【完結】孵化物語~ひたぎマギカ~   作:燃月

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ジャッジ(judge):【判断する】


おしのジャッジ~その4~

~110~

 

 悪戦苦闘しながらも、どうにかこうにかぎりぎりのところで、最凶の魔女――『ワルプルギスの夜』を倒す事ができた。

 

 同じ時間を幾度となく繰り返してきたという、暁美ほむらの目的は、無事達せられた訳だ。

 

 仇敵を打倒するに至り、ほむらに取って枢要な存在であるまどかちゃんも護り通すことができた。ほむらの悲願は成就した。

 

 しかし、だからといって“これで”万事全て解決したという事ではない。

 残念ながら、一件落着などしていない。

 

 迫り来る脅威を撃退しただけで――ワルプルギス以外にも魔女は多数世界に蔓延っているのだ。

 

 加えて――『魔法少女』と『魔女』の歪な相互関係――悍ましいマッチポンプな『システム』が根底にある限り、状況が改善されたとは言い難い。現存する魔法少女の『窮状』は何も変わっていないとさえ言える。

 

 まだまだ大きな問題が山積みなのである。

 

 

 だからこそ。僕にとっては、寧ろここからが本番だ。

 

 この不条理なシステムを創り上げた元凶。言うなれば統括管理者。

 

 キュゥべえ――いや、インキュベーターとの交渉が残っている。

 

 

 正体不明、生態のほぼ全てが謎に包まれた異星生命体との交渉…………どう話が転がるのか、全く予期できないが…………そうだとしても。

 

 想定外の展開だったが――付け焼刃にもなっていない吸血鬼もどきの僕じゃなく、忍の傀儡と化した最強の吸血鬼として力を奮ったのだ。

 

 幸か不幸か図らずも――吸血鬼の力を見せつけるという点に関して言えば、これ以上ない程に、その有用性を示せたはず。交渉材料としては申し分ない。

 

 キュゥべえとの交渉も、かなり期待できるだろうなんて胸算用をしつつ、逸る気持ちを抑え、部屋の隅で傍観者を気取っているくだんの交渉相手を呼び付ける。

 

 念の為、忍野にも同席してもらっていた。

 

 忍野はこの件に対し、明確な一線を引き我関せずの態度を通しているが、一応は協力関係にあり、関係者だ。僕一人ではキュゥべえの話術に誑かされる可能性が高いので、第三者として、僕らのやり取りを見届けてもらうことにした。

 専門外とはいえ、曲がりなりにもバランサーを称する男だ。交渉事に関して頼もしい存在と言える。

 

 最終的な交渉に関しては、羽川を筆頭に他の関係者を交えつつ、慎重の上に慎重を期し、話を進めるとして――――だからまぁ今僕がやろうとしているのは、『交渉』と言えるものではなく、ただ相手の反応を確かめるみたいなもの。

 

 後々は羽川に任せるにしても、その前に話の骨子を整えておくぐらいして然るべきだろう。

 一から十まで羽川任せっていうのも、よくないことだ。

 

 そんな訳で、忍野立ち合いの元、キュゥべえとの対話が始まった。

 

 

 

「結果は見ての通り。吸血鬼の力はこんなもんだ。って今更、僕が言葉で説明するまでもないよな? さぁキュゥべえ。お前の総評を訊かせて貰おうじゃねーか!」

 

 下手に出ると、キュゥべえに主導権を握られかねないし、ここは強気に出る。

 吸血鬼の力を半信半疑にしか見ていなかった奴の、鼻を明かすことができたのだ。

 忍の手柄とはいえ、自然と得意気にもなろうというもの。ドヤ顔とはいかないまでも、自信に満ちた表情で、僕はキュゥべえを見下ろし啖呵を切る。

 

「そうだね。想定を超える力を観測させてもらったよ。まさか本当に『ワルプルギスの夜』――それも『正位置』についた状態で倒すなんて。吸血鬼の力は、有用な資源になる可能性を秘めていると、そう判断できる。要調査対象から、更に重要度を引き上げるべきだろうね」

 

 よし。好感触!

 キュゥべえの反応に、ぐっと右拳を握り込み、二重の意味で手応えを確かめる。

 

 羽川の考えでは、インキュベーターの抱えるエネルギー問題を解決することで、今後の魔法少女との契約を止めさせるなんて交換条件を提示していたけれど、今後の交渉次第では、もっとこちらに有利な条件を引き出すことができるかもしれない。

 あとは羽川の手腕に任せるべき事柄だ。

 

 なんて、意気揚々とした気分で、これからの事を考えていたのだが――

 

 

 ――続くキュゥべえの言葉に、僕の思考は固まる。

 

「とはいえ、どんなに多く見積もったところで、僕らが回収すべき目標としているエネルギー総量の、十分の一にも満たないだろうね」

 

「え?」

 

 見上げるキュゥべえの赤い瞳に、呆けた僕の姿が映し出されている。

 自信満々で提出したテストが、赤点で返ってきたかのような――その時の感情を何倍にも肥大させたよう、圧倒的絶望感。

 

 

「いや…………それは……おかしいだろ…………だって、お前、想定を超える力だって…………有用な資源になるって……」

 

「確かにそうは言ったけれど、それは吸血鬼の齎す力が、予想を超える数値であったというだけのことであって、僕らの回収する値のエネルギー総量を凌駕したという訳じゃない。別に矛盾はしていないはずだよ?」

 

 淡々とした口調でキュゥべえは言う。

 何を伝えたいのかは、理解できる。

 けれど内容が、全く頭に入ってこない。

 

「利用価値はありそうだから、調査は継続させてもらうつもりだけど、阿良々木暦。それで構わないかな?」

「…………そんなことはどうでもいい…………ワルプルギスを倒した吸血鬼の力で足りないって……嘘偽りなく本当のことなのかよ? 口から出まかせに、都合のいいことを言っているだけじゃないのか?」

「まぁ回収方法が不確定だし、算出方法も正確というわけじゃないけれど、見積もりとしては、期待値を込め、だいぶ甘くしているつもりだよ? そんなに僕の言っていることが信用できないのかい?」

 

「できるかよ。お前の今までの言動を考えてものを言え! 信じられる要素なんて皆無だろうが!」

 

「んー、そう言われてしまうと、これ以上言葉を交わす意味がなくなるけれど……阿良々木暦。君に一つ質問だ。君は、この宇宙の広大さを本当に理解しているかな? 例えば、地球と比較した太陽の大きさは分かるかい?」

 

 いきなりの質問に面食らいつつも、思考を巡らせる。

 昔、理科の授業で習った気もするが……。

 

「……20倍とか?」

「直径はおよそ100倍だ。体積で言えばおよそ130万倍になる。うん。君の宇宙に対する認識はだいたい把握できたよ。ついでに言っておくと、太陽を遥かに越える大きさの恒星なんて幾らでもあるからね」

 

 物凄く馬鹿にされていることだけは、ひしひしと伝わってくる。遅れて――僕の認識の甘さが、嫌と言う程に押し寄せてきた。

 

「確かに地球規模で見れば、吸血鬼の力が絶大なのは認めるよ。悪くはないエネルギー源だ。枯渇していくエネルギーの補填も可能だろう。でも、到底宇宙全体で消費していくエネルギーを賄えるものじゃない。僕らに課せられたエネルギー回収ノルマを達成するには至らないってことさ」

 

 理路整然とした単純極まりない理屈。

 キュゥべえの言い分に反論したいけれど、その言葉は出てこない。

 心の中で反駁できるに足る材料を探すも、僕の中に答えはなかった。

 

 コイツは自身の利益の為に嘘を吐いている。そう思いたかった。

 

 でもどんなに否定したくても、言われた通りなのだ。

 地球規模ではなく、宇宙規模。

 

 宇宙規模の問題。

 幾ら伝説の吸血鬼の力とはいえ、宇宙の全体の熱量を賄うことができないってのは、納得できる話だった。納得できてしまう話だった。

 

 あまりに途方もない、桁違いに大きすぎるエネルギー。その全体像を見極めることができていなかったのだ。正確な判断を下せていなかった。

 

 

 それに、最初からコイツは言っていた。

 羽川が一案として提示した、吸血鬼の力を提供するという手段を訊いて、キュゥべえはこう答えていたのだ。

 

――『とてもじゃないけど、僕達が目標としている値のエネルギーを賄えるとは思えない』――

 

 

 そう提起していた。だから、キュゥべえの結論は変わらない。

 インキュベーターの欲するエネルギー総量に届いていないのだから、無論、僕達の要求は却下されることになる。吸血鬼の力は、魔法少女のシステムを止めることに釣り合う利益を齎すほどではない。

 割に合わないのだから、当然の判断と言えた。

 

「そうか…………僕達は……最初から見誤っていたのか…………羽川が計算違いをしたとしても、おかしなことじゃない……よな」

 

 羽川翼。彼女だって決して全能ではない。

 ……これは致し方ないことなんだと、そう僕は結論付けようとした、その時――

 

 

「阿良々木くん、何を馬鹿なこと言っているんだい? そんな訳ないじゃないか」

 

 そう意を唱えたのは、僕とキュゥべえのやり取りを静観していたアロハ服の男だった。

 アロハ野郎――忍野メメは教卓の上で胡坐をかいた体勢で、火のついていない煙草を僕に向け、軽薄な笑みを浮かべている。

 

「…………忍野…………それは……"何について"言っているんだよ?」

 

 僕がキュゥべえの言葉を鵜呑みにしていることを、駄目だししているのか?

 だとすれば、僕の愚かしさが証明されることになろうとも、その方がいい。その方がよかった。

 

 けれど……忍野の指摘は、僕の待ち望んでいたものではなかった。

 

 キュゥべえの言い分を覆すような、起死回生の言葉などではなかった。

 寧ろ、キュゥべえの言葉を補強するだけの話で――ただただ僕の思い違いを指摘するだけのものだった。

 

 淡い期待は霧散する。掻き消える。

 

 

「言った通りだよ阿良々木くん。あの委員長ちゃんが、『見誤る』? 『計算違い』? はっはー。そんな訳ないって言っているんだよ」

 

「いや……そりゃ僕も信じられないことだけど」

 

 千慮の一失という言葉もある。

 僕は他の誰より、羽川の有能さを理解しているつもりだけれど……だけど、それでも、実際問題、羽川は――

 

 

 しかし、続く忍野の言葉に、僕は言葉を失った。

 

「違うよ。委員長ちゃんは"最初からこうなることを見通していたよ″。承知の上だ」

 

「え?」

 

 思考が停まる。どういうことだ? 言わんとしていることが理解できない。

 そんな思考停止状態の僕に対し、忍野は面白そうに言葉を重ねた。

 

 

「阿良々木くんは覚えていないかな? 阿良々木くんと委員長ちゃん。それとツンデレちゃんが一緒に僕のところまでやって来た先日の出来事だけど」

 

「……ほんの数日前のことだ。どんなやり取りがあったかぐらいは、多分思い出せるとは思うけど」

 

「そりゃ重畳。でだ、あの時、代替エネルギーとして、吸血鬼のエネルギーを宛がうという委員長の案に対し、僕が口を挟もうとしたんだけど、その時の委員長ちゃんの反応は思い出せるかな?」

 

「……ああ、よく覚えている」

 

 鮮明に思い出せる。

 

――『代替エネルギーとして吸血鬼のエネルギーを宛がうって話――うん、忍ちゃんの全盛期の力はほんと桁違いだからね。この地球上に於いて最大のエネルギー源だといっても過言ではないよ。ただしそれは』

『あの!』

『ん? あ、ああ、そういうことかい。だよね、だと思ってた。“承知の上”でのことだっていうのなら、別にいいんだ。余計なお節介だったみたいだね』

『いえ、そんなことはないです』――

 

 

 アレは、珍しい光景だった。あの羽川が、人の話を無理に遮るなんて、おかしいと疑問に思っていたものだ。それに慌てふためいた羽川の表情が印象的で……僕の羽川フォルダに厳重に保管している貴重なワンシーンだった。

 

 

 いや、そうな思い出に浸っている場合じゃない。

 

「なら何で羽川は? おかしいじゃないか! 羽川は最初から無理だと解っていて、この方法を選んだって言うのかよ? そんなの意味がないことじゃないか」

 

「意味がない? はっ、大ありだよ――"幾つか″理由はあれど、大前提として、委員長ちゃんがこの手段を選んだのは、阿良々木君、君のためなんだよ?」

 

 

「……魔法少女のためじゃなく…………僕の……ため?」

 

 混乱状態に、更に拍車が掛かる。

 そんな僕の様子を睥睨しつつ、忍野は続ける。

 

「そう、君の命を護るためにね」

「……は? どういう意味だ? 僕の命って……全く話が繋がっていないぞ?」

 

「そう思うのかい? まぁそうだろうね。でも、考えてみなよ。阿良々木くん。君がもし中途半端な吸血鬼の状態で、あの戦いに参戦していたとしたら? どうなったと思う?」

 

「…………どうなるって、そんな過程の話……まぁ結果的に見れば、完全に吸血鬼化しておいて、助かったって話になるんだろうけどさ…………」

「うん、だからこそ、委員長ちゃんとしては、君を混じりけなしの吸血鬼にしておく必要性があったってことだよ。君を完全な状態の吸血鬼にする、これ以上ない口実になっているだろ?」

 

「……待てよ。それはキュゥべえに吸血鬼の力を示す手段として」

「でも、それは違った――だろ? 嘘も方便ってやつかな」

「………………」

「阿良々木くん。君は吸血鬼の力に頼る事に対し、引け目のようなものを抱いている。安易に頼っていい力じゃないと、考えている。うん、その考えは決して間違っていない。でも、委員長ちゃんにしてみれば、そんな事情を差し引いても、君の命を優先したかった。阿良々木くんの主義主張を曲げさせてもね。故に、"理由付け"が――阿良々木くんを納得させる、大義名分が必要だったんだよ」

 

 理由付け。大義名分。僕の命を護るための、羽川の嘘。

 

「阿良々木くんが中途半端な吸血鬼もどきの状態で介入する可能性は十分あったからね。委員長ちゃんは、その可能性をどうしても潰したかったんだよ。阿良々木くんの性格からして、どうしたって止めることはできない。己の身を顧みず無茶をするのは目に見えていた。なら不用意に止めるよりも、完全無欠の吸血鬼にしたほうが、生存率が飛躍的に高まる」

 

 ここは羽川に感謝しなければいけない場面なのだろう。でも……僕は急き立てられるように忍野に問い掛けていた。今は僕の事じゃない。彼女達のことが優先だ。

 

「…………忍野、お前の話が真実だったとして…………じゃあ羽川は……魔法少女の問題を……解決する気は、なかったっていうのかよ?」

 

 声が震え、上擦る。

 忍野の話では、そういう図式が成り立ってしまう。

 僕の命を護ってくれたことよりも、魔法少女のことを蔑ろにしたという点が、看過できることではなかった。

 

「それも違う」

 

 僕の問い掛けに忍野は断言する。

 勿論、『ワルプルギスの夜』を倒す一手という側面もあるんだろうけどねと、そんな前置きを挟んで、忍野は考えを巡らせるように顎に手を当て、しばし黙考する。

 

「うーん、やっぱり。このまま僕が全てを開示するってのは、どうにもフェアじゃないか。僕が口出しすべき事じゃないよね。委員長ちゃんの思惑もある訳だし。うん、お喋り好きとは言え、こういうのはあまり気乗りしないな。それに安易に頼られるのは癪だしね」

 

 なんて今まで好き勝手に、羽川の内情を暴露し続けていた男の弁である。

 

「おい、こんな中途半端なところで、話を打ち切る気かよ!?」

「はっはー、それも一興だね。阿良々木くんが悶え苦しむ様が見られるのは痛快だ」

 

 この野郎……なんて性格の悪い。

 

「とはいえだ、此度の阿良々木くんの頑張りを評価していることだし、ヒントぐらいはあげようじゃないか」

 

「ヒントだ?」

 

 今になって、そんな謎かけみたいなことされても困るのだが……。

 

「そう。で、阿良々木くんは将棋に詳しいかい?」

 

 僕の胡乱げな視線など気にする素振りもなく、忍野は話し出す。

 

「将棋? まぁ人並みには知ってるつもりだけど……」

 

 将棋、囲碁(もっぱら五目並べだけど)、花札なんかは、田舎のばあちゃんの家で教えてもらったからな。

 

「腕前に関しては、駒の動かし方や、一般的なルールを知っているぐらいの――まぁ素人に毛が生えた程度で、そこまで詳しくないぜ?」

 

 知識としては、『穴熊』『矢倉』は言うに及ばず『鬼殺し』『ゴキゲン中飛車』なんかも知っているけれど、所詮とあるラノベで仕入れた知識なので、実戦できる腕前などあろうはずがない。

 あー僕も『竜王』になれる実力があればなぁ……小学生の弟子やらが…………いや、何でもない。

 

「うん。ま、今時の子ならそれで十分だと思うよ。でも、もし阿良々木くんが将棋好きで、それなりの棋力もあるんだったら、僕の作った詰将棋を披露するところだったんだけどね。残念だ」

 

 なんて、珍しく本当に落胆した様子で、肩を落としている。

 自分で詰将棋を作るなんて、かなりの将棋好きのようだ。

 

「で、将棋がどうしたんだよ?」

 

 まさか、何の意味もなく世間話として、将棋談義を振ってきた訳ではあるまい。ヒントだとか言っていた筈だけど。

 

「ん? ああ、そうだったね。まぁそんな畏まらず軽く思いつくままに答えてくれていいんだけど、阿良々木くんは将棋を勝つ上で大事な要素って何だと思う?」

 

 と、そんな質問をしてくる忍野。

 ふーむ…………思いつくままにと言われても、そこまで本腰を入れて将棋に取り組んだことがないので、何の答えもでてこない。

 

「例を挙げるなら、僕の大学時代の将棋仲間は、こう言っていたね。何より『思考スピード』が重要であり、『如何にして思考時間を短縮して、最適解を導き出すか』それに尽きるってね」

 

 僕の思い悩む姿が目に入ったのか、忍野が一例をあげてくれる。

 

 ふむ、なるほど。

 素人同士の対局では時間は実質無制限だが、本格的な対局――公式戦ともなると、対局時計が必ず用意されており、時間制限がつく。そうなると早指しは相手へのプレッシャーにもなる。そして思考速度そのものが、頭の良さ、思考能力を計る指標にもなる訳だ。確かに重要な要素だと言えよう。

 

 しっかし……こいつの大学時代って、色々気になるな。どんな学生生活を送っていたのだろう?

 

「というか、お前友達いたんだな」

「サークル内の繋がりだけどね。いやぁ懐かしいな、駒柱を作るのが大好きな奴だったよ」

 

 なんて不吉な奴だ。狙って駒柱を作るとか、性格がひん曲がっている。絶対ロクな奴じゃねー。あまりお近づきになりたくない人物だな。

 

「んー、さっきの答えだけど…………『詰み筋を見つけ出せる力』ってのは当たり前すぎるか? さっき詰将棋を勧めようとしていた訳だし、詰将棋をたくさん解いて、地力を底上げしていくことが大切なんじゃねーのか?」

 

「うん、それも重要だね。良い答えだと思うよ」

「……そ、そうか?」

 

 基本、僕の答えには否定的に入ってくる忍野には珍しく、素直に褒めてくれたのは意外だ。

 将棋愛好家だから、将棋関連の話題については甘いのかもしれない。

 

「で、それが何なんだ?」

「ん? 別に阿良々木くんの答えはどうだっていいよ。これは、ただの興味本位だ」

「………………おい」

「とは言っても、話しの導入として必要な手順だったからさ、じゃあ本題に入ろうか。阿良々木くん。僕が将棋を勝つ上で尤も重要視――つまり、いったい何に重きを置いて指しているのかというとね」

 

 そう言って忍野一拍の間を取り――殊更意味ありげに、強調するように言うのだった。

 

「“如何にして、相手の裏をかくか”」

「裏をかく」

「そう、言い換えれば“相手を出し抜く”――此方の意図を気付かせずに、どうやって相手を欺くか、だ」

 

 嫌らしい……性質の悪い男だ――なんて一瞬思ってしまったが、これは至ってごく普通の理論だな。

 将棋なんてのは、正々堂々、裏のかきあいを競い合う勝負と言っても過言ではないのだから。手の読み合い。その読み合いを制した者こそ勝者となるのだ。

 

「でだ、阿良々木くん。それを実践するとすれば、どういった手を指すことが望ましいと思う?」

「ん? どうって………………あまりそんなことに気を使って指したことはないからな…………」

 

 所詮素人なので、どうにかして詰み筋を探すことだけで一杯一杯なのだ。数手先の盤面を予想して指すことなんてできていない。

 

「手法としては、王手なり相手の本陣に攻め入るような目立つ一手を指す。或いは敢えて飛車や角を捨て駒に使う。そうやって相手の思考を誘導し注意を逸らす。読み違いを誘発させる――でも実際の狙いは別にある、なんていうのがオーソドックスかな。あとは、序盤の何気ない一手が、終盤に大きな役割を果たすなんてのは、漫画なんかで散見するよね」

 

「うん、よく見るな」

 

 将棋漫画じゃないけど、ヒカルの碁でよく見た展開である。

 まさか、あの序盤の不可解な一手は、この展開を見越してのことだったのか! なんてやつ。

 

「まぁ総じて僕が何を言いたいかと言えば、一流の棋士――天才と呼ばれるような人種は、無駄な一手なんて指さないってことだよ。必ず何らかの意図が隠されている。布石となっている。こういうのは、マジシャンの視線誘導技術にも通ずるところがあるよね。『ミスディレクション』ってやつだ。そして小説で言う『ミスリード』と呼ばれる手法もある意味似たようなもんだね――さて、これで僕からの話はお終いだ」

 

 ここまで解かり易く強調して言ってくれているのだから、忍野が言わんとしていること――提供してくれたヒントが何なのかは流石に読み取れる。

 

 共通しているのは――相手に意図を気付かせず、何かの目的を果たすこと。

 

 なら僕は何に気付いていない!? 何を見落としている!?

 

 

「あー阿良々木くん。別に気に病むことではないよ。君が気付かなかったんじゃなく、意図して気付かせなかったんだ。つまり術中に嵌るのは、計算通りなんだからね。寧ろ、阿良々木くんが気付かないからこそ、そこに大きな意味が出てくるとでも言うべきかな」

 

「…………んな思わせぶりなことばかり言ってないで、はっきりと教えてくれよ…………それとも、僕はずっと気付かないままでいた方がいいことなのか?」

 

「いや、そんなことはないよ。もうほぼ大勢は決しているからね。でも、それは僕が言うべき事じゃない。それに僕が教えるまでもなく、時機明らかになるだろうさ。っと、そろそろ時間だね」

 

 忍野は教卓から飛び降り、そのままドアの方へ歩いていく。

 話は終わったとそう態度で表すように。

 

「って待てよ忍野。時機明らかになるとか、時間だとかどういうことだよ!? 色々説明が足りてなくないか? 悪いとは思うけど、まだもう少し付き合ってくれよ」

「おいおい。僕はこう見えても忙しいだぜ。さっきから呼び出しがひっきりなしに掛かってきているんだ、あぁそろそろ危険だな。怒りはしないだろうけど嫌味は言われそうだよ」

 

 そんな小言を呟きつつ、忍野はアロハシャツの胸ポケットからあり得ないモノを取り出した。

 

 春休みの折――伝説の吸血鬼の心臓を取り出した時も大概驚いたものだが、今回のはある意味それ以上に驚きの一品である。

 

「…………携帯電話!?」

 

 間違いない。見間違いようもない。あろうことか、忍野メメが携帯電話を持っていた。

 

 機械の操作が苦手で、そういった類の機器とは隔絶した生活を好む放浪者が、現代の英知の結晶を所持しているだと!? 住所不定の人間が所持できる品物ではない!

 

「ん? ああ、これかい? いやぁ僕も流行に乗り遅れてばかりもいられないさ。出先で立ち寄った量販店の店員に乗せられてつい買っちゃったよ」

「嘘だろ」

「うん、嘘だよ」

 

 だよな。知ってた。こいつが量販店などで買い物している姿はあまり想像できない。

 でも、普通にミスタードーナツとかは購入しているし、ないってことはないのか?

 

「これは借り物だ。というか、無理矢理貸し付けられているといった方がいいかな。あの人は強引だからね。はぁまったく困ったもんだ。先輩に余計な借りをつくっちゃったじゃないか」

 

 なんて迷惑そうに愚痴を溢す忍野。

 そういや、結界を張るにあたって、先輩を頼るとかそんなこと言っていた気がする。

 忍野の言い分を無視して、携帯を付与するなんて、その先輩とやらも只者ではなさそうだ。

 

 まぁ忍野の場合、携帯に限らず機械を嫌悪する世捨て人ってことではない。ただただ機械音痴なだけである。状況が差し迫れば、携帯を所持することなど厭わないのだろう。

 

「ほんとに色々手回しが必要だから、あまり悠長にしている暇はないんだよ。事後処理でてんてこ舞いって訳さ。まぁ君のことを請け負った身としては、このままほったらかしってわけにはできないしね。サービスとして『場』は整えといてあげたから。それで我慢してくれ」

 

「『場』って?」

「それも時機わかるさ」

 

 取り合う気のないすげない態度。こうなった忍野は頑なだ。引き下がるしかないか。

 

「いやはや僕がこうも振り回されるなんて、彼女達は末恐ろしい存在だよ、まったく」

 

 そんな独り言を溢し、忍野は足早に部屋から出て行ってしまった。

 色々気になることが多すぎて、何が何やらって感じだが、どうにも最後の言葉が引っ掛かる。

 

 あいつ、『彼女達』って言ったよな?

 

 ん? 僕はずっと羽川一人を念頭に話していたが…………そうじゃないのか。羽川だけじゃない?

 ほむらとは面識がないはずだし、だとしたら、考えられる可能性は自ずと限られてくる。

 

 いや…………そんなの、一人しかいない。

 

 

 逃げるように去っていった忍野と入れ違いに――

 まるで答え合わせのように――

 勢いよく乱暴に部屋の扉が開かれた!

 

 はぁ…………遂にお出ましか。

 

 今し方、思い浮かべた人物――戦場ヶ原ひたぎの姿がそこにはあった。

 

 

 

 


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