とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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正体不明編 友達

正体不明編 友達

 

 

 

当麻の高校

 

 

 

あれから大変だった。

 

怒りを喰らうインデックスを宥めるのにどれほどの苦痛を要したのか分からない。

 

ただ、これがゲームだとしたら確実に2アウトだ。

 

でも、そのおかげで詩歌への口止めは確約した。

 

これで3アウトは防げただろう。

 

しかし、その後もインデックスが自分の友人、風斬氷華という転校生に、

 

 

『とうまは目についた女の子を片っ端から、妹のしいかに対しても関わってくる珍種だけど、いい人だよ』

 

 

と、初対面の女性に対して最悪な紹介し、怖がらせたり、

 

怖がらせた風斬を安心させようと、スフィンクスを抱かせてみるが、スフィンクスが風斬の胸に挟まれ死にかけたり、

 

今日は始業式だと言ったらインデックスに魔術側の常識を押しつけられたり、

 

自分を探しに来た怒り心頭の小萌先生に説教、しかも、今日無断欠席した土御門や無断転入してきたインデックスの分まで、さらにはフラグ立てまくりナンパ野郎として見なされたり、

 

インデックスが小萌先生の説教に便乗して懺悔させようとするし、唯一の良心である風斬はいつの間にかいなくなっていた。

 

おかげで放課後まで説教と懺悔のフルコースを味わった。

 

で、今、2人から解放された当麻は精神的疲労の大きさのあまり肩を落としながら、自分の教室に鞄を取りに向かっていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

(そういや、土御門は結局来なかったのか。それから、詩歌は予定が終わり次第連絡してくる、か……なんか気になるな)

 

 

なんて考え事をしながら、鞄を回収し、昇降口に差し掛かった時、当麻は自分の服を何者かにチョイチョイと引っ張られた。

 

何だ何だ、と振り返ると、そこに姫神が立っていた。

 

 

「ありゃ? 何やってんだ姫神。お前まだ帰ってなかったのか?」

 

 

「……人が転校してきたというのに、その淡白な反応は何?」

 

 

「あー……」

 

 

そう言えば、今朝から色々とあった当麻の初登校だが、姫神にとっても転入初日だった。

 

 

「そう、私はやっぱり。影が薄い女なのね」

 

 

「いや、あの、そんなに落ち込むなって。何かお前の周りだけ太陽の恵みが希薄だぞ……」

 

 

ごーん、と効果音付きで落ち込んでいる姫神だったが、やがて顔をあげると、

 

 

「そんな事より」

 

 

(そんな事って……やっぱ、こいつも掴み所がねーよな……)

 

 

「あの、メガネの女を風斬って、呼んでいるのを聞いたんだけど」

 

 

「あん?」

 

 

視線を移すと、少し離れた校門の辺りでインデックスと風斬りが楽しそうに会話していた。

 

 

「ああ……そうそう、お前と同じ転校生だってさ。もしかして知り合いなのか?」

 

 

姫神はその様子を、風斬の顔を睨むとか観察とか、そういうあまり好意的でない視線で見ている。

 

 

「風斬、氷華。私の通っていた霧ヶ丘女学院でも彼女の名前は見た事がある」

 

 

霧ヶ丘女学院……聞いた事がある。

 

確か、父さんが詩歌を通わせようとしていた所だ。

 

詩歌達が通う常盤台に匹敵する能力開発の名門校で、汎用性の能力ではなく、専門的で奇妙な能力の開発に力を入れている。

 

そういえば、姫神の<吸血殺し>も、科学側ではあまり有用な能力とは言えない。

 

と、考えれば詩歌の<幻想投影>は重宝されるかもしれない。

 

もっとも、詩歌は<発火能力>で通したいようだが。

 

 

「いつもテストの上位ランクとして学校の掲示板に張り出されていたから」

 

 

霧ヶ丘は能力の有能性ではなく、その希少性でランク分けされている。

 

だとするならば、風斬の能力はとても希少だという事だ。

 

 

「へぇ、じゃあ、アイツの能力ってかなり珍しいんだな。どんなのか知ってるか?」

 

 

「わからない」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

インデックスはスフィンクスを抱き抱えながら校門近くのフェンスに寄りかかって、当麻を待っていた。

 

 

「……あの……なんか、凄かったね。ちょっと、びっくりした」

 

 

ふと、声が聞こえた。

 

か細い声にインデックスが振り返ると、いつの間に途中でいなくなっていた風斬が立っていた。

 

 

「あんなのいつもの事だよ。ひょうかも一緒にお喋りすれば良かったのに」

 

 

「本当? ……あの先生、怒っていたけど」

 

 

「こもえのあれは怒ってるんじゃないよ。どうしてそんなに気にしてるの、ひょうか?」

 

 

「だって、あなた……何か、哀しそうな顔してるから……」

 

 

風斬が言うと、インデックスはちょっとだけ黙った。

 

 

「……とうま、怒ってた」

 

 

「?」

 

 

「今までだって何度も喧嘩した事があるけど、なんか今回は違う気がする。いつもはしいかが間に入ってくれるけど、しいかは忙しくて今はいないし」

 

 

先ほどは当麻と活発に口喧嘩していたのだが、どうやら内面では沈みこんでいたらしい。

 

 

「とうま。私の事嫌いになっちゃったのかな……」

 

 

今、思えば当麻には色々と酷い事を言ってきたのかもしれない。

 

旅行の後、毎日、大切な者を守るためにと当麻は自分を鍛えていた。

 

その大切な者は詩歌なのだろう。

 

詩歌を守るために当麻は強くなろうとしていた。

 

それはきっと素晴らしい事なのだろう。

 

でも、インデックスと過ごす時間が短くなってしまった。

 

当麻と詩歌は血の繋がった兄妹だ。

 

突然2人の間に割って入ってきた自分よりも優先するのは仕方ないのかもしれない。

 

でも、何か……置いてけぼりにされそうで嫌だ。

 

だから、自分は何度も当麻に対して詩歌を超えるなど無理だと、無駄な努力だと。

 

それをするより、美味しい料理の勉強したり、自分とお話した方がいいと言っている。

 

それは当麻の努力を踏み躙るという事、当麻を誇りに思っている詩歌を侮辱するという事。

 

別に当麻は気にしていなさそうだし、詩歌は自分にとっても優しい。

 

でも、顔には出さないが2人はインデックスの事が嫌いになっていたのかもしれない。

 

インデックスは僅かに唇を噛む。

 

三毛猫を抱く手に力がこもったのか抗議の声が上がる。

 

そんなインデックスを見て、風斬は小さく笑った。

 

 

「……そんな事、ないよ。喧嘩できる友達って……すごく仲が良いって証なんだから」

 

 

優しく静かに風斬はインデックスに悟りかける。

 

 

「喧嘩できる友達っていうのはね……ちゃんと仲直りできる友達なのよ。あの人は……あなたの事を喧嘩しても大丈夫だって信じてるから、安心して喧嘩できたんだと思うの」

 

 

「ホントに?」

 

 

「これは、本当……じゃあいいの? 喧嘩したくないからって言いたい事も言い合えなくて、ギリギリまで我慢して、一度壊れたら二度と元に戻れないような関係でも……?」

 

 

そんな関係は嫌だ。

 

出会って間もない頃、当麻と詩歌がどこかお互いを避けている冷戦状態だったとき、2人とも苦しい顔していたし自分もそんな2人を見るのが嫌だった。

 

でも、原因か分からない自分は何をすればいいかわからなかった。

 

ただ背中を押しただけ。

 

でも、そのおかげで、2人は壮絶な兄妹喧嘩したらしいが元の仲に戻ってくれた。

 

その後2人から別々に感謝されインデックスはちょっとだけ自分が誇らしくなった。

 

あの壊れても何度でも繋がる2人の間に入れた事が本当に嬉しかった。

 

 

「そんなの、やだよ。私は、とうまとしいかとずっと一緒にいたい」

 

 

インデックスは言う。

 

 

「だったら……大丈夫。あの人はあなたの為に怒ってくれるような人なんだから。もう1人の子もあなたの事を優しく見守ってくれる人なんだから。大丈夫。きっと喧嘩をしても2人は見捨てたりなんかしないよ」

 

 

風斬はそんな言葉を返した。

 

外から見ていると良く分かる。

 

当麻とインデックスは口喧嘩をしているが仲が良いって分かる。

 

インデックスが『詩歌』と言う人物の自慢話を聞いていたから分かる。

 

インデックスと詩歌は姉妹のように仲が良いって分かる。

 

だから、風斬は確信している。

 

ただし、その後にぼそっと一言だけ、

 

 

「……人の裸を見ても平気な顔で話しかけてきたり、あと、話を聞く限り、お仕置きが酷過ぎるような気がするけど」

 

 

 

 

 

病院

 

 

 

シャリシャリ。

 

耳に涼しい音が聞こえる。

 

目を開けると最初に入ってきたのは白い天井だった。

 

独特の匂いからそこが病院だと分かり、自分がまだ生きているという事も分かった。

 

清潔なベットに寝かされており、体を動かそうとしたがうまく力が入らない。

 

仕方ないので目だけで周囲を探った。

 

 

「おや」

 

 

その時、春風のように温かな声が耳朶をうつ

 

 

「お目覚めですか? これはタイミングが良いですね」

 

 

声の主がいる方に視線を滑らせると、彼女は自分の脇にいて、椅子に座ってリンゴの皮を果物ナイフで剥いていた。

 

 

シャリシャリ。

 

 

つるつると赤い皮が切れずに垂れ下がる。

 

 

「もうお昼ですが、おはようございます、と言うべきでしょうか? それとも……」

 

 

上条詩歌の、穏やかな微笑がそこにあった。

 

彼女は自分に微笑みかけているが、ナイフ捌きは滑らかで手元を見ずに丸裸にしたリンゴを食しやすいように所々切り目を入れて等分に分ける。

 

 

「生還おめでとうございます、ですか? あー君」

 

 

一方通行は死の淵から生還した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……どうして、テメェがいる」

 

 

「理由を挙げるとするならば、それは私があー君の友達だからですよ。ついでに、恩人でもあります」

 

 

詩歌は『ん~~っ?』と笑みの温度で喉を鳴らしながら、顔を覗き込んでくる。

 

その時、そよ風に乗って、柔らかな香りが嗅覚をくすぐり、柳髪をまとめている髪飾りが揺れて、猫じゃらしのように視覚をくすぐってくる。

 

が、それよりも気になる事がある。

 

 

「テメェ……そのふざけた格好は何のつもりだァ」

 

 

詩歌の格好は何故かナース服だった。

 

そして、体にぴったりとした造りのせいかボディラインがくっきりと見える。

 

おかげで、制服の大きめのサマーセーターでも隠しきれない部分がより目立っている。

 

 

「あ、そうそう似合いません? 先生からここに来るたびに着て欲しいと絶賛されているんですけど」

 

 

どうやら、冥土帰しに気に入られたそうだ。

 

いつか、彼女の兄とここにいる名医は服装について激しい論争を繰り広げる事になるだろう。

 

 

「あー君のご感想は?」

 

 

詩歌の顔が徐々に迫りくる。

 

上条詩歌の顔は誰にも好かれる愛らしさもあるが、しばらく見つめていたい誘惑に駆られるような、そんな美しさもある。

 

そして、自分の顔が映っている意思の強さを窺わせ、相手の心の底まで見抜くような強くて深い瞳。

 

まるで見た者を惑わせる雪女みたいだ。

 

いや、対峙した時に発した魂まで凍つかせるような威圧感は雪女に相応しい。

 

だが、全てを慈しむ太陽のような聖母でもある。

 

深くて柔らかい、強くて儚い、優しくて怖い、冷たさと温かさを兼ね備えた万人を虜にさせる魅惑の輝き。

 

一体何を見てきたらこんな不思議な輝きが宿るのだろうか?

 

そんな詩歌の瞳の輝き、その奥底に吸い込まれそうになり一方通行は息を呑ん―――

 

 

「あら、あー君。どうしたんですか? 変に顔を赤くして」

 

 

くらりくらりと楽しそうに首を傾げながら訊いてくるが一方通行は沈黙で返し、顔を逸らしてしまう。

 

 

「チィ」

 

 

あの時……泣き顔を見たせいか、あまり強い脅し文句が言いだし難い。

 

少しでも泣かせたらと思うと、何故か口が閉じてしまうからだ。

 

 

「もしかして、恥ずかしいんですか?」

 

 

「……勝手な事言ってンじゃねェよ」

 

 

一方通行が言い返せたのはそれだけだった。

 

初めて会った時もそうだ。

 

ニコニコと微笑みながら、自然と自分の領域へ入って来て、色々と掻き乱していく。

 

そして、自分の存在をそこへ刻みつけていく。

 

でも、わかった。

 

……かなり悔しい話だが、一方通行はこんな自分勝手な彼女を苦手であっても、嫌いではない。

 

むしろ、こうして側にいてくれた事が………嬉しい、のかもしれない。

 

もちろん、そんな事は口が裂けても本人の前に言うわけにはいかないのだが。

 

気を遣ってくれたのか、これ以上詩歌は感想を求めてず、話を進める。

 

 

「今回の件について報告します。まず、<妹達>のテロは無事に阻止されました。これは、あー君のウィルスコード除去が成功という事ですね」

 

 

「……あのクソガキはどうしたァ?」

 

 

「あー君、横着せずにちゃんと名前で呼びなさい」

 

 

呆れたように言いながらも、詩歌はそれに答えた。

 

 

「打ち止めさんも無事ですよ。今、別室で先生が調整を行っています。それから――――」

 

 

と、そこで言葉を切り、少し考えると、

 

 

「――――これは秘密にしときましょうか」

 

 

「はァ? 何言ってやがる?」

 

 

「女の子には秘密の1つや2つあるものなんですよ。では、次に移りますね」

 

 

そこで意味深に笑みを浮かべるので、嫌な予感がしたが引き止める前に流されてしまった。

 

 

「さて……あー君。今回の負傷であなたは運動機能に、それから言語機能と計算機能に後遺症が残りました」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「……」

 

 

計算機能に後遺症……

 

 

「能力演算にも支障が出るでしょうね。ベクトル操作が使えない、という所まで入っていませんが、今までのように、とまではいかなくなります」

 

 

その事実は目が覚める前から勘付いていた。

 

違和感、身体に押しかかる負荷から、今まで無意識に行っていた“反射”ができていない事には気付いていた。

 

何だか今……この身体に渦巻くナニカを上手く言葉にする事ができない。

 

これも今回の怪我が原因なのか?

 

……おそらく、違う。

 

もしかしたら、この真実を受け入れたくないだけなのかもしれない。

 

 

「……笑えよ」

 

 

今まで積み上げてきたものが崩れた。

 

一瞬とはいえ、あのLevel0や彼女の真似をした代償がこれか。

 

いや、これは天罰なのか。

 

身分不相応な高みを目指してしまった自分への罰なのか。

 

 

「……」

 

 

笑わない。

 

真実を告げた彼女はただじっと何も言わずに見つめてくるのみ。

 

温かさも冷たさもない、ただ純粋なまでに澄みきった眼で自分の姿を映す。

 

鏡のように無様な自分の姿を見せてくる。

 

 

「笑えっつってンだろ!!」

 

 

“反射”という殻がなくなったからなのか。

 

正常な思考ができていないからか。

 

それとも……彼女が此処にいるからなのか。

 

自分の心がボロボロと剥がれていく。

 

もう止まれない。

 

もうこの身の中を渦巻くナニカが吐き出すのを止める事ができない。

 

 

「俺みてェなクソッたれが『ヒーロー』になれる訳がねェだろ! テメェはこの様を滑稽に思わねェのか!? テメェのような『ヒーロー』の真似をして、力を失った俺を笑わねェのか!?」

 

 

今、自分がやっている事はただのやつあたりだ。

 

ただ自分の憧れる『ヒーロー』像を見せた彼女への言われようのない恨みをぶつける。

 

これはきっと彼女のあり方を侮辱する最低な行為だ。

 

でも、止める事ができなかった。

 

 

「いえ、全く」

 

 

だが、詩歌はそれを受け止めるどころか、

 

 

「別にそうは思いませんね。むしろ、『ヒーロー』なんて幻想にここまで拘っている方が滑稽に見えます」

 

 

弾き返してきた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「まあ、度合いによりますが、漫画やアニメの架空の『ヒーロー』になるのは大変困難です。ほぼ不可能と言ってもいいでしょう。我欲を捨て、生涯正義のために尽くす。とてつもない自己犠牲精神が必要になります。そうなれば、待っているのは自滅しかありません。だから、この世に『ヒーロー』なんていません。いたとしても早死にするでしょうね」

 

 

―――そんなのは私もゴメンです。

 

 

誰からも、自分からも『ヒーロー』と称されている彼女が『ヒーロー』を否定した。

 

今まで自分の身を削ってまでも人を助けてきた彼女が『ヒーロー』を否定した。

 

でも、彼女の理屈は、一応筋が通っているように思える。

 

 

「……でも、それでいいと思います」

 

 

今まで信じていた者に裏切られた。

 

そんな一方通行の内心を察したのか、詩歌は答えを補足する。

 

 

「『ヒーロー』はいなくてもいい。むしろいてはいけません。『ヒーロー』でなければ人を助ける事ができない悪習ができてしまいかねませんからね。いないからこそ、私達は努力できる。もし、いたとしたら皆それに頼ってしまい、人は駄目になります」

 

 

ヒーローなんて、不要……

 

納得はできる。

 

だが、自分の中で最もヒーローだと思った彼女は一体何なのか?

 

 

「私は自分の為に努力しているだけ。自分の信念に従って行動しているだけで、ただそれを見て、あー君は勝手に私を『ヒーロー』に仕立て上げているだけですね。それを教えてくれた人の言葉を借りるなら、私は<偽善使い(フォックスワード)>って奴です」

 

 

自分が憧れた彼女のあり方は単なるヒーローではなかった。

 

彼女は己が周囲の人間に善だろうが、悪だろうが評価される事など気にせず、ただ己の為に、己の信念を貫くために人を救ってきたのだ。

 

だから、彼女は強い。

 

 

「それから、あー君は力を失ってませんよ」

 

 

そう言うと、詩歌は黒いチョーカーを一方通行へ差し出す。

 

 

「これは先生と一緒に開発した、<妹達>の<ミサカネットワーク>を利用した代理演算装置です」

 

 

このチョーカーは約1万人の<妹達>が構築している<ミサカネットワーク>の情報共有・並列演算の特性を利用して脳の機能を代用する為に、一方通行が<妹達>の電磁波を受信し<ミサカネットワーク>にアクセスする試験的医療器具。

 

 

「充電が必要なので時間制限はありますけど、これを使えばあー君は元通りに力を扱う事ができます」

 

 

これで失われた脳の機能を補う事で、歩行に杖が必要である以外は問題なく日常生活を送ることができ、Level5時のベクトル操作も可能になる。

 

ただし、バッテリーで駆動する機器を使用する関係上、通常モードで約48時間、能力使用モードだとフルスペックでの使用になるため約15分しかバッテリーが持続しない。

 

でも、圧倒的な力を再び扱う事ができる。

 

 

「……こんなのを渡して俺にどォしろってンだァ」

 

 

「苦しんでください」

 

 

一方通行の問いに詩歌は素っ気なく言葉を放つ。

 

 

「私は『ヒーロー』のような都合の良い存在なんかじゃありませんからね。『ヒーロー』じゃないから、力がないから、守れないなんて言い訳は許しません」

 

 

厳しい。

 

なんて厳しくて、残酷なんだ。

 

彼女は逃げ道を塞ぎ、自分に歩き続けろ、と言っている。

 

救いようのない地獄で自力で足掻き続けろ、と言っている。

 

……でも、

 

 

(甘ェ……クソ甘ェ……この俺を救おうなンて、甘過ぎンだよ)

 

 

「一応、聞きますが、打ち止めさん達を守る覚悟はまだありますか?」

 

 

彼女の透明な目を見れば分かる。

 

どう答えても、彼女は自分の意志などお構いなく贖罪の道を歩ませ、自分に罪滅ぼしをさせる。

 

でも、そんなのは関係ない。

 

詩歌がなにしようと自分は変わらない。

 

なぜならもう自分は、

 

 

「俺は、一方通行だ……最初から引き返すつもりなンてねェンだよ」

 

 

どんなに苦しむ事になろうとその道を進むと決めたのだから。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「偉い!」

 

 

決意を言葉にした瞬間、詩歌は瞳を潤ませ、一方通行の顔を自分の胸に埋めるようにして抱きしめる。

 

ふんわりとした胸の感触と温かさに、心地の良い香りが鼻孔をくすぐる。

 

 

「!? いきなり何すンだ! テメェ、とっとと離れやがれ!!」

 

 

一方通行は離れようとしたが無理だった。

 

詩歌は華奢な女の子だが圧倒的な身体性能を持っており、逆に一方通行は能力がなければ環境にも押し負けるほど弱い。

 

一方通行の動きなど、簡単に封じてしまう。

 

 

「この先は地獄だというのに自ら立ち上がった。流石、男の子ですね。なので、これはちょっとしたサービスです。あと、困った事があったら言ってくださいね。手紙にも書きましたが私はあー君の友達なんですから」

 

 

そして、抱きしめた時と同様にバッと離れる。

 

一時とはいえ至福の体験をした。

 

昔出会ったころよりも女性として、いや、並の女性よりも規格外に成長している事も分かった。

 

だが、それを代償に、年下の女の子に対して全く抵抗出来ずにやられた一方通行の男の估券がどうなったかは言うまでもない。

 

ついでに、詩歌が全く恥ずかしがっていない様子を見ると、妙に……何となくだが男として見られていないようで悔しい。

 

 

「あと、そのチョーカーは私と先生が造ったんですから大切にしてくださいね」

 

 

首元に何か違和感があると思ったらいつの間にかチョーカーがついていた。

 

おそらく、抱きしめた際に付けたのだろう。

 

 

(テメェなァ! 調子に―――)

 

 

いきなり抱きしめてきたお礼に早速この代理演算装置をテストしてやろうかと思った時、ふと一方通行は気付いた。

 

 

「では、<妹達>に後で礼を言っておくんですよ。彼女達の協力がなければ代理演算装置を造ることなんてできなかったでしょうから」

 

 

詩歌の目の下にあるほんの僅かな隈。

 

それは、活力に充ち溢れる彼女にしては珍しい疲労の影だった。

 

まさか、このチョーカーを造るために徹夜で……

 

 

「……クソッ」

 

 

訊いた所でこの少女は、どうせ自分の為だとしか答えないだろう。

 

その代わりというわけではないが、一方通行はこの前言い忘れていた事を口にした。

 

今なら、何となく言えるから。

 

 

「……クッキー」

 

 

「はい?」

 

 

「この前のクッキー…………まァまァだった」

 

 

「ああ、あれですか」

 

 

口に出してすぐに後悔する。

 

何だか弱みを握られたような気がするからだ。

 

 

「ふふふ、お褒めの言葉ありがとです。嬉しいですよ、あー君」

 

 

でも、彼女の満面の微笑みを見たら、この程度の後悔はどうでも良くなった。

 

窓から気持ちのいい風が吹き込み、カーテンを揺らした。

 

まだ夏の暑さは残っているのか、やや生温かいものではあるが、それでも新鮮な空気を感じられた。

 

“反射”という鎧を脱いで直に感じる自然の匂いは気持ちを落ち着かせる。

 

何だか時間が緩やかに流れているような気がして、一方通行は不思議と『悪くない』と思った。

 

 

 

 

 

 

 

でも、それに長く浸れる事はできなかった。

 

 

「さて、そろそろ、お暇させてもらいますね。部屋の外で聞き耳を立てている方がいらっしゃいますので」

 

 

と、その時、病室のドアが開き、そこに桔梗がどこか申し訳なさそうな顔で立っていた。

 

 

「よく気がつくのね。なるべく気配を消そうと努力したのだけれど」

 

 

「色々と気配に敏感なんです」

 

 

そう言うと、桔梗と入れ替わるように詩歌は病室を出ていこうとする。

 

呼び止めようかと一瞬迷ったが、一方通行は黙って見送る事にした。

 

他人への甘え方など、とうの昔に忘れてしまった。

 

 

「(ごめんなさい、良い所を邪魔してしまって)」

 

 

と、何やら勘違いし、口ぱくで謝っている桔梗は無視する。

 

 

「じゃ、あー君、桔梗さん。さようなら」

 

 

そうして、詩歌はほんの僅かに残り香を漂わせて病室から出ていった。

 

その消えてゆくそれを少しだけ名残惜しそうに息を吸うと一方通行は再び眠りにつこうとする。

 

桔梗を無視して。

 

 

「折角、お友達の詩歌さんとお話ができていたのに本当にごめんなさいね。でも、起きてちょうだい。これからの事について話したいから」

 

 

桔梗は桔梗で話したい事があるのだろう。

 

だが、一方通行は反応せず瞼を開けようとしない。

 

何となく不愉快だからだ。

 

 

「はぁ……で、そこにある誰かの為に丁寧に剥かれたリンゴは誰が食べるのかしら? 私が―――」

 

 

「チィッ」

 

 

 

 

 

当麻の高校

 

 

 

「実際に彼女の姿を見た者は誰もいない」

 

 

霧ヶ丘では誰もが風斬の名前を知っているのに、

 

風斬の能力を調べる為の研究所まであったというのに、

 

何年何組に在籍しているのか、そして、容姿ですらも誰にも分からない。

 

 

「風斬に関して。気になる噂がまだある。風斬氷華は。一部の人間から。<正体不明(カウンターストップ)>と呼ばれていると。曰く――

 

 

 

―――風斬氷華は。<虚数学区・五行機関>の正体を知るための“鍵”

 

 

 

だと」

 

 

<虚数学区・五行機関>。

 

確かにそこにあるはずなのに誰もその存在に気付かない。

 

学園都市の23学区のいずれにも当てはまらない架空の最初にして最暗部に存在する『見えない研究所』。

 

それは霧ヶ丘で『見えない生徒』とされていた風斬氷華と似ている。

 

だとするならば、彼女は学園都市の暗部に関わる能力者なのか。

 

 

「だから。気をつけて」

 

 

と、当麻に忠告すると、それで話は終わりとばかりに姫神はその場から立ち去ろうとする。

 

当麻も<正体不明>は気になる。

 

が、それは別として、

 

 

「あっ、ちょっと待てよ。俺達これから遊びに行くんだけど、お前もどうだ?」

 

 

「――。」

 

 

姫神は振り返る。

 

その無表情な顔が、ほんの僅かに吃驚しているように見える。

 

 

「……。小萌の……バカ」

 

 

「は?」

 

 

「何でもない。用事を頼まれているから。私はいけない」

 

 

どこかしょんぼりしながら、姫神は平坦な声でそう言うと当麻に背を向けて歩き出した。

 

と思いきや、何か言い忘れていたように姫神は立ち止まって当麻の方へ振り返った。

 

 

「時に。あの風斬氷華は。どうやってこの学校に入ったの?」

 

 

「え? 確か……インデックスの話だと、転入生だとかって」

 

 

「そう」

 

 

姫神は一言だけ答えると、

 

 

「でもね。記録では。転入生は私1人しかいないはずなのよ」

 

 

当麻は絶句した。

 

姫神はもう一度だけ『気をつけてね』と言い残すと、今度こそ当麻の元から立ち去った。

 

当麻は視線を姫神から校門近くに佇む少女達へ向ける。

 

インデックスと笑い合っている風斬は普通の女の子にしか見えない。

 

得体の知れない<虚数学区>に関わっているとはとても思えない。

 

噂なのか、本当なのか。

 

当麻は頭を掻きながら2人の元へ駆け寄っていく。

 

インデックスと風斬は、そんな自分を笑顔で迎え入れる。

 

三毛猫、スフィンクスがにゃーと鳴く。

 

おかしな所などどこにもない。

 

少なくともこの時点では。

 

 

 

つづく


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