とある愚兄賢妹の物語   作:夜草

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夏休み最終日編 裏話 誰の為に

夏休み最終日編 裏話 誰の為に

 

 

 

公園

 

 

 

1週間前、自分は組織からの命に従って、<幻想殺し>と言う脅威の右手を持つ上条当麻が中心の上条勢力を崩壊させようとしていた。

 

そこで、自分が目をつけたのは上条当麻の妹で上条詩歌と言う人物だった。

 

次点で海原光貴と言う人物から始めるという手もあったが、上条勢力を崩壊させるには彼女の位置がベスト。

 

それに事前に集めた情報の中では彼女は『日常で活躍できる』程度のLevel3の<発火能力>。

 

その能力はそれなりに脅威だが、彼らの中で最も弱く、海原の『軍隊において戦術的価値が得られる』ほどのLevel4の<念動能力>と比べれば容易い相手だ。

 

ただ……彼女と言う人材は殺すには惜しい。

 

大勢の人達に……そして、御坂さんが姉と慕うのも分かる聖母のような人だった。

 

でも、仕方がない……犠牲を最小限に抑えるには彼女の位置がベストなのだから……

 

 

―――しかし……

 

 

何が起こったのか分からなかった。

 

その場に人払いをしていたので、その瞬間を目撃した人物はいないし、された側の自分でさえも、一体自分の身に何が起きたのか把握できなかった。

 

気がつけば、ナイフを奪われ吹っ飛ばされていた。

 

分かったのは、

 

彼女は自分が足元にも及ばない、しかも、向かい合っただけでは理解できない例外的な静かなる強さをその身に秘めている事と―――

 

 

『ふふふ、インデックスさんから教えてもらった事と照らし合わせると、これはアステカの魔術の<トラウィスカルパンテクウトリの槍>でしょうか? 学園都市でも珍しい<肉体変化>と同等のものがある魔術でしたので印象に残っていたんです』

 

 

―――普通ではない怪物のような異常性だった。

 

 

目の前の少女は自分から奪ったナイフを弄び、感心したようにふむふむと頷きながら、『一度も見せていないはずの魔術』を答え合わせのように自分に説明している。

 

 

『それで、あなたは魔術側の、おそらくアステカの魔術を専門とする組織のスパイですね。しかも、最近、学園都市に来たばかりの。でなければ、その程度の実力で、単独で私を立ち向かおうなどとは考えない。舐め過ぎです。ちゃんと情報収集しなかったからでしょう。いけませんね。これからは情報には気をつけてください。と言っても、これからがあるのかは分かりませんが』

 

 

そして、今度は自分自身について、今やろうとした事について、答え合わせを、しかも批評まで語り始める。

 

だが、動けない。

 

今こうやって話をしていて隙だらけかと思われるが、全く隙が見当たらない。

 

高い優秀な能力を持ち合わせておきながら、全く油断、慢心していないなんて反則的だ。

 

 

『この状況から推察してみますとあなたは私になり済まそうとしていた。確かに、<書庫>のデータで見るなら私はLevel3の<発火能力>ですし、見た目も華奢に見えますからね。そうして、私になり済ませば、ここ最近、魔術や科学の叡智と力を引き込んでいる危険な勢力を崩壊させる事は容易いと―――推察できます』

 

 

容赦なく正鵠を射抜く知能に、己を殺そうとした人物に平然と接している精神。

 

普通ではない、危険だ。

 

組織、いや、自分は間違えていた。

 

彼女が最もあの勢力の中で危険な相手だと。

 

最弱ではなく、禁書目録よりも、Level5よりも、異能の天敵よりも危険な相手で敵に回してはいけない相手なのだと。

 

 

『……何故、分かるんですか』

 

 

地を這う自分を彼女は見下ろす。

 

透明で、静かで、そして、その温かな微笑みとは真逆の冷たい双眸で見下ろしている。

 

 

『私、敵意とかそう言ったものに敏感なんです。それから大抵の事は見るだけでわかります。そして、触れれば取り込んでしまうんです。このように――――』

 

 

ゾン!! と。

 

天にかざした黒曜石のナイフ、『槍』から反射した光が自分の顔の横を通過し、その後ろにあったベンチを分解した。

 

 

魔術。

 

そうそれは見慣れている自分が扱っている魔術だった。

 

その魔術を能力者であるとされている彼女がいとも容易く、軽々と、見せてすらいないのに扱ってみせた。

 

魔術師として才能があるからわかる。

 

目の前の彼女は紛れもなく天才だと。

 

禁忌の壁を平然と乗り越える天災じみた天才だと。

 

きっと自分は殺されるだろう。

 

彼女という存在を知ってしまったのだから、口封じに消されてしまう。

 

……と思ったのだが、

 

 

『ふぅ…………あなたは――似ています』

 

 

そう言うと、彼女は躊躇い無く『槍』を叩きつけて破壊してしまう。

 

 

『……殺さないんですか?』

 

 

『ええ、何だか同情と言うか、可哀そうになりましたし…それにあなたを少し信じてみたくなりましたからね。今回は見逃してあげます。でも……次は、許しません。そして、もし誰かを殺したら、その時はこの甘さを捨てて、地獄の底まで追いかけて復讐します。とても丁寧に、とても酷い事をあなたの為にしてあげます』

 

 

最後、一瞬だけ完璧な無表情になった彼女の顔にゾッとした。

 

急激にこの場の空気が凍てついたように身体が金縛りにあう。

 

ただ、今はこの奥の知れない恐怖にひたすら怯えるしかできなかった。

 

 

『襲われた私が言うのもなんですけど、何か相談したい事があれば、気軽にどうぞ。それから、組織の上層部の方には『私達はただ平穏だけを望んでいる』とだけをお伝えください。納得がいかないようでしたら対話も検討します』

 

 

そうして、彼女、上条詩歌はそのまま振り返らずにあっさりとこの場を去っていった。

 

異様で、異常で、異端な怪物。

 

だが、破滅的にまでに甘かった。

 

まさか自分を見逃してしまうなんて……

 

殺せるときに殺しておかなかった。

 

それは致命的なミス。

 

きっと、組織に彼女の事を報告すれば今以上にこの勢力を危険視するに違いない。

 

 

『……自分は……どうすればいいんですか』

 

 

しばらくの間、自分はその場から立ち上がることすらできなかった。

 

その後、組織は、<翼ある者の帰還>は勢力の中心を上条当麻から上条兄妹に変更し、結局、対話ではなく、監視でもなく、排除の道を選択した。

 

 

 

 

 

 

 

と、その前に、再びここに戻って来て、

 

 

「どうもどうも」

 

 

と彼女が割った黒曜石のナイフの破片を回収し、

 

 

「あ、黒曜石(これ)要らないですよね? 今日の慰謝料に貰ってもいいですか?」

 

 

「え……?? は、はぁ……」

 

 

そうして、倒れ伏す自分に『ありがとねー』と手を振りながら、今度こそこの場から立ち去った。

 

………彼女がますますわからなくなった。

 

 

 

 

 

ビル工事現場

 

 

 

上条当麻は路上に倒れ込んだ『海原光貴』を見下ろした。

 

ガラスの音が砕け散るような音と共に、殴られた『海原』の顔の表面が粉々に砕け散った。

 

その下にある魔術師の顔は、海原よりも幼く見え、肌も浅黒い。

 

まるで日焼けした後を乱暴に剥がしたように、海原の皮膚の断片が少し残っているのが不気味だった。

 

 

「さあ、答えてもらうぞ。どうして海原なんかに化けようと考えた?」

 

 

「ハッ、あなたは1から10まで説明しなければ理解できないんですか?」

 

 

「できるかよ! 『海原』は俺を襲う上で何の役に立たねぇだろ。なのにどうして、『海原光貴』を狙った! 詩歌に近づくためか? 御坂に近づくためか? テメェは俺の知り合いってだけの理由でアイツらを狙おうとしたのかよ!?」

 

 

「……」

 

 

問いには答えず、どこか蔑んだ目で睨みかえすだけ。

 

 

「答えろ、お前は『海原』の皮膚を剥いで変装してるんだってな。テメェは2人にも同じ事をするつもりだったのか!? ふざけんな! 特に御坂は魔術世界とは関係ねえだろうが、何でテメェみたいな魔術師が絡んでくるんだよ!!」

 

 

激昂する当麻に対し、『海原』は静かに言葉を紡ぐ。

 

平淡に、感情なく、ドロドロと口から溢れるように。

 

 

「最初は、あなたの妹の皮膚を剥ぐつもりだったんですよ……」

 

 

氷のように冷たいのではなく、ぬるま湯のように感情の起伏がない声で、

 

詩歌に襲いかかったこと。

 

返り討ちにされて、見逃されたこと。

 

その後、海原に襲いかかったこと。

 

始末しようとしたけど、死の直前の<念動能力>で防がれ、仕方ないので束縛したこと。

 

それらを平淡過ぎる声で、まるで古くなったカセットテープを無理矢理再生しているように紡いでいく。

 

その様子に当麻は怒りを覚える前に絶句してしまう。

 

『海原』はそれを見ると僅かに満足したのか、声に感情が戻っていく。

 

 

「ここに来た理由、ですって? この場に置いて最初に出る質問がまさかそんなものだとは。あなたの妹は何も教えなくても分かってましたよ。まさか、教えてもらってないんですか?」

 

 

『海原』は、心の底から嘲るように、

 

 

「はっ……あなたは自分の立場をまったく理解していない。自分がどれほど危険な事をしているかを」

 

 

「何だと?」

 

 

「あなたの右手の能力は魔術師にとって脅威だ。その上、あの<禁書目録>を占有し、イギリス清教の魔術師や常盤台の超能力者とも通じている! さらに吸血鬼に対する切り札など、多種多様な人材を仲間として引き入れているらしいじゃないですか」

 

 

自嘲気味に告げた。

 

 

「本来、魔術世界と科学世界は相容れないはずのもの。なのに、あなたは、いえ、今はあなた達兄妹はその両方の組織に精通してしまっています。もはや<上条勢力>と言う1つの団体が出来上がりつつあると言っても良い。自分のいるような“組織”ではね、そういった新しい勢力が世界のパワーバランスを崩してしまう事を恐れているんです」

 

 

組織。

 

それは学園都市か、教会世界か、魔術結社か、どこぞの経済大国か。

 

 

「だから自分(スパイ)学園都市(ここ)に送り込まれた。最初から誰かに危害を加えようとした訳じゃない。ここへ来たのは1カ月前……入れ替わったのはほんの5日前、入れ替わろうとしたのは1週間前でしたが、最初の目的はただの監視でした。あなた方<上条勢力>がパワーバランスに影響がない存在だと分かれば、問題なしと報告するだけで済む話だったんです」

 

 

『海原』は歯を食いしばった。

 

 

「けれど、あなたは危険過ぎたんですよ! こちらにはいる断片的な情報から推測するに、あなたはこの夏休みだけでいくつか“組織”を壊滅させてしまったらしいじゃないですか!」

 

 

その目は当麻の顔面を射抜くように睨みつけている。

 

 

「そして、あなたの妹は怪物だ。あなたよりも危険過ぎる! あまりにも秘匿されていたので推測しかできませんが。全てを呑み込む力ですか……何ですか! その<魔神>のような力は! それだけではありません! 力を抜きにしても、あの強さ、智謀、さらには人望まで備わっている。その上、あなた方兄妹の“力”は金や圧力で操作・制御・交渉できる類のものではない。全部、個人の感情による独断独善独裁だ! こんな不安定で巨大な力を、“上”の連中が危険視しないと思いますか!? あなた達兄妹という存在がこの世界のパワーバランスを崩してしまうかもしれないんですよ!!」

 

 

「ちょっと、待て。じゃあ、お前は……」

 

 

「ええ、自分の属する組織はあなた方を放置できない危険な“勢力”と判断しました。自分の標的は上条兄妹とその仲間……“全員”です」

 

 

知り合いに“化ける”理由はそこにあるのだろう。

 

当麻のよく知る人物の“顔”で、出来る限りの悪さをして、信用を失くす。

 

そして、用済みになったら、別の知り合いの“顔”へ入れ替わり、同じ事を繰り返す。

 

そうやって、“勢力”の内側からじわじわと腐敗させていく。

 

その途中で“偽物”が浮かび上がっても問題はない。

 

今度は『誰が偽物かわからない』という疑心暗鬼によって仲間の輪を引き裂く事ができるのだから。

 

内部腐敗。

 

そして、目の前にいる男はその病原菌。

 

 

「できうる限りあなたは最後に回したかったのですが致し方ありません。『海原光貴』はもう素性が割れてしまいました。今度はあなたの“顔”をいただくとしましょうか。そうすれば、流石のあの天才もあなたの“顔”では隙を作るでしょうからね!」

 

 

薄ら笑いを浮かべながら、ようやく立ち上がるまでに回復した『海原』はもう一本の黒曜石のナイフを取り出す。

 

 

(ちくしょう! 本格的についてねーな俺の人生!)

 

 

絶対に殺られるわけにはいかない。

 

絶対に“顔”を盗られるわけにはいかない。

 

盗られてしまったら、詩歌が、『当麻』の“顔”をした魔術師に殺される。

 

殺されなかったとしても、絶対に泣く。

 

あの時、この魔術師を見逃してしまったから、と自分を責めて泣いてしまう。

 

心の中で毒づきながら、魔術師を睨みつける。

 

 

「……残念だよ。マジで……お前とはさ、友達になれると思ってたんだぜ」

 

 

「自分はたった一度もそんな事を思いませんでしたよ」

 

 

返事は即答。

 

仕方がない。

 

あの時、当麻は海原と本当に友達になれると思っていた。

 

だが、今の当麻の中に湧き上がった感情は―――怒りだった。

 

詩歌が見逃したというから、その理由を探ろうとしたのだが分からない。

 

でも、細かい事を考えるのは後でいい。

 

今はこの『海原』を倒す。

 

この男は自分を殺す為に周囲の人間を“不幸”にさせようとし、そのために詩歌を殺そうとし、

 

 

「お前が御坂の話をしてた時のアレも、やっぱりニセモノだったって事かよ」

 

 

美琴を騙そうとしていた。

 

スリーアウト。

 

一切の容赦は必要なし。

 

 

「詩歌に手を出した時点でアウトなんだが、御坂を騙そうとしたんだろ。いや、マジで残念だ。本気でぶん殴らなくちゃならないからな」

 

 

自分の中で枷が外れ、熱いエネルギーが駆け巡る。

 

体中に収まりきれないエネルギーを逃がすように熱い息を吐き、当麻は拳を握る。

 

 

「……、   ですか」

 

 

しかし、それとは逆に海原の周囲は闇より冷たい沈黙だけが場を支配していた。

 

当麻が動きを止め眉を顰めたその時、彼はもう1度呟く。

 

 

「……ニセモノじゃ…ダメなんですか」

 

 

噛み締めるように、

 

 

「ニセモノは御坂さんを守りたいと思う事も許されないんですか?」

 

 

怒りを忘れて当麻は魔術師の顔を見た。

 

 

「ええ、そうですよ。自分だってこんな真似はしたくなかった」

 

 

周囲の崩壊を気にせず、魔術師は叫ぶ。

 

 

「『海原』だってね、傷つけたくなかったんです。あなたの妹だって本当は襲いたくなかった。だって、それが1番幸せじゃないですか。誰も傷つかない方が良いに決まっているじゃないですか。自分は、この町が好きだったんです。1月前、ここに来たときからずっと、たとえここの住人になれなくたって、御坂さんの住んでいるこの世界が、大好きでした」

 

 

魔術師は、歪んだ顔に激情の表情を乗せて、

 

 

「やるしかなかったんですよ。結果が出てしまったから。<上条勢力>は危険だと“上”が判断してしまったから。ねえ、分かりますか? 自分がどんな気持ちで、どんな想いで、御坂さんのいるこの世界に傷をつけたか」

 

 

当麻に訴える。

 

 

「あんたらのせいだ! あんたら兄妹さえ大人しくしていてさえくれれば! 誰も傷つけずに済んだのに! 御坂さんを騙す事だってなかったのに! 確かに、今の自分はあなた達の“敵”です。でもそうなったのは誰のせいだ!?」

 

 

魔術師の全身から、見えざる殺意が吹き荒れる。

 

しかし、当麻は怯まず、男の目を覗き見た。

 

本気かどうかを見定める為に。

 

 

「……お前。本当に御坂が好きなのか?」

 

 

スパイのくせに、利用しようとしたくせに。

 

ええ、と答えが返ってきた。

 

 

「お前、御坂のいるこの世界を守りたかったのか?」

 

 

スパイだからこそ、利用しようとしてでも。

 

ええ、と答えは返ってきた。

 

 

「でも、もう守れませんよ。自分は“敵”です! あなた方の!! でもね! できることなら……――――」

 

 

 

――――守りたかった。

 

 

 

魔術師は不思議と淡く弱く笑っているような顔でそう言った。

 

今、当麻は理解した。

 

これが魔術師の本音。

 

“敵”となりたくなかったのに“敵”にならざるを得なかった男の本音。

 

世界で1番守りたかったものに手をかけなくてはならなくなってしまった為に心の全てが歪んでしまった男の言葉。

 

土御門元春。

 

同じスパイだが、土御門は世界を敵に回すかも知れないというリスクを背負って、世界で1番守りたかったものを守っている。

 

だけど、目の前の魔術師にはそんなリスクは背負えなかった。

 

その弱さを自覚しているからこそ、彼は許せない。

 

自分の夢を引き裂いた当麻と詩歌を、そして、それ以上に自分の夢も守れなかった自分自身が。

 

何不自由なく生活を送り、何者にも制限されず、そして、常に自分の守りたいものの味方であり続けた自分達兄妹が、この男にとって太陽みたいに直視できないほど眩しくて、身が焦がれるほど熱かった。

 

 

 

が。

 

 

 

「そうか。それが貴様の本心か」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

2人の背後から声が聞こえた。

 

当麻が振り返れば、当麻達が入って来た工事現場の入り口を塞ぐように、1人の少女が立っていた。

 

そう、

 

 

「御坂、なのか……?」

 

 

だが、その眼光には異様な輝きを秘めており、いつもの彼女のものではない。

 

彼女は当麻を無視し、足元に転がっていた『海原』が落した一本目の黒曜石のナイフを拾い、手に取る。

 

その仕草に、『海原』は、ここにはいないはずのある1人の少女の面影を幻視した。

 

 

「……まさか、あなたは……」

 

 

「ほう、一目で私の素性に気付いたか、エツァリ」

 

 

御坂はその『顔』の剥がれた『海原光貴』を見て、少しも動揺もする事なく全く別の名前を口にした。

 

そう、それこそがこの魔術師の名。

 

驚いて固まっている『海原』の前で、御坂の顔をした少女は片手でその顔を拭った。

 

 

「ッ!?」

 

 

そこに少女の顔はなかった。

 

東洋人のものとは違う、この『海原』と同じ浅黒い肌に、彫の深い少女の顔立ち。

 

そして、ようやく当麻を一瞥し、

 

 

「貴様には感謝しないと。お前が本音を引き出してくれたおかげで、この裏切り者を躊躇いなく殺せる」

 

 

その言葉に、その顔に、『海原』の、エツァリの顔が歪む。

 

 

「ショチトル……何故、あなたがこんな所に……。それに、裏切者とは……」

 

 

「組織を舐め過ぎだ、お前は。標的に生かされたらしいが、寝返ろうとした裏切者に、生きる権利はない。ああ、私は貴様を処分するために、全てを捨ててここへ来た」

 

 

その放たれる殺気に、エツァリは思わず当麻に向けていた黒曜石のナイフを、元の仲間に向けてしまう。

 

でも、<トラウィスカルパンテクウトリの槍>を即座に使うつもりはなく、ただ牽制のために。

 

 

「全てを捨ててここに来たと言っただろうが」

 

 

呆れるように、ショチトルは繰り返す。

 

途端、エツァリの右手首から肘――武器を持った腕が硬直。

 

反応する間もなく、握り締めた黒曜石のナイフが、自分の意思とは無関係に自分の顔へ向かっていく。

 

 

「な、にっ!?」

 

 

左手で咄嗟に右手首を抑える―――しかし、利き腕の関係か、ギリギリと少しずつ右手に持ったナイフの切っ先は眼球へと迫る。

 

 

「今の私に『武器』は通用しない。誰の手にあろうと、『武器』の支配権は全て私にある」

 

 

愉悦すらも感じさせない退屈すらうかがわせる無表情のまま、ショチトルは言う。

 

他人の持つ『武器』に干渉して、乗っ取り、その破壊力を借りて、その手を汚さず、相手を自殺させる術式。

 

その攻撃から逃れるには、一切の武器や『霊装』などを捨てなければならないが、そうはさせじとその右手はナイフと一体化したように握り締める。

 

が、

 

 

「くそっ!」

 

 

それよりも当麻の右拳の方が速かった。

 

<幻想殺し>が黒曜石のナイフを喰い破り、ガラスが砕ける音と共に粉々に消滅した。

 

 

「何をする? その裏切者はお前を殺そうとしたんだぞ」

 

 

「うるせぇ! いきなり横からしゃしゃり出て、何偉そうなこと言ってやがんだ!!」

 

 

「部外者はそちらの方だ。殺されたくなかったら、大人しくしてろ」

 

 

右手を振るい、どう考えても手の中には隠しきれない巨大な剣を召喚。

 

白い玉髄の左右の側面に石の刃を埋め込み、ソードブレイカーのような鋭い凹凸を刻みつけた刀剣。

 

日本刀のように『叩き切る』のではなく、鋸のように『引き切る』、金属を武器として使わないアステカ文明の戦士が用いる<マクアフティル>だ。

 

そして、もう左手には先ほど当麻を追い詰めていた黒曜石のナイフ、<トラウィスカルパンテクウトリの槍>。

 

 

「私が組織に与えられた任務は、そこにいる標的のお前に無様にも生かされている裏切者の始末だ。それさえ済めば、とっととこの街を出てってやる。あのどっちつかずの男はここで死んだ方が良いと言う事だ!!」

 

 

アステカ式の『剣』と『槍』を携え、対して、こちらは武器を持つ事も許されない。

 

人間の文明を否定するかのような、圧倒的なハンデ。

 

それだけではない。

 

その本気で殺す目。

 

仲間だとか、同じ組織の人間だとか、そういう干渉は一切ない。

 

部外者である当麻でさえも、眩暈を覚えさせる。

 

これが標準的な魔術師という生き物なのか。

 

振り返り、『海原光貴(エツァリ)』の表情を思わず窺うが、頭を垂れて俯き、影になっていて良く見えない。

 

 

「ああ、コイツは仲間であり、私の師でもあった。しかし、理由はどうあれ、コイツは生き恥を晒す裏切者に変わりないんだ。そうだろう?

 

 

 

―――エツァリお兄ちゃん」

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

その言葉を聞いた瞬間、『海原』は、ははっ、と小さく笑った。

 

 

「……ショチトル。貴方は私を始末すれば、引くんですか?」

 

 

「ああ、私の任務は裏切者の処分だ。御坂美琴も腕の皮を剥がさせてもらったが生きているだろう」

 

 

「そうですか……」

 

 

その時、当麻は『海原』と目が合った。

 

薄く、寂しく、虚しく笑っていた。

 

これ以上戦っても、生きても、何にもならない。

 

それを知ってしまったように。

 

 

「わかりました。ひと思いに殺してください……」

 

 

その潔さにショチトルは瞬きする。

 

海原光貴(エツァリ)』は、呆然とする当麻を押し退けて、前に出た。

 

もう、いいんだ。

 

これでいい。

 

思えば、ずっと自分は死に場所を探してきた。

 

どっちつかずのままふらつく自分は、自殺よりも有意義に、何の責任も、後腐れもなく、殺してもらえることを望んでた。

 

だから、ここで自分が死ねば、全てが丸く収まるなどこれ以上にない最高の死に方だ。

 

でも。

 

 

「その代わりに、約束を……」

 

 

「……何だ」

 

 

「こんなのは自分で最後にして欲しい……」

 

 

「えっ……?」

 

 

「ショチトル。君に武器は似合わない。死者の魂を慰めることができるのに、人を殺すなんて、あまりにも悲しい。ええ、組織の命を果たせず、かと言って吹っ切る事もできない中途半端な敵は、死んだ方が良い、つまらない人間だ。誰も悲しみはしない。―――だから、これで人殺しに飽きて欲しい」

 

 

きっとこれが自分が彼女の師として、兄としてできる最後の教えだろう。

 

これで本当に、死を知れば、彼女は本当の<死体職人>になれる。

 

と。

 

 

 

「ふざけんな。最悪なモン見せんじゃねーよ、この大馬鹿野郎が」

 

 

 

後ろから肩を掴まれ、思い切り引っ張り倒された。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

合理的に考えればここは邪魔すべきではない。

 

もし心変わりしてしまったら、この『魔術師』は逃がしてしまうかもしれない。

 

それはつまり、再びこの魔術師が誰かと入れ替わり、当麻の身の回りの人に“不幸”を起こす事になる。

 

だが。

 

当麻は今ここでようやく、詩歌が何故目の前の男を見逃したのかがようやく分かった。

 

詩歌の事だ。

 

どんなに低い可能性だろうと、この男を信じたのだろう。

 

きっと、この男の胸の内を見抜いたから、信じてしまったのだろう。

 

土御門が言っていた通りに、詩歌は恐ろしいほど優秀だが、致命的なまでに甘い。

 

天才だから、心情を見抜いてしまい。

 

甘過ぎるから、信じてしまった。

 

この2つの組み合わせが今のような事態を招いてしまった。

 

ドミノ倒しのように連鎖的に、また1人の少女を巻き込んで問題を大きくしてしまった。

 

 

(ったく、世話の焼ける妹だ。後で説教でもしてやる)

 

 

腹が据わった。

 

先ほどまでの怒りはない。

 

逃げようとか、倒すとかじゃなく、ただ、兄として尻拭いをするだけ。

 

 

そう―――

 

 

(―――そして、殺してやるよ……お前らのその幻想を!!)

 

 

 

―――詩歌の失敗をこの俺が成功に変えてやるだけだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

「妹がいるお兄ちゃんには、3つ、許されねー事がある」

 

 

 

2人の師弟――義兄妹の間に割って入った愚兄は、右手で3本の指を立て、独自の理論を展開する。

 

 

 

「1つ、妹を彼女にする。土御門とも散々審議していることだが、当麻さん的にこれは血縁上繋がっていない義理でも駄目だ。兄は、妹の保護者だ」

 

 

 

薬指を曲げる。

 

 

 

「2つ、妹を泣かせる。誰であろうと理不尽な目に遭わされて泣かされたっつうなら、そいつをぶん殴らねーと兄じゃねぇ。兄は、妹の守護者だ」

 

 

 

中指を曲げる。

 

 

 

「3つ、妹と殺し合い。こんなの言うまでもない。喧嘩ならまだいい。だがな。妹を殺そうとする時点で、そいつは兄失格だし、妹の目の前で死んじまうのも兄失格だ。死んだところで誰も悲しまない? はっ、テメェの死はただの逃避だ。どんな理由が揃ってても、“不幸”を押し付けるなんて、そんなの最低最悪のクズだ」

 

 

 

最後の人差し指を曲げ、硬く拳を作る。

 

 

 

「兄は、妹にとって最強のヒーローだ!!! 本気で妹を大切に想ってて、そいつの兄として胸を張りてーんなら、妹を手じゃなく口を出して死ぬ気で説得しろッ!! 何度死んでも、殺されても、何が何でも生き延びて、生き返ってみせろッ!! それが出来ねーで何がお兄ちゃんだ!!!」

 

 

「……説得しろって。何で邪魔するんですか。私は皆の敵です。これで自分が殺されれば、御坂さんも、あなたの妹も、ショチトルも皆、守れるんです!」

 

 

「本当にそう思ってんのか?」

 

 

愚兄は、苦いモノを噛みつぶすような調子で尋ねる。

 

 

「俺達を全員殺すつもりだったお前の組織が、お前1人の命で引き返すとでも思ってんのか? 自分で死んでも誰も悲しまないとか言っといて、お前の組織が止まるほどの価値があるとでも思ってんのか? ―――ねぇよ、そんなの。お前が死ねば皆が助かるなんて、そいつが“お兄ちゃんの為”に用意した都合の良い幻想に決まってんだろ!!」

 

 

そう。

 

彼女は、知ったのだ。

 

彼が一体この街の何を見て、何を守ろうとし、それでも、“裏切れない自分達の為にも”敵であり続けなければならない苦悩を。

 

そして、死にたいという願望でさえも。

 

彼の、お兄ちゃんが抱える問題を全部解決し、その自殺願望をお兄ちゃんが望む最高の形で叶えさせてあげようと。

 

例え幻想(うそ)だとしても、誰よりも死者に優しい<死体職人>として、それを信じさせたまま弔ってあげようと。

 

本当なのですか、と『海原光貴(エツァリ)』は、弟子であり、義妹でもあるショチトルに視線を向けるが、彼女はそれに何も答えない。

 

そして、当麻に先ほどまで敵だった魔術師を助けなければならない義務などない。

 

敵を見捨てた所で誰も蔑まないだろう。

 

でも、

 

 

『ニセモノは御坂さんを守りたいと思う事も許されないんですか?』

 

 

と、願った『魔術師』、そして、それを叶えさせようとした<死体職人>。

 

義務はないが理由ならある。

 

皆で笑って終わらせる。

 

それで十分だ。

 

 

「こんなの詩歌も、御坂も望んじゃいねぇ。だから、俺はそんな幻想ぶち殺してやる。全力でな。加減はしねぇから気をつけろよ」

 

 

そして、<死体職人>と愚兄は対峙する。

 

当麻は知らないだろうが、詩歌の予想以上に成長していた。

 

才能とかきらめきとか、そういったものはそこそこと言った所なのだが、根気だけは詩歌を超えていた。

 

いつも限界の一歩先を要求しているのだが、気がついてみると予定以上にこなしている。

 

詩歌と言う最高の環境で最高の師匠によって研磨された天分の才能を毎回目にしているのに、それでも絶望せず、努力を重ねてきた。

 

少しずつではあるがその無骨な強さは天才達との領域に近づきつつあった。

 

そして、当麻がその力を十分に120%以上発揮できる状況と言うのは

 

 

 

―――『護るため、救うために』戦う時だ。

 

 

 

その時の上条当麻の心は紛れもなく最強だ。

 

そう今の当麻は誰よりも最強なのだ。

 

思考がクリアになっていく当麻は、右手を前に構えて、ショチトルへ歩み寄るように間合いを詰める。

 

ゆっくりと。

 

 

(正気か、この男は)

 

 

真正面から、まだ距離も随分と離れているのに。

 

『槍』と『剣』を持つ自分に、無手のまま無防備で。

 

ショチトルの目的は、エツァリであって、この標的を殺さなくても構わないが、殺した方が有利になるのは確かだ。

 

 

(私が、この『槍』を使えないとでも持ってるのか!)

 

 

ショチトルは照準を合わし、照射する。

 

黒曜石のナイフが輝く。

 

その標的に当たり、<トラウィスカルパンテクウトリの槍>の光線は、その身体を肉塊へと分解する。

 

バラける、筈だった。

 

上条当麻は右手を振るっただけで、<トラウィスカルパンテクウトリの槍>の分解を無効化した。

 

否、殺した。

 

 

「……光線なんて視えにくいんだけどな。だけど、乱発し過ぎだ。おかげで掴めた。っつか、こんなの御坂の電撃と全く同じじゃねーか。考えるんじゃなくて、感じたまま動かせばいい」

 

 

アステカの魔術師達には愚兄の言う意味が良く分からなかった。

 

理解できるのは、もうこの男に魔術は通じないという事実だけ。

 

上条当麻が開発したのは、体術の捌き方、武器の回避法、そして、異能の感知網。

 

海での一件で、何か、前兆の感知に目覚めた当麻は、詩歌にお願いしてあらゆる異能の寸止めでさらなる経験を積み重ねて、その勘を磨き上げた。

 

 

「っ!?」

 

 

また放つが、やはり防がれる。

 

そして、一歩詰めるたびに重厚な、純粋な気配が肌を撫でる。

 

この体内にある――が震え、怯えたような錯覚さえする。

 

 

「お前―――何者」

 

 

手元が狂い、『槍』は見当違いの方向へ外れてしまう。

 

それを見て、当麻は、走った。

 

飛び掛かるように俊敏に。

 

<死体職人>は舌打ちをすると、当たる気がしない黒曜石のナイフを投げ捨て、『剣』――<マクアフティル>を両手で構える。

 

その目にも、その顔にも、その手にも、その呼吸にも、一切の容赦は感じられない。

 

本気で、全力で、殺す気だ。

 

 

「終わりだ」

 

 

ダン!! と勢い良く地面を踏みつけ、必殺の間合いで『剣』を振り上げる。

 

上条当麻が絶対に避けられないタイミングを以て。

 

クリーンヒットを喰らえば、一発でも出血多量になるだろう。

 

轟!! とそのまま一気に『剣』が振り落とされる。

 

 

「―――ッ!!」

 

 

対し、当麻は素早く腕時計を外し、右拳に巻いていた。

 

詩歌がRFOの報酬として、そしてお守りとしてくれた腕時計。

 

それは、自分達、兄妹の絆のように決して壊れない頑丈さを持った絶対不破な代物。

 

<死体職人>の全体重を乗せて猛烈な速度で叩きつけられる、鋸刃の<マクアフティル>。

 

当麻は上半身を豪快に捻り、腕時計を巻いた右拳を迫り来る鉄の如く硬化な凶器に目掛けて――――叩き込んだ。

 

 

「なっ!?」

 

 

アステカの魔術師は驚愕した。

 

ショチトルは小柄な少女であり、剣術にも疎く、『剣』は金属こそ使ってはいないがれっきとした戦士が使えば、骨は簡単に叩き折れるもので、普通なら思いっきり打ち込めば拳は砕ける。

 

が、当麻の顔に苦痛の色はなく、逆に武器、<マクアフティル>が石刃が砕け、真っ二つに割れた。

 

演算型・衝撃拡散性複合素材(カリキュレイト=フォートレス)>。

 

窓のないビル全体に使用されている素材。

 

核シェルターを優に越える強度を持ち、衝撃を拡散させる性質を持つという。

 

それを上条詩歌は目指した。

 

詩歌が手に入れた特殊合金は、金属を専門とする研究所で造られた中で最も軽く、最も硬い、そして、衝撃を分散させるという性質を持つ。

 

だが、それはその研究所の限界の合金でもあり、おそらく<演算型・衝撃拡散性複合素材>には及ばない。

 

そして、その設計にやけに詳しい<冥土帰し>が生徒への世間話の1つで教えてくれたところによると、あれはただ硬いから頑丈なだけではなく、特殊なプログラムがある。

 

だから、詩歌はそれをさらに改良する事にした。

 

完成のイメージは掴んでいるのだが、その特殊合金をさらに改良するということは金属結合の配列そのものを変換する必要がある。

 

配列を変えるにはそれを壊すエネルギーと新しい分子構造に組み直すエネルギーが、つまり、その研究所で扱っている機械を上回るような想像を絶するエネルギーが必要。

 

この難問を解決する策として、詩歌は、自分の人脈と能力、<幻想投影>を生かす事にした。

 

<超電磁砲>の電磁力、<鬼火>の火炎などといった莫大なエネルギーを秘める能力を投影し、足りないのは<調色板>で補った。

 

詩歌の力の総結集によって、さらに加工され、鍛えられた特殊合金は詩歌の目論見通り、錬度が高まり、時計の動きに衝撃の際瞬時に可働する第1位の『反射』の研究を基盤とした1つのプログラムを隠して組み込み、<演算型・衝撃拡散性複合素材>の性質に近しいが、別の『進化』を辿ったものへと昇華した。

 

その力、幻想の松明から生み出された技巧の極みが集約されたのがこの腕時計……これはお守りであると同時にこれからに備えて、詩歌が用意した当麻の専用武器。

 

1日がかりで相当骨が折れたらしいのだが、仕上がったのはお守りとして最高、武器として使えば最硬の物。

 

手を固い鈍器に変えるため、破壊力が増大し、また、衝撃が緩和されるため素手では逆に怪我を負うような硬い物も容易く破壊する事ができる。

 

そして、加工には使ったが、維持に異能を使っておらず、<幻想殺し>によって破壊される事もない。

 

物理的に破壊不可能と言っても良いそれと、ありとあらゆる異能を打ち消す<幻想殺し>をうまく使いこなせれば当麻の右手は間違いなく最強の盾であり矛。

 

まともに喰らえば、幻想どころか全てをぶち殺す。

 

文明の証とも言える武器を砕いた最強の拳は、そのままショチトルの鼻先を掠めて、そして、『槍』と『剣』を失くした<死体職人>に当麻は左手で―――しかし、

 

 

 

―――ガンゴン!

 

 

 

金属を撃つような轟音が、頭上から鳴り響いた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

先ほどの狙いの外れた『槍』が建設途中のビルに直撃したのだ。

 

そのビルはコンクリートで固める前の段階で、鉄骨を組んで作った巨大なジャングルジムのようなものだった。

 

そして、『槍』によってネジやボルトの外れた太い鉄骨、細い鉄柱が今まさに頭上に降り注ごう、とその前に当麻は少女を助―――

 

 

 

「ショチトルに触るな!!」

 

 

 

『海原』が叫んだ。

 

当麻の動きがピタリと止まる。

 

重さ数百キロもある鉄骨が聖剣のように突き立つ。

 

間もなく建設中のビルが雪崩のように崩れ出す。

 

そんな中で、ショチトルの口元が僅かな笑みの形を作った。

 

 

 

「言っただろ……私は……全てを、捨てて…ここに来た、と」

 

 

 

その途端に、褐色の少女の体が崩れ始めた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

周囲の崩壊を気にせずビルの最上部から無数の鉄骨と鉄柱に姿を変え、バラバラと降り注いでくる。

 

無骨の鉄骨はビルの下部へと直撃し、さらに様々な部分が分解していく。

 

常識的に考えればすぐさまここから逃げ出すべきだが、

 

 

「ショチトル!」

 

 

ビルの最上階が崩れた事により、巨人の手が上から押しつぶすようにビルが圧壊した。

 

次々と雨のように鉄骨と鉄柱が降り注ぎ、地面に突き刺さっていくが、『海原』は全く頭上を見ようとはせずに、2人の下へ駆け寄る。

 

それほどまでの事態。

 

倒れたショチトルの右腕が、いきなりポロッと崩れたのだ。

 

それは生物学的な腐敗のようなものではなく、まるで透明人間の包帯を外していくような感じだった。

 

皮膚の外観は限りなく人間のそれなのに、その包帯が解けた後にはただの空洞しかなく、指先から始まった変化があっという間に肘まで浸食。

 

当麻は絶句し、『魔術師』でさえも現状を把握できない。

 

そんな中、

 

 

「これは、一体―――ッ!!」

 

 

「私の体が、限界を迎えただけだ」

 

 

四肢の端から少しずつ『ほどけてく』褐色の少女だけは冷静だった。

 

 

「勉強になったか。足りない実力を、魔導書で埋めようとすると、こういう結果を招く訳だ」

 

 

まさか……

 

“読んだだけで”も『毒』な―――とその予想を、現実は超える。

 

最悪に。

 

 

「貴様もアステカの魔術師なら分かるはず」

 

 

アステカ魔術の儀式では、人の肉で天国へ届ける。

 

それの応用で、このショチトルと切り離された肉には術的なラインで繋がっていた。

 

あの他人の武器を操って自殺させる術式の仕組みは、その武器を自分の肉体の一部とする事。

 

周囲に散布した自分の肉を乾燥させて粉末状にしたものは、魔術的には『ショチトルの体の一部』であるから、脳で思っただけで手足のように扱える。

 

また、それがびっしりとついた物品についても同じ。

 

だから、武器の支配権を掌握できた。

 

だが、

 

 

「そんな風に体を削る術式なんて、すぐに破綻する! くそ!! 自分の知っている『組織』もひどいものでしたが、何もここまでじゃなかった! 自分がいなくなっている間に、一体何があったと言うんですか!?」

 

 

これはもう『霊装』の領分を遥かに超えている。

 

バラバラバラ!! とあっという間に褐色の少女の体は手足はおろか腹までほどけていき、もうよくても生身の体は3分の1程度。

 

もうそれだけでは生命を維持する事は期待できず、肉や内臓の塊を空気中に放置するだけだ。

 

これほどまでの異常事態を、ただの術式や『霊装』だけで引き起こせるとは思えず、考えられるとすれば、それ以上の奥義―――<原典>。

 

何人たりとも破壊できず、完全自律起動している魔導書の<原典>との融合……いや、その逆でパーツとなることで彼女は『武器を持つものをその武器で自殺させる』という如何にも魔導書の防御機能らしい力を手に入れたのだ。

 

アステカには動物の皮に文字を記す、<絵文書>という書物があり、

 

 

(動物の皮……まさか!!)

 

 

今まさにほどけていく、褐色の皮膚のその奥、その内側に記されているのは―――

 

 

「ぐ、ぅ、ァァあああああああああああああああああッ!!」

 

 

ほんの数文字を凝視ではなく、チラッと視界に入れただけで脳が割れそうになる。

 

絶叫を上げる『海原』はそれでも、現状を把握できないものの心配そうに近づこうとする当麻を手で制し、これ以上近づくなと視線で訴える。

 

 

(くっ……。描かれているのは<暦石>の派生系か)

 

 

常人向けに解釈を改め、純度を薄くした『写本』ではなく、本物の<原典>。

 

こんなものは手に負えない。

 

対抗しようという考えそのものが間違っている。

 

破壊不能な邪本悪書を、一介の魔術師がどうこうできるはずがない。

 

けれど、この標的の右手、<幻想殺し>なら―――だが、それでは。

 

 

 

ショチトルが死んでしまう。

 

 

 

もうこの身体は生命活動が不可能な所まで陥っており、それをギリギリの所で<原典>が維持しているのだ。

 

それを殺せば、彼女もまた死んでしまう。

 

 

(死なせて、たまるか……)

 

 

自分1人の力では、この状況を打破する事など不可能。

 

ならば、今も彼女の命を繋ぎ止めている<原典>の力を使うまで。

 

あらゆる攻撃を防御し、何人たりとも傷つけられない<原典>が唯一その心を許す例外は『この内包された知識を欲する者』。

 

本当にあらゆる意味で『全ての干渉を防ぐ』のならば、誰もページをめくる事はできず、魔導書の存在理由すらなくなる。

 

どういう理屈かは分からないが、<原典>は『読者』と『そうでない者』を識別でき、『自らの知識を広める者』を好む傾向にある。

 

 

 

だからこそ、この魔導書を自分が引き継ぐ。

 

 

 

<原典>の所有者になれば、自動迎撃術式の対象外になり、『引き継ぐ』のでショチトルの身体から自然に<原典>は剥がしてしまえる。

 

別にこれは、彼女の人格を好んで協力している訳ではなく、単に知識の伝道者を求めているだけ。

 

その上で、その判断能力を誤魔化す。

 

ショチトルが死亡したら引き継ぎができなくなると錯覚させれば、勝手に<原典>が彼女の命を助けてくれるはずだ。

 

自分では彼女を助ける事はできない。

 

だが、自分は彼女のヒーローであるのだ。

 

一度はこの命を捨てようと思った身。

 

救うためなら命懸けで、騙すのに失敗すればその報いは死と跳ね返ってくるであろうが、迷うはずなど無い。

 

 

(私は馬鹿だ……だけど、ショチトルは、絶対に生き返らせてみせる!)

 

 

この褐色の少女を助けるために、全てを受け入れてみせる。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

上条当麻は、上手く現状を把握していないが、一刻も争う事態だと理解していた。

 

だが、それとはまた別に、一刻も争う事態なのだ。

 

上を見る。

 

大量の鉄柱が空から降ってくる光景を。

 

距離にしておよそ20m弱。

 

時間にして数秒はあるが、魔術師は少女を救うために意識を集中させているため気付いていない。

 

 

「ああもう! やるしかねぇじゃねえか!」

 

 

当麻が力を発揮する時は『誰かを護るとき、救うとき』。

 

時には、その“誰か”には対峙している“敵”でさえも当て嵌まる。

 

2人の師弟に、突き刺さろうとしている鉄柱を視界に入れる。

 

今の彼らを邪魔する事はできないと判断するや否や即座に2人の盾になるように立つ。

 

そして、賢妹がくれたお守りを巻いた愚兄の右拳を落ちてきた鉄柱に叩き込み、先のアステカの『剣』と同じように吹っ飛ばす。

 

元々この鉄柱は落ちているだけ、当麻達の攻撃しているのではない。

 

狙いも大雑把と言うかこちらに落ちてくるのは僅か。

 

その後も致命的なものだけを選択し、奥歯を食い縛り渾身の力を右手に籠めて鉄柱の軌道を逸らしていく。

 

 

(よし! このままなら―――)

 

 

と思った時、鉄柱より何十倍も大きい鉄骨が降り注いだ。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

大量の砂煙が舞い上がり、全ての視界を覆う。

 

遠くから野次馬の声が聞こえる。

 

そして、身体も動かす事ができる。

 

 

「はは……信じらんねぇ」

 

 

そう当麻は生きていた。

 

ぺたりと尻もちをつき、周囲の視界が晴れると、テントの骨組のように鉄骨が計算されていたように当麻達に覆い被さっていた。

 

 

「……偶然…じゃあないよな」

 

 

運が良かったのではない。

 

これは、

 

 

「御坂か?」

 

 

学園都市Level5序列第3位、<超電磁砲>、御坂美琴。

 

その力を発揮すれば鉄骨すらも軌道を変え、操作する事もできるだろう。

 

魔術師の方に顔を向けると、どうやら少女は生きており、<原典>を騙し切れた。

 

彼女を救えてよかった。

 

だが、これとは別。

 

彼は自分が生き残っている事がそんなに不思議なのかしばらく呆然とし、やがて、

 

 

「……自分の、負けですね」

 

 

「さぁね」

 

 

当麻は頭を掻いてそう言ったが、魔術師は首を横に振った。

 

理由はどうあれ、今の彼は性も根も尽き果てており、とても動ける状態ではない。

 

この状況で戦闘を再開しても勝ち目はない。

 

 

「……ようやく止まる事ができましたか」

 

 

「……」

 

 

当麻は答えずに、魔術師の顔を見た。

 

思えば、この魔術師はずっと迷っていた。

 

もちろん、本人は本気で当麻を殺そうとしたが、そうなれば今度は美琴を殺さなければならない。

 

その迷いが知らず知らずの内に実力にセーブがかかっていた。

 

そして、この魔術師は美琴を傷つけたくはなかっただけではなく、美琴のいるこの世界を、詩歌でさえも壊したくはなかった。

 

けれど、自分は弱い。

 

だからこそ、大義名分が欲しかったのだ。

 

詩歌の時のように実力を十二分に発揮することなく蹂躙されたのではなく、『全力を尽くしたけど邪魔が入って失敗した』という大義名分が。

 

それがなければ、組織を裏切ることはおろか自分を吹っ切る事さえもできなかった。

 

 

「……組織を、裏切ります。ですが、攻撃は今回限りでは終わりません。あなた達兄妹と御坂さんはこれからも狙われ続ける」

 

 

当麻は黙って彼の言葉を聞いていた。

 

 

「……守ってもらえますか、彼女をいつでもどこでもまるで都合のいいヒーローのように駆けつけて、彼女を守ると―――約束してくれますか」

 

 

それは、彼が願いつつも叶えられない望み。

 

本当は自分がやりたかった夢を、他の誰かに明け渡すという重み。

 

そうして、当麻は―――

 

 

 

 

 

「          」

 

 

 

 

 

―――、一言だけ告げると首を縦に振った。

 

 

「―――全く……最低の返事だ……」

 

 

魔術師は苦笑して呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

彼らの会話を1人の少女が聞いていた。

 

 

 

 

 

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

御坂美琴はハンバーガーの入った紙袋を胸に抱えながら、路地の曲がり角に身を預けていた。

 

そして、2人の会話を聞いていた。

 

と言っても、最初から最後まで聞いていた訳ではないし、完全に事態を把握している訳ではない。

 

むしろいきなり降ってきた鉄骨の軌道を曲げるという難題を突き付けられた直後で、この場で1番冷静でいられないのかもしれない。

 

でも……2人が誰のために戦っていた理由が何だったのかは分かってしまった。

 

そうそれは―――

 

とそこで、美琴はブンブンブンブン! と勢い良く首を横に振る。

 

 

(か、勘違いよ勘違い! アイツは無自覚でああいう事を言うヤツなのよ。私が特別って訳じゃないんだから!)

 

 

それでも、否定の為に振る首の動きは止まってしまう。

 

分かっているのに、止まってしまう。

 

 

(うう……)

 

 

背中を預けている路地の壁に後頭部をコツン、と押し当てた。

 

顔が赤くなるのが鏡を見なくても分かる。

 

本当に最低だ。

 

こんな状況で、あんな台詞を聞いて今さらどんな顔をして出ていけばいいんだろうか。

 

特に最後の当麻の台詞。

 

先ほどまでは詩歌の事が羨ましいと思ったのだが、今は全然そんなことはない。

 

こんなのは慣れてなきゃ、いやきっと慣れていたとしても心臓に悪過ぎる。

 

詩歌には同情する。

 

でも…お菓子が…貰えた事に…嬉しく…ない………訳じゃない……

 

 

「はぁ、まぎらわしいのよ……あの馬鹿」

 

 

美琴は溜息をついた。

 

赤くなった顔が元に戻るまで、どれくらいの時間がかかるのか予想もできなかった。

 

 

 

つづく


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