大分時期が開いてしまいましたが、ようやく更新となりました。
リアル生活が忙しく、ついでにモンハンにはまってしまい、執筆が遅々として進まなかったもので……。
で、今回は、キリカと織莉子が友達になる話となります。あと、織莉子についている黄金聖闘士も此処で正体がわかります……、とはいっても前の話でもう分かっている人も居るでしょうけど。
呉キリカはいつも一人ぼっちであった。
何処までも引っ込み思案で、内向的な性格のせいで、誰とも付き合えず、何とも向き合う事が出来ない。
やがて彼女自身も学校にも行きたくなくなり、次第に学校をサボりがちになっていった。
キリカ自身はこれは自分の周囲が中身も無く、面白味も無いせいだと考えていた。
クラスメートの会話も、勉強も、遊びも、何もかもがつまらない。だから自分は自分の中に引きこもるしかなくなったのだ。
そう思いこみ続けていた。本当は別の理由があるにもかかわらず、全く関係のない事で自分を誤魔化し続けていた。
キリカはそんな自分の性格が嫌いだった。何処までも疎ましかった。
だけど結局何も変わる事が無く、変える事無く現在まで来てしまった。
それでもキリカは達観していた。悔しいとも悲しいとも感じることは無かった。ただ、自分は一生この性格のまま、つまらない日常を生き、代わり映えの無い世界の中で死んでいくのだと割り切っていた。だからこそキリカはこの性格を変えようとも、変わろうとも考えることは無かった。
その日、彼女と出会うまでは…。
ある日、キリカはコンビニでお金を払おうとした時、うっかり財布を落としてしまった。
店員は口では心配するような言葉を出してくるが、その表情はどこか面倒臭そうであり、キリカを心配しているようには見えない。後ろで並んでる客は、各々舌打ちをしたりいらついた口調で「さっさと拾えよ」等と怒鳴ったり、あるいはドジをしたキリカを嘲ったりとこちらを助けようとする様子は微塵も感じられない。
キリカはそんな連中に対して文句一つ言わず、地面に落ちた小銭を拾い始める。
元からそんな事が言える性格ではないし、たとえ言ったとしても何かが変わるわけではないし、無駄な労力にしかならない。
キリカは周りの暴言や嘲笑を無視して地面に落ちた小銭を拾い続けようとした。と、
「大丈夫?」
見ず知らずの少女が、キリカの側に膝をついて一緒に小銭を集め始める。キリカは驚いて少女に顔を向ける。
その少女は、同じ女性であるキリカの視点から見ても、思わず息を飲んでしまうほど美しい少女であり、いかにも深窓の令嬢といったような上品な、それでいて優しげな雰囲気を纏っていた。
いきなり自分の落とした小銭を膝をついて拾い出したその少女を、キリカは手を止めて呆然と見ているしかなかった。
「はい、これで全部かしら?」
「あ…………」
と、いつの間にかキリカの目の前に少女の掌が差し出されていた。その手の上には自分が落とした残りの小銭が乗せられていた。
「え、あ、あの……あり、が、とう…」
「ふふ、どういたしまして」
キリカは目の前の少女から小銭を受け取ると、今にも消え入りそうな声でぼそぼそとお礼を言う。そんなキリカに少女はにこやかな笑みを返す。まるで輝いているかのような笑顔に再びキリカはドキリとした。
「それでは私はこれで……」
「え、あ………」
キリカのお礼に返事を返すと、少女はそのままコンビニから出ていってしまった。キリカは衝動的に彼女に声をかけようとした、が、元々の性格から結局そのまま見送る事となってしまった。
それからというものの、キリカは常にあの少女の事を考えていた。
こんな性格の自分に唯一優しくしてくれた人…。彼女の去り際の笑顔が未だに心の中に焼き付いていた。
キリカは結局名前も聞く事が出来なかった彼女の姿を探して、しばしば街中を出歩くようになった。名前は聞く事が出来なかったものの、あの時の彼女の顔も、その笑顔もよく覚えている。
何日間探し続けただろうか、ようやく目的の少女の姿を見つけることが出来た。
だけど、結局話しかけることはおろか、彼女に近づくことすら出来なかった。
キリカは恐ろしかったのだ。彼女が自分の事を覚えていないかもしれないことが、彼女に話しかけて、嫌われてしまうかもしれないことが。今まで世間を下らない、つまらないと見下していたのは、自分の性格から目を逸らしたいがためであったのだということを。
彼女の性格が災いして、キリカは少女を遠目で見ていることしか出来なかった。
キリカはその時に初めて、自身の性格が疎ましい、自分自身を変えたいと強く思った。
こんな性格でなければ、彼女と話が出来たかもしれないのに。
こんな性格でなければ、もしかしたら彼女と、友達になれたかもしれないのに……。
キリカの心の中には、強い後悔と渇望が渦巻いていた。
変わりたい…、自分を変えたい…、今の自分とは違う自分になりたい…。
そんな思いを抱いてた時だった。キリカはキュゥべえとかいう白い動物のような生物と出会った。
その動物いわく、自分と契約して魔法少女になれば、どのような願いでも叶えてくれるとのことであり、願いの代償として、契約した少女は魔女と戦い続ける魔法少女となる運命を課せられる、と告げられた。
キリカは最初は半信半疑であったが、別の自分になりたい、変わりたいという思いが勝り、キュゥべえの誘いを受け入れ、魔法少女として契約を果たした。
そしてキリカは変わった。自身の望み通り。
今までの根暗で引っ込み思案だった性格が嘘のように、明朗で快活な性格へと変化した。
キリカは歓喜した。これで自分は彼女に近寄れる。彼女と話をする事が出来る…!!
彼女はさっそくあの少女に会うために再び街へ繰り出した。が、結局彼女の姿を見つける事は出来なかった。
その代わり、彼女と同じ中学の人間から、彼女の名前と彼女の身の上が明らかになった。
美国織莉子。政治家美国久臣の一人娘にして名門女学院の生徒会長も務める才女。一般庶民の自分にとっては、まさに高嶺の花どころか雲の上の存在…。
だが、それでもキリカは怯まなかった。
これが以前の性格の自分なら、臆してそのまま諦めていただろうが、奇跡によって新しい自分へと生まれ変わった今の自分は違う…!!
その後も彼女の姿を探し続けたものの、美国織莉子はあの偶然出会った時以降、キリカの前に姿を現さなかった。時折似たような人影を見かけるものの、どれもこれも他人の空似だった。
彼女の通っている学園前に張り込んでも、織莉子らしき人影は出てこない。
だが、キリカは諦める事は無かった。
抜け目なく彼女の家の住所も調べておいたキリカは、彼女の家を直接訪ねようと決心した。
そして決心した日の翌日……。
地図を見ながら探し歩く事十数分…。ようやく地図が示す目的地に到着したキリカは、その場で呆然と立ち往生する羽目になった。
「なにこの豪邸…」
キリカは目の前の豪邸を前に愕然としていた。
いや、確かに有力議員の娘なのだから豪邸に住んでいる事くらいは分かっていた、予想はしていた。だからどれほどの家でも驚かない自信がキリカにはあった、あったんだが……。
正直予想と現実とでは天地の差がある事を嫌というほど思い知らされた。
まるで中世の城にあるかのような立派で巨大な門、庭の広さは軽く野球場が一つ入ってしまいそうなほど広い。そして、その中にある屋敷は大きさだけならキリカの通っている見滝原中学以上だ。
ここが彼女の、美国織莉子の住んでいる家……。
「……アポ、取っておくべきだったかな……」
キリカは今更になってせめて電話の一つくらいしておくべきだったかもしれないと後悔していた。確率的に断られる可能性が高そうだが、それでも何も連絡せずに来るよりかはマシだったかもしれない。
どうもこの性格になってからというものの、思い立ったら吉日と言わんばかりに考えなしに行動してしまう事が多くなった気がする。特に彼女、織莉子に関わる事となるとそれが顕著だ。
「ん、まあ、何とかなるか、な?」
が、直ぐに楽観的な思考に切り替えたキリカは、すぐさま呼び出しチャイムのボタンを探して門のあちこちを見る。
幸いボタンはすぐ見つかり、後はそれを押して織莉子に会うだけとなった。
「…織莉子…」
キリカは口の中で焦がれる彼女の名前を呼ぶ。一度決心したとしても、性格を変えたとしてもやはりいざとなると緊張する。と、言うより、家についたらどうするかという事など考えていなかった。
ただ彼女にもう一度会いたい、会ってちゃんと話をしたいという衝動で此処まで来たのだ。思えば、魔法少女に契約したのもそんな衝動で契約したのかもしれない。
自分自身随分と直情的で考えなしになったものだと苦笑いするが、それでも後悔はしていない。
魔法少女になって、自分を変えたことで、自分は彼女に此処まで近づける、話をしようという勇気がもてるようになった。ついでに今まで苦手だった人との付き合いも出来るようになった。
今なら、今ならば織莉子に会える、話も出来る、もしかしたら、友達になれるかもしれない…!!キリカは高まる鼓動を抑えつけて、チャイムのボタンに指を伸ばそうとした。
『なるほど、どうやら君の彼女への愛は相当なもののようだな』
「っ!?」
と、誰もいないはずの門の前で、何者かの声が響いた。それも耳に聞こえてくるのではなく、まるで脳に直接送り込まれてくるような…。
「だ、誰だっ!!」
魔法少女となる前ならば怯えて逃げ出していただろうが、魔法少女として契約し、己の性格を変えた今の彼女は警戒こそすれども、怯える事は無い。
キリカは周囲を見渡すが、周りには人影一つ存在しない。
だが、キリカは感じていた。何かがいることを。魔女や使い魔、自分と同じ魔法少女でもない何者かが存在することを。
『ほう、私の存在に気がついたか。中々勘がいいようだな君は』
と、再びキリカの脳内にあの声が響く。
キリカは今度は驚く事無く手の中にソウルジェムを出現させ、周囲を見回す。
冷静に、それでいて何者も見逃さないように、周囲の建物、物陰等に目をやる。
『そう警戒しなくても私は君を害する気持ちは無い。ただ、随分と面白い客人だったのでね。この家の主に会わせる前に私が君自身を見極めようと思っただけだ』
「私は、見世物じゃない!!お前は誰だ!!何処に居る!さっさと出て来い!!」
まるで駄々をこねる子供に語りかけるような口調が癇に障ったのか、怒ったキリカの怒号が辺りに響くが、脳に響く声は全くキリカを恐れている様子が無い。
『ふむ、確かに姿も見せぬのは礼に反する。ならば、私も姿を見せるとしようか』
と、次の瞬間、キリカの目の前で黄金の輝きが放たれた。
「なっ!?」
突然放たれた輝きに、キリカは思わずたじろぐ。目が潰されるほどではないものの、空に輝く太陽にも劣らない輝きに、思わずキリカは目を閉じた。
「フッ、目を閉じなくても大丈夫だ。この光では目は潰れない。それに、目が見えないと私が姿をあらわした時に碌な挨拶も出来ないだろう?」
「………!?」
突然聞こえた声にキリカは驚いて目を開く。今度の声は脳に直接響くようなものではない。はっきりと耳に聞こえる『音』だ。
思わず目を開いて光を直視したものの、声の言うとおりキリカの目が眩む事は無かった。むしろ光は、キリカを優しく包み込んでくるかのようであった。
ふと、キリカの周囲に広がっていた黄金の光が、段々と真ん中に収束を始める。そして、キリカの目の前の光の塊は、徐々に形を人の形へと変化させる。
そして、目の前の黄金の光が消えた瞬間、キリカの目の前には黄金に輝く鎧を纏った男が立っていた。
黄金の鎧に包まれた男は、黄金色に輝く髪を肩のあたりまで伸ばしており、その容貌も端正に整っている。しかし、何故かその両目は閉じられており、キリカの方に顔を向けてはいるものの、キリカを見ているのかどうかは分からない。
「………」
キリカは突然目の前に現れた黄金の鎧の人物を見て呆然としている。そんなキリカに彼は面白そうに笑みを浮かべた。
「自己紹介をさせてもらおうか。私の名前はアスミタ、黄金聖闘士、乙女座のアスミタ。現在この家で居候をしている身だ。よろしく頼む、呉キリカ」
「……!!なぜ、私の名前を!!」
呆然としていたキリカは、見ず知らずの他人に自分の名前を言い当てられ、再び警戒心を露わにする。一方のアスミタはそんなキリカに対しても悠然とした態度を崩さなかった。
「私は産まれついて目が見えない、が、それゆえに他者の心の内が見えてしまう。私の望むと望まざるとに関わらずね。君に出会った瞬間に君の心が私には見えた。君がどれほど彼女を、織莉子を思っているか、とかね」
「………!!」
アスミタの言葉にキリカは思わず後ろに下がる。そして、アスミタを苦々しげに睨みつけた。心を勝手に読まれる、と言うことでいい気分がしなかったのだ。心を読まれると言うことは、自分の名前だけでなく、自分の知られたくない過去や感情までも読まれている可能性があるのだ。
「そう警戒することも無いだろうに。私は君を害する気はないと言っているだろう?もしも君が望むのなら、いや、実際望んでいるようだから織莉子に会わせてあげようと考えているのだが?」
「信用できるか!人の心を勝手に読む不審者の言うことなんて、誰が信用するか!!」
キリカはきつい目つきでアスミタを思いっきり睨みつける。アスミタは険悪な雰囲気の彼女に、やれやれと肩を竦めた。
「誤解のないように言っておくが、私は好き好んで他人の心を読んでいるわけではない。ただ、他者に出会った瞬間、伝わってしまうのだよ、その人間の心に抱く苦しみが。私の望むと望まざるとに関わらず、な」
アスミタは何も写さない閉じられた両眼をキリカに向ける。その表情にはほんの僅かだが、何かを憂えているかのように見えた。
「故にキリカ、君の心の苦しみも、悲しみも、そして君が抱いた願望も。君が織莉子に会いたいという気持ちも分かる。私としても是非会わせてやりたいところだ。だが、一つ聞きたいのだが…」
アスミタは閉じられた双眸でキリカの表情をじっと見つめる。その表情は何処までも真剣であった。
「君は何故偽りの心を抱いて彼女に会おうとするのだ?」
「なっ!?」
突然アスミタに言われた言葉にキリカは血相を変える。右手のソウルジェムを握り潰さんばかりに握り締め、キリカは目の前の黄金の盲人に殺意の篭った視線をぶつける。
「私の、織莉子への想いが、愛が、偽りだって…?」
「君の彼女への思いは真実だろう、愛も然りだ。だが、今の君の感情は、心は真実なのか?訳の分からない化生の物から与えられた感情で真実の心を塗り潰し、偽りの感情を持って彼女との友情を得ようとする、それはまるで、彼女を、織莉子を騙しているようではないかね?君は、そんな友情を得て、満足なのかね?」
「……るさい」
キリカの口から、小さな、まるで蚊の鳴くような呟きが洩れる。その瞬間、キリカの握り締めていたソウルジェムから光が放たれ、彼女の体を覆いつくす。そして、光が晴れた時、アスミタの前には黒い衣装に身を包み、眼帯をつけた呉キリカの姿があった。
その表情は憤怒と殺意で歪んでおり、殺気の篭った視線は、まるで刃物のように鋭かった。
「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!!お前に何が分かる!!人の心に勝手に土足で入り込んで、私の願いを否定して!!私の!愛を!!願いを!!」
瞬間、キリカの服の両袖から、鋭い鉤爪が三本出現する。キリカはそれを構えると、
「馬鹿に!!するなああああああああ!!!!」
アスミタ目掛けて襲い掛かった。一気に距離を詰めると、両腕の爪を同時に振るう。
「やれやれ、荒っぽいことだ」
が、その爪が命中する瞬間、アスミタの姿が掻き消えた。突然標的の姿が消えた事に驚愕したキリカは、前につんのめるように急停止する。
「なっ!?消えた!?」
「ここだ。後ろを向きたまえ」
突如背後から聞こえたアスミタの声に、キリカは弾かれるように背後を振り向く。振り向いた先には、何時の間に居たのか、アスミタが何でもなさそうにキリカに顔を向けて立っていた。
「話を続けようか。君は自分の性格が嫌だからあのキュゥべえとやらに頼って自分自身を変えたらしいが、そのような訳の分からない存在によって変えられた心を、本当に自分自身の物だと胸を張って言えるかね?そして、そのような仮面をかぶって何も知らぬ織莉子と友人となり、後ろめたさを感じないのかね?」
「!!だ、だまれえええええ!!知ったような口を聞くなああああああ!!!」
なおも語りかけてくるアスミタに激昂したキリカの咆哮と共に、突然周囲の雰囲気が変わる。
アスミタは周囲を一度周囲を見回すと、再びキリカに向き直る。
「速度の低速化か…。やれやれ、そうまでして私を殺したいか」
「ひと思いには殺さない…!!じわじわとその肉を削ぎ落してやる!!」
願いによって全くの正反対となった性格も相まって、怒り狂うキリカは、速度低速化で動きが鈍くなっているであろうアスミタをその爪で引き裂こうと再び襲いかかる。
この速度低速化の魔法は、自分を除く一定範囲内の空間に存在するものの動く速度、時間を遅くすると言うものである。この魔法が発動している空間内部では、実質上キリカはあらゆる存在を上回る速さで行動することが出来ると言うアドバンテージを得る。
この魔法が発動されたのなら、並みの魔法少女や魔女ではそのまま嬲り殺し、たとえ経験を積んだ魔法少女であっても相当な苦戦を免れないだろう。
……そう、それがあくまで『魔法少女』であればだが……。
「なっ!?ま、また消えた!?」
「案外大したことが無いな、君の速度低速化も」
動く速度が低速化し、動きが鈍くなったアスミタを斬り裂こうとしたキリカの爪は、再び空を斬る。そして、キリカの目の前から姿を消したアスミタは、彼女の背後に再び姿を現す。
自らの速度低速化の影響を全く受けていない様子の黄金の男に、キリカは驚愕のあまり目をまん丸にして呆然となってしまう。
「…なっ!?なぜ、なぜこんなにはやく動ける!?私の魔法は既に発動しているのに!?」
「この程度の速度低速化など、私には通じんよ。私の動きを止めたければ、かの世界にて我等が邂逅した我等の朋友たる永遠の刹那を連れてくるがいい。彼の力には私でも、いや、たとえアテナやハーデスですらも逆らう事ができないだろうが、君の魔法程度では雑兵一人鈍くさせることも出来はしない」
キリカの驚愕に、アスミタは鼻で笑って答える。
その表情は何処までも余裕そうであり速度低速化の影響などまるで感じさせていない。
キリカはそんな彼を睨みつつ、両手の鉤爪を構える。
アスミタは彼女の攻撃的な雰囲気に気がついたのか、やれやれと肩をすくめる。
「やれやれ、私は君と戦う気は無いと言っているだろう?私は君と話をしたいだけだ。大人しくその殺気を収めてはくれないかね?」
「断固断る!訳の分からない不審人物を信用できるはずが無い!!それに、その上から目線…」
キリカは両手の爪を振りかぶり、男に向かって襲いかかる。
「気に!!いら!!ない!!」
キリカは叫びながら両腕の爪を三回連続に振るう。
キリカ以外の全ての存在の動き、時間そのものが低速化しているこの世界では、たとえ歴戦の魔法少女であったとしても彼女の連撃を避けきることは難しかったであろう。
だがしかし、今回の相手は魔女でも魔法少女でもなく、それらよりも遥かに別次元の存在であった。
「やれやれ、私はこれでも後輩よりかは謙虚な性格のつもりなのだがね…。これは少し荒っぽくせねばならないか。私としても不本意なのだが…」
「!?」
キリカが瞬きをした一瞬、自分のすぐ傍から声が響いた。驚愕と共に振り向くと、そこには自分が引き裂こうとしていた黄金の鎧を纏った男が悠然と立っていた。
「なっ……」
「では、少し見せてあげようか、君の心というものを」
驚くキリカに構わず、アスミタはキリカの目の前に掌をつきだす。
その瞬間、キリカの目の前の空間が大きく捻じ曲がり始めた。
「なっ!?何だこれは!?」
突如変化していく空間に、キリカは驚愕しながら後ろにバックジャンプして後退する。しかし、それでも空間の歪みは止まらず、やがて周囲の風景は、今までキリカ達がいた美国邸前から何も無い真っ黒な空間へと染め上げられた。
「な…、何が起こった…?こ、此処は一体…」
キリカはただ黒く染め上げられた地面を、空を見回し、混乱した表情を浮かべる。目の前にはこの空間を作り上げたであろうアスミタが閉じた両目を此方に向けて立っていた。
キリカはアスミタから目を離さず、落ち着いて今の状況を分析する。
この空間はテレポートで飛ばされた、というよりもまるで空間そのものが別のものへと変化したような感じであった。そう、それはまるで、魔女の結界のような……。
「!?ま、まさかお前は、魔女!?」
「違う。私はれっきとした人間だよ。君達と何ら変わらん善良な一般市民…、と言えるかどうかは分からんが…」
キリカの言葉にアスミタはあっさりと返答を返す。その表情には薄い笑みが浮かんでいるが、表情を見ても何を考えているのか全く読むことが出来ない。
魔女ではない、と返答をしてきたものの、それでもキリカは警戒を緩めなかった。たとえ魔女でなかったとしても、この男がこの空間を作り出したのは事実なのだ。何をしてくるかは分からないが、それでも警戒するにこしたことは無い。
いっそう警戒を強めるキリカに、アスミタはやれやれと肩をすくめる。
「安心したまえ、私は何もしない。何度も言うようだが君を傷つける気も無ければ、ましてや殺すつもりも無い。ただ君の心を、君の真の姿を見せてあげようとしているだけだ」
「私の真の姿だと…!?」
キリカの怒気の籠った言葉にアスミタは黙って頷く。
「この空間は君の心の具現、君の心を形と成して、映像にして投影する空間だ。この中で私が見た真実の君を見る事が出来るのだよ」
「お前が見た、真実の私、だと…!?」
「そうだ、そら、そこに真実の君が居るだろう」
アスミタが指差した方向に、キリカは反射的に振り向いた。
振り向いて、しまった。
その瞬間、目の前にいたモノに、キリカは驚愕の表情を浮かべた。驚きのあまり、すぐ傍にいるであろうアスミタの事を忘れてしまうほどに。
目の前にいたのは、自分自身。紛れもなく呉キリカその人であった。
背格好、服装、全てが彼女そのものであり、まるで自分自身を鏡で見ているかのようであった。
だが、よく見ると一つだけ違うところがあった。
それは…
「な、何だ?あの、仮面、は……」
そう、もう一人の自分は、よく見れば仮面をかぶっているのだ。
それもただの仮面ではない。呉キリカの顔そっくりに作られた、まるで彼女の顔の皮を剥いで作られたかのような仮面をつけていたのだ。
そして、もう一人の自分は、その仮面をかぶったまま、目の前の織莉子に話しかけていく。願いによって変わった自分自身と全く同じ声で、調子で、織莉子と話し、懐いている。そんなもう一人の自分を、織莉子は少し困ったような表情を浮かべながらもどこか嬉しそうな表情で相手をする。
「な、何、これ…。おい!これは一体どういう意味があるんだ!!」
キリカは目の前で繰り広げられる光景を指差し、アスミタに向かって怒鳴り声を上げる。
アスミタは眉一つ動かさず、やれやれと言いたげに肩を竦める。
「分からないかね?今目の前にいる仮面を被ったもう一人の君は、呉キリカ、君自身そのものだよ。この光景は、このまま君が美国織莉子と出会い、過ごす日々を君に分かりやすく映し出したものに過ぎない」
「なっ……」
キリカは愕然とした表情で、アスミタを見る。アスミタは表情を全く変えぬまま、目の前の映像をじっと眺めている。目の前の映像のキリカは、そんな彼らの視線に気づかず、目の前の織莉子とじゃれあっている。
その様子を呆然と眺めるキリカに、アスミタは顔を向ける。
「君がもし今のまま織莉子と出会い、友情を結ぶのならば、実際に仮面をつけていないとしても、このような付き合いとなるだろう。彼女は、美国織莉子は仮面をかぶった、本当の素顔を見せない人間と友情を結ぶ事となるのだ。しかもこの仮面は自分から彼女に言わなければばれる事はまず無い。
織莉子自身は気付かなければ問題ないだろうが、仮面をかぶり、別の性格を演じ続ける君自身はどうかな?偽りの姿を見せ、自分の本性を隠し続ける…。最初の頃は良いだろうが、いずれは罪悪感で潰されてしまうのではないのかな?いつかはばれてしまうのではないのか、本当の自分を織莉子が知ったらどう思うんだろうか、といったふうに、な」
「そ、それは……」
アスミタの問い掛けに、キリカは沈黙する。
彼女は何も言い返せなかった。なぜならアスミタの告げた言葉が全て的を射ていたのだから。
自分は本当は何処までも臆病な性格だ。その性格を変えるために、キュゥべえに願い、魔法少女となる事を代償として、己の心を変えたのだ。
そうすれば、織莉子と友達になれる、近くに居る事が出来ると信じていたから……。
でも、それは結局、アスミタの言うとおり織莉子を騙す事になるのではないのだろうか…。
真実の自分を隠し、作り上げた自分のみを織莉子に見せる…。まさに彼女を騙しているも同然なのではないのか…?
「……なら、ならどうすればよかった…!?本当の自分は臆病で、根暗で、何の取り柄も無い性格なのに…!!街中で織莉子に出会っても、彼女と話どころか碌に近付く事も出来なかったのに…!!」
キリカはまるで血を吐くように声を上げる。その表情は歪んで、今にも泣き出しそうであり、先程まで激昂してアスミタを殺そうとしていたのが嘘のようである。
「なるほど、確かに君の元の性格は多少なりとも臆病、というよりも他者との触れ合いを極度に恐れている節があるな。その根源は恐らく、君の幼い頃に遡るのだろうな」
アスミタの言葉に同調するかのように目の前の映像が変化していく。
その映像に映っていたのは、紛れも無く幼い自分自身、そして、かつて自分の親友だった少女、間宮えりかであった。
キリカとえりかは、小学校時代には名前が似ている事、席が隣同士だということで無二の親友同士であった。だが、えりかが見滝原市から転校する直前、キリカは彼女が万引きをしようとしているのを見つけ、それを止めようとした。が、えりかはその場から逃げ出してしまい、結果的に彼女がえりかの罪を被せられる形になってしまった。
親友に裏切られた、そう感じたキリカはそれ以降、人に嫌われたくない、裏切られたくないという思いが先行してしまい、他者と向き合えない内気な性格となってしまったのだ。
その後えりかとは魔法少女になった後に再開した。魔女の結界に囚われた彼女を救出し、キリカはえりかと和解することが出来た、そのお陰でキリカは織莉子に会おうという決心を固める事が出来たのだ。
今目の前の映像には、そんな彼女の過去が写されている。キリカは自身の過去を、何とも言えない思いで見つめていた。
「君の心が、性格が願いによって変わったとしても、君の心に刻まれた記憶は残っている。その中にある、『誰かに裏切られる事への恐れ』が無くならない限り、いかに君が性格を改変しようが違う自分になろうが大して意味は無い、と思うがね」
アスミタの言葉に、キリカは愕然とした表情を浮かべた。
アスミタの言うとおり、キュゥべえと交わした『違う自分になる』という契約では、自分自身の性格そのものを変える事は出来ても、自分の記憶そのものを変える事は出来ない。
親友であったえりかを救いだし、和解した事によって克服した、吹っ切れたと思っていたあのトラウマは、親友に裏切られたという記憶は、未だにキリカの心の隅に残っていた。
キリカは地面に崩れ落ち、大きく項垂れた。
「私の、願いは、間違い、だったの……?意味、無かったのか……?」
キリカはまるで血を吐くかのように、アスミタに問いかける。その問い掛けに、アスミタは肩をすくめる。
「さて、それは私には分からん。だが、ただ一つ言えるのは、君が奇跡を願い、魔法少女となった事には、何がしかの意味があるという事だ。その意味は、私には知る由も無いがね」
「意味……」
「そうだ、君にとっても、彼女、織莉子にとっても、な」
アスミタの言葉を、キリカは地面に膝を着いたまま聞いていた。
相当ショックを受けている様子であり、アスミタに襲いかかってきた時の性格が嘘のように、借りてきた猫のように大人しくなっていた。
そんなキリカにアスミタはやれやれと溜息を吐いた。
「ただ、私から忠告する事があるとすれば、君は織莉子に会うべきだろう。それが君にとっても、彼女にとっても良い道であるからな」
「織莉子と、会うべき……?それって、どういう……」
「それについてはまだ語る時ではない。だが、君はどうなのだ?君は何のために己を塗り替えた?何の為に此処に来た?彼女と、美国織莉子と友になりたいが為だろう?違うか?」
「……違わない、私は!彼女と、織莉子と友達になりたい!だから自分を変えた!だから此処に来たんだ!!」
キリカは先程までのいじけた態度が嘘であるかのように、アスミタにはっきりと言い放った。
キリカの鋭く決意の篭った瞳、そして意思のこもった返答に、アスミタはどこか満足そうな表情を浮かべる。
「ならば臆する必要もあるまい。かつての君なら、過去に囚われて彼女に会うこともできなかっただろうが、今の君はその過去に決着をつける事が出来た。ならば君の本当の心で彼女に接してもいいのではないのか?仮面の自分等ではない、本来の自分で彼女と接する方がいいだろう?」
「で、でもそれじゃあ織莉子に、嫌われて……」
「心配はいらん。織莉子はそのような娘ではない。もしそのような娘なら私は既に彼女を見捨てている」
アスミタは不安そうなキリカにフッと笑いかけると、腕を掲げた。
と、目の前の映像と暗闇が消え、もとの空間にキリカとアスミタは戻ってきた。
突然元の空間に戻ってきた事に驚いているキリカに構わず、アスミタは屋敷の巨大な門の前に立つ。すると、彼が門に触れても居ないにもかかわらず、門は勝手に開き始めた。
「さて、ではキリカ、説法は終わりだ。君の望み通り織莉子に会わせてあげよう。そのあとどうするかは君が決めたまえ」
そう言ってアスミタはキリカを放って門をくぐり、敷地の中へ入っていく。呆然としていたキリカはハッとした表情で彼の後についていく。
正門をくぐり、大理石が敷かれた道を進んでいくと、やがて立派なマホガニー製の扉の前に到着する。此処が玄関のようだ。
アスミタが扉の前に立つと、またアスミタが手も触れていないにもかかわらず、扉が開かれた。
屋敷に入ったアスミタはそのまま廊下に敷かれた絨毯の上を歩いていく。その足取りは、とても目が見えないとは思えないほどしっかりしている。その後ろからキリカもアスミタについていく。と、背後で扉が閉まる音が聞こえた。
屋敷の廊下は、一階から二階まで吹き抜けになっており、床には絨毯が敷かれ、壁の近くには高価そうな壺に花が活けてある。そのあまりの豪奢さからまるでヨーロッパの宮殿に迷い込んだかのような錯覚を、キリカに起こさせた。だがキリカは屋敷を歩いているうちに、少し妙な所に気がつき始めた。
屋敷の内部はそこそこ掃除はされているものの、よく見れば隅や窓枠に所々埃が溜まっている。普通なら使用人が掃除しているであろうに……。
そして何より、この屋敷には人気が無い。自分とアスミタ以外に誰も人が居る様子が無いのだ。
これだけ大きな屋敷ならば召使やお手伝いの一人や二人は居そうなものなのだが、とキリカは疑問に思った。
「この屋敷に召使いは居ない。彼女の父親が自殺した時、皆この屋敷から出ていってしまったよ」
アスミタはキリカの心を読み取るかのように話をする。その瞬間、キリカはハッとした。
確か、織莉子の父親である美国久臣議員は不正経理の疑い等によるマスコミのバッシングに耐えかねて自殺している。その娘である織莉子も、世間の冷たい風を受けてきたのだろう。
今では久臣議員の不正疑惑は他の議員に押しつけられたものであり、マスコミによる誇張もあったことが分かっており、国民の非難の的はその議員とマスコミに変わり、久臣議員の汚名はほぼ雪がれているものの、それでも失われたものは戻ってこない。
織莉子もきっと、自分と同じ、いやそれ以上に孤独な日々を送っていたのだろう、そう、キリカは考えた。
「君が思っている通り、父を失った彼女は完全に孤独となっている。そもそも彼女には、信頼しあえる仲間が、友が居ないのだよ」
「友が、居ない……?」
キリカの言葉にアスミタは頷く。
「彼女は父親の死まで恵まれた生涯を送っていた。父から一身の愛情を受け、周囲からはありとあらゆる賛美を受け、欲しいものはいかなるものでも手に入れる事が出来ていた。だが、彼女は唯一、信頼できる親友だけは手に入れる事が出来なかった。
学び舎に居るのは彼女の父の威光に媚び諂う者のみ、その者達も彼女の父が死ねば掌を返して離れていく……。
彼女には、心から信じる事が出来る、親友という者が居ないのだよ」
衝撃的な事実にキリカは思わず絶句してしまった。
キリカから見た織莉子は何処までも完璧だった。
優しく、美しく、頭脳も冴える……。ならば当然多くの友人が居るだろうと思っていた。
だが、実際の彼女は孤独……。友達と思っていたのはただの取り巻きで、織莉子の父が自殺をした瞬間に一転して彼女から離れ、彼女を責め立てる……。
実の父親が居る頃ならば、まだ孤独ではなかっただろうけど、その父親が死んでしまった今、彼女は……。
キリカは、悲しげな表情をうかべながらアスミタの後ろについて歩く。
アスミタは彼女の方に振り向く事無く、話を続ける。
「故に、君が来ると分かった時には安堵した。君ならば、彼女の孤独を癒す事が出来るだろう、彼女を孤独から救済することが出来るだろうとな。まあ、多少なりとも問題があったから少々説法をしてしまったが、君の心根は邪悪ではない。君の心には本心から織莉子と向き合いたいという想いが宿っている。いや、私としても安心だ」
「貴方は、彼女と向き合っていないのか?彼女を救済できないのか?」
「私には無理だ。君でなくては彼女は救済できぬよ。君でなくては、な……」
アスミタは何処か淋しげに笑いながら廊下を進む。その姿を見ながら、キリカは何も話すことなく彼の後に続く。
どれほど歩いただろうか。アスミタはマホガニー製の立派なドアの前で足を止める。彼が停止したことでキリカもつられて歩くのを止めた。
「此処に君が望む者が、織莉子が居る。今は何もしていない様子だから、話をするなら今だぞ?」
「え?うええ!?ちょ、ちょ!!ま、まだ心の準備が……」
キリカは緊張のあまり焦りまくるが、アスミタはキリカの様子に構うことなく、ドアを軽くノックする。
「はい、アスミタ様ですか?」
「ああ私だ。織莉子、君に会いたいという娘が来ているのだが、少しいいかな」
「私に会いたい人ですか?ええ、どうぞお入りください」
ドアの向こう側から少女の声が聞こえる。その声を聞いた瞬間、キリカの身体が硬直した。
その声は間違いなく、あの時自分に向かって掛けてくれた声、それからずっと今日まで思い焦がれていた人の声に間違いなかった。
キリカの全身が、石になったかのように硬直する。
いくら自分の心そのものを変えたと言っても、決して緊張しないわけではない。ましてや、これから会うのは自分が心から会いたいと望んだ人物である。緊張しないはずが無い。
アスミタがドアを開けると、そこはガラス張りの広々とした空間になっていた。
広い部屋の中央には黒檀製のテーブルが置かれ、そのテーブルを囲むかのようにふかふかのソファーが置かれている。そのソファーに座り、一人の少女が静かにお茶を飲んでいる。
キリカはその姿を見てハッとした。彼女の姿は、どんな事があっても忘れるはずが無かった。彼女の姿は、キリカの脳裏にしっかりと刻み込まれていたのだから。
流れるような銀色の髪、一流の彫刻家でも彫りあげる事が出来ないであろう美貌、そして、全身から醸し出される優雅な雰囲気……。間違いなく彼女こそキリカがかつて出会った少女、美国織莉子その人だった。
織莉子は部屋に人が入ってきたのに気がついたのか、カップをソーサーに置くと、ソファーから立ちあがってドアの前に立つアスミタとキリカに視線を向ける。
「アスミタ様、お帰りなさいませ。私に会いたい人とは…?」
「ああ、それは彼女だ」
「……あら?もしかして、貴女は……」
アスミタの後ろに隠れるようにしていたキリカに気がついた織莉子は、キリカを見て何処かで見た事があるような表情を浮かべた。
どうやらキリカの事を僅かながら記憶に留めていたらしい。キリカの心の中で、少し希望の光がさした気がした。
「フム、どうやら彼女は君がかつて助けた少女らしいぞ?なにやら店で小銭を落とした時に……」
「……ああ!確かにそんな事がありましたね。貴女はあの時の!」
「……呉、キリカといいます…。その折は、どうもありがとうございました」
アスミタのフォローでようやく思い出した織莉子に、キリカは丁寧に頭を下げてお礼を言う。
若干ぶっきらぼうな言い方になってしまったが、それは彼女が緊張しているのが原因である。
そんなキリカの態度に気を悪くした様子も無く、織莉子は思わず見惚れてしまうような頬笑みをキリカに見せる。
「そんな事は気にしなくていいのに……。ああ、丁度お茶にしていたんだけど、折角だから一緒にどうかしら?アスミタ様もよろしければご一緒にいかがですか?」
織莉子の誘いにキリカは顔を真っ赤にして言葉も出なくなる。
話くらいはするとは思っていたが、まさか一緒にお茶を飲む事になるとは想定していなかった。
あまりに予想外の展開に、キリカの全身は化石にでもなったかのようにガチガチになる。
キリカはかろうじて動く首でアスミタの方を向く。どうすればいいのと視線で彼に問いかける、が……。
「フム、私は遠慮しておこう。積もる話もあるだろうから君達二人で楽しみたまえ」
(え、ええええええええええ~!?ちょ、ちょっとまっ!!)
「あら、そんな気をつかわれなくてもいいですのに」
その視線に気がついているのかいないのかアスミタはそのまま織莉子の部屋から去ってしまった。その様子を織莉子は残念そうに見送ったが、残されたキリカはもはやそれどころではなかった。
(お、おおお、織莉子と二人っきり…!!こ、ここ、こんな近くででででで!!)
「ではキリカさん、立ち話もなんですから折角だから一緒にお茶にしましょう?遠慮せずにどうぞ」
頭の中が混乱しまくっているキリカに対して、織莉子はそんなキリカの様子に気付く様子も無く、彼女に部屋に入るよう勧める。キリカはガチガチになりながらも織莉子の言葉に従い、部屋に入り、織莉子に勧められるままにソファーに腰掛ける。織莉子はキリカの向かい側のソファーに座ると、空のカップの乗ったソーサーを取り出すと、それに自らお茶を注ぐ。
「キリカさんはお砂糖は幾つ入れるかしら?ジャムは何杯?」
「え!?えっと、あの、出来るだけ、たくさん……」
キリカの曖昧な返事に、織莉子は困った笑みを浮かべる。
「たくさんって言われても、どれだけ入れて欲しいのか言ってくれないと……」
「じゃ、じゃあ織莉子さんのお任せで!」
「………!!」
キリカの言葉を聞いた瞬間、織莉子はハッとした表情でキリカを見つめる。その表情は、どこか信じられないものを見たかのようで、かといって恐怖や悲しみといった負の感情は一切混ざっていなかった。
「え、あ、あの、どうか、したんですか?」
急に黙りこくってこちらを凝視してくる織莉子に、キリカは思わずドキリとした。
まさか何か失礼な事を言ってしまったんだろうか、それで怒っているんじゃあないだろうか…。
そう考えた瞬間、キリカは今にも泣きそうな表情になった。
「え?え?な、ど、どうしたの呉さん!?」
突如泣きそうに顔を歪めたキリカに織莉子は思わず動揺してしまう。キリカの瞳には涙が溜まり、今にも溢れて決壊してしまいそうだ。
「う……、だ、だって、私が美国さんの事を、名前で呼んだから、美国さんが怒って、私の事を、嫌いに、なって、う、ぇぇ……」
「ち、違う、違うわ呉さん!!私は呉さんに名前を呼ばれて怒ってなんかいないわ!むしろ、嬉しかった!」
織莉子はキリカを泣きやませようと必死に彼女を宥め、本心からの言葉を出す。織莉子の言葉を聞いたキリカは、顔を上げて織莉子の顔を見る。
「え……?嬉しい、って……?」
織莉子はクスリと笑うとソファーに座りなおしてカップに注いだ紅茶に砂糖とジャムを入れ始める。
「私、今まで名前で呼ばれた事があんまり無くて、何時も『美国さん』とか『美国議員の娘』とか言われてきたから…。名前で呼んでくれたのは、お父様とアスミタ様位だったから、呉さんが私の名前を呼んでくれて、その、対等に見てくれてるって感じたから、嬉しかった」
織莉子はキリカに紅茶を差し出すと、年相応な嬉しそうな頬笑みを浮かべた。キリカは、織莉子が一瞬浮かべたさびしそうな表情が少し気になったものの、彼女の笑顔に見惚れてしまい、そのことは一時思考の外に追いやった。
「さ、冷めないうちにどうぞ」
「あ、い、いただきますっ!!」
キリカは急いで涙を拭うと目の前の紅茶に手を伸ばし、一口口につける。
口の中に、紅茶独特の苦みと、砂糖とジャムの甘みが広がる。甘党のキリカでも満足できる味であった。
「お、美味しい……」
「よかった。お替りが欲しいのなら言ってね。お客様にお茶をふるまうのは久し振りだから」
織莉子はニコニコと笑いながら自分もお茶を啜る。その姿は彼女自身の容姿と雰囲気もあり、見事に様になっていた。キリカは少しの間その姿に見惚れていたが、自分が此処に着た目的を思い出すと、紅茶のカップをソーサーに戻し、織莉子に顔を向ける。
「あの……、織莉子さん……」
「?何か?」
自分に声をかけてきたキリカに、織莉子は首をちょこんと傾けながら聞き返す。キリカは少し戸惑い気味であったが、意を決して口を開いた。
「あ、あの、織莉子さん、せ、先日は、助けていただいて、ありがとうございます!」
「そのことはいいのよ。大した事をしたつもりはないし。気にしないで?」
「そ、それから、お、織莉子さんに、お願いが、あって……」
「え?お願い?」
織莉子はキリカの言葉にキョトンとした表情になる。一方のキリカは緊張のあまり心臓が高鳴っていた。
(お、落ちつけ私落ちつけ私…。今の私は昔の根暗じゃないあのころとは変わったんだだから大丈夫クールになれクールに徹しろCOOLに徹しろ………!!)
キリカは心の中で己を落ち着かせながら、何度も深呼吸をする。
キリカは不安なのだ。自分の告白でもし織莉子に嫌われたら、と。
ただ友達になりたいと言えばいいのに、『もしも嫌われたら』という考えからその一言が口から出すことが出来ない。
だが、そんな彼女の脳裏に、アスミタの言った言葉が蘇る。
『……かつての君なら、過去に囚われて彼女に会うこともできなかっただろうが、今の君はその過去に決着をつける事が出来た。ならば君の本当の心で彼女に接してもいいのではないのか?』
その言葉を思い出した瞬間、キリカの心は不思議と安らいでいった。
今まで自分の心を苛んでいた不安や恐れが、段々と引いていくのを感じた。
今なら、今なら織莉子に自分の気持ちを伝えることができる……!!
ようやく落ち着けたキリカは、真剣な表情で、織莉子の顔をじっと見る。
キリカの真剣な様子に、さすがの織莉子も少し気圧された表情を浮かべる。
「お、織莉子、さん、あ、あの……」
「は、はい………」
「わ、私、を……、お、織莉子さん、の……」
「わ、私の……?」
「お、お友達にしてくださいっ!!!」
部屋中に、否、屋敷中にキリカの叫び声が響き渡った。
キリカの発言に、織莉子はポカンとした表情でキリカを見つめ、一方のキリカは何処かやり遂げたかのような表情で、ソファーにもたれかかっていた。
(言った…、言ってしまった……)
自分の想いを何とか言ってのけたキリカは、天井を向いて放心状態になっていた。
これで拒否されたらどうしよう、とか嫌われたらどうしようという考えは完全に消えていた。ただ、自分の想いを言葉にしてぶつけようと言う考えしか頭には無かった。
(あとは野となれ山となれ、だ)
キリカは心の中でそう呟いて織莉子の返事を待つ。もしも断られたら、その時は織莉子の居ない場所で泣き喚くとしよう、等と考えていると、放心状態だった織莉子がようやく口を開いた。
「え、えっと、その、ちょ、ちょっと驚いちゃったわ。友達になりたいって、言われたこと無かったから……」
織莉子は恥かしそうに頬を掻く。どうやらそこまで嫌がっているわけではない様子だが、それでもキリカの表情はまだ不安そうである。
織莉子は天井を見上げながら、何かを思い出すかのように話し続ける。
「物心ついたときから、私には友達と呼べる人が居なかったの。公園で泥だらけになって遊んだことも無かったし、おままごともした事が無かった。ただ、美国久臣議員の娘らしく気高くあれ、って英才教育や習い事ばかりやっていたわ。別に後悔はしていないけどね」
織莉子は懐かしそうに、しかしどこか寂しげな表情で自分の過去を語り続ける。それをキリカは黙って聞いていた。
「お父様の名に恥じないように、勉強、習い事を必死でやってきたわ。自分で言うのもなんだけど、私は人より特別才能があるわけじゃないから、人一倍努力しなくちゃならなかった。でもそのお蔭で、学校では成績もそこそこ、生徒会長も勤めさせていただけるようになったんだけど、ね……」
話しているうちに、段々と織莉子の顔は悲しみと寂しさに染まっていく。
かつて、美国織莉子にはどうやっても手に入れることが出来ないものがあった。
それは父を失って初めて気がついたこと、父を失うことでようやく気がついた自分自身の真実…。
「でも、私は生まれてからずっと、友達なんて一人もいなかった。勿論学校で親しくしていた人も居たけれど、私の父が自殺した瞬間、今までの付き合いが嘘のように私から離れていってしまったわ。だから、私は『本当の友達』というものを、ましてや親友なんて一人も居なかったし、知らなかった……」
そこまで話すと織莉子はカップを持ち上げて紅茶を啜り、唇を濡らす。そしてカップを下ろすと息を吐いてキリカに視線を向ける。その表情は、先程とは一転して嬉しそうな頬笑みを浮かべていた。
「だから貴女が私の友達になってくれるって言ってくれて、私はとても嬉しいの。私も、ずっと友達が欲しいって思っていたから……」
「そ、それじゃあ……」
信じられないと言いたげな表情で自分を見てくるキリカに、織莉子は可笑しそうにクスリと笑みを浮かべる。
「私も、知り合ったばかりだけど、キリカさんとお友達になりたい、キリカさんの申し出、喜んで受けさせてもらいますわ。むしろ、私の方から貴女と友達にさせてくれませんか?」
他ならぬ織莉子の言葉に、キリカは舞い上がりそうな気分になっていた。
最高だった、これまでに無いほど最高の気分だった。
織莉子が私を友達だと言ってくれた、私と友達になりたいと言ってくれた…!!
本当に、夢のようだった……!!
「あ、ありがとうございますっ!織莉子さんっ!!」
キリカは感激しながら織莉子に向かって少々大げさにお辞儀をする。が、そんなキリカの態度に織莉子は少し不満そうな表情をしていた。
「ああ、そんな織莉子さんなんて他人行儀に呼ばなくていいわ。私達はもう友達なんだから、私の事は、織莉子って呼び捨てにしてくれないかしら?ついでに敬語も止めてくれると嬉しいわ」
と、織莉子は何かを思いついたかのような表情でキリカに向かってそう提案した。
その提案に、キリカは目を真ん丸にして驚いた。
「え!?い、いいんですか!?」
「もちろん♪その替わり私もキリカって呼ばせてもらうわ」
思わぬ言葉に、キリカの体は歓喜で震えた。
まさか自分が織莉子と友達になれた上に名前まで呼びあえる仲になれるとは……!!
もう、明日には死んでもいい!とキリカは若干トリップ状態になりながら、通常のテンションに戻って織莉子の両手を思い切り握る。
「な、ならこれからよろしく!織莉子!!」
「こちらこそ、よろしくお願いね。キリカ♪」
キリカはこれ以上ないほど嬉しそうな笑顔で織莉子の両手を握ってブンブン振り回す。
織莉子は若干乱暴な握手を嫌がる様子もなく、むしろ嬉しそうな笑みを浮かべていた。
アスミタSIDE
「やれやれ、どうやら上手くいったようだな、キリカ」
屋敷にある一室で、アスミタは座禅を組みながらポツリとつぶやいた。
別の時間軸においては、彼女と織莉子は無事に親友同士となっているが、この時間軸では自分と言う異分子が存在するため、正史通りに進むとは限らなかったが……。
「案ずるより産むがやすし、か。言い得て妙、だな」
アスミタは静かに笑いながら、再び瞑想に戻る。
これから彼女達には、魔法少女としての過酷な運命が待ち構えている。
一つの希望の対価として万の絶望を与えられる、それが魔法少女と言うもののカラクリだ。
現にこの世界と別の時間軸の彼女達もまた、その運命の果てに非業の最期を遂げている。
(まあ、そうさせないために我等が居るのだが、な。しかし……)
静寂に包まれ、何も写さない闇の中、アスミタの心の声が響く。
(人と人との出会いと言うのは、良かれ悪しかれ何がしかの変化をもたらすものですね、アテナよ、そしてテンマよ)
彼以外誰もいない部屋の中、アスミタはかつて自分が生きた世界において仕えた女神を、その傍にいた若き天馬星座のことを思い返していた。
どうも、仕事が忙しくて更新する暇が無く、気がついたらこんなに遅くなってしまいました。
本当はあすなろ市の話もやりたかったんですけど、思った以上に話が長くなってしまったので今回は織莉子とキリカが友達になる話、という事で。
織莉子側にいた聖闘士は乙女座のアスミタです。予想できた方もいらっしゃるでしょうけど…。
原作LCでは若干出番が少なかった彼ですが、此処では出来る限り出番を多くしていく予定です。
ちなみに余談ですがこの時間軸は本編よりも大分前、大体3、4カ月程前になります。ちなみにアルデバランと杏子が出会ったのは原作の1、2カ月前と思って下されれば結構です。漫画でもアニメでもあまり過去話で何年前とか何カ月前とかの情報がありませんから、これは想像するしかないんですよね。
次回はアルデバラン、杏子、ゆまの金牛一家とプレイアデス聖団の話になります。まあ、更新は、何時頃になるか分かりませんが、どうか見捨てずにお願いいたします。