゃ! あやつらを捕らえるのじゃ! 奴らからは母上のニオイがする!」

「八坂様の……?」

 

 オンギョウキの赤い目が一誠たちに向けられる。既に身動きが出来ない一誠らは、向けられたその目に心臓が止まる思いであった。

 

「──僭越ながら申し上げます」

「何じゃ?」

「ここは退くべきかと」

「何じゃと!」

 

 考えてもいなかった発言なのか、九重は目を剥く。

 

「あそこにいるのは赤龍帝でございます。赤龍帝の実力は未知数。もし、禁手に至っているのであれば被害は免れません。或いは今も禁手の為の準備を進めている可能性も」

 

 実際のところ、オンギョウキの指摘は間違っている。一誠は首を絞められている状態であっても稲荷大社を破壊しない為に禁手の為のカウントダウンを始めていなかった。禁手はあくまで最後の最後にとっておく手段であり無暗に使うものではない。尤も、オンギョウキのこちらへの対応次第では使用も辞さないつもりであった。

 オンギョウキが勘ぐってくれたのを利用し、一誠は籠手に填め込まれた宝玉を輝かせてみせる。

 

「むう……!」

 

 九重は驚き、妖怪たちもざわめく。

 ただのハッタリであるが、禁手を知らない彼女らからすれば、禁手発動の前兆に見えなくも無い。

 

「ぐぬぬ……!」

「九重様。ご決断を」

 

 悔しそうに拳を握り締めた後、九重は決断する。

 

「……撤退、撤退じゃ! 無駄に犠牲を払う必要は無い!」

 

 九重の号令により妖怪たちは身を隠し、気配も遠のいて行く。

 

「──行くぞ、お前たち」

 

 今だに吹っ飛ばされた姿勢のまま固まっている三鬼たちに厳しい声を掛けるとオンギョウキは地面に掌を押し当てた。

 周囲の枯葉が重力に逆らって浮き上がり、一誠たちの視界を塞ぐ様に動き回る。

 

「うおっ!」

 

 その最中に締め上げていたオンギョウキが消え、一誠は尻餅を突く。アーシアたちを牽制していたオンギョウキの分身も消えていた。

 大量の枯葉が擦れ合い耳障りな音を奏でる中、耳元で直接囁かれた様な声が入り込んで来る。

 

「迷惑を掛けた」

 

 その声の後、九重もオンギョウキも三鬼も消え去っていた。

 構えと共に緊張感も解ける。修学旅行初日から理不尽且つ意味不明な襲撃を受けるとは思ってもみなかった。

 この京都に於いて起こって欲しくないことが起こることを予感させるには十分な出来事に、一誠は堪らずぼやく。

 

「……無事に済むかなー」

 

 

 ◇

 

 

 白髪の青年──ジークフリートが振るう剣がシンの首元を狙う。薄っすらと浮かべる笑みはまごうことなき美丈夫のそれであるが、シンはジークフリートの顔立ちに既視感を覚えつつ、一歩下がり紙一重の回避で剣を避けた後に大きく後ろに跳び退いた。

 間合いを広げ、視界内にジークフリート、ジャンヌ、ヘラクレスを収める為である。

 幸いジークフリートたちは追撃はせず、ジークフリートの斬撃を避けてみせたシンに少し驚いていた。

 

「やるじゃねぇか! そう来なくちゃ面白くねぇ!」

「凄いね。お姉さんびっくり!」

 

 ヘラクレスとジャンヌが褒めてくる。しかし、その言葉は逆にヘラクレスたちの余裕を感じさせた。

 

「感心するよ。あれを避けたことに」

 

 ジークフリートもまた余裕を感じさせる笑みを浮かべている。

 

「──でも、ちょっとだけ遅かったかな」

 

 シンは首元に熱いものを感じ指先で触れる。指には血が付着しており、首元には小さな切り傷があった。ジークフリートの言う通りほんの少しだが避けるのが遅かったらしい。

 ジークフリートの握る剣は鍔部分に華美な装飾がされており、剣身からは一目でまともな剣では無いのが分かる妖しいオーラが放たれている。

 剣自体は避けることが出来たが、あのオーラまでは避け切ることが出来ずに首元に切り傷が出来てしまったらしい。

 シンは傷口を指先で拭う。それだけの行為で傷口は塞がっていた。

 

「へぇ。掠った程度とはいえ魔剣の傷をそんなに簡単に治せるんだね。大したものだね」

「……魔剣?」

 

 敵と会話する趣味は無いが、後の戦いの為に少しでも情報を得ることを目的として敢えて聞き返す。

 

「そうだよ。魔帝剣グラム──それがこの魔剣の名さ」

 

 グラム──北欧神話の英雄シグルドの愛剣の名。英雄派はその名の通り過去の英雄の血を受け継いだ者で構成されているという。この男もまた英雄シグルドの血を受け継いでいるのだろう。

 

「随分と有名な剣に斬られたもんだ。──傷を消したのは勿体無かったかもな」

「ふふふふ。そういう冗談は結構好きだよ」

 

 皮肉を混ぜた冗談を笑って受け止めるジークフリート。

 

「それにしても、グラムを使うのに名はジークフリートなんだな」

「あはははは。ジークフリートは皆が呼ぶあだ名さ。本名はジークっていうんだけどね」

 

 彼と似た容姿をしたイカれたはぐれエクソシストのフリード。二人の名を繋げるとジークフリードとなるが果たして偶然なのであろうか。

 

「ただ安心してくれ──」

 

 ジークフリートは鞘に収めている剣の内、青い宝玉が柄に埋め込まれた一本を少し抜き、シンに剣身を見せる。

 

「──ちゃんと持っているよ。魔剣バルムンクも」

 

 過去の英雄ジークフリートが愛用していたと言われる剣──バルムンク。青い宝玉を埋め込まれた柄がグラムとは異なったよからぬ気を剣身から漂わせている。

 魔剣が二本。単純に考えれば腰に収まっている残りの剣もまた魔剣の類なのだろう。それも叙情詩や物語に出て来る名の有るもの。

 

「二本も見せたのは少しサービスが過ぎたかな?」

 

 ジークフリートは特に後悔した様子も無くバルムンクを鞘に戻す。最初からグラム一本で戦うつもりらしい。

 

「でも、土産話にするんだったら二本でも十分だろう? まあ、出来たらの話だけど」

 

 当然ながらジークフリートはシンの意図を察していた。この情報を持ち帰ることが出来るかどうか煽って来る。

 

「もっと見たかったが残念だ」

「そう思うなら僕に抜かせればいいだけさ。君の実力でね」

 

 ジークフリートは両手を広げ、五本の魔剣を見せつける。

 

「先に言っておくと、どれも自慢の剣だ。君の仲間の木場君が創造出来る聖魔剣にも引けを取らない。いや、場合によっては上回っているかもね」

 

 手首を返し、シンにグラムの剣の腹を向ける。剣身に光が反射し、シンはその光を見て目を細める。

 

「さて、じゃあ──」

 

 ジークフリートが斬り込もうとする前に、後ろに立っていたヘラクレスが彼の肩を掴んで強引に後ろに下げてしまう。

 

「お前らお喋りし過ぎだ。交代だ、交代」

 

 戦い前の会話が気に入らなかった様子。

 

「ここは僕の番じゃないかい?」

「うるせぇ。ペチャクチャと口で語るもんじゃねぇ」

 

 ジークフリートは不満を口に出すが、ヘラクレスを止める気は無い模様。

 ヘラクレスは拳を固めながら大股でシンへと近付き、己の拳を威圧する様に見せつける。

 

「語るならこれだよなぁ?」

 

 ヘラクレスが拳を振り上げる。シンはその場から動かない。

「怖かったら逃げてもいいんだぜ?」

 

 ヘラクレスの挑発。それに対し、シンは無言で指招きし挑発し返すことで応じる。

 

「ハッハー! 良い度胸じゃねぇか!」

 

 振り下ろしの右がシンの頬に命中。シンの顔が強制的に横を向くが、一歩も動かず膝も曲げない。衝撃が足元まで突き抜け、石階段が砕ける。

 首の骨が折れるを通り越して粉砕するかもしれない一撃を顔面に受けたまま、今度はシンの拳がヘラクレスの脇腹へ叩き込まれる。

 岩の様な見た目の鍛え上げられたヘラクレスの筋肉の鎧を突き破り、沈み込むシンの拳。

 

「──っぐう!」

 

 拳が振り抜かれる前に、ヘラクレスの方が後ろに下がってしまう。

 

「こいつ……!」

 

 奥歯を強く噛み締める音。ヘラクレスの額から一筋の汗が流れ落ちる。ヘラクレスの脇腹にはくっきりと拳の跡が残っていた。

 

「自分から挑んでおいて退くなんてカッコ悪ーい、って言おうと思ったけど貴方が自分から退くなんてよっぽどのことなのねー」

 

 ジャンヌは吞気な口調でありながらその目を刀剣の様に鋭くさせる。仲間の有り得ない行動だからこそ警戒が強まる。

 シンはその視線を無視して口の端から垂れ血を拭い取り、ついでに顎をさする。歯も骨も折れていない。

 

「細い体の割には随分なもん持ってんじゃねーか……!」

 

 体の奥深くまで染み込む様な一撃。魂まで食い込む様な衝撃と言わんばかりの、言葉では表現し切れない痛み。顔色を悪くさせながらもヘラクレスは豪気な笑みをシンに向けて見せた。

 

「あんまし舐めたつもりは無かったが、そんななりでもやっぱ魔人ってこったな!」

 

 再び拳を握り締めるヘラクレス。だが、何か雰囲気が変わったのをシンは敏感に感じ取った。見た目は変化していないが間違いなく神器を発動させたものと思われる。

 

「はいはい。一人でテンション上げてないでね? 私もやるんだから」

 

 ジャンヌが微笑むと足元から無数の剣が生えてきた。その剣を一目見ると目の奥に痛みを感じる。身に覚えのある痛み。生えてきた剣全てが聖剣であった。

 剣が創造される様子が木場の『魔剣創造』と似ている。恐らくは『魔剣創造』と対成す神器である『聖剣創造』に違いない。

 ジャンヌは生えてきた聖剣の内の一本を引き抜く。残りは後の攻撃の為に取っておく──と思っていたが、残りの聖剣が地面から飛び出し、重なり合い、纏め合って一つの物体と化す。

 その体を支えるのは脚に見立てた二本の聖剣。左右から突き出る腕に見立てた聖剣。柄と鍔と刃で作り上げられた頭部らしきもの。ジャンヌは聖剣を束ねて人型にした。

 

「どうどう? お姉さんのお人形さんは? 初めて見るでしょ? 禁手化一歩手前の神器って」

 

 相手の戦力が増えた。また、シンが不利になっていく。

 

「四対一になっちゃったけど、ごめんなさいね。でも、これが戦いだから」

「気にするな。別に間違ったことはしていない」

「あら、優しい」

「その代わりに一つ許して欲しいことがある」

「許して欲しいこと?」

 

 意図が分からない台詞に三人は訝しむ。

 

「それって何だい?」

「不意打ち」

 

 次の瞬間、ヘラクレスが地面に叩き伏せられる。

 

「何っ! 何っ!」

 

 倒れ伏せたヘラクレスの背中に乗るのは白銀の体毛を持つ巨大な犬。

 

「アオォォォン!」

 

 ジークフリートに振り向き様に振るわれる前足。獣爪から放たれる斬撃を咄嗟にグラムでガードするが、衝撃で吹き飛ばされる。

 体勢を変え、ジャンヌへと顔を向けて大口を開くとそこから炎が吐かれ、聖剣人形ごとジャンヌを炎で包み込む。

 

「流石」

「グルルルル。次ハモウ少シタイミングヲ選ベ」

 

 口の端にドックフードの食べかすを付けたケルベロスが少し恨めしそうに言った。

 

「……いつまで人の上に乗っかってんだ」

 

 ケルベロスに踏まれているヘラクレスの唸る様な声。

 

「犬っころ!」

 

 光が生じると同時に轟音、爆発が発生。爆炎の中にケルベロスが包まれる。だが、すぐにそれを突き破って脱出するのと、ケルベロスはシンの隣に着地する。

 体から煙が立ち昇っているが体毛に目立った汚れも無い。ヘラクレスに直に触れていた足も──そこでシンは気付く。ケルベロスの爪の一本が根本から切断されて欠けていることに。

 斬られたタイミングなど一つしか思い浮かばない。

 

「少し驚いたよ。中々良い攻撃をするね、君のペットは」

 

 斬った当人であるジークフリート。不意打ちを受けても無傷どころか、密かに反撃すら行っていた。

 

「もう。火は止めてよー。汗かいちゃうじゃない」

 

 聖剣人形が四肢の剣を振り回してケルベロスの炎を全て払ってしまう。それに守られていたジャンヌは火傷一つ無かった。

 

「おい、お前ら。人修羅はくれてやる。代わりにあの犬っころは俺にやらせろ……!」

 

 額に青筋を浮かべて怒りを露わにするヘラクレス。腕や脚の筋肉も隆起しており、不意打ちで足蹴にされたことが余程屈辱的だったのだろう。ケルベロスを吹き飛ばす際に爆発を起こしたが、至近距離でそれに巻き込まれていたヘラクレスの体は無傷であった。恐らくはそういう能力の神器なのだろう。

 仲間の答えなど聞く気の無い態度のヘラクレスに、ジークフリートは苦笑しジャンヌは溜息を吐くだけで終わる。それは彼に譲るという意味でもあった。

 

「おい、犬っころ」

「犬ッコロト言ウナ。オレハケルベロスダ」

「ケルベロスだと……?」

 

 その名を聞くとヘラクレスは一瞬ポカンとした表情になるがすぐに爆笑し出す。

 

「ハッハッハッハ! 何つう偶然だよ! ヘラクレスの俺の前にケルベロスが現れるなんてなぁ!」

「……ヘラクレス?」

 

 ケルベロスの方はヘラクレスの知識が無いらしく、シンの方に『誰ダ?』と言わんばかりの目を向ける。

 

「知らねぇんだったら覚えておきな! てめえを殺す奴の名をよぉ!」

「グルルル。ヨク吼エル」

「──にしても」

 

 ヘラクレスは不躾な態度でケルベロスの全身を眺める。

 

「残りの頭二つはどうした? 生えてないのか? お前、実はまだ子犬か?」

 

 ケルベロスにとってのコンプレックスを踏み抜くヘラクレスの無遠慮な発言。更には既に成犬である身を──悪気無しだが──子犬と侮辱した。

 普段は大人しいケルベロスを激怒させるには十分であった。

 

「オ前ハ、丸カジリニシタ後デ吐キ捨テテヤルッ!」

「上等だ! てめえの毛皮で服作ってやるよ! 

 

 互いにこれでもかと殺気を衝突させた後、怒りを露にしながら同時に飛び掛かり、巨体と巨体で組み合いを始める。

 因縁の戦いが勝手に始まってしまった一方で、特に因縁の無いシンとジークフリード、ジャンヌが睨み合う。

 

「ふふ、僕たちも行こうか」

「お姉さんたちはスマートに行きましょう? あっちみたいに暑苦しいのは嫌だし」

 

 ジークフリードがグラムを妖しく輝かせ、ジャンヌが聖剣を指揮棒の様に振るうと人形が動き出す。

 シンは軽口に応じることなく静かに拳を握り締めた。

 

 

 ◇

 

 

「ふふっ。面白い展開になってきたな」

 

 シンたちの戦いを見学していた曹操は楽しげに零す。曹操は気付かない内に少し離れた場所に移動し、そこで観戦していた。もう少し近くで見たかったが、隣に立つ人物がそれを許さない。

 

「あまりはしゃいでいる余裕も無いぞ、曹操。──正直、俺は今回の接触にメリットを感じない」

 

 ローブを纏い眼鏡を掛けた青年──ゲオルクは不機嫌そうな表情のまま言う。ゲオルクの隣には英雄派最年少であるレオナルドも居た。

 

「メリット? もし上手く行っていたら彼も仲間に出来ていたかもしれないじゃないか」

「もしもの話など意味が無い。現にジークフリートたちと戦っている。それにお前も成功するとは微塵も思っていなかったんじゃないのか?」

 

 ゲオルクの問いに曹操は含みのある笑みを浮かべる。それを見てゲオルクは溜息を吐いた。

 

「順調に進んでいるとはいえ、自分からイレギュラーを招く行為は感心しないな」

「まあ、そう怒らないでくれ。これでも俺なりの考えがあってやっているんだ。是非ともあの三人には魔人との戦いを一度経験させたくてね」

 

 曹操の言葉にゲオルクだけでなく無表情で虚空を見ていたレオナルドも反応する。

 

「丁度いいんだよ、彼は。弱くは無いが隔絶した強さは無く、恐怖を覚えるが絶望する程じゃない。魔人として成長段階の彼は本当に丁度いい相手だ」

 

 三人に魔人との戦闘を経験させようとする曹操。

 

「──魔人もいずれ戦うべき相手と想定しているということか」

「何体かは戦うな。マタドールはまず間違いない。四騎士は微妙かな? 俺たちは人間だが危険な存在かどうか判断するのは彼らだし。天界とコキュートスに封印されている彼らも追い込まれたら猟犬として解き放たれるかも」

「……だいそうじょうとマザーハーロットはどうする?」

 

 マザーハーロットの名が出た瞬間、無気力であったレオナルドの双眸に生気が宿り、仲間に向けるべきではない殺気立った色を宿す。仲間から殺気を突き刺されても曹操は笑い、宥める様にレオナルドの頭を撫でる。

 

「彼らは味方だ。──今の所はね」

 

 まだ敵対する意志は無いと告げる。だが、含みを持たせた言葉であり場合によっては、という意味も込められていた。

 

「……そう言えば、だいそうじょうを『禍の団』に連れて来たのはお前だったな」

「連れて来た訳じゃない。彼は俺の行く末を見届けに来ただけだ」

「行く末?」

「それを見て判断するのさ。俺に死を与えるか否か、を」

 

 曹操とだいそうじょうとの間に彼らにしかない約束事があるらしい。気にならないと言えば嘘になるが、ゲオルクはそれ以上の追究はしなかった。

 

「ふう……まあいいさ。だが、後には赤龍帝たちも控えているのを忘れないでくれ。──ただし」

「あー、分かっているよ。アーシア・アルジェントは君が倒す、だったな」

 

 アーシアの名前が出た途端、ゲオルクの眼鏡の奥にある目が鋭さを帯びる。

 

「珍しく執着しているな。この間のことが原因なのか? もしかして、一目惚れでもしたか?」

「……笑えない冗談だな、曹操」

「くくく、そんなに睨まないでくれ。君の普段見られない面が見られてつい面白くなってね」

「──正確に言えばアーシア・アルジェントたち、だ。あの忌々しい魔象ごとアーシア・アルジェントを倒して初めてあの時の屈辱は払拭される……!」

 

 冥界でのアーシアとギリメカラに最後まで翻弄され、虚仮にされたことを今でも鮮明に覚えている。

 

「いいね、その感じ。それぐらい感情が剝き出しだと好印象だ」

「……俺としてはただの未熟の表れに過ぎない。感情はもっとコントロールするべきだ」

「そんな必要は無いと思うな、俺は。俺たちは英雄派だ。古今東西、英雄ってのは自分の感情に素直だ。俺たちもそうするべきだと思う。人々が考える英雄ってのは寝物語で聞かされる人間らしさを全てそぎ落として、理想と正しさで表面を固めただけのものだ」

 

 英雄の血と名を継ごうとも人は人。最初に会った時から曹操が常々言っていることである。

 曹操は人間を強いとは思っていないが、弱いとも思っていない。人間を醜いと思っていないが、素晴らしいとも思っていない。

 それが色々な人間を見て来た曹操なりの答え。

 故に曹操は半人半魔の存在である人修羅ことシンに興味を持っているのかもしれない。境界に立つ者が今まで見た事の無い人の姿を見せることに期待して。

 

「──楽しそうだな、曹操」

「ああ、俺は楽しいよ。とてもワクワクしている」

 

 曹操はシンから目を離さない。彼を見つめたまま、無意識に腕に巻かれている数珠に触れていた。

 

「だからといってこれ以上グダグダと時間を掛けることは無意味だ。俺たちにはやるべき事がまだ多くある。お前の為に今も働いている者たちだっているんだぞ?」

 

 ゲオルクに咎められ曹操は肩を竦める。

 

「──それに赤龍帝たちの戦いも今終わった。早くしないと気付いて合流するかもしれない」

「分かった、分かったよ。確かに少し遊び過ぎたみたいだ」

 

 曹操はこちらに視線を向けているジークフリートに気付く。軽く手を振って指示を送ると数珠に触れながら腰を上げた。

 

 

 ◇

 

 

 ケルベロスとヘラクレスの戦い。それは野生と野生のぶつけ合いであった。

 

「おらぁぁぁ!」

「アオォォォン!」

 

 ヘラクレスの拳がケルベロスの胴体に打ち込まれると爆発が起こる。しかし、ケルベロスは爆破されながらもヘラクレスの肩に爪を突き立てた。

 炎と物理に対して強い耐性を持つケルベロスにヘラクレスの爆発は効果が薄い。一方でケルベロスの爪はヘラクレスの筋肉に阻まれ深く食い込まない。

 組み合った体勢から連続して繰り出される拳打爆撃。ケルベロスは爪だけでなく牙も使い、ヘラクレスの鎖骨付近に噛み付く。

 お互い本気で相手を殺る為の戦いをしている。

 そこから少し離れた場所では──

 グラムによる一閃。木場と同等以上の速度で繰り出されるそれを、シンは最小限の動きで躱そうとする。

 眼前を通り過ぎて行こうとするグラムの刃先。が、途中で止まる。

 躱されるのが分かったと同時にジークフリートは振り抜くのを止め、その状態から突きを放つ。常人には不可能な反射神経と筋力が為せる技である。

 顔面中央を貫こうとする刃を頭を低くして避けるが、すぐに悪寒が首筋を粟立たせる。

 突きも中断され、手首を返して振り下ろしの斬撃へ軌道修正されていた。

 何が来るのか分からないままシンは地面を蹴って横へ移動。間合いに入っている限りグラムが追従してくるのが分かっていたので、必要以上の距離を置く。

 しかし、その動きは読まれておりシンが移動した先には聖剣人形が待ち構えており、シンの首を上段蹴りで狙って来る。

 シンの拳が脚となっている聖剣を下から突き上げ、軌道を無理矢理変える。大股を開いて頭上を超える蹴りとなったところに、胴体目掛けての拳が打ち込まれた。

 聖剣の集合体である為、それなりの重量はあったが殴り抜けられない重さでは無く、錐揉みしながら聖剣人形が吹っ飛んで行き、木の幹に衝突する。

 聖剣人形の胴体を構築している聖剣に亀裂が生じていた。一方でシンの拳も無傷ではなく、聖剣に触れたことで白煙が上がっている。

 死角からジャンヌが聖剣を突き出す。聖剣人形に意識が向いている内の攻撃。シンは反射的に手の甲で聖剣を叩く。叩かれた衝撃で軌道がずれ、狙いを外されるジャンヌ。

 そこにシンの方が踏み込んで拳を放とうとするが、いつの間にかジャンヌの背後に移動していたジークフリートが彼女の肩を掴んで後ろに飛び、拳の届かない位置に移動してしまったのでシンは攻撃を中断する。

 

「ありがと、ジーくん。お姉さん助かっちゃった」

「どういたしまして。それにしてもやっぱり手強いね。三対一でやって、あの程度か」

 

 ジャンヌの聖剣を叩いたことで手の甲に赤い筋が出来ておりそこから血が垂れ、白煙も上がっていた。聖剣による負傷はグラムの時の様にすぐには治すことが出来ず、暫く煙が上がり続けている。

 

「どうしたものかな……」

 

 ジークフリートはいつでも応戦出来る様にしながらさり気なく曹操の方を見る。それは、何処まで手の内を晒していいのかという確認であった。

 魔剣の一本や二本を晒しても特に問題は無いが、ジークフリートが持つ神器と新たに得た人工神器、そしてバルパーから実用試験という形で渡されたあの聖剣を使用するのは少し躊躇ってしまう。

 曹操から手で合図を送られる。すると、ジークフリートはグラムを鞘に納めてしまった。

 

「ちょっと! ちょっと! ジーくん何してるの?」

「終了だよ。撤退だ」

「えー、これから面白くなるのにー」

 

 ジャンヌは不完全燃焼故に不満を示す。

 

「ヘラクレス。君もだよ」

「待て! こいつだけはやらせろ!」

 

 ケルベロスの首を絞めながら腕を嚙み付かれているヘラクレス。すぐにジークフリートの言葉には従わない。

 

「ヘラクレス」

 

 もう一度名を呼ぶ。

 

「──チッ」

 

 ヘラクレスは舌打ちをするとケルベロスの首を抱えて、シンに向けて投げ放った。

 

「グルル」

 

 ケルベロスは空中で姿勢を立て直し、シンの隣に着地する。

 

「ということで」

 

 靴が石を叩く音。曹操らが石階段を下りてジークフリートたちと並ぶ。

 

「この辺りでお開きにしようか」

「……勝手だな」

「そう。俺たちは自分勝手で我儘なのさ」

 

 否定せず肯定する曹操。これ以上嫌味を言っても何一つ通じないのが分かるので、シンは口を閉じる。

 

「今日のはちょっとしたお遊びだ。次に会う時はもう少しだけ本気で行こう」

 

 曹操は手首に巻いてある数珠から珠を一つ外す。

 

「──こんな風に」

 

 指先で弾き、珠をシン目掛けて飛ばす。それが何の為のものか見極める為に注視するシン。

 珠が光を放つ。その瞬間、悪寒が走る。それは天使や堕天使が放つ光に酷似している。

 シンはこの時初めて破魔の光を目にした。

 石階段を思い切り蹴り飛ばし、可能な限り珠から離れる。ケルベロスもシンと同じ行動をとっていた。

 珠を中心として光の柱が広範囲に展開される。もし、内部に閉じ込められていたらどうなっていたか。

 空間が震え出す。ゲオルクが結界を解除したと思われる。周りの景色が横長に伸びていく程激しく震えた後、唐突に現実の稲荷山へと戻された。

 当然ながら曹操たちの姿は無い。在るのは──

 

「うおっ! 何だっ!」

「熊! 狼! 何っ!」

「誰か! 警察! 警察!」

「そこの君! 早く逃げろ!」

 

 ──急に現れたケルベロスの姿を見てパニックを起こす観光客ら。

 

「グルルル……」

 

 ケルベロスがどうするべきかとシンを見て来る。取り敢えず、後で呼び出すから山の中へ逃げろと頭の中で伝えておき、ケルベロスはその指示に従い山の中へと逃げていった。

 

(……無事に済むか?)

 

 キャーキャーと騒ぐ観光客たちの声を聞きながら、幸先の悪い修学旅行のこれからを不安に思うのであった。

 なお後日、稲荷山にて妖怪が現れたという噂話が、暫くの間京都を騒がすことになる。

 




お互い別勢力にちょっかいを掛けられた感じとなります。

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