~102~
戦場ヶ原ひたぎが魔法少女になった。
現実味のない悪い冗談。到底信じることなどできない。
しかし、まどかちゃんが僕に嘘を吐くメリットはどこにもない。であれば、ただ勘違いしているってのが一番有り得そうだ。うん、そうだ。そうに違いない。まどかちゃんが何を見てそう判断したのかもわからない状況だし、僕だって実際に確認していないのだから。
第一、あれほど魔法少女になった子達のことを悪し様に罵っていた奴が、魔法少女になる理由がわからない。
呆気にとられつつも、何かの間違いだと判断した僕は、詳しい情報を訊き出すべくまどかちゃんに説明を求めようとした――――が、僕が言葉を発する前に電話は切られていた。
まどかちゃんが一方的に切るとは思えないので、十中八九戦場ヶ原の仕業だろう。
ほむらに頼んで掛けなおして貰ったが、電源も落とされていた。
話すつもりはないという明確な意思表示。
ならばと、まず間違いなく詳細を知っているキュゥべえを問い質してみた訳だが――
「うん。戦場ヶ原さまと契約したのは間違いないよ。彼女が魔法少女であることは僕が保証するよ」
キュゥべえは自身の手柄を誇るようにそう言うのだった。
戦場ヶ原が魔法少女になったのは、紛れもない事実だと断言したのだ。
けれど、戦場ヶ原の支配下に置かれたキュゥべえが、それ以上の情報を寄越すことはなかった。
どうやらきつく口止めされているらしい。
なので、戦場ヶ原が何を願い、何のために魔法少女になったのか、真相は全くわからない。予測するのも困難だ。
あと、『戦場ヶ原さま』という不穏当な呼び方のせいで、元々戦場ヶ原の存在に懐疑的であったほむらに、余計な猜疑心を与えることになり、釈明するのに時間をとられてしまった。
まぁ大切な保護対象の傍に、キュゥべえに様付で呼ばれるような奴がいたら気が気でないだろうし、これは致し方ない。
キュゥべえの野郎……わざとやってんじゃねーだろうな。
ともあれ、この場でこれ以上の情報を得ることはできそうにない。
頑なに口を閉ざす相手に、それ以上追及しても時間の浪費にしかならないだろうし…………気になってしょうがないが――頭を振り、気持ちを切り替える。
今は目の前のことに集中しなければ。ワルプルギスの修復作業もそろそろ終盤に差し掛かっている。
猶予は残り僅か。魔女が動き出す前に勝負を決めなければ!
そして――僕達はミサイルの設置された最終防衛ラインまで移動し(気を失った巴さんと杏子も移送済みだ)、決戦の準備に取りかかっていた。地対空ミサイルの最終調整もほぼほぼ完了済みである。
僕の提案した『ミサイルに乗って突撃大作戦』。
自分自身で正気を疑う作戦であるが、もう後には退けない。不退転の覚悟で臨むだけだ。
作戦に使用するミサイルの正式名称や詳しい性能は不明だが、かなり大きいサイズだった。
筒型の発射装置ではなく――小型のロケットを打ち上げるようなタイプ。
濃緑色の軍用トラックに積載されており、物々しい雰囲気を醸し出している。
この他にもトラックに積まれたミサイルはあるようだが、撃墜目的ではなく僕の移送用なのだから、使用するのはこの一機だけだ。
最終防衛ラインということで、それなりに兵器の配備も充実しているようで、見たこともない用途不明の機械(観測機のようなもの)がずらりと並んでいる。
さて、流石にそのままではミサイルに乗ることは難しそうなので(そりゃそんな設計にされている訳がない)、ほむらの魔法で改造してもらっていた。
魔法があれば、大抵の事はどうとでもなる!
ほむらの魔法によりミサイル弾頭付近に、窪みのある突起物が左右対称に設置されていた。
見た目は、細長い魚の頭部に猫耳がついたような感じ。もっとマシな例えができればよかったのが、パッと見のイメージなので許して欲しい。
ほむらの魔法により創り出された、
一見ただの装飾にしか見えないが、これには僕の運命を左右する重要な機能が隠されている。
よし、早速性能を確かめてみるとしよう。
その突起物の窪みに左右それぞれの手を差し入れる。内部が空洞で棒状の物体が通されており、しっかりと握れる構造となっている。
うん、これがあれば安心だ! なんて心強いんだろうか!
名前をつけるとすれば――姿勢制御安定装置。
これで滑り落ちることなくミサイルにしがみつくことができる!
又の名を『取っ手』という。
頑丈に接着された取っ手である。
特にボタンのようなものがあるわけでもないし、まして操縦桿ってことでもない。
ただただ握りやすさに特化した性能。
取っ手以外の機能なんてあるわけがない!
だって取っ手なんだもん!
勢いで改造なんて言ってしまったが、時間もないし即席でできることなんてこの程度だ。
魔法も万能の力ではないということ。贅沢は言えないけど、正直心もとないな。
しかし、これがなかなか馬鹿に出来たものではない。
ミサイルの凹凸のない流線型のフォルムに取っ手があるだけで、安定性が段違いだ。
「準備はいい?」
「おお! いつでもいけるぜ!」
ほむらの作成した取っ手を強く握り込み、大股を開いてミサイルにしがみついた体勢。
巨大な柱を抱えているような間抜けな姿だ。コアラスタイルである。
両手でしがみついているため、『心渡』は一時的に忍に返却している。
ちなみに忍は呑気に観戦モード。忍野に施された封印の影響で、影の外に出てもすぐに影の中に吸引されてしまい、戦いに参戦することはできないため仕方がないことだが…………それにしても、まるで危機感がない。余興程度にしか感じていないようだ。
眷属としての僕に対する過信ぶりは健在らしい。まぁこのスタンスは前々からだし諦めるしかない。
「本当にいいのね?」
念を押して、確認してくるほむら
ミサイルを発射するほむらの心情を鑑みれば、ある意味、自らの手で知り合いを崖から突き落とすようなもんだ。まぁ落下するのではなく、上昇するんだけどね。
もし自分の操作したミサイルで、僕が弾け飛んだら目覚めも悪いだろう。気分のいい役目ではあるまい。
「ああ、問題ないよ」
実際には問題だらけだったが、努めて平静に僕は言う。
自分で立案した作戦だが、怖いものは怖い。正気の沙汰じゃない。内心びびりまくっている。
僕は完全無欠の超人などではない。小心者であり、臆病な人間だ。
けれどここで弱音を吐いても、僕たちの士気が下がるだけ。ほむらも臆病風を吹かせる奴に、命運を託したくはないだろう。
「しっかし、杏子には怒られるだろうな」
「杏子に?」
「ほら、心渡で斬ると、纏めてグリーフシードも消えちゃうだろ。それが一番の気がかりだ」
正直に言えば、これは恐怖を紛らわすただの強がりだ。
でも、僕の軽口を聞いたほむらが微かに笑った。鼻で笑っただけかもしれないが、珍しいことだ。
「そうね。随分と楽しみにしていたようだし、ただでは済まないでしょうね。ちゃんとあなたが謝りなさいよ」
我関せずの態度。つけ離すような冷たい言葉。
うん、ちゃんと受け取った。彼女らしいエールである。
ワルプルギスを倒し、自分の口から謝れと、そう言ってくれているのだ。
さて、気合も入った。腹も括った。
標的を見据える。まだ忙しく使い魔がドレスの修復に従事している。よし絶好のチャンスじゃないか! この機を逃す手はない!
言うなればこれは、魔法少女の変身シーンに攻撃を仕掛ける、セオリー無視の禁じ手であるが知ったこっちゃない。律儀に待ってやる必要などあるものか。
変身中に奇襲を仕掛ける。
そして切り札となる、掠り傷一つで魔女を抹殺するチートアイテム。
僕は正義の味方ではない。
ここは僕の敬愛する『策士』に習うとしよう。
「さぁ正々堂々手段を選ばず、真っ向から不意討ってやるぜ!」
~103~
僕の合図でミサイルが発射された。
当然そのミサイルに抱きつき、張り付いた僕諸共にである。
宇宙に旅立つ宇宙飛行士のように、僕は打ち上げられたのだ。
まぁ外気に晒された状態で、何の救命装置も搭載されておらず、そもそもこのロケット(ミサイル)は爆発することを前提に造られている訳だが…………そこは吸血鬼の不死性で補うしかない。
ジェットコースターの比ではない急加速。
全身を揺さぶる激しい振動と、未だかつて体験したことのない負荷。
ジェット噴射の轟音と、空気を突っ切る風切り音。
早い早い早い!
怖い怖い怖い!
死ぬ死ぬ死ぬ!
その三つのことで頭の中が埋め尽くされる!
振り落とされないよう、必死にしがみつく。
風圧のせいで息をするのもままならない。風除けぐらい作ってもらうべきだった!
だが発射の瞬間に比べ、飛行中は思ったよりも安定していた。異物(僕のことだ)がくっついていたら、弾道が狂いそうなものだが、そこはほむらが上手く調整してくれているのだろう。
タンクローリーほどの大きさの物体でも操作できるのだから、ミサイルだって問題ないはずだ。彼女の力を信じよう。
よし、心に余裕が生まれてきた。
ぐんぐんとワルプルギスに迫っていく。しっかりと目視確認もできている。
速いは速いが、十分対応できる速度だ。
今の僕は、伝説の吸血鬼と同等のポテンシャルを秘めているのだから。
肉体の強化は勿論のこと、動体視力や空間の把握能力、その他諸々、全パラメーターが上昇していると考えていい。まぁ知力に関しては据え置きだが、それは置いておいて、ミサイルの弾道――軌道も自然と頭に浮かぶ。何となくだが――わかる。
直撃コースではない。軌道がやや上に逸れているのは、そのまま突っ込んで爆散しないようほむらが操作してくれているのだろう。ミサイルによるダメージなんて必要ないし、僕も出来うる限り爆発に巻き込まれたくはない。有り難い判断だ。配慮に感謝。
ミサイルの接近に伴い、使い魔の視線が集まる。気付かれた。
使い魔がドレスの修復作業を中断し、殺到してくるが――もう遅い。
心の中で忍に合図を送る。阿吽の呼吸――流石は頼れる僕の相棒。タイミングはばっちりだ。
ミサイルから生えてきた刀を抜き取り(正確にはミサイルにできた僕の影からだが)、意を決して僕は飛び降りた!
「はぁああああああああああ!!」
大音声で叫び、自分を奮い立たせる!
刀を両手で握りこみ、地面に突き刺すように、刃を下に向ける。
自由落下の勢いそのまま――
着地することもなくダイレクトに――
ワルプルギスの脳天目掛け、刀を突き刺した!!
深々と刀身が沈み込む。頭部を貫通して首辺りまで達している。刺し貫いている。刀の特性上、あまり手応えのようなものは感じないが、確実にワルプルギスを斬った!
やった! やってやった! 引導を渡してやった! これで勝負ありだ!
歓喜の感情に胸が震える――
だが、それはぬか喜びに過ぎなかった。
不意に横殴りの突風が僕を襲う。いや突風なんてものではない。質量のある『風の塊』が叩きつけられる。それこそ透明な巨大ハンマーで殴られたような、そんな衝撃だった。
え?
なす術もなく僕は吹き飛ばされ、宙に投げ出される。
そこで、ワルプルギスと視線がかち合った。
僕を真っ直ぐに見据えている。
いや、ワルプルギスに目はない。頭部の上半分は、最初から存在してないので視線という表現はおかしい。でも、確かに僕を真正面から捉え、視認している。
そう確信できた。
ワルプルギスの口元が悪辣に歪む。愚か者の姿を見て、口端を吊り上げ嘲笑ったのだ。
なぜだ? 心渡は確かに魔女を――
そこからは、もう何が何だかわからない。上も下もわからない。
全身が押し潰されもみくちゃに。
全身が切り刻まれ細切れに。
前後不覚。
絶え間なく続く激痛。
再生を繰り返し、その度にまた即死する。
身体が修繕される度にまた壊される。
何度も何度も、殺され続ける。
気付けば、僕は地面にめり込み空を見上げていた。
分厚い雲に覆われた不気味な空を。
密度の濃い乱気流を纏った魔女の姿を。
そこでやっとあの竜巻に飲み込まれていたのだと察した。
ワルプルギスを仕留め損なったのだと――
無様に返り討ちにあったのだと――
理解した。
~104~
けれど、なぜ『心渡』で斬った魔女が生存しているのかは理解できない。
そんな僕の疑問に答えるように、奴はまた唐突に現れた。
「別にこれは意外な展開ではないよ。起こるべくして起こった当然の結果だ」
敗者を見下ろす赤い瞳。
瓦礫の上に座り、仰向けに倒れこんだ僕を覗き込むように語りかけてくる。
こちらの状況などお構い無しに、一方的に言葉を垂れ流す。
「特定の存在に対し、不可逆な抹消を付与する刀――『心渡』。普通の魔女であれば勝負はついていただろうに、残念だったね」
一欠片の感情もこもっていない、形だけの同情。
こんな戯言に耳を貸している場合ではない。
絶対に諦めるわけにはいかないのだ。
血を失い過ぎたせいか、短時間に再生を繰り返したせいか、身体が重い。
でも、まだ身体は動く。気怠さはあるがまだ戦える。
そういや心渡が見当たらない。竜巻に巻き込まれた時に手放し紛失してしまったのか……。
あと、衣類も全て切り刻まれてしまったようで、身に纏っているものはなにもない。
全裸だ。裸族だ。
ともかく、ほむらに連絡を――――しようとしたがテレパシーが繋がらない。いや、この感覚は美樹の時と一緒だ。キュゥべえによる干渉が働いている。
…………僕に話があるってのか?
くそ……こいつのペースに巻き込まれるのは癪だが、『心渡』が効果を示さなかった原因を知っている風な口振りだったからな――ここは聞き出すべきか。
ワルプルギスを倒す、重要な手掛かりになるかもしれない。
僕は上半身を起こし、キュゥべえと視線を合わせる。
「ああ…………普通の魔女じゃないってのは…………解かる。要は『心渡』の力が、魔女に無効化されたってことか?」
『暗闇の魔女』のように実体を透過させ、攻撃を無効化するのと似た現象で対処されたのかもしれない。
「それは少し違うね。無効化なんてされていない」
しかし、僕の答えにキュゥべえが意を唱える。
「…………どういうことだよ?」
「ワルプルギスの夜。君はこの名前の由来を知っているかい?」
質問を質問で返される。
こいつと討論している場合ではないが、ここは我慢だ。
えっと、それは羽川から説明してもらったことがあるな。
「確か……魔女の集会だか、魔女のお祭りだろ?」
ワルプルギスの夜――魔女達が集う祝宴の夜。
僕の答えに、キュゥべえは大きく頷いた。
「そう、その名が示す通り、ワルプルギスは寄り集まった魔女の集合体――群体の魔女なんだ」
軍隊の魔女? いや群体か。単体ではなく複数体。
「だから効果がなかったわけじゃない。僕が観測する限り、ちゃんと魔女の一部分は、抹消されていたからね」
ああ……そういう理屈か。歯痒いが……納得がいく。
『心渡』でキュゥべえを斬ったらどうなるか?
――こいつは同時期に複数体で活動しているのだ。
――その末端の一部を斬ったとしても、全体に効果が及ぶとは考えにくい
その僕の考えが、そのままワルプルギスにも当てはまるのだから。
ワルプルギスは、複数の魔女の集合体。故に、『心渡』の効果が薄まった。
効いていない訳ではないが、効果が分散されてしまった。
絶対の切り札――最強の武器に、魔女は耐性をもっていたってことか…………。
で、キュゥべえは懇切丁寧にも、このことを僕に伝えに来ってわけだが、その理由は明白だ。
魔女の力を理解させる為に。
無駄な努力だったと悟らせる為に。
僕の戦意を削ぐ為に。
そうしてワルプルギスに対抗できる存在を排除する。
全ては――まどかちゃんと契約する為に。
「お前は…………もう戦うのは諦めろって言いにきたのかよ!? ふざけんなよ!! お前の魂胆はお見通しだ! 絶対にまどかちゃんとは契約なんてさせねー!」
僕は威嚇するように声を荒げる。
こいつの思い通りになんてさせるかよ。焦燥はある。だけどまだ僕の心は折れてなどいない!
「はぁやれやれ。やっぱり人間とのコミュニケーションは難しいね」
と、これ見よがしに嘆息するキュゥべえ。
「勘違いしないで欲しいな。寧ろ逆だよ。こんなところで諦めてもらっちゃ困る」
などと、訳のわからないことを言い出した。
「阿良々木暦――君がワルプルギスの夜を倒すんだ!」
「…………待て待て。何言ってんだ? 僕を諦めさせて、まどかちゃんと契約するのが狙いじゃないのか!?」
「いや、少し状況が変わってね。彼女との契約は保留だ」
「ん? ああ、戦場ヶ原が邪魔で契約できないのか?」
「まぁそんなところだね。だからこのままじゃまどかの命が危ない。ワルプルギスが暴れれば全滅だ。そうなるのは君も避けたいだろう?」
「そりゃ、そうだけど」
「なら僕が力になってあげられるよ」
「力に?」
疑問符を浮かべる僕に対し、白い悪魔は営業を開始した。
「うん、まどか以外に正位置についたワルプルギスを倒せる存在がいるとすれば、それは君しかいない。前にも一度話したけど、君の潜在力・因果の質は申し分ない。吸血鬼の君が『契約』すれば、きっと相乗効果があるはずだ。試してみる価値はある。だから阿良々木暦。僕と契約してみないかい? お互いに利害は一致しているはずだよ?」
利害の一致。都合のいいこと言いやがって…………。
しかし、確かにこのままじゃ全滅は避けられない。
絶対の切り札『心渡』も、退けられてしまった。
僕の力だけでは、厳しい状況。
気持ちだけでは、覆せない窮状。
それでもどうにかしなくちゃいけない。引き下がるわけにはいかない。諦めるわけにはいかない。
例え『どんな手』を使っても!
もう後の事を考えるのはやめだ。
安易に頼っていい力ではない。でも力があるのなら…………それがより大きな災いを産む結果になろうとも――それが裏切りの行為であっても――だとしても!
そして、僕は一つの決断を下す。
戯言シリーズの『策士』こと萩原子荻の台詞を引用させてもらいました。