十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第七話

 ──くだらねぇ。

 

 シャープな顔立ちと、切れ長の双眸。細身だが鍛えられた身体に纏うのは、純白のコック服。

 大振りの肘掛け椅子に背を預け、四宮 小次郎はそう吐き捨てる。

 学生時代の恩義から小次郎は多忙の中、国境を越えて講師を引き受けた。それだというのに、遠月離宮に来て小次郎が最初に抱いた感情は失望だった。

 壇上の小次郎を見つめる学生の殆んどが、濁り石。

 料理人として最低限の矜恃さえ持ち合わせない、無能。

 到達率一桁を勝ち抜き食の最前線で日夜戦いを続ける小次郎は、その練度の低さを心の中で嘲笑う。

 

 ──実際に調理姿を見れば、また違ってくるだろうか?

 

 そんな小次郎の淡い期待は、儚くも裏切られる。

 開始の合図と共に、厨房後方にある食材の山に群がる若い料理人たち。

 血走った目で食材を奪い合い、厨房には怒号が飛び交う。

 

「痛ってぇなぁ! どけよっ!」

「ざけんな、死ね!」

 

 ──うるせぇよ、てめえが死ね。

 

 険悪な雰囲気の中試練に挑む生徒達を、小次郎は無感情に見つめていた。

 

 ──心が冷え切ってしまったのは、いつからだろうか?

 

 小次郎は目の前の現実から、思考の海へと沈んでいった。

 

 ☆☆☆

 

 遠月茶寮料理學園。

 79期卒業式式典。

 その日は、よく晴れた青空だった。

 柔らかな春風が薄桃色の花弁と淡い香りをのせて、式典会場を彩る。

 十傑第一席としてこの遠月学園を巣立つことが、小次郎はただただ誇らしかった。

 三年間身につけすっかり馴染んでしまった制服の上着。その左胸には、卒業を証明する一輪の花。

 

 ──もうこの服に袖を通すことは、無いだろう。

 

 小次郎を取り囲むのは、同じ道を征く仲間。

 

「ヒナコ……寂しいのは分かるけど、もう泣かないで。四宮さんを笑顔で見送ってあげないと……」

「だって、卒業してすぐフランスに行っちゃうなんて……聞いてないです」

 

 別れを惜しむのは、もう一年間遠月学園で研鑽を重ねる後輩たち。泣き腫らして赤く染まる目や、そのしゃがれた声に胸が締め付けられた。

 

「本気、なのね?」

 

 そう小次郎に問うたのは、今日同じ日に学び舎を巣立つ者。その言葉を受けて、小次郎は自分の決意を口にする。

 

「ああ、フランスで自分の店を持って、プルスポール勲章を獲る」

 

 ──本場で磨かれないと、俺の料理は完成しねぇ。……やってやる。

 

 絶対に叶えたい夢だった。

 

 ──そこから先は、夢中だった。

 

 小次郎は在学中に各種料理コンテストでかき集めた賞金を手に、フランスに渡った。

 六年間の修行の末、有名店が鎬を削る美食の一等地パリ8区に「SHINO'S」をオープンさせた。

 

 ──歪みが生じたのは、多分この頃だ。

 

 責任ある立場になって初めて自覚する、剥き出しの悪意。

 人種から生まれる差別意識、度重なる反発と嫉妬。

 傾いていく経営、離れていく顧客。

 すり減っていく心を支えたのは、あの桜が舞い散る場所で仲間に誓った夢の実現だけだった。

 

 そこから、小次郎の中で何かが変わっていく。

 小さな歪みが大きな裂け目となり、夢の実現に不必要なものは裂け目から零れ落ちていった。

 

「周りの奴らは、全員敵と思え」

 

 試練を受ける生徒に告げた言葉は、小次郎自身に言い聞かせてきた言葉でもあるのだ。

 緊張の糸を張り詰めて合理を突き詰めていくと、念願だった夢が叶った。

 

 夢が現実になると、残ったのは儚さだった。

 

 ☆☆☆

 

 全体の半分もの料理人が、小次郎の前に皿を差し出した。

 そのどれもが、小次郎の求める最低限を上回らなかった。

 退学を言い渡された者が失意の表情で厨房を去り、その光景を見た調理中の生徒は絶望し動きを止めて立ち尽くす。

 

 

 ──誰もが絶望し動きを止める中、たった一人例外が存在した。

 

 

 小次郎の瞳が姿を追うのは、藍色の着流しに身を包んだ線の細い料理人。

 彼が食材の山から持ち出したのは、たった三種類。

 今まで小次郎に料理を差し出してきた他の生徒が少なくとも十種類以上の食材を用いていることを考えると、着流しの彼がどれだけ異質かが分かるだろう。

 

 小次郎は、その姿に得体の知れない何を感じ取った。

 その感覚は料理人として、類稀(たぐいまれ)な才能を持つ者にしか分からないだろう。

 食の最前線で戦い続け養われた小次郎の選別眼は、調理の手を止めない彼の才能を確かに見抜いていた。

 

「……ムッシュ、着流しの彼の名前は?」

「彼は、斬島 葵です」

「くっ……ふははっ」

「四宮シェフ?」

「いや、すまない。少し昔のことを思い出してね」

「はぁ、そうですか」

 

 小次郎は自分の隣に立つ講師から、葵の名前を聞き出した。それだけでも異様なことなのだ。

 今この瞬間、美食の街の住人からレギュム(野菜料理)の魔術師と讃えられる男の興味が、たった15歳の少年だけに向けられている。

 

 ──まるで昔の自分を、見ているようだ。

 

 瞳の奥に情熱の炎を宿した葵を見て、小次郎は過去の自分が目の前に現れたかのような錯覚に陥る。

 心が冷え切る前の自分はあんなにも真摯に、料理と向き合っていたはずなのに。

 今の己の愚かしさを、笑わずにいられようか。

 

 ──斬島 葵の一挙手一投足に、四宮 小次郎は目を奪われる。

 

 葵は卵をボウルに割り入れて、塩を加え丁寧に解きほぐす。

 フライパンを強火にかけてサラダ油を熱し、鍋肌全体になじませてから油をあけ、バターを入れて溶かす。

 卵液をフライパンに注ぎ込み、手早くかき混ぜる。半熟状になったのを見極めて、火からおろした。

 

 葵が何をしたいのか、今の小次郎には手に取る様に分かった。

 バターを若干遅れて投入したのは、フライパンの滑りを良くする為。

 火からおろすのは、火が通りすぎないようにする為。

 ……そして仕上げは。

 

 葵は手首のスナップをきかせ、反動で卵を返した。

 皿に盛り付け、パセリを添える。

 

「お待たせしました、四宮シェフ。この度お召し上がりいただくのは……」

「プレーンオムレツ、だろ」

「その通りです。お好みで白胡椒をどうぞ」

 

 先ほど葵が披露した通り、プレーンオムレツの調理工程は非常に単純である。

 料理人が最初に修行する基本中の基本。

 それはつまり。

 

「料理人としての技量が最も問われるということ。ムッシュ斬島、君は自分の腕に相当の自信があるとそう言いたいんだな?」

「……」

 

 小次郎の問いかけに、しかし葵は微笑みだけを返した。

 まずは食ってみろよ、つまりはそういうことだ。

 小次郎はその挑戦的な態度に、笑みを零す。

 それは数時間前の失笑ではなく、純粋な喜の感情の発露。

 

 ──美味い。

 

 口の中に広がるのは、卵本来がもつ風味。

 その風味を引き立てるのは、卵と完全に調和したバターのまろやかさ。

 一流の料理人達が提供する一品には、共通点がある。

 食材と食材を掛け合わせることで生まれる相乗効果。

 今、小次郎が口にしているこの一品には、間違いなくソレがあった。

 

 ──何という伸び盛りの頃の、輝かしさか。

 

「合格だ、ムッシュ斬島。素晴らしい料理をありがとう」

 

 宿泊研修初日。

 四宮 小次郎の課題を突破できた者は、一人だけだった。

 

 ☆☆☆

 

 青黒い夜の色。

 銀砂(ぎんさ)のように散りばめられた星々と、淡い光を放つ三日月。

 宿泊研修初日の夜、小次郎はある人物に呼びだされていた。

 指定された場所は、遠月離宮から少し離れた湖畔。

 黒いパーカーを身に纏って、大木に背を預ける。

 深い群青の水面(みなも)は夜空の星々を映し出し、その光景は神秘的ですらあった。

 

「四宮、待たせたな。受け取れ」

「……別に構いませんけど、何のようですか? 堂島さん」

 

 鍛え上げられたその肉体を、カッターシャツとスラックスに包んだ堂島 銀。

 銀は小次郎に声をかけると、スチール製の円柱を投げよこした。放物線を描いてソレは、小次郎の手中へと収まる。

 

「……コーラだ」

「っ?! 炭酸飲料を投げるな!」

「間違えた、コーヒーだ」

「間違いようがねぇよ」

 

 小次郎の鋭い眼光を受けても、銀は身じろぎ一つしない。

 むしろ快活に笑って、自分のコーヒーのプルタブに手を付けた。

 それに(なら)い、小次郎もコーヒーを開ける。

 コーヒー独特の苦味を一口楽しむと、小次郎は銀の力強い洗練された低音を聞いた。

 

「一人を除いて、全員落としたそうだな」

「……堂島さん。この課題は俺に一任されている筈だぜ?」

「もちろんだ、四宮。お前が定めた試験内容と判定基準に不満は無いさ」

 

 小次郎の怜悧な双眸と、銀の獰猛な眼光が交差する。

 どちらも十傑第一席。卓越した技量と並々ならぬ向上心を兼ね備えた、第一線で戦う料理人。

 一触即発の空気は、銀の一言で霧散した。

 

「……落伍(らくご)した者に興味は無いよ、四宮。俺が聞きたいのは、頭角を現した一人の方さ。その者の名は?」

「斬島 葵。藍色の着流しの、生意気な奴ですよ」

「だが、お前はその少年を認めたんだろう?」

「……それは、そうですけど」

「上がってくると、そう思うか? ……玉たちが全力でぶつかりあう大舞台に」

「どうでしょうね。……俺もあいつの全てを見たワケじゃない」

 

 銀の問いかけに対する、小次郎の回答は保留だ。

 あの試験で葵が小次郎に示したのは、料理人としての技量のみ。

 ただ小次郎はあの一品に、得体の知れない何かを感じ取ったことも確かなのだ。

 冷たい夜風が頬を撫でたのを契機に、小次郎は言い放つ。

 

「見込みはあると、そう思いますよ」


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