ハイスクールD³   作:K/K

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新年もよろしくお願いします。


悪神、魔狼

「大きく出たな、ロキ。いつからそんなつまらない冗談を言う様になった?」

「冗談と本当のことが区別出来なくなるほど耄碌したか? オーディン」

 

 神と神とが互いに放つ圧が衝突し合う。力がぶつかり合うことで、陽炎の様に空間が歪み、不可視のものが可視化される現象を引き起こす。

 

「ロキ様! その侮辱、聞き捨てなりません! ましてや主神に牙を剥くなど重大な越権行為です! しかるべき公正の場に於いて異を唱えるべきです!」

 

 ロスヴァイセもまた馬車の上に立っていた。スーツは戦鎧へと着替えられているが、武器までは構えない。神同士が戦い合えばどれだけの規模の被害が発生するか分からない。何とか衝突を避けようと物申す。

 

「先に言ったが、オーディンとトールに真っ向から歯向かえる程の者など今の北欧には居ない。情けないことだがな。その二人の顔色伺いの場で何を唱えようとも無意味だ! そもそも一介の戦乙女風情が口を挟まないでくれ」

「ですが!」

「黙れ」

 

 ロキが眼光を鋭くさせると、ロスヴァイセは言葉を失う。それどころか呼吸も出来ないのか、何度も口を開閉する。ただ、強い意思を込めて睨んだだけで、不意を衝かれたロスヴァイセは生命の危機に陥る。

 

「下らん真似をするな」

 

 ロスヴァイセを守る様に二人の間にオーディンが入ると、途端ロスヴァイセの呼吸が動き出し、吸えなかった分を取り戻す様に激しい呼吸を繰り返す。

 

「はぁ! はぁ! はぁ! 申し訳、ございません、オーディン、様」

「落ち着いて、ゆっくりと息を吸え」

 

 ロスヴァイセを気遣うオーディンを、ロキは鼻で笑う。

 

「さてさて。お喋りも飽きてきた。そちらの方も準備が出来たようだ。そろそろ始めようじゃないか」

 

 ロキが言う通り、馬車の中に居たリアス、朱乃、ギャスパー、アーシア、アザゼルは既に外に出て飛翔している。飛べないシンもまた仲魔たちと一緒に馬車の上に移動していた。一誠も同じく馬車の上に居り、禁手の為のカウントダウンをスタートさせている。

 そんな中でオーディンが前に出ようとするが、ロスヴァイセがオーディンのローブの裾を密かに掴む。

 

「オーディン様、駄目です。ロキ様の目的はオーディン様です。どんな罠が仕掛けられているか分かりません。前に出るのは危険です」

「だがのう……」

「頼りない護衛ですが、オーディン様を戦いに赴かせる訳にはいきません。身命を賭してでも守るのが私の役目です」

 

 ローブを掴む手を振り払うのは簡単である。だが、どうしてもその気が起きない。

 

(神を倒せるのは神だけ、というのも古い考え方なのかもしれないのう)

 

 気は進まないが、ロスヴァイセの言葉を信じてここは若き者達に任せるとする。

 

「光栄に思って貰おう。神々の黄昏に悪魔や堕天使が混ざること、そしてその中で滅んでいくことを」

「最後に聞いておくぜ? お前の宣戦布告、取り消すつもりは無いな?」

「愚問。この時を以て黄昏が始まる」

 

 その宣言と共に、ロキの首へ伸びていく光の帯。帯が繋がる先にあるのはゼノヴィアが握るデュランダル。

 聖剣の大質量のオーラを圧縮、帯状にした聖剣による先手必勝の一閃。早過ぎるそれはロキの宣言前から準備していた。

 光の帯がロキの首に巻き付き、その首を斬り落とす──ことはなく、ロキに触れた途端、砕ける様にして消えた。ロキは一切動いていないというのに。

 

「──先手必勝だと思ったのだが、届かないか。流石は北欧の神」

 

 指一本動かすことなく聖剣のオーラを消し飛ばしたロキに、ゼノヴィアは冷静に評価する。

 

「デュランダル、いい聖剣だが使い手はまだまだ未熟。行動の早さは評価に値するがな」

 

 ゼノヴィアに続き、木場は聖魔剣を創り、イリナは『擬態の聖剣』を構える。先に攻撃を繰り出したのは、イリナ。擬態の聖剣の刃を枝状に伸ばしてロキの周囲を囲むと、聖剣に光の力を流し込み、枝分かれした聖剣の先端から、天使の光と聖剣のオーラが混じった鏃を無数に放つ。

 天使と聖剣の合わせ技。逃げ場の無いロキに光の鏃が衝突すると、光が弾ける。目を覆いたくなる閃光。その光の中目掛け、木場は宙に創造した十の聖魔剣を射出した。

 光が収まる。そこには笑みを浮かべるロキが無傷のまま、木場の聖魔剣十本を器用に操ってジャグリングをしていた。

 

「ふははは! 無駄だ無駄! 神、というものをいまいち理解していないようだな? たかが悪魔や天使の攻撃などでは我が身に血を流させることなど不可能!」

 

 遊び道具にしていた聖魔剣を、木場とイリナへ投げ返す。それも木場が放った倍以上の速度で。

 木場は同じ聖魔剣で投げ返された五本の聖魔剣を打ち落とす。イリナも擬態の聖剣と光の力を固めて作り出した剣による二刀流で聖魔剣を落としていくが──

 

(速っ! 重い!)

 

 ──辛うじて反応は出来るが、聖魔剣一本に込められた威力はイリナの全力で何とか打ち落とせられるもの。一本、二本を落として腕は痺れ、三本、四本目で自身の腕が重く感じ、態勢が崩れてしまう。

 最後の五本目を落とそうとするが、剣を振るう過程で気付いてしまう。

 

(間に合わない……!)

 

 反射的に目を瞑ってしまう。愚行だと分かっているが本能が止められなかった。しかし、一秒も満たずに来るだろう衝撃と痛みは一秒過ぎても来ない。

 イリナが目を開けると眼前で停止する聖魔剣の先端。

 

「大丈夫か?」

 

 その聖魔剣の柄を掴むのはバラキエル。間一髪の所でイリナが串刺しになるところを救った。

 

「あ、ありがとうございます!」

 

 バラキエルはイリナの無事を確認すると、掴んでいた聖魔剣を木場に投げ渡す。

 

「この程度では護衛にならないな、オーディン」

 

 全員の実力を見透かした様にロキは嘲笑する。

 

「前から言おうと思っていたんだがのう」

「何かな?」

「お前は、その遊ぶ癖をどうにかするべきだわい。だから──」

『Welsh Dragon Balance Breaker!』

「こうなる」

 

 禁手化を終えた一誠が、『赤龍帝の鎧』の状態で噴射孔から魔力を放出する。

 

『JET』

 

 ゼロから百へ急加速しながら一誠は拳を握り、薄ら笑いを浮かべているロキの顔面目掛けて一直線に進む。

 

「──ああ、居たな。そういえば」

 

 今、赤龍帝の存在を認識したと言わんばかりの態度。その高慢な鼻っ柱をへし折る為に、一誠は拳で突く。

 ロキの顔を貫く──かと思ったときには、そこにロキは居ない。

 

「パワーはある」

 

 いつの間にか一誠の側面へ移動していたロキ。突き出した拳と背中の噴射孔の向きを変えることで、鞭の様に拳先の見えない裏拳を繰り出す。

 

「スピードもある」

 

 しかし、それも空を切り、消えたロキは一誠の背後に移動していた。

 

「だがテクニックが無いな」

 

 ロキは、『赤龍帝の鎧』の噴射孔の一つを指の背でコン、と叩く。途端、同出力で噴射されていた魔力が片側だけ倍以上噴射し、一誠の体が空中で大きく回り始める。

 

「おおおおおおおおおおお! どうなってんだこれぇぇぇぇぇ!」

 

 早く回り過ぎて円盤の様になっている一誠。その声は回っているせいで遠くなったり近くなったりしていた。

 制御しようとしても言うことを聞かず、逆に回転の激しさが増し、横回転に縦回転も加わり、鎧の赤い色の中に宝玉の緑が混じって輝く。

 

「と、止まらねぇぇぇぇぇぇ!」

『くそ! 術を打ち込まれた! ロキの術のせいで一時的に鎧の機能が狂わされている! 少し待て! 術の解除をしてみる!』

「た、頼んだぁぁぁぁぁ!」

「ははははは! 鮮やかだな!」

 

 回る一誠を笑うロキだが、実際のところは洒落にならない。悪魔という頑丈な生物だから耐え切れるのであって、人間ならとっくに意識を失うか下手をすれば死亡している。

 

「うちの教え子で遊んでんじゃねぇぞ! ロキ!」

 

 アザゼルがロキに向け、光の槍を投擲する。

 上級悪魔を消滅する程の力を込めたその槍に対し、ロキが軽く手を振ると光の槍の進路方向に読み切れない程細かい術式が描かれた魔法陣が展開し、光の槍を阻む。

 光の槍は魔法陣の盾を貫こうとするが、段々と細まっていき、最後には消失する。

 

「北欧の術かッ!」

「有難く思ってくれ。これは対堕天使用だ」

「わざわざありがとよ! 自分たちの方が魔法、魔術が秀でているのを見せつけたいっていう魂胆が透けて見えるんだよ!」

「その顔を見ただけでも用意した甲斐があったものだ」

 

 憎々し気に吐き捨てるアザゼルに、ロキは口の端を吊り上げ、歪んだ顔で笑う。

 そこにバラキエルの雷光も放たれた。つんざく音と共に投げ放たれるは槍というよりも雷そのもの。

 ロキはこれにも術式の盾を展開する。雷光は術式に触れ、アザゼルの光の槍と同様に萎んでいく。

 だが、雷光が消える間際、細い一筋の光が術式を突き破って、向こう側にいるロキへと伸びていく。

 顔を傾け、その光を回避するロキ。その際に浮き上がった頭髪の何本かが光に触れて焼失した。

 

「──雷光か。複合は厄介だな。こんなことが起きる」

 

 ロキの笑みが一転して不機嫌な表情となる。

 

「雷光──雷は嫌いだ。奴を思い出す」

 

 気を害し、その矛先をアザゼル、バラキエルへ向けようとしていた。

 その時、ロスヴァイセの周囲に無数の魔法陣が描かれる。その魔法陣から赤、青、緑など多色の力が放出され、ロキに向かっていく。

 

「同じ術式ならどうですか!」

 

 異なる力を阻むロキの術式にロスヴァイセは同じ成り立ちを持つ術式をぶつける。

 ロキは目だけ光に向け、指を振る。幾つもの魔法陣が現れ、それが光を防ぐ盾となる。

 

「なら!」

 

 指揮者の様にロスヴァイセは指を動かす。周囲に展開していた魔法陣が独立して動き出し、様々な角度からロキへ光を撃ち込もうとする。

 

「まあまあだな」

 

 そう評して指を鳴らすとロキの魔法陣も動き出し、ロスヴァイセの攻撃を防ぐ。ロスヴァイセの魔法陣が動くとそれに連動して動き、正確に攻撃を受け止めていく。

 

「だったらこうです!」

 

 宙に浮く魔法陣を重ね合わせ複合した魔法陣へと変えると、その魔法陣から多色の光を放出させた。相乗効果でもあるのか二倍、三倍では済まない出力となって、ロキを奔流の中に取り込もうとする。

 

「一戦乙女としては才がある。だが、神相手では練度が足りないな」

 

 ロキが新たに魔法陣を一つ作り出すと光の中へ放った。すると、ロスヴァイセの魔法陣が爆ぜる様にして消え、光も魔法陣の消滅と共に消える。

 アザゼルたちやロスヴァイセの攻撃を苦も無く防いで見せたロキ。この時、ロキの意識が彼女らに割かれている隙に動こうとしている者がいた。

 

(い、今なら……!)

 

 馬車の上で戦いを見守っているギャスパーは、ロキの周囲に誰も居らず、また自分から意識を逸らしているこのタイミングを狙い、『停止世界の邪眼』を発動させようとしていた。

 上手く行けばロキの時間を停止させ、決定的な隙を生み出すことが出来る。神相手に邪眼がどれほどの効果を発揮するか分からないが、やってみる価値はあった。

 ギャスパーの眼がロキを捉え、神器による極彩の輝きを発しようとする。

 

「コソコソしても無駄だ」

 

 その動きを把握していたロキは、ギャスパーの方を見もせず、彼に向け指先で何かを弾くジェスチャーをする。

 他のメンバーからすればただそれだけの行為だが、ギャスパーの眼だけにはロキが指先を弾いた瞬間に一瞬だが目を瞑ってしまう程の閃光が見えた。

 閉じていた目を開けるギャスパー。すると、離れた場所に居た筈のロキがすぐ近くにまで来ている。

 

「うあっ!」

 

 慌てて邪眼を発動させようとするギャスパー。だが、背後から伸びてきた手がギャスパーの瞼ごと目を閉ざしてしまう。

 再びパニックになるギャスパー。

 

「落ち着け」

 

 しかし、自分の目を閉ざす手がシンのものであることを知り、跳ね上がった鼓動は一気に沈静化する。

 

「せ、先輩? ど、どうして?」

 

 動揺を残すものの、状況を確認するまでの落ち着きを取り戻す。

 

「お前が停めようとしていたのは部長だ」

「えっ! ぼ、ボク、ロキが近くに居たから……」

「さっきの動きで術を仕掛けられたみたいね」

 

 ギャスパーは、ロキが居る場所からリアスの声が聞こえてきて、シンが言っていたことを理解した。

 

「恐らく幻覚の術ですね。今のギャスパー君の目には私たちがロキ様に見えていると思われます。同士討ちを狙ったのでしょう」

 

 ロキと同じく北欧の術式を扱えるロスヴァイセは、ギャスパーに仕掛けられた術式を解析する。

 

「解けますか?」

 

 シンが解除出来るか訊くと、ロスヴァイセは難しい表情となる。

 

「すぐには無理だと思います。ロキ様の術ですから……オーディン様ならば間違いなく出来ると思われますが、その僅かな時間ですらロキ様が見過ごすかどうか……」

 

 申し訳なさそうに言うが、ロスヴァイセの考えは間違ってはいない。ロキの狙いはオーディンである。オーディンが隙を見せれば、即そこを衝いてくる可能性が高い。

 現状、ロキ一人に振り回されている。そんな中で術解除をするオーディンを守り抜ける、などと楽観的なことは誰も言えずにいた。

 もしかしたら、ロキはギャスパーの邪眼を封じるだけでなく、こうなる状況を見越して術を掛けたのかもしれない。

 

「部長!」

 

 沈黙を掻き消す一誠の声。ロキによる術がいつの間にか解除されており、安定した状態で飛行している。

 

「プロモーションします!」

「ッ! 分かったわ!」

 

 リアスの承認を得て、『兵士』の駒が『女王』へと昇格する。速度、耐久、魔力など全ての能力が向上し、最大の力を発揮出来る状態と化す。

 

「『悪魔の駒』か……小細工なりには中々の力を出せるじゃないか。──なら、もう少し本気を出してもいいな」

 

 ロキは一誠に向けて手を突き出す。その手が静かに輝き始めた。音も無く、何の派手さも無い。蛍火や月光を思わせる静の光。

 だが、その光を見た者たちは違う。リアスたちはその光に込められた力を直感的に理解して身震いし、攻めようにも体が動くことを拒否する。

 シンは最悪の事態を想定し、魔力を溜め込んでいく。矛先がこちらに向けられたら即座に反応出来る様に。

 

「ロキ」

「静かにしてもらおうか、オーディン。手元が狂う。──いくらオーディンでもその数を同時に守るのは骨が折れると思うが?」

 

 一誠を狙うロキにオーディンが殺気を飛ばすが、ロキは難なくそれを受け流してしまう。

 圧縮され続け、量るのも寒気立つ力を突き付けられる一誠。既にロキの力の恐ろしさなど知っているのですぐさま全力の一撃を放つ。

 

『Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost! Boost!』

 

 重なる様に響く倍化の音声。一誠の能力が極限に達し、ロキが力を解放する前に最大威力まで高めたドラゴンショットを撃つ。

 構えた両掌から撃たれる赤い魔力。山など軽々と消し飛ばせる程の威力を秘めた破壊の塊が、未だに手を突き出しているロキに迫る。

 ロキは、ドラゴンショットが眼前にまで来ているのに構えたまま。充填に時間が掛かっている訳では無い。ロキの顔は赤い光に照らされてなお余裕に満ちていた。

 ロキが魔力に触れ、凝縮された魔力が解き放たれて周囲に被害が及ぶ様な魔力の爆風が──起こらなかった。

 気付けばロキは開いていた手を握り締めているだけ。拍子抜けするぐらい簡単にドラゴンショットは消失する。

 一誠の魔力をリアス、サーゼクスの滅びの力の様に完全に消滅させたのだ。

 その現象には誰もが呆然とした。ロキが何をしたのか全く分からない。目を押さえられているギャスパーは辺りが静まったことを不安がり、視覚以外の五感で周囲を確認しようとしている。つまりは、見えないギャスパーは気付けない程、音も光も破壊が無かったのだ。

 ロキは握った手を開く。その手の中から一誠の魔力の残滓が蒸気の様に上がった。幻覚などでは無く現実であると示す。

 

「完全に、とはいかなかったか。我がものとするにはもう少し掛かるか」

 

 何かをしたのは間違いないが、リアスたちには原理が分からない。オーディンの隻眼がロキのしたことを探ろうとする。間違いないのは何かの術を使ったこと。そして、その術式の一部はオーディンにとっても未知のもの。

 未知の光景を見せられ一同がざわめく中、何故かピクシーだけはそれを目に焼き付ける様に凝視していた。

 

「──ロキ、いつの間にその様な術を手に入れた?」

「おっと。オーディンの眼にはお見通しか? しかし、これの解析までは……」

 

 そこでロキは言葉を区切り、顔を顰める。騒音でも聞いているかの様であったが、すぐにその表情を消す。

 

「オーディンや魔王の妹に少しだけ見せてやりたかっただけだ。まだ、最後に試したいことが残っている」

 

 ロキが小声でボソボソ呟く。誰かと会話している様子。内容は聞き取れない。ロキだけでなく他にも協力者がいる可能が出てきた。

 

「出て来い! 我が愛しき息子よ!」

 

 ロキが叫ぶと何も無い空間が歪む。その歪みの中央から顔を出すのは灰色の体毛の狼。ただの狼ではなく、頭部の大きさだけで人の大きさを超えている。

 歪みの中から出て来たのは、十メートルはありそうな体格の狼であった。

 その狼がリアスたちを睨むだけで、リアスたちは全身が金縛りにあったかの様に強張り、寒気を覚え、心臓の鼓動が早まる。巨大狼に対して本能が警鐘を鳴らしていた。

 シンも寒気立つものを感じる。コカビエルが用意したケルベロス並の大きさだが、存在感は比では無い。当然と言えば当然だが。

 ロキに狼とくれば、自然と正体が分かってくる。

 

「グルルルル!」

 

 ケルベロスが巨大狼を見た瞬間、唸り始めた。虚勢からくるものではない。明確な敵と認識しての唸りである。

 

「ウウウウ!」

 

 すると、巨大狼もまた唸り出した。ケルベロスから何かしら感じるものがあったのかもしれない。

 

「おい、シン。そいつを静かにさせろ。今は下手に刺激するな」

 

 アザゼルが唸るケルベロスを静めさせる様に言って来る。巨大狼に対し強い警戒を感じられた。

 ロキは唸っている巨大狼の顎下を撫でながら、窘める。

 

「あまり格下と付き合うな。お前の品までも下がるぞ、フェンリル」

 

 神喰狼(フェンリル)。有名なその名にリアスたちはまたも戦慄した。

 

「イッセー! 最悪最大の魔物の一匹だ! 神を殺し、喰らう牙を持っている! お前の鎧でもそいつの牙では保たない」

『アザゼルの言う通りだ。奴は危険だ。なるべく回避に専念しろ』

 

 アザゼルの警告にドライグも同意する。一誠としてもただ存在するだけで恐怖を覚えるフェンリルからは距離を置きたかった。

 

「説明感謝する。我が生み出した魔物の中でも特にこいつは優秀でな。神だけでなく神話や伝説で謳われる存在にも有効だ。試したことは無いが他の神話の神仏やドラゴンでもこの牙は効くだろう」

 

 自慢するかの様に息子と称したフェンリルを愛でる。

 

「本当ならばオーディンの心臓にこの牙を突き立てる予定であったが、まあ、兼ねてから興味があった悪魔やドラゴンの血の味を覚えさせるのも悪くない」

 

 オーディンが前に出なくて正解だったと今更ながら実感した。わざわざ目立つ様にフェンリルを披露したのは、オーディンが出てこないことに痺れを切らしたかもしれない。もし、オーディンが前線で戦っていたら宙から突然フェンリルが飛び出して、オーディンに喰らい付いていただろう。

 

 オオオオオオオオオオオオオオオォォォォォン! 

 

 ロキの期待に応える様にフェンリルが遠吠えを上げる。闇夜にこだまするフェンリルの声は、まさに美声と呼ぶに相応しいものであった。

 

「アオオオオオオオオオオオォォォォォォォン!」

 

 そのフェンリルの咆哮を打ち消す程の遠吠えがケルベロスから発せられた。

 地獄の番犬と神喰狼。互いの存在が気に食わないのか、初対面から反発し合う。

 フェンリルの体毛が逆立つ。次の時にはフェンリルは空中を疾走していた。風と同化でもしたかの様な巨体に不似合いな敏捷性。

 一番近くにいた一誠を無視し、馬車へと牙を剥き──

 

「グルルッ!」

 

 ──馬車から飛び出したケルベロスに喉元を咬み付かれる。

 牙に対して牙でのカウンター。空を飛ぶことが出来ないのに宙へ飛び出した勇猛とも蛮勇とも言えるケルベロスの行為。一歩間違えれば遥か彼方の地面に落ちていくこととなる。

 だが、少なくともフェンリルの敵意は完全にケルベロスへ向けられる。

 

 オオオオオォォォォォン! 

 

 フェンリルは喉に牙を立てるケルベロスを振り落とそうと首を左右に振る。牙の力を緩めることなく喰らい続けるケルベロス。一般的に見ても十分大きなケルベロスもフェンリルと比べれば子犬にしか見えない。

 また、フェンリルの体毛も非常に頑丈であり、ケルベロスが牙を立てていても灰色の体毛が赤く染まらない。ケルベロスの牙はフェンリルへ通っていない証拠である。

 

「ほう? 中々の気概。我が息子に臆しないどころか自ら喰らい付いてくるとは」

 

 フェンリルを攻めているケルベロスにロキはそれなりの評価を下すが、それは強者故の余裕からくる上からのもの。自分のフェンリルには絶対に敵わないという確固たる自信が伝わって来る。

 

「しかし、我がフェンリルに比べれば所詮は子犬だ。フェンリル、ここは大人として子犬のじゃれ合いに付き合ってやれ」

 

 フェンリルの前足が消えたかと思えば、喉元にぶら下がっているケルベロスの胴体に横振りの一撃が叩き込まれた。

 ケルベロスの体が軽々と浮かび上がる。速さに重さが加わった一撃から発せられる生々しい音に、皆は鳥肌が立ちそうになる。アーシアなど無慈悲な一撃に思わず目を逸らしていた。

 

「グルル!」

 

 だが、打ち込まれたケルベロスの咬筋は緩むことなく未だに咬み続けている。フェンリルが頑丈な体毛を持つなら、ケルベロスの体毛も負けず劣らず頑丈である。前足の一撃の威力は半減させ、尚且つその爪を肉まで届かせない。

 ケルベロスがフェンリルの一撃に耐えたことは予想外であったのか、ロキは少しだけ目を見開いた。

 

「やるな」

「自慢の仲魔なもので」

 

 誰も彼もがシンに視線が釘付けとなった。馬車の上で戦いを見守っていたかと思えば、あろうことかフェンリル目掛けて馬車から跳び出したのだ。

 ロキからすれば単身でフェンリルに挑む蛮勇。リアスたちから見ると蛮勇は蛮勇でも意味が変わる。

 

「お前、飛べないだろうがぁ!」

 

 一誠は思わず叫んでいた。一誠が言う様にシンは悪魔の力を持つが、悪魔の羽は持たない。落ちたらそのまま遠い地面に向かって落下するだけ。

 一誠の声を背中に受けつつ、跳んでいる最中に拳を握ると着地点であるフェンリルの眉間目掛けて拳を叩き込む。

 ガクン、とフェンリルの頭が沈むと同時に一鳴き。

 

 ギャッ

 

 最初は何の声かと思ったが、少し間を置いてフェンリルが出したものだと気付き、そんな声が出せるのかと思いながら何故そんな声を出したのかという考えに移り、殴られた痛みで発したものと察した時、ロキは我が耳を疑う。

 フェンリルに一撃を与えたシン。だが、フェンリルはすぐさま長い口吻でシンを横から叩く。防御はしたがシンはボールの様に飛ばされ、その先には着地する足場は当然無く落下する。シンが殴りつけた反動でケルベロスの牙の力が緩み、そこへフェンリルが頭を振るったせいでケルベロスの咬み付きが外れ、ケルベロスもまたシンと同じ場所目掛けて振り捨てられ揃って落ちていく。

 その下には大地に並び立つ建物の遠い光がまるで海底を連想させ、深い闇の中へシンたちを引き摺り込もうとする。

 

「掴まれっ!」

 

 背中から魔力を噴射し、落ちようとするシンとケルベロスへ必死になって手を伸ばす一誠。そんなに離れた距離ではないのにやけに遠く感じ、ブースターによる加速も遅く感じてもどかしさを覚える。

 シンとケルベロスが一誠の目の前で下へと落下し──立ち上がった。

 

「え? はあっ!」

 

 意味が分からずそのまま突っ込んでしまう一誠。それを軽く躱すシン。すぐに急停止するが勢い余って数メートル程進んでしまう。

 

「どうした?」

 

 そんな一誠の背に、何事もなかったかの様にシンは声を掛ける。

 

「いや! どうしたって!」

 

 振り返る。視線の先にはシンが紛れもなく空中で立っていた。側にはケルベロスも居たが、こちらは地面が宙に立っていることを驚いている。

 

「何で宙に立ってんの! って……」

 

 シンの足元をよく観察すると足を中心にして魔法陣が展開されている。ケルベロスの足元にも同じものがあった。それが足場となってシンたちを空中で立たせている。

 

「オーディンの爺さんかロスヴァイセさんに頼んだのか!」

 

 飛べないハンデを無くすために抜け目の無いシンに感心するが──

 

「いや、別に何も」

 

 ──本人はあっさりと否定したせいで一誠は絶句する。つまりは完全に人任せで先程の行動をしたらしい。無謀を通り越して少し恐怖を覚える。

 絶句する一誠と同じ気持ちを味わっているのはリアスたちも同様であった。短い時間で何度心臓が跳ね上がったか分からない。

 

「よく対応出来ましたね、オーディン様。流石です」

 

 ロスヴァイセは冷や汗をかきながらオーディンのシンへの迅速な対応を讃える。

 

「まあ、成り行きとはいえ一度は肩を並べて戦ったからのう。それに魔人相手に無茶をするやつじゃし、これぐらいは想定内だわい」

 

 事も無げに言うオーディン。ロスヴァイセはそれに信頼感を感じ取れた。時間の積み重ねや性格の一致などではなく、死線を共に潜ったことでしか得られないものなのだろう。

 シンに殴られたフェンリルは軽く頭を振る。まだ少し痛みが残っている様子。

 ロキは折角披露したフェンリルが痛がる素振りを見せたことが少し面白くなかったが、同時にそれを与えたシンに少し興味が湧く。

 

「お前の言う通りなら、流石と褒めるべきか? あの男と獣を」

 

 また小声で何かを呟く。すると、ロキは鼻を鳴らす。

 

「不要だ。黙って見ていろ」

 

 ロキは横目でフェンリルを見る。

 

「やられたままか?」

 

 発破をかけると、フェンリルは唸ることで闘争心の片鱗を伝える。

 

「ならば行け。この場にいる全員がお前のディナーだ」

 

 駆け出すフェンリルは、さながら彗星であった。速過ぎる動きが残像を灰色の尾をとして残していく。

 喰らい尽そうと駆けるフェンリルを迎え撃ったのは赤い流星。魔力の噴射でフェンリルの眼前に移動した一誠が鼻先を殴り飛ばしていた。

 

「お、おお……!」

 

 何故か殴った本人である一誠が自分の行動に驚いていた。

 フェンリルを前にして確かに体は竦んでいた。寒気がして金縛りにあったかの様に体が上手く動かず、逃げ出してしまいたいと頭の片隅で思ってしまう程であった。だが、シンやケルベロスが隣に並んでいること、自分の後ろにはリアスたちが居ること、そう思うと体が自然に動いてフェンリルを全力で殴っていた。

 

「殴っちゃった……」

『全く……回避に専念しろと言ったというのに自分から挑むとはな……まあいいさ。そういう所は嫌いじゃない』

 

 無我夢中な行動を咎めず、少し呆れながらもドライグは褒めた。

 一誠に殴られたフェンリルはすぐに構え直す。不意を衝かれたがダメージは皆無。もう一度仕掛ければ、そこまで考えて体温を奪う様な凍える視線が自分を刺していることに気付く。

 ロキがフェンリルに対し、失望を込めた視線を向けていた。赤龍帝の一撃を受けても無傷など褒める様なことでは無い、当然のことである。責めるべきは一撃を受けて退いたことであった。

 最高傑作の一つだと思っていたフェンリルの醜態。ロキからすれば全く面白くない。

 

「成程。父の手を煩わせたいのだな?」

 

 フェンリルはロキのその言葉に巨体を一瞬だけ震わせ、不似合いなか細い声で鳴く。

 

「言い訳は無用。もう一度行け」

 

 冷たく言い放つとロキはフェンリルから視線を外す。

 凍える様な冷たい緊張を解かれるフェンリルは、二度と退かないことを強く決意する。

 

「狙いは……そうだな。魔王の血筋。希少な悪魔の血の味を覚えさせるとしよう」

 

 その言葉で、ターゲットをリアスに定めたことを察してしまう。

 フェンリルは宙で爪を立て、力を溜める。充填も解放も一瞬のこと。瞬くよりも早く筆を引いた様な残像を残し、フェンリルは灰色の巨影と化す。

 次にフェンリルの姿がハッキリとする時は、リアスに神殺しの牙を突き立てた時。

 

「部長に、触るんじゃねぇぇぇぇぇ!」

 

 大切な女性が傷付けられるかもしれない。その事実が一誠の力を増大させ、神器の能力をも高める。

 神速の狼の前に先回りをし、その顔に拳を振るった──

 

「予想通りだな」

 

 ──手応えが無い。空振りをした。絶好のタイミングであり避けることなど不可能と思っていた。

 空振りした一誠は勢い余ってフェンリルに背を向ける様な格好となってしまう。すぐさま正面を向く一誠。

 

「は?」

 

 正面に居るフェンリルを見て、間の抜けた声が出てしまう。フェンリルの巨体はそこにあった。だが、頭部が無い。首の断面に魔法陣が展開しており、頭部が行方不明になっていた。

 

「ど、どこに──」

「赤龍帝」

 

 思ってもいなかった事態に動揺する一誠に、ロキの声が届く。

 

「何をしている。右だ」

 

 つい右を見てしまう一誠。そこには何も無い。

 

「愚か者め。敵の言葉を信じてどうする」

 

 ロキが嘲ると、左から魔法陣を通じて出現したフェンリルの頭部が、一誠の胴体に牙を突き立てる。

 

「ごふっ」

 

 鎧など無意味と嘲笑う様に貫くフェンリルの牙が、一誠の脇腹を貫通し、その穴から血を流させ喉を潤す。

 

「イッセー!」

「イッセーさん!」

「イッセー君!」

 

 リアスたちが悲鳴の様に一誠の名を叫ぶ。

 全てはロキの思惑通り。一誠はロキの狙い通りに動かされていた。最初からロキは一誠を狙っていたのだ。わざわざリアスを名指しにしたのもその為。

 

「下手な真似はしない方がいい。でないと命令してしまうかもしれない、『噛み砕け』と」

 

 一誠を人質とするロキ。リアスたちやオーディン、アザゼルが一誠のことを思い、手を出せなくなる。

 

「賢明だな。フェンリル──噛み砕け」

 

 無慈悲に告げる言葉。人質にして有効活用するつもりなど全く無い。そんなことをせずとも勝てると自負しているからだ。

 リアスたちがしたことは一誠を処刑する場を整えたに過ぎない。

 フェンリルが一誠を食い千切ろうと大口を開け──そこへ光が一閃し、フェンリルが鳴き声を上げる。

 フェンリルの牙で串刺しにされていた一誠が、光が奔った直後に牙ごと消えていた。

 

「兵藤一誠、無事か?」

「ヴァ、ヴァーリ……?」

 

 フェンリルから十数メートル程離れた場所、一誠に肩を貸しているのは『白龍皇の鎧』を纏うヴァーリ・ルシファー。

 朦朧としているが一誠も意識があった。その脇腹にはフェンリルの牙が突き刺さったまま。あの一瞬でフェンリルの牙をへし折って一誠を救出したと思われる。

 

「おいおい、おっぱいドラゴン。大丈夫かぁ? 何だかしょっちゅうボロボロの姿を見ている気がするぜぃ」

 

 金色の雲──筋斗雲に乗った美候も現れる。

 

「少し預かっておいてくれ」

「あいよ」

 

 一誠を美候に渡すと、ヴァーリはロキの方へ飛んでいく。

 

「初めまして。悪神ロキ殿。俺は白龍皇ヴァーリ」

「ほお? まさか一夜で二天龍に会えるとはな。それで何をしに?」

「貴殿を屠りに」

「はははははははははは!」

 

 宣戦布告にロキは哄笑し──

 

「抜かせ」

 

 ──ヴァーリの背後に魔法陣を出現させ、復讐に燃えるフェンリルをけしかける。

 




2020年、最初の話となります。いつも通りのペースでやっていくつもりです。

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