ハイスクールD³   作:K/K

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旧校舎のディアボロス編
悪魔、再誕


 闇と光との狭間。

 彼が最後の一撃を放ったとき、自らが消失していくのを悟った。

 死力を尽くしてもなお足りず、肉体や魂すらも削り尽くしての一撃。

 相手に届いたのは分かった。しかし、相手を倒したのかは分からなかった。

 すでに彼の五感は失われ、その肉体は崩壊し始めていく。肉体の崩壊に合わせ、魂も壊れ始め、彼という人格もまた崩壊の一途を辿る。

 消えていく彼の脳裏に浮かぶのは、いままでの彼の軌跡。

 戦いがあった。

 喜びがあった。

 悲しみがあった。

 苦しみがあった。

 怒りがあった。

 暴力があった。

 理不尽があった。

 そして、共に歩むナカマたちの姿があった。

 泡のように浮かび、消えていく記憶の残滓。消え行く度に一つ一つ彼の中から失われていく。

 だが、不思議と彼に後悔の感情は無かった。

 消え行く先に天国も無ければ、地獄も無い。そこにあるのはただ純粋な消滅。

 やがて、最期の記憶の欠片は失われ、彼の姿もまた一欠片の魂へと変わり果て、この世界から完全に消え失せようとする。

 

「まだ、失うには惜しいな」

 

 闇の中で、声が響く。

 老人とも青年とも少年ともとれるような響きを持つと同時に、何人も膝を屈する程の厳かさを秘めた声。

 闇から現れたソレは消え行く魂を包み込む。

 

「決着をつけることは出来なかった。だが、いずれまたこの戦いは始まることになるだろう」

 

 闇は光を見つめる。

 

「そのときが来るまで、いまは傷を癒し、眠るといい……来るべき大戦の日まで」

 

 光は離れ、闇は奥底へと沈んでいく。

 

「暫しの別れだ……『人修羅』よ」

 

 光は消え、闇もまた消えた。

 

 

 

 

 少年は、窓の向こうを見ていた。

 外を見ると大きな雲が風によって流れ、その下で小鳥たちが群れを作り羽ばたいている。どこにでもあるような当たり前の日常の風景。しかし、時折考える。

 この光景は本当のものなのか、視界を通し映るものは現実的なものでは無く、自らの願望が脳内に映し出して作った虚偽のものではないか―――などと退屈な授業の気分を紛らわせる為に、使い古されたSFのような妄想をしてみた。

 

「……薙……おい、……薙……聞こえているのか! 間薙!」

「……はい?」

 

 教師の声に窓の外を見るのを止め、少年は教師の方へと視線を向ける。

 

「ぼうっとしてないで、教科書を開く!」

「すみません」

 

 少年は教師に軽く頭を下げて謝罪し、教科書を開いた。

 授業が再開され、青年は黒板に書かれた文字をノートに写しながら、いつも通りの日常を過ごす。

 少年の名は()(なぎ)シン。

 私立駒王学園に通う、ごく一般的な一年生である。

 

 

 

 

 下校時刻となり、シンは教科書や文房具を手早く鞄へとしまい、帰宅の準備をする。周囲の生徒は部活動の為の準備をしているが、帰宅部であるシンには関係のないことであった。

 

「やあ、もう帰るのかい?」

 

 シンの耳に爽やかな声が入ってくる。

 声の主に目を向けると、そこには学園一の美男子が立っていた。

 木場(きば)(ゆう)()。シンのクラスメイトであり、学園女子の憧れの的とも言うべき存在である。

 甘く整った容姿、それに似合った爽やかな笑み、スポーツ万能、成績優秀、男の求めるものを嫌というほどに詰め込んだ男であった。

 こうしてシンに話し掛けているだけでも、教室の各所から熱烈な女子の視線が木場へと向けられている。

 

「まあな、他にすることもないしな」

 

 あまり愛想のいい態度ではないシンであったが、木場は気分を害した様子もなく、いつもの笑みを浮かべ、他愛もない会話をシンと続けた。

 シンはあまりクラスで目立つ存在ではない。また、表情も豊かではなく常に無表情を顔に張り付けているため、話し掛けてくるクラスメイトも少ない。

『大人しいが何を考えているか分からない』

 それが、クラスメイトから見たシンの印象であった。しかし、そんな彼に対して木場は普通に話し掛ける。社交的な性格故に分け隔てなく接する木場。シン自身もそんな木場を邪険に扱うことなく素直に応じ、今のように短いながらも雑談をするのであった。

 

「それじゃあ、僕は部活があるから。また明日」

「ああ、じゃあな」

 

 別れの挨拶を済ませ、シンは教室から出ていった。

 教室を出ると、窓の外で三人の男子生徒が複数の女子生徒に追い掛け回されているのが見えた。必死の様子で逃げる男子生徒たちに、悪鬼のような形相で手に様々な武器を持つ女子生徒たち。

 三人の男子生徒には見覚えがあった。クラスは違うがシンと同学年である。いつも三人で行動し更衣室などを覗き見していたり、教室で堂々とエロ本やらDVDなどを交換しあっているなどの話をよく耳にしていた。

 女子生徒からは蛇蝎の如く嫌われているらしいが、シン自身は、その直球的な欲望に対する行動は嫌いではなかった。尤も尊敬もしてはいないが。

 三人が女子生徒たちから逃げていくのを何となく見届けてから、シンは学校を後にするのであった。

 

 

 

 

 家までの道を歩きながら、シンはぼんやりと空を見上げる。陽が落ち始め、夕陽の赤と夜の黒が混在する空。それを見ながらシンは、機械のように一定のリズムで歩を進めていく。

 いつもの通い慣れた道。見慣れた景色に見慣れた空。

『当たり前の日常』

 いつものようにそんな言葉がシンの頭に浮かぶ。そして、いつものようにその言葉に言い様の無い違和感を覚えてしまう。今の生活に特に不満も不安も無い。何かとんでもないことを望むような願望も無い。なのに当たり前の日々を過ごす度にシンはいつも言葉に出来ない感覚、まるで異物のようなものを感じていた。

 この感覚は物心が付いたときから付き纏い、未だに根付き続ける。

 持病のようなこの感覚に内心うんざりしながら道を歩き続けるシン。だが、その足が突然止まった。

 

 コッチダ……

 

「ん?」

 

 止まった場所のすぐ側には、細い道。人通りが少ないのか雑草が至るところに生え、空き缶などのゴミも散乱していた。

 理由もなければ、まず立ち寄る必要の無い道。それなのにシンの足は何故かその道に向けられ、歩き始めた。

 自分自身の行動に驚き、止まろうとするが、どういう訳か足は止まらず、シンの意思とは正反対に道の奥へと進んで行く。

 

「どうなってる……」

 

 コッチダ……

 

 自身に起きた異常に取り乱すことはなかったが、抵抗することも出来ず、どんどんと人気の無い場所へと移動していった。

 ある程度の距離を歩いたとき、シンの鼻がある異変を感じた。

 錆びた鉄のような臭い。無機質さだけでなくどことなく生々しい臭いも混じり、より一層不快なものと化していた。その臭いが鼻を通って肺に届く度に、シンの顔色は悪くなり、不快さから眉間に皺が寄っていく。

 やがて、道は開けた空間へと辿り着く。そこには古ぼけた一軒の家だけがあった。他に民家は無く、臭いはその家から漂ってくる。

 

 コッチダ……

 

 シンの足が今度は、その屋敷に向かって歩き出す。明らかに危険だと理解しているにもかかわらず、シンの四肢は主の意思を無視して動き続け、一歩、また一歩と屋敷との距離を縮めていく。

 そして、玄関の前に立つとシンの手はドアノブを勝手に握り、ドアを開く。

 開けた瞬間、外とは比べ物にならないほどの悪臭が放たれた。一息吸うだけで、胃を裏返しにでもされたかのような吐き気、肺が腐り落ちそうな錯覚すら覚えるほどであった。

 そんな空間にシンの足は無理矢理進まされ、ドアを潜ったとき勢いよく扉が閉まった。それと同時にシンを操っていた力は消え、体の自由が戻る。

 すぐにシンは閉まったドアを開けようとするが、どういう理由かドアノブは全く動かない。扉自体を蹴り飛ばしてみるが、蹴った足に返ってきたのは空気でも蹴ったかのような、手応えの無い不可思議な感触。蹴った反動など無く、力のみを吸われたかのような、気味の悪い余韻だけが足へと残った。

 立て続けに起こる不可解な現象に暫しの間立ち尽くすが、気持ちを切り替えてドアを開けるのを断念し、仕方なくシンは別の脱出場所を探すべく玄関を上がり、廊下を進んでいく。人が住んでいないのか、電気が点かずかなり暗い。シンは携帯電話を取り出し、その明りで周りを確認する。廊下と二階へ上がる階段。廊下には白い埃が溜り、天井には蜘蛛の巣がいくつも張ってあった。しかし、不思議なことに廊下には、シンが歩く前に何人かが歩いていたのを示すように、大きさが別々の足跡がいくつもあった。足跡の上に薄らと埃がかぶっていることから、ほんの数日前に誰かがいたことを証明していた。

 いくつもの足跡を見て、シンの表情が若干険しくなる。

 

 カタン

 

 足跡を見ていたシンの顔が勢いよく上がる。

 廊下の奥から物音が聞こえた。

 

「誰かいるのか……?」

 

 声を掛けてみるが反応はない。しばらく様子を見ていたが変化はなく、シンは物音を確かめるために廊下の奥へと進む。

 廊下の奥にはドアがあった。物音の原因を確かめる為、ドアノブを回し僅かにドアを開いた瞬間、全身から一斉に冷や汗が流れ始めた。

 ドアの隙間から漂う臭い、既に悪臭で麻痺している筈の嗅覚を通して、シンの本能に危機的信号を発信させていた。何か大きな変化があったわけではない、だが臭いに含まれる僅かな変化がシンに危険を告げていた。

 この場から去ってしまいたい衝動に駆られるも逃げ場所は無く、シンは奥歯を強く噛み締めると勢いに任せてドアを開いた。

 ドアの向こうにあったのは居間であった。明りのない中、携帯電話の光と目を凝らし周囲を確認する。窓は雨戸まで閉めているため外の光は全く入らず、入り口のすぐ近くにはスイッチがあり、試しに点けてみるが、廊下と同様に明りは点かなかった。

 居間へ一歩二歩と慎重に進むシンであったが、三歩目にして足が何かにぶつかった。

 携帯を向けてみるとそこにあったのはソファーの端。さらに照らしてみると明りの先に人の足が入り込んだ。

 

「……あの、すみませんが……」

 

 驚きの声を飲み込み、声を掛けてみるが、返事はない。携帯の明りを徐々に下から上へと上げていく。照らされていくことで相手の恰好から女性であることが分かる。

 

「すみませんが……」

 

 再度、声を掛け女性の顔を見ようとしたとき、シンは絶句した。

 女性の首から上は切断されていたからだ。

 

「ッ!」

 

 心臓の鼓動が恐ろしく速まり、携帯を握る手が汗ばんでいく。

 およそ生涯でまず見ることのない、人の惨殺死体。

 この時、シンは何故この部屋に入る前に、あれほどまでに動揺したのかを理解した。この部屋は外の廊下とは比べ物にならないほどの、ある臭いによって満たされていたからだ。

 人の本能を脅かす臭い『死臭』によって。

 死体などというものを発見した以上、悠長なことなど出来ず、携帯電話に素早く警察への番号を入力し、繋がるのを待つ。二回、三回のコール音の後に相手へと繋がった。

 

「もしもし! 警察で――」

『コッチダ……』

 

 シンの体が凍りつく。それは警察に繋がらなかったからではない。

 携帯電話から聞こえた声が、同時に頭上からも聞こえたからだ。

 殆ど反射的に前方へと飛び出す。と同時に先程までシンが立っていた場所に、床を粉砕しながら何かが降り立った。

 飛び出した勢いのまま素早く立ち上がり、そのまま降り立ったものを目にし、言葉を失った。

 化物、怪物。そんな言葉が似合うような人間ほどの大きさの蜘蛛。長く体毛に覆われた八本の足にまだら模様の腹部。だが、その頭部は蜘蛛のものではなく、人間の女性のものであった。

 

「冗談みたいだ……」

 

 辛うじて漏らした言葉が、非現実的な光景を目の当たりにしてのシンの心情を表していた。

 

「アア……美味ソウナ人間ダ!」

 

 その異形の言葉を聞いた瞬間には、シンは駆け出していた。そんなシンの姿を見て異形は鳥肌の立つような声で笑い声を出す。

 

「逃ゲロ! 逃ゲロ! 人間ハ狩ッテ喰ラウ方ガ美味イ!」

 

 居間のすぐ隣の部屋に駆け込むシンであったが、そこで立ち止まってしまう。

 そこには新たに三人ほどの遺体があった。その体は無残にも蹂躙されており、あるべきものは無く、体の内にあるものが外へと引きずりだされ、人としての原型を辛うじて留めているものであった。

 

「くっ!」

 

 躊躇うのは一瞬、背後から来る気配を感じ、その場を急いで離れる。逃げ込んで入った場所は暗くて見えにくいが、闇に少々目が慣れたシンは、そこがキッチンであることに気付く。何か使える物は無いかと素早く確認するシン。その近くでは愉快そうに笑う怪物の声がしていた。だが、追いつこうと思えばすぐに追いつける距離にもかかわらず、怪物の追いかけてくるスピードは非常にゆったりとしている。

 狩る獲物に対してわざと猶予を与えて足掻きを愉しむ。そんな怪物の意図を察し、その悪意に吐き気を覚えながら、シンは怪物が姿を見せる前にキッチンを離れた。

 

「ククク。イイゾ、イイゾ! モット逃ゲロ!」

 

 キッチンを離れ、再び廊下へと出た。シンは急いで周囲を確認、そこで玄関から入った時に最初に見つけた階段を見つけ、二階へと駆け上がっていった。

 

 

 

 

 怪物の耳に階段を昇っていく足音が聞こえた。その足音を聞き、妖艶な顔に悪意に満ちた笑みを貼り付け、階段の下へと移動する。

 

「ココカァ?」

 

 挑発するようにわざとらしい声を出し、相手の恐怖を煽るように一歩一歩階段を踏み、二階へと上がっていく。階段を上がり終えた怪物の前には三つの扉。この家を根城にしている怪物は当然、三つの扉の先に何があるのか知っていた。一番右端の扉は子供部屋、この家の家主の一番下の子供が使っていた部屋。真ん中の部屋も同じく子供部屋、一番上の子供が使っていた部屋である。

 怪物は、二人の子供を喰らった時のことを思い出す。

 動けないように少々傷を負わせた両親の前で、散々嬲ってから生きたまま子供たちを喰らった。あの時は人の世に出てきて間もない頃だった為、中々人に対する加減が分からず、子供たちを喰らった後に両親たちが死んでいることに気づき、人間の脆さに嘆いた。たかが両手足を落としただけで死ぬことはないだろうに、と。そんな子供の両親が使用していた寝室が一番左端の部屋である。

 

「サテ、ドコニ隠レタノヤラ」

 

 怪物が一番右端の部屋の扉の前に立つ。

 

「ココカァ……?」

 

 扉を開くが、そこには誰もいなかった。だが、怪物に落胆の色は無い。何故なら、どの部屋に獲物が逃げ込んだのか、もう既に判っていたからだ。ならば何故にこのような無駄なことをするか、一言で済ませるならば『演出』である。一つ一つ逃げ場が潰され、真綿で首を絞めるようにじっくりと獲物の恐怖を煽る。それがこの怪物の狩り方であった。

 

「ナラバ……ココカァ!」

 

 真ん中の部屋の扉を開けるが、当然そこには誰もいない。怪物は寒気を与えるような笑い声を上げながら最後の部屋の前にたった。

 

「ドウヤラ、ココミタイダナァ……」

 

 ドアの向こうに居る獲物が今頃浮かべている恐怖と絶望に歪み崩れた表情を想像し、怪物は下卑た笑みを浮かべ、ドアに前脚を触れさせると中の人間を煽る為にわざと音を立てて擦る。

 

「ハハハハハ! 狩リノ時間ハモウ終ワリダ!」

 

 ドアを開け勢いよく中へと入る――ことは出来なかった。何故なら開けたドアのすぐ前には、狩るべき獲物が待ち構えるようにして立っていたからだ。

 怪物の想像に反し、獲物の表情に恐怖も絶望の色も浮かんではいない。無表情ともいうべき感情を廃した顔、だがその瞳は紛れもない怪物に対する敵意が轟々と称するほどに満たされていた。

 予想外の獲物の行動。いままで無抵抗の人間を狩ってきた怪物に驚きを与え、僅かな思考の空白を生み出させた。獲物はその僅かな隙を狙い、怪物の濁った眼に己の牙を突き立てた。

 

 

 

 

「ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛!」

 

 鼓膜を震わす、怪物の不快な絶叫。激しく頭部を揺らし、自分の眼に突き刺さった凶器を取り去ろうと必死に抗うが、刺すシンもそうはさせまいと床を蹴り、更に凶器を押し込む。

 シンが密かにキッチンで手に入れた包丁を使った起死回生の反撃。上手くはいったが、眼球に刃先が三分の一程入っていても怪物の抵抗は弱まらず、ますます激しさを増していく。

 シンも最後の機会を逃すまいと、怪物の頭部と掴むと渾身の力で引き寄せ、それと同時に包丁を持つ手を捻り、傷を激しく抉る。一際高い声で怪物は苦鳴を上げ、傷口から重油のような黒く粘性のある血らしき体液を流し、シンの手を汚す。

 

「アガアァァッァァッァァ! 調子ニ乗ルナ人間ガァァ!」

 

 怪物の絶叫を聞いたと同時にシンの体が一直線に飛び、寝室の壁へと叩き付けられた。壁面は大きくひびが入り、一部が壁から剥離する。その壁の破壊がシンの受けた衝撃の強さを物語っていた。

 

「……ッ!」

 

 怪物の放った、たった一撃でシンは声も出ないほどの痛みを受けていた。突き出された怪物の前足の一撃は胸部へ叩き込まれ、容易にシンの骨を砕き、内部の臓器に多大な損傷を与えていた。張り付けられた壁から、膝から崩れ落ちる様にして仰向けに倒れる。壁に叩き付けられた衝撃で頭も強く打ち、目の焦点もままならない。

 

「喰ッテヤル! 足ノ先カラ順番ニ喰ラッテヤル!」

 

 聴力だけは健在で、怒り狂う怪物の声はしっかりと聴こえてくる。

 

(ここで……終わりなのか……)

 

 怪物と自分との圧倒的な力の差、自由の利かない体。ただ喰らわれるのを待つしかない現状。

 自らの最期が怪物に喰い殺される、そんな冗談の様な言葉を頭に浮かべ、内心笑う。だが間もなくそれが現実となる。

 

「悪魔ニ傷ヲ負ワセタコトヲ後悔サセテヤロウ!」

(……悪……魔……?)

 

『恐れ……坊ちゃまは……興味……』

 

 聞き覚えのない老婆の言葉が脳内で木霊する。怪物の言葉を引き金に突如として記憶に無い光景が浮かぶ。

 

『人に過ぎない……特別な……』

『……動いてはいけません……痛いのは一瞬だけです』

 

 シンを見て話す、見知らぬ二人の人物。片方は喪服を着て顔を隠した老婆、向けられた言葉が途切れ途切れに聞こえてくる。もう一人は老婆と手を繋ぐ、黄金の様な髪に人形を思わせる整いすぎた容姿をした少年。両者とも一度たりとも会ったことも無い。にもかかわらず、シンはこの光景に強い既視感を覚えた。

 

(走馬灯とは違う……覚えが無い筈なのに……何故知っている……)

 

 少年が何かを掴み、シンの眼前へと垂らす。それは生物のように蠢く物体。

 

『……これでキミはアクマになるんだ』

 

 最後にはっきりと少年の声がシンの脳裏に響いた。

 

「悪魔……」

 

 気付くとシンは右手に何かを握り締めていた。軽く開くと、そこには一見すると『マガタマ』のような物体、しかし、持つ手にはその『マガタマ』から生物のような鼓動が伝わってくる。

 前触れもなく現れた物体。だが、意外にもシンはこの物体に対し、恐れも不気味さも抱かなかった。

 

「悪魔か……」

 

 シンは握る『マガタマ』を口元まで運び――

 

「それも選択か……」

 

 ――躊躇うことなく飲み込んだ。

 

 この日、この刻、この瞬間。

 

 悪魔は再び生まれ落ちた。

 

 

 

 

「……ん?」

 

 シンは気付くと、家の前で呆然として立っていた。すっかり日は落ち、空には月と星が浮かんでいる。

 

(何をしていたんだ?)

 

 少なくとも日が落ちる前には、学校を出て家に帰っていた筈だが、日が落ちたまでの記憶が一切ない。

 

「……今何時だ――」

 

 携帯を取り出そうとして、あることにシンは気付く。自分の手にべったりと付着した黒い液体の存在に。

 いつの間にか付いた液体に全く心当たりが無かったシンであったが、いつまでも付けておくわけにもいかず、洗い流す為に家へと入っていくのであった。

 色々と首を傾げるようなことがあったが、こうしてシンの一日は終わった。

 

 

 

 

 同時刻、某所。

 リアス・グレモリーは、その高貴な顔立ちに困惑を混ぜ、目の前に広がる光景を見ていた。

 事の発端は、大公から届いたはぐれ悪魔――主を裏切り、野犬同然の害獣へと成り下がった存在――の討伐依頼だった。標的となったはぐれ悪魔は、民家を巣にし、そこに獲物を魔力を用いて呼び寄せ捕食をするという手口であった。

 依頼を受けたリアスは下僕の悪魔たちを連れて、その民家へと向かい、内部へと入っていった。しかし、ここで予想外なことに、はぐれ悪魔の縄張りに侵入したにもかかわらず、一切の敵の行動は見られず、リアスは、下僕の一人を二階へと向かわせ、後の二人を連れて一階を調査した。

 一階の犠牲者の惨状に、リアスは痛みに耐えるかのような表情を浮かべ、まだ見ぬはぐれ悪魔に怒りを燃やす。供にいた二人の下僕―――姫島(ひめじま)(あけ)()塔城(とうじょう)()(ねこ)―――もまた、主であるリアスと同様の気持ちであった。

 

「部長。……ちょっと来てくれませんか」

 

 二階を調査していたもう一人の下僕がリアスを呼ぶ。その声には驚きが含まれていた。

 二人を引き連れ二階へと上がり、一番左端の部屋の中を見たとき、一瞬息を呑む。

 そこにあったのは、標的であるはぐれ悪魔――だったものであった。蜘蛛のような足は、全て胴体から離れ、部屋中にばら撒かれてあり、腹部と胴体、そして頭部も全て分離されて部屋に無造作に放置されてあった。

 

「祐斗……これは……」

 

 二階を最初に調査した下僕――木場祐斗は、目線を鋭くして現場の状況から冷静に分析し、自分の考えを述べた。

 

「恐らくこれは、全て素手で行ったみたいですね……切断された部分は力尽くで捩じ切ったみたいです。断面部分がそのせいで無茶苦茶になっています。そして――」

 

 木場は半壊した頭部を見る。

 

「――あの頭部、分かり辛いかもしれませんが、よく見ると拳で殴打した跡がありました」

「素手でここまで……でも、どうしてわざわざ……?」

 

 リアスの知る限り、はぐれ悪魔を敵視する者は少なくはないが、どの戦い方にも当てはまらない。現場の状況からリアスは、恨みや憎しみといった負の感情を感じられず、そういったものとは無縁な、どこか本能的なものを感じていた。

 

「一体誰なのでしょうね? 手掛かりも無いみたいですし」

「それなんですが、手掛かりがないわけじゃないみたいです……」

 

 朱乃の言葉に木場は困惑した表情を浮かべて、手に持った物を皆の前に出す。

 

「これは……!」

「出来れば……ただの偶然であって欲しいです」

 

 

 

 

「やあ、おはよう、間薙君」

 

 朝、登校途中に木場がシンへと挨拶をする。シンは、そんな木場を見て、僅かに目を見開いた。

 

「……ああ、おはよう」

 

 いつもと様子の変わらない木場の姿。だが、シンは木場に対して今まで感じたことのない、形容し難い違和感のようなものを覚えた。つい昨日までの木場からは感じなかったもの、他に周りにいる人間からは全く感じられない、言葉に出来ない違いであった。

 

「なあ、木場――」

「ん? 何だい?」

「――いや、なんでもない。気にしないでくれ」

 

 雰囲気が変わったな、と言うつもりであったが、あくまで個人的な感覚であった為、変に思われると予想し言うのを止め、言葉を濁す形となった。

 

「あっ! そうだ君に渡すものがあったんだ!」

 

 そう言うと木場は鞄からあるものを取り出し、シンへと渡す。

 それは駒王学園の校章が描かれた生徒手帳であった。思わずシンは学生服の上着のポケットに手を当てると、そこには有るはずの感触が無かった。

 

「いつの間に……すまないな。木場」

「間薙君……これが何処にあったか知っているかい?」

 

 その一瞬、木場の視線が鋭いものとなる。浮かぶ笑みは変わらない。だが、その量るような眼だけは、普段の木場祐斗とは異なるものであった。

 

「……教室とかじゃないのか?」

 

 その視線にほんの僅かの間、言葉を詰まらせるものの、シンは真正面から受け止め、言葉を返す。

 

「……正解! 昨日は体育の授業があったからね。そのときに落としたのかもしれないね」

 

 そう言って笑う木場からは、鋭さが無くなりいつもの木場祐斗へと戻っていた。

 

「そうか……礼に何か奢る。何がいい?」

「えっ! 悪いよそんな……」

「借りは返す主義なんだ」

 

 二人は、そのまま会話をしながら校舎へと入っていく。その後ろ姿をリアスは離れた場所で見定めるようにその碧眼で静かに見つめていた。

 

 間薙シンの運命は、ここで一旦静止する。次に運命が動き始めたのは、ここから数か月後のことであった。

 

 

 




とりあえずプロローグは、これで終了です
次の話から本編へと入っていきます

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