~006~
先に結果を言ってしまえば、僕達は無事迷路から脱出することができた。いやいや……脱出できない訳がないのだ。
平均20分程度でクリアできる迷路を、1時間近くもさ迷い続けたことの方が、異例の事態と言えよう。
そうは言っても、僕がさりげなく千石を誘導して(流石に口を挟まずにはいられなかった)、迷路を抜け出したのだけど…………あのまま千石に任せっきりにしていたら、果たして結果はどうなったことやら。
まあ、折角遊園地に来たのだから、一つのアトラクションに時間を割き過ぎるのは、得策じゃない。一日ではとても回りきれない広さだし、まだ試してないアトラクションに挑戦した方が有意義なはずだ。
そして今、僕と千石の二人は、少し遅い昼食を取っている最中である。時刻は1時半をまわったところ。
僕達が食事をしている場所は、真っ白なテーブルと椅子が間隔をあけて配置された、飲食や休憩などを、来場客に提供するスペースで、ほぼ満席状態になっていた。
昨今では、飲食物の持込を禁止している遊園地も多いと聞くが、このエンジェルランドは持ち込み自由となっている。
テーブルの上――千石が持参してくれたバスケットの中には、サンドイッチの詰め合わせが入っており、形が崩れないように、一つ一つラップで包まれ、種類も豊富で具材も色とりどり、見た目にも食欲がそそられる出来栄えだった。
正確には四種類のサンドイッチがバスケットの中に、交互に見栄えよく詰められている。
飲み物は僕が自動販売機で紅茶(観光地価格と言うのだろうか……一本200円だった)を買ってきた。
それにしても、このサンドイッチ――もう既に一通り食べさせて貰ったのだが、味の方もまた格別だった。
「これは美味いな。いくらでも食べれちゃうぜ」
語彙の少ない、僕のような料理初心者が、どれほど言葉を重ねたところで味の評価は、美味い、普通、拙いに振り分けられてしまうのだけど、そのどれもが、飛び切りの美味しさだった。
「暦お兄ちゃんに喜んで貰えてよかった……頑張った甲斐があったよ」
「頑張ったって、これ、もしかして千石が作ったのか?」
「え? ……………………うん……そう、だよ」
なぜかいつも以上に伏し目がちに――僕から視線を逸らして、歯切れ悪く、尻すぼみ気味に答える千石だった。
そんなに自分が作った事を伝えるのが恥ずかしかったのだろうか。相変わらず自己主張の少ない奴だな。
何にしても、これだけ、作れれば大したものだ。正直、千石にこれほど料理の才能があったとは、僕も驚きを隠せない。
「実は僕ってさ、サンドイッチがすっげー好物なんだよな」
「そ、そうなの?」
「でもさ、料理とかするのは全然ダメだからさ。なあ、これって、どうやって作るもんなんだ?」
4種類あるサンドイッチの中から一つを掴み上げ、千石に尋ねる。
僕が今手に取っているサンドイッチは、一目見た感じでは、ゆで卵とマヨネーズを混ぜ合わせただけのシンプルな『卵サンド』に見えるのだが、その実、ジャガイモや角切り野菜で混ぜ合わされている、手の込んだポテトサラダ風味の『ポテサラサンド』なのだ。
普段料理をしない僕だけど、サンドイッチはさっき宣言した通り、本当に好物なので、レシピを聞いて今度挑戦してもいい。割と本気で自分で作ってみたいと思っての質問だった。
「え? つ、作り方? えっと…………野菜を水で洗って……あとは、鍋でお湯を沸かしてから卵を入れて……タイマーが鳴ったら火を止めるんだよ!」
千石にしては珍しい、これで言い切ったとでも言わんばかりのどや顔だ。
しかしこれでは、洗っただけの野菜と、ゆで卵が出来上がるだけである。
「……お、おう。それで?」
「う~んと……ゆで卵を茹でる時は、塩とお酢を入れると、殻が剥けやすくなるって……お母……本に書いてあった」
「そっか、なかなか為になる知識だな」
更にゆで卵の作り方が補足された。
料理本片手に、調理するなんて、女の子らしくていいよな。多分僕だったら、目分量とか、感覚で作っちゃうもん。
「まあ、もうゆで卵の事はいいとして、それから?」
「ふぇっ? まだ? ……え~と、その…………サンドイッチを箱に詰める時は、ゆっくり慎重にしないと形が崩れちゃう」
あれ? 工程が大幅に省かれて、もう完成しちゃってるよ!
これじゃあまるで、千石が自分で作ったとは言っても、第三者の助力を得て――寧ろ、その第三者にほぼ全ての工程を一任し、千石はその人から出された指示を受けてのお手伝い程度の役割で、肝心の味付けや調理には全く携わってないかのように邪推してしまうじゃないか。
いやいや、僕の聞き方が、漠然としすぎていて、説明しにくかったに違いない。
今度は、ちゃんと順序をおいて聞いていこう。
次に手に取ったのはこれ。ベーコン・レタス・トマトが挟まれた、俗に言う『BLTサンド』。
シンプルでいて完成された味と言うのだろうか、それぞれの歯応えと風味が、三位一体ならぬ三味一体となって口の中に広がる、見事なできだった。
「これってパンの表面に、マヨネーズと一緒に何か塗ってあるだろ? ちょっと辛いやつ」
これは知ってるけど、敢えて、段階を踏むために聞いただけの触りの質問だ。
「…………ワ……ワサビかな?」
「なに!? この辛さはワサビだと!? 僕はてっきり、マスタードだと当たりを付けてたのに!」
「そうそう! マスタードだよ!」
「だ、だよな……あ、さては僕を試しやがったな? 僕の反応をみて楽しむなんて人が悪いぞ、千石」
僕も素人なりに、これぐらいなら解るのだ。くそ、危うく千石のお茶目な悪戯に引っかかりそうになっちまったぜ。しかし千石もなかなか油断なら無いやつだな。
「じゃあさ、マスタードの他にもピリッとくる辛いの入ってるだろ。この黒い粒はなんだ?」
本題はこっち。こちらも大よその見当はついているのだけど、今ひとつ確信が持てず、あやふやな感じで気になっていたのだ。
千石が僕の手の中のサンドイッチを見つめ、躊躇いがちに口を開く。
「…………スイカの種…………かな」
「マジで! そんなもん入れるのかよ!? そういや、ひまわりの種とかだって食べれるもんな。へ~こんな使い方があるなんて知らなかったぜ」
「スイカバーの種も食べれるしね」
「あれはチョコレートだろ。面白いこという奴だな。ま、冗談はさておき、本当はなんなんだ?」
千石のネタフリにしては、今回は実にわかりやすいボケである。これなら、ノリツッコミっもし易いってもんだ。
しかし、僕のノリツッコミにはさして興味を示してくれず、なぜかすごい真顔で考え込んでる。
「……なら…………黒ゴマ……じゃないかな?」
「ふ~ん、黒ゴマか」
なぜ疑問系なのかは釈然としないけど、ゴマって辛味もあるんだな。そう言えば黒ゴマの坦々麺とか辛かった気がする。 でもあれってゴマ本体が辛いのか? ん~む、やっぱり料理に対する知識は乏しいようだ。
個人的には黒コショウの粗引きだと踏んでいたのだけど、僕の舌もあてにならないな。
「じゃあ今度は、こっちの。多分野菜だと思うけど、赤と黄色のカラフルなちょっと甘い、輪っか状のこれってなんなんだ?」
僕の知識がないせいで材料が判別できないけど、赤・黄の色鮮やかな野菜で、味はフルーツみたいに甘かった(酢とレモン汁で漬け込んでいたのか、爽やかな酸味も感じた)。
確かピーマンの一種で、レプリカみたいな名前だったはずなんだけど……喉の先まで出掛かってるんだけどなんだったかな。
「こ……暦お兄ちゃん。隠し味は隠してこそなんだから…………おいそれと聞いちゃ駄目なんだよ」
「え? 隠し味……ああ、それは無粋な真似をしちゃったな、ごめん千石」
と、口では謝りつつ、胸中には疑問符が浮かんでいた。それって寧ろさっきの、マスタードのような調味料なんかに適応されるべき言葉じゃないのだろうか? だってこれ、もろに見えてるし……。隠せてねえ。
いや、もしかしたら、千石が言いたいのはこういうことか?
気難しい頑固主人の経営するラーメン屋ではないが、秘伝の味をおいそれと教える訳にはいかないという料理人としての矜持――いわゆる企業秘密みたいなものなんだろう。
「……なら仕方が無いな。千石にサンドイッチの作り方を直に手ほどきして貰おうかとも考えてたんだけど……それは甘かったな」
「えっ! それって暦お兄ちゃんの家で一緒に作るってことかな?」
「ん? ああ、でも無理強いできないし。悪いな気にしないでくれ」
「待って暦お兄ちゃん!」
千石が慌てたように言う。
「……え~と……どうしよ……でも…………な、撫子が手取り足取り教えてあげるよ」
「いいのか? なんか悪いな、無理やりつき合せちゃうみたいで」
また気を遣わせちゃったな。千石には借りをつくってばかりだ。
「こ、暦お兄ちゃんは、どのサンドイッチが好きだった?」
「ん? 全部美味かったぜ。全部好きだ」
「…………全部じゃ覚えきれない」
千石が、ボソリと小さく声を漏らす。
「覚えきれないって何がだ?」
「ううん。こっちの話。でも強いてあげれば、どれかな?」
「う~ん……難しいな……まあ強いてあげるならこのカツサンドかな」
4種類あったサンドイッチの最後の一つが、この『カツサンド』だ。
カツはつけダレに一度くぐらせたのか、甘辛く、千切りのキャベツとの相性が絶妙で、市販のマヨネーズとは違った、口当たり滑らかで酸味の効いた、手作りと思われるマヨネーズソースがこれまた最高だった。
うん、これが僕的に一番の好みだ。やっぱり肉ががっつり入っているのはいいよな。
「手が込んでて、少し難しいそうだけど」
「うん。難しそうだから、それ以外で」
「なぜっ!? ……ああ、そうか。僕が作るにはまだ荷が重いってことか。教えを請う立場だしな。初心者でもいけるやつがいいよな」
「うん、うん。簡単なのがいいよ」
激しく顔を上下させる千石。そこまで力強く頷かなくてもいいだろうに……。
「なら、このBLTサンドなら、切って挟むだけだし、僕でもどうにかなりそうかな」
「うん、それなら…………作れそう」
鬼気迫る表情で、BLTサンドを見つめる千石である。だけど……それなら作れそうって、そんなに僕の料理の腕が信用できないのだろうか。まあ信用される要素を提示した事なんてないけど。
「でも料理ができる女の子っていいよな」
僕の中では、女の子を評価する時のパロメーターとして、お料理スキルは結構な加点ポイントなのだ。
料理を作るのが上手いという理由で、神原のお祖母ちゃんと結婚したいと思ったことがある男―――僕こと、阿良々木暦である。
いや、神原のお祖母ちゃんの料理の美味しさといったら筆舌に尽くし難く、僕の知り得る中でも最高クラス、料理の鉄人クラスの腕前と言ってもいい(無論、料理の鉄人が作った料理を食したことなどない)。
「そ、そうなんだ。じゃあ、撫子は将来コックさんになるよ。暦お兄ちゃんのご飯を毎日作ってあげる」
「じゃあってなんだよ。じゃあって…………いや、そんな生き急ぐな千石。もっと自分の将来は大切にしろ」
しかも毎日って……千石はいったい何を考えているのだろうか?
専属のシェフにでもなるつもりか? 僕にそんな人を雇えるほど裕福な未来が待っているとは思えないな。
「でも一期一会っていうし」
「いや、今この時、その一瞬を生きろって意味じゃないだろ。そんな刹那的に物事を判断するな」
「でも、撫子。特にこれといってなりたいモノないよ」
「ま、中学生なんだし、焦ることないだろ。僕も全然将来のことなんか想像できないし。とりあえず大学にいってからだな」
いや、正確には大学に合格してからなのだが。ここは千石がいる手前、受かるのが前提として話を進めさせて貰う。しかしながら、受験生がなんで遊園地に来てるんだろうな。う~ん、不思議なものだ。
「あ、でも撫子。将来は暦お兄ちゃんのお嫁さんになりたいかな」
「そう言えば、そんな嬉しいこと前も言ってくれてたよな」
前に千石の家に遊びにいった時に、リップサービスのようなものだが、そんな事を言ってくれたのだ。
「うん。ずっと前から言ってるよ。小学生の頃から変わらない、撫子の目標だから」
「………………」
僕の感覚の『前』とは、つい最近の、千石宅にお邪魔した時の事なんだけどな…………千石と僕との間には、決定的な感覚のズレがあるようだ。
純情な中学生の女の子が、僕のような冴えない男の事を理想の男子像として語るのは、お世辞としても余りよろしいことではない気がするけど、まさか千石も本気ではあるまい。
千石の言葉を鵜呑みにすれば、小学生の頃から僕に想いを寄せていて、その時から変わらず僕と結婚するのを目標としてきたことになる。
あり得んあり得ん。可能性皆無というか、自惚れ過ぎである。自意識過剰もいいとこだ。
しかし『目標』って表現は妙に生々しいと言うか、やけに現実的な言い方だよな。普通、『夢』とかもっと漠然的な表現をするものじゃないのか?
まあ今回もリップサービスみたいなものだから特に深い意味はないだろうし、そこまで深く考える必要も無いのだろうけど。