こよみコネクト~その4~
~072~
忍が吸血鬼としてのスキルを遺憾なく発揮し、圧倒的な力を誇示して『暗闇の魔女』を仕留めたその後――結界の消失に伴って、元いた結界に舞い戻った訳だが、忍は物の次いでとばかりに、『影の魔女』も一太刀に斬り伏せてみせた。
まぁ杏子によってほぼ戦闘不能の状態に追い込まれていたので、魔女に抵抗する余力など残されていなかったが。
兎にも角にも、これで無事魔女退治が完了した――のだけど…………ただ一つ、厄介な問題を抱えていた。いや、厄介な問題をお姫様抱っこしていたと言った方がいいのか。
佐倉杏子。
この子をどうするかである。
このまま放置していくわけにもいかないし、一向に目を覚ます気配もなかったので、ほとほと困り果てていた。
巴さんの話によると、杏子は家族と死別しているらしく今現在ホテル暮らしなんだとか。
かなり繊細な内情があるようで、巴さんも相当に口が重く、この件に関しての詮索は控えておいた。彼女自身も交通事故で両親を亡くしているので、色々思うところもあるのだろう。
ともあれ、そんな理由もあり、杏子が意識を失っている状態では宿泊しているホテルを訊き出すこともできず、送り届けることもできない。
結局のところ、巴さんの申し出もあり、巴さん宅で面倒をみるということで落ち着いた。
怪我の治療も応急処置程度しかできていなかったこともあり、自宅で改めて加療を行うとのことだ。
そうして、巴さんの住むマンションまで杏子を送り届けて、諸々の手当てが一通り完了したのを確認して、僕はその場を後にした。
巴さんと杏子を二人だけにするのは色々心配だったものの――巴さんが治療の一環として、魔法の力で全身麻酔のような処方をとったらしく、あと丸一日は半強制的に安静にさせるとのことだから、まぁ大丈夫だろう。
もし仮に目覚めたとしても、杏子だって看護してくれている相手に喧嘩を吹っ掛けはしまい。
何かあったら、直に連絡をいれるよう巴さんには伝えてある。
巴さん一人に杏子を押し付けるかたちになってしまったが、目下の優先すべき懸案事項は美樹の方だ。あっちだって、ほむらに任せきりにはできない。
ちなみに、僕の影(設定)として、忍が縦横無尽に暴れ回った代償というか、巴さんが僕に抱く過剰とも言える吸血鬼への憧憬に関してだが――巴さんにしても、杏子が意識を失っている状態で、はしゃぐのは不謹慎だと自制してくれたようで、変に質問攻めにあうことはなかった。
とはいえこれについては、“現時点においては”との注釈が必要で、今後のことを考えると頭が痛い。
とまぁ、そんなこんなで――僕はほむらの下に向かうことにしたのだった。
忍探知機(魔法少女の血の匂いを辿る、言わばGPS機能みたいなもの)によると、依然として美樹は河川敷にいるらしく、ほむらもその場に留まって監視を継続しているようだ。
事前に連絡を入れようかとも思ったが、ものの数分で到着するし、あのいつもの冷めた調子で邪魔者扱いされても嫌なので、ほむらへの連絡は敢えて省略する。
そして――
「戻ってきたの」
開口一番――露骨とは言わないまでも、絶妙に迷惑そうなニュアンスを含ませた声音で、ほむらは僕を出迎えてくれた。
うん。予想通りの反応ではあるので、気にしない気にしない。
「……ああ、そりゃな。美樹のことも心配だし…………で、様子はどうだ?」
「これと言って何も。飽きもせずずっと同じ姿勢で川の流れを眺めているだけよ」
「……そうか」
ほむらの言う通り、美樹は相も変わらず土手で体育座りしており、全身から哀愁を漂わせていた。
僕が此処を離れてから、結構な時間が経過しているのに…………出来ることなら、雨が降り出す前に帰宅して欲しいものだが。
いよいよもって、空模様が怪しくなってきた。
「あ、そうだ。ほら戦利品だ」
僕はポケットからグリーフシードを取り出しほむらに手渡す。
『心渡』も使用していないし、忍が魔女の一部を食べはしたが、喰らい尽くした訳ではないので、今回はちゃんとゲットできている。
「確かに受け取ったわ」
ほむらはグリーフシードを目線の高さにかざし手早く状態の確認をすると、すぐにスカートのポケットの中へ。
特に労いの言葉はなく事務的な対応だ。
忍の手柄だし僕は何の役にも立っていなかったので、文句など言える筋合いはないのだけど、ほんの少しだけ釈然としない気分である。
「で、随分と時間が掛かったようだけど」
と、謝礼の代わりに要領の悪さをなじるような語調でもって、そんな疑問を投げかけてくる。
厳しい上司なことで。
「まぁな。何から話したものやらって感じなんだが、えっと、あの隣町の魔法少女――杏子と一悶着あってさ」
「佐倉杏子と?」
「そうそう。ほんと色々あって……戦闘中に負傷した杏子を巴さんの家に送り届けてきたとこなんだよ」
取り敢えず、大まかな要点だけを抽出して報告すると、ほむらは少し驚いた反応を見せた。
「あの子が怪我を?」
「ああ、結構な深手だったんだけど、巴さんが応急処置してくれたから命に別状はないよ。ただ気を失っている状態だから、今は巴さんの家で静養中だ」
「…………そう……巴マミの家に」
意味ありげに、ほむらは確認するように呟く。
「どうかしたのか?」
「いえ、都合がいいと言ってはアレだけど、丁度こちらから佐倉杏子に、コンタクトをとろうと考えていたところだったから」
「何か話でもあるのか?」
「ええ、だから怪我の具合にもよるでしょうけど――出来るなら明日の放課後辺りに、巴マミの家で会合の場を設けさせてもらいましょう。佐倉杏子を引き留めておくよう伝えておいて頂戴」
なんとも一方的な物言い。
連絡先知ってんだから自分で伝えろよと思わないでもなかったが――こいつは人にモノを頼むのが苦手なのだ。
故に、僕に対しての発言は『頼み』というより『命令』ってことなんだよね。
「…………いいけど――」
それに文句も言わず、従順に従う憐れな僕。
奴隷根性が染みついてきているような気がする。
「――ただ、まだ杏子とは敵対関係にあるっつーか、アイツが素直に従ってくれるかは保証できないぞ。それで具体的に何を話すつもりなんだ? 揉め事はやめてくれよ」
あまり詮索するとほむらの機嫌を損ねることになるが、取り次ぎをしようという立場的に、ある程度は話の骨子を整えておく必要がある。
巴さんの家で問題を起こすわけにはいかない。
「別にあの子と争うつもりはないわ。寧ろ、その敵対関係を改善し『協定』を結ぶことが目的よ」
協定を結ぶって……要は杏子を魔法少女同盟に引き入れるってことだよな?
「へぇ、珍しいこともあるもんだな」
「珍しい?」
「だってほら、お前って単独行動ばっかだし、自分から率先して魔法少女の仲間を増やそうとするなんてさ」
人との関わりを拒みがちなほむらが……まさかこんなことを言い出すとは――なかなかに感慨深いものがある。
「…………そうかもしれないわね。でも、なりふりなんて構っていられる状況ではないから」
何やら、物々しいトーンでほむらは言う。
「んっと……僕の気のせいじゃなければだけど、差し迫った問題でもあるのか?」
ただならぬ様子に、不安を覚えつつ尋ねると――あまり教えたくはない内容なのか、ほむらはかなりの間逡巡してから、やっとのことで口を開く。
「……………………もうすぐ、この見滝原に『ワルプルギスの夜』が現れる」
「ワルプルギスの夜? なんだそりゃ?」
「超弩級の大型魔女よ。今までの魔女とは違って、結界に隠れて身を守る必要もない程に強大な力を持っている。こいつが暴れ出せば、町は壊滅的な被害を受けることになるわ」
「……被害って……どの程度のものなんだ?」
「軽く見積もっても、数千、いえ数万人の死者が出ることになるでしょうね」
「……………………」
ほむらの説明を受けて、僕は絶句する。
「だからこそ、その魔女に対抗する戦力として、佐倉杏子とは是が非でも協力関係を築きたい」
そうか。そういうことか。
ほむらが仲間を増やそうとするなんて、意外だと思っていたけれど――納得だ。
しかし『ワルプルギスの夜』か。
これもまた、ほむらの予知能力による未来視なんだよな。
彼女には、一体全体どんな未来が見えているのだろうか?
「詳細については、そうね。明日、佐倉杏子との交渉時に纏めて教えることにするわ。ということだから、あなたも同席しなさい」
と、僕が質問を投げかけるのに先んじて、ほむらは言う。
気になってしかたがないが、ちゃんと話してくれるつもりのようだし、ここでの質問は控えるとしよう。
あと、元より同席はするつもりだ。
険悪な状態の巴さんと杏子の間に、コミュニケーション能力に欠如したほむらを単身で向かわせるなど、危険過ぎる。
「って、ちょっと待ってくれ!」
「なに? 詳細については明日話すと言ったでしょ?」
「…………そういうことじゃなくてだな」
これって……ほむら本人が直接杏子と交渉しようってことだよな……。
自己本位に物事を進める傾向にある暁美ほむらに、手前勝手で我が強い佐倉杏子。
はたして、この二人を引き合わせてしまってもいいのだろうか…………。
つい先ほど触れた通り、ほむらは人にモノを頼むのが苦手だ――あまり本人は自覚していないようだが。
そんな奴が、杏子と諍いを起こさず対話することが可能なのか?
いや、高い確率で杏子からの反感を買うとみていい。すんなり事が運ぶとは思い難い。
でも、このことをそのまま伝えるのは余りにも失礼だし、ここは慎重に言葉を選んで――
「なんというか、ほら、杏子は気難しい奴だし――素直に話を訊きいれてくれるのかなーって」
ほむらの性格に難があることは、触れない優しさ。
「そういや……お前と杏子って直接の面識はないんじゃないのか?」
お互い存在は認知しているようだけど、今までそれとなく入ってきている情報から推察するに、直に会ったことはないと僕は思っていたのだけど。
「ないわね」
ほむらは当然のように首肯する。
だよな。はぁ…………なんだかなー。
「何よ? 言いたいことがあるのならはっきりと言いなさい」
「いや…………初対面の相手だったらなおのこと、説得するのは難しいと思うぞ」
「大丈夫、問題はないわ。佐倉杏子の素性も性格も把握しているから。それにちゃんと“交渉材料”も用意してある」
と、僕の心配を余所に、ほむらは自信ありげに豪語する。
ほむらなりに考えていることがあるというのなら、僕がどうこういっても仕方がないか。
でもなー。ほむらの素性はよく知らないけれど、性格に関してはこれ以上ないぐらいに把握している身としては、彼女の言葉で安心できるはずもなく気が気ではなかった。
とは言え、願ってもない展開であるのも事実だ。
渡りに舟とでもいうのか、この話を上手く進めることができれば、それは同時に巴さんと杏子の仲を修復させるいい切っ掛けというかチャンスにもなる。
僕が調停役として、円滑に話が進むよう尽力しなければ。
~073~
「それにしても、驚きね」
「ん?」
「あの佐倉杏子が、『影の魔女』相手に不覚をとるなんて。私としては彼女の力をもっと高く買っていたのだけど」
「ああ。いや、違うぞ?」
「違うってどういうこと? まさか巴マミがあの子を?」
「そんなわけないだろ!」
と、ノータイムで強く否定してしまったが、数日前に僕と美樹は、杏子と一戦を交えたこともあるし、未だ敵対関係にあるのだから十分あり得る話か。
ほむらからしてみれば、『影の魔女』以外に杏子に深手を負わせることが可能な相手なんて、巴さんぐらいしか思い当たらないのも無理はない。
「そういや、まだ言ってなかったけど、もう一匹魔女がいたんだよ」
「もう一匹? それは何処に?」
「何処って、『影の魔女』の結界の中に」
「え!? ちょっと待って、もっと詳しく教えなさい!」
「ん、ああ、そうせっつくなって」
剣幕に押され、少したじろぎながらも、端折っていた部分――『影の魔女』との交戦中に『暗闇の魔女』の結界に呑み込まれたことやら、その呑み込まれた結界の中で起こった出来事をでき得る限り詳細にほむらに話す。
ただ忍が魔女を退治したことに関してだけは、忍から口止めされている事も有り、吸血鬼の力を使ってという、かなり大ざっぱで漠然とした説明になってしまったが。
そして、一連の説明を受けてほむらは――
「魔女の結界の中に、他の魔女が紛れ込んでいた」
――改めて確認するように、或いは自問自答するように独白する。
どうも腑に落ちない点があるようだ。眉根を寄せ、深く考え込んでいる。
「憶測でしかないけど、この見滝原って他の町よりかなり魔女の数が多いみたいだし、多分その所為じゃないのか?」
そういった見解を杏子とキュゥべえが話していた気がする。
「そう考えても一応筋は通る――けれど、あまりにも不自然な部分が多い。違和感しか湧いてこないわね」
「んなこと言っても、実際問題、有り得たんだから仕方ないだろ…………まぁ相当に運が悪かったんだろうさ。偶然とか不運ってのは重なるもんなんだよ――それに、魔女が結界を創る場所ってのは、ある程度限られている訳だし」
だからこそ、重点的に巡廻するポイントってのがあるのだ。
あの廃工場は人気もなく、如何にも魔女が好みそうな場所だった。
「そうね、そこまでならまだ納得――許容はできた。でも、“それだけ”じゃないでしょう? 取り込まれた先に居たのは、闇の世界を好み、光を嫌う『暗闇の魔女』――あなたの話では、結界が干渉し合った影響で、そいつの弱点である光が一切生み出せない空間になっていたのよね。あたかもその魔女の為に誂えたかのようじゃない? こんな“偶然”が本当に有り得ると思う?」
ほむらは自身の見解を一息に述べ立てる。
指摘されるまで、全く気にも留めていなかったが――
「確かに、言われてみれば…………なら、これはどういうことになるんだ?」
「魔女の特性を把握している何者かが暗躍し、作為的にこの状況を作り上げた――そう考えるのが順当ね」
ほむらは思い悩むこともなく、持論を展開――そして、まだ上手く考えが纏まらず軽く混乱状態にある僕に対し、続けて問い掛けてくる。
「ねぇ阿良々木暦。キュゥべえに何か怪しい動きはなかった?」
「へ? いや、魔女の動きに集中してから、キュゥべえのことなんて気にかけてる余裕は…………って、もしかしてお前はキュゥべえが仕組んだことだって言いたいのか!?」
「そうよ」
即答。
微塵の揺らぎもなく――確信に満ちた断定だった。
「あいつは疑って然るべき相手よ。絶対に信用してはいけない」
「そりゃ信用はできない奴だけど……曲がりなりにも魔法少女のサポート役だろ。ちょっとばかし邪推が過ぎるんじゃないか? だって、下手したら僕も巴さんも、それに杏子だって死ぬとこだったんだぜ?」
忍の働きがなければ、まだ結界に取り込まれたままで――為す術もなく衰弱死していたか、魔女に突貫し返り討ちにあっていたか…………そんな結末が待っていたかもしれないのだ。
「なら、殺すつもりだったんでしょ」
「いやいや、それは幾ら何でもないだろ……………」
キュゥべえの肩を持つつもりはないが、流石にこれは。
「魔女を倒すことがあいつの使命というか目的なんだから、そんなことしてキュゥべえになんの得があるっていうんだ? 本末転倒じゃないか」
「それはどうかしら。あいつにとって魔女を倒すことなんて二の次なのよ」
「は? それってどういうことだ? なら、キュゥべえの第一の目的はなんなんだよ? ほむら、お前は知っているのか?」
「それに私が答えても、意味はないでしょう。不毛な論じ合いにしかならない」
僕が詰問するも、いつものようにさらりと躱される。
また肝心の核心部分は聞けずじまいに終るのか――と、諦めかけたのだが、
「だから――私じゃなくて件の張本人を問い質せばいい」
「え? それって」
「こそこそ隠れていないで出てきなさい。居るのはわかっているわ」
ほむらは僕に向けてではなく、他の誰かに向けて言葉を発する。
そして――それに応じて今にも雨が降り出しそうな曇天の中、薄闇に紛れて小さな影が忍び寄ってくる。
尻尾をのっそりと左右に揺らしながら、そいつは姿を現した。
もう敢えて言及する必要もないかもしれないが、そこに現れたのは、赤玉の瞳に白い体躯をした猫兎擬き。ほむらから嫌疑を掛けられた謎多き生命体――キュゥべえだった。
今後の展開を示唆しつつ、ここで元凶の登場です。
だいたいこつのせい。
※某詐欺師からのお言葉
「いわゆる一般的な意味での偶然って奴は、これがなかなかどうして曲者でな――大抵の場合、偶然というのは何らからの悪意から生じるものだ」