どうして彼女が死ななければならない!!
彼女にはもっと生きる権利があるはずだ。俺のように嫌なことから逃げ続けている人生とは訳が違う。
彼女が何をした? 死ななければいけない運命を背負わせるようなことをしたのか?
だとしたら、そんな運命糞食らえだ。
俺は認めない。絶対に認めない。
もっと生きていいんだ。生きていいはずなんだ。
俺の命で彼女が救えるのなら、喜んで差し出せる。
だから頼む。死なないでくれ……
俺は何にも分かっていなかった。
本人も生きたいと、もっと幸せになりたいと、そう望んでいるはずだと思っていた。
だけどどうだ、彼女の顔が、心が、声がそう言っていない。
死を悟っている。死を認めている。死を受け入れている。
ふざけるな。そんな馬鹿なことがあっていいものか。
なんであんなにも素直に受けいれられる?
なんであんなにも満足そうにしている?
なんであんなにも笑顔でいられる?
なんであんなにも――――
生かせてしまった。
生き返らせてしまった。
俺の我侭が、俺の願望が、俺の判断が、
ユウキの覚悟を、歯を食いしばって生きてきたその努力を、踏みにじってしまった。
なんて薄汚く、卑劣で、浅ましいのだろう。
だけどそれでも、彼女を生かすことができた。
だからこれでいいんだ。
生き続けてくれるのであれば、それでいいんだ。
死を受け入れたあの時の彼女の表情を思い出すたびに、罪悪感がこみ上げてくる。
だからこそ俺は逃げるように関わることを、接点を持つことを避けてきた。
近づいてはいけない。声をかけてはいけない。触れてはいけない。接してはいけない。
何度も何度も自分にそう言い聞かせては逃げ続けてきた。
なのに――
どうして俺は今、ユウキと散歩している?
――決まってる。催促されたからだ。
どうして俺は今、ユウキと外食している?
――決まってる。懇願されたからだ。
どうして俺は今、ユウキとクレープを食べている?
――決まってる。強要されたからだ。
どうして俺は今、ユウキと昼寝している?
――決まってる。要望されたからだ。
どうして俺は今、ユウキの手料理を胃にかきこんでいる?
――決まってる。期待されたからだ。
どうして俺は今、ユウキの頭を撫でている?
――決まってる。所望されたからだ。
全て、アイツが求めたことだ。
俺じゃない。
俺じゃないんだ。
『――いや、違う』
『それは違うな』
『なぁ、刀霞』
『霧ヶ峰刀霞よ』
『貴様は求めた』
『全て、貴様が求めたことだ』
『自ら求め、拒否されることを恐れるからこそ、他人のせいにしてきたのだろう?』
『責任を押し付け、擦り付け、かぶせ、肩代わりさせ、お前はそうやって逃げてきたのだろう?』
『今回もまた逃げるのか』
『誰かに媚び諂い、のうのうと生き続けるのか』
『なぁ、刀霞よ』
答えは、既に出ているぞ。
*
朱色の夕空に穏やかな風が揺れ動き、艶やかな濡れ羽色の髪と暗闇よりも浮き上がるような黒髪が呼応するようにゆらゆらと静かになびく。
互いの相貌が夕日に染まり、時の流れがいたずらに二人の風姿を変えていた。
しかしそれでも、瞳だけは真っ直ぐ、
定規を当てたみたいにただ一直線に。
彼女を、彼を、互いに捉えていた。
久しく見るトウカの姿に、ユウキは刹那に焦がれる。
許されるのであれば今すぐにでも彼の元へと駆け寄り、腕の中へ飛び込みたい。
抱きしめたい。抱きしめられたい。離さない。離したくない。
強く、強く望む程に胸の奥が張り詰める。
そう、最後に見た記憶は心の傷を隠すようにローブに包まれた、あの姿だった。
あの日の彼は目を合わせようともせず、内に秘めていた想いを打ち明けることを避けていた。
――しかし今は違う。
夕闇を沁み込ませた様な墨黒色の着流し。純白の帯越しには透き通るような雪色の刀を帯刀している。
それは、本来の悠々閑閑である刀霞のあるべき姿。
そんな刀霞の瞳はユウキの瞳を一点に捉えていた。
逸らさず、避けず、流すこともなく、ただユウキの存在を認めるように曇りのない眼差しを送り続けた。
まるで、あの頃傷心していた、過去の自身と決別したかのように。
「トウカ……」
爆ぜるような想いが、自然と彼の名を口にした。
幾度も叫び、求めたあの彼が今は眼前にいる。
緊張の糸がほんの少しでも緩んでしまうものなら、涙があふれ出てしまいそうになる。
それ程今のユウキは情動に掻き乱されていた。
「……ユウキ」
ユウキの情緒を捉えたのか、トウカは続ける。
「もし許されるなら、俺は――」
傲慢だ。その先を言うのは。
「俺は……」
だけど――
「お前の……」
それでも――
「お前の傍にいたい……」
決めたんだ。もう逃げないと。
「…………」
その言葉に対するユウキの返事は、静観だった。
彼は今、心の奥底で縛っていた劣等を、想いを、隠すことなく伝えようとしている。
その最中に言葉を挟むのは、何故だか許されない気がして。
ただ、トウカの言葉に耳を傾けていた。
「だけど、今のままじゃ駄目だ。今のまま、お前の隣にはいられない……」
求めて、求めて、求めて。しかしそれでも――
「今の俺じゃあ、ダメなんだ」
届かないのだ。今のままでは、まるで届かない。
悔しくて、情けなくて、不甲斐ない。
粘り気のある負の感情が心の中で入り混じり、膨らみ続け、やがて表情となって現れる。否定し続け、拒否し続けたトラウマとも言える過去の残像がトウカの顔を曇らせる。
「――だから……」
「あぁ、だから――」
「俺と戦ってほしい」
シトシトと悲しさだけが募っていくような、心細さを感じさせる霧雨が降る、屋上で見せたあの時の表情がユウキには重なって見えた。
目線を落とすと最上段の列には『Touka is challenging you』の文字と、『全損決着モード』に同意を求めるシステムウインドウが。そして窓越しには、かつてトウカと二人で腰を下ろし、痴話喧嘩した場所が薄く瞳に映る。
「……一つだけ教えて」
それは、ずっと前から聞きたかったこと。
それは、ずっと前から知りたかったこと。
それは、ずっと前から確かめたかったこと。
「ボクのこと、――嫌い?」
答える義務がある。
答える責任がある。
答える理由がある。
しかしそれでも、トウカは小さな微笑を溢し、こう言うのだ。
「――あぁ、だいっきらいだ」
以前にも吐き捨てられた、その言葉。
どんな痛みよりも痛くて、痛くて、痛くて――
それ以上に苦しかった
――が、今は違う。
嫌悪や憎悪などはまるで感じない。
眉をひそめ、意地の悪い笑みを浮かべるその表情が、どこかいたたまれなくて、酷く懐かしく感じる。
優しく、繊細なのにどこか猛々しい。
そんなトウカの傍に居たくて、居たくて、居たくて――
それ以上に愛おしい。
「……ほんとにもう――」
――この人は、いつもそうだ。
「ほんとに……」
――いつもそうやって、
「嘘ばっかり……」
――ボクに優しくしてくれる。
ユウキは、システムウインドウに手を伸ばし、承諾を意味する『OK』をそっと押す。すると、勇ましいSEとともに視界上部にカウントが開始。傍らに浮かぶカラー・カーソルには『Touka』の名前が出現し、トウカのカーソルにもまた『Yuuki』の名前が刻まれた。
ユウキは一つ小さく深呼吸すると同時に、腰に添えてある片手直剣に手をかけ、静かに引き抜き――
「ボクもトウカなんか、だいだいだい……だぁぁいっきらい!」
それは、愛情の裏返し。
本当に大好きだからこそ、言える言葉。
*
戦いたくない。
本音を語れば、そういう結論にたどり着く。
トウカには戦う理由があってもユウキにはなく、故にそれが心情を複雑にさせた。手紙の内容には会ってから話すと綴られていたが、どのような理由にしろユウキは戦いたくはなかった。
それは、トウカの実力を甘く図っているわけでも、自身が最強だと慢心しているわけでもない。ただ、勝敗に関わらずこれ以上関係が複雑になることを避けたいのだ。
これ以上トウカの心に深く関わる事をユウキは恐れている。ただ好きな人の傍にいれるだけでいい。多くは望まない代わりにトウカの近くいることだけは許してほしい。そんなユウキの小さな願望が、胸の奥で渦巻いていた。
しかし、トウカはユウキの質問に対してこう答えたのだ。
『だいっきらい』だと。
それは、ユウキが戦う切欠となる瞬間だった。
仕方ない。嫌いならば、仕方ない。
会話で解決しないのであれば戦うしかない。
子供のようにがむしゃらに喧嘩して、一方的に意見を押し付けて、理解してもらうしかない。
知ってほしい。分かってほしい。
だから戦う。
教えてほしい。伝えてほしい。
だから戦う。
そう、ぶつからなければ伝わらないことだってあるのだ。
例えば、
自分がどれだけ真剣な気持ちなのか――
「ボクが勝ったら、一つだけ質問に答えてほしい」
それは、真剣な面持ちと言ってしまえばそれまでだが、この時のユウキの表情は少し違っていた。
一人の女性としてではなく、一人のプレイヤーとしてでもなく、一人の友としてでもない。
「だから、約束して」
その面構えは――
「一人の剣士として、絶対に嘘はつかないって」
「――――」
トウカは言葉が出てこなかった。
というより、初めてみる絶剣としてのユウキの気迫に面食らったと言ってもいいだろう。
最早目の前にいるのは我侭な女の子ではない。今尚憧れ、目標にし続けていたあの絶剣の姿だ。
何を問われるかは定かではない。
しかし絶剣の前で自身を偽ることは、ユウキの存在をも否定することと同義であるとトウカは解釈している。
故にここで逃げてしまっては覚悟を決めた意味がない。
トウカは腰に携えた刀の柄を親指で持ち上げるように少し引き抜き、そして静かに収め――
「――あぁ、誓うよ。一人の剣士として絶対に嘘はつかない」
自身の心に強く打ち咎め、迷うことなくトウカは言い切った。
この所作は
ユウキはその所作を知っていたのか、もしくはトウカの意を決した表情に確信を得たのか。小さく微笑むと長剣を中断に構え直し、自然な半身の姿勢を取った。対してトウカはユウキとは対象的に刀の柄に手を添え、静かに腰を捻り落とし、抜刀する姿勢に留めた。
――震えがこない……?
覚悟していた発作が、何故か起きない。
いつもであれば刀に触れただけで冷や汗が湧き、手が震え始めるのだが今回は不思議と何も起こらない。
願ったり叶ったりではあるが、開きおなっているとはいえ少々不気味に感じてしまう。
しかし考える間もなくカウントは残すところ十秒あまり。余計な考えを今はすべきではないとすぐさま気持ちを切り替え、大きく息を吐き続け極限まで脱力を求めた。
二人の間に静穏が広がる。
そよぐ風の音も、擦れる枝や鳥の羽ばたきすらも、今の二人には雑音にすら届かない。
やがて無音の音が耳元で大きくなる感覚を互いに掴んだ瞬間――
『DUEL』の文字が一瞬の閃光を発すると同時にユウキは全力で地を蹴った。
約七メートルほどある距離を影を置き去るほどの速さで一直線に、トウカの喉元へ剣先を撃ち出す。
「やああっ!」
風を裂くように突き出された剣と共にユウキの覇気がトウカの喉元へ迫り来る。
だが、トウカは動揺など微塵も見せることもなく、ユウキの剣先が制空権に入った瞬間、捻った腰を開くように抜刀し、繰り出された刀の剣先が直剣の刃先へあてがわれた。
互いの刃は火花を散らしながら交差され、トウカは刺突の軌道を右へと逸らし、受け流しながら体を素早く入れ替える。
初撃の軌道を逸らされたことにユウキの目が驚きに丸くなりながらも、行き場を失った勢いを殺すため、前転を素早く数回。そして追撃に備えるため片膝をつきながらも振り向き様に長剣を構えなおす。
――が、追撃がこない。
僅かに見せた隙。二、三歩踏み込めば一太刀浴びせることも十分可能であったにも関わらず、トウカは初動と同じように抜刀する構えを見せたまま静かにユウキの攻撃に備えていた。
「な、なんで……」
思わず言葉が洩れる。
「――俺はこういう戦い方しかできない」
消極的な姿勢、ではない。
言葉とは裏腹に、トウカの目には静かな闘志が宿っている。安直に制空権へ踏み入れようものなら、確実に斬られてしまう。
自ら斬り合いを挑んでこない最弱の剣士を前に、ユウキは恐怖にも似た緊張感を覚えた。
トウカは自身から攻め入ることは得意とはしていない。
それは過去のトラウマに起因する。
伝統とはいえ、人を殺すための技術を幼少期から叩き込まれた彼にとって、自らが攻撃することを酷く恐れていた。
何故ならば――本能的にイメージしてしまうのだ。
相手が剣を振りかぶれば、斬り下ろし様に懐へと入り込み、振り下ろされる手首に刃を合わせ斬りつける。
横一文字に斬りかかるのであれば、刀線刃筋を予測し、刃先を受け流しつつ遠心力を加え、相手の体制を崩した直後脹脛の腱を断裂させ一時的な行動不能にさらしめる。
唐竹ならば、袈裟切りならば、逆袈裟ならば、右薙ぎならば、左薙ぎならば、左切り上げならば、右切り上げならば、逆風ならば、刺突ならば――
父に叩き込まれた幾度も繰り返す殺し合いの果てに、トウカの奥底に眠る本能がすっかり侵されてしまっていた。
しかしそれでも、即死させるようなイメージだけは絶対にしなかった。例えそれが、『霧ヶ峰流抜刀術』の真髄を汚していたとしても。
本来、霧ヶ峰流は『無二の一太刀』を旨としている。手首を斬りつけたり、足にダメージを負わせ行動を制限させたりと回りくどい技は存在しない。一太刀で首を斬り落とし、一撃で臓腑を両断させ、一突きで心臓を突き抉る。
敵対する相手には全て『無二の一太刀』を以て応えるのみ。
そんな人を殺すための技をトウカに叩き込むために、父親は木刀で何度も痛めつけながらこう言うのだ。
『一太刀で殺さなければ意味がない』
――冗談じゃない
『息の根を止めなければ意味がない』
――冗談じゃない!!
殺す必要なんてどこにもない。
活かすため、生かすためにこの力を。
護るため、守るためにこの技を。
誰にも文句は言わせない。
「これが俺の戦い方だ。こい、絶剣」
いざ、尋常に――
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