あの味を求めて幻想入り   作:John.Doe

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地底の洋風食堂

「よし。昼はここにするか」

 革靴の歩みを止めて、僅かにネクタイを緩める。五郎が目を付けたのは、小さな商店街にある小さな洋食店だった。レンガ造りの壁は新品のものではなく使い込まれていることを感じさせるもので、少し黄ばんだ硝子から覗く店内には客が二組ほど見える。空席はその倍以上あるが、寂れているという感じ方はさせなかった。いい雰囲気だ、と喜び勇んでドアを開けようとしたその瞬間、目の前が真っ白になるような感覚が五郎を襲う。

 

 ふっと目を開けた五郎。山の中で洞窟の前に立っていた彼は少しだけ呆けていたように立っていたが、すぐに何をしようとしていたのか、すなわちこの洞窟の先にある橋を越えた、旧地獄へ行こうとしていたことを思い出す。何度目か分からぬどこからかの不気味な視線と、飲めない酒の臭いが鼻を埋め尽くす大通りを通り抜け、地底で光を取り入れることをあきらめたステンドグラスの窓らが目を引く館に到着する。到着と言っても正門前に着いただけで、館に入るためにはまず門前にいる妖精に声をかけなければならない。この妖精はゾンビを思わせる不気味な風貌をしてはいるものの、雇い主というか使役主というか、とにかく彼女らを統括する火焔猫燐という存在のおかげで、他の妖精のような悪戯を気にする必要はない。五郎が手短に自身の身分と用事を伝えるように頼むと、こくりと頷いた妖精は館の中へ飛んでいった。

「相変わらず薔薇の手入れは熱心なんだなぁ」

 門からも見える庭に咲く赤を中心とした薔薇達は、この地霊殿の特徴の一つでもある。薔薇といえば日本でも歴史の深い植物であるが、この地獄では周りに花が少なすぎるからか、余計に映えて見える。戻ってきた妖精に案内されながらその薔薇から微かに香る香りを楽しむのが、五郎の地霊殿に来た時の楽しみだ。

 

「そうですか。それではそのようにお願いします」

「はい。では一週間後にまた」

 席を立って立ち去ろうとした五郎を、その対面で商談をしていたこの館の主、古明地さとりが呼び止める。覚妖怪たる彼女の特徴である、大きな第三の目が心を見透かすような感覚が、五郎は嫌いではなかった。しかし呼び止められた理由は、心を読む力を相手は持っていても五郎は持っていない。どんな目的があるのか見当もつかない五郎がきょとんとした様子で立ち止まると、さとりは僅かに笑みを浮かべながら用件を伝えた。

「お食事、まだなのでしょう? お酒を飲めない貴方が大通りで入れる店も少ないでしょうし、地上に上がるころには陽も沈んでしまうわ。お昼くらいはご馳走させてくださいな」

 そういえば、と五郎が腕を上げて時計を見る。いつの間にか昼頃を指しており、それに気づいた途端一気に腹の虫が主張を始めてきた。無論、そんなことは音を聞かずとも目の前の少女には筒抜けになるわけである。

「ふふふ。丁度お腹の方も空いていらっしゃるようですし、ご遠慮なさらずに。ああ、準備ができるまで、お茶とクッキー、よろしかったらどうぞ」

 膝の上に寝かせていた二本の尻尾を持つ、赤い模様の入った黒猫を地面に降ろすと、ポンと小気味の良い音とともに人型に姿を変える。えんじ色の三つ編みが特徴的な髪、大きな猫耳、上下一体の不思議な柄の深緑色のゴシック調の服……地霊殿のペットの代表格である火焔猫燐、通称お燐と呼ばれる化け猫である。

「やっ、五郎さん。準備してくるからちょっと待っててね」

 落ち着いた口調のさとりと対比的に、楽しそうに笑いながら砕けた口調で話すお燐。何故か五郎は彼女に気に入られているらしく、ちょくちょく死体を運ばせてくれとせがまれる。慕情でも友情でもない感情を抱かれた五郎は不思議に思いつつも、商売先の子供になつかれたようなものとして大して重く受け止めていなかったし、お燐もそれで満足しているようである。そもそも、この人懐っこさや人には理解しがたい愛情表現のようなものは五郎に限った話ではなく、たとえば博麗の巫女などもその対象らしい。

 お燐が部屋を出ていったのを見送り、改めて目の前に置かれていた紅茶とクッキーに目をやる。商談中、先程出ていったお燐が出したもので、クッキーは目の前の少女、さとりの手作りであり、紅茶はこの地霊殿で栽培した葉を使っている、という話だ。まずは、と紅茶のカップを口に運ぶ。渋みはなくスッと喉を通り、深いコクが舌に染みていく。

(ほほー。紅茶は詳しくないけど、初めて飲む味だ。淹れ方がいいのか、茶葉がいいのか……両方かなぁこれは)

「ああ、そうそう。その紅茶、シッキムという茶葉の名前だそうです。随分前に流れてきたのを少しずつ栽培しているのですよ」

 五郎の心を読んださとりが、五郎の邪魔にならない程度の音量で話しかける。シッキム、という茶葉については、一度商談しているときに聞いたことがある。確かインドの方の茶葉だったはずだ。随分遠いところから流れてきたものだ、と思いつつ、その深いコクを楽しむ。対してさとりは、そのシッキムの原産地を思いがけず知ることになり、感慨深い表情を浮かべていた。二口目で喉を潤した五郎は、クッキーに手を付ける。干し葡萄が練り込まれたクッキーが口に入った瞬間、さっくりと口の中で砕けていく。

(うーん、こうも軽い口当たりのクッキーはなかなか焼けるもんじゃない。生地の甘さと葡萄の甘酸っぱさが癖になる……飽きずに何枚でも食べられちゃうぞ。まるでアルプスの平原のようなさわやかな風の味だ)

 二枚目を食べ終え、三枚目を口に含んだ後、シッキムの紅茶を口に含む。すると、コクの深いシッキムの味と香りが、干し葡萄と軽い小麦の甘酸っぱさに消されることなく、程よい調和を見せる。軽い小麦はシッキムをよく吸収し、単純な足し算掛け算ではない味の融合を五郎に楽しませ、干し葡萄とシッキムの香りが鼻をも楽しませてくれている。

(うん、うん。相性抜群、長年連れ添った熟年夫婦の味だ。縁側に二人腰かけて飲むお茶みたいな安心感。紅茶とクッキー、シンプルだけど、だからいいんだ)

 最後の一枚を口に放り込んだ丁度その時、背後の扉が開く音が聞こえた。ティーカップを持ち上げながらチラリと視線をやると、予想通りお燐が戻ってきていた。どうやら用意が済んだらしい。

「さとり様、準備完了です!」

「そう。では井之頭さんをご案内して。紅茶とクッキー、お気に召していただいたようで何よりです」

 椅子から立ち上った五郎は、さとりの言葉にご馳走様です、と返して頭を下げる。おいしかったことは、心の中でだけ呟いておいた。きっと彼女には伝わっているはずだろう。その証拠に、さとりは先ほどよりも嬉しそうに微笑んでいる。

 

 お燐に案内されたのは、この地霊殿の食堂らしきところだ。地下で陽が入らない割には燭台が多いこともあって明るく、ところどころにここのペット達が座って談笑したり食事をとっている。時間感覚が人間と違うからか地底で太陽がないことで感覚がないのか、色々な種族がいる。しかしペット中心だからと言って清潔感がないかというと真逆で、真っ白なシーツのかかったテーブルと整った椅子が並んで五郎を出迎えていた。

「ささ、適当なところに座ってちょうだいな。すぐ持ってくるからさ」

 そう促されて座った五郎のもとを離れたお燐。宣言通りわずか一分足らずで料理を運んできて、五郎の前に並べていく。準備をしてきた、ということだから驚きこそしなかったが、配膳の手際の良さには驚かされる。

「はい、お待ちどう。この食堂では当番の奴が片付けることになってるから、食べ終わったらそのまま帰っていいよ」

「あ、どうも……」

 お燐は今度こそ立ち去り、五郎は改めて並べられた料理を見る。成人男性でも満足な量のピラフと、湯気の立っていないスープだ。おそらくスープはヴィシソワーズなのだろう。正式な場でもなんでもないが、とにかくまずはジャブに、とヴィシソワーズに匙を浸す。わずかな手ごたえとともに沈み切った匙を引き上げ、零れ落ちないように口に運ぶ。さっぱりとした味の中に、何か不思議な香りを感じた五郎。よくよく見てみると、細かく刻まれたみかんの皮が入っている。

(ほう。みかんの皮が入ったヴィシソワーズ……じゃがいもの甘さと、玉ねぎと鶏がらのコクだけじゃない、冷たすぎない中で主張しているさわやかな香り……さっきのクッキーと紅茶がアルプスの平原なら、これはアンデス山脈の高地だな)

 ヴィシソワーズのカップを一旦視界の端に置いて、ピラフへとターゲットを変える。鮭のほぐし身、トウモロコシや鶏肉、玉ねぎが具として散りばめられている。匙を入れて一口分を崩しとると、一気に湯気が五郎の鼻を刺激する。鶏ガラ出汁のいい香りだ。玉ねぎの香ばしさや鮭の柔らかな香りと相まって、それだけでも美味しいと感じさせる。二回ほど息を吹きかけて冷ました後、ワクワクしながら口へ運ぶ。

(いいぞ。地上では食べたことがない味だ。魚と肉、それに野菜全部いっぺんに食べられる。それになんだか、この味は懐かしい……男の子の味だ。旗を立てたくなっちゃうぞ)

 二口目、三口目、と勢いよく食べていく。そのたびに全部がバランスよく整ったピラフの味が、飽きることのない美味しさを楽しませてくれた。半分ほど一気にかきこみ、ピラフの熱で体に火照りをおぼえてきた五郎が、ふと視界の端に置いていたカップに気付く。何の気なしにそれを口に運ぶと、冷えすぎず程よい冷たさのヴィシソワーズが、ゆっくりと喉と体をクールダウンさせていった。

(ははぁ、なるほど。初めは何で冷たいヴィシソワーズか分からなかったけど、今分かったぞ。なるほどなるほど、このヴィシソワーズは二重底のびっくり箱だ)

 クールダウンした体で改めてピラフを食べる。だんだんと火照っていった体が感じていた味とはまた違う、最初の新鮮な味わい。そしてすかさずヴィシソワーズを流し込む。クールダウンするのとは違う意味で仕事をして見せるヴィシソワーズ。ピラフの油分を利用して甘みとして新たな味わいをもたらした。

(いろいろなタイミングで味を変えるのか。ヴィシソワーズ、恐るべし。そしてピラフ、これもいろんなものを作ってきた畑なんだ。だからいろいろな味をヴィシソワーズにくれるんだなぁ)

 いろいろと試したくなってくるが、やはりピラフの魔力はすさまじいものがあった。考えているうちに食べ進めてしまい、クールダウンにヴィシソワーズを楽しむ。そのスタイルが自然で一番合っているのではないかという結論に至った。

(そうだ。飯を食うときに背伸びする必要はないんだ。俺はこんな大事なことを忘れていたんだ……よーし。食うぞ)

 残りは四分の一を切っている程度だった。しかしこの最後こそ、スパートをかけるようにかきこんでやろう、と内心で決心する。一口、二口、と勢いよく口に放り込んでいく。時折ヴィシソワーズでクールダウンし、また食べ始める。器の四分の一程度だったが、永遠に楽しむことができているような気がした。

 

「ふぅ……」

 ほんの少しだけ音を立てて、匙がピラフの入っていた器に置かれる。ヴィシソワーズでクールダウンしてなお吹き出していた汗を拭ってから、ゆっくりと席を立つ。再びバラの香りを楽しみながら、地霊殿を後にし、酒場通りを後にし、大きな橋を後にし、そして洞窟から地上に戻ってきた。太陽の光が何日ぶりかに感じるが、実際は一日足らずである。もう陽も沈んでしまう。厄介なことになる前に、早く帰らねば……そう思って、鞄を握り直し、足早に歩こうとし始めたその時。

「はぁい。少し、いいかしら」

 不意に声を掛けられた。勢いよく、恐怖とともに顔をそちらに向けるが誰もいない。体を向け、改めて探してみるがやはり誰の姿も認められなかった。気のせいだ、ということにして再度後ろへ向き直ろうとしたその時、肩を後ろから叩かれた。

「うわあっ!」

 反射的に大きな声とともに肩をはねさせる。再び勢いよく後ろを振り向くと、クスクスと笑う口元を扇子で隠して、切れ目のような「何か」に腰かけた、金髪の女性がそこにいた。その姿には見覚えがある。この幻想郷でおそらく最も力を持つ部類の妖怪であり、最も頭の良い部類の妖怪……

「や、八雲さん……驚かさないでください」

「ふふふ、ごめんなさいね。こんないい時間だし、ちょっと悪戯してみようと思いまして」

 微笑みを崩さない目の前の女性は、妖怪の賢者こと八雲紫であった。以前一度だけ、商談したことがある。そもそも彼女なら自前で手に入れられそうなものだが。紫は微笑みを鋭い笑いに変え、話をつづけた。

「さて、井之頭さん? 用事があるのは確かなのよ。ご一緒、してくださる? ああ、捕って食ったりするわけじゃないのは保証しますわ。捕って食わせないようにスキマ便も保証しましょう」

 五郎に選択権はなかった。し、断る理由も今のところはないので、はぁ、と気の抜けた返事だけ返す。紫は鋭い笑みを再び何を考えているのか分からないいつも通りの微笑みに戻すと、ふわりと腰かけていたスキマから離れ、扇子を一振りする。横ではなく縦に現れたスキマは、ちょうど成人男性が余裕をもって通れるほどの高さである。

「では、スキマ便御一人様ご案内」

 楽しそうに言って見せた八雲紫。しかし全く信用ならないそのテンションは、井之頭五郎に疑いの心を持たせるものだった。訳が分からないという表情のまま、五郎はスキマをくぐる――――


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