【完結】使物語~なでこエンジェル~   作:燃月

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なでこエンジェル~その6~

 

~010~

 

 上空120メートルの狭いゴンドラの中。風で揺れているから静止とは言えないけど――時計で言うと丁度12時の位置で、今はその動きを止めている。

 

 退路は何処にも存在しなかった。

 そもそも千石から逃れようとする思考に行き着いているのは何故なのだろう……だって千石だぜ。無害を体現したような、それこそ僕なんかよりもよっぽど人畜無害な人物のはずだ。

 

 真横に座る千石をチラリと盗み見ると――千石はじーっと僕のことを凝視していた。僕が口を開くのを今か今かと待ち構えているといった感じ。

 

 考え込む僕。さて…………これは、どうしたものだろうか?

 

 僕へのお礼と言ってくれているが、簡単な要望では納得してくれそうにないし、この観覧車の中で出来ることに限られている。しかも……神原や月火の影響(羽川も微妙に)――無論、悪影響で、千石はお礼というものを思いっきり心得違いしてしまって、提案する内容が不健全極まりないものになっているのが如何ともしがたい。

 

 

 どうすれば最小限の被害……いやいや、真っ当な内容で済ませられるだろうかと考えを巡らせ、思考の海に――この場合泥沼といった方が適切かもしれない――埋没していると、千石が何やらウエストポーチをごそごそと漁り始めるのだった。

 そして、千石は――お気に入りの小さなポーチの中から、筒状の物体を取り出し「どうぞ」と言ってそれを差し出してきた。手渡されるまま受け取る僕。

 

「?」

 

 疑問符を浮かべながら、促されるまま怪訝に筒の蓋を外すと、中には携帯用の歯ブラシが入っていた…………。

 

「これもララちゃんから聞いたんだけど、暦お兄ちゃんは人の歯を磨いてあげるのが好きだって。やっぱり暦お兄ちゃんって家庭的だね」

 

 

 重ね重ねあのたれパンダ! プライバシーの保護なんて何処にもあったもんじゃない!

 あいつ、『家政婦は見た』ばりに妙な場面に出くわすからな……火憐との歯磨きの時然り、忍とのお風呂然り。八九寺との蜜月だけは絶対目撃されぬよう注意しなくてはと固く心に誓う。

 明るみになれば、ファイヤーシスターズ(主に火憐)にギッタンギッタンにされるからな…………くわばらくわばら。

 

 

 なんし千石の視点では、それは羞恥心――快楽に耐えるプレイではなく、お母さんが赤ちゃんの歯を磨いてあげているような微笑ましい光景として映っているのが救いではあるが……あれ? 

 

 でもこの流れで、この提案ってことはこの歯磨きプレイの真髄を見極めてるのか? いやいや、そんな訳あるまい。千石は、僕が喜びそうな案を列挙しているだけに過ぎないのだ。

 列挙されている内容はどれもこれも破滅的(僕の人生を狂わす的意味合いで)なものだけど、それは人から又聞きした内容を千石が『選別差別』することなく口にしただけなんだから、彼女の意思は関与していない。

 

 う~む……純真無垢、穢れを知らない千石は、周りの情報に流され、変に偏った考え方になってしまっている。

 色に例えるなら、混じり気ない汚れなき『白』の千石は――下着は真っ白でも、腹の中は真っ黒くろすけな、我が強くどす黒い月火に、簡単に染められてしまうのである。

 言うまでもなく僕の後輩、神原にも染められている――奴の頭の中は桃色18禁だ!

 

 

「……あのな……千石、観覧車の中で歯磨きは、おかしいだろ……な」

 

 説き伏せるような口調で僕が言う。

 自室のベッドの上での歯磨きも、十分おかしい部類だと重々承知しているので、その件に関しては何も言わないでほしい。

 

「……うん、そうだね」

 

 千石が残念そうにではあるが、一応の理解を示してくれた。ふう……危なかった……どうやら危局は回避できたようだ。

 

「だったらこれは、今度暦お兄ちゃんの家に遊びに行った時の為にとっておくことにするよ。時間が余ったらサンドイッチ作りに挑戦だね!」

 

 回避出来てねえ! 問題が先延ばしになっただけじゃん!

 てか優先順位間違ってませんか千石さん。メインはサンドイッチ作りのはずだろ!?

 切実に千石の記憶から消え去ってくれる事を祈る。でも千石って記憶力がすげぇいいもんなあ……期待は望み薄か……。

 

 

 

 次いで千石が、悩み苦しむ僕の代わりに、代案を提示してくれた。

 

「撫子……こ、暦お兄ちゃんになら、何されてもいいよ……例えば……撫子に……キ、キス、してもいいんだよ」

 

 しどろもどろつっかえながら、千石がそんな事を口にする。幾らなんでも大胆と言うか、僕に気を許しすぎだろ!

 

 これはきっと世に言う『吊り橋効果』が発生しているのではなかろうか。

 

 幾ら千石が怖がっていなさそうに見えたところで、その内心まで読み取る事は不可能だし、本人だって高いところが怖いといっていたじゃないか。

 それに、安全確保の為とはいえ、閉じ込められているのと変わらない状況だし、吊り橋が揺れるように、このゴンドラも揺れている。

 その所為で、一時的な興奮・極限状態に陥って、気が動転してしまい、本来在り得ない台詞をを口にするのも致し方ないことだろう。

 

 断じて、吊り橋で―――高い所に上ったら、誰彼かまわず人を突き落としたくなる心理現象のことじゃないので悪しからず。

 

 

「千石、わかった、わかったから」

 

 このまま千石の案を訊いていたら、なんだかどんどんとエスカレートしていってしまいそうだ。やむを得ず千石の口上を遮る。

 

「“わかった”ってことは、キスでいいってことだね」

 

 …………………日本語ってムズカシイ。

 

 早急に誤解を解かなくてはと思ったものの、他に代案があるわけでもない――何としても当たり障りのない、健全なお礼内容にしたいのは山々だったが、傾向からみるにそっち系の要望でなければ了承を得られそうにないのもまた事実。

 

「うん……それでいこう」

 

 意思疎通の失敗、言葉のやり取りの齟齬が招いた成り行きによるものだったが――僕は千石の案に頷いた。

 というのも、こののっぴきならぬ状況を打破する『尾張幕府家鳴将軍家直轄預奉所軍所総監督の奇策士』もかくやという奇策が思い浮かんだからだ。

 

 熟考を重ねることなく思いついた、急場凌ぎの作戦なので、うまくいくかは神のみぞ知るといったところなのだけど、動き出さなければ何も始まらない。

 ってそんな作戦を、奇策と称するのは奇策士に失礼甚だしいか……と、いうことでこれはただの苦肉の策――窮余の一策である。

 

 ただ、やれることだけはやっておかないと、無残に喰われてしまうのが関の山だからな…………んん?

 喰われるって、何を捕食さる小動物のような事を言っているのだろうか。僕も気が動転して思考が支離滅裂だな。

 

 

 唯一の気がかりである、僕の声が聞こえないという現象も、千石から提案したものだから大丈夫なはず。

 

「ほ、ほんとにっ!?」

 

 当の千石は、僕の言葉を聞いて両手で口元を覆って目を大きく見開き、信じられないといった風に、吃驚していた。

 やはり相当無理をしていたんだな。このキスの一案も、きっと誰かに入れ知恵されたものだったのだろう。

 

「千石。やっぱりお礼なんていいからさ――」

「駄目! もう受理されちゃったから、暦お兄ちゃんは撫子にキスする以外ないんだよ!!」

 

 受理されちゃったのか…………千石の雰囲気からみるに取り消しは出来そうにない…………よな………。

 

 

 

 

 

 

~011~

 

「暦お兄ちゃん。ど、どうぞ」

 

 千石が僕の方に向いて、首を上に反らす。

 心持ち、唇を突き出すような感じで、完全にキスを受け入れる体勢に入ってしまった。けれども、まだ僕の“準備”は整っていないのでそれは困る。

 

「その前に千石――その天使の輪っかを僕に貸してくれないか?」

「ん? これ?」

 

 千石が自身の頭上を指差しながら、僕に確認してくる。

 

「そう、それ」

「いいけど、暦お兄ちゃん。これ、どうするの?」

 

 不思議そうに首を傾げながらも、輪っかを頭から外して渡してくれる。

 カチューシャの用途も含めて使用していたので、天使の光輪を取った事によって、前髪が垂れ下がり目元が隠れ、いつもの感じに戻ってしまった(髪型は三つ編みなのでうける印象はまた違うけど)。

 

 

「ま、気にしないでくれ。で、千石。悪いんだけどさ…………目を瞑ってくれないか?」

 

 千石の問いかけははぐらかしておいて、僕はキスをする前の常套句を口にする。

 この構図は――ついさっきと同じ。いや、決して千石は僕にキスしようとしたわけじゃないけどさ、全ては過去だ!

 当然、千石と同じように、この輪っかを頭に乗っけて、天使を気取ろうなんて事でもない。

 

 まあ、今回は計らずとも、そういう意味合いでの言葉になっているけど……。

 

 

 前髪で目元が隠れていて判断し難いけど――僕の言葉に千石が大きく頷いて、ゆっくりと瞳を閉じる。いや……閉じたかに見えた。

 

 常人には“ちゃんと”目を瞑っているように見えるだろう。けれども、僕の視力はそれを見逃さなかった。なんたって、昨日、忍に血を分け与えたばかりだからな。

 

「…………千石、薄く目を開けるのをやめなさい」

 

 閉じているように見せ掛けているだけだった。

 

 そりゃ、不安に思う気持ちも解るけど、そこはちゃんと目を瞑ってもらわなければ、僕の作戦が台無しである。

 

「ご、ごご、ごめんなさい!」

 

 看破されるとは思ってもいなかったようで、慌てたふためいて謝罪する千石。

 

 そして……今度こそ、しっかりと目蓋を下ろしたのを確認する。

 アニメ的表現をするのなら“><”みたいに力一杯目を瞑っていた(参考までに――恋愛サーキュレーションで千石が『そう、そんなんじゃヤ~ダ』と歌っているシーンのようにだ!)。

 

 

「千石。そのまま少しの間じっとしててくれ」

「うん……わかった」

 

 僕はそう言って席を立ち、千石に“背を向ける”かたちで直立した。

 依然、ゴンドラはぐらついている。転ばないようにバランスを保たなければ体勢を崩して転んで仕舞いそうだったので、その点は注意しておく。

 

 

 千石に感付かれないように細心の注意を払いながら、受け取った天使の光輪を股の下に掲げる。いや『股の下に掲げる』という表現は間違っているので言い直そう。

 正鵠を射た表現、僕の行動を正確に言い表すのならば、僕の足元にできた影――夕焼けの赤い日照、ゴンドラに付けられた電灯によって生じた、“僕の影”の真上に丸い天使の輪を掲げているのである。

 

 そして僕は――

 

「お。こんな所にドーナツが」

 

 千石には聞こえないように蚊が鳴くような小さな声で呟く。千石には聞こえなくても、“奴”になら聞こえるはずだ。

 

 僕の思惑通り――足元にできた影の中から、金髪金眼の外観年齢八歳ぐらいの幼女が姿を現した。とは言っても生首よろしく頭部しか姿を現していないので、なかなかにホラーな光景である。

 

 光ある所に影があり、影あるところに忍あり。

 

 

 もう今さら説明するまでもないだろうが、紹介しておこう。

 

 忍野忍。

 

 吸血鬼としての名を失い、今ではその名――『忍野忍』という名前で“縛られ”ている。

 元は怪異の中の怪異、怪異の王、怪異の頂点に君臨する者。不遜な態度に貴族としての風格、気高き誇りと自尊心、矜持を胸に宿し、絶対者としての貫禄を有する最強の吸血鬼…………だった吸血鬼の成れの果てにして、美しき鬼の搾りかす。

 

 なんて文句は、残念ながらもう適切とは言えないよな……というわけで、こっからが忍野忍の本当の紹介としよう!

 

 俗世の影響をもろにうけ、春休みにみせたカリスマ性を微塵も感じさせなくなった堕落した元吸血鬼。やけに古風な口調をしたドーナツ大好きな、幼き風貌のマスコットキャラクターである。

 

 

 少なからずその人格形成――原因の一端を担っている身としては、複雑な心境だ。

 

 

 容姿はまさに絶世の金髪美少女で、肌は透けるように白い。

 また、その白さと同等のシルクで出来た艶やかな白のワンピースを着用しており(忍が物質創造能力作ったから材質については定かでないけど)、丁度僕がかざした天使の光輪が頭上にあることもあって、絵に描かれた天使が現実に舞い降りたかのようである。

 

 千石も天使のように可愛らしかったが、世にある天使のイメージに近いのは断然こっちだった。その実、大別すれば、間違いなく悪魔に分類される吸血鬼もどきなのだけど。

 

 忍は――まだ時間帯的に、起きるには早かったらしく、実に眠たげな半眼だった。影から頭だけを出して、寝惚け眼で“何か”を探している。

 

 僕は、首を左右に動かしキョロキョロ視線をさ迷わせている忍の首根っこを掴み取り、大根を引っこ抜くみたいな要領で、地中ならぬ、影の中から引き摺りだし、すかさず、忍の口を手で塞ぎ、声を発せれないようにする。

 

 我ながら惚れ惚れするような手馴れた手際だった(某小学生との交流で培った、スキルだ!)

 

 

 そんな訳で――忍野忍、ゲットだぜ~!

 


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