BLEACH El fuego no se apaga. 作:更夜
進み出た者は他の破面に比べ、何処か異質な空気を纏っていた。
それは突き刺すような殺気でも、押しつぶすような威圧感でもなく、言ってしまえば気味が悪いもの。
何処かおどろおどろしい粘着質の瘴気と言ったらいいのか、そしてそれを纏った男は中指で眼鏡型に残った仮面の名残をくいと持ち上げる。
口元には深い笑みを湛え、その目に輝くのは爛々とした狂気。
そう狂気だ、この男の纏う雰囲気、それは壊れ狂った者だけが発する事が出来る狂気そのものだった。
「ザエルアポロ。 キミが
ザエルアポロ、藍染によってそう呼ばれたその男。
名をザエルアポロ・グランツ、階級は破面
桃色で独特の癖毛は整えられ、手には白の手袋、同じく白の死覇装はどこか人間の医者が纏う白衣のような印象を与える。
しかし彼は医者ではない、彼は“研究者”なのだ。
嘗ての彼はただ己の力に任せて蛮勇を振るい、それによって十刃の地位を得ていた。
しかし、其処で彼は己の究極の目的が“力”ではなく“完璧な生命”である事を思い出し、その為に自ら不要な部分、要素を切り離した。
結果、彼の力は減衰し、“力”によって十刃に留まることも出来ず結果、十刃落ちとなったのだ。
だが、今の彼は力を振るう戦士ではなく、知恵を武器とする“研究者”となった。
己が求める完璧な生命、それを実現するために貪欲に知識を吸収し続けた彼。
目に視えるもの見えないもの、触れられるものそうでないもの、何故見えないのか、何故触れられないのかが判らないことが彼には我慢ならない。
それこそこの世で自分の理解の外にあるものが存在する事が許せない。
故に彼は考え、試み、実証し、理解する研究者となった。
だがそれには犠牲が伴う。
彼が、ザエルアポロが知りたい事は常に命の犠牲なくしては知り得ない事ばかり。
そして彼はその命の犠牲を尊い犠牲ではなく、自分が知識を得るという崇高な目的の為の、完璧な生命へと自らを昇華するための
彼が纏う狂気とはそういった類の己以外の命を軽んじる、いや、目に映るそれは命ですらないただの道具である、という思考が生む狂気。
恍惚の中命を弄ぶ狂人研究者、それがザエルアポロなのだ。
「昔とは状況が違いますので。 “あの頃”ほどの力は無くとも、今の僕にはそれを補ってあまりある知識があります。粗暴な獣だった頃よりもずっと有意義な
どこか恭しく藍染に対し頭を下げるザエルアポロ。
その様子は一見すれば礼節を弁えた良き臣と見えるだろうが、恐らくその実態は違う。
彼の実態、思考はどちらかと言えば藍染惣右介に近いだろう。
騙し、陥れ、思い通りに操り、他を犠牲として己が利を得る。
そしてどちらも全てが帰結するのは“自分だけのため”だけであり、他の犠牲など知ったことではないという思考。
彼の
「なるほど…… 私としては他に名乗り出るものがなければキミに十刃なってもらって構わないが…… どうだい? 誰か他に名乗り出るものはあるかな?ただその時はザエルアポロとどちらが十刃に相応しいか、
ザエルアポロの答えに藍染が返した言葉、それが全ての決定打となった。
藍染にどんな思惑があるのかは判らない、しかし藍染が放った言葉、どちらが相応しいか証明してもらうという言葉は事実上の戦闘を意味する。
それも只の戦闘ではない、ザエルアポロ・グランツという名の狂人との戦闘をだ。
戦いの中の出来事、不慮の事故、不測の事態に時の運、言い方などそれこそ幾らでもあるそれらを利用しこの狂人は恐らく何かを仕掛けるだろう。
そういう性、そういう男でそういう生き方、あり方の破面だということは誰もが知っている周知の事実。
多くの破面にとってザエルアポロと戦うという事は、自分から彼の実験材料に諸手を挙げて志願するようなものでしかない。
そして彼の実験材料になるということは即ち、世にも怖ろしい死を体感するということに他ならないのだ。
そう、その言葉は決定打。
誰もが目を背ける、藍染から、ザエルアポロから、そして自らの死から。
その後も誰が名乗り出る筈もなく、充分な時間を置いた後藍染はその口を開いた。
「誰もいないようだね。 では第8十刃にはNo.102 ザエルアポロを再び十刃へと格上げし、その席を担ってもらう。よろしくたのむよ、ザエルアポロ。(精々、私の掌の上で己が知欲を満たしてくれたまえ)」
「畏まりました。 藍染様。( ……ふん、死神風情が…… 僕の知識を利用する心算か知らないが、逆に僕が利用してあげるよ…… )」
思惑をそれぞれに抱えながら、第8の座は埋まる。
どちらも自らの目的のため、それがなんであれ始めから利用するためだけに互いを尊重する。
知識と謀略の渦、謀略と詐術の渦、二人の間で渦巻くのはそれ。
謀り合い、それを表には出さない。
顔には笑みを、内には毒の刃を抱え二人の邂逅は終了した。
「それでは次は
笑みを湛えた藍染が見下ろす先、一本の折れた柱の上に彼は腰掛けていた。
柱の下には付き従うかのように数体の破面が、柱の上の彼が自分達の王であるとするかのように。
柱の上の彼、グリムジョー・ジャガージャック。
顔はやや伏せたまま、目線だけを藍染に向けるその様はまるで藍染を睨みつけているかのよう。
全てを殺すと、その意を存分に湛えたその水浅葱色の瞳はしかし赤を湛えたかのように滾る。
これがこの男の真なる姿か、内なる獣を解放し、飼い慣らすのではなく思うがままに解き放った男の姿か。
気配は静かだ、だがしかしその目を見れば明らかだろう。
この男が戦いを欲しているという事が。
「発する気、気配、霊圧、そのどれもが2年前とは比べ物にならない…… ウルキオラに敗れたあの時に比べて……ね。良い師を見つけたね、グリムジョー。そしてキミの師であったドルドーニには感謝しなくてはいけない。彼のおかげで私の十刃はより磐石となった、という事を…… 」
藍染の言葉は真実だった。
今のグリムジョーは過去の彼とは違う。
力を付けた、力を磨いた、力を支配しそして凌駕した。
彼の師は戦い方など一度も教えなかった、良いとも悪いとも、合っているとも間違っているとも言わなかった。
ただ彼が求めれば彼が力尽きるまで戦う、彼の師がしたのはそれだけ。
だがそれこそが彼に力を与えた。
濃縮された戦闘経験、戦いに正解、常道は無くならば積み重ねるしかない。
あらゆる状況に対応出来る自身の力、あらゆる敵を凌駕出来る自身の力を。
そして彼は凌駕した。
彼に力を、その力の全てを導いた師を。
故に彼はここに居るのだ。
並み居る破面の最前列、誰に劣る事もなく、誰に蔑まれることもなく、そんな言葉を全て己が示した“力”によって捻じ伏せて彼は居るのだ。
今、十刃の一角として。
「……いや、ドルドーニだけではないか。 力を磨いたのはドルドーニだがその力の根源は、力を求めた理由は違う。理由、衝動、渇望と言った方が正しいかな。キミは求めた、凌駕するための力を…… 彼を凌駕するための力をね」
藍染が続けた言葉にグリムジョーの視線がほんの一瞬だが強くなる。
彼に力を与えたのはドルドーニだけではないと藍染は言ったのだ。
そしてそれは間違いではない。
確かに戦い、力を磨き、身に付けさせたのはドルドーニだろう。
だが、そうしてグリムジョーが力を望んだ理由、追い求めた理由は別にある。
求める衝動、求めるという渇望を糧に彼は力を得た。
その理由、衝動の理由は別にあるのだ。
「フフッ。 ではグリムジョー、ドルドーニより奪い取った第6十刃の座、受けてくれるかい?」
「……ハイ 」
問と答えは簡潔。
だがあえて告げるのではなく答えさせる事に意味があるその問い。
一方的に押し付けるのではなく、彼が彼の意思を持って受諾し、そして仕えるという形こそが重要。
王は何も強要しない、ただ意思を尊重するということが重要なのだ。
たとえそれが断る事など出来無いような問であったとしても。
グリムジョーの答えに満足そうに藍染は一度頷くと。
最後となった者へと視線を向ける。
藍染惣右介にとってある種予想がつかない相手であり、重要な因子を孕む相手。
彼をもって十刃は完成となり、彼の揺るがぬ城は完成する。
「グリムジョーは押し通すため力を求た…… そしてそれはきっとキミも同じなのだろう。圧倒的な力でゾマリを凌駕し、屠り、それでも恐らくは実力の一端を覗かせただけのキミと同じ。キミもまた“力”を求め、その渇望にも似た衝動によってそれを得た。自分という生き方を押し通す為の力をね。……私の言葉に間違いはあるかな?フェルナンド・アルディエンデ 」
藍染の言葉の矛先は下に。
その先はやはり最前列の中の一人へ。
元々十刃が座するはずのその場所に、思えばその男は始めから平然と座っていた。
まるでそうある事が当然かのように。
ある種の客分であるという事を差し引いてもそれは異常なこと。
だが誰もそれを咎めない。
王である藍染も、その臣である十刃も、そして更に彼等を支える多くの破面達の誰もがその男の行動を咎めない。
何故なら彼らは皆知っているのだ、その男が持つ力を。
ある者はその目で、ある者はその耳で、またある者はその身をもって知っているのだ。
そこが、その男に本来相応し居場所であると。
フェルナンド・アルディエンデ。
黄金色の髪と紅く鋭い眼光を持つ修羅の如き男。
その拳でもって己が力を示し。
溺れる事無く修練を積み。
苛烈なる戦いの果てに十刃を降した男。
彼は今、虚夜宮の高みへとその手を掛けているのだ。
その眼光で藍染惣右介を確と捉えながら。
「そう怖い顔をしないでくれ。 それではまるで敵を見るような顔だよ、フェルナンド。まぁそんな事はどうでもいい…… ゾマリを倒し、奪い得た
藍染の言葉通り、なにか機嫌でも悪いのか彼を睨みつけるフェルナンドに、しかし笑顔のまま語る藍染。
それは虚勢などでは断じてなく、本当に彼を敵と見做していないかのような態度。
尊大であるがそれでもこの男にはそれが当然だと思わせる雰囲気がある。
その雰囲気をして、フェルナンドにもグリムジョーと同じように自らが奪った座に着くかどうかを尋ねる藍染。
断る理由が無いその問い、断る事自体が不可能なその問い、本来示した力に相応しいく用意された座に付く事になんら違和感も疑問も挟まる余地など無い。
無い筈だった。
「あぁ。 そんなもんは当然
誰しもが受けるものと、そう思っていた藍染からの問いという名の命令。
だがフェルナンドはいとも簡単にそれを蹴った。
それは数瞬の思案すらなく、彼の中で既に決まっていた事として放たれたのだ。
涼しい顔、というよりは何処か機嫌が悪そうな彼の表情は、ここにこうしている事すら不快だと言っているかの様。
どちらにせよ申し出を断ったフェルナンド。
至極当然といった風でそれを言い放った本人とは別に、何故か慌てるのは周りだった。
多くの破面はフェルナンドが何を言っているのか、聞こえはしても理解は出来ず、理解出来たとしても納得など尚出来ないだろう。
ざわざわと浮き足立つ広間、その中でハリベルは一人「やはりか…… 」という雰囲気を存分に吐露し、額に片手を当てて軽く頭を振る。
そしてバラガン等は大袈裟ではないにしろ、「いい気味だ」という雰囲気を滲ませ口元を歪ませていた。
「理由を聞かせてくれるかな、フェルナンド…… 」
ざわつき、浮き足立つ広間の中、藍染はいまだ余裕でその顔に笑みを湛えたままだった。
予想外と言うほどのものではないと、藍染の中でフェルナンドからこういった答えが返ってくる可能性は充分に考えられるものであったのだろう。
故に問う、何故なのかと。
その答えによって自分の出方を考えるために。
「俺には階級なんてもんは必要無ぇからだ。 位の上下にどれだけの価値がある?そんなもんに欠片ほどの意味もありはし無ぇ…… 重要なのは示した力だ、それだけが全てを証明する。そもそも俺は十刃なんて位階が欲しくてヤロウと戦ったんじゃ無ぇ、俺の目的は戦いで、その後に残ったもんに意味も興味もありゃしねぇんだよ」
簡潔に示されるそれは、彼が貫くもの。
位階の上下、それに一体どれだけの意味があるのか、どれだけの力があるというのかという言葉。
番号をひけらかし、自分の方が上だ、お前は下だと叫ぶ事はあまりにも愚かしさが過ぎる行為。
それは番号の大きさが強さに直結するこの虚夜宮では当たり前だと思われがちだが、実際それは間違いでもある。
何故ならそれは他ならぬ強奪決闘が証明している事なのだ。
号を奪うための強奪決闘、だが号を奪われるということは即ち、下位の者が上位の者より優れているという事を指す。
それならば数字の大きさだけで強さを測る事など元から出来ない、という事だ。
その事実、それは虚夜宮の根幹を揺るがすようなもの。
強さが、数字の示す強さが一つの大きな秩序である虚夜宮において、序列の崩壊は秩序の崩壊に等しい。
もちろんそれだけが全てではないだろうが、だが大きな要因である事は決して否めないだろう。
無意味な位階、そんなものを自分が欲する必要がどこにあるとフェルナンドは言うのだ。
それ故に彼は位階よりもその過程、それを得るために示した自身の力こそ重要だと言う。
位階という判りやすいようでその実曖昧なものではなく、それぞれがそれぞれの目で見て、肌で感じたものこそ重要なのだと。
そしてなにより、フェルナンドは位階を求めてゾマリと戦った訳ではない。
彼はゾマリとの戦いを終始こう言っていた、“喧嘩”と。
そう、フェルナンドにとって先の戦いは強奪決闘でも十刃越えでもなく、ただの喧嘩に等しいものなのだ。
粗野で野蛮に聞こえるが、しかし突き詰めれば飾り立てるものが無ければ戦いとは喧嘩である。
お互いがお互いの主張をぶつけ、それを押し退け押し通すために他者を叩きのめす。
戦いという要素の原初、始まり、フェルナンドはただそれを全うしただけなのだ。
故にその後に残ったもの、今回で言えば第7十刃の座等というものは彼にとって余分なものであり、必要すら無いものなのだろう。
「なるほど、確かにキミの言う事もある意味での真実ではある。だが、世とは往々にして真実のみで形作られるものではないのだよ」
フェルナンドの答えを聞き、藍染は笑みを湛えたまま静かに語る。
その顔に焦りは無い、自らを蔑ろにされたような状況でもこの男に漲るのは圧倒的余裕。
それは不気味とすら言えるほどの余裕だった。
「確かにそうだろうな、アンタには真実よりも裏に隠れたものの方に興味を惹かれるらしい。だが、思惑やら計画やらそんなもんはテメェの頭ん中だけで巡らせとけ。他人の戦いに横槍入れて平気な顔してるような無粋は見たくも無ぇ…… 第7十刃とかいうご大層な位だか知らないが、無粋な輩に仕えてまで座る心算は俺には無ぇんだよ」
「フフッ、それは心外だな。 私の対応も遅れはしたがあの時私は何もしていないよ、全てはネロの暴走によるものだ。それともキミはネロの全てを私が操っていた…… とでも言う心算かい? 」
「ハッ! よく言う…… やっぱりテメェは無粋だ」
フェルナンドが発する言葉は常に明確な拒絶を孕んでいた。
位階の無意味さ、彼にとっての必要の無さと、なにより位を得たことで藍染に仕えるという事を彼は良しとしない。
決定的だったのはノイトラとアベルの強奪決闘。
藍染はその思惑の為にネロという魔獣の乱入を見逃し、アベルを屠ろうとしていた。
それまで両者が互いの存在と、なにより意地と誇りをかけて戦っていた戦場にこれ以上無い汚泥を投げつけるかのように。
無粋、余りにも。
両者の戦いはフェルナンドにとっては好ましい部類に入り、しかしそれは一瞬にして穢れる。
穢したのはネロではあるが、それ以上に全てを把握しながら表に立つ事無く“利”のみを得ようとする藍染にフェルナンドは怒りを覚えた。
ただの小競り合い程度ならばいい、だが目の前で行われていた戦いは間違いなく互い全霊をかけた勝負。
それを見ても何も感じず、ただ己が目的の手段としてしか見ない藍染の行いはフェルナンドにとって無粋極まり無いものだったのだ。
だが、無粋とまで呼ばれようとも藍染は今だ余裕。
あくまで不慮であり、不測の事態だと言い放つ。
誰もがそんなものは嘘だと理解している、だが藍染がそう言うならばそれが“真実”。
なぜなら彼は“王”だから。
誰も逆らう事が出来ない絶対の王だからだ。
「取り消せ、フェルナンド・アルディエンデッ」
僅かな鍔鳴りと、その言葉がフェルナンドへとかけられたのは同時だった。
フェルナンドの首筋に冷たい刃が触れる。
僅かでも力が篭ればそのまま首を落としそうな勢いと熱が伝わるその刃。
滲むような怒りを湛えた声、それはフェルナンドの横から放たれ、浅黒い肌の男は盲目であるにもかかわらず眼光鋭くフェルナンドを睨みつける。
藍染が
「これはこれは、怠慢が過ぎる統括官殿。……で?この刃は一体どういう心算だ? 」
「先の言葉、取り消せと言っている!フェルナンド・アルディエンデ!」
「お断りだ。 自分の言葉を曲げる心算は無ぇ 」
「貴様ッ! 」
主である藍染への暴言、なにより藍染を再三に亘り“無粋”呼ばわりするフェルナンドにたまりかねた東仙は、藍染に許しを請う前にその刃を奔らせていた。
首筋に刃を突き当て、僅かでも避ければ逆に首が飛ぶように。
だがこの破面は避ける事などせず、それどころか向かう気配は自分ではなく未だ彼の主である藍染に注がれている。
その言葉通り曲げないという意をフェルナンドは気配で東仙に示していた。
「止すんだ、要 」
フェルナンドの返答に本当に首を刎ねる事も辞さなぬと、刀を握る手に力を込めた東仙に藍染の言葉が降る。
静かに、しかし明確な言葉。
だが、東仙とてこのまま止まれる筈も無く。
「藍染様! このような者の存在は虚夜宮の秩序を乱します!秩序を乱す者、それは“悪”!処断する許可を!」
「私は“止めろ”と言っているんだよ、要。 今、彼と話しているのは私だ、邪魔をしないでくれ」
「しかし!……クッ! 」
強大な霊圧と共に放たれた言葉、“止めろ”という藍染の言葉に東仙は僅かに逡巡をみせるが、結局は刃を退いた。
目の前にいるのは彼にとって“悪”でしかない存在。
しかし彼の主がその悪を“是”とするならば、東仙にそれを断ずることは出来ない。
東仙もまたゾマリと同じように藍染の信奉者なのだ、神とまでは行かずともその思想に共感し彼に傅く事を選択した彼にとって、藍染の言葉は何にも増した強い力を持つ、故に彼はフェルナンドを斬れない。
ネロの時と同じように。
「すまなかったね、フェルナンド。 だが要の行動はその御し難いまでの忠義によるもの、許してやって欲しい」
「知るかよ。 俺はもう言いたい事は言った、帰らせてもらうぜ」
今だその重苦しい霊圧を発したまま、笑みの藍染は心無い謝罪だけを述べる。
藍染にとって何処までも言葉とは手段でしかなく、言葉を尽くすなどという事は彼には存在し無い概念なのだろう。
いや、正確には言葉は尽くすがそこに心は無い、平たい謝罪、本当に言葉面、藍染の音だけの謝罪をフェルナンドは斬って捨てる。
それと同時にフェルナンドは踵を返し、その場から立ち去ろうとしていた。
彼の言葉通り言いたい事を言い終え、その後に残るものなど知った事ではないといった風に。
その行動、それは本当に彼が位階に、十刃という座に興味が無いという事の証明であり、それは破面という力を示す事を性とする化生にとっては異質とも言えるものだった。
自分こそが強い、それを示す事は彼らにとって存在意義にも等しく。
それを位階として示す事を望まず、しかし確かに強力な力を持つフェルナンドは、異質、異様であり不可思議な存在であった。
「
背を向け、歩き出したフェルナンドに対し、藍染が放り投げた静かだがしかしこれ以上ない言葉。
“逃げる”と、藍染はそうフェルナンドに対し言い放ったのだ。
それが耳に届くとフェルナンドの歩みはピタリと止まる。
シンと静まり返る広場の中、それからの声はよく響いた。
「逃げる…… だと? 笑えるな、藍染。 俺が一体何から逃げてるって言う心算だ?」
背を向けたままのフェルナンド。
振り返る事もなく、ただ藍染に背を向けたままで語りだす彼。
それは振り返る事を良しとし無いためか、それとも振り返ってしまえば引き返せないためなのか。
ただただ響くその声、静かで通るその声が今は逆に耳に痛い。
静か過ぎるその声が今はただ、周囲に不安を撒き散らす。
「あぁ、勘違いさせていたらすまない。 何もキミが
振り向かないフェルナンドに藍染は笑みを湛えたまま語りかける。
逃げる、と自分が投げかけた言葉の真意。
行動による結果、藍染 惣右介という人物からではなく、自分が齎した結果、結末から逃げるのかと。
その逃げは本当に君が求める縛られない生き方なのかと。
「フェルナンド、キミは何にも囚われず生きてきた。それはこれからも変らないだろうし、変える必要も無い。 ……だが、キミが起した行動、選んだ選択とその結末がキミの望んだものと違うからといって放り出すのは、自由ではなく逃避だよ」
「………… 」
何者にも囚われず自由に、それは耳に心地よく誰もが望むものかも知れない。
だが、そんなものはこの世の何処を探したとて存在し無いのだ。
自由奔放に振舞い、誰の言う事も聞かず、関係ない、知ったことではないと言えるのは確かに力ある者の特権だろう。
フェルナンドは力を示し、数字を持たずともそういった振る舞いを他者に認めさせるだけの実力を魅せた。
それは驚くべき事であるし、驚嘆、賞賛に値することなのかもしれない。
だが、今の彼と今までの彼では状況が違いすぎる。
彼は自らが望まなくとも十刃の一角を下したのだ、強奪決闘という“号”を奪い合う戦いの中で。
そしてそれに勝利したという事は、こうして藍染が告げずとも既に十刃の座は彼の、フェルナンドの手の中にあるということ。
フェルナンドが幾ら認めずとも、彼は既に破面達の中では第7十刃の座についているのだ。
それが事実、覆しようのない現実であり彼の行動の結末。
だがフェルナンドはそれを良しとし無い、自分には関係のないことだと、知ったことではないと言い放つ。
今までの通りに。
だがそれは何も持たない無い者の振る舞いでしかなく、今の彼にその振る舞いは許されないのだ。
「キミが望む望まざるは既に通り過ぎた議論だ。キミは既に座を手中とし、そして座しているのだよ。それはキミにとって何にも増して不自由なのかもしれない、だがそれはキミが招いたものだ。キミが起し、キミが決し、キミが残した結果によるものだ。それから逃げる事はキミという破面の進む道から目を背ける事と同じだとは思わないか?」
そう、彼が必要ないと言った階級、それはしかし彼にとって不必要ではあるが、多くの破面にとっては必要なもの。
目的は様々であれ彼らは皆、高みを目指し血を流す。
その血が築き上げ、染込んだ座はそう簡単に蹴れるものではない。
なによりそれを蹴る事は自らの行い、招いた結末に目を背ける事と同じだ。
フェルナンドは自身の望む望まざるを通り越し、既に十刃であり、その行動には
それから目を背け、逃げるのかと藍染はそう言っているのだ。
「フェルナンド、キミが何者にも囚われず、ただ自由に振舞いたいと言うのならば此処を去るがいい。だが、キミが求めるものが此処にあるというのなら、キミはキミが掴んだ不自由を認めなければならない。真の自由とは、数ある不自由と戦った先にこそあるものだと、私はそう考える。キミはどう思う? フェルナンド・アルディエンデ」
不自由、フェルナンドの場合十刃という名の座。
今、彼は藍染により選択を迫られていた。
我を通す事でこの虚夜宮を去るか、此処に残り不自由と戦いながら己が目的、求めるものを探すのか。
二つに一つ、二者択一の問い。
“数ある不自由と戦わずして、真の自由は得られない”という藍染の言葉。
真理に等しいその言葉がフェルンドに突き刺さる。
逃げるという言葉、それが癪に障り止めた足。
だがその後に続いた言葉たちは、どれもが彼を射抜くもの。
何者にも反抗するだけが自由ではない、それは自由に振舞うのではなく別のものであると。
そう、藍染の言葉通り誰もが不自由と戦っているのだ、座と号に縛られ、力の強弱に縛られ、責任と責務に縛られしかし、その中で各々が思い描く目的の為にそれら不自由と戦っているのだ。
あのスタークですらその不自由を良しとし、十刃の、それもその頂点という厄介事を受け入れた。
それもまた目的のため、全ては不自由の先にある目的と理想、自由を得るためなのだ。
(気に喰わねぇな…… だが、ヤロウの言う事にも一理ある……か。アレを殺したのは俺だ、なら背負うべきは俺…… かよ )
静かだがしかし重たかったフェルナンドが纏う雰囲気が霧散する。
相変わらず背は向けたまま、藍染の方を見ようともし無いがその雰囲気は既に一触即発のそれとは違っていた。
それは何かしらの変化か、フェルナンドという破面の何か変わったという事を意味するのか。
向けられた背、その背に向けられた降る視線とその他多くの視線。
誰もが待ち、誰もが考える、その答えを。
「……一つだけ、条件がある 」
「なんだい? 」
「テメェの命令は聞かねぇ。 俺はテメェの部下になる心算は欠片も無ぇ、それだけは覚えておけ」
「そんな事か…… 構わないよフェルナンド。 私は押えつける事は好まない、キミがキミの意思で、十刃として私に“協力”してくれるだけで充分だ」
「そうかよ…… なら、今度こそ話は終わりだ 」
短いやり取り、だがそれは劇的な変化と結果でもある。
フェルナンドが示したのはただ一つ、命令は聞かないという一点のみ。
それを藍染はアッサリと了承し、全ては決着した。
そう、フェルナンドが第7十刃の座を受ける、という形で。
止めていた歩みを再び進め、フェルナンドは広間を後にする。
残ったのは静寂、まるで彼が嵐であったかのような静寂だった。
その静寂の中、一つ手を叩いた音が響き視線はその音の方へ、藍染惣右介へと再び集まる。
「さて、残る十刃、
そう、ここにそれは完成した。
入替を繰り返し、弱者を排し強者を求め、その強者すら新たなる強者が排した最強の十傑。
迫る敵の事如くを圧しとどめ、押し返し、そして逆に殺し尽くす最強の集団。
殺戮という単一の方向性しか持たず、しかしそれ故に突出した存在たち。
数多の血を流し、数多の血を啜り、昇華し、生まれ出でた化生たち。
以上十名をして十刃。
藍染惣右介の十本の剣であり、向けられる者達からすれば悪夢か災厄でしかない存在たち。
それが今此処に完成し、藍染惣右介の戦力は磐石を喫しつつある。
目的のため、彼の行く道を、進む道の尖兵であり露払い。
血に染め上げることしか出来ないがそれでも必要な戦力たち。
それは完成を見、それ故に藍染の黒い笑みは深まる。
「ここに私の剣は完成を見た。 皆…… これからも良く私を支えてくれ…… 」
比類なき霊圧と黒い野望、混沌渦巻く瞳の主は笑う。
新たなる十刃、その誕生と祝福を。
断われよう筈もない言葉に、その黒い笑みを添えて。
呑み込まれる
遠ざかる
重なる蹄の音
零れる嘲笑
呑み込まれる
呑み込まれる