十傑第二席の舎弟ですか?   作:実質勝ちは結局負け

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第三話

 遠月学園の生徒の大多数は、学園の近くにマンションを借りて生活している。その中には家がお金をもっていて、毎日車で送迎をしてもらえる生徒もいる。

 もちろんそんな生徒ばかりではなく寮で生活している者もいるわけで、遠月学園高等部一年の斬島 葵もその例に含まれていた。

 しかし葵の場合、学生寮に住む生徒とは少し事情が異なる。葵が根城としている遠月リゾート第五宿直施設は、ある一人の先輩から与えられたものだからだ。

 それは中等部から高等部に進級する間の春休み。

 葵は校舎から少し離れた場所に呼び出されていた。二階建ての建造物の他には何もなく、緑だけが広がっている。

 そんな場所で葵にとって最も親しいと言える先輩、遠月十傑第二席の小林 竜胆は唐突に言い放った。

 

「おい、葵。いきなりだけど今日からお前、ここに住めよなー」

「……本当にいきなりですね。とりあえず理由を聞いてもいいですか?」

「ばーか葵。何でわかんないかなー、高等部進級のお祝いだよ」

「普通、分かりませんよ!」

 

 お祝いで、家を与えられてしまった。そしてお祝いなのに、何故罵倒されなければならないのか。

 というか、この家。

 

「あの、コレ、思いっきり遠月リゾートって書かれてるんですけど」

「めざといなー、あたしが食戟で貰ったんだよー」

「奪ったの間違いじゃないですか?」

「そうとも言う」

「そうとしか言いません」

 

 食戟。それは遠月伝統の料理勝負一騎打ちだ。

 もともと食戟は、学生間の揉め事を解決する手段として制定された。

 そこには正式に明文化されたルールが存在する。

 正式な勝負である事を証明する認定員。

 奇数名の判定者。

 対戦者両名の勝負に関する合意。

 基本的にこの三つがないと、食戟は成立しない。

 そこで葵は一つ疑問をもった。

 ──遠月学園の施設の一つと釣り合う程の対価とは、何だろう?

 

「それで竜胆先輩は、何を対価に差し出したんです?」

「もしあたしが負けたら、卒業後遠月リゾートで働くって言った」

「それはまた、思い切りが良いですね」

「そりゃあたし、負けないからなー」

「先輩ちょっと、自惚れてます?」

「自信だよ」

 

 竜胆は逡巡することなく、そう言い切る。

 成る程、確かに自惚れではないのだろう。

 卒業後という前提条件は、彼女自身が卒業出来るとおもっていなければ、出て来るはずの無い言葉だ。

 竜胆が積み重ねてきた日々の研鑽とその成果は、十傑第二席という形で現れている。

 だけど。

 負けないという点において、葵は一つ苦言を呈したい。

 息を少し吸い心を落ち着けてから、目の前の竜胆を見る。

 竜胆は柔らかな春風に赤みがかった茶髪をたなびかせて、小首を傾げていた。

 

「じゃあ……いつか僕が、食戟で竜胆先輩に勝ちます」

「ふーん」

 

 

「…………多分」

 

 

「あたし思うんだけど、葵って何故か決めきれないよなー」

「うるさいよ!」

「怒んなよー、うりうりー」

 

 葵が精一杯の勇気を振り絞って作り出したシリアスなムードは、儚くも崩れ去る。

 照れ臭くなり頬を赤らめる葵に、竜胆は微笑んだ。

 黄昏色の水晶のような瞳を細めて、彼女は葵と肩を組み戯れるようにして葵の髪をぐしゃぐしゃにする。

 

 ──やめてくれませんか? そういう行動!

 

 いつもいつも葵を好き勝手に振り回す傍若無人な竜胆だが、その容姿は美人といって差し支えが無い。

 さらには葵の背中に当たっている暴力的なまでの柔らかな膨らみが、普段は感じることのない色気を醸し出しているのだ。

 葵は胸の中に渦巻く思春期を、鉄の理性で押さえつけて竜胆を振り払う。

 

「あーもう! そろそろ寒いんで、中に入ってもいいですか?」

「あー、それもそーだなー」

 

 ちょっと残念に思ったことは、秘密である。

 

 ☆☆☆

 

 遠月リゾート第五宿直施設。

 白を基調と落ち着いた雰囲気があり、しかも二階建て。

 一階から二階へと続く階段は外についており、葵と竜胆はまず一階のドアを開いた。

 

「一階は全部、厨房になっているんですね」

「一階は全部、厨房になっているんだぜー」

「今そう言いましたよね!」

 

 なぜ繰り返したんだろう? 大事なことだから?

 まぁ竜胆の言動が変なのはいつものことなので、葵は気にしないことにする。

 そして厨房を見渡して、驚嘆した。

 散り一つ残らないほど清掃の行き届いた床。

 料理人にとって命とも言える調理道具は、使うまでもなく最新で最高級だと分かる物が一式揃えられている。

 天井の空調設備まで整っており、調理をする者にとって最高の環境と言えた。

 

「……竜胆先輩、これ本当に僕が使ってもいいんですかっ?!」

「一つ条件があるけどなー。約束出来る?」

「出来ます!!」

「……まだ何も言ってねーし。まぁ、そんな難しいことは言わねーよ。ここはあたしも使うから、毎日ちゃんと掃除をすること」

 

 それくらいなら、お安い御用なのだ。

 どれだけ優れた料理人でも、その腕に見合うだけの環境がなければ真価を発揮することは出来ない。

 整えられた環境は作り手のモチベーションを上げ、それはそのまま料理の質に繋がる。

 葵はまるで新しいオモチャを与られた子供のような様子で、調理台近くに収納された包丁を一つ手に取った。

 

「おおっ、軽い! そして持ちやすい! やー、竜胆先輩も偶にはいいことしますよね、偶には! あっはっはーっ!」

「……あははー、おい、葵。ちょっと試し斬りするから、包丁寄越せよ」

「うそですごめんなさい。ちょっと口が滑りました」

「まったく、もう。危うくあたしの手が滑るところだったぜー」

 

 少しテンションをあげ過ぎたみたいだ。反省しよう、そうしよう。

 

「なら次は二階にいくかー」

「はい」

 

 ☆☆☆

 

 扉を開いて、外に出る。葵から見て左側には、ペンキで白く塗られた二階へと登る階段があった。

 葵よりも竜胆の方が階段との距離が近いのは、葵が包丁の後片付けをしていたからだ。

 階段に足をかける竜胆を、葵は呼び止めた。

 

「竜胆先輩! 僕が先に上がってもいいですか?」

「……別にいいけど、なんで?」

「分からないなら、いいです」

 

 ──先に階段を上がられたら、スカートから下着が見えそうで目のやり場に困るから。

 とは口が裂けても、言えない。

 現在竜胆の着ている服は、遠月学園の制服である。

 竜胆は黒と茶色のチェック柄のスカートの丈を詰めており、膝上20センチはありそうだ。

 その上スタイルが良く、手足がスラリと長い。

 周囲の目がある時は違うのだが、何故か竜胆は葵と二人きりの時はガードがゆるい。

 竜胆が無防備な姿を晒す度に、葵の中の天使と悪魔が熾烈な戦いを繰り広げているのだ。

 最近、悪魔のレベルが上がってきているようなので、是非とも天使には頑張っていただきたい。

 そんなことを思っている間に、二階に到着。

 

「ほら、鍵。無くすなよー」

「ありがとうございます。あの、スペアキーとかありませんか?」

「合鍵ならあたしが持ってるから、安心出来るだろ?」

「出来ませんよ!」

 

 ──不安しかない。

 返して下さいと言うべきだろうか?

 竜胆がどう答えるのか予想が出来るくらいには、葵と竜胆の付き合いは長かった。

 結局スペアキーは手に入らないまま、葵は竜胆と二階の扉を開く。

 

「思ったよりも、普通の部屋ですね」

「思ったよりも、普通の部屋だなー」

「今、そう言いましたよね!」

 

 ──もしかして、気に入ったのだろうか?

 こちらとしては面倒くさいので、是非ともやめていただきたい。

 それはさておき。

 一階の豪華さに比べると、見劣りしてしまう。

 普通ならあるはずのキッチンが無い事以外は、特筆する所が何も無いワンルームだった。

 

 ☆☆☆

 

 大体部屋を見終わって、宿直室を後にする。このまま泊って行きたい気分ではあるが、学生寮を引き払う手続きや、自分の荷物を運び込んでからでないといけない。

 葵は二階の扉を開いて目に入ってくる景色から、随分と遅くなってしまっていることに気がついた。

 真紅と黄金を混ぜ合わせたような強烈な色彩の空。

 夕映えの赤が雲を焦がし、その隙間から零れる陽光に目を細めた。

 

「すっかり遅くなってしまいました」

「なんかあっという間だったなー」

 

 そんな取り留めの無い話をしながら、夕焼けに染まる道を歩く。

 あっという間だった、その竜胆の言葉は葵にとっても同じだった。

 中等部の時に竜胆と出会ってから、葵の学園生活は何倍も楽しくなった。口に出すことは気恥ずかしいけれど、葵は竜胆にとても感謝しているのだ。

 竜胆と出会わなければ、こんなに料理が上手くなることは無かっただろう。

 自分が料理と真剣に向き合うきっかけをくれたのも、竜胆だった。

 

 ──なぁ、葵。料理は一人では、完成しないんだよ。

 

 それは中等部の頃。

 薙切えりなという才能に出会い、自分が思ったように料理が作れずに、壁にぶつかっていた時に竜胆に告げられた言葉だ。

 その時は、意味が分からなかった。

 だって料理を作ることは、一人で出来る。それに料理を極めるということは、果てのない道を歩き続けるということだ。

 料理人として生き残るには、果てのない道を歩き続けるには、ありとあらゆる技量と心構えが必要となる。

 頂きへと辿り着くその過程で、多くの者が涙を流す。

 そしてやがて一人で旅立つからだ。

 

 ──だけど。

 今なら、分かる。

 本質的に料理は、誰かの為に作るものだから。

 自らが作り出した料理は、それを食べる誰かの為に存在する。それはお客様であったり、友人であったり、愛おしい人だったり。

 その誰かに食べてもらって、その誰かが美味しかったと微笑んだその時、初めて自らの料理は完成へと至るのだ。

 

 葵は竜胆に貰ったものは、かけがえのないものだ。

 料理人として、かけがえのないもの。

 技量と心構え。

 それに比べて、葵自身は何かを与えることが出来ただろうか?

 葵が竜胆の為に出来ることなんて、とても些細な事のように思う。

 

「なぁ、葵。新学期の目標って何ー?」

「え? 秘密ですよ」

「何で言わないかなー」

「願い事って、人に話すと叶わなくなるらしいじゃないですか」

「あー、なんか聞いたことあるわ」

 

 目標。

 実はもう、決めてあるのだ。

 この一年は、竜胆に何かを与える一年になればいいと思う。

 ──だからとりあえずは手始めに、感謝の言葉を贈ろう。

 

「竜胆先輩、ありがとうございます」

 


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