【完結】使物語~なでこエンジェル~   作:燃月

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しのぶデビル~その1~

 

 

~012~

 

 作戦の第一段階が完了し、軽い達成感に浸っている僕の頭の中に『何をするんじゃ、我があるじ様!』と、そんな訝しげな声が響く。

 耳から入ってくるのではない、なんとも言えない奇妙な聞こえ方。

 

 忍の口は僕が手で覆っているので、“彼女の口から発せられた声”ではないのだけど、無論この声の主は忍野忍だった。

 

 有り体に言ってしまえば、所謂“テレパシー”みたいなもので、空気を介さず、僕の脳内に直接声を響かせているみたいな、そんな感じ。

 

 これもまた吸血鬼の能力の一端なのだろうが、どういう仕組みかは解らない。

 そもそも吸血鬼の能力は人智の及ぶところではない、説明をつけることなんか到底不可能な、常軌を逸した力なのだから、深く考えない方がいい。

 分析して答が出るようなもんでもなく、そういったモノとして受け入れるしかないのだ。

 

 ちなみに、この能力を使われたのは、これが初めてではない。

 

 

 とある日曜日の事が思い出される――

 

 

 

 その日は毎月一度の忍にミスタードーナツを買ってやる日だったのだが――運悪く台風が直撃、とても外を出歩けるような天候ではなく、ミスドに行くのを断念せざるを得なくなってしまったのである。

 

 当然、忍にも諦めてもらう他なく、その旨を告げ勉強に取り掛かった…………が、忍が納得する訳がなかった。

 

 そこからの忍は、駄々を捏ねる子供そのもので、喧しく喚き叫び、手が付けられなくなってしまった。

 始めのうちは宥めすかしていたのだけど、それも効果はなくて、やがて僕は忍を相手するのも煩わしくなって、耳栓をつけて羽川特製の問題集に専念し始めた。

 

 その結果――お解かりの通り、ここで忍が件の耳栓など意味を成さないテレパシーが発動され、勉強どころではなくなり、暴風雨の中、ミスタードーナツに向かう破目になったのだった。

 

 

 

 なんし、こうして忍が声を掛けてくるのも織り込み済みだったので、僕が驚くことはなかった。寧ろ、願ったり叶ったりである。

 

 これならば、千石に忍の声を聞かれる心配がない。

 僕の声に関しても、極力声を絞っておけば千石には聞こえないだろうし、忍の聴力をもってすれば、どんな小さな声でも聞き逃すことはあるまい。

 こいつも僕の血を昨日摂取したばかりだから、能力が底上げされ、聴覚も研ぎ澄まされているはず。

 

 

 

 当の本人は――まんまと誘き出されたとも知らず、困惑気味に念話を用いて、事態の把握に取り掛かっている。

 

『いや、そんなことよりも、ドーナツは何処じゃ! つい先程、うっすらとドーナツの影が見えたはずなのじゃが』

 

“そんなこと”とは、僕が口を塞いでいることで、“ドーナツの影”ってのは、

 

「あれのことか?」

 

 僕はそう言って、猫の首根っこを掴んで吊るしたような状態の忍の向きを調整し、忍を捕獲する際に手放してベンチシート(当然のことながら、千石が座っている向かい側の方にだ)に投げ出した“天使の輪”を見せてやる。

 

 忍が僕の影に潜んでいる時――影の中から見える景色が如何様なものなのか知る由もないけど、その輪っか状の物体を、寝惚けた頭で視認すれば、ドーナツと見間違えるのも無理はない。

 まあ、僕が確信的に見間違わせたんだけどさ。

 

 しかしながら、疑似餌でもいけるのか。

 これまでにも似通った手段――本物のドーナツで忍をザリガニ釣りの要領で釣り上げることがあったのだが、これからは丸い輪っか状の物を常備しておくとしよう。

 

 

『な、何……じゃと!?』

 

 忍はドーナツだと思い込んでいたモノの正体を目の当たりにし、愕然となっていた。それは、この世の終わりを迎えたかのような絶望の満ちた表情だった。

 

 

「どんだけドーナツに心血注いでんだ! お前のそんな驚愕した顔初めて見たよ!」と、声を大にしてツッコミたかったが、ここは踏みとどまる。

 千石に忍の存在が露見すると作戦が台無しになってしまう。

 

 眠たげな半眼から、ドーナツが偽りだったと分かり驚きで目を見開き、次いで暗澹たる顔付きになっていた忍だったが、そこから次第に目尻が吊り上がっていき鋭い目付きとなる。

 

 

 眼光炯々――凍るように冷たくも、憤怒の炎を宿した瞳で僕を睨みつける。

 幼き容貌が災いして、今一迫力に欠けるが、その表情からは、確かな怒りの感情が読み取れた。

 

『忍の一字は衆妙の門と言うが……いくら我があるじ様でも、こればかりは堪忍ならん。お前様よ! この世にはついていい嘘と、悪い嘘がある事をご承知かっ!?』

 

 切歯扼腕――憤懣やる方ないといった風に、忍が僕を責め立てる。

 お~怒ってる怒ってる。

 声を荒げての非難、抗議は尚も続き、その勢いは烈火の如く燃え上がる!

 

『お前様に今の儂の無念がお解かりかっ!? 儂の胸の痛みがお解かりかっ!? この身が引き裂かれ、太陽に晒され灰になるようなこの痛みが、お前様にお解かりかっ!? 然様な背徳行為を受けたのも、これほど悲嘆に暮れるのも生涯初の経験じゃ!』

 

 

 生涯初の経験って、忍の人生が薄っぺらいものに思えてくるな…………。

 忍の明かされていない歴史の中に―――生きてきた、あるいは死に続けてきた五百年もの長きに渡る軌跡の中には、もっと壮絶なエピソード、哀調を帯びた物語があるだろうに。

 

 別に陰惨な過去、或いは哀切な過去を望んでいるわけじゃないけどさ、シリアス展開の扱いが難しくなるぞ―――それは、ドーナツ一つにも劣る物語になってしまう。

 

『く……ぅうう……血涙を流す思いじゃ………どんな言い逃れをしたところで聞く耳持たぬぞ! 無視じゃ! お前様のことなんか徹底的に無視じゃ!』

 

 怒りを通り越して、なんだか涙声になっていた。

 

 いや、ほんとに泣いてる!? 泣いてるのか忍!

 目尻には雫が溜まり始めており、あとほんの少しで流れ落ちてしまいそうだった。

 忍が泣いてる姿を見るのは初めてじゃないけど(あの時は文字通り血涙を流してたな)、幼女の姿で泣いているのを見るのは初めてだった。

 

 さすがに罪悪感に苛まれてきた……。

 

 傍から見れば――8歳前後の可愛らしい幼女を、騙して泣かしている、大人気ない男子高校生の図。

 うわぁ……あああぁ! 何だ、この良心の呵責は!

 

 いや、いや、いや! こっちこそ騙されるな!

 こう見えてもこいつの本来の姿は、500歳を越える大年増なんだぜ…………。

 

 駄目だ……どう足掻いても、どう言い繕ってみても、完全に僕が最低下劣の唾棄すべき下種野郎って烙印は消し去れないんだろうな……。

 

 取り敢えず、疑似餌作戦は今回限りにしておこう……うん、悪いの完全に僕だしな。

 

 

 

 

 無理やり閑話休題。

 

 

 

 

 気を取り直して――食べ物の恨みは恐ろしいというし、僕としても、忍とは友好な関係を築いていきたいのだ。

 

 こいつもこいつで大人気ないというか、変に強情というか、この姿になってからの数ヶ月間、本当に僕と口を利いてくれなかったからなあ…………。

 折角喋ってくれるようになったのに、こんなつまらない事であの時に逆戻りなんて堪ったものじゃない。

 

 ただ、元怪異の王が取る報復が、こんな子供染みた真似だなんて、やるせなくなる……。

 

 何にしても、聞く耳を持って貰わなければ困る。

 

「おい、忍。悪かったよ」

 

 反応なし。黙りを決め込む金髪金眼の元吸血鬼。

 僕に首根っこを掴まれ、宙ぶらりん状態の忍は、僕から視線を外して、明後日の方向を向いてしまう。

 手を捻って向きを変えても結果は同じ。

 忍は首だけを起用に動かして――まるで強力な磁石で繋ぎとめられているかの如く、その向きから焦点を微動だにさせない。

 

 それは僕の顔も見たくないと言う怒りの意思表示であって、決して泣き顔を見せたくないってそんな理由じゃないよな?

 

 どうにか僕の方を向かせようと、口元を塞いでいる方の手で忍の顔を動かそうとするも、びくともしなかった。

 

 

 とまぁ、本来なら途方に暮れるところではあるけれど、ドーナツが元で仲違いしたのなら――

 

「ミスドに連れてく。だから僕の話を訊いてくれないか」

『なんじゃ? 傑物たる我があるじ様よ』

 

 ――その解決もそれに任せてしまえばいいのは単純明快にして一目瞭然。

 

 効果は抜群、忍に聞く耳を持って貰った。

 

 その顔には涙の跡など見当たらず(うん、忍が泣くわけないじゃないか)、満足そうな至福顔があるだけだ。

 

 

 簡潔に、迅速に、事も無げに――僕と忍は和解した。

 

 

 

 

 

~013~

 

「正確には、僕の頼みを訊いてくれないかって事なんだけど」

『ふっ……愚問じゃな。我があるじ様の命令とあらば、儂はただ従うのみじゃ』

 

 忍が僕の言葉に耳を傾けてくれる。

 命令という表現を用いるのは僕的には好ましくないが、これは――忍が自身の対面を気にした故の言葉のセレクト、僕の遠慮を取っ払うために用いた言葉なのだから、ここは好意を素直に受け取って流しておく。

 

 僕は、忍に命令する立場になんてなるつもりはないし――できるのは、ただ情けなく懇願することだけだ。

 

「まずは、このまま声を出さず、このテレパシーみたいな状態を維持してくれると助かる」

『うむ』

 

 この体勢――幼女の首根っこを引っ掴み、余ったもう片方の手で、口元を押さえ付ける、非人道的な体勢をこれ以上続けるのも絵面が悪いと思っていたので、忍が了承したのを確認し解放してやる。

 

 千石が座るのとは反対の、対面の座席に忍を下ろし、猿轡的な役割を担っていた左手も取っ払う。

 

『ほれ、なんでも言ってみるがよい。ドーナツのため…………こほん、我があるじ様からの主命とあらば、無碍には出来ぬ』

 

 念話状態を維持させた忍が、ベンチシートの上で仁王立ちし無い胸をはって――傲岸不遜な態度でそんな事を言う。

 

 なんて扱いやすい……もとい、なんて頼りになる相棒だろうか!

 

 

 

「ありがとう、忍」

 

僕の感謝の言葉に、『主人に使役されることは、使い魔(サーヴァント)として避けられぬ使命じゃからな。甚だ不本意ではあるがの。あーなんとも不憫な余生よのぉ』と、言い訳がましくとって付けたように―――愚痴っぽく言葉を漏らす忍だった。

 

 

 使役される、使命…………か。

 

 

 僕の元主人でありながら、現在は僕を主君に据える……据えることしかできない彼女――阿良々木暦の眷属に成り下がり、僕の影に封印されてしまった伝説と謳われた吸血鬼。

 

 明確な主従の立場は紆余曲折あって明瞭としないのだけど――彼女自身は現時点に置いて、僕の事を主として見定めているようである。

 

 しかし、『サーヴァント』って言い方だと、どこぞの英霊のように格好よく思えてくるよな。言葉の選択があざとい奴だ。

 僕の事は『従僕』って呼んでたくせに!

 

 『サーヴァント』ってのは、英語で『召使い』を意味する言葉で、言い換えてしまえば、忍の場合『下女』になっちまうんだぜ、これ。

 物は言いようである。

 

 つっても、満更誇張でもないところが何ともまた…………全盛期の力を発揮できれば、十分対等に渡り合えるのではなかろうか。

 宝具は『心渡』で…………って、妄想が止まらなくなっちまう。今度ゆっくり考察してみるとしよう。

 

 まぁ主人(マスター)がこれではお話にならないし、そもそもあんな物騒な戦争に巻き込まれたくない。

 

 

 

『何やら酷く動揺されていたのは、影を通じてよく解っておる。はぁ眠りに集中するのに随分と苦労させられた。もっと平静を保てるように日々精進するがよい。まぁお前様には土台無理な注文か。して、察するにかなりの強敵と見受けるぞ。お前様の心情を言い表すのならば、獰猛な――人を丸呑みできる程の大蛇と対峙しておるかのような心の乱れ具合じゃったからな。並大抵の相手ではあるまい。如何なる相手であろうが、喜んでこの手を……この牙を血に染めようぞ。血湧き肉躍るのう』

 

 そう一方的に勝手な事を捲くし立てた忍は、鋭く伸びた八重歯を――

 吸血鬼でなくなったとしても、確かな怪異としての証を――

 人間との相違を――

 吸血鬼としての名残である牙を――

 

 僕に見せつけるようにして『かかっ』と高慢な態度で哄笑する。

 

「全然解ってねぇじゃねえか。物騒なこと言ってんじゃねえよ」

『むむ、違ったか?』

 

 確かに忍へ頼み事をする時は、往々にしてバトル関連のことが多かった気がするが、今回はそんな展開になるわけない。

 まぁついさっきまでお眠だったのだから、状況を見極められなくても、仕様がないだろうけどさ。

 

 ただ……僕が危機に瀕していると思っていながら、睡眠を優先したのは如何なものか…………めちゃくちゃ薄情な奴だな、おい。

 結果的にみれば忍の勘違いなのだから、変に話が拗れずに済んでよかったと思うべきなのだが。

 

 にしても、忍にはそんな風に伝わってたのか?

 気持ちのような不確定なもんだからな、ちゃんと伝わらなくても仕方ないことだけど……千石を強敵って……大蛇って…………。

 

 僕がそんなこと思うわけ……思うわけ……ま、そんなことよりも、忍の協力を得られれば、百人力……いや百鬼力だ!

 


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