BLEACH El fuego no se apaga.   作:更夜

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BLEACH El fuego no se apaga.34

 

 

 

 

 

嫌いだった。

 

彼は自分を見る彼女の眼が嫌いだった。

彼を見る彼女の眼に映るのは彼に対する“哀れみ”だけ、そしてそれは彼が最も嫌悪する感情だったからだ。

彼がいくら叫ぼうとも、彼が何度その刃を向けようとも、彼女が彼と向き合うことは無かった。

見える彼女の背中は彼に敗北感と言い知れぬ不快感だけを残し、その感情を湛えた刃は終ぞ彼女を捕らえることは無かった。

 

 

彼が彼女の額に決意の烙印を刻んだ、その瞬間までは。

 

 

 

彼、第8十刃(オクターバ・エスパーダ)ノイトラ・ジルガは砂漠を歩いていた。

一歩一歩砂を踏みしめ、その手に腰布から鎖で繋がった巨大な三日月型の斬魄刀を握り締め、それ引き摺るようにして歩く彼。

眉間と鼻筋には深い皺が刻まれ、眼は血走り、その顔にありありと怒りを浮かび上がらせたノイトラが砂漠を歩く。

今の彼を見れば誰しもが道をあける、いや道をあけるだけでは駄目だろう、今の彼を見たならばそれを見た誰しもが一目散にその場を逃げ出す事を考える、視線が合えば問答無用で殺されると直感させるような、そんな濃密な殺気を彼はその身に纏わせていた。

 

ノイトラの纏う殺気、その原因はある破面のたった一言の言葉。

その言葉は彼にとって屈辱以外のなにものでもなかった。

 

 

《何故ならば…… 》

 

 

再びその言葉が、あの声が頭に木霊するのをノイトラは感じていた。

それだけで刻まれた皺はより一層深くなり、奥歯は噛締められる。

 

 

《何故ならば…… 》

 

 

響く声が語るのは誰も知らぬ筈の出来事。

それはノイトラの決意と、決別との儀式だった。

後ろ暗い思いは何一つ無く、己がより“高み”へと昇るための儀式。

ノイトラが欲したのは“時”だった。

自分と彼女の間に横たわるのはただ時だけ、時をかけた“経験”だけがノイトラが確信する自分と彼女を隔てるたった一つの要因だった。

故に、手段など問わず彼はその時を手に入れることにした。

自分を哀れみ、情けをかける視線を送る彼女、ネリエル・トゥ・オーデルシュバンクの頭をその三日月の斬魄刀で割り、虚夜宮(ラス・ノーチェス)外の砂漠へと落すことで。

 

 

《何故なら…… 格上を倒すのならば…… 》

 

 

それは常軌を逸した手段。

普通に考えて頭を割られれば死ぬ。

だがノイトラはネリエルの頭を割りながらも、殺さぬよう生かしたのだ。

彼が欲したのは時、隔てる経験を埋める為の時だけが彼の欲したものであり、その場での決着など一切望んでいなかった。

故に彼はネリエルを生かした。

生き残り、力を戻したネリエルを、正面から己の力のみで殺すために。

 

 

 

だが木霊する声の主の一言は、それを全否定した。

 

 

 

 

《何故なら…… 格上を倒すのならば、後ろから頭を割らねば勝てんのだろう?》

 

 

 

 

横たわる“時”、それ以外に自分と彼女を隔てるものは無いと信じていたノイトラにとって、それは最上の屈辱だった。

彼にはその言葉が『お前は彼女に正面から勝つことは一生出来ない。不意を撃ち、眼を晦まし、姑息に策を弄さねば勝てないのだろう?』と言っているように聞こえてならなかった。

自分と彼女に力の差はなく、経験によって勝敗が決していると信じるノイトラにそれを許容する事など出来る筈が無い。

許せない、許せるはずが無い、そんな思いが彼を支配する。

斬魄刀を握る手にはより一層の力が篭り、呼吸は浅く、そして速くなっていった。

怒り、怒りだけが彼を支配する。

 

(殺す…… 殺す、殺す殺す殺す。アイツを殺す、このオレをコケにしやがったアイツは…… このオレを腰抜け扱いしたアイツは、オレが必ず殺してやる!)

 

 

漏れ出す霊圧、それより更に濃密な殺気を纏わせたノイトラは砂漠を歩く。

己の探査神経(ペスキス)によって怨敵の大まかな居場所は判っている、何故か自分の宮殿ではなく虚夜宮の外、何も無い砂漠から感じる怨敵の霊圧。

だがそれはノイトラにとって好都合、天蓋の下での私闘、それも十刃同士の私闘、いや殺し合いをしようという彼にとってその標的たる者が天蓋の下に居ないという状況は、僥倖だったといえるだろう。

無論その標的が天蓋の下に居るからといって、彼が止まることはない。

結局のところ怨敵を殺す事だけが今の彼の全てであり、相手が天蓋の下に居ないのも偶々いなかった(・・・・・・・)程度にしか捉えていないだろう。

保身などノイトラには存在しない。

彼に今あるのは、怨敵、第5十刃(クイント・エスパーダ)アベル・ライネスを殺す、という一念だけだった。

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

「来たか…… 」

 

 

ノイトラの視線の先の人物は、彼に背を向けたままそう呟いた。

その姿にノイトラの目の端が釣りあがる。

怒りの感情は彼の全身をマグマの如き熱を帯びて駆け巡り、解き放たれる瞬間を待つ。

彼の眼に映る白い外套に黒髪の人物、背を向けているにも拘らずノイトラが来るのを知っていた、或いは視ていたかのように声を発したのは、紛れも無くノイトラがその怒りを向ける相手アベル・ライネスだった。

振り向けばその顔には眼の文様が入った仮面が着けられている事だろう。

 

 

「第8十刃、一応訊いておこう。 こんな場所に用事でもあるのか?此処から半径二霊里以内には私達以外の霊圧は存在しないがな…… 」

 

「………… 」

 

 

背を向けたままアベルはノイトラへと話しかける。

対するノイトラは無言でアベルの背中を睨みつけ、斬魄刀を握る手に力を込めた。

その気配を感じているであろうアベル。

しかし声にはまったくといっていいほど鷹揚は無く、淡々と紡がれる言葉からは何一つ感情というものを読み取る事は出来ない。

それはアベルが感情を抑えている、という訳ではなくただアベルという破面の感情を起伏させる程の事が、今この場にはないというだけ。

つまり、アベルはその背後をノイトラに抑えられているという状況にありながら、それをまったく意に介していないという事に他ならないのだ。

 

 

「無言……か。 無意味だ…… 口に出さねば、声に乗せねば物事は何一つ伝わる事は無い。意を汲んでもらう事を前提とする事はただの怠慢であり無意味だ。そう、貴様が抱えるその無意味な怒り同様に……な…… 」

 

「ッ!! してやる…… 殺してやる。第5(クイント)ッ!俺をコケにしたテメェは…… オレが、殺してやる……!」

 

 

無言のノイトラをまるで挑発するかのようにアベルが語る。

そして怒りに燃えるノイトラはそのアベルの言葉に更なる怒りを燃やし、遂に明確にアベルに対する殺意を口に出した。

アベルの言葉によりそう言わされている様に思えるその言葉。

しかしノイトラは、最早そんな些細な事など気にする事の出来ない状態にまで移行し始めている。

だが、それほどの怒りを抱えながらノイトラはアベルに攻撃を仕掛けないでいた。

荒ぶる霊圧を撒き散らし、血走らせた眼でアベルの背を睨みつけるノイトラが今だその背中に凶刃を振り下ろさない理由、それはアベルが彼に背を向けている(・・・・・・・)という点に尽きる。

 

怒りに燃えた彼に木霊し続けたアベルの言葉。

格上を倒すのなら後ろから頭を割らねば勝てないのだろうという言葉、皮肉にもそれががノイトラにその手に持った斬魄刀を振り下ろす事を止めさせていた。

このままソレを振り下ろし、後ろから頭を割ったのではアベルの言葉が、ノイトラにとって屈辱的なその言葉が真実であると自ら証明する事になってしまうと。

故にノイトラは背から攻撃する事をその残ったかすかな理性で圧し止め、アベルが振り返るのを待っていたのだ。

彼が受けた屈辱を濯ぐために、その屈辱を与えた相手を正面から叩き殺すために。

 

 

だがそれも、たった一言の言葉で崩れ去った。

 

 

 

 

「ならば無意味に立ち尽くさず、その斬魄刀で私に斬りかかればいい。 ……せっかく、こうして背を向けてやっている(・・・・・・・・・・)のだから。

 

 

 

 

それは充分な言葉だった。

アベルの放ったその言葉はノイトラを突き刺し、抉り、理性の崩壊と感情の防波堤を決壊させるのに充分な言葉。

ノイトラは自分の中で何かが引き千切れる音を聞いていた。

それは彼が彼として存在するための唯一の鎖が切れる音。

理性を持ち、己の意思で相手を、アベルを殺すために内側で荒れ狂う怒りを繋ぎ止めていた唯一の鎖が切れる音。

故にノイトラはもう止まれない。

切れた鎖は再び繋ぐ事叶わず、荒れ狂う怒りは外界へとその産声を上げた。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!」

 

 

最早言葉ではない咆哮が響く。

咆哮と共に振り上げられた全ての破面の中でも一等巨大な斬魄刀、それが箍の外れた肉体の渾身の力でもって振り下ろされる。

直後砂漠には巨大な砂の柱が産まれた。

叩きつけられた衝撃は砂漠を割り、上方へ砂を吹き飛ばす。

 

ノイトラに今あるのは殺意だけ、怒りによって生まれた燃え滾る殺意だけが彼を満たしている。

今のノイトラはアベルという“敵”を縊り殺す、その瞬間まで止まることのない殺戮生物に変っていた。

しかしその強力無比な一撃も、敵を捉えてはいなかった。

 

 

「無意味だ…… いや、不様だな第8十刃。 怒りで我を忘れ、不様に霊圧を撒き散らす。無意味で不様で…… 醜い霊圧だ…… それでは私には欠片の脅威にもならない」

 

 

その声はノイトラの背後から発せられた。

何事も無かったかのように、まるで先程からそこに立っていたと言わんばかりに平然とアベルはそこに立っていた。

ノイトラが放った斬魄刀の渾身の一撃をアベルは何の苦も無く躱したのだ。

 

ノイトラは背後に立つアベルへと瞬時に振り向くと、そちらへと再び斬魄刀を叩きつける。

再び立ち昇る砂の柱、だがそれも捉えたのは砂漠の砂のみでアベルを捉える事は叶わない。

怒りに任せ、移動したアベルへと今度は斬魄刀をその手から離し、投げつけるノイトラ。

痩躯の何処にそれほどの膂力が在るのか、と疑いたくなる程の力がその投擲には込められていた。

元々の力に怒りという原初の感情が起爆剤となり、ノイトラはそれを振るう。

それはその全てがまさに“必殺”の一撃、だがその必殺の一撃をもってしてもアベルはそのこと如くを躱し続ける。

 

 

「短慮、短絡、短気、その全てが貴様でありその全てが無意味だ…… 解らないのか? お前が此処に来たのは、私を追ってきた(・・・・・)のでは無く、私が追わせた(・・・・)のだという事すら……」

 

 

尚も悠々とノイトラの必殺の一撃達を躱すアベルが語る。

常のアベルらしからぬ饒舌、この状況では語る事すら無意味だと断じるであろうアベルらしからぬ行動、だがそれをしないという事はこれにはアベルなりの意味がある、ということなのだろうか。

そして語られた言葉、それはこの何も無い砂漠にノイトラがアベルを追ってきたのではなく、アベルがノイトラに自身を追わせたという事だった。

そう、何も無い場所に意味も無くアベル・ライネスが赴くはずなど無い。

その行動には意味があり、それはノイトラをこの場所に誘い出す、というためだという事。

攻撃を躱しながら、アベルは更に言葉を続けた。

 

 

「貴様が私を狙っているのは解っていた。それはあまりに無意味だが、その無意味で私の宮殿を壊されては更に無意味だ。此処ならばその心配は皆無、無意味に藍染様の思考を煩わせる必要も無い。 ……そして、貴様には言葉でなく、その身に直接教えた方が早いと判断した。貴様では私に勝てない(・・・・・・)という事をな」

 

 

明確な解は時に無情ですらある。

アベルが語ったのは何も難しいことではない。

ノイトラが自分の命を狙っている事は知っていた、とアベルは言う。

そしてそれ自体は問題ではなく、そのノイトラの行動で自分の宮殿を壊されては困る、というそれだけの為にアベルはノイトラを誘い出したのだ。

 

これもまたノイトラにとっては屈辱的な言葉であろう。

言ってしまえばまったく相手にされていないのと同じ、そして自分の命を狙う事がどれだけ無意味かを、アベルはノイトラにその身をもって教えてやると言う。

絶対的な自信、いやアベルにとっての確信によって放たれる言葉はその全てがノイトラを抉る。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!」

 

 

声にならぬ叫びを上げノイトラは斬魄刀を振り回す。

腰布から斬魄刀へと繋がった鎖を掴み、その先に繋がった斬魄刀を振り回してアベルを追い立てる。

当たれば一瞬で肉塊へと変えられるであろうその回る三日月は、だがしかしアベルには当たる事は無い。

 

そしてノイトラの攻撃を躱し続けていたアベルが、遂に言葉通り行動に出る。

それは一瞬、ノイトラが感じたのは肩に何かがふれる感触。

その感触と同時にノイトラは本能のみで腕を薙ぎ、そこに居たなにか(・・・)を振り払う。

 

 

「刺さらない……か。 歴代十刃最高硬度(・・・・・・・・)鋼皮(イエロ)は伊達ではない、といったところか。十刃“最弱”たる私の刀では刺さらぬも道理、我ながら無意味な一撃だったか…… だが、その鋼皮すら無意味だ……」

 

 

そう言ってふわりと着地したのはアベル。

ほんの数瞬前までノイトラの斬魄刀を躱し続けていたアベル、しかし今ノイトラが肩に感じた感触はアベルがその手に持つ斬魄刀を突き立てようとしたために産まれたものだった。

袖付きの外套、その袖の中から生えている様に刀身だけを覗かせたアベルの斬魄刀。

握る手の見えないそれは、覗く刀身だけを見れば小太刀程度の長さしかない。

 

だが、その斬魄刀が突き立てられたにも拘らず、ノイトラの肩は衣類に穴が開いただけにとどまりその肌からは出血どころか傷さえ付いていなかった。

それは一重にノイトラが持つ特性によるもの。

ノイトラの鋼皮は他の破面、十刃にかかわらず更には過去全ての破面に遡っても尚、もっとも高い霊圧硬度を誇っていた。

並みの刃では傷一つ付かず、そしてそれにまかせた一方的な戦闘がノイトラの持ち味のひとつ。

その歴代最高の霊圧高度を持つノイトラの鋼皮、その鋼皮の前にアベルの刃は彼に傷を付ける事が出来なかったのだ。

 

普通に考えてそれは敗北を意味する。

相手を斬る事は叶わず、しかし相手の攻撃は自身を捉えられれば傷を残す。

大虚だった頃のフェルナンドと、ハリベルの戦いと状況は同じといえるだろう。

ハリベルは霊圧を用いる事でその状況を覆した、しかしノイトラにそれが通用するかといえばそれはわからない。

怒りによって撒き散らされる霊圧と、最硬の鋼皮、並みの攻撃が通るとも思えず、何より自らを十刃“最弱”だと言い放ったアベルの刃が通るとは到底思えない。

だが、それすらもアベルに言わせれば、無意味だと。

自らを最弱と呼びつつもその自信、例え自分が最弱であろうともこの状況は何ら危機と呼べない、アベルはそう言っているのだ。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!」

 

 

しかしそんなものは今のノイトラには関係なかった。

咆哮と共に再び振り下ろされる斬魄刀、攻撃は苛烈さを増ししかしそれに連れて単調なものへと変っていく。

もはや積み重ねたものなど無い本能だけで振るわれたそれは、威力はあれどただそれだけのモノに成り下がりつつある。

 

 

「獣……いやそれ以下だな。 “理”無き爪は“暴”以前に“愚”だと知れ。 ……いや、最早語ることすら無意味か…… いい加減その醜悪な霊圧を視る(・・・・・)のは不快だ。最弱の私に倒されるがいい、第8十刃 」

 

 

袖から伸びていたアベルの斬魄刀が、シュルシュルと袖の中に納まっていく。

刃が通らぬのなら持つ必要が無いという事か、それとも刀すら必要ないということなのか。

袖に刀が納まりきり、おそらくは空手となったであろうアベル。

 

そのアベルの輪郭がぶれる。

 

そしてノイトラの視界からアベルの姿は消失した。

響転(ソニード)、破面が用いる高速移動術、アベルの姿が消えた理由はそれであり影すら絶つ速さでの移動は目視など出来る筈もない。

だがノイトラは止まらない、吹き上げる膨大な霊圧と振り回される斬魄刀はその速度を増しながら、彼の周りに剣の結界を作り出す。

近付けば死、それを容易く想像させるノイトラの剣戟、最も彼自身にそうした剣による結界を作り出そうとした意図は無い。

ただただ振り回したそれが結果としてそういう状況を作っている、というだけに過ぎないのだ。

まさしくそれは“暴”であり、そして“愚”だった。

才覚による煌きはなく、力だけで振るわれ更には怒りで濁らせた刀、アベルの言う“愚”とはそういう意味なのだろう。

アベルという破面だからこそ、その愚は際立って見えるのかもしれない。

 

 

「■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!!!!」

 

 

その姿は戦士というより獣に近かった。

ただ強さだけを、“最強”だけを求めるノイトラ。

強く、ただ強く、強ければ戦いを引き寄せそして戦いの中で呼吸できると、そして戦いの中で死ぬ事が出来ると、どこかそうなる事を望んでいる節のある彼。

だが今の彼の姿は彼の望んだ姿なのだろうか、意思無き獣、自らが戦場に立っていることを自覚しているのか、それすらも怪しいような獣の姿。

怒りに我を忘れ、刀剣解放することすら失念したその姿。

それは本当に彼の求める“最強”の姿なのだろうか。

答えは彼にしかわからず彼以外に解を持つ者などいない。

 

そして無情にも終わりの時は来た。

 

 

「暗闇へと沈むめ……第8十刃 」

 

 

その声はまたしても彼の、ノイトラの背後から発せられた。

だが先程とは状況が違いすぎる。

今ノイトラの背後に立っているという事はそこは彼の剣の結界の内側、容易に踏み込むことが出来ないと思われていた場所にアベルは平然と立っているのだ。

アベルの声がノイトラに届く、しかしノイトラに振り向く猶予は与えられなかった。

 

アベルの指がノイトラの首にふれる。

 

直後の暗転。

ノイトラの視界が黒く、そして暗く染め上げられていく。

微かに残った糸のような意識も数瞬の後には脆くも途切れ、暗い闇へと堕ちていくことだろう。

だが、意識の大半を奪われたためにノイトラは自身の怒りの海から覚醒していた。

その彼に淡々としたアベルの言葉が届く、そしてそれは妙に静かにそして確かに彼の耳に届いていた。

 

 

「首が刎ばなかった事は流石、と言っておこう第8十刃。貴様の首、その最も霊圧硬度の低い部分(・・・・・・・・・)虚弾(バラ)を数十発、同一点に撃ち込んだ。如何に歴代最硬といえどこれには耐えられはしない…… たとえ“最弱”の私の虚弾であろうとも……な」

 

 

そう、アベルは単純に虚弾を撃っただけだった。

ただその狙いが霊圧硬度の最も低い部分を寸分違わず狙い澄ました(・・・・・・)ものだったというだけ。

首という神経の集中する場所、そこに受けた衝撃は最強の守りを貫き意識を根こそぎ刈り取るに足るもの。

そしてそれを可能としたのは、アベルの持つ“特異性”によるものだった。

 

 

「霊圧、速力、膂力、そのどれをとっても私は全十刃に劣る。だがそんなものは私には無意味だ。 私が唯一貴様達に勝るもの、それは視る(・・)事だ」

 

 

視る。

全てに措いて劣っている自分、しかしその中で唯一勝るものをそう呼んだアベル。

ノイトラを見下ろすようにして語る言葉はまだ終わらない。

そして真相が語られる。

 

 

「私には霊圧……いや、霊子の流れ(・・・・・)が視えている。距離を問わず貴様を取り巻く霊子、貴様が放つ霊子、その鋼皮の霊子密度すら…… この世界を構成する全てが私には視えているのだ。歴代十刃最高の霊圧知覚(・・・・・・・・・・・)、抜きん出た探査神経こそが私を第5まで押上げた唯一の武器だ」

 

 

語られたアベルの特異性、どれをとっても十刃最弱であるというアベルを十刃の中位にまで押上げた唯一の武器、霊圧知覚。

破面、虚、死神、その全ては須らく霊子によって構成されている。

その動き、思考や肉体の反射があるように、霊子にも反射は存在しそれを視る事が出来れば“先の先”を取るのは容易なこと。

霊子を視るアベルにとって相手の攻撃を躱し、また気付かれずに荒れ狂う霊圧を掻い潜るなどという事は容易なことだった。

その者の霊子密度の薄い部分、即ち鋼皮の硬度の低い部分を探すことすらも、その全てをアベルはその探査神経によって知覚していると言うのだ。

 

 

「解ったか? 第8十刃。 無意味なのだよ…… 貴様が私に挑むという行為自体が……な。 諦めろ(・・・)、無意味を悟ったならば、覆せないのならば、後は諦め受け入れる他、道などありはしない…… 」

 

 

途切れる意識の寸前にノイトラが聞いたのはそんな言葉だった。

純然たる力の差、それをノイトラが信じる“力”という形で見せつけそして行為の無意味さを説くアベル。

無情なその言葉を頭に焼き付けながら、ノイトラの糸は切れ、闇へと沈んでいった。

 

 

 

「沈んだか…… 無意味な事だ、全てが…… そう、私のこの行動すらも……な。 ……どうやら貴様の迎えも来た様だ。後一霊里程か、ならばこのまま放置しても問題あるまい」

 

 

そう呟いたアベルは、次の瞬間には最早その場にいなかった。

行動の意味、必要性を尊ぶアベルのこの行動は、アベル自身の言う通りどこかアベルらしからぬものに見える。

本当にこれが、ノイトラに力の差を見せ付けることが必要だったのか、これによってノイトラが大人しく退くのか、そこに何の確証も無い。

意味を求めるアベル、この行動は本当に宮殿を壊されたくないためなのか、それとも醜い霊圧による不快感からなのか、真意を知るものは本人以外なく、誰にもその真意は判らなかった。

 

 

 

 

 

 

――――――――――

 

 

 

 

 

 

「……! ……ト……ま! ……トラ様!ノイトラ様! ご無事ですか!?」

 

 

聞こえる声に意識が覚醒する。

彼が目を開ければそこには物好きにも彼の従属官になりたいと、片目を潰した男が居た。

 

 

「テスラ…… 何しに来た…… 」

 

 

上半身を起し、膝を立てて座り直すと声の主に向き直る。

心配そうな表情を浮かべる自らの従属官、テスラ・リンドクルツをぞんざいな言葉で遠ざけるノイトラ。

そんなノイトラの態度も気にせず、テスラは彼に声をかけた。

 

 

「ノイトラ様が第8宮から居なくなられたので、微かな霊圧を辿り此処まで追って来ました」

 

 

そう語ったテスラの言葉には、一つだけ嘘が混じっていた。

微かな霊圧などではない、明らかな戦闘状態の霊圧の残滓とそれに混じった濃密な殺気の残り香、定めた主が何者かを殺そうとしてるのは明白であり、最近の彼を見ていれば誰を狙っているかなどテスラには直に解ってしまった。

止めなければ、とテスラが宮殿を飛び出し、次第濃くなる霊圧を辿った先で見つけたのは殺戮現場ではなく、倒れ臥す主の姿だったのだ。

 

 

「一体どうされたと言うのです。 第5十刃は何処にッ!!!」

 

 

テスラの頬に衝撃が奔る。

それは第5十刃と彼が口に出した瞬間襲った衝撃。

そしてそれを齎したのは、彼の主であるノイトラ以外ありえなかった。

裏拳で打ち据えられたテスラは、そのまま後方へと吹き飛ばされる。

驚きを口に出そうとしたテスラは寸前でそれを止めた、彼の眼に映る主ノイトラ、その目にはありありと怒りと屈辱が滲み出ており言葉を発せばそのまま殺されるのは目に見えていたからだ。

 

 

「俺の前で、二度と、奴の名を、口に出すんじゃねぇ…… 」

 

「申し訳、ありません…… 」

 

 

屈辱に歪むノイトラの口から途切れ途切れに語られた言葉、正しく怨嗟の篭ったそれにテスラはそれ以外の言葉を口に出来なかった。

ノイトラの怒りがひしひしと彼には感じられた、空気が肌を刺す様な感覚、それが全身を覆い尽くす。

 

怒りに歪むノイトラ、拳を握り締め、ギリッと奥歯が割れるのではないかと言うほど噛締めるのは屈辱の味。

これは一体何度目だろうかと、ネリエルもそうだった、決してとどめを刺さないのだ。

十刃に欠けは許されないというそれだけの、たったそれだけのノイトラにとってあまりに些細な理由(・・・・・)で“情け”をかける。

そしてまた今日、今度はアベル・ライネスによって彼はまた戦いの中で死ぬ事叶わず、情けによって生き延びた。

 

 

(どいつもこいつも俺に…… この俺に“情け”なんてクソ以下のものをかけやがる!哀れみ? 慈悲? 塵クズ以下の言葉でテメェを飾り立てやがる!敵は殺して叩き潰す!そうして生きてきたくせに、考える頭を持った瞬間にそれは”獣”だと御託を並べる!そうさ!俺達は(・・・)()()!何処までいっても血を求める本能は消せねぇ!本能に背くのが”戦士”なら、俺は”獣”で充分だ!!!)

 

 

情けなどいらない、情けなどかけない。

強くとも、弱くとも、赤子だろうと老人だろうと、戦場にたったなら情けは侮辱だ。

傷を与えておいて情けをかけるのは、自らが相手に刻んだ傷に慈悲という名の塩を塗りこむのと同じなのだ。

 

 

「ちくしょうが…… ちくしょうが……!ちくしょうが、ちくしょうがちくしょうが、ちくしょうがあああぁぁぁぁぁああああ!!!!ウォアアあアァァァァあアアアァァあああ!!!!」

 

 

慟哭の叫び。

その叫びは暗い砂漠に、遠く静かに木霊した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

平穏

 

小休止

 

偽物の空

 

だがそれも

 

悪くは無い

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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