改めて誤字脱字が多いです。ご了承下さい。
また、若干の鬱な表現が含まれていますので、ご注意下さい。
「刀霞さんおはようございます! 朝食のご用意ができましたよ!」
「…………」
靄華の明るい挨拶も虚しく、刀霞は何も応えない。
いつもであれば『今日も元気ですね』の一言でも返すのだが、今の彼にそんな覇気は残されていなかった。
着々と痩せ衰え、筋力も低下し続ける上に食事もとろうとしない。ここ最近ではトイレでさえ自力で行くことが難しい状態にまで陥ってしまっている。
そんな刀霞の姿を一部始終見ていた靄華はいてもたってもいられず、勤務時間外でも刀霞の看病を率先して行っていた。休日でさえ刀霞のお見舞いや木綿季のメンタルケアに時間を費やし、今では刀霞の食事にほぼ毎日付き添っている。そうでもしなければ彼は何も口にしないからだ。
「少しだけ体起こしますからねー」
「……食べたくありません」
「駄目です、もう私に何言っても通用しませんよー」
食欲がない、気分が優れない、一人にしてほしい。
幾度も刀霞が拒否を示しても靄華は言うことを聞かなかった。他の看護師や倉橋医師は彼の気持ちを尊重し、無理には食べさせないというスタンスであったが、靄華だけは頑なに認めようとはしなかった。
「今日は柔らかいものが多いから食べやすいですよ! はい、あーんしてください」
「……一人で食べますから……」
「そう言っていつも食べないじゃないですか。さ、早くお口開けてください」
「…………」
差し出されたスプーンを刀霞は無気力に咥える。
「――……ぐ……げほっ……ごほっ」
弱々しく租借し、小さく飲み込むが体が受けつけないのか、吐き出すように酷く咽せ返る。掛け布団には刀霞が吐き出した軟食物が散乱するが、靄華は意に介さず刀霞の背中をタッピングしながら摩り続けた。
「……すいません……」
「私の方こそ……ごめんなさい……」
「もう、大丈夫ですから……」
「で、でも……せめてヨーグルトだけでも……」
軟食ですら喉に通らない。しかし何か食べさせなければ、このままでは衰弱していく一方である。
そんな靄華のもどかしい気持ちを他所に、刀霞は差し出されたスプーンを手で遮った。
「お気持ちだけで十分です。本当に、ありがとうごさいます……」
「刀霞さん……」
過去を振り返れば、既に死を望んでいた刀霞にとって靄華の行動は決して望んでいたことではなかった。しかし毎日のように傍に居続け、身の回りの世話を積極的にこなしている彼女にはとても感謝していた。
だが、それと同時に罪悪感も抱いている。
――……これ以上、誰にも迷惑をかけたくない。今更生き永らえたいとは思わない。水霧さんにはとても感謝している。しかしそれも今日で終わりにしよう。
何故なら――
この人は、俺のせいで苦しんでいるのだから。
「……もう、死なせて下さい」
刀霞は目を伏せながら淡々と言った。
口元は微笑を浮かべているが、目に生気が宿っていない。
それはいつもとは違う、彼の笑顔だった。
無理に繕い、自身を偽り、強引に歪めている苦渋の破顔。
靄華の全身に、恐怖にも似た感覚が駆け巡る。
このままでは本当に彼が死んでしまう。
私を救ってくれた人が、私に手を差し伸べてくれた人が、いなくなってしまう。
結局何もできず、ただ見殺しにしてしまうだけなのか。
また、あの子のように。
「だめ……生きて……! 生きなきゃだめなの……!」
靄華は耐えられなかった。
咄嗟に刀霞を抱きしめ、声を振り絞るように熱願する。
それに対し、刀霞は冷静に彼女の肩に触れ、ゆっくりと距離を開けた。
「……遅かれ早かれ死ぬんです。いつでも覚悟はできていますし……大丈夫ですよ」
「刀霞さんが大丈夫でも、私は大丈夫じゃないんです! もっと……いっぱいいっぱい刀霞さんには生きていてほしいんです!」
「……ありがとうございます」
「やめて……! そんなこと言わないで……!!」
一番聞きたくない、感謝の言葉。
『ありがとう』という言葉とは、これほどまでに残酷に感じてしまうものなのか。
靄華は、彼が遠くへいってしまわないように、どこかへと消え去ってしまわないように、強く強く抱きしめることかできなかった。
*
「どうして……どうして駄目なんですか!?」
靄華は張り詰めるような剣幕で倉橋医師に問い詰めた。
「靄華さん……落ち着いて下さい。我々には患者の権利と選択の自由を尊重する義務があることをお忘れですか?」
「それと手紙を渡すことと何の関係が――」
「彼は、誰にも会いたくないと。誰とも話したくないと言ったんです。手紙とはいえ、外部からの伝達を一方的に認めるということは、刀霞さんの主張を無視したことになります。それは、患者の人権を阻害することと同義です。主治医として……いえ、医者として認めるわけにはいきません」
「でも……でも……!!」
言い分は理解できるが、納得ができない。焦りにも似た感情が靄華を追い詰めていた。このままでは、刀霞に残された時間が僅かしかない事をなんとか倉橋医師に伝えようとするのだが、うまく言葉が出てこない。
ところが、それを察したように倉橋医師は靄華の肩をポンと軽く叩き、落ち着いた表情で言った。
「ええ、その『でも』です。私としても、本心では今すぐ紺野さんの気持ちを伝えてあげるべきだと思っています。だからこそ、貴方の力が必要なんです」
「私の……?」
「刀霞さんは今、生きる気力を見失っています。原因は……お察し通り紺野さんです」
「はい……」
「紺野さんは、彼を傷つけてしまったと言っていましたが、詳しい内容まではわかりません。今となっては確かめる術はないでしょう。ですが……貴方なら……貴方の言葉ならきっと刀霞さんに届くと私は信じています」
「私の……言葉……」
「お願いします。どうか……彼に生きる希望を見出してあげてください。そして、彼の気持ちが少しでも生を望んでいると気づいた時、その手紙を渡してあげてください」
「……できるでしょうか……私なんかに……」
重い責任感がずしりと靄華の背中にのししかる。もちろん説得は過去に何度も説いたのだが、いずれも彼は考えを改めてはくれなかった。挙句の果てには自らが『死なさせてほしい』と悲願してしまうほどに、今の刀霞は追い込まれている。
これ以上彼にどんな言葉を投げかけていいのかわからない。そんな靄華の心の迷いが、自然と項垂れるように首を垂れさせてしまった。
「……今の貴方ならできるはずです」
倉橋医師の、唐突な一言。
それは、靄華だからこそ理解できる言葉だった。
「先生……どうして……」
「言ったでしょう。本心では、貴方と同じ気持ちだと」
「…………」
「――……この話は、この一件が無事に済みましたら話しましょう。しかし、これだけは言わせて下さい。貴方はもう無力ではありません。無論、私もです。お互いに人の命を救える力をもっています。ならば、最後まで諦めずに戦いましょう……彼女もきっと、それを望んでいるはずですから」
「……はい!」
諦めずに戦う。その言葉の意味は靄華自身十分に理解していた。
それは、嫌な事から逃げるなという意味ではない。過去の弱かった自分自身に立ち向かえという意味だ。
説得や言葉だけでは彼の死へ向かって行く歩みを止めることはできない。刀霞を止める方法があるとするならば、靄華自身の気持ちを、心を伝える必要がある。かつて刀霞が靄華の心を包み込んでくれたように。
揺るぎない想いを胸に、靄華は力強く頷いた。
「刀霞さん、おはようございます!」
昨日と同じような明るい挨拶が刀霞の耳へ入る。
もう来なくていいのに。そう思いながらも声のする方向へ目を向けると、そこにはいつもと違う水霧靄華が照れくさそうに立っていた。
水色のブラウスの上には白いカーディガンを羽織っており、下は髪色と同じ濃い藍色のガウチョパンツ。彼女の私服姿を呆然と見ていた刀霞に対し、靄華はもじもじしながらも「えへへ、驚きました?」と問い掛けるも、刀霞は特に驚いたり言葉を返したりすることはなかった。
「もぅ、『可愛いですね』とか『似合ってますね』とか言ってくださいよう!」
「……何の用ですか……?」
冷ややかな言葉を投げかけられ、靄華は寂しそうな笑みを浮かべる。
靄華はベッドの隣にある質素な丸椅子にゆっくりと腰を下ろし、刀霞の瞳を真っ直ぐ見つめ、彼の問いに答えた。
「今日は看護師ではなく、一人の女性として貴方に会いに来ました」
靄華の言葉に、刀霞は眉をひそめる。
「……なんのために……」
こんな襤褸切れのような、なんの価値もない命に今度は何を吹き込もうというのか。
今さら説得されたところで俺は変わらないし、変えられない。
そんな刀霞の想いとは裏腹に、靄華は予想外な言葉を返した。
「誰のためでもありませんよ。強いて言うなら、私のためです」
「…………」
思ってもみない返答に、刀霞は言葉を失う。
「説得をするために来たわけではないんです。実は……その、刀霞さんと少しお話がしたくって」
「――……俺は……」
「わかってます。話すだけ話したらスグ帰りますから、どうか少しだけ聞いていただけませんか……?」
一人にしてほしい。必ずそう言うだろうと察していた靄華は刀霞の言葉を遮るように話を進める。
それから暫くの間、沈黙が続いた。
時間にしては数十秒だが、靄華にとっては非常に長く感じたに違いない。刀霞は視線こそ合わせてくれなかったものの、やがて靄華の真剣な想いが届いたのか、観念したように小さく「わかりました……」と呟くと靄華はホッと安堵のため息を漏らした。
やがて靄華は緊張を解すように一度だけ深呼吸すると、今まで刀霞に合わせていた視線を逸らし、か細い声で会話を切り出した。
「刀霞さんは、四年前の……あの事件を覚えていますか……?」
刀霞は思い出すまでもなく、事件という言葉でハッキリと理解した。
言うまでもなく《SAO事件》のことだろう。アーガス開発部総指揮、茅場晶彦起こした、今世紀最大のデスゲーム――
刀霞がこのSAOの世界に現れたのはほんの二ヶ月近く前のことである。《SAO事件》から約四年程経過している今現在、忘れてしまった人もいる中、外の世界から見ていた刀霞にとっては決して忘れることのない出来事だった。
何よりその事件をきっかけから、SAOの世界観に強く引き込まれてしまったからこそ、紺野木綿季を救うべくして彼はここ来たのだ。
そして、靄華は刀霞の返事を待つこともなく淡々と続ける。
「私……妹がいたんです。少し気弱でしたけど、とってもとっても優しい……自慢の妹でした」
刀霞はただ黙りこくって靄華の言葉に耳を傾ける。
「私たちは元々、二人でSAOをやる約束をしていました。だけど、あの事件の前日、私と妹はほんの些細なことで喧嘩してしまったんです……私が怒って外出している間に妹が一人で始めてしまい、知らせがきた頃には既に病院で保護された状態でした……」
靄華はおもむろに手元にあった小さなバックから、花を象った小さな髪留めを取り出し、まるで愛しむように優しく握り閉める。
刀霞は静かに口を開いた。
「……それは……?」
「妹が生前に唯一身につけていたものです。事件当時、ナーヴギアを外す訳にはいかなかったので、髪留めだけはずっとつけられていた状態でした……」
少しずつ、靄華の声が震え始める。
「……刀霞さん……刀霞さんは、目の前で大切な人が命を落としてしまう瞬間を見たことがありますか……?」
グサリ、と刀霞の心中に得体の知れない何かが刺さる。
力のない靄華の弱々しい声が刀霞の胸を余計に締め付けた。
「謝ることも、助けることも、迎えることもできず……私の目の前で……妹は……」
「……水霧さん……」
「……私……何にも……何にもしてあげられなくて……今でも後悔ばかりしていて……ちゃんと謝りたかった……姉として助けてあげたかった……でも……もういないんです……二度と……会えないんです……」
「…………」
靄華の心の痛みが、刀霞の心へと直接伝わる。共感できるからこそ、刀霞はかける言葉が見つけられずにいた。打ちひしがれている靄華のその姿は、まるで鏡に映っている自分自身を見ているかの様だった。
「……私はもう……妹に会うことはできません……でも貴方には……まだ会える人がいます……想いを伝えることもできるんですよ……?」
「……いいんです……俺なんか……」
彼女と会う資格などない。そう言いたいのだが何故か言葉が出てこない。自身の覚悟を推し量るように声を振り絞ろうとするが、どうしてもハッキリと口にすることができなかった。
「……いくじなし……」
「――……え……」
靄華の一言に、刀霞は顔を上げる。
「紺野さんは……紺野さんは……体を引き摺りながらでも貴方を探そうとしていました! 勝手に病室を抜け出して、怒られても、叱られても、諦めずに刀霞さんへ想いを伝えようとしています!!」
「…………」
興奮のあまり椅子から立ち上がり、肩を震わせ大粒の涙を流しながらも彼女は続ける。
「それに比べて、今の刀霞さんは逃げてばっかりです! よわむしで、いくじなしで、臆病者です! 死ぬことに甘えている刀霞さんなんて――私は……私は……!! だいっきらいです!」
「…………!!」
かつて木綿季に吐き捨てた言葉が自身へ向けられる。靄華に責められた瞬間、心の奥にズシンと響くような鈍痛が刀霞を襲った。
――言葉とは、こんなにも傷つくものなのか……
刀霞はこの時初めて自覚する。俺は言葉という名の凶器で、木綿季の心を酷く傷つけてしまったのだと。
「嫌なことから、辛いことから逃げ続けて……! そして……次は紺野さんからも逃げるんですか……!?」
「俺は……俺は……」
――……アイツを……木綿季を助けたかっただけなんだ……
命を救うことができればそれだけでよかった。彼女に干渉するつもりなどなかったし、自身の命と引き換えに彼女が生きつづけてくれるだけで十分に満足だった。
絶剣とは俺にとって遠い雲の上のような存在だと感じていたからこそ、一枚隔てた壁のように憧れとして見ることができていたんだ。
しかし、今は違う。彼女は目の前にいる。手を伸ばせば届いてしまうほどの距離に、いつしか俺は彼女が眩しく見えてしまった。
憧れ? 尊敬?
……いいや違う。
嫉妬していたんだ。
――木綿季の持つ心の強さに。
「……刀霞……さん?」
「――え……?」
いつもとは違う、靄華の唖然とした呼びかけに刀霞は自身の異常に気づく。
濡れるような視線に違和感を感じ、指先で目元に触れるとポツリと小さな雫が零れ落ちる。
「あ……あれ……?」
ゴシゴシと袖で拭うも止め処なく涙が溢れ出てくる。自身の意識とは無関係に流れてくる熱い水滴に、刀霞は動揺を隠せなかった。
「す、すいません……はは……なんだこれ……」
「刀霞さん……」
「大丈夫ですから……ほんと大丈夫ですから……」
「――……いいんですよ……?」
靄華は、刀霞の右手を自身の両手で優しく包み込む。彼女の温かい温もりが刀霞の心をそっと掬い取り、雁字搦めに縛られていた感情が少しずつ解けていく。
「たまには大丈夫じゃなくたって……」
それはかつて刀霞が靄華を救ってくれた、たった一言の言葉だった。
「俺……俺は……」
「心の中にずっと溜め込んでた、言いたかったこと……本当に、伝えたかった貴方の気持ち……言ってみて……?」
「――……ごめん……」
刀霞の心が、言葉として溢れ出てくる。
「ごめん……ごめんな……俺……助けたくて……力になりたくて……」
木綿季たちと絶縁してからの約一ヶ月間、彼は自身に強く言い聞かせていた。これでいいんだ、これで良かったんだと。
個人的な我侭で彼女を救い、個人的な事情で彼女の心を深く傷つけてしまった。挙句の果てには逃げるように仲間を切り捨て、一方的に接触を絶った。
ここまで眼中無人な行動をとったのだから、せめて死という形で静かに去るべきだ。罪滅ぼしにもならないがそれが今の俺が唯一できるせめてものの報いなのだろうと決意したはずだった。
しかし、そう思いつつも心の奥底には僅かな後悔が残っていたのだ。
もし許されるのであれば、一言だけでいい。死に逝く前に謝りたいと。
刀霞はただひたすら謝り続け、涙を隠すように袖で顔を覆う。
そして、靄華は彼の罪を受け入れるようにそっと抱きしめ、共に涙を流した。
彼の罪を共有するかのように。
*
靄華の説得から二日後。
「先生、霧ヶ峰さんの検査結果が出ました」
「はい、ご苦労様です」
看護師が一枚のカルテを倉橋に差し出す。
キィと椅子の擦れる音と共に倉橋医師は振り向き様に労いの言葉をかけ、看護師の差し出したカルテを片手で受け取った。
「……やはり、駄目でしたか……」
かけていたメガネをそっと机に置き、静かに天井を仰ぐ。
そして、草葉が霜にしおれるように、がくりと首を垂れながら小さく呟いた、
「――私も……覚悟をきめなければいけませんね……」
2025年5月20日。霧ヶ峰刀霞、免疫力低下により細菌性急性咽頭炎発症。発声障害に陥る。
今回も閲覧していただき、ありがとうございます。
またもや投稿が遅れてしまいました。申し訳ありません。
次回はオリジナルではなく、この二次創作の方を進めてまいりますので、また見ていただけると嬉しいです。遅れてしまった分、もっと書いていきたいと思います。
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駄文なのにも関わらず見ていただいて嬉しいです。本当にありがとうございます。
今後も宜しくお願い致します。