とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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夏休み最終日編 看板娘

夏休み最終日編 看板娘

 

 

 

とある学生寮前

 

 

 

「ここか」

 

 

男は1人呟くと、右手の籠手、霊装を操作した。

 

取り付けられた弓の弦が、絡操りによって自動的に引き絞られる。

 

だが、その黒塗りの和弓には矢が足りない。

 

 

「風魔の弦」

 

 

構わず弓を打った。

 

ビシュン! と細い弦が空気を裂く鋭い音だけが、静寂に包まれた街の中へと、驚くほど鮮明に広がっていく。

 

そして、男の足元に空気の塊ができたかと思うと、男はそれの上に乗り、勢い良く飛びあがった。

 

彼は目的の階―――学生寮の7階、上条当麻の部屋まで辿り着くと、躊躇いも無く、右手の霊装を引き絞り、

 

 

「断魔の弦」

 

 

込められた魔力を解き放った。

 

 

 

 

 

ファミレス

 

 

 

夏休みの最終日だというのに朝から襲いかかる不幸の数々に宿題を片付ける事もままならない。

 

あと残る宿題は、英語のプリント、数学の問題集、読書感想文。早く終わらせ……

 

 

『ハッ、五大要素(エレメンタル)における第五呪具(パーツオブエーテル)<蓮の杖>を現代素材(プラスチック)で再現しているんだね!!』

 

 

……テレビを見るなとは言わないからボリュームを落としてくれ。

 

 

『もーっ、また魔術師と戦って! いいんだもん。とうまがそういう態度なら私は1人遊びに没頭するしかないんだよっ』

 

 

……悪かったから、部屋を片付けてくれ。

 

 

『とうま、あんまり根詰めるのはよくないんだよ?』

 

 

ありがとう。でも、今のお前にソレを言われたくない!

 

 

『とうまとうま! 今日の晩御飯はあれが良いかも。この前しいかが作ってくれたとってもヘルシー豆腐ハンバーグ。作って』

 

 

うっがぁあああァ!!!

 

 

 

 

 

 

 

…………………

 

 

 

インデックスの心無い妨害を回避すべく、当麻達はファミレスへとやって来ていた。

 

ここで気分転換と晩御飯を済ませて、本気になって夏休み最強の敵に挑もうという魂胆だったのだが……

 

 

「ねぇねぇ! どれが1番高いの?」

 

 

と何も察してくれてはいないインデックスが馬鹿でかいメニューを広げてサンタを待つ子供みたいに目を輝かせている。

 

ちなみにスフィンクスがインデックスの膝の上で蹲っているが、このファミレス、画期的な事にペット同伴オッケー……

 

と、

 

 

「うん? これだよ、インデックスっち」

 

 

インデックスの隣に座っている自称出張看板娘(デリバリーウェイトレス)から聞かされた。

 

 

「……おい、何で座ってんだ」

 

 

「ん? 知り合い限定サービス接待だよ。ほら、メイド喫茶みたいな」

 

 

「仕事に戻れ!」

 

 

この看板娘―――鬼塚陽菜はこの前の白い悪魔の襲来により金欠状態に陥り、夏祭りで店の赤字は取り返せたが、あれからここで夏休み限定短期のアルバイトをしている。

 

だというのに、白い悪魔、インデックスとフレンドリーに接している。

 

何でもインデックスの喰いっぷりが気にいったそうだ。

 

 

「とうまとうま、私はこのゴージャスセットが良いかも」

 

 

「あ、当麻っち。私、この激辛スタミナ丼」

 

 

「インデックス、高いのは禁止! そして、そこの看板娘! なに一緒になって頼んでんだよ! ここの店は客からたかるのか!?」

 

 

店長はどこだ!

 

この店の教育はどうなっていやがる!

 

 

「え~、いいじゃん。この前たらふく奢ってあげたでしょ。急なシフトで朝から何も食べてなくてさ。私、今、お腹空いてんの」

 

 

知るかよ!

 

それから、あれはお前の罰ゲームだろ!

 

 

「とうま! お腹が減ってるなんて、ひながかわいそうなんだよ」

 

 

え、2対1? 何これ? 俺が悪いの?

 

ねえ、頼むから1人くらい常識人がいてくれかな!

 

つーか、お前のせいでそいつ金欠になってバイトしてんだぞ!

 

 

「あ、そうそう当麻っち。今朝、面白い写真が撮れたんだけど見てくれないかな?」

 

 

陽菜は懐から携帯を取り出すと、隣にいるインデクスに見せないよう手で隠しながら、そこに写っている写真の画像を見せる。

 

 

「これはあの時の!」

 

 

それは、今朝、美琴が当麻に飛びついた時の、まるで2人が路上で絡み合っているような写真だ。

 

 

「面白いでしょー。これ詩歌っちにも見せようと思うんだけどー?」

 

 

そうなれば俺は死ぬぞ!

 

自分の可愛がっている後輩に手を出したと勘違いされたら間違いなく詩歌に殺される!

 

 

「違う! 違います! 違うんです! これはビリビリが偽デートの相手をしてくれって頼まれてだな」

 

 

「うんうん、そっかそっか。そうだと思ったよ。それで?」

 

 

ニヤニヤと意地の悪い笑みを浮かべながら、中指でトントンとメニューを、激辛スタミナ丼を叩く。

 

この店の看板娘は客を脅すのか!?

 

あの時は同情したけど、なんか巡り巡って俺が不幸になってんじゃね!?

 

 

「マジで止めてください、鬼塚さん。俺は死にたくないんですよ」

 

 

「世の中の原則は等価交換だよ、当麻っち」

 

 

「……奢ったら写真を消してもらえますでしょうか?」

 

 

「メガ盛でね」

 

 

くっ! 人が下手になってたらいい気になりやがって!

 

こうなったら……

 

 

「了解いたしました」

 

 

言う事聞くしかねーじゃねーか!

 

おい、インデックス! 情けないとかいうな!

 

何としてでも詩歌に見せるわけにはいかんのだ!

 

 

「悪いねぇ。そのお礼にこの“写真”を消してあげよう」

 

 

勝ち誇った笑みを浮かべる陽菜。

 

 

「ありがとうございます」

 

 

中学生に恐喝される高校生の姿がそこに在った。

 

そして、当麻は知らなかった。

 

写真だけでなく、“動画”もあったという事を。

 

この事を当麻は近々知る事になる。

 

身をもって……

 

 

「はぁ……」

 

 

当麻は色々と、それはもう色々な意味を籠めて溜息をつく。

 

今日はやけに常盤台の学生に絡まれるな。

 

つーか、お嬢様ってマジでこんなんのか?

 

御坂と言い、鬼塚と言い、俺の幻想を壊してくれる。

 

本当にがっかりだ。

 

ひょっとしたら海原の時よりもがっかりしてるかも知れない。

 

何だかこいつらと同じ学校に詩歌を通わしているのが不安になってきたぞ。

 

 

「ん?」

 

 

そこでふとあることに当麻は気付く。

 

 

「おい、鬼塚」

 

 

「何だい、当麻っち?」

 

 

「常盤台の学生がバイトしても良いのか?」

 

 

「……、」

 

 

露骨に目を逸らされた。

 

もしかしたら認められているかと思っていたが、どうやら禁止されているらしい(実家の手伝いはギリギリ合法ライン)。

 

 

「詩歌から聞いたけど、常盤台の寮監って相当厳しいんだろ」

 

 

「当麻っち、いい事教えてあげる」

 

 

「何だ」

 

 

「バレなきゃ良いんですよ。バレなきゃ」

 

 

「さて、と。詩歌の寮の番号は―――」

 

 

「すみませんマジ勘弁してください。それから詩歌っちにも連絡しないでください」

 

 

真顔で頭を下げられた。

 

どうやら、こいつも詩歌に弱いらしい。

 

と言うより、寮監が怖いのか?

 

 

「なら、とっとと真面目に仕事しろ。飯は奢ってやるから」

 

 

「ありがとーっ! 当麻っち! お礼にドリンクバーをサービスしちゃうね!」

 

 

そうしてエプロンから店員無料割引のクーポンチケットを取り出し、当麻に手渡すと混んでいる店内を縫うように厨房へと駆けていった。

 

この時、当麻はいつか常盤台の授業参観に参加して普段どういった教育をしているのかを確かめたくなった。

 

 

 

閑話休題

 

 

 

結局、当麻はドリンクバーのコーヒーを、インデックスはゴージャスセット(2対1で仕方がなく)、陽菜は激辛スタミナ丼のメガ盛(臨時休憩らしい)、スフィンクスはランチ猫Cを頼む事になった(樋口さんはレジの中へお引っ越しする事になった)。

 

そして、頼んだものがやって来るまで、当麻は2人に見守られながら原稿用紙とシャーペンを取り出して、早速読書感想文を片付ける事にする。

 

……のだが、

 

 

「とうま、当麻。一体何の感想文を書くの?」

 

 

「ん? 宿題かい? 久々に見たねぇ。どんなの?」

 

 

「今年のテーマは『桃太郎』」

 

 

「「うわー」」

 

 

「ちょっと待てお前ら本当に桃太郎の何たるかを理解してるのか桃太郎は日本が誇る世界の名作童話なんですよほら夏の読書感想文にもピッタリ」

 

 

「当麻っち、それはちょっと高校生としてはどうなのかなぁ~」

 

 

「私の確かな記憶では『桃太郎』の物語は対象年齢3歳から7歳……」

 

 

「いいんだよ。とりあえず、埋まっとけば。第一、お前らに桃太郎の何がわかるんだよ!!」

 

 

「何を言ってるのかな、とうまは」

 

 

にっこりと笑って、その10万3000冊の魔導書を記憶した完全記憶能力を発揮する。

 

 

「『桃太郎』は立派なオカルト本だよ。その原書は10万3000冊の中にきっちり収録されているんだから。子守唄や昔話に呪詛教義(オカルトマニュアル)をカモフラージュしているパターンは多いからね。原題の『桃太郎』には“桃から生まれた桃太郎”なんて登場しないし……―――古来より川は此岸(このよ)彼岸(あのよ)を分ける境界線として描かれ……―――川から流れてきた“桃”というのは生と死を超越した禁断の果実と受け取るのが正解なんだね……―――東洋における不死の果実といえば聖王母の守る仙桃……―――つまり、これは道教における練丹術の秘儀を……―――」

 

 

えーっと、と当麻の思考が止まりかけた。

 

まずい、インデックスの説明好きスキルが展開され始めている!

 

詩歌が時々、インデックスの授業を受けているから知っている。

 

あれは長い。

 

あれについていけるのは頭のいい奴らだ。

 

今は膨大な宿題を処理するために1分1秒も惜しいというのに。

 

それに、陽菜も何だかぼーっとしてきているというか、口から何か白いものが……あれ?

 

あの詩歌や美琴と同じ学校に通っているとは到底思えないような清聴の態度……

 

むしろ当麻と同じような……

 

インデックスもその様子に気付いて説明を一旦停止させる。

 

 

「おい、そこの常盤台の学生さん。こっちに戻ってこーい」

 

 

「はっ! ……おっと、ごめんごめん。えーっと、ほら、私の、鬼塚家の血には鬼の血が流れていてね。鬼を退治するという『桃太郎』を聞くとご先祖様の血が疼くというか……まさしく鬼門なんだよね。鬼なのに鬼門とはこれいかに」

 

 

あわあわと手を振って、何か即興の言い訳を早口で喋る陽菜を、『コイツ、本当に常盤台なのか?』と当麻は産地偽装の疑惑の目で見つめる。

 

やがて、視線に耐え切れなくなったのか軽く降参の意を示して肩をすくめる。

 

 

「……私ね。常盤台のカリキュラムで、1番と評価する所は“宿題がない”というとこだよ」

 

 

「やっぱ、お前! 俺と同じ(馬鹿側)じゃねーか! 何さっき優等生みたいな態度とってたんだよ! 馬鹿っぽいけど実は頭が良いのかと勘違いしちまったじゃねーか! マジでがっかりだ!」

 

 

「いやいやいやいや、それでも当麻っちよりは頭が良いと思うね。私、高校1年の問題ならスラスラ解けますぜ」

 

 

「いや、俺より頭が良くてもさ。常盤台でやっていけんのかよ」

 

 

「そこは~ほら! 当麻っちもお世話になっている詩歌大明神様のお力を借りて、ね? ……ぶっちゃけ、詩歌っちがいなかったらレポートに追われて私の中学生活は灰色一色だったさね。あっはっはっは!」

 

 

以前、詩歌がこう言ってたのを思い出す。

 

『馬鹿な子ほどかわいい』、と。

 

何だか、詩歌はダメ男に弱い気がする――と、自分の事は棚に上げて詩歌の将来を心配する当麻であった。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

あれから陽菜は豪快に一気食いという全くお嬢様らしくなく食事を済ませるとテーブルを離れていった。

 

やはり、居た堪れなくなったのか?

 

まあ、何にせよインデックスも満足しているようだし、後数行で読書感想文も終わり。

 

手が疲れたのか、原稿用紙の上にシャーペンを転がし当麻は身体を伸ばす。

 

あーあ、何気なく窓の外に視線を移す。

 

すると、一人の男の姿が目に入る。

 

窓に映った自分の姿を見ているのかと思ったのだが違う。

 

黒いスーツを着た長身の男は瞑目しながら窓に張りつくようにして自分達を覗きこんでいる。

 

そして、男の右腕には籠手がはめられていた。

 

黒塗りの弓が取り付けられた、和風の籠手が。

 

 

(何だコイツ)

 

 

ぼんやりと眺めていると、男はガラス越しに何かを呟いた。

 

そして、右手に装着された弓をこちらに突きつけた。

 

 

「!?」

 

 

立ち上がった瞬間、自分と男を隔てる巨大なウィンドウが見えない何かに切り裂かれた。

 

それは鎌鼬。

 

窓を破壊するだけでは飽き足らず、暴れ狂う鎌鼬は近くにあったテーブルを、そして床を次々に切り裂いていく。

 

だが、誰一人怪我人はいない。

 

 

ドン!!と。

 

当麻の右手、<幻想殺し>が向かい来る空気の刃を全て打ち消したからである。

 

幻想―――異能であるならどんなものも殺す。

 

周囲の人々は突然襲い掛かってきた空気の刃よりも、当麻の正体不明な力を目の当たりにして息を呑む。

 

当麻は犬歯を剥き出しにして切り裂かれた窓の向こうを睨みつけ、

 

 

「透魔の弦――――こちらだ」

 

 

しかし、窓の外にいたはずの男はいつの間に当麻の背後に立っていた。

 

凍りつくような重圧が襲いかかる。

 

 

「無傷とは少々予想外だが無益な殺生が減るなら喜ぼう」

 

 

「お前は魔術師か」

 

 

「いかにも無駄な抵抗をしなければ君には手を出さない」

 

 

(ったく、今日は魔術師にも縁があんのか? 久々の不幸の大バーゲンセ―――あれ?)

 

 

当麻の視界にひらりひらりと白い紙――『読書』、『感』、『想文』、『桃太郎』と書かれた原稿用紙が舞っている。

 

これはもしかすると……

 

 

「ああああ! 何やってんだテメェ! 俺の読書感想文が紙吹雪になってんじゃねーか!?」

 

 

うむ? という表情を男は浮かべる。

 

これはシリアスなイベントとして受け取って欲しかったのだが、そんなこと当麻は知ったことではない。

 

当麻はただ今までの努力の結晶、これに費やした費用と時間、そして、

 

 

「お前! そこのお前! お前がやったんだからお前が責任取れ! 俺の読書感想文を今すぐ書けよ!! テーマは桃太郎で規定枚数3枚以上で目指せ文部科学大臣賞!!」

 

 

これからの未来に、詩歌のお仕置きに涙を浮かべる。

 

しかし、

 

 

「知った事か」

 

 

「……オッケー。今日の当麻さんはちょっとばっかりバイオレンスですよ?」

 

 

薄ら笑いを浮かべ掴みかかろうとした瞬間、男の姿が一瞬で虚空へ消えた。

 

すぐさま辺りを見回すと、男はあろう事かインデックスの真後ろに立っていた。

 

 

「手短に済ます。子供の遊びに付き合うつもりはない」

 

 

男は背後からインデックスの身体を抱き締める。

 

柔らかく触れているだけなのに、インデックスの身体が電撃でも浴びたように硬直して動かなくなった。

 

スフィンクスが慌てて床を走り、男から距離をとる。

 

 

「10万3000冊を秘めたる<禁書目録>―――此れさえ手にはいれば用はない」

 

 

この男は、科学が、学園都市が生み出した能力と対極の位置にある異能の使い手である魔術師。

 

魔術の叡智、インデックスが記憶している10万3000冊の魔道書を求めて、世界の全てを歪め、意のままに操ることすら可能とする力を欲して此処へやってきたのだ。

 

 

「透魔の弦」

 

 

何の前触れもなく、男はインデックスを抱えたまま虚空へ消える。

 

 

(<空間移動>か!?)

 

 

絶対に逃がさない。

 

 

「待て!! 返せ、このロリコンっ!」

 

 

藁をも掴むその一心で、2人が消えた場所に向かって手を伸ばす。

 

と、右手は空振りしたが、左手に“ふにゃり”とした小さくも柔らかい感触を何もないはずの空間から掴み取った。

 

 

「うひゃあ!?」

 

 

何もないはずの空間からインデックスの悲鳴が聞こえる。

 

何もないはずの空間から確かな感触、というか弾力が伝わってくる。

 

これは、ひょっとするとまだここにいるのか?

 

いなくなったんじゃなくて、見えなくなっただけ。

 

そうLevel5序列第1位の時みたいに光の屈折率を操って……

 

 

「チッ」

 

 

男の舌打ちが虚空から聞こえる。

 

間違いない。

 

2人は、<空間移動>の類でいなくなったんじゃない。

 

姿が見えなくなっただけで、まだこの場にいる。

 

 

「と、ととととうまっ! どこ触ってるんだよ!?」

 

 

だから、今掴んでいるやたら柔らかいこれは……

 

 

「……………あれ?」

 

 

当麻の思考が一瞬、空白になったその瞬間。

 

目の前に、弓を装着した魔術師の右手が、先ほど鎌鼬を放った右手が出現した。

 

 

「断魔の―――」

 

 

当麻は空気のギロチンが自分に迫りくるのを予知し―――

 

 

「きゃ~~~っ! このロリコン痴漢野郎!」

 

 

―――ゴキッ! と何か鈍い音が聞こえた。

 

突如、横合いから飛び出してきた黒い影―――自称看板娘の惚れ惚れするような美しく力強いドロップキックにぶっ飛ばされた。

 

 

「―――弦」

 

 

そして、さっきまで当麻がいた場所に空気の刃が走り、床を切り刻む。

 

間一髪。

 

もし、陽菜が蹴り飛ばさなければ、当麻は……

 

 

「かはっ、げほっ……」

 

 

助かったのだが、呼吸困難と全身に痙攣を起こしている。

 

うん。不意を突かれ、素晴らしい蹴りで、急所に食い込んだから仕方がない。

 

でも……助かったと言えるのか、これ?

 

 

「いきなりインデックスっちの胸を揉むなんて。これじゃあ詩歌っちが可哀そうだよ! 何の為に牛乳の滲むような努力を。今だって背を伸ばそうと毎日ムサシノ牛乳を飲んで頑張っているのに。いくら当麻っちでも詩歌っちを泣かせたら許せないよ!」

 

 

そんな事を知らずに救世主兼加害者の陽菜は当麻の悪行について拳を震わせながら訴える。

 

 

―――お、おま、相手が違え! ロリコン野郎はそっちだろ!

 

 

と、当麻は言おうとしたが言葉が出ない。

 

余程いい所に入っているようだ。

 

 

(ふん。子供の遊びにこれ以上付き合っていられるか)

 

 

2人の一方的な言い争いしている間に男はインデックスを抱え直すと無音でこの場から立ち去ろうとす―――

 

 

「―――逃げるな」

 

 

その時、男の目の前に力強くの紅蓮の壁が奔った。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

炎が生命でも宿っているかのように天井を焦がし、当麻達を四方に囲む結界となる。

 

そして、熱流が怒涛の如く渦を巻き、陽菜を中心に収斂させ、結界内の気温を常温に保つ。

 

 

「……っ」

 

 

その光景に男は小さく息を呑んだ。

 

中心には少女が変わらずに立たずんでいた。

 

だが、焔を纏い、真っ赤に染まった赤銅色の肌は、赤鬼のように見える。

 

さらに、熱の放射を受けて、全身の毛が逆立つ。

 

男の肌には、陽菜が噴火する火山のように思えた。

 

 

「うん、この程度なら大丈夫かな。客に火傷させてないし――――さあてと」

 

 

陽菜はちゃんと制御されているかを確かめるように、何度か拳を握っては緩める。

 

そして、紅く輝く鷹の目で何もない空間―――否、男がいる場所を突き刺す。

 

それだけで男は炎に包まれたように錯覚させられる。

 

 

「おい、そこにいるオッサン。あと5秒でインデックスっちを離しな。そしたら、ここから出してやるよ。言っとくが無理に出ようとすると火傷じゃ済まなくなるぜ」

 

 

確かに、当麻でも、この猛々しくそびえ立つ炎の壁には飛び込みたくはない。

 

人、動物には火を恐れるという恐怖心が本能のレベルで刻まれているからだ。

 

 

「おい、鬼塚。アイツが今どこにいるのか見えてるのか?」

 

 

ようやく呼吸が回復した当麻が陽菜に問い掛ける。

 

 

「んにゃ。見えてないよ。でも、相手の位置と動きはわかるね。前にもこういう透明人間な輩とはバトった事があるし。ほら、考えるな、感じろって奴さね」

 

 

陽菜は<発火操作>で半径10mの範囲なら熱探知で見なくても相手を察知できる。

 

つまり、この店のほとんどが陽菜の制空圏。

 

 

「あ、当麻っちはそこを動かないでね。私、詩歌っちの手伝いがないと細かな制御が苦手でね。だから、当麻っちの右手で触れちまうとコイツがおじゃんになっちまう」

 

 

「待て。アイツは危険だ」

 

 

1人で相手をしようとする陽菜を呼び止める。

 

相手は魔術師。

 

無闇な殺生を好まないようだが、目的のためなら殺しも辞さないだろう。

 

そんな奴に1人で相手するのは危険すぎる。

 

 

「大丈夫、大丈夫。全く当麻っちは心配性だねぇ。常盤台の番長の通り名は伊達じゃないよ」

 

 

それに、

 

 

「いや、でもお前、女の子だろ?」

 

 

 

………………………………

 

 

 

あれ? 陽菜の顔が赤くなってきている。

 

 

「……へ、へへへへぇ、この状況でそんな台詞を言われるなんて思ってなかったねぇ~!?」

 

 

それに何だか動揺しているような……

 

これは詩歌だけしか知らない事だがわりと陽菜は少女コミックが好きで王子様とかに憧れるタイプ。

 

そして、過去に詩歌と初めての喧嘩をした際、倒れた詩歌を見て誤解した当麻に……されて以来、カミやん病に……

 

 

 

閑話休題

 

 

 

「制限時間終了~。このまま閉じ込めておくのも良いんだけどメンドイから叩き潰させてもらうねぇ~」

 

 

結局、当麻は(真っ赤な顔をした)陽菜に押し切られ見守る事になった。

 

詩歌曰く、鬼塚陽菜は生粋のバトルジャンキー。

 

その力は詩歌と互角。

 

そして、陽菜も一応は空手、柔術、剣術などの心得はあるようだが、基本は当麻と同じで型無しの喧嘩殺法。

 

と、聞いている。

 

当麻もどことなく陽菜が強いという事は分かってはいるが、記憶を失って以来実際に見るのは初めてだ。

 

 

「い、っくよーっ!」

 

 

小細工はなかった。

 

猛る荒々しい闘志をぶつけるだけ。

 

男とインデックスの姿は不可視。

 

だから、目には頼らない。

 

総動員した五感で、相手の熱、体温で気配を掴み、接近する。

 

そして、強引にでも攻撃を捌き、その攻撃のベクトルから相手のベクトルを聴覚と触覚で先読みする。

 

中国拳法でいう聴勁という技法だ。

 

 

(―――そ、こ!)

 

 

相手の行動の先へ置くようにして、拳を放つ。

 

その一撃は、まるで爆弾。

 

男の身体がくの字に曲がって吹っ飛ぶ。

 

しかし、魔術で強化しているのだろうか、それほどの一撃を受けても、なお男はひるまず、インデックスの拘束を解かなかった。

 

 

「衝打の弦」

 

 

細い弦が空気を裂く鋭い音と共に、風の塊が撃ち出される。

 

ドオン! と。

 

至近距離で大砲でもぶっ放されたような騒音が響き渡る。

 

が、

 

 

「喝っ!!」

 

 

吼えた。

 

街中に轟く咆哮と共に爆発した莫大な熱気は、暴風の衝撃波を相殺し霧散させた。

 

力を力を持って吹き飛ばす。

 

これぞ<スキルアウト>に、常盤台に畏怖される常盤台の番長、最凶の赤鬼。

 

今はインデックスがいる為、力をセーブしているが、一度見境がなくなり暴走してしまえば詩歌ですら止める事は困難。

 

 

(この能力者。やはり、戦い慣れているッ!)

 

 

男はこのまま戦っても、いや、全力で戦っても勝率が低い事を悟る。

 

だが、それと同時に戦闘狂である事も分かった。

 

今、自分がすべきことはこの出鱈目な相手と殺し合う事ではない。

 

 

(仕方ない……)

 

 

獄炎の壁を一度見て、男は決死の覚悟を決める。

 

 

「惑魔の弦 」

 

 

惑魔の弦―――『無い筈の物をある』と思わせる魔術で陽菜の精神に揺さぶりをかける。

 

 

(なっ、精神攻撃! コイツ、<風力使い>か<空力使い>かと思ったが違うのか!? ―――チッ)

 

 

「喝っ!」

 

 

しかし、強靭な精神力で自我を保ち、自分自身に喝を入れ、揺さぶりを吹き飛ばす

 

だが、それでも一瞬隙ができてしまった。

 

それを男は見逃さない。

 

陽菜も咄嗟に身構える―――が、

 

 

「なっ!?」

 

 

さて、物に熱を伝えて燃やす、あるいは溶かすのに最も必要なのは炎の温度でも量でもない。

 

それは、熱伝導率と―――

 

 

「風魔の弦」

 

 

―――接触時間。

 

空気の塊を足元に作り出し、これに足を乗せる事で疾風のような推進力を得る。

 

そして、空気を切る音と共に男は横に、荒れ狂う炎と陽炎の壁の先にある店の外へ飛翔する。

 

男が選んだのは逃走。

 

多少の火傷は負うがこのまま陽菜と戦うよりはマシだと判断したのだろう。

 

だが、男の屈強な身体なら耐えられるかもしれないが、抱えているインデックスは大怪我を負うかもしれない。

 

陽菜は咄嗟に火炎を小さくしようとするが間に合わな―――

 

 

「うおおおっ!」

 

 

その前にずっと後ろで様子を見守り、直感で男の思考を感じ取った当麻が火傷を顧みず<幻想殺し>で強制に獄炎の結界を打ち消した。

 

男は一瞬で消えた現象に驚くが、これを絶好の好機だと考え、そのまま店から、陽菜の制空圏から脱出した。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「あ~、ごめん、当麻っち。腕の1本は罅を入れたつもりなんだけどさ。思った以上に執念が強くて……てゆーか、拳を合わせた感じ、あの人、悪人じゃなさそうだったねぇ。……あ、それから、消してくれてありがとね。危うくインデックスっちに火傷させちゃうところだった」

 

 

「いや、仕方ねぇよ。俺もまさかあれに飛び込もうとするなんて思いもしなかったしな」

 

 

火が消えたようにしょんぼりする陽菜の頭をわしゃわしゃと掻き乱す。

 

しかし、インデックスの身が心配だ。

 

男の目的はインデックスの頭の中にある魔術の叡智。

 

それを引き出す為に何か強引な手を加えるかもしれない。

 

 

(くっだらねぇ。たかが10万3000冊を持ってるから何だってんだ。そんなつまんねえモンの為に誘拐されて暴力を受けるなんざ割に合わなすぎんだろが!!)

 

 

当麻は舌打ちをして出口に向かって走ろうと勢い良く振り返る。

 

そこで、いきなり後ろから肩を掴まれた。

 

それに振り向いてみると、

 

 

「少々お待ちいただけますか、お客様―――と鬼塚さん」

 

 

営業スマイルを浮かべているが目が1ミリも笑っていない先輩ウェイトレスと、

 

 

「て、店長……」

 

 

満面の笑みを浮かべ、でも、ウェイトレスと同様に目が笑っていないボディビルダーのような筋肉ムキムキの店長さんが立っていた。

 

 

「……、あ」

 

 

当麻は改めて、己の周りに視線を走らせる。

 

大きなウィンドウはバターみたいに切り裂かれ、テーブルは輪切り状態。

 

そして、なにより店内はほぼ半焼で荒れ果てている。

 

 

「鬼塚君。ちょっとお話をしようか?」

 

 

「え、え~と、その店長」

 

 

陽菜は横目で当麻に助けを求めるが、

 

 

「後は頼んだぞ、鬼塚」

 

 

既に当麻はいなくなっていた。

 

 

「当麻っちぃ~~っ! 見捨てないでぇ~~っ!!」

 

 

うん。

 

やはり、一般人……かどうかはわからないが妹の親友をこれ以上巻き込む訳にはいかないし、ちょっと時間が掛かりそうな状況説明の為にこのまま此処にいてもらった方が良いな。

 

決して、生贄にしようとか、後始末を押し付けようとしているのではない。

 

以前、ドッジボールの試合の際に嵌められた事を恨んでいる訳ではない。

 

陽菜の無事を願っての行動なのだ。

 

以上、理論武装終わり。

 

 

「すまん。先を急いでいるんだ。つーか、当麻さんは店を壊したのに一切関与してません事よ」

 

 

「うわ! 酷いよ! 当麻っち! 折角、2人の為に頑張ったのに~っ!」

 

 

そうして、メロス(当麻)は後ろを振り返らずにセリヌンティウス(陽菜)を残し、店から全力で逃げ去った。

 

 

「後で覚えてろよ、当麻っち! この恨みは絶対に晴らしてやるからな~!」

 

 

セリヌンティウスの怨嗟の声が街中に木霊した。

 

 

 

つづく


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