【完結】使物語~なでこエンジェル~   作:燃月

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なでこエンジェル~その7~

 

 

~016~

 

 やってしまった。やらかしてしまった。

 

 こともあろうに、僕のことを兄のように慕ってくれている中学生の女の子から唇を奪うだなんて………………。

 許されない暴挙、狂気の沙汰である。終わってる。完全に終わってる。

 

 無垢なる少女に不埒な行為をしてしまったという罪悪感に、言い知れぬ背徳感、そして湧き上がる確かな色欲の感情で自己嫌悪になる。

 

 ただこれは僕自身の意思ではなく、忍によって引き起こされた事故ではあるのだけど――そんなのただの言い訳にしかならない。

 そもそも、忍を頼ってしまったが故の、僕の過失とも言えるし。

 『策士策に溺れる』『飼い犬に手をかまれる』そんな言葉が頭の中を過ぎ去る。

 

 なんし、直にでも乙女の唇と密着しているという不道徳極まりない体勢から脱却しようと、千石の肩に置いている手に力を込め、離れようとしたのだけど――どういう訳か身体が動かない。

 

 

 あれ? おかしいな。なんでだよ?

 

 それはあたかも金縛りにあったかのように――、身体が凍り付いてしまったかのように――、或いは…………影で縛られたかのように――、僕の意識が反映されず身動きすることが出来なかった。

 

 

 影で縛る……あながち比喩表現でも何でもなく、真実を言い当てた解ではないだろうか。

 さもありなん。あいつになら――忍野忍になら、これぐらいの芸当容易いはずだ。文句のひとつでも言ってやりたいところではあるが、そんな状態でも、そんな余裕もなかった。

 

 

 だって……今も尚僕は、千石撫子と唇を合わせたままなのだから。否が応にでも唇と唇が重なり合う確かな感触が伝わってくる。

 千石の唇は潤いがあって、とても柔らく…………って、おいっ千石っ!!

 

 僕は声にならない声をあげた。

 吃驚仰天、驚天動地――僕のこの驚きを文字媒体で表すのなら、一ダース分の感嘆符が必要なぐらい。其れほどまでの驚愕。

 

 

 その理由。その原因。

 

 

 僕の唇を押し退けて『何か』が侵入してくる…………いや、その正体はすぐに判別できた。間違いなく、それは…………口付けを交わしている彼女の舌先――千石撫子が舌を入れてきているのだ!

 

 普段の大人しい彼女からは想像もつかない、大胆かつ過激な行為。

 僕への感謝を最大限に示すために無理しているに違いないのだろうが、千石の恩義に報いようという姿勢は、僕の想像を遥かに越えていた。超越していたと言っていい。

 

 唇を割って侵入してきた千石の舌先が、僕の舌の上で蛇のようにうねりを打つ。間断なく蠢き、時に貪るように舌を絡めると、一心に口内を嘗め回す。

 

 戦場ヶ原とのベロチューだってこんなに過激なものじゃなかったのに!

 

 大方、神原師範が伝授した不健全極まりない、余計な知識の一端だと思われるが、それを何の疑いもなく実行する、千石の澄み切った心には不安を覚えずにはいられない。

 

 尚も千石による攻勢は続く。侵攻は緩まない。

 千石は何を思ったのか――いやこれも神原辺りの教えを忠実に実行しているだけなんだろうけど、僕の身体に腕を回してしがみ付き、か細い体躯を寄り添わせてきた!

 

 微かな香る甘い匂いと、人肌の温もりが直に伝わってくる。

 ただでさえ身動きが取れない状況なのに、羽交い絞めされて……もとい、抱きつかれてしまった!

 

 

 僕の心は嵐に見舞われた船のように揺れ動いていた。転覆寸前である。翻弄されるがままに蹂躙されている。

 心臓はばっくばくで、動転しまくりだった。

 

 

 思考が蕩けてしまう…………そして――数十秒にもわたる長き口付けを体験し終えた僕は、放心にも似た有様で、へたれ込むように座席に腰を下ろした(今更ではあるがいつのまにか忍による拘束は解かれていた)。

 

 

 向かい合う僕と千石。

 

 

「撫子のファーストキスは……暦お兄ちゃんだね」

 

 

 仄かに頬を染めた千石が、そっと唇に手を当て、つぶらな瞳を瞬かせ感慨の篭った声で言う。

 

「……そ、そうだよな………そうだったんだよな」

 

 ファーストキス。初めてのキス。

 

 あまりの過激なキスに、もしかしたら千石は疾うにキスなんか体験済みなのではと勘ぐってしまったが、正真正銘のファーストキスだったようだ。

 

「まだまだ暦お兄ちゃんにお返ししきれてないし、暦お兄ちゃんがして欲しいなら……もっと…………する?」

 

 意味ありげに――妖艶で淫靡に微笑する。

 いつもの千石に似つかわしくない大人びた魔性の笑みである。

 

「ダ、ダイジョウブ、大丈夫! もう十二分にお礼は受け取ったから。ほんと大丈夫」

 

 声を裏返らせ、慌てふためきながら千石の申し出を辞退する。

 

 僕は千石の唇を、ファーストキスを奪ってしまった(おかしな事にエナジードレインされた後のような心境の僕だけど)……しかもベロを絡ませてのディープなキス。

 後に事の重大性に気付いて後悔するに違いない。時がたって思い返せば黒歴史確定だろう。

 

 悪い千石。不甲斐無い僕と、過激な口付け方法を伝授した神原の責任だ。

 

 千石の偏ったお礼の概念は、羽川を通じてそれとなく去勢してもらうしかないか……いやしかし、羽川の洞察力は常軌を逸している。

 あまりこの事が露見するのは避けたいからな……どこから情報が漏れるとも限らない。

 戦場ヶ原にバレたとなれば、僕の明日が来なくなる。そこで試合終了だ(寿命的意味合いで)!

 

 ここは責任を持って僕がそれとなく教えてあげるしかないか。

 う~ん……そうする事でより泥沼に嵌っているような――事態が悪化の一途を辿っていような気がしてならないのはどうしてだろう?

 

 

 

 

 

 

 

~017~

 

 強風の為に一時停止していた観覧車が運転を再開し、地上に無事(?)帰還した僕達は、そのままエンジェルランドを後にした。

 

 地元の駅に到着でたのは夜の10時を過ぎた頃。

 行きは時刻表で時間を見計らっていったこともあり、スムーズに到着することが出来たのだが、帰りは電車の乗り継ぎのかみ合わせが悪かったりで、ホームで待たされる時間が多く、なんやかんやでこんな時間になってしまったのだ。

 

 一本電車に乗り遅れることがどういうことなのか、どれほどの時間の損失を招くことになるのか……都会に住む人間には到底実感できない話だろう。

 僕が住んでいる町の田舎具合を露呈することになってしまうが、僕たちの地元を走る電車の数は基本一時間に1、2本とかそんなレベルなのだ。

 

 なんし、僕が予定していたよりも、1時間以上も遅くなってしまった。

 念のため千石には家に連絡をいれてもらい、親御さんに遅くなる旨は伝えているのだけど、なるべく早く家まで送ってやらなければならない……ならないのだが駐輪所に止めてあった自転車を回収すると、雨が降り始めてしまった。

 

 幸いにも千石が折り畳み傘を持ってきてくれていたので、千石の好意に甘えて、二人して一つの傘を共有することにした。俗にいう相合傘。

 当然のことながら、傘をさしながらの二人乗りなんて危険な真似は出来ないので、自転車は押して歩く。

 

 辺りはすっかり暗くなっており、等間隔に設置された街灯の光源を頼りに歩みを進める。

 雨に降られたのは災難だが、遊園地で遊んでる最中に降られなかったのは不幸中の幸いだし、言うほど雨脚も強くない。取り留めのない会話をしながら家路を急ぐ。

 

 

 

 

 

 

 

 駅から千石との家を結んで、丁度半分ぐらいに差し掛かったところで、予期せぬ事態が発生した。

 

「撫子、ちょっと疲れちゃったみたい」

 

 疲労が溜まっていたのだろう千石が貧血を起こしてしまい、立ち往生してしまったのだ。今は僕に体重を預け、安静にしている。

 

「困ったな……」

「少し、横になれば、すぐよくなると思うんだけど」

 

 そう千石は言っているが、夜だし田舎だし目ぼしい休憩場所なんかそんな都合よく見当たるはずもない。

 

 

 …………………………………と言いたい所ではあるが、そう言えば嘘になるので、語り手としての最低限の責務は真っ当することにしよう。

 

 ホテルがある。

 

 幾分錆びれた感じが否めない、壁面には蔦が這うような外装をしたホテル。

 だだ、終電を逃したサラリーマンが、宿泊を要とするようビジネスマン向けのものではなく……愛を育み愛し合うホテルのほうだ。

 

 看板に装飾されたネオンが主張するように煌めいている。閑散とした田舎の町並みからは浮いていること甚だしい。

 

 眩暈などの 蓄積疲労による突発的な身体の変調なのだから、千石が疲れを訴えた場所がホテルの前だというのは偶然だし、因果関係は皆無である。

 

 千石を安静にすることを第一に考えるのなら、ここで休むのが妥当な考えなのだろうか……いやいや無理だって。

 僕、まだ高校生だぞ!? 相手は中学生だし入れるわけないじゃないか! でも、疚しい気持ちがないのであるなら、ここは紳士として休ませてあげるべきなのか? 

 

 

 

 散々に悩みぬいた末に、僕が出した結論は“千石をおぶって帰る”だった。

 いや、これが正常な判断力をもった『お兄ちゃん』としての選択だろう。

 

 駅からの帰り道なので、それほど家まで距離があるわけでもないし、千石の体重なんか軽いものだ。

 自転車は違法駐車になってしまうが、ホテルの壁際において置き、後日回収すれば問題ない(もし誰かに現場を目撃されたら大問題だけど)。

 

 まあ当然ながら僕が、その旨を伝えると、

 

「え? い、いいよ、そんなの、暦お兄ちゃんに悪いし。この歳にもなっておんぶは恥ずかしいよ」

 

 と、僕の申し出を断り「もう治った」と言い張る千石だったが、半ば無理やり僕の意見を押し通した。

 千石にもしもの事があったら、親御さんに顔向けできなくなるし、なにより千石の身体が心配だ。

 それに、この町には高校生にもなって妹に肩車された男がいるのだ。恥ずかしがる事なんてない。

 

 

 実際問題、吸血鬼の後遺症が残っている僕からすれば、千石を背負うことなど造作もないことだった。うん、軽い軽い。

 千石を背負っての帰宅の道中、千石はずっと謝り続けていたけど、そこまで気を病むこともないのにな。

 

 

 

 

 

 最後の最後でヒヤッとしたが、なんとか無事千石を家まで送り届けることが出来た。

 玄関前で振り返った千石はぺこりと頭を下げる。

 

「暦お兄ちゃん、本当に本当にありがとう。今日は楽しかったね」

「おう、そうだな」

 

 楽しかったのは紛れもない事実だけど、今日一日のあれこれを思い出すと、楽しかったの一言で済ませていい問題でもないよな……。

 戦場ヶ原への隠し事が日増しに増えている気がする。

 

「うん。それもこれも、全部暦お兄ちゃんのおかげだよ」

 

 そう言って、眩いばかりの笑顔を見せてくれる千石だった。

 多少後ろめたい気分になってる僕だけど、この笑顔を見れただけ心が晴れ渡るようだ。連れて行ってあげた甲斐があったというものだ。

 

「また、一緒にどこかいけるといいな。まぁ直には無理かもしれないけど、千石の好きな所に連れてってやるぞ」

「ほんとに?」

「ああ。次はどこがいい?」

「ん~。暦お兄ちゃんと一緒なら何処だっていいけど…………だったら、また暦お兄ちゃんの部屋に行きたいな」

 

 相変わらず……なんで僕の部屋に限定するんだろうかこの子は。

 

 でもサンドイッチの作り方を教えてもらう約束もしてるしな。遅かれ早かれ、家に来て貰って教えを請いたいものだ。

 

「ま、平日は受験勉強で少し難しいけど、日曜にならいつでも来いよ。千石ならいつでも大歓迎だからさ」

「うん、またお邪魔させてもらうね」

 

「まぁそれはそれでいいんだけどさ。他には行きたい場所はないのか? 遠慮なんていらないんだぞ。折角なんだから、動物園とか水族館とかさ、もっと娯楽にとんだ場所の方が千石だっていいだろ」

 

 遠慮の塊のような千石は、これぐらい言ってやらないと、自分の中で考えを押し留めちゃうからな。

 そんな僕の押しが功を奏したのかは定かではないが、千石はやっとのことで、自分の考えを提示してくれた。

 

 ただそれは、いち中学生としては風変わりな場所なのだけど。

 

 

「ならチャペル……教会がいいかな」

 

 控えめな声で千石が言う。

 

 また信心深いというか……教会で何をしたいのだろう? 礼拝でもしたいのかな? あと教会でやってるとなると……う~ん、ちっともわかんないや。

 

 でもほんと、欲のない子だよな。僕を気遣ってお金の掛からない場所を選んでくれるなんて。

 

 

 私見ではあるが、千石って清楚だし、慎み深いからシスターの格好とか似合いそうだよなー。試しに修道服を着た千石を思い浮かべてみる――やばい、マッチし過ぎだ! これは懺悔一回につき100円とは言わず1000円は徴収できる!

 

 だけど教会はなぁ……十字架あるし……僕自身は大丈夫だけど、忍とは――吸血鬼とはあまり相性がいい場所とは言えないだろう。

 まぁ忍が寝ている間を見計らえば問題ないか。

 

 

 さて、そろそろ僕も帰らないとな。なんだか一仕事終えたみたいに、どっと疲れが出てきた。今日はぐっすり眠れそうだ。

 

「じゃあ千石またな。傘、悪いな借りてく」

「うん、暦お兄ちゃん、傘は撫子が今度遊びに行った時に取りに行くね。じゃあ、また明日」

 

 

 

 

 とまぁ、こんな感じで。怪異が絡まない平穏な日常の一端、僕と千石の濃密な一日が終わった。

 

 

 


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