~057~
「え? 放課後? あーうん、別に構わないけど」
作戦の第一段階は、思いのほか簡単にクリアされた。
とは言っても放課後に話したい事があるという名目で、登校中の美樹さやかに声を掛け、約束を取り付けただけに過ぎない。
登校中ということもあり、彼女の傍にはまどかと志筑仁美の姿もあった。
いや、タイミングを見計らって三人が合流し、仲良く談笑しながら学校へ向かおうとしているところへ、故意に割り込んだのだから確信的にこの状況を作り出したといえようか。
これなら放課後一緒に行動することが多い彼女達への事情説明も省くことができるし、先約として約束したのを見せることによって志筑仁美への牽制にもなる。
しかしながら、美樹さやかが難色を示した場合のことも想定して、色々と説得する言葉を用意していただけに、少し肩透かしをくらった気分だ。
『お菓子の魔女』との一件を契機として、確執めいたものは解消されており、少なからず情報交換をする間柄になっていたことが功を奏したのだろうか。
信用されているとまでは言わないが、警戒はされていないと言ったところ。
繰り返してきた他の時間軸では、基本的に対立関係になっていたからこそ、この状況にどうも違和感を覚えてしまう…………。
ただ反応からして、魔法少女関連の話があると判断しているようだけど。
まぁまだ本当の要件を伝えるべきではないのだから、寧ろ好都合と言えた。
ともあれ、私と美樹さやかの関係を探ろうと、興味津々な眼差しを向けてくる志筑仁美から逃れるべく、逃げるように早足で学校へと向かう――と見せ掛けて、適度に距離を離したのち、木陰に隠れて待ち伏せし、彼女達の後をつける。
別にこれはまどかの尾行目的というわけではなく、美樹さやかの反応を確認する為。
「あれ、上条くんじゃない?」
「あら、ほんとうですわ。上条くん、退院なさってたんですのね」
松葉杖をついて登校途中の上条恭介の姿を発見したようで、まどかが指差しながら美樹さやかの裾を掴み、志筑仁美は驚嘆の声を上げている。
「え、あ……うん、そ、そだね」
美樹さやかの様子を見る限り、彼が登校してくるとは知らなかったらしい。
退院したこともお見舞いに行った病院で、看護師の人から知らされたというし…………他人ごとながら居た堪れない気持ちになってくる。
「ねぇさやかちゃん、折角だし、声掛けてきたらどうかな? 上条くん、きっと喜ぶよ!」
「え、いいってば……ほら、恭介、男友達に囲まれて、楽しそうだし……」
彼女の言う通り、上条恭介の周りには、クラスメイトの男子生徒達の姿があった。それを彼女はただ遠巻きに眺めることしかできないでいる。
その構図は学校が始まってからも同様で――久しぶりに登校してきた上条恭介の周りには、休み時間や昼食時ともなるとずっと人だかりができていた……そして相も変わらず、依然として美樹さやかは彼に近寄ろうともしない。
表面上は平静を装って、明るく振る舞っているようだけれど――陰ながら観察するかぎり、そわそわして落ち着きがないのは、傍目から見てもよく分かる。
話かけようとする素振りはあれど、踏ん切りがつかないようで、ずっと彼の姿を目で追うだけ。
あれだけ連日お見舞いに行っていたくせに、何を今更恥ずかしがることがあると思わずにはいられないけれど、それが乙女心というものなのだろうか。
それとも退院したことや学校に復帰してくることを、事前に教えて貰えなかったことが響いているのか……。
今朝方言葉を交わした限りでは精神状態も良好で、案外へたに介入しなくとも、このまま上手くいくのではないかという気持ちも湧いてきていたが…………そんな考えは打ち消した。
こんな有り様では、志筑仁美の押しに負けるのも尤もだ。
美樹さやかの心は、繊細で――酷く脆い。
何もせずこのままいけば、他の時間軸と同様に上条恭介と志筑仁美が付きあうことになるだろう。そうなってしまえば、いとも容易く彼女は魔女へと堕ちる。全てが終わる。
何としても、最悪の結末を回避しなければならない。
作戦に変更はなし――決行だ。
これが彼女の運命を左右する、大きなポイントになるのは間違いない。
そして――運命の時が訪れる。
~058~
「ねぇほむら。結局、話しってなんのよ。ま、あたしとアンタの間で話っていうのなら、大方、魔法少女関連についての事なんでしょうけどさ」
「別に魔法少女に関したことなんて、私は言っていないわよ」
「え、そうなの? ……確かに話があるとしか、アンタ言ってなかったわね…………にしても、わざわざ“こんな所”にまで来る必要あったわけ? 喫茶店とか、他の場所でよかったんじゃない?」
美樹さやかの言う“こんな所”とは、見滝原病院の屋上だった。
夕焼けに染まる見滝原の街並みが一望でき、この場所が病院ではなく観光スポットの類であれば、多くの人で賑わっていた事だろう。
とは言っても、普段は関係者以外立ち入り禁止となっており一般開放されていないので、他に人の姿はなかった。
「あなたを此処に呼んだ理由は、この病院に関係しているからこそよ」
邪魔が入らず、人が立ち寄らない場所ということで屋上を選びはしたが、より大事なのは、見滝原病院という空間だった。
「病院が関係してるって……あ、もしかしてあの人形の姿をした魔女の使い魔がまだ潜伏してたとか? って、そういった類の話じゃないんだっけ…………えっと、ほんとよくわかんないんだけど……?」
それもそうだろう。世間話なんてする間柄でもない。
魔法少女関連の話以外、何も思い当たらないようで、美樹さやかは困惑した表情を見せる。
「話というのは、上条君のこと」
「え、えっと…………上条って…………もしかしなくても……恭介のこと?」
私の口から上条恭介の名前が上がったことで、更に困惑の度合いが深まっていた。
そんな彼女に対し、私は本題を切り出すべく、覚悟を決める。
全てはまどかの為…………そう何度も自分に言い聞かせ、一呼吸おいてから――私は口を開く。
演技とはいえ、かなりの抵抗のある言葉だ。
「突拍子もない発言に聞えるでしょうけれど…………私、上条君のことが…………す、好きなの」
「ふぇ?」
素っ頓狂な声をあげ、面食らった表情で呆然とする美樹さやか。
慣れない演技で舌が回らずどもってしまい、怪しまれるかとも危惧したが――
「へ、へー……アンタ、恭介の事が好きなんだ…………そ、そりゃ驚きだわ」
動揺を悟られまいとするのに必死で、私のことを気にかける余裕はないようだ。
ただ、そんな状態の彼女でも、
「って、ほむら。アンタ転校生だし時期的に考えて、恭介と顔を合せたのって今日が初めてなんじゃないの? それってつまり、一目惚れしたってこと?」
当然の疑問というか、不可解な点に気付くのに然程時間は要さなかった。
ただそれについては想定済み。答えは既に用意してあるのだから、慌てる必要はない。
「一目惚れとは少し違うし、上条君と会ったのは、今日が初めてではないわ。私は彼とこの病院で出会っている。そう彼が交通事故で入院して、数日たったある日のことよ」
「病院でって……あ…………そういや、なんかの病気で入院してたんだっけ…………もしかして、この病院だったの?」
「そうよ」
本当は別の病院だったけど、何食わぬ顔で私は首肯した。
「私が患っていたのは心臓の病気――覚えたくもないほどに長ったらしい名前の難病で、決まった時間に検診や点滴を受けるだけ。ベッドの中で過ごすことしかできない毎日に嫌気がさして、私は自暴自棄に陥り塞ぎ込んでいたわ。そんな精神的に摩耗し切っていた私に、声を掛けてくれたのが上条君だった」
「……恭介が」
「ええ、それこそ魔女のくちづけを受けた人間のように、余程生気がなかったんでしょうね。見るに見かねた彼が、優しく気遣ってくれたの」
「へー、意外とやるもんだねアイツも……」
「実を言うと接点は初めて声を掛けて貰ったこの時だけ。でも彼の姿はそれからも、リハビリ室でよく見かけたわ。必死に怪我を克服しようとするその直向きな姿を見て、私は生きる気力を取り戻した。自分も頑張ろうと、そう思えた。思うことができた」
どの口が言っているのか。
自分でも呆れるくらい適当なことを言ってると思う。
心臓の病気だったのは本当だけど、他は全部捏造でありでっち上げだ。
嘘を重ねるあまり多弁が過ぎた気はしたが――それでも、それなりに真実味はあったようで、私と上条恭介との出会いの経緯を、美樹さやかは真剣に聞き入っていた。
そして、ポツリと言葉を溢す。
「…………それで、恭介の事が好きになったんだね」
反応を見る限り、疑われてはいない様子。信じていると判断して、私は更に続ける。
「ええ、だから、これは一方的に私が彼に惹かれているということであって、上条君はきっと私のことは覚えていない、いえ、今日軽く顏を合せた時の様子から察するに、残念だけど私のことは記憶にないようだったわ。だけど……だからこそ、私の気持ちを彼に伝えようと思っている」
しっかりと『上条恭介が
その上で――続けざまに核心に迫ったのは、あれこれ詮索される前に話を切り替え、ぼろを出さないようにするという目的があった。
攻撃は最大の防御――それは人と話す時に於いても言える事。話の主導権を手放してはいけない。
これ等は全て月火さんのアドバイスで、彼女は人心掌握術の一種だと得意気に語っていた。
「……そ、それって、告白するってこと!?」
「ええ、そうよ」
「はー……そっか、そうなんだ。はは、ははははは……アイツも罪作りな男だねぇ」
効果の程は覿面だったようで、もう目に見えていっぱいいっぱい。引き攣った表情で乾いた笑いをあげている。動揺が全く隠しきれていない。
「で、でもさー、そんな事をアタシに話されても、困るっていうか……ほむらの意図が読み取れないなぁ、なんて」
声を上擦らせ彼女は言う。
「本当に?」
「ほ、本当にってなにさ」
「あなたも、上条君のことが好きなんでしょう?」
ここぞとばかりに、私は切りこんだ。
「え……なに言ってんのさ。別に私はアイツのことなんて……」
「あまり惚けないで欲しいわね」
「惚けるも何も……」
「隠しても無駄よ。というより、あれで隠しているつもりだったら驚きだわ。あなたが足繁く上条君のお見舞いに行っていたことも、彼の為に魔法少女になったのも知っているし、そもそも好きでもない相手の為に、たった一度の奇跡を使うなんてありえない。彼が好きだから、彼の為に魔法少女になった、違う?」
「……それは、幼馴染のよしみというか……ただ恭介のヴァイオリンを聴きたかっただけというか……そういった気持ちで魔法少女になったわけじゃ」
「ないと言い切れる?」
「……………………」
「まぁそれならそれで構わない。あなたが彼に好意を――恋心を抱いていないというのなら、私は気兼ねなく上条君に告白できる」
どうにかして美樹さやかの本心を暴かなければ、話が進まない。
少し強引で、きつい口調になっているが、それは彼女の心を煽る為にやむを得ないこと。
畳み掛けるように私は言葉を紡ぐ。
「私もこうして打ち明けたのだから、女同士で腹を割って話しましょうよ。美樹さやか、もう一度だけ訊くわ――あなたは上条君のことが好き?」
「………………だと思う」
「何? 聞えないわ」
「……好きだと思う」
「なら、あなたは上条君と恋人同士になりたい?」
「……そりゃなれたらいいなぁと、考えた事もなくはないけど……」
「煮え切らない言い回しね」
「だって……ほんと、自分でもわかんないんだよ!」
「そういうものなのかしらね。まぁこれであなたの気持ちはよくわかったわ。いえ、元々知っていたことだから言質をとったといった方がいいのかしらね」
「さっきからアンタねぇ、いったい何が言いたいのさ」
本心を曝け出したことで幾分気が落ち着いたのか、訝しげな視線を向けてくる。
さて、ここが正念場。
何としても上手く乗り切らなければ。
「何が言いたいのかと言えば、そうね。率直に言うと、今この場で、上条君に告白するか決めてほしい。もしあなたが告白しないというなら、先に私が告白させて貰うことになるわよ」
「は!? え? それってアタシが恭介に告白するってこと!?」
「他に誰がいるのよ」
「待って待って! ちょっと待って! なんで!? いきなり過ぎてアンタの言ってることがわかんないっ!?」
私の言葉に、またも面食らう彼女。面白いくらいに取り乱している。
「別に難しい話をしているつもりはないのだけど。つまり、私が先に告白することを許容するのか、それともあなたが先に告白するのかってことよ。わかる?」
「それはわかってるってばっ! じゃなくて、そんな勝手なこと言われても困るというか、アンタの言ってることめちゃくちゃだって!?」
「そうかもしれない。でも、美樹さやか。あなたは“勝手”と言うけれど、寧ろこれはあなたに対する、最大限の譲歩だってことは知っておきなさい」
「何よ。最大限の譲歩って……」
「察しが悪いわね。あなたに何も告げず、私が上条君に告白することも可能だったってことよ。もしかしたら、知らない内に失恋していたかもしれないということがわからない?」
これも演出の一環。彼女の危機感を煽るのが目的。
「…………なら……なんでそうしなかったのよ。アンタに譲歩される覚えなんて、アタシにはないんだけど」
「なんでと言われれば、それは、私があなたには感謝しているからよ」
「……感謝?」
「ええ。あなたのお陰で上条君は救われた。彼の生きる意味を取り戻してくれた。あなたの尊い願いを知っているからこそ、私はあなたに敬意を抱いている。そんなあなたを差し置いて、抜け駆けはしたくなかった。それだけよ」
志筑仁美のように親友云々の理由は当然使えないので、これが一番尤もらしい理由のはず。
「…………ほむら」
だけど、些か理由付けが重すぎたようで、美樹さやかが変に感じ入ってしまったのは失敗だった。
私に対する印象が良くなっても何の意味もないのに!
私の役目は、彼女を徹底的に焚き付けること。
「それで、美樹さやか。あなたの答えをさっさと訊かせて貰えるかしら?」
ことさら辛辣に私は言う。
嫌われるくらいで丁度いい。
「…………答えって…………告白とかそんなこと、全然考えたこともなかったし…………もっとじっくり考えさせてよ」
「じっくり……ね。それって具体的にはどれくらいの時間を指して言っているの?」
「……一週間…………とか?」
覚悟の程は全くもって足りていないようだ。
こんな調子ではきっと、一週間待ったとしても同じような事を言うに決まっている。
明日には志筑仁美も動き出すだろうし、悠長なことは言っていられない。
できることなら自発的に告白するよう仕向けたかったが――
「少し、失礼するわ」
そう断りを入れ――私は携帯を取り出し、事前に作成しておいたメールを送信する。
宛先は阿良々木暦。それで阿良々木兄妹が行動を開始してくれる手筈になっていた。
「さて、美樹さやか。あと数分もすれば、ここに上条君がやってくるわよ」
賽は投げられた。もう後戻りはできない。
「え!? それってどういうこと!?」
「言葉通りの意味よ。ちょっと知り合いに連絡して、上条くんの案内を頼んだだけ」
私は端的に事実を伝える。
「……それ、マジで言ってるの?」
放心にも近い愕然した面持ち。
震えた声が、彼女の心境を雄弁に物語っていた。
「勿論。これであなたに残された時間は残り僅かよ。いい加減、覚悟を決めなさい」