~007~
昼ごはんも食べ終わり、お腹も満たされた僕達は、再度遊園地を回り始めた。
数時間ごとに定期開催される、巨大なセットの中で行われる、アクション満載の冒険ショーを観覧したり、まだ乗っていなかった、違う種類のジェットコースターに挑戦したり、他にもコーヒーカップやメリーゴーランド、ゲームコーナーにて記念のプリクラ撮影などなど、他にも盛り沢山、フリーパスの利点を活かして、十二分に遊園地を満喫したのだった。
そう言えば、園内の移動中は、手を繋いでいるのが常となっていた。『迷宮ダンジョン』だけの一時的な処置だと思っていたのだけど、迷路をクリアした後も、千石は一向に手を離さなかったのだ。
しかも、繋ぎ方は俗に言う『恋人つなぎ』。合わせた手を指一本分ずつずらして指を絡めるアレ。
最初のうちは、軽く手を繋いでいるだけだったのだが、何度か手を繋ぎ直している内に、いつの間にかこの繋ぎ方になっていたのである。
千石は内気で人見知りの激しい子だから、不特定多数の人がひしめき合う遊園地を、単身で歩くのは怖かったのだろう。もしくは、念には念を入れて、迷子にならない為の対策をしているだけかもしれない。
そして時間は流れて、現時刻は午後4時を過ぎたところ。
僕たちは服を乾かすのと休憩も兼ね、フードコーナーにてソフトクリームでも買って、ひと息つこうとしていた。
ちなみに、なぜ服を乾かす必要があるのかと言うと、つい先程、急流すべりに乗ってきたからだ。
一応カッパの貸し出しもあったので千石に勧めてみたのだけど、『暦お兄ちゃん駄目だよ。郷に入っては郷に従えっていうんだから』と窘められてしまった。
当然その結果、急降下に伴う水飛沫を防ぐ手段もなく、服が濡れてしまったという訳である。
とは言え、それが急流すべりにおける醍醐味なのだから、不快感などはなく、寧ろ清々しい気分だった。
まあそれは僕個人の感想で、千石は服が濡れてしまった事により、ブラが透けて見えていると大慌てだったけど。その時の慌てふためく千石の一場面を抜粋してみよう。
『ああ! 撫子の服が濡れて透けちゃってるよ』
『はわわわわ、ブラまで見えちゃって恥ずかしいよう、暦お兄ちゃん』
とまあこんな感じで、狼狽していたのだが、妙にオーバーリアクション(アメリカの通販番組みたいな口調だった)というか、僕に濡れた服をアピールするように言うのだった。
それはまるで、僕に見せたいがために、わざわざ濡れるように仕向けたような…………いやいや、急流すべりで濡れてしまうのは当たり前のことだし、千石が、身体を捻って自分から濡れにいったように見えたのも、きっと目の錯覚だ。
話を戻して――僕と千石は、お目当てのソフトクリームの味が記されたメニュー表を見据え、商品を選んでいた。
「千石、決まったか?」
「ん~と……撫子はチョコがいいかな」
僕が食べたい味を尋ねると、少し逡巡してから、千石はそう答えた。
「千石はチョコが好きなのか、やっぱ女の子って感じだな」
「うん。ついつい家でもあったら食べちゃう。一番、チョコが好き」
ほんと女の子ってチョコレートが好きだよな。僕の母親も大好きで、冷蔵庫の中には常にチョコレートが入っている。
ファイヤーシスターズの二人も例に漏れず、チョコに目がないようだが、ダイエットの宿敵だからとなるべく視界に入れないようにしてるらしい。
だけど、何だかんだと理由をつけて食している現場を僕は目撃している。つうか、火憐の運動量を鑑みれば、ダイエットする必要なんかないだろうに。
月火は…………うん、まあ頑張れ! お兄ちゃんは応援しているぞ!
と、有らぬ誤解を誘発させる印象操作を行っておいてなんだけど、別に太っている訳じゃないよ。なんかプニプニしてるだけ。触り心地はなんかテンピュールみたい。
「じゃ、僕もチョコにしようかな。すいません。チョコふた――」
「ちょっと待って暦お兄ちゃん!」
営業スマイルで待ち構える店員(心の中ではさっさと頼めよと思っているに違いない。僕の被害妄想だろうけど)に注文しようとしたら、千石に遮られてしまった。
「どうした千石?」
「ご、ごめんなさい。撫子、やっぱりバニラがいいな」
「………………じゃあ、バニラとチョコお願いします」
一番好きなのにしたらいいのにと胸中で思いながらも、手早く注文を済ませる。
いつもの事ではあるが、直前になって注文を変更したぐらいで謝らなくてもいいだろうに、堅苦しい奴である。しかし、そういう丁寧で慎み深いところが、千石の美点でもあるのだから、これでいいのだろう。
そんなこんなで、店員からソフトクリームをそれぞれ受け取り、うまい具合に空いていた近くのベンチに腰掛ける。
三人掛けのベンチでスペースにゆとりもあるのだけど、千石は僕の横にぴったりと詰めて座った。隙間なく互いの腕同士が触れ合ってる――密着である。
もしかしたら千石は、三人掛けのベンチを二人だけで占領するのはよくないと思ったのかもしれない。詰めて座れば、もう一組ぐらい座れそうだし。千石はこういった心遣いの出来る優しい子なのだ。
まあしかし、幾ら混雑気味の遊園地で、空席を探している人がいたとしても、相席を要求してくる輩がいるとは思えないけど。
「暦お兄ちゃん、いただきます」
隣に座った千石が、行儀よく、食事の前のお決まりの口上を述べる。
『暦お兄ちゃん』と名前を呼んでから言ったのは、奢って貰ったことへの感謝を示しただけであって、僕を食べたいとかカニバリズム的な意味合いではない。
早速、二人寄り添ってソフトクリームを食べ始める。
「美味しいな」
食べ慣れた味だけど、やはり美味だった。やはりスーパーなんかで買う普通のアイスよりも断然、口溶けや舌触りがいいし、チョコの甘さが上品だ。少し僕には甘すぎるきらいはあるけど。
「うん、冷たくて美味しいね。あ、撫子、チョコが好きなんだ、ちょっと、かえっこしちゃ駄目かな?」
「いや……え? ぜんぜんかまわないけど……」
千石の申し出に疑問を覚えつつも、了承する。
そりゃ一番好きって言ってたもんな……ならなんで、わざわざバニラ味に変更したのだろう……。
偶には違う味が食べたくなって、別のを頼んでみたものの、やっぱり食べてみたらいつもの味がよかった、みたいなとこかな。
しかし、これぐらいの歳の女の子って間接キスとか、人が口につけたものに拒否反応を示したりするものだけど、やっぱり千石はそんな細かいこと気にしないんだな。
ああ、そう言えば、以前千石の家にお邪魔した時に、一つのコップで回し飲みしたっけ。
僕と千石は兄妹みたいなものだから気にしない的な事を、千石自身が言ってくれていたじゃないか。
ここまで、信頼を寄せて貰えて、僕としても嬉しい限りだ。
「じゃ、じゃあ……まずは撫子のから。はい、あ~ん」
「………………」
ちょ、ちょっと待て! いやいやいやいやいやいや、コーンを手で持てるタイプのヤツだから、普通に交換すればいいんじゃないのか!?
なんで、こんなイベントが発生しているんだ!?
「ど、どうしたのかな?」
困惑する僕を見かねて、千石が問いかけてくる。
って仕掛けた張本人が、恥ずかしさの所為か顔が真っ赤だった。慣れないことしてんじゃねえよ。
「せ、千石。別に自分で食べれるからさ。普通に渡してくれれば大丈夫だぜ」
「ううん。こんな事、暦お兄ちゃんの手を煩わせることもないよ」
かなり説明し難いのだが、たった今の千石の発言のニュアンスはこんな感じ――ボス(大敵)に仕える幹部が、格下に位置付けられた主人公を倒しに行く時に使用する『この程度の相手、○○様のお手を煩わせる必要などございません』的な。
○○には、『フリーザ』と固有名詞を入れて、この台詞を言ってるのが『ドドリアさん』や『ザーボンさん』なんかだと思えば、イメージし易いかもしれない。
然るに、そんな口調で言われても挨拶に困る。
だが、これでいて千石も頑固な一面もあるからな。世界初と思われる消去法主義者でもあるし、千石の意思は揺るがなさそうだ。これはもう千石の中で決定事項なのだろう。
千石から受ける視線から、拒否を許さない圧力を感じる気がするし(気がするだけだ)。ならばこちらから折れるしかない。
このイベント事態は、既に彼女と――戦場ヶ原ひたぎと体験済みではあるが、あの時は、トキメキやドキドキ感は皆無で寧ろ、恐怖心すら抱いたからな。あの戦場ヶ原の無表情は実に怖かった。軽いトラウマである。
それと違って千石は、僕の夢見た『照れくさそうなはにかみ顔』に限りなく近い、恥じ入った赤ら顔だ。
だからと言って、僕と千石は兄妹みたいなものだから、変に意識する必要などないのだけど。ってあれ。そもそも兄妹でこんなイベントが発生するものなのか?
仮にもし、火憐ちゃんや月火ちゃんに、こんなことされたらどうだろう……?
…………………(想像中)。
うわ、気持ち悪っ! 間違いなく一喝の元断固拒否するな。差し出された手を叩き落とすね、絶対。だって多少仲良くなったとは言え、僕達兄妹は超仲悪いもん。
まあその点、千石は妹とは言っても『妹的存在』なのだから、嫌悪感もなく、ただ純粋に可愛いだけだし、断る要素など見当たらない。
「……まあ、そこまで言うのなら……あ、あ~ん」
戸惑いがちに口を開けると、口元にバニラソフトを近づけて食べさせてくれる。バニラの風味とクリームの冷たさが口の中で広がって、すぐに溶けきってしまう。チョコよりも甘さ控えめで、僕的にはこちが好みだ。
味の評価は兎も角として……中学生の女の子に、ソフトクリームを食べさせて貰っている図(しかも彼女自身の食べかけ)ってのは、果たして倫理的にありなのだろうか……。
しかし……なんと言うかまあ、これって、思った以上にすっげ~ドキドキするんだな。
この相手が千石じゃなくて八九寺だったら、間違いなく襲いかかってると断言できる。まぁ八九寺の場合は無条件で強襲するんだけどね。
でも千石に対しては、僕は誠実なお兄ちゃんで在らねばならないというか、八九寺と同じ風に接したら間違いなくドン引きされる。
暦お兄ちゃんが拘留所に収容されてしまう。
八九寺に関しては、法律適応外ということで、人権は認められていないから問題ない(けど問題発言だ)!
僕は見境なく襲うケダモノではなく、理性を有した分別のある人間だから、していいこと、しちゃいけない事の判断はちゃんとついている――人間誰しも、相手と状況に応じて違うペルソナを使い分けるもの。
「こ、暦お兄ちゃん。美味しい?」
赤面した千石が尋ねてくる。
更に赤みが増して、ゆで蛸みたいだ。しかし、僕の顔も千石と似たようなものかもしれない。なんかアイス食べてるのに、身体の中あっついもん。
「お、おう。バニラも美味しいな」
「つ、次は撫子の番、だね」
当然のことながら流れ的に、僕もすることになるのか……。
本来のイベント的には、作ってきたお弁当なんかを女の子の方から一方的に食べさせて貰えるだけのイベントなのだけど、今回はかえっこだもんな……。どうするよこれ。なんだ、このシチュエーションは! ちょっとこれはまずくないか?
火憐ちゃんとの“歯の磨き合いっこ”ぐらいに……ヤバイものを感じる。何がヤバイのかは見当もつかないけど、それだけはわかる。
しかし、わかっているだけで、歯止めが掛かったという意味ではない。だって僕の頭の中は、止められない止められない、かっぱえびせん状態だし!
うわ。もう思考回路がショートして、なんだか意味不明で支離滅裂で解釈不能。死なば諸共、後は野となれ山となれ。
「よし。……じゃあいくぞ、ほら、あ~ん」
「あ~ん」
僕の差し出したチョコソフトを、潤いのある小さな唇が受け止める。舌先を小刻みに動かしてアイス舐める姿は、まるで仔犬が水を飲むようで愛らしい。
しかも、僕と千石の距離は先程も述べた通り、ほぼ密着状態。まつ毛の本数だって数えれてしまいそうな至近距離で、千石の顔が必要以上によく見える。きめ細かい瑞々しい肌にはシミ一つない。
千石の可愛らしさは、周知の事実ではあるが、その可愛さが三割増し……いや五割増しだ!
僕自身の手で食べさせてあげているという状況が引き起こす、類を見ない羞恥心との相乗効果と相俟って、もういとおしくて堪らない! 気持ちが高ぶるのも致し方ないというものだろう。お持ち帰りしてえ!
「ど……どうだ、千石。美味しいか?」
うわ、変に緊張しちゃって、どもっちゃったよ。千石は僕にとって『妹的存在』の大切な女の子なのに、僕は一体何を意識しているのだろうか。
これでは『お兄ちゃん』失格である。いや人間失格かもしれない。もうあれだ……『生まれて、すいません』とか言ってみたり。
僕は笑えなかった。
「うん。美味しい……やっぱり撫子、チョコの方が好きかな」
「じゃあ、このまま、全部かえっこしちまうか? チョコは少し甘すぎるから、僕もバニラのほうがいいし」
「いいの? じゃあそうして貰おうかな」
二人の思惑が一致したので、僕は自分の持つチョコソフトを千石に差し出し、千石からも同様に受け取ろうとしたのだが、千石は微動だにしなかった。
動きのない千石を怪訝に思っていると、視線だけを動かして僕を見つめる。
「な、撫子が食べさせてあげるよ。だ、だから、暦お兄ちゃんも、撫子に、ね」
こんなつぶらな瞳で凝視されて、オマケに『ね』なんてお願いするように同調を求められて、断るお兄ちゃんがいるだろうか!? いるわけがない! いたとしたら、そいつの人間性を疑うね! 『お前の血は何色だ!』って詰め寄るね! 恫喝するね!
「お、おう。じゃあ……そうしようか」
まあ、そんな風に心中では荒く息巻いているのだけど、表に出す態度は主体性に欠ける受動の構えなのが阿良々木暦クオリティー。相変わらずのチキン阿良々木である。
「よし、まずは――」
「あ、暦お兄ちゃん。口元にクリームが付いてる」
僕が声を発しようとしたところ、千石が左頬辺りを指差しながら指摘してくれる。子供丸出しの、情けない醜態を演じてしまった。
すぐに手で拭き取ろうしたのだが、僕が動くよりも先に千石の腕が伸びてきた。
僕の唇の端に千石のか細い指先が触れ、繊細な所作でもってクリームを拭い去り――それをそのまま、ごく自然な動作で自分の口へ運ぶ。
「綺麗になったよ。暦お兄ちゃん」
そう言って微笑する千石は、妙に艶かしく、もう心臓を鷲掴みにされたみたいにドキッとした。
いやはや、つくづく女の子に対する免疫がないと思い知らされるな。中学生女子の何気無い行動に、こうもどぎまぎしてしまうなんて、僕ってかなり初心なんじゃないのか。
「じゃ……じゃあ、改めて千石。ほら、あ~ん」
「うん、あ~ん」
コクリと小さく頷いて、千石は小さな口を目一杯大きく開けて、舐めるのではなく齧る感じで、チョコソフトを口に入れる。
「は、早く食べちゃわないと、溶けてきてるから……」
大口を開けた事をはしたないと思ったのか、頬を赤らめながら釈明する千石が可愛いこと可愛いこと。なんだこの可愛い小動物は! はにかんで僕の視線から逃れるように俯いて、可愛いったらない!
あれ……千石に対する描写がさっきから『可愛い』だけしか言ってないような……しかし可愛いものを可愛い以外、どう評価すればいいのかって話だ。
自身のボギャブラリーの貧困さを嘆きたいところではあるが、『可愛いは正義』とも言われてるし、ここは可愛いで押し通そう。
千石は可愛いなぁ、可愛いなぁ。もう八九寺なんか旧時代の遺物だ。時代遅れである。だってアイツ全然恥じらいとかもたないんだもんなあ、頬を染めてる姿なんて見たことない。
まあ僕は懐古主義者でもあるわけだし、レトロなモノにも愛着はあるので、八九寺を見捨てたりなんかしないけど。
「じゃあ、次は暦お兄ちゃんの番だね。はい、あ~ん」
再度千石が僕に食べさせてくれる。僕が一口齧ると、次は僕から千石に。交互に。順番に。間断なく。
交代制で――手に持ったコーンを食べきるまで続ける僕達だった。
「美味しかったね。暦お兄ちゃん」
「そうだな。なんかいつも以上に美味しかった気がするよ」
ほんと、河川敷でするバーベキューが普通に家で食べるより、断然美味しく感じるみたいに、味が別物だった。
いや~不思議ものだ。
人に食べさせてもらうだけで、何でこうも味が変化するもなのか。
あれ…………ふと思えば、なんで僕、千石とこんな恋人同士がやるラブラブイベントに突入し、しかもお互いで食べさせ合うなんていう重度の馬鹿っプルみたいなことしてんだ? 始めは味見程度のかえっこだったはずなのに、気付けば完遂してるし!
「どうしたの、暦お兄ちゃん? 浮かない顔して」
「ん? いや、何でもない……」
いや、何でもあるわけなのだが…………なんか途轍もない過ちを犯してしまったような気がしてならない。
僕はただ、千石の何気無い要求に応えてあげただけなのに…………。
ただそれだけのはずに…………。
別に如何わしい行為に及んだという訳でもないのに…………。
この言い知れない、後ろめたいような背徳感はなんなのだろう?