~074~
「気付いていたのかい?」
「さてね」
ほむらはキュゥべえの言葉に取り合わず適当にあしらうと――それと同時に通学鞄の中に手を突っ込んで拳銃を取り出し、手慣れた動作でキュゥべえの頭へと照準する。
「私はあなたが怪しいと睨んでいるのだけど。どうなのかしら? 隠すと身のためにならないわよ」
脅しをかけつつ真偽を問い詰めるのがほむらクオリティ。
この光景にどこか既視感があるなと思い返してみれば、僕も初めてほむらと顔を合わせた時、これと似たような感じで詰問されたのだ。
もう驚きこそしないが……彼女の学校生活が心配になってくる。もし持ち物検査でもされたらどうするつもりなのだろうか。
「別に隠していることなんてないんだけどな」
ただキュゥべえは、銃に物怖じすることもなく平然とした調子で嘯いた。
こいつに対し銃で脅す行為は無意味。
例え銃で撃ち殺しても、何事もなかったようにスペアが現れるだけだもんな――ほむらもそれは重々理解した上で、銃口を向けているのだろうけれど。
「下らない問答に時間を割く気はないわ。御託はいいから心して答えなさい。魔女の結界で他の魔女を呼び出したのは、あなたなのかと訊いているのよ」
銃口を突き付けながら、ほむらは語調強く問い質す。
僕への対応も往々にして冷たいところはあるが、キュゥべえに対するものと比べてみれば、まだ温かみすら感じとれてしまうほど冷淡な声音だった。
「そんなことが可能だと思うのかい?」
それに対してキュゥべえは、のらりくらりと煙に巻くような鬱陶しいこの返し。
その物言いが気に食わなかったのか、ほむらのイライラ度が増したような気配が――目付きがほんの少し険しくなったような気がする。
ここで知らぬ存ぜぬを貫かれたら、僕としてはお手上げだったのだが――そこは聡明なほむらさん。
「考えられるとすれば、穢れを溜め込んだ孵化寸前のグリーフシードを再利用した――そんなところかしら? あなたも結界内部にいたのだし、魔女に集中していた彼らに気付かれないよう暗躍することぐらい訳ないでしょう?」
「暗躍とは言われたくないけれど…………そうだね、否定はしない。特に訂正する箇所はないよ」
具体的な推測を受けキュゥべえは――煮え切らない言い回しながら、事実であると認めた。
「嘘だろ……巴さんと杏子もいたのに、本当にあの子達を狙ったってのかよ!?」
「んーどうも誤解――認識の相違があるようだね」
「認識の相違だ?」
「うん」
僕は信じられない思いでキュゥべえを責め立てるも、何とも気の抜けた相槌に気勢を削がれてしまう。暖簾に腕押しといった感じが否めない。
それでも、こいつが“仕組んだ”のは間違いないと判明したのだし、ここは高圧的に詰問しても許される場面のはずだ。
「おいキュゥべえ。言い分があるなら聞いてやる! その認識の相違とやらを教えて貰おうじゃねーか!」
「だから彼女達のことをどうこうしようなんて意図はないってことだよ」
キュゥべえはいつもの飄々としたスタンスを崩さず、弁明を口にする。
こいつの言葉を鵜呑みにするのも危ういが…………やっぱり、ほむらの言っていた殺害を目論んでいたなんて思惑などではなく、他に何らかの目的があるということか……とはいえ、幾ら考えてもキュゥべえの思考など読めはしない。
取り敢えず、本人の口を割らせるのが手っ取り早いか。
「だったら何の為にあんな物騒なことを? お前の本当の目的はなんなんだ?」
「それに答えるのは構わない。ただその前に僕からも幾つか質問をさせて貰ってもいいかな? 君の質問に答えるにあたっての、取っ掛かりにもなるからさ」
そう言われてしまったら、要求を呑むしかない……か。
一応ほむらに視線を向け、アイコンタクトで確認しておくと小さく頷きを返してきた。
ということで、渋々ながらキュゥべえの言葉に耳を傾ける。
「…………なんだよ」
「まぁ大よその裏付けはとれているんだけど――先の魔女との戦いで、君が入手したグリーフシードは、今どこにあるんだい?」
何とも嫌らしい前置きを挟みキュゥべえは言う。
裏付けがとれているってことは、変にしらばくれても意味はないってことか。
「…………ほむらに渡したけど」
「それは僕もこの目で見届けた。でも“もう一つ”あったはずだよね? それはどうしたのかな?」
『影の魔女』と『暗闇の魔女』で、合計二つのグリーフシードを手に入れているのは、キュゥべえもその場に居合わせたのだから、そりゃ当然知ってるわな。
「…………」
ただ、このキュゥべえの質問には口を噤むしかなかった。
しかし、そんな些細な抵抗が通じるはずもなく――
「魔女との戦いを経て杏子とマミの二人が、かなりの魔力を消耗したのは間違いない。杏子は魔女により致命傷を与えられ、生命維持の為に――マミは魔女に膨大な魔力を注いだ大技を繰り出した。それに加え杏子の治療行為にも魔力を割いている。相応の穢れがソウルジェムに蓄積されたはずだ」
――僕の反応を逐一確かめるような口ぶりで、キュゥべえはここぞとばかりに畳み掛けてくる。
「にも関わらず、今、彼女達のソウルジェムに穢れは確認できなかった。だったらその穢れを取り除くためにグリーフシードを使用したはずなんだけど――君がさっき入手した、もう一方のグリーフシードを宛がったんじゃないのかい?」
「………………それが…………どうかしたのかよ」
「いや、間違いがなければいいんだ」
事前に裏付けを取った上で訊いてくるのだから、中々に性質が悪い。
なんだか取り調べを受けているような気分になってくる。
「そして、これらのことを踏まえて君の質問に答えさせて貰うと――当初の目的はね、“君の力を視る”ことだった」
キュゥべえは僕をまじまじと見据えながら――そう言った。
「は? 僕の……力を?」
話の繋がりが見えず戸惑う僕を尻目に、キュゥべえは悠々と語り出す。
「君は魔女に対抗できる、魔法少女以外の稀有な人間だからね。予てから調査対象ではあった。ただ今回は“回収が滞っているグリーフシード”の行方を探る上で、君が密接に関係していると判断したから、その辺りのことを調べるのが主要な目的だったんだけどね――おかげで全容が掴めてきたよ」
そこで一度言葉を切り、間を空ける。
そして殊更強調するように切り出した。
「阿良々木暦。改めて訊かせて貰うけど、僕が回収すべき使用済みのグリーフシードはいったい何処にあるのかな? あの量の穢れを移し替えたとなると、いつ魔女が生まれてもおかしくない危険な閾値まで達しているはずだよ」
「………………」
キュゥべえの問い掛けに僕は――いや、僕達は言葉を詰まらせる。ほむらも同様に渋い顔をしていた。
なぜなら――もうそのグリーフシードは“この世に存在しない”から。
どういうことかと言えば、ほむらからの依頼で使用済みのグリーフシードを、『心渡』で消し去っていたのだ。
キュゥべえと接する機会を少しでも減らす為であったり、穢れを溜め込んだグリーフシードを回収するのが使命だというキュゥべえにくれてやるのも癪だということで、せめてもの抵抗だった。嫌がらせと言い換えてもいいが。
またグリーフシードを処理するのに、物理的に『破壊する』という手段もないわけではないのだろうが、不用意に刺激を与えたら、魔女が孵化しかねないし、色々危なそうだったので、確実かつ安全に処理するには『心渡』を使うのが最も理にかなっていた。
一応、悟られないよう、気を使ってはいたんだけどな。
キュゥべえは僕達の顔色を見て、一人納得したように大きく頷く。
「やっぱりね――前々から察しはついていたけれど、何らかの手段を用いてグリーフシードそのものを除去しているのは間違いないようだね。僕としては、君が所有する刀に特別な力を感じていたんだけど、残念ながら、今回の調査では関連性を見出すことはできなかった」
どうやら、完全に露見したわけではない様子。
『心渡』を魔女相手に使わなくてよかった。忍に感謝だ。『心渡』はほむらにとっての『切り札』なのだから、今後はより厳重に注意しなければなるまい。
なんて、これからのことを思案していると、
「とはいえ、思わぬ収穫もあったよ」
キュゥべえは嬉々とした声音で語りかけてくる。
「収穫ってなんのことだよ?」
「君が最後に見せた力のことだよ――いや、ここは『吸血鬼』の力と言った方が正しいのかな? 君の“因果”はまどかには及ばないにしても、かなり特異だ。その点で言えば、暁美ほむらも同様だね。普通ではあり得ない因果の綻びが見受けられる。ほんとうに興味深いよ」
赤色に染められたガラス玉のような瞳が、じっと僕達を捉える。
二重の意味で目をつけられたことに、言い知れない薄気味悪さが全身を駆け抜けた。
ともあれだ。
ここで話を簡単にまとめておくと――キュゥべえは使用済みのグリーフシードの行方を調べるため、以前から当たりをつけていた僕を標的とし行動を開始。
そして魔女を嗾け作為的に僕達を窮地に追い込み、『心渡』を使用するしかない状況を作り上げた。
が、キュゥべえの思惑通り事は運ばず、僕が『心渡』を使用することはなく、忍の活躍もあり事なきを得た(吸血鬼に興味を抱かせる要因になってしまったが)。
しかし、結局は状況証拠――巴さんと杏子のソウルジェムの状態の変化などから、僕がグリーフシードを秘密裏に処理していることは、勘付かれてしまった。ただ除去する手段――『心渡』のことまではバレていない。
こんなところか。
「お前の目的はわかった。でも……だけどさ……もし、もしも、僕達が魔女を倒すことが出来ず、ずっとあのままの状態だったら、お前は僕達のことをどうするつもりだったんだ?」
例え僕が狙いであったとしても、結果的に巴さんと杏子も一緒にいて、巻き込んでいたのは揺るぎない事実だ。
僕達――いや僕のことはこの際いいとして、彼女達のことをどうするつもりだったのか、これを問い質さずには終われない。
「どうするつもりって……観察するのが目的だったと言ったはずだけど?」
だが、僕の問いに対しズレた返ししかしてこない。
このままでは埒が明かないので、僕の方から言い立てる。
杏子が魔女に突貫して負傷したのは、彼女が先走ったのが原因だと言えなくもないので、この件は目をつぶるとして――
「そういうことじゃなくて、最終的にはちゃんと助け出してくれるつもりだったんだよな?」
「ん? 目的はあくまでも君の力を視ることだけだ。必要以上の干渉はしないよ」
「は? 待て……ふざけんな…………ふざけんなよ! じゃあ結局、それは見殺し……いや、そもそもお前が仕組んだことなんだから、殺そうとしていたも同然じゃねーか!!」
頭に血が昇り、衝動のままにキュゥべえに怒りをぶつけるも――
「受け取り方次第でどうとでも言えるけど、僕は状況を整えたに過ぎないよ。結果的に死んでしまっても、それは致し方ないことだ。僕が関与することじゃない」
悪びれた様子もなく、さも当然のように白い悪魔はのたまう。
何を言っているんだこの生き物は。
「おい、お前は魔法少女のサポート役なんじゃねーのかよ!?」
「そうだけど、グリーフシードを回収することもまた、僕の大切な使命だよ?」
「だからって!」
「そいつはそういう奴よ」
怒りに打ち震え更に声を荒げようかという僕を制してほむらは言う。言外にキュゥべえに何を言っても無駄だと諭してくれたのだろう。
そういや、こいつのスタンスは始めから変わっていないのか。
それは、初めてキュゥべえと接触した時から既に明らかになっていたことだ。戦場ヶ原が見抜いていたことだ。
キュゥべえは人間の命を軽視している。
人間という存在を蔑ろにしている。
こいつは人間を替えのきく、補充のきく“便利な道具”と見做している。そこに人間側の価値観は存在しない。
そして、魔法少女である彼女達だってその例外ではないということだ。
こいつは、目的のためになら手段を選ばない。
これは既に解かりきっていたキュゥべえの性質ではないか。
キュゥべえという存在を――キュゥべえの異常性を――今度こそちゃんと再認識する。
と、不意に水滴が頬を打った。
ぽつり、ぽつりと曇天の空から滴が落ちてくる。
ずっと空模様が怪しかったけれど、やはり雨が降り出してしまったか。
数秒としない内に、全身がずぶ濡れになるのほど雨脚は強くなっていく。
それに伴って、美樹が動きをみせた。
流石にこの土砂降りの雨の中、じっと座ったままでいることに抵抗を感じたのか、美樹は項垂れた姿勢でとぼとぼ歩き出す。何ともおぼつかない足取りである。
キュゥべえに問い質したいことは、まだ山ほどあるのだが――今は美樹のことが優先だ。
僕達はそこでキュゥべえとの話を打ち切って、美樹の後を追うことにする。
雨で濡れ鼠になった不快感に、キュゥべえに対する憤り。自分自身の不甲斐なさ。
心の中が鬱屈とした気持ちで埋め尽くされていく。